
『ニコライの日記』全3巻を読んだ。幕末から明治末まで半世紀にわたってキリスト教会(ロシア正教)の最高責任者・大主教として生涯を勤め上げた。東京・JR御茶ノ水駅、神田川の辺りから歩いてすぐのところにある、ニコライ聖堂(正式名は東京復活大聖堂)の名の元ともなった。
その日記は激変していく日本の雰囲気を伝え、一般庶民の生活や声を表してくれる。繊細な思考や観察に支えられ、温かな人柄でもあったから、長い長い宣教生活で日本人にも親しまれた。1893年に信越方面に巡教した際にこう書いている。
≪かれらは熱心に聴いていた。できるだけわかりやすく話すようにしたが、全員が理解してくれたかどうか、自信はない(中略)彼女たちは、神父の話を聴いて唯一なる神についての教えをしっかり理解しそれに賛同しても、すぐまた「金比羅さま、ありがたい」と言い出すのだそうだ≫
宗教に関して何でもかんでもありがたい、と崇める日本人の趨勢を表しており面白い。(今も変わらぬ)ごちゃ混ぜ状態を彼は皮肉ったのだ。1872年に栃木へ行った際に新年を迎えると、彼はこう書いた。
≪この仕事は総りをもたらすのだと思うと、大きな喜びを感じる。しかし、それに続いて、なんと膨大な仕事なのだという思いが湧いて、がっくりする(中略)
安らぎが得たい、一度でもいいから思い煩うことなく眠りたい。神が慈悲深い方であられるなら、わたしを永遠に地獄へ追いやられるなどということがあろうか。たとえわたしのこの愚かな落ち着きのない活動が稔りのないものであったとしても、その目指したところは悪しきものではないのだ(中略)
いろいろな悲しみや不幸が来るものだとわたしは予期している。地獄の怪物どもめ、みんなそろってやってこい。やってきて、わたしを苦しめるがいい。勝負しようじゃないか。わたしに勝てるか。地獄よ、呪われよ、百度呪われよ。戦場へ出てこい。こちらは去年と同様、ことしも戦う覚悟はできているぞ≫
働きすぎですぞ、ニコライさん。ニコライ堂で彼が使った部屋は狭い2部屋のみだったとか。寝室と机のある執務室。過労死という言葉はなかったであろうが、よくぞ頑張った。私には出来ないが、押し寄せる困難に負けず、死ぬまで闘争を静かに貫いた。偉大なる人である。
(ニコライさんも葉牡丹を眺めることがあっただろうか)