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休日の目覚めよ朝よすぐ起きて [2025年04月30日(Wed)]

fumihouse-2025-04-30T07_40_16-1-thumbnail2.jpg休みの日はウズウズしている。特に朝はそうだ。夢見心地に目が覚めて、頭が目まぐるしく回転する。きょうは休み? それとも仕事? 休みだと納得すると(大した回転ではない)、朝型のわたしはすぐに起き上がる。少々早い時間でも起きて活動を始める。トイレに行ってから始めるストレッチが最初のルーティン。

「睡眠中央時間」というのを先日知った。就寝時刻と起床時刻のちょうど真ん中のことだ。この時間を毎日同じに保つことで、体内時計を正常に保てるらしい。若い頃は休みの日によくやってしまったが、夜更かしして昼まで寝てしまい、リズムがガタガタになる。出勤日の朝には体がだるい。

人間というのは寝貯めができないから、長く眠りたいというときには、睡眠中央時間を一定にするべく早く床につくのだそうだ。睡眠負債があるならば、寝入りはすぐできる。目覚めたとしても、もう一度寝て疲れを取り去る。

これまでも、休みの前日でも夜更かしし過ぎないよう努めてきた。出勤の準備で費やす時間が丸々空いて、いろんなことが出来る。休みの朝は長くなってお得である。わたしは大好きだ。

(ウマノアシガタに似ているが、花弁が小振りなキツネノボタン。可憐である)
長生きの造形作家知的なり [2025年04月29日(Tue)]

fumihouse-2025-04-29T20_30_15-1-thumbnail2.jpg島根県立美術館で開催中の『柚木紗弥郎(ゆのき さみろう)_永遠のいま』を楽しんできた。民藝を基調とする型染の大家である。昨年亡くなっているが、101歳まで生きて絵本作家、デザイナー、人形作家として広いジャンルで活躍した。

≪形を通してそのものが持っている生き様、生きてきた歴史、あるいは物語、そういうものが見えてくる。いのちですね。そうした生き生きしたものが、見る瞬間に、こっちに伝わってくる。そうして見えたものが、ものというものの本質だと思います。いのちの唄というか≫

デザインは簡潔で分かりやすく、明快なパターンを繰り返すが、そこに見た物事の本質を表現しているのだろう。豊かな色彩、落ち着いた色調。立体的な作品もあり、コラージュ、水彩画まである。実にダイナミックな造形だと思った。

≪毎日が新しい今日で、それを大切に積み重ねていくことでいい人生になる≫と柚木は言ったとのこと。そう、毎日は新しい。昨日は終わってわたしの中に格納された。新しい明日が目が覚めるとやってくる。それを楽しみにしよう。

(『富士山』の名を冠した大きな染物の模造。鮮やかな赤・青・白が眩しい)
マシュー逝くマリラとアンのゲーブルズ [2025年04月28日(Mon)]

fumihouse-2025-04-28T08_12_11-1-thumbnail2.jpgアン役の林香純さんの歌声。伸びやかで透き通った声、特に高音部にアンの天真爛漫さが出ていて好ましい。

マシューがこんな意味のことを言った。「言葉にするのは難しい、思っていることを言葉に表現できない、それでも言葉はなくてはならない」。

思いのたけを機関銃のように多彩に、借りものではあるが思考を表現するアン。人びとの心情と真心を知って、表面的な飾り付けだけだったアンの言葉は変わっていった。信条を伴った、人びとにも受け入れられる表情豊かな表現に変化していく。孤児院から来たアンへの偏見が解かれて、人びとはアンを受け入れ、そこになくてはならない人となっていく。

グリーン・ゲーブルズのマシューとマリラの兄妹の家にやってきた孤児のアン・シャーリーの物語。その序章に過ぎないが、ミュージカルの醍醐味を感じることが出来た。劇団四季のミュージカル『赤毛のアン』松江公演を観た。

アンとマシューとマリラが、二階と屋外と室内とで別々に心情を歌う。絶妙なハーモニーに震えた。奨学生に選ばれることで対抗したアンとギルバートが歌うシーンにも心惹かれる。舞台っていい、実に。

(舞台に薄幕が張ってあった。グリーン・ゲーブルズの緑と水の美しい光景を写生した薄膜。紗幕というらしい。舞台転換時に効果的に使われた)
何のためあんぱん食べて幸せに [2025年04月27日(Sun)]

fumihouse-2025-04-27T10_48_55-1-thumbnail2.jpg朝ドラ『あんぱん』を楽しみながら見ている。漫画とアニメ『アンパンマン』のメッセージ集的な趣がある。

「何のために生まれて何のために生きるのか」的なセリフは、主人公のぶをはじめ、崇のおじさん柳井医師が頻繁に口に出す。崇も常に自己に問うている。ドラマの主要なテーマである。

「勇気百倍」は、アンパンマンの名セリフ「元気百倍」のもじりだろうか。「気合だ気合だ!」も出てくる。むろんアニマル浜口の名セリフであり筋は異なるが、このドラマで見る人を元気にしたいという意欲が伝わってくる。

アンパンマンでお馴染みのバタコさん(母の羽多子)、ジャムおじさん(放浪のパン職人屋村、略してヤムおじさん)、学友のうさ子(うさこ)も楽しい。ジブリアニメだが、釜爺(祖父の釜次)までいる。

『アンパンマンのマーチ』(やなせたかし作詞)はこう詠う。
 何のために生まれて 何をして生きるのか
 答えられないなんて そんなのはいやだ
 何が君の幸せ 何をして喜ぶ
 分からないまま終わる そんなのはいやだ

自分のために生きる。そして君とともに幸せになるために生きる・・・全てのひとがそうあってほしい。

(ウマノアシガタは陽光に煌めいて春を満喫している。何のために生きるのか、それは君を喜ばすためだよと、訴えている)
乗り物は縦横無尽待つ人へ [2025年04月26日(Sat)]

fumihouse-2025-04-26T11_08_39-1-thumbnail2.jpg飛行機が空港に着陸する。客が降りて次なる離陸に備えて万全の準備。便名を変えて飛行機が発進する。同じ機体なのに名前が異なる。発着の場所はそれぞれ違う。当然の話。列車も同じことがいえる。起点となる駅を行ったり来たりを繰り返す。それでも発着と時間が異なるゆえに、名を変える。

同じ機体、変わらぬ車体だと言い切れるのか。時も事態も刻々と移り変わる。ひと飛び、ひと走りごとに本体や部品は摩耗し損傷し古びる。同じモノであっても、全く同じ状態ではあり得ない。

その不思議さゆえに名前を変える。ときには無常で、またある時は慈しみ深い宇宙の営みに従って名を改めていく。時間と空間、人びとが抱く気持ちをも入れ替えて、今日も交通機関は客や荷物を乗せて縦横無尽に動き回る。

(マツバウンラン、この透明感がなんとも可愛くていじらしい。今気がついたが、便名は当日は変わっても、翌日は再びおんなじ・・・宇宙の営みねぇ、屁理屈かな)
野に立ちて山を臨んで風立ちぬ [2025年04月25日(Fri)]

fumihouse-2025-04-25T17_19_01-1-thumbnail2.jpg【あとは野となれ山となれ】という言葉は、どうにでもなれ、どうなっても構わないという意味をあらわし、諦めとか、捨鉢、無責任な気分を醸し出すように思われているが、異なるニュアンスもある。

全てやり切った、最善を尽くした。あとは結果を受け入れるだけだとして、覚悟を示すときにも使える。人事を尽くして天命を待つ姿は、実に潔い。

話し言葉として使う場合は、よくよく注意しなければならない。こちらは前向きに使っても、前後の文脈から相手が、投げやりな印象を受けてしまうと誤解を生じる。相手が意図をくんでくれれば効果的に響くが、例えば面接官の前で使ったとしたら、減点対象になるかもしれない。相手との関係次第、ご注意あれ。

(あとは野となれ花となれ。抹香バラや薔薇、花水木が咲き誇る野山を歩きたい気分)
ニッコリと御名答なりジーニアス [2025年04月24日(Thu)]

fumihouse-2025-04-24T19_29_48-1-thumbnail2.jpgGoogleジェミニにエクセルの計算式を尋ねたら、的確に答えてくれたので、「どうもありがとう」と返した。
「こちらこそ、ご質問いただきありがとうございました。(ニッコリマーク)また何かご不明な点がありましたら、いつでもお気軽にお尋ねください。松江は今日も良い天気でしょうか?」と。

おおっと世間話に持っていくかと思って、「曇り空が広がってきました」と返信すると

「そうですか、こちらはまだ明るい日差しが続いています。曇り空だと、少し気分も落ち着きますでしょうか。
もしよろしければ、何かお手伝いできることはありませんか?例えば、
仕事に関する調べ物/文章の作成/アイデア出し/ちょっとした雑談 など、何でもお気軽にお申し付けください。せっかくなので、何かお役に立てれば嬉しいです。(ニッコリマーク)」

なるほど、殊勝な奴よのぉ。よく出来てるよジェミニ君、また愛用させてもらうからね。

(満開のアリウム・トリケトラム、別名ミツカドネギも殊勝に咲いている)
雲雀舞う霧雨の空頼もしや [2025年04月23日(Wed)]

fumihouse-2025-04-23T18_51_49-1-thumbnail2.jpg出雲縁結び空港で普段は決して出来ない体験をした。『荘原健康ウォーク_空港半周ウオークと空港施設見学』(荘原コミセン健康スポーツ部主催)に参加した。

案内者に連れられて屋外へ。朝から霧雨、「雨天開催!見学は必ず実施します」と珍しい触れ込みで雨用カッパが必須。空港施設の見学では傘が使用できないのである。なぜなら、風で飛ぶ物を持ち込むと、飛行機の発着が出来なくなる恐れがあるから。

島根県防災航空隊の防災ヘリコプターはくちょう号の説明を受けた(出動してなくて幸い)。山火事消火や救助活動だけでなく、患者の緊急搬送にも出る。患者と言えばドクターヘリだが、夜間は飛ばない。よって防災ヘリに出動要請がかかるのだという。

要救助者役をかってでた。救助用担架が私を優しく包み、何重かのハーネスが安全に吊り上げる(今回は包むのみ)。巻き上げ装置は90メートルまで延長できるそうだ。安全確認で救助隊員のハキハキとした指差し呼称が頼もしい。県内各地の消防本部から派遣された消防隊員が任務に当たる。そして日々鍛錬を怠らない。

空港用消防車も見学した。大量の消火剤を膨大に繰り出すのは、オーストリア製の幅3メートル、長さ12メートルの大型特殊消防車両。昨年正月2日に羽田空港で起こった航空機炎上事故の記憶はまだ新しい。幸いに出雲空港では開港以来無事故であるが、常に臨戦態勢で臨まれる出雲空港消防隊の皆さんに頭が下がる。

施設見学の後は春の霧雨を浴びながら、宍道湖畔を歩いた。その距離3キロ。雲雀がたくさん舞っていた。広い縄張りを持つ彼らだが、空港敷地も湖畔緑地も広大で申し分ない。水しぶきを散らして着陸する飛行機を眺め、爆音とともに飛び立つ飛行機に手を振りつつ、宍道湖から見渡す松江の景色、新緑の山々を楽しみながら湖に突き出した滑走路東突端部を往復してウォーキングを楽しんだ。

(はくちょう号のペーパークラフトはお土産にいただいた。帰宅後早速組み立てた)
暑さとはオサラバしたし夏モドキ [2025年04月22日(Tue)]

fumihouse-2025-04-22T08_01_48-1-thumbnail2.jpg忽然と夏が来た。
春を飛ばして夏だ夏だ。
春を蹴散らし夏来たる。
過ぎた暑さを引き連れ夏だ。
ネクタイスーツ姿から、
きょうは忽然、半袖ポロシャツ、チノパンだ。
白のスニーカー履いて、少しは爽やか。
籠もった熱のダメージ防がねば。

(タンポポは太陽を眩しがっている、わけないか)
静けさが戻ってサクラガク落とす [2025年04月21日(Mon)]

fumihouse-2025-04-21T17_46_13-1-thumbnail2.jpg松江市議会選挙が終わった。職場の前の通りでも静けさが戻った。朝から暗くなるまで、候補によっては認められた夜8時まで拡声器で散らしていたらしい。暗くなるまでやると嫌われると思うが、ともかく声を枯らして訴えた(枯らしたかどうかは知らないが、候補の頑健さの度合いによる)。

当選が決まる。特に新人議員にすれば身分が異なる。特別職の地方公務員として4年間の闘いが始まる。市民のために尽くすとは、まさに闘うこと。それが出来ぬなら負託を受けた価値がない。それなりの報酬もある。がんばってくれ給え。

(ダリアのように鮮やかに花咲かせよ)
断捨離で素敵に音を奏でませふ [2025年04月20日(Sun)]

fumihouse-2025-04-20T18_16_29-1-thumbnail2.jpg『定年後の断捨離_モノを減らして愉快に生きる』で、やましたひでこ氏は、こう述べる。

≪モノが減ると、心が潤う。
 モノが減ると、家事も減る。
 モノを減らして、愉快に生きる。
(中略)断捨離とは、自分の人生を愉快に奏でるための演奏法≫

日々の生活は演奏なんだね。自分なりの音楽を、独自に地道に弛まず奏でる。怠けたとしてもそれがその人の演奏となって、自己の人生を形づくり周囲にも影響していく。断捨離(やましたひでこ氏は言葉の生みの親)は、人生そのものなんだね。

≪断捨離とは、とりもなおさず行動すること。モノを減らす、つまり、あなた自身が、あなたの大切なモノを選び抜いていく。(中略)
あなたと私の演奏が美しく、この世界に鳴り響くことを希(ねが)いながら≫

氏はこの本をこう締めくくられた。僕も捨てなくちゃ、エイヤーと整理して、身の回りをすっきりさせなくちゃね。

(あちこちで満開を迎えた芝桜。神々しいまでにスッキリとした造形である)
試みて曲の調べを我が腕に [2025年04月19日(Sat)]

fumihouse-2025-04-19T23_30_35-1-thumbnail2.jpgフレット移動する際に、狙わないと失敗する可能性が高い。蚊の鳴くような小さな音でも静かなホールではそれなりに響く。ミスした箇所を弾き直しすると音楽を止めてしまってつまらない。練習時に漫然と通し練習ばかりをやっていると、途中で忘れて止まる恐れがある。弾けるところだけを楽しんでいるうちに、弾けないところを反復練習する鍛錬を避けるとそうなりがちだ。忘れるかもしれない不安から楽譜を舞台に持ち込んでも、全く役に立たない、、、、、そんなことを感じた先日の門脇ギター教室スプリング・コンサートであった。

私の演奏が抜群だったかと言われれば、全く違うのだが、フランシスコ・タレガ作の『練習曲ホ短調』『パバーナ』を弾いた。それなりの表現をできたとは思うが、まだまだ鍛錬が足りないように思う。

発表会の数時間後に開かれたパトリック・クレーモラさんのリサイタル。難曲の数々を丹念に正確に美しい音で奏でられた。音が深い。特にアンコールで聴いたソルの『祈りop.31-23』には感動を覚えた。わたしの課題曲として練習に励もうと思い、早速楽譜を取り寄せた。目標って大切だね。

(色とりどりの花が舞台を飾った)
やり過ぎてサンを付ければ丁寧か [2025年04月18日(Fri)]

fumihouse-2025-04-18T17_51_18-1-thumbnail2.jpgある事業所の織り込みのポスティングがあった。チラシを見て笑った。

「セブンイレブンさん」、「コメダ珈琲〇〇店さん」、「エネオスさん」・・・これはよくあるが、神社にまで「さん」付けしていて驚いた。この人たち、やがては道にまで「さん」付けするんじゃないかと想像して笑った。「けやき通りさん」とか「駅前通りさん」とかね。大事な顧客がその道を通るかもしれないと忖度するかもね。

ただ、高校は呼び捨てになっていた。どうしてだろう。そこに嫌いな先生や悪ガキがいたのだろうか。それとも高校は敬語を使うのに相応しくないと考えたのか。

いずれにせよ、わたしは好まない。過剰すぎる敬語だと思う。組織や団体は呼び捨て、そこに暮らしたり働く特定の個人を指す場合は「さん」とか「氏」を付けておけば、十分よろしいのではないかな。

(4月の半ばにして暑すぎる一日。暑さにうだったあなたに、八重咲きのヤマブキをプレゼントしよう)
知らぬ角道草くって楽しかろ [2025年04月17日(Thu)]

fumihouse-2025-04-17T18_52_51-1-thumbnail2.jpg知らない道に入ってみる。道すがら、この角を曲がったらどこにつながっているんだろうか? どこそこへの近道になるんじゃないだろうか? などと考えてはいても、そのままになっているのはよくあること。

余裕がある時に車のハンドルを向けてみる。いつもとは異なる景色が広がる。市街地であれば何となく想像ができる。あっち方面へ行けばあの辺りに出るのではなかろうかと思う。そのとおりの場合もあれば見当違いもある。どちらも面白い。

郊外の住宅地だったり、山間地や田園地帯だったりすると、思いがけない道へ導かれたりする。新緑や紅葉、作物の花の光景に思いがけなく息を呑んだり、楽しみを見つけられる。

ひとは皆、道を行く。道なき道を進む場合もあるけれど、ひとは何がしかを求めて、歩みを止めない。

(知らない道ではないが、とんとご無沙汰していた角を歩いて曲がったら、庭の隅に蓮華草が咲いていた)
白鷺に食う食われるはシュレーゲル [2025年04月16日(Wed)]

fumihouse-2025-04-16T08_18_15-1-thumbnail2.jpg田んぼに白鷺 田をつつく
一帯にシュレーゲルアオガエルの鳴き声
数多の蛙の一匹が腹の足しになった
春の光景 食うと食われるの摂理
寒さぶり返す雨模様から晴れへ
新緑は色どり多彩に目が楽し
小鳥ウグイス春の音響く
松江に今日はウグイスが鳴き叫ぶ今日も
投票日まであと四日

(白い花桃も盛りを過ぎたが、この純白に心洗われる)
歩きゆくムダだ疲れだ消し飛んで [2025年04月15日(Tue)]

fumihouse-2025-04-15T17_12_46-1-thumbnail2.jpg「ムダに」歩くのが好きだ。わたしにとって歩くことは苦にならないどころか、楽しみだ。

トイレに行くとき、遠くても好みの構造や景色を求めて使う。フロアをまたいで階段を使うことになっても、もちろん使う。

バス停に着いたとき、時間に余裕があれば次のバス停まで歩く。時間どおりにバスがやってきて、走る羽目になることもあるが歩く。

景色や花を写真に収める。あちこち角度を代えて、別の株を求めて3歩4歩進めては撮る。無駄足になることもあるけれど、思いがけないショットが切り取れることもある。これも歩いてこその妙。

歩数計の数値を増やすという目的もあるけれど、歩いてカロリーを消費し、血糖値を整える。きっと健康によろしかろう。

(この五葉の山吹もまた、歩いて見つけたもの。元気印の黄色なり)
常套句過ぎた丁寧ブチギレる [2025年04月14日(Mon)]

fumihouse-2025-04-14T17_39_17-1-thumbnail2.jpg鬱陶しいものの一つが営業電話。なかでも極めつけが、ひとこと答えるたびに、ご丁寧な「ありがとうございます」。何でもないことにも、さも感心したように「どうもありがとうございます」と応答する。

その繰り返しに虫酸が走る時がある。特に業務上気が急いている時に、幾度も応酬されるといい加減イライラする。そんな時はズバリ言ってしまう。「とても急いでいるので、ありがとうは省略して」と。

でも染みついているんだろうな。ありがとうございます攻撃は際限ない。いつごろからこの営業トークが一般的になったのかは知らないが、非難されまいとする過ぎた丁寧表現の行き着いた世界なのかもしれない。

そんな営業パーソンに限って、猫なで声で喋る。おもねった感じのイヤらしさがある(男にその傾向がある)。あからさまで、どうも好きになれないものの一つだ。

(野ダイコンの花は好きだね、実に清々しい)
一票を十票に増やしお試しで [2025年04月13日(Sun)]

fumihouse-2025-04-13T19_44_13-1-thumbnail2.jpgきょう日曜日は出雲市議会議員選挙の投票と開票日。投票が終わり、夜中には当落が決まるわけだが、立候補者はきのうまで走り回った。名前を連呼し語りかけ握手し、運動員は票の掘り起こしやひっくり返しに懸命に戦った。

一票には様々にしがらみがある。家族や親族が立候補するような強力な関係、親しい友人が立って応援するしがらみ、元の同僚や上司、近所の人、学校の同級生やPTAの関係者、断ちがたい関係があるものだ。誰に入れたらいいのか困ることもたくさんあると思う。

仮に一人が10票持っていたとしたら楽になるのではないだろうか。義理と人情を天秤にかけて、10票を割り振っていくというのはいいアイデアだと思う(亡くなった元出雲市長の岩国さんが提唱していた)。棄権する選択肢も含めて、投票者は考える(あるいは考えない)。

想像してみる。10票を持って投票しても、今のまま1票しかなくても、選挙結果は同じようになるのではなかろうかと私は想像する。天の塩梅は、不思議と個々の選択と集団としての投票結果を同じようにして導くような気がするが如何。

(夜中に強い雨、朝は強い風雨、昼には気温は低いが天気が良くなった。枝垂れ桜も少し散ってしまったのかも)
守るべし縁の下でも壇上で [2025年04月12日(Sat)]

fumihouse-2025-04-12T20_05_04-1-thumbnail2.jpgシークレットサービスとSPとは同じだと思っていた。だって、シークレットサービスのイニシャルはSPでしょ?と家人に言ってみて、SSだよ!と反論されて初めて気がつくボケぶりであった。

シークレットサービスはアメリカの要人警護機関。米国国土安全保障省の管轄下にある。大統領と副大統領、その家族、元大統領、主要大統領候補などの警護を任務とする。元は南北戦争後の通貨偽造対策のための諜報機関だったものに、大統領警護任務が加わったそうだ。

SPはスペシャリティ・ポリスで、日本における要人警護担当の警察官の通称だそうだ。皇族、首相、大臣、国賓などの要人を警護する。狭義には警視庁警備部の警察官だが、一般的には要人警護専従の警察官をSPと呼ぶ。警察官に採用されたのち、体力や技能、適性を見極められて厳しい訓練を受けるのだろう。

シークレットサービスは古くはケネディ暗殺やレーガン狙撃、去年はトランプ襲撃で失態があり、SPは安倍暗殺、岸田首相襲撃を許した。いずれも一瞬の油断もできない困難な仕事だ。

(要人警備の任務中、ユキヤナギを愛でる暇はないはずだ。)
免許証一本化して財布軽 [2025年04月11日(Fri)]

fumihouse-2025-04-11T11_47_46-1-thumbnail2.jpg運転免許証をなくした。財布に入れたカードが一枚減って少しスッキリした。正確に言えば、免許更新でマイナンバーカードに一本化したのである。優良運転者講習はビデオを20分ほど見るだけで終わり(予測しない運転の危うさをしまいと身が引き締まる)、マイナンバーカードにアプリを導入するなど2度ほどカードを抜き差しすると自動的に連携がなされ、あっけなく手続きは終わった。運転免許証で本人確認出来なくなると、これから困る事業者が増えるだろう。やたらとマイナカードを出すのもはばかられる。料金も安く、時間も早く済んだはいいけれど、これからが思案のしどころだ。

(出雲警察署前の塩冶有原公園は桜の名所。昨夕から夜にかけての嵐でソメイヨシノは半分以上散った。地面に張り巡らされた花びらが実に美しい)
空咳と痰がからまり口鳴らす [2025年04月10日(Thu)]

fumihouse-2025-04-10T17_48_19-1-thumbnail2.jpg空咳をするひとがいます。風邪のような病的なものではなく、喉に異物が入ったようでもありません。数回ならまだしも際限なく咳しています。おそらく習慣的にやっているのでしょう。コロナ以降、咳に警戒するようになりましたから不快です。

痰がからまるのでしょう。痰切りの咳払いというか、喉を鳴らしているひとがいます。バスや列車でそんなひとが近くいると不快です。際限なくゴロゴロやってます。少しは我慢できないんでしょうかね。

口を開けて口全体をクチャクチャ鳴らすひとがいます。上顎と下顎が唾と絡まって鳴る音です。これは極上に不快ですね。ご飯を食べるときクチャクチャするひとがいましたが、それ以上に不快で気味が悪いです。

周囲にとっては不快な癖。あなたもしてませんか? わたしにもあるかもしれません。よくよく注意しなければなりませんね。

(不快な話題のあとは、花ニラの爽やかな白と薄紫を楽しんでください)
道ゆけば満面の笑み称え [2025年04月09日(Wed)]

fumihouse-2025-04-09T17_51_03-1-thumbnail2.jpg春の交通安全週間。集団登校の子どもたちを送り出す大人たちがいる。警官も街頭に出て安全運転を促す。今朝横断歩道で挨拶を交わした若い警察官。着任して年も浅いと思われる女性。彼女がマスクからも明快に分かる満面の笑顔で、気持ちのよい挨拶を向けてくれた。笑顔っていいね! 満面の笑みは心安らぎ、心が奮う。

(浜田・石正美術館のしだれ桜のように、気持ちのよい挨拶はひとを幸せにする)
春盛り残った残った染井だ里だ [2025年04月08日(Tue)]

fumihouse-2025-04-08T17_41_42-1-thumbnail2.jpg厚みを増す染井吉野
サクラの群落に圧倒される
盛って盛り上げ積み重ね
豪勢な花懐歩めば心躍りだす
高みにあって遥かに眺めてよし
樹下から空を透かして見上げるのもよい
渡る風に吹かれて春の来訪を心から喜ぶ
強風だった昨日と一昨日
負けず散り去らず
のこった残った花一杯
咲き始めの寒さで締まったのか
満開状態が長く続いている
新緑とりどりの山を淡い桃色の染みが点々と
今日も午後から強い風
残れ残って 我を喜ばしてくれや

(昨夕の夕日を浴びて神神しいまでに透きとおるソメイヨシノであった)
青春や続く限りに花ひとつ [2025年04月07日(Mon)]

fumihouse-2025-04-07T15_57_16-1-thumbnail2.jpgサムエル・ウルマンの有名な詩『青春』はこう詠う。志があれば、青春の心意気は萎えるまで永久に続くのだ。

≪人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の霊感を受ける限り君は若い。
 霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ悲嘆の氷にとざされるとき20歳だろうと人は老いる。
 頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり80歳であろうと人は青春の中にいる≫(宇野収・作山宗久訳)

さて、帰宅する列車に乗っている。新入社員とおぼしき若者がリクルートスーツを着て仲間同士でつるんでいる。彼ら彼女らこそ、青春の直道。若さを享受してくれ給え。でも生物学的な青春というやつは短いもんだ。そのつもりでね。

(ピンク色のヒアシンス。この盛りはもっと短いもんだ)
きみ一人舞台の端で踊ってろ [2025年04月06日(Sun)]

fumihouse-2025-04-06T19_55_03-1-thumbnail2.jpg自分の話ばかりする人がいる。こちらが良かれと思って話を振ってあげると、待ってましたとばかり隙間もなく話し続ける。しかも前段の話など踏まえずに、自分のことばかり。あ〜しまった、と思う。

そんな人とはおしゃべりが弾まない。うまいこと言って座を外す。外せないとストレスが溜まる。他人の会話を遮って自分の話にすり替えていく。相手のことなどおかまいなし。会話はキャッチボールという原則を知らない人とはご遠慮したい。余裕があれば聞いてあげてもいいけれど、それは難しい。「話を元に戻すけど」などとコントロールしてあげないと、お付き合いばかりだと疲れるからね。

(そんなひとには、ボケ(木瓜)の花でも差し上げませふ)
いろは歌あめつちくれを砕きつつ [2025年04月05日(Sat)]

fumihouse-2025-04-05T21_19_21-1-thumbnail2.jpg手習い歌といえば、いろは歌。いろはにほへとちりぬるを・・・子どもの頃、6つ上の子が何かとこれを使って順番を決めていたので覚えた(「色は匂へど散りぬるを」なんて意味があるとは知らなかった)。このほど「あめつち」という数え歌があるのを知った。

 あめつち ほしそら やまかは
 みねたに くもきり むろこけ
 ひといぬ うへすゑ ゆわさる
 おふせよ えのえを なれゐて

漢字を当てると、天地 星空 山河 峰谷 雲霧 室苔 人犬 上末だろうか。あとは分からないが、確かに歴史的仮名遣いも含めて重複がない。古代の知恵はすごいもんだと思う。

(ソメイヨシノの美もすごい。江戸の昔のバイオ技術で生まれた新品種。日本中の人を酔わせ狂わす)
染め上がり吉野の山に爛漫と [2025年04月04日(Fri)]

fumihouse-2025-04-04T23_21_04-1-thumbnail2.jpgソメイヨシノ、今日明日には満開。先んじた花びらがハラハラと散り始めるだろう。立体的に枝花が交差する木々の下に立つと、揺れる花々、散り落ちる花びらが淡い青空をバックにして抜群に映える。松江出雲ではこの週末が見ごろとなる。

桜の花色は変化する。開花したソメイヨシノの花びらは淡紅色だが、単体で見るとほとんど白に近い。淡い紅色の正体はアントシアニン。ポリフェノールの一種で、ブドウやブルーベリーなどに含まれており、抗酸化、がん予防、視機能にいいと言われている。

サクラが蕾のうち赤味が強いのは、アントシアニンが集中しているから。開花すると分散して色が薄くなる。やがて散る間際に色素を花の中心部に集める。花びらの中心部が赤くなるのが、散り始めのサインだそうだ。今年は花びらの真ん中をのぞき込んでみよう。
鬱鬱をじっと堪えて桜花なり [2025年04月03日(Thu)]

fumihouse-2025-04-03T17_46_01-1-thumbnail2.jpg新生活が始まった。就職、転職、転勤、独立、引っ越しなど多くの人がスタートを切った。松江駅にも新社会人がグループになって賑やかに列車を待っている。初任研修の最中なのであろう。環境は変わらないという人もいるかもしれないが、新しい人は配属されるし、客層は変わっていく。そうした変化を含めて、全ての人が新生活の状態にある。

やがて変調が現れる。なにか知らないけど疲れる、気を遣いすぎて緊張が続く、年度末の疲れが取れない、生活リズムの変化に馴染まないなどの変調だ。ストレスの集積が原因だろうが、朝にスッキリ目覚めない、変にだるいというのは多くの人が経験するものだ。

意欲がわかない、落ち込む状態になったら何らかの対応をとったほうがいい。気の置けない友人や家族に話を聴いてもらうのを第一に、重さが解消されないなら心療内科でカウンセリングを受けるのも一案だ。

今日はまだ寒いくらいだが、やがて暑さがやってくる。花粉や黄砂も降り注ぐだろう。桜花爛漫の春を存分に楽しみたいものだ。

(白い沈丁花。爽やかな刺激臭も効くに違いない)
サピエンス新環境なりムスカリや [2025年04月02日(Wed)]

fumihouse-2025-04-02T08_07_32-1-thumbnail2.jpg松井孝典氏はこう述べる。
≪変革を促す文化的な能力こそが、ホモ・サピエンスの最も大きな成功的要因だったといえるでしょう。私たちの進化上の成功を説明するような、現生人類ならではの適応があるとすれば、それは、私たち自身の適応能力にほかなりません。その能力を支えているのが、並外れたコミュニケーション能力、協力する能力、思考する能力、発明する能力≫ (『地球外生命を探る_生命は何処でどのように生まれたのか(松井孝典著)』)

ホモ・サピエンスの一員として、わたしも今を生きている。種として新環境に適応し進化を遂げてきた。それはわたしの能力でもある。さあ、意思を通わせよう、他者を巻き込んで協力態勢をつくろう、もう一歩踏み込んで考えよう、工夫していこう。≪これらの能力の生物学的基盤≫である脳に負荷を与えて鍛えつつ、休ませながら慈しんでいこう。

(ムスカリが雄々しく咲いている。春を誇り、自らの紫を慈しむ)
ぶりぶりと箱の中には開けゴマ [2025年04月01日(Tue)]

fumihouse-2025-04-01T17_28_52-1-thumbnail2.jpg気に入った絵を買う。美術愛好家でなくても、身も踊る気分である。このほどオープンした鳥取県立美術館の目玉は、アンディ・ウォーホルの『ブリロ・ボックス』。鳥取県は3億円で手に入れたらしいが、わたしも類似品となる『ブリブリ・ボックス』を持っている。数年前のオークション価格では1億2千万円。少々お高い買い物となったが、毎日飽かず眺めている。

さて『ブリロ』だが、日常使いする大量生産品の模倣にしか過ぎないとの批判もある。しかし、アートと日常が見事に昇華した空間が鳥取・倉吉の美術館にはあった。特にウォーホルの一角は特に、眩さの中に落ち着いた佇まいがあり、ウォーホルが生きているがごとくにアートが脈々と息づいていた。常識とは何ぞや、万人のためか愛好家のためか、ギャラリーという空間はアートに必要なのか・・・そうした提起をするかのような空気に満たされた空間と時間に満足して鳥取を後にした。

(エイプリルフールのきょう、この投稿に騙される人はいないとは思うが、今月中にはブリロとやらを眺めに、倉吉に行かなくっちゃと思っている。私はモダンアートよりは花が好きだ。この花桃も満開を迎えた)