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ひとすじの未知を歩むぞわれ巳年 [2024年12月31日(Tue)]

fumihouse-2024-12-31T21_20_25-1-thumbnail2.jpg斎藤茂吉は詠んだ。

 かがやける
 ひとすじの道
 遥けくて
 かうかうと風は
 吹きゆきにけり

一筋の道がはるかに続いている。輝くその道を煌々と吹き渡っていく。ごうごうと風は強く困難は押し寄せるだろう。だが私はこの道を堂々と希望を持ってひとすじに歩いていく・・・そんな決意を込めた歌ととった。

輝くときもあった。雨に打たれるときもある・・・2024年が暮れていく。来年がどんな年になるかは、わたしたちの意思と行動の総力、そして運にかかっている。その総合が世の幸福の量となる。気張ってまいりましょうぞ。

このコラムを読んでいただく方々、いつもありがとうございます。来年もどうぞよろしくお願いします。良い年をお迎えください。
子どもたち名前流行千変化 [2024年12月30日(Mon)]

fumihouse-2024-12-30T18_14_05-1.jpgチャットGPTに、過去70年間の年代別で赤ちゃんの名前ランキング上位を聞いてみた。流行に従って名前は変遷する。価値観も変わっていく。

【男の子】
1950年代〜60年代:一郎、清
70年代〜80年代:誠、大輔
90年代:拓也、翔太
2000年代:大翔(ひろと)
10年代:蓮(れん)、悠真(ゆうま)
20年代:湊(みなと)、陽翔(はると)
【女の子】
1950年代〜60年代:和子、幸子
70年代〜80年代:陽子、愛
90年代:美咲、葵
2000年代:陽菜(ひな)
10年代:結菜(ゆいな)、さくら
20年代:凛(りん)、紬(つむぎ)

今年のトップテンをベネッセのホームページから拾った。男女どちらでもいけるジェンダーレスな名が増えているように思う。

【男の子】
碧(あお) 蓮(れん) 凪(なぎ) 陽翔(はると) 湊(みなと) 朝陽(あさひ) 暖(だん) 蒼空(そら) 結翔(ゆいと) 律(りつ)
【女の子】
凛(りん) 陽葵(ひまり) 翠(すい) 芽依(めい) 紬(つむぎ) 葵(あおい) 杏(あん) 結菜(ゆいな) 澪(みお) 琴葉(ことは)

親にとって子の幸せと成長が一番の願い(違う親もいるようだが)。その子の名前を決める際に重視したことは、1番目に読み・音の響き、2番は漢字の持つ意味、3番が字画だそうだ。なるほどと頷ける。いい名前を付けてあげてください。親から子への最初の贈り物なんだから。
金払い袋開けては福を呼ぶ [2024年12月29日(Sun)]

fumihouse-2024-12-29T16_13_08-1-thumbnail2.jpg福袋は正月の余興販促物と認識していた。正月のお年玉として、福を呼ぶお得な買い物として買う。だいたい年始の店頭にはたくさん並べてあるものだ。このほど「年末福袋」があることを知った。

口が閉じてあって中身がわからない。何が入っているかは開けてからのお楽しみ。余興としては面白いが、思惑と異なるといらぬ買い物となる。運がいいと料金を大幅に上回る豪華な内容に感謝する。

かつては客寄せの目玉であることの裏腹に、在庫処分でもあった。色や好み、サイズなどすべてが満たされることはまれだっただろう。この十数年はあらかじめ中身が分かる福袋が増えた。だから選びっぱぐれがない。射幸心をくすぐることはないが、ほんの少しだけお得な買い物にめでたい気分になる。

いずれにせよ、大量の福袋が店先に並ぶ正月まで、あと3日。そうか今年もあと2日半。

(夕方はすぐに暗くなる。暗くなったら今年もあと2日だ)
進みゆく前見て後ろも楽しかろ [2024年12月28日(Sat)]

fumihouse-2024-12-28T10_34_25-1-thumbnail2.jpg前だけ見て歩く。とても重要なことだ。特に追い詰められたとき、締め切りごとが目白押しで余裕のないときは、前を向き続けるに限る。ただし、ときおり立ち止まってひと息つくことも不可欠で、その休息が再び勢いを生む。前ばかり見ていると、後ろを振り返ったり、深い思索に入ることは出来ない。

かつてゴルフをやっている頃、後ろを振り返ったものだ。気持ちは前へ前へとつんのめる。歩きながら、次のショットはいい状態で打てるだろうか、グリーンへどう乗せようか、同伴者はどうだろうかなどと、調子の良し悪しに限らず前ばかりを向いている。

そこでひと息入れて振り返ってみると思いがけない異世界が広がる(少し大げさ)。ティグランドがあり、長いフェアウェイが伸び、木々や山並みが、ときには遠くの街が見えることがある。前を向くのとは異なる景色が広がっている。けっこう楽しいと思った。

(牡丹の花壇のほんの一輪。昨日から松江駅改札口に飾られて豪勢だ。松江・八束町、すなわち大根島の名物なり)
民主捨て皇帝の道歴史なり [2024年12月27日(Fri)]

fumihouse-2024-12-27T21_37_55-1-thumbnail2.jpg『なぜ中国は民主化したくてもできないのか〜「皇帝政治」の本質を知れば現代中国の核心がわかる』(石平著)を読んだ。

ロシア、北朝鮮と日本の周りには怖い国だらけだ。なかでも中国は実力行使が常軌を逸しており、批判を歯牙にもかけない姿をみると、なんたる非常識!と不審に思ってきた。だが「非常識」なんかではない。彼らにとっては「常識」なんだと分かった。

皇帝とは秦の始皇帝の発明である。秦は短命に終わったが、この発明品は劇薬である。中央集権制で権力のすべてが皇帝に集まる。暴君が生まれると庶民は塗炭の苦しみに落ち、収奪され殺されひどい目に遭う。暗君となってしまうと、権力を傘にきた代理者が苛烈な政治を行う。一方で、名君に恵まれると民は栄え幸せになる。世は秩序を保ち悪がはびこらない。国が乱れだすと大乱が頻発し、天命の尽きた皇帝は滅ぼされる。そして次なる皇帝が泰平を導いてくれるのを民は待つ。皇帝の良し悪しは紙一重。だから劇薬。

皇帝が目指す中華秩序は、帝国内にとどまらない。周辺国に朝貢させて臣下とし、意に沿わない国は軍事力にあかせて攻め滅ぼす。硬軟織り交ぜて周辺国へ圧力をかけ続ける怖い秩序である。

毛沢東は一気に皇帝になろうとしたが悪政が過ぎた。何千万もの民を死なせたばかりか、知識階級も粛清してしまったがゆえに国力が萎えた。そこで改革開放路線でケ小平が経済発展に傾注し、対外的には融和策を取った。世界第二の経済大国となった今、軍事力も含めて大変身を遂げた現代において、習近平は完全なる「皇帝化」を目指す。国家主席の任期10年を反故にし永代とした。後継者を育てず、独裁体制を掌中のものとした。清国や明国皇帝がやってきたことと同じ道をたどる。中国人民もそれを求めているということだから始末に負えない。もちろん民主化勢力を根絶やしにする勢いだ。

習近平は唱える。「中華民族の偉大なる復興」を行うと。中華秩序を保ち「新しい皇帝」となる。その流れは中国皇帝二千数百年の「歴史的な必然」であると著者は断じた。恐るべき中国。中国の矛先は韓国と日本、そして南支那海一帯の完全領有にとどまらず、明や清が版図として広げた地域すべてを掌握することなのだろうか。身震いする。

(妖艶なる牡丹の花。花の王とされるこの花は1500年前に中国からやってきた)
ワンマンの運転席には孤独影 [2024年12月26日(Thu)]

fumihouse-2024-12-26T19_43_01-1-thumbnail2.jpgバスの運転手はワンマンだ。横暴で人の言うことを聞かないというのではない。ワンマンバスなのだが、今やあたりまえとなったので、その言い方は消えたように思う。鉄道ローカル線は列車ですらワンマンだから、バスの専売特許ではない。せいぜいワンマン運行という程度か。

運転手の冬場は大変だと思う。外での対応に備えて、傘は四季を通じて必要だろうが、冬はコートやジャンパーがいる。さて、それをどこに置くのか。運転席の横に置いたらよさそうに思うが、左は料金箱があるだけに置けない。狭い運転席には計器があり、右の窓枠辺りにスペースを確保するのは難しそうだ。

松江市営バスも一畑バスも、ボックスの上にコートが置かれている。左車輪の真上には客席をセットできない構造のようで、使用不能のボックスになっている。平べったいので物が置ける。コートがある。運転手によってはきちんと畳んで袋に入れてあるが、雑然と置かれている場合もある。

事故対応、客対応など出ることもあろうが、基本は一人で対する。勤務が終われば詰所まで距離があるのかもしれない。そんなあんなで、冬場のバス運転手は大変だろうなと想像している。
行列に割り込む悪意いかにせむ [2024年12月25日(Wed)]

fumihouse-2024-12-25T12_47_30-1-thumbnail2.jpg行列に割り込んでズルする人を、たしなめるうまい言い回しがあるという。ひろゆき氏が述べている。

イラッとした心のままに「最後尾に並び直してください」と注意するのは当然ダメ。キレられる恐れがある。悪意がない場合は「最後尾はあっちですよ」と教えてあげれば解決する。たちの悪い奴の場合はトラブルになる可能性が高く、労力と時間の浪費となるので、そのままスルーするのもひとつの正解だと。

もうひとつは、相手に選択肢を与えるのだそうだ。「こっちのほうが得」と思わせる言葉が、「あなたが入ると自分の番が遅くなるので、最後尾に並び直すか、あなたの前に入れてください」と提案するのだそうだ。割り込む人は多少なりとも罪悪感を持っており、「この人を前に入れることで割り込みに文句を言われなくなるなら、そのほうが得だな」と思う。

先に並んでいた奴に友人が合流する場合も同様にやればよい。一緒に行動をしたいという思惑があれば、離れて並んだり全員で並び直したりするのは避けたいので、「それなら、この人を前に入れちゃったほうがいいよね」となる。

トラブルは相手が不快な感情を募らすことから生まれる。相手にメリットがある選択肢を提示するのは、意外と効果的だという。なるほど、ぜひとも試してみたい。

(くねるラインもいずれは収束していくか、分かれて離れる)
ひのあたる暖かき陽の光あり [2024年12月24日(Tue)]

fumihouse-2024-12-24T18_32_05-1-thumbnail2.jpg【ひのあたる】というフレーズがあった。一般的には、日の当たるだろう。日の光が当たって陽陽としている。ならば、陽の当たるか。それも悪くないし、太陽の光そのものだ。

樋の当たるはどうだろう。水を渡すために竹や木を掛けた溝のようなもの。あるいは、せき止めた水門、屋根の雨水を受ける樋(とい)。ピンとこない。

火の当たると言ったら焚き火で暖を取る様子が思い浮かぶ。灯の当たるだと暗い夜道にカンテラで照らす。緋の当たると言えば、鮮やかな緋色のコートを纏った女性だろうか。費の当たるなら、コスパが良いことか(聞いたこともない)? 碑の当たるはどうだろう。中ると表すのがいいだろう。石碑に記された事柄が読む者の心を打つ。誹、非、批といったマイナスイメージの言葉にはそぐわないと思う。

「ひのあたる」の言葉遊びはここまでにする。いずれにせよ、誰も置き去りにしないSDGsの精神にも通じる言葉だと思う。政治家も研究者もスポーツマンも市井の人々も、皆が互いを照らし合い励まし合う世の中ができたらいいね。

(激しく踊るダンサーに夕陽が当たっている、ように想像したしばらく前の雲)
朝晴れて下弦の月がスッキリと [2024年12月23日(Mon)]

fumihouse-2024-12-23T12_07_04-1-thumbnail2.jpg今朝すっきりした南の空に見えたのは、「かげんの月」。

半月が見えるには下限の雲のかかり具合? いやいや晴れていた。半月の具合がちょうどいい加減の月? いやいや月はいつでも美しく夜道を照らす。月というものは寡黙で寡言なのか? いやいや月は絵本物語の中でしかしゃべらない。花鳥風月に代表される日本の詩歌の情緒。花源鳥源風源月源なのか? いやいやそんな言葉聞いたこともない。

望遠鏡で見る月のクレーター。近ごろとんとご無沙汰だ。帰ったら双眼鏡でも出してみようかな。いやいや【下弦の月】は夜半早朝にしか見えないよ。

なぜ下弦の月と言うかって? 弓を想像してごらんなさい。矢をつがえて的を狙う。弓は湾曲して弦は真っすぐでしょう。半月の形に似てないかな? 西に沈むときに弦を下にしているから下弦。2週間ほど前に満月に向かう途中の半月は、弦を上にして沈むから上弦の月なのです(知ってる人にはあたりまえだけど)。

すっきりと月が見えたのはほんの少し。やがて曇ってしまい、小雨まで降る始末。積雪こそこの冬見てないけれど、変わりやすい冬の天気。昼になった今は晴れてきた。瀬戸内や太平洋側がうらやましい(冬だけは)。
ありがたし体の中はドラマ仕立て [2024年12月22日(Sun)]

fumihouse-2024-12-22T20_41_41-1-thumbnail2.jpg『るろうに剣心』ばりの殺陣アクションであった。白血球(佐藤健)は外敵である病原体をバッタバッタと殺していく。変異してバグ化したがん細胞も同様である。るろうでは長剣、今回の『働く細胞』では短かいナイフ。胸のすく演出は同じアクション監督が行った模様。

働く細胞たちは、平穏に忙しく立ち働く時もあれば、緊急事態に警報音が鳴りパニックに陥る時もある。なかでも抗がん剤が短距離ミサイル爆弾として描かれて、味方も敵も無差別に破壊し殺戮していく姿には衝撃を受けた。細胞世界のすべてが焼け野原になった。恐ろしい兵器である。

酸素を運ぶ赤血球(永野芽郁/AE3803の番号を与えられていた)は、地味な役割に自信を失っているところに危機が勃発。母体となる人間(芦田愛菜)が大病に冒されてしまう。白血球に励まされる中で自己の使命の大切さに目覚め、それを果たそうと懸命に戦った。

他の赤血球や白血球、血小板、マクロファージなど細胞世界のドラマもさまざまに生まれていく。同時並行して人間界の戦いがある。病魔と戦い、仕事に涙し、家族が巡り合う不運に泣くが懸命に戦う。

体の仕組みはすばらしい。生きていることはかけがえのないこと、健康であることの願い・・・。さまざまに思いを巡らし、胸の熱くなる映画であった。

(マメツゲの小さな地味な花もまた、たくさんの細胞でできている)
諸人がこぞりて主を迎えなむ [2024年12月21日(Sat)]

fumihouse-2024-12-21T20_33_43-1-thumbnail2.jpg有名なクリスマスキャロル『もろびとこぞりて』(Joy to the World! the Lord is come)。きょう初めて曲名を知った。メロディだけはなじみでも、歌詞は知らなかった。

諸々の人々が、クリスマスにはこぞって神を迎えるのだな、とわかる。が、文語なもんで字面をしっかり確かめないと理解が難しい。モロビト?、コゾリテ?、シュワってウルトラマン? てな感じ。

 もろびとこぞりて むかえまつれ
 ひさしくまちにし 主はきませり

 くろがねのとびら うちくだきて
 とりこをはなてる 主はきませり

 あまつ神の子と いつきむかえ
 すくいのぬしとぞ ほめたたえよ

キリスト教徒にとって重要な日がやってくる。実際のキリストの誕生日は誰も知らないと先日書いたが、由縁となった冬至が今日21日である。昼の時間は最少でも日の入り時間は12月初旬より5分ほど遅くなった(その分朝は暗いが)。太陽が復活していく。

(来週までイルミネーションが花盛り)
歳末に走る先には何が来る [2024年12月20日(Fri)]

fumihouse-2024-12-20T18_11_35-1-thumbnail2.jpg朝のNHKラジオからアナウンサーの声。「まもなく年末ですが・・」。おやっと思った。今日は12月20日、とうに年末ではないかと。

年末のイメージは人それぞれであろうが、わたしにとって、忘年会の一発目が皮切りだった。たいていは12月10日前後。年を忘れるには少々早い気はするが、何度か会を重ねるにつれ、気持ちが年末臨戦態勢に入る。以降、来年まで会わない人には「良いお年を」と挨拶した。

ところが飲み会がとんとなくなったために(唯一23日)、年末感覚が湧いてこない。となると、アナウンサー氏の「まもなく年末」もまんざら違和感もなくなってくる。

クリスマスが終わって報道がこの1年を振り返り、正月の雰囲気が迫ってくると、まさに年末本番である。年始に向けて本格的な準備が始まる。2025年の幕開けは12日後。あれよという間に過ぎていく。

(けさ7時前の月。薄雲に覆われてぼんやりした七分ほどの月。元旦には三日月か)
雑談に星空はるか思い寄せ [2024年12月19日(Thu)]

fumihouse-2024-12-19T17_48_12-1-thumbnail2.jpgある会に出席した際、雑談タイムに天文の話題で花が咲いた。星空に興味がある方が、わたし以外にお二人も。木星が明るかったこと、宵の明星はそれ以上に明るいこと、アトラス彗星のこと(スマホで撮った写真を見せてもらった)、隠岐でオリオン座が天の川に浮かび上がっていた体験、赤色巨星ベテルギウスが以前に比べて暗くなったこと、超新星爆発の可能性もあること、スターリンク衛星のこと、流星群を観測するとその方は運がいいこと、冬は天気が悪くて星が見えにくいこと・・・。思いもかけず楽しい時間を過ごした。

同好の士がいることは喜びだ。一時でなく継続して交流が続くと励みにもなる。もちろん星空に限らない。雑談というものは面白い。話し方に節度があれば、いくらでも話は広がっていく。節度がないのというのはわたしにとっては、自慢が過ぎる人、話の腰を折る人、機関銃の喋りで口を挟めない人がそうだ。

(今朝7時前の出雲の空。この空では星は楽しめない)
足運ぶこれは異能か持ち腐れ [2024年12月18日(Wed)]

fumihouse-2024-12-18T07_11_31-1-thumbnail2.jpgわたしには、ある才能がある。足が目測のとおりに運ぶのである。道にはさまざまな物があり線がある。小石、マンホールの蓋、舗装の途切れだったり割れ目だったりする。10メートル前くらいから歩幅のリズムに合わせて目標物に目を凝らすと分かってくる。目標をマンホールとすると、右足か左足か、その着地位置はどこかが5、6メートル手前で分かってくる。足中央がマンホール手前ラインに乗るのか、爪先がかかる程度かなど、分かってしまうのである。ほぼ当たる。誤差はあっても10センチ以内に収まる。

結構な才能だと思わない? この才能を生かす方法はないかなぁ。舗装の大きめな穴だったり、水たまりだとそれを避けるために、大股にしたりルートを替えたりして災難を避けるが、それ以上の使い道を知らない。

(秋までは通勤に黒か白のスニーカーを履くことが多いが、冬場の今は革靴のみ。寒いし天気が激変するし)
暖めて体と心ラジオにて [2024年12月17日(Tue)]

fumihouse-2024-12-17T19_13_24-1-thumbnail2.jpg「体操で心と体を暖めていきましょう」と、NHK朝のラジオ体操で担当者が言う。「心と体を暖める」が気になった。

寒い冬場にラジオ体操すると体が温まる。軽めとはいえ、隅々にまで気を配って動かすと汗すらかいてくる。担当者の号令とともに「体」を操る。ラジオ体操は冬の朝の起きがけに最適な運動かもしれない(私はしないが)。

「心」のほうだが、音楽があり歌がある。高揚するメロディ、元気のいい歌声。かける号令も柔らかく元気が良い、そして温かい。聞く者はきっとホッとして心が暖まる。「心と体を暖める」ラジオ体操(テレビ体操も)はすばらしい。

(冬場に夏みかんを食べたらどうだろう。心はともかく、体は冷えるかもしれないな)
ニコライの聖なる戦い日本にて [2024年12月16日(Mon)]

fumihouse-2024-12-16T17_58_45-1-thumbnail2.jpg『ニコライの日記』全3巻を読んだ。幕末から明治末まで半世紀にわたってキリスト教会(ロシア正教)の最高責任者・大主教として生涯を勤め上げた。東京・JR御茶ノ水駅、神田川の辺りから歩いてすぐのところにある、ニコライ聖堂(正式名は東京復活大聖堂)の名の元ともなった。

その日記は激変していく日本の雰囲気を伝え、一般庶民の生活や声を表してくれる。繊細な思考や観察に支えられ、温かな人柄でもあったから、長い長い宣教生活で日本人にも親しまれた。1893年に信越方面に巡教した際にこう書いている。

≪かれらは熱心に聴いていた。できるだけわかりやすく話すようにしたが、全員が理解してくれたかどうか、自信はない(中略)彼女たちは、神父の話を聴いて唯一なる神についての教えをしっかり理解しそれに賛同しても、すぐまた「金比羅さま、ありがたい」と言い出すのだそうだ≫

宗教に関して何でもかんでもありがたい、と崇める日本人の趨勢を表しており面白い。(今も変わらぬ)ごちゃ混ぜ状態を彼は皮肉ったのだ。1872年に栃木へ行った際に新年を迎えると、彼はこう書いた。

≪この仕事は総りをもたらすのだと思うと、大きな喜びを感じる。しかし、それに続いて、なんと膨大な仕事なのだという思いが湧いて、がっくりする(中略)
安らぎが得たい、一度でもいいから思い煩うことなく眠りたい。神が慈悲深い方であられるなら、わたしを永遠に地獄へ追いやられるなどということがあろうか。たとえわたしのこの愚かな落ち着きのない活動が稔りのないものであったとしても、その目指したところは悪しきものではないのだ(中略)
いろいろな悲しみや不幸が来るものだとわたしは予期している。地獄の怪物どもめ、みんなそろってやってこい。やってきて、わたしを苦しめるがいい。勝負しようじゃないか。わたしに勝てるか。地獄よ、呪われよ、百度呪われよ。戦場へ出てこい。こちらは去年と同様、ことしも戦う覚悟はできているぞ≫

働きすぎですぞ、ニコライさん。ニコライ堂で彼が使った部屋は狭い2部屋のみだったとか。寝室と机のある執務室。過労死という言葉はなかったであろうが、よくぞ頑張った。私には出来ないが、押し寄せる困難に負けず、死ぬまで闘争を静かに貫いた。偉大なる人である。

(ニコライさんも葉牡丹を眺めることがあっただろうか)
通り魔に潰され命いたましや [2024年12月15日(Sun)]

fumihouse-2024-12-15T18_20_05-1-thumbnail2.jpg中学生2人は塾でみっちり勉強したのであろう。帰りにコンビニへ寄って夕食か、それともおやつか、品物を選んでレジ待ちで並ぶ。疲れもし、ホッとした気分であったろうか。そこへ入ってきた中年の男。無言で近寄ってきて無言で2人を刺して直ちに逃げた。その間30秒ほど。声を上げる間もなかったであろう。わずか1日前、北九州で起こった無残で恐怖の通り魔事件であった。殺された女子、男子も重傷だ。一刻も早く犯人が捕まることを願っている。合掌
魂が渇望するなり仕事好き [2024年12月14日(Sat)]

fumihouse-2024-12-14T18_15_03-1-thumbnail2.jpg≪仕事、これこそ私の魂が渇望するところ≫
これはピョートル・チャイコフスキーの言葉。エレガントにしてメランコリックな音楽で、今なお人気が高い。「渇望する魂」で精力的に、交響曲やバレエ音楽、協奏曲など多くの作品を成してきたのだとわかる。

19世紀の当時はロマノフ王朝の頃。身分格差の激しい皇帝制の元、チャイコフスキーの音楽は貴族文化の繁栄(じきに滅亡するが)に寄与してきたとはいえ、優雅で勇壮な音楽は当時も今も人々に慕われる。

ロシアという国は今も皇帝制が続く。共産党の専制政治という実質的な皇帝制、一時民主制は芽生えたがやがて途絶え、現在はウラジーミル・プーチンという擬似皇帝の下にある。チャイコフスキーが生きていたらどんな音楽を誰のために創造するのだろうか。

(ロシアではこんな蔦(つた)の紅葉が見られるだろうか)
みなちがう異なり超えて助け合う [2024年12月13日(Fri)]

fumihouse-2024-12-13T16_59_08-1-thumbnail2.jpg詩人・金子みすゞは詠んだ。

≪みんなちがって、みんないい≫

あまりに有名なこの一節。多様性を認め讃嘆し、傷つき悲嘆する人びとの力となってきた。体力、知力はひとによって異なる。個性も才能も置かれた環境も、過去から未来への運命も、全て異なっているのが人間を含めた生物の宿命と言っていいだろう。

特にひとというものの関係には複雑なアヤがあり、温かい思いやりに助けられたかと思うと、謀略的なイジメに遭遇することだってある。誤解や思い過ごしがあるとしても、渦中にあるひとは、煩悶し身を焦がす。心ばかりか体調まで持ち崩し、辛さのスパイラルに陥っていく。理解ある温かい人柄に触れたとき、辛い最中にあるひとは再び立ち上がっていくだろう。

イジワルするのも、励ますのも「ちがい」。傷つくのも傷つけるのも人間の姿であり「みんないい」(のか?)。悪を正当化する必要はないけれど、それもまた、ひとというものの一面の真実であると諦観することも「ちがい」を認めること。

それぞれに異なる「みんな」が、自分の成長といつか来る勝利を信じて頑張る。「みんないい」んだから、寄り添ってくれる存在がいることに思いを寄せて、たくましく生き抜くのだ。

(カズラの紅い葉もなかなかのもの。もう見納めだ)
湯を沸かすグツグツふわふわ水循環 [2024年12月12日(Thu)]

fumihouse-2024-12-12T17_33_41-1-thumbnail2.jpgヤカンで湯を沸かす。沸騰する頃に蓋を開けてみる。泡が出てくるわ出てくるわ。水蒸気が泡となって、グツグツもくもく。見ているのはなかなか楽しい。泡が弾けて空気中へ。水蒸気が湯気となってモクモクふわふわ。これも見飽きない。やり過ぎるとガスがもったいないので止める。

湯気は何かに付着して水滴になるのか、それとも再び水分子に分解して見えなくなってしまうのか。やがてそれらは大気の一部となり、雨や雪となって川から海へと流れ込む。地球の営みの一部となって私たちを慈しんでくれる。ありがたいことなり。

(ヤツデの花が球状に開く。五角形の花の中心が淡い肌色でキラキラする、なかなかの美形。葉が大きなことから別名テングノウチワ。団扇には少々頼りない)
長生きの浦島太郎で生きていく [2024年12月11日(Wed)]

fumihouse-2024-12-11T17_16_35-1-thumbnail2.jpg長生きするとは、浦島太郎になることだ。慈しんでくれた親を見送った。共に育ち艱難を分かち合ってくれた兄弟姉妹は先に逝ってしまった。配偶者には先立たれ、残る子や孫も独立して時々訪ねてくれる程度でしかない(それも十分楽しみだが)。親しい友人も次々と鬼籍に入り葬送の場で別れた。ああ淋しい・・・。

太郎が竜宮城で暮らす前にどんな人生をたどってきたかは知らない。浜辺の貧しい暮らしの中で、辛い時も過ごしただろうし、うんと楽しいこともあったかもしれない。太郎にとって竜宮城生活(ほんの数日でも実社会では数十年、いや百年以上か)が空前絶後の喜びであっただろう。禍福は糾える縄の如しで、帳尻が合うようにして玉手箱を開けるよう仕向けられ、超のつく長生き老人となった。家族どころか、知り合いすら誰もいない。

物語世界のことは置くとしても、長生きするとは浦島太郎になることに似ている。それでも太郎は生きたであろう。懸命に新生活を安定させようとして、新しい縁を紡いでいったであろう。現代の浦島太郎たちもそうあってほしいと思う。

(浦島太郎の生涯は、金柑のように甘くかつ酸っぱいか)
鬱鬱がルンルンしてはクリスマス [2024年12月10日(Tue)]

fumihouse-2024-12-10T17_45_18-1-thumbnail2.jpg寒くなった。日が短く暗くなった。冬の日本海側は総じて天気が悪い。鬱々とする。気が滅入る。

ところで昨日書いたクリスマスのこと。街にはイルミネーションが輝き、音楽が鳴り響き、パーティだプレゼントだと華やかだ。ウキウキする。続く正月の賑やかさも併せると、冬季鬱の予防に相当効果があると思う。

気ぜわしい、あれやこれで落ち着かないというのもあるが、忙しいからこそ鬱鬱した気分を転じて、気持ちの憂さを忘れることはできる。クリスマスと正月がもう少し離れていればいいのに、と思うのは私だけではあるまい。

昨日は、クリスマス前夜は即ちクリスマス当日だと書いたが、12月25日がキリストの誕生日なのかどうかは誰も知らないそうだ。冬至の祭りに引っかけてキリスト降誕祭を古代ローマ時代に始めたのが起源だそうだ。

冬至は最も日が短い日。死んだ太陽がその日以降、復活していく。その喜びを表す祝祭の日。魂の復活を説くキリストの教えにふさわしいではないか。

日没はすでに底を打った。夕方の明るさがもつようになった。しかし、朝は1月上旬まで暗さのピークは続く。クリスマスと正月、ありがたいイベントではある。

(今日は朝のこの天気が1日もってくれた。ありがたい)
イブの夜24日か25か聖夜あり [2024年12月09日(Mon)]

fumihouse-2024-12-09T16_14_59-1-thumbnail2.jpg聖夜を祝うというのに何故イブなんだと疑問に思ってきた。前夜ではなく、イエス・キリストが生まれたという12月25日当日にやればいいじゃないかと考えてきた。

先日初めて知ったのだが、昔の暦や伝統的な考え方においては、日没とともに新しい日が始まっていたのだそうだ。クリスマスイブの夜は即ちクリスマス当日だと知った。なるほど。

ということで、今年は思い入れたっぷりのクリスマスになりますか? いやいや何のことはない。わたしにとっては、歳末の賑やかしのひとつではあるが、それだけのこと。

(プレゼントに頭悩ます、親や恋人たちが多いことだろう)
新高ノ山ニ登レヤ一二〇八 [2024年12月08日(Sun)]

fumihouse-2024-12-08T16_23_07-1-thumbnail2.jpg12月8日はジョン・レノンが暗殺された日として知られるが(1980年)、真珠湾攻撃の日でもある(1941年/昭和16年)。中国侵犯、南方進出の結果、先進国から包囲網を掛けられて窮鼠猫を噛む状態で開戦した。夜郎自大で唯我独尊の尊皇思想に染められて国民を塗炭の苦しみに陥れた。そして1945年の敗戦に真っしぐら(ほんの初期は善戦)。

大本営から発せられた暗号電報が「ニイタカヤマノボレ一二〇八」。機動部隊に12月8日奇襲攻撃せよとするものだ。「新高山」というのは架空の山だと思っていたが、当時日本の最高峰だった台湾の山の名だそうだ。標高は3952m。有名な「トラ・トラ・トラ」というのは、奇襲成功の暗号文である。

一部の人間の自惚れと過剰な自尊心のせいで破滅への道を突き進んだ歴史である。それに巻き込まれた軍人軍属、民間の人々。多くの人は日本が負けるはずはないと信じた。なんという悲惨だろうか。今日は反戦のための歴史的記念日である。

(柚子は鋭い棘でもって自らを傷つける。戦争も同じこと。相手も自分もズタズタにする)
飯を食う新米のおかず美味しいよ [2024年12月07日(Sat)]

fumihouse-2024-12-07T19_53_35-1-thumbnail2.jpg朝はフルグラとヨーグルトで食べる。これ朝飯。昼はこども園の給食で八宝菜をメインに食す。これ昼飯。夜は鍋ラーメンを家族で囲む。これ晩飯。

米の飯は昼ご飯のみ。あとは米ではないがメシという名の食事。炊いたご飯を「召し上がる」から「飯」? 三度の飯を美味しくいただこう。

(モミジの見事な紅葉。飯とは何の関係もございません)
中学生鼾にイビキで起き出すぞ [2024年12月06日(Fri)]

fumihouse-2024-12-06T08_36_15-1-thumbnail2.jpgイビキが聞こえる。ボックス席の横には女の子、たぶん中学生。出雲から松江まで通う通学生なのだろう。口を半開きにしてグーグー寝ている。吸う息は口呼吸(風邪ひくよ)、吐く息は詰まった鼻を伝うから音が出る(かなり響いてるよ)。通学疲れか、期末テストの勉強か。中学生も大変だな。

向かいに座っているのはいつも一緒の相棒。何にも注意してやらない。スマホ片手にイアホンを付けているので大いびきが、聞こえないのだろうか。いや、これほど大きければ聞こえるはず。おそらく注意してあげるという発想がないのだろう。公共の場でイビキをかくのもかかぬのも人次第という考えか。それとも相手の懐に入り込んで痛いところを注意する関係がないのか。

ともあれ「鼾」という字。鼻を干す。かくたびに鼻が乾いて人目につく。乾いて鼻が変になる。面白い漢字だ。

(シーズン終わりの小菊も笑っているかもよ)
コンバンハ今夜の駄文は駄菓子だよ [2024年12月05日(Thu)]

fumihouse-2024-12-05T18_04_32-1-thumbnail2.jpg【駄菓子】って、なんで「駄」が付くんだろう。無駄、駄作、駄賃、駄目、駄文・・・。

馬が太い、あるいは頑丈な馬が「駄」なのだろうか。大昔は馬を履き物として移動に使ったから、「下駄」や「雪駄」と同類の駄。荷役に使う馬が駿馬であるはずはないから「駄馬」。駄馬に荷を積むと「荷駄」になり、「駄賃」が生じて儲かる。

駄とは、総じて価値の低いものを表し、そうしたものばかり身の回りに置くのは「駄目」で「無駄」にもつながると言いたいのか? それが菓子にも付いて「駄菓子」?。粗悪なものではないと思うがね。ただし添加物だらけの駄菓子は御免こうむる。

安くて質は高くないが、子どもも簡単に手に入れられる。高級菓子を食べるお高い人の口には合わないとして、駄が使われたのかもしれない。

それでも駄菓子は郷愁を誘い、子ども時代を思い起こさせる。その思い出は決して駄目なものではない。駄菓子を手に入れてつましく食べる。ときにたくさん手に入ってほおばって食いつく。駄菓子は少年たちの思い出の中にある。

(犬蓼(イヌタデ)も面白みのない秋の花。「犬」が付くとつまらないものという意味)
天皇のためにはあらず大義とは [2024年12月04日(Wed)]

fumihouse-2024-12-04T18_52_44-1-thumbnail2.jpg杉本五郎という中佐が昭和初期に書いた『大義』を読んだ(島根県立図書館所蔵の擦り切れた本)。正確に言えば、軍務のかたわら執筆に勤しみ、中国戦線に派遣されたあとも隊務の合間に終了稿を書き上げて本国に郵送。そして戦死したので遺稿として出版された。そしてこの本はベストセラーになった。天皇崇拝が進み忠君愛国精神が鼓舞されるという結果をもたらした。天皇を国家の統合の象徴として緩やかに尊敬することは許されず、天皇を神として崇め祀る時代を迎えた。

第一章 天皇の項で著者はこう述べる(旧字体は改め、現代では使わない字はひらがなにした)。

≪天皇は天照大御神と同一身にましまし、宇宙最高の唯一神、宇宙統治の最高神。国憲・国法・宗教・道徳・学問・芸術乃至凡百の諸道ことごとく皆天皇に帰一せしむるための方便門なり。即ち天皇は絶対にましまし、自己は無なりの自覚に到らしむるもの、諸道諸学の最大使命なり。無なるが故に、宇宙ことごとく天皇の顯現にして、大にしては上三十三天、下奈落の極底を貫き、横にことごとく十方にわたる姿となり、小にしては、森羅万象天皇の御姿ならざるはなく、垣根にすだく虫の音も、そよと吹く春の小風も皆天皇の顯現ならざるなし ≫

天皇に帰一せよ、森羅万象の礎が天皇であると。偏狭な国家主義、浅薄な思想である。が、当時の人々はこの本に浮かれ狂喜乱舞した。金科玉条としてこの本のとおりであらんと欲し、逸脱する者を糾弾した。思えば狂った時代であった。ただ、SNSのデマに翻弄され、選挙結果を左右する昨今の社会も同等であるとも思えてくる。

(誰も採らない柿は、熟れて腐るより、カラスに食べられたほうがまし)
見識と知識を披歴だれのため [2024年12月03日(Tue)]

fumihouse-2024-12-03T18_32_31-1-thumbnail2.jpgゲーテは言った。
≪見識の代わりに知識を持ち出す人々がある≫(格言と反省)

知識をひけらかす人はたいてい長広舌。あれもこれもと盛りだくさん、知識を開陳して間断なく喋る。聞く方はうんざりだが、質問や他の意見を述べようにも、間が空かなくて差し込む隙がない。よくもまあ、次々と言葉が出てくるもんだと、感心はしても対話にはならない。面白みに欠ける。

長話は自分の体験をペラペラと喋る人の特徴でもある。相手方がどんな意見を持とうが知ったこっちゃない。自分の鋳型に言葉を流し込んで口から吐くことで満足している。聞く方にとっては新しい知識が得られるわけではないから退屈だ。よくもまあ、これだけ感嘆符と情感でもって情緒的な場を作り上げていくもんだ。

(コキアは穏やかな秋の昼下がり、静かに頷きながら話を聴いてくれるだろうよ)
大山が見えて曇って冬の常 [2024年12月02日(Mon)]

fumihouse-2024-12-02T07_37_03-1-thumbnail2.jpg週の初め、スッキリと晴れている。冬の常で曇ってくるらしいが、朝の7時半、今は気持ちよく日が照っている。高架を走る列車から伯耆大山のシルエットが見える。出雲富士の名にふさわしい。さて、今週も忙しい。そして歳末に向けて一直線。

(沈丁花のつぼみは早春に向けて満を持している)
マフラーを落とす端から人情ありて [2024年12月01日(Sun)]

fumihouse-2024-12-01T07_56_58-1-thumbnail2.jpg出雲市駅で列車の待ち時間があったので、100円ショップに向かった。すると古くからの友人をばったり見かけたので声をかけた。旧交を温めた。話題に花が咲き、時間がきて双方別れた。

後ろから「あのーすいません」と女性の声。2人組の若い女性が、「これ落とされませんでした?」とマフラーを見せてくれた。首から外して膝上に乗せて話し込んで、存在を忘れて立ち上がったものだから、足下に落としてしまったようだ。「あ〜すみません、ありがとうございます」と返す。2人は笑顔で渡してくれて別れた。ありがたい、日本も捨てたもんじゃない。マフラーともどもに暖かい。

(12月になった。街にはクリスマスイルミネーションが光る)