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音楽で春満たされて心満つ [2024年03月31日(Sun)]

fumihouse-2024-03-31T20_58_26-1-thumbnail2.jpgこの世は音楽で出来ている。オカリナの発表会に参加して、そう思った。わたしがオカリナを吹いたわけではないが、妻のオカリナのギター伴奏をしたのだ。会ではオカリナの他に講師さんが弾くピアノ伴奏があり、ハーモニカを吹く壮年もいて楽しんだ。

ああ失敗した!と眉をひそめ、いいハーモニーを奏でて満足する。わたしも含めて皆さん、音楽を楽しんでいる。音も、奏者の表情も、観客の雰囲気、会場の空気、暖かい春の空、さえずる小鳥、一部咲きの桜、ぬるんだ水道の水、新緑に笑う山々・・・すべてに音がある。音楽が鳴っている。この世は音楽で出来ている。

(辛夷(コブシ)もまた、音楽を奏でている)
星星の生々流転我が身あり [2024年03月30日(Sat)]

fumihouse-2024-03-30T19_02_51-1-thumbnail2.jpgわたしたちは星のカケラで出来ている
宇宙開闢(かいびゃく)以来138億年
宇宙から生まれた星星が
エネルギーと物質を生み押し広げる
宇宙の一部たる私たち
すべてのものがその欠片
無限の循環によって成り立った
等しく貴重なありがたいこの命
宇宙の視野を持てば
なぜ私たちはここにいると疑問生ずる
奇跡の宇宙
なかでも奇跡の星地球
そこにいるすべての生きものを
大切にしよう

(咲き始めたペチコート水仙もまた星のカケラで出来ている。人間も草木も、ともに兄妹なのだ)
やり甲斐に信玄領国人の城 [2024年03月29日(Fri)]

fumihouse-2024-03-29T19_28_21-1-thumbnail2.jpg【やり甲斐】
何かことに当たっている際に充実して取り組めたり、手応えを感じること。気持ちに張りが出て、やり切ったときの充足感は例えようもない。

ところで、文字に甲州・甲斐国が入っているのはなぜだろう。武田信玄だ。信玄は甲斐国の名門の出自で、領国経営にも優れた才能を発揮し、甲斐国を豊かにした。しかも戦争にはめっぽう強い。そこから、周辺の服属した国々に、甲斐に頼る気持ちが生まれ、「頼り甲斐」という言葉が生じた。周りが信頼するほどに力を発揮する人のことを「甲斐性がある」と表現するようになり、充実した手応えのある仕事には「やり甲斐」と名付けた。さらに生きるに値することを「生き甲斐」と言うようになった。信玄さま様と言えようか。

・・・エイプリルフールでもあるまいに、嘘を並べ立ててしまった。どなたか、語源を知りませんか? ぜひ教えてくださいな。

(蔓日々草(ツルニチニチソウ)が咲き始めると、イソヒヨドリが高らかに鳴く。朝の空気を爽やかにキリリと引き締める)
あれあれまあ賭けっこしても春過ぎる [2024年03月28日(Thu)]

fumihouse-2024-03-28T19_35_59-1-thumbnail2.jpg雲雀の初日はまだない。アオガエルの初鳴きも聞かない。イソヒヨドリが天使の声を響かせたのは4日ほど前のこと。今朝は燕が鳴いた。赤ちゃんが優しく何か呼びかけ続けているような声で鳴く。ソメイヨシノの基準木へ各地の気象台職員が出かけて5,6輪開いたかどうかを観測するというどうでもいいような、だが重大なニュースも毎日やっている。春は駆け足でやってきた。

(ユキヤナギもいつの間にか満開だ)
ハレの日もケの日もいつも晴れている [2024年03月27日(Wed)]

fumihouse-2024-03-27T17_13_00-1-thumbnail2.jpg晴れです
今日は春の陽気です
春 春 春
もうじき染井吉野だって咲きます
今日は残業なし
善き一日であったでしょうか
そうであったと信じたい
いやそうだった 確かに
あれした これした それもした
出来ないことは整理して
人事を尽くして天命を待つ
あしたも顔晴ろー

(開花を今か今かと待つ桜。でも明日から天気は崩れる。週末に楽しみをとっておこう)
見慣れてるだのに知らないことばかり [2024年03月26日(Tue)]

fumihouse-2024-03-26T19_22_15-1-thumbnail2.jpg見慣れているはずなのに、見たことのない光景がある。女子トイレと女風呂である。

両方ともすることの区別はないわけで、大きく異なることはない。女子トイレには小便器はないけれど、個室でセパレートされた構造であることは簡単に想像できる。温泉によっては男女が定期的に交換するので、朝は女風呂だったところが、夜は男風呂になっている湯船がある。バラエティがあって楽しい。昔からの風呂屋はまず定型で変わらない。

分割されているためにアンタッチャブル感はある(性的被害を起こさないためには当然)。入ってはならない、触れてはならない・・・そこに立ち入ってみたいという趣味はないけれど、同じようなものなのに、見たことがない、入ったことがないということに、何故か不思議な気分がしている。別にどうってことないけれど。

(ダイヤ改正後、松江駅に「雲」が登場。駅名のサインが楽しい)
暴発し衝動の主哀れなり [2024年03月25日(Mon)]

fumihouse-2024-03-25T19_15_45-1-thumbnail2.jpg≪時間の長短の別はあれど、認めがたいことがあったとき必ずどこかで暴発していた≫主人公は、≪わずかの諦念とかなりの衝動とが身体中に満たされ≫ると、一瞬にして沸騰し衝動的な暴力をふるった(『ブラックボックス』砂川文次著)。そして幾度も仕事をクビになり、逮捕され、収監裁判懲役刑を課された。刑務所にあっても同じことを繰り返す懲りない男であった。宿命的に生命に巣食う悲しい性と言えるだろう。

衝動に流されるのは、この男だけではない。暴力的なものではないにしても、ひとは誰でも衝動的で向こう見ずな気持ちに支配されることがある。無気力になる、捨て鉢になる、諦める、関係を断つ・・・。心を突き動かされるままに、後先考えずに行動したり、言葉に出してしまったり。善悪を判断しないのはもちろん、必ず損することが分かっていてもやってしまう、、、そんなことないだろうか。ひとは悲しい性を持っている。

(もう満開を過ぎてしまったが、衝動を抑えるために桃の花を思い浮かべるのはどう? まっ意味ないね)
哀しみの群像にして愛あられ [2024年03月24日(Sun)]

fumihouse-2024-03-24T21_05_47-1-thumbnail2.jpg映画『愛と哀しみのボレロ』を午前10時の映画祭で見てきた。1981年のフランス映画。『男と女』で有名なクロード・ルルーシュ監督がメガホンを取っている。

第二次世界大戦前から戦中、戦後にかけての群像劇。オムニバス形式でそれぞれの愛と哀しみの歴史が描かれる。相互には一見関わりがないように見えるが、ある時はすれ違い、またある時は重なって群像に深みを増す。

最終盤にラヴェルのボレロが演奏される。圧倒的な演奏とバレエの力強さ。そこに多くの群像が重なっていく。同時代に生きる者は地球という共同体の空気や水を介することも含めて、すべてが連関していると感じられた。3時間余りの長時間上映で疲れもしたが、人間愛に溢れた映画であった。

上映後調べると、エディット・ピアフ(シャンソン歌手)、ヘルベルト・フォン・カラヤン(ナチス党員だった指揮の帝王)、グレン・ミラー(傑出したジャズバンドリーダー)、バレエダンサーのルドルフ・ヌレエフ(この人は知らない)の4人をモデルにしているということだ。ドラマチックに戦中戦後を生きた有名人の人生模様がボレロの音楽の前に描き出される。ダイナミックな映画であった。

(宇宙を彩る星雲の数々。人々の群像劇もまた星雲のように結集し雲散していく)
ギター弾き揺蕩う春の穏やかさ [2024年03月23日(Sat)]

fumihouse-2024-03-23T22_30_27-1-thumbnail2.jpg「ギターの父」と呼ばれるのは、フランシスコ・タレガ。19世紀末から20世紀初頭のスペインの作曲家である。最も有名なのは『アルハンブラの想い出』。初心者も好んで弾く小品『ラグリマ』も不朽の名作と言えよう。

わたしが取り組んでいるのが『前奏曲第1番』。ターン・タ、ターン・タと続くシンコペーションのリズムを基本に、揺蕩(たゆた)う明るい春を醸し出す。ホ長調からホ短調への転調は少し事件めいて場を惑わせて、結末は穏やかに幸せに終わる。

もうひとつは『ゆりかご』。テンポのよい小太鼓のようなニ長調の楽しい曲。楽しいのを楽しく弾くのは難しいが、何度も繰り返し、余裕を持って運指を進め、情感を込めて歌えるようになりたい。

タレガの小品はステキだ。美しい和音が存分に響く。ギター音楽を再興し、その魅力を知り尽くしたタレガ。その世界観に浸っていきたいと思う。

今日は鳥取まで遠征し、ギタ弾こ会に参加した。カフェ・レスト「サブレ」にて揺蕩う春の日本海を眺めながら、ギターを弾き合った。わたしはといえば、前奏曲の他に、妻のオカリナと『ソルの月光』『太陽がいっぱい』をデュエットで披露した。ベストの演奏は出来なかったが、参加者と楽しい交流を重ねることが出来た揺蕩う春の一日であった。お世話いただいた木村さん、ありがとうございました。

(春よ来い、春は来た来たと喜ぶ、花桃の花たち)
田舎人おしりたんていドラえもん [2024年03月22日(Fri)]

fumihouse-2024-03-22T19_59_16-1-thumbnail2.jpg田舎の映画館はたいていは空いている。ガラガラの上映も多い。おしりたんてい、しまじろう、ドラえもんなどお子ちゃまが親と大挙して押し寄せる春や夏の休日は賑わうが、大人のみる映画の席予約に苦労することはない。

若い人が映画館には行かないのが主な原因だと思う。一般で1800円。若い人にとっては確かに高い。しかし、コンビニで買う細々したものを数回ガマンすれば簡単に捻出できる金額。無駄遣いをやめれば2時間の至宝の時間を得られる。見たい人は時間と金をやり繰りして、サービスデーなど選んで行くし、見たい映画は是が非でも鑑賞する。人を想い、過去を想い、物語に涙する。未来に門出する意欲を湧き立たせてくれる映画に出会えれば、さらに至福なり。

人口問題がここにある。人口が多ければ、見たい人はたくさんいて、ニッチなものでも映画館はそれなりに人を集める。人口が少ないと映画館はガラガラ。残念だ。

まっともかく、映画館の魅力に気がついてほしいと思う。閉じられた空間だからこそ、集中できる。家で見る映画は日常の延長だが、映画館では自分の空間が広がっていく。空間全てで楽しめ、没入できる。独りで見ても複数でもよし。映画っていいなあ。

(腕の良い珈琲職人にも、映画ファンがたくさんいるに違いない)
島根発マルチバースの宇宙生き [2024年03月21日(Thu)]

fumihouse-2024-03-21T07_58_45-1-thumbnail2.jpgマルチバース宇宙があるという説があります。私たちの生きるこの宇宙は、次元の数も物理法則も異なる無数の宇宙の一つにすぎない、という説。本当だとすれば、宇宙の姿を解き明かすことは永久に出来ないでしょう。

話転じて『島根マルチバース伝』は、NHK松江が制作した島根発地域ドラマです。桜庭ななみを主人役に、謎のおじさん・佐野史郎がドラマを彩ります。様々な選択肢があった中で、それを選択したらこうなっていた(想像ではなく)、現在進行形で別に生きている自分の人生を見せてくれる不思議なドラマ。

日々は選択の連続。別の選択をしていたら、あれに関わっていたとすれば・・・タラレバ満載の人生ですが、実際にはマルチでそれを体験することはできません。ならば、今いるバース場面を大切にしていこう、と考えさせてくれるドラマです。

島根県内で3月1日に先行放送されて、全国ネットでは明日3月22日(金)17時からの1時間枠で放映されます。仕事でしょうから、『島根マルチバース伝』を予約録画でどうぞ!

(マルチバースでも、そこは春本番。きのう今日のように寒の戻りがあっても、土筆が頭を持ち上げ、ホトケノザは紫で地面を彩ります)
ゴールドの輝き人を修羅の道 [2024年03月20日(Wed)]

fumihouse-2024-03-20T19_54_27-1-thumbnail2.jpg映画『ゴールデンカムイ』は烈しいアクションの連続で、眠けが吹き飛んだ。特に爆発や発砲シーンが多くて動悸の連続だ。アイヌが集めてきた膨大な金塊を強奪した男が、その隠し場所を24人もの囚人に刺青として残した暗号を読み解き、手に入れようとするストーリー。

夢中で見るうち、このままでは完結しないのではないか。どこかで尺を縮めてストーリーが展開していくのかと思ったが、とんでもない。いくつまで続編が続くのやら。エンドロールが終わってからの映像も決して見逃せないのも特徴といえる。

舞台は日露戦争の激戦地203高地に始まり、不死身と呼ばれた杉元(山崎賢人)が北海道の小樽近辺で暴れまくる。それを助けるアイヌの少女アシリパ(山田杏奈)が山の民としての知恵と力を発揮する。新選組の土方歳三、永倉新八まで蘇られて登場させるとは恐れ入った。

ゴールデンカムイとは、アイヌの金塊のこと。それだけではあるまい。アイヌ民族は森羅万象に神を見出し、自分たちが生かされていることへの感謝を捧げた。SDGsが不可欠な現在において、そうした生き方を考える意味合いが込められた表題でもあろう。

(120年前の北海道にも、水仙が絢爛と咲いていたことだろう)
埋め込んで努む務めに一喜一憂 [2024年03月19日(Tue)]

fumihouse-2024-03-19T19_37_03-1-thumbnail2.jpg就職とは、自己の人生の一部を、その企業なり団体に「埋め込む」ことである。組織の一員として環境になじみ、ルールやマナーを学び、公益に貢献するために、時間と労力を費やす。その対価として給料をもらうわけだが、よい就職ができたならば、自己を成長させ、他を利する喜びに楽しみが持てる。

「埋め込む」とは一面埋没することで、軋轢に悩み、コンプライアンスの煩雑さに心を乱される。仮にパワハラ、カスハラ的な職場環境があったとすれば、大いに悩み心を病むこともあるだろう。よい環境を用意してあげたい。

わたしの務める社会福祉法人も新入社員を迎え入れる。我が法人によく来てくださった。歓迎の気持ちとともに、期待どおりに働いてほしいと思う。人間的にも大きくなって法人を支え、地域の柱となって活躍してほしい。すると、埋め込まれたという受動から転じて、自分の意も添えて、より良い環境を作り上げていく能動の姿が見られるに違いない。

(鉢に植え込まれた葉牡丹がいい色に染まっている。泥中から、やがて菜の花を咲かせる)
表せば春本番の音が鳴る [2024年03月18日(Mon)]

fumihouse-2024-03-18T08_10_12-1-thumbnail2.jpg「いくら自分の中で素晴らしい音が鳴っていても、自分の中だけで完結させるのではなく、あえて自分の外に置いて誰かが共有できるようにする。そうすれば、その人 に通じます。そういう話は事あるごとにしています」(指揮者・作曲家 杉山洋一氏)

音楽だけのことではない。情景を指し示すにしても、心理のアヤを表現するにしても、名句や名文を誰かに教えてあげるにしても、自分の感覚として感じられた何事かを表すには表現力が必要だ。通じさせるのは難しいが、何らかの表現に努めることができれば、必ず通じていくものだ。

(我が家のクロッカス、最終盤。早春に咲き始めた第一号オレンジが、この紫で完結する。春本番の音が鳴っている)
ドキドキし試験で成果測る日々 [2024年03月17日(Sun)]

fumihouse-2024-03-17T21_46_14-1-thumbnail2.jpgいろんな試験がある。今最中の高校や大学の入試は、入学するための学力を審査するためにある。定期試験は授業内容を理解できたかどうか。さらに学期ごとに総合して通知表でそれを示す。弱点はどこか、確かめて克服する起点となる。

試験とは要は力を試すためにあるのだが、成績には一喜一憂したものだった。結果が悪かったことに落ち込み、やる気をなくす。弱点がわかったのだから、克服するためにファイトが湧いてこなくてはならないのだが、そうはいかない。あの頃を繰り返すことが出来たらいいのに、と思う。

で? 試験でも受けるのかって? そんなことはない。ただ思い出しただけ。試験なんて近ごろとんとご無沙汰だ。しかし、成果を測る場は日々様々ある。明日も成果を出せるよう、頑張ろう。

(ハクモクレンは白い炎。これから数日は春の炎を吹き上げる)
撮り鉄とダイヤ改正とき変わる [2024年03月16日(Sat)]

fumihouse-2024-03-16T19_26_56-1-thumbnail2.jpg今日はJRのダイヤ改正の日。朝のうちに山陰本線の列車運行情報が流れた。淀江駅〜伯耆大山駅間の線路内に人が立ち入ったため、一部の列車に5分から20分の遅れが出ている、と。撮り鉄に違いない。やくもブロンズと言われる新型やくも号を、伯耆大山をバックに山笑う景観と一緒に撮りたいという連中が線路に立ち入ったのだろう。ほとんどはルールとマナー守っている、ちゃんとした撮り鉄だと思うが、ほんの一部の無法者が秩序を乱す。

私有地に無断侵入する、住民の邪魔になる路上駐車、線路のすぐ脇に三脚を立てて撮影する、線路に入り込む、撮影に邪魔になる樹木を切る奴もいるとか。危険で迷惑な行為は願い下げだ。

ダイヤ改正で普通列車は不便になりそうだ(私にとって)。家人も今夕は松江からの列車に乗り遅れてしまった。10分も早くなってしまったのだ。慣れるまでしばらくは混乱が続きそうな気配。

(山茱萸(サンシュユ)が咲くのは、ダイヤ改正時分の定番の光景だ)
4人掛けガタイとリュックスマホ避け [2024年03月15日(Fri)]

fumihouse-2024-03-15T18_27_57-1-thumbnail2.jpg列車に乗る時、4人掛けボックス席に座る際には、女性の隣に座ると楽だ。男は細いように見えても、身体に厚みがあり肩幅も大きい。ガタイがデカいのである。だから狭っ苦しい。グイグイ押されると気分が悪く、本を読むにしてもブログを書くにしても、気が散る。

女性だったら誰でもいいかというとそうでもない。スマホを打つ人、特にゲームなど烈しく手や腕を動かす場合はよろしくない。利き手の側に身体を置いてしまうと、逃げ出したくなる。リュックを抱え込んでいるのもバツが悪い。肘が邪魔になってしょうがない。それ以外の荷物を窓際に置いている輩には困る。太った男並みに座席は狭くなる。今時分はコートの厚みもあって不快だ。

車中に乗り込むと目を見開いていい席を探す。女の人+利き手でスマホをいじっていない+リュックを抱えていない・・・なかなか条件を満たす席は稀である。もちろん、混んでいるときにはそんな贅沢はいっていられない。

(ペーパーカスケードがキレイに花開く。この花のようにスッキリと座れたら、気分良く読書などできると言うもんだ)
ワンマンは針の筵か寂しかろ [2024年03月14日(Thu)]

fumihouse-2024-03-14T19_01_59-1-thumbnail2.jpgわたしが朝に乗るのは、米子行の普通列車でワンマン車両。運転士がたった一人で4両を任されている。合理化の果てとはいえ恐ろしい(極めつけの果ては無人化だが)。運転士にみだりに話しかけるなと注意書きはあるが、話をしないわけにはいかないだろう。トラブル停車で説明したり、抗議を受けることもあるだろう。たちの悪い客からカスハラも受けるに違いない。

車内では何が起こるかわからない。車掌がいてくれれば、相談することも可能だし、カバーし合うことも出来る。しかし、一人では如何ともしがたい状況がきっとある。指令所から無電で指示を仰いだとしても、所詮は遠くにいるのだ。手を差し伸べてはくれない。応援や救出には時間がかかる。田舎の車両運転士は大変な仕事をしているもんだ。とても偉い、尊敬に値する。

(ハクモクレンの蕾が花開くまで待つのですぞ。そんなゆうちょうなことは言っていられない)
白痴かな鉱脈外し分からぬよ [2024年03月13日(Wed)]

fumihouse-2024-03-13T22_03_41-1-thumbnail2.jpgドストエフスキーの『白痴』を読み進めています。長々とした独白、機関砲をぶっ放すような喋りの応酬に頭がついていきません。登場人物の置かれた状況や経歴の説明を会話の中で進める手法にも飽き飽きしてきます。会話以外にも直接話法が混ざり合ったり、主格が誰なのか分からない文もたまにあったりします。唐突な感情の起伏が頻出するのも性に合いません。まっ150年前の小説です。現代小説の黎明期と言えるのかもしれません。

何と言っても世界の歴史的名作です。感動的な場面が出てくる、人間の本質を言い当てる見事な表現に出会えるのではないかという期待もあって、読み進めています。が、寝る前に読むと2ページも進まないうち眠くなります。列車で読むとページを開いたまま目が閉じていくのです。

ドストエフスキーは、本当に美しい人を描こうとしたと言います。主人公の公爵は、誠実で弁も立ち情も深くて思いやりがあります。彼の美しさはどう表現されるのでしょうね。物語は輻輳的な三角関係を軸として進むようです。愛憎が渦巻き、裏切りもある。公爵は心に決めた人に裏切られ、元の白痴に戻るということですが、癲癇(てんかん)持ちの公爵を白痴と言い放つとは解せません。SFの『アルジャーノンに花束を』を思い出しますが、あれは知的障害でした。

今の小説は格段に面白く読み進めるのに苦労がありません。描写も飽きさせず人物造形も見事です。過去の小説に比べると、現代小説は話の鉱脈を外さないと言えるでしょう。

古典文学は脇道に入り込んでいきます。些事が満載で脱線が多い。気が向くままに逸れていくので飽きるし、話が見えなくなってしまうのです。物語の鉱脈をたどれないと読み手は辛いのです。何かの前触れがあっても長々と前座が続いて、本題に届かないのです。当然1日置いて読まないと忘れる、筋が見えなくなります。

ただ日常を考えてみると、鉱脈を外すことばかりで主題や、やりたいことが分からなくなってしまうことが多いと言えます。毎日の生活は些事に満ちているのです。古典は日常生活を追っているのかもしれません。鉱脈を探して繋いで、物語は自分で紡いでいくことを求められるのかもしれません。

まっそんなこんなですが、『白痴』第1巻を読み終えたところで、わたしは世界の名作と訣別したのでありました。

(白い沈丁花は香りは淡いが、品ある華やかさで楽しませてくれる)
挿し入れかタッチの違いこの二年 [2024年03月12日(Tue)]

fumihouse-2024-03-12T18_19_50-1-thumbnail2.jpgバスに乗った。座席に着いて、しまった!と思う。またイコカ・カードでタッチしてしまった。使い残しのバスカードが1枚あったので、数日前から使っているのだが、期限となる3月末までに使い切れるだろうか。残りは3200円余り。出勤は3月中に10日以上あるので十分使い切れるはずだが、この調子で忘れることを繰り返すと余らしてしまいかねない。この1年余りイコカでタッチし続けてきたので、バスカードを挿し入れる動きを忘れてしまっている。明日は締めていこう。

(1時間前にアラレが降っていました。外は冷えます。春は間近ですが、一進一退を感じる沈丁花です)
石銀の草木を愛でて色出でて [2024年03月11日(Mon)]

fumihouse-2024-03-11T18_27_41-1-thumbnail2.jpg≪「百花に先駆けて咲く」と喜兵衛は言った。冬の寒さが和らぐほんの一息前、裸の枝にぽっちりと紅い花が咲いた。石銀(いしがね)集落の周りには梅林があった。青い実がなる前の花を美しいと感じたのは飢えていなかったからだ。母親とは比べ物にならないほど喜兵衛は草木の知識を与えてくれ、季節の花を愛でる余裕もくれた。
 あの時、色がついたのだとウメは思った。己が食い繋ぐだけで見えなかった彩りは、一度目に焼きついてしまうと、奇妙な愛着と思慕の念を生んだ。散花に自らの想いを重ねることなどなかったのに。色を知らねば、巡る季節を花で区切り、愛しく思う人と同じ花を眺めたいと思うこともなかっただろう。≫(『しろがねの葉』千早茜著)

小説の舞台は関ヶ原の戦いから江戸時代初期まで。孤児のウメ、大森銀山でウメを育てた喜兵衛の物語。塵灰を吸って短命だった男たち。女たちはたくましく生きた。それでも圧政と理不尽な社会に耐えた、そんな人々の物語に引き込まれた。

きょうは3・11の日。被災した人々には花の色や匂いを感じる余裕もなかったであろう。それから13星霜が流れたが、まだ故郷に帰りたくても帰れない方々が3万人近くもいるという。その人たちに、色は戻ってきただろうか。

(張った水に空色を映し、緑と黄の菜の花が春を全面に感じさせる昨日の昼)
眠くなりここは宇宙だ地球人 [2024年03月10日(Sun)]

fumihouse-2024-03-10T18_36_26-1-thumbnail2.jpgプラネタリウムってやつは、眠るための条件がそろっています。まず暗いこと。始まるやいなや、場内に夕闇が迫り薄暗くなっていきます。冷暖房が適度に効いて心地よい。宇宙空間的な柔らかなBGM、138億年の宇宙のロマンを誘う詩的に洗練されたアナウンス。極上の気分にさせてくれます。空に向けて椅子が倒れて姿勢が横になっていることも、眠りに拍車をかけます。夜の時間帯に迷い込めば、誰もに眠りのリズムが訪れます。そして本当に眠りに落ちる・・・いいもんですね。久しぶりに行きたいと思います。

(松江・くにびきメッセにて「わたしと宇宙展」では多くの展示と映像で楽しめる(プラネタリウムはない)。そして地球人としての運命共同体を思う。3月17日まで)
懐かしみ終わったあとの虚脱感 [2024年03月09日(Sat)]

fumihouse-2024-03-09T21_54_16-1-thumbnail2.jpgイベントごとが終わると、懐かしんで振り返る。1日経てば昨日の今頃の時間は〇〇していたなぁと思い返す。2日過ぎても3日目も同じく。一週間経って同じ曜日が巡って来ると再び繰り返す。

イベントというと嬉しいことだ。指折り数えてその日を待ち焦がれ、その時を迎えて、存分に楽しむ。好きなアーティストのコンサートで興奮した。行きたかった旅行に出かけ、念願の聖地を訪れた。かけがえのない人と水入らずで過ごした。孫に会えて夢中で遊んだ・・・いろいろあるだろう。緊張の走る場面であったとしても、見事成功させて祝杯を上げるようなケースであれば、同様に振り返って思い出を反芻するものだ。

やがて終わってしまった寂しさに虚脱感が現れる。もっとああしておけばよかったと、後悔することもある。出来ることならば、再び企画すればよいだろう。楽しみを将来に取っておくことは、気持ちを前向きに引き立たせるものだ。

(思い出はきらめく星雲のように輝く)
ムダするなムリは禁物ときにムシ [2024年03月08日(Fri)]

fumihouse-2024-03-08T21_01_43-1-thumbnail2.jpgきょうもできないようなら、あすもだめです。一日だって、むだに過ごしてはいけません。(ゲーテ『ファウスト』)

ゲーテの言うとおり。着実にひとつ一つ片付けていく。しかも迅速に効率よくやっていく。難しいことではある。やるほどに仕事は増えていき、処理する端からやるべきことは目白押し。これが人生というもの。飽くなき前進、弛みなき進歩。明日も顔晴ろう。

(菜の花もまた1日だって無駄には過ごさない)
ご縁して誤嚥せずとも後宴よし [2024年03月07日(Thu)]

fumihouse-2024-03-07T21_06_48-1-thumbnail2.jpg≪ご縁、
 それは感謝。≫

とは、玉造温泉の旅館に貼ってあったポスターの文句。ご縁云々は、出雲・松江の観光にあっては、あまりに常套句すぎて珍しくもなんともない。続く台詞もありふれた表現が使ってはあるが、なんとなく温かい気持ちになれる。

≪あの場所に行ったことや
 あの人たちに出会ったこと
 あの景色を見られたこと
 振り返ったとき、今までのつながりに
 ありがとうって、思えること
 &ご縁の聖地 出雲路≫

ひと、食べもの、景色は旅の3大要素である(わたしはそう思う)。旅に誰と出かけ、旅先でどんな人と出会うのか。美味いものに巡り合い、満足のいく夜を過ごせたか。名所旧跡にとどまらない、地元の人は見過ごすような景色を深く堪能するか否か。そうした経験をすることによって、今までの自分を振り返り、今の境遇に感謝できるようになる。当たりまえであることにありがとう。ありがとうは有り難し。同じ1日はない、この積み重ねに感謝できるのだ。
生きてゆけこの瞬間に価値生まれ [2024年03月06日(Wed)]

fumihouse-2024-03-06T17_43_13-1-thumbnail2.jpg≪▼文豪ゲーテは「どの瞬間にも、無限の価値がある」(山下肇訳)と。人生には晴天の日もあれば、嵐の時もある。時間の使い方にはさまざまあるが、飽くなき向上心で主体的に行動する時、「瞬間」に「無限の価値」が生まれる≫(聖教新聞「名字の言」2024年3月5日付け)

のんべんだらりと過ごす時間にも価値がある。ジリジリと待つだけの時間にも意味はある。苦役に辛い時間を過ごそうとも後には役に立つ・・・少なくとも前に向かう意欲を忘れないならば「価値」ある時となる。ゲーテはさらに「無限の価値」とまで言っている。もちろん同じ時間を費やすならば心に残り、自分にも他人をも益する時間であれば尚良い。その瞬間に大きな価値が宿る。

(ムスカリの鮮やかな青紫。スズランのような花びら、美味しそうな落花生のような花。別名グレープヒアシンスは春の価値なり)
それぞれが秘めたる力限りなし [2024年03月05日(Tue)]

fumihouse-2024-03-05T18_43_30-1-thumbnail2.jpg限りない可能性を秘めている、と言う。嘘である。可能性が無限と言うならば、大谷のように投打に活躍し人気者となって大いに稼げるようになるのか。否である。その確率はゼロに近い。努力すれば、100メートルを9秒台半ばで走り、五輪の決勝で栄光を勝ち取ることができるのか。これも否である。

それでは、可能性なんてそこそこのものでしかないのか。可能性を信じることに意味はないのか。そうではないと思う。それぞれが桜梅桃李の花を咲かせて輝く個性を持っている。見つけて磨いて絶え間なく貫いていけば、必ず開いていく。開く加減は無限大。限りない可能性を秘める、というその言葉には嘘はない。

(トマトだって可能性を秘めて、桃のように甘くとろけるかな?)
圧迫と解放の末楽しめる [2024年03月04日(Mon)]

fumihouse-2024-03-04T23_01_31-1-thumbnail2.jpg≪仕事の圧迫は心にとってきわめてありがたいものだ。その重荷から解放されると、心は一段と自由に遊び、生活を楽しむ。仕事をせずにのんびりしている人間ほどみじめなものはない。そんな人はどんなに美しい天分もいとわしく感じる≫(ゲーテの日記より)

今夜行われた県悠会総会で感じたことだった。島根県のOBで常勤職として働く人を対象とした会に集まった50人余りのメンバーの多くと話をすることができた。それぞれが仕事に生活に苦闘しつつも、前に進もうとしている。好ましいかな、麗しき人人。わたしも含めて日常の日々の重荷への解放と自由を交互に繰り返している。もちろん、悠々自適にやっている人に、惨めだなんて言うつもりはないが、緊張と弛緩の適度なバランスに人生の宝は生まれる。

(ミモザの花が咲いた。自由に遊び楽しんでいる)
蝋燭にマッチ擦るとき遠い日に [2024年03月03日(Sun)]

fumihouse-2024-03-03T22_53_10-1-thumbnail2.jpgマッチを探した。半年ぶりに会った孫に蝋燭をつけてやろうとした。マッチを探したが見つからなかった。ライターもどこへ行ったやら。火を使う際には自動着火することがいかに多いかを思い知った。幸いに古い湿気ったようなマッチが見つかったので(昔のスナックのものだった)、蝋燭に点火できた。背の高い燭台に乗った蝋燭はゆらゆらと幻想的だった。

娘が小学生の頃、マッチをつけさせてみた。炎を下にしてしまったものだから、熱くて痛い目に遭わせてしまったのを思い出した。便利さと安全の境い目を思う。

(河津桜の火が灯った。満開まではあと一週間は間があるが、時折晴れ間の見える春の日に桜が照った)
あれやこれ焦る自分に抑えられ [2024年03月02日(Sat)]

fumihouse-2024-03-02T23_09_00-1-thumbnail2.jpg年度末が近い。あれもこれもやるべきことが多い。ゆえに気持ちに余裕がなくなる。焦燥感に駆られる。尻に火がついて、追い込まれる。気持ちが先走ると、かえって能率が落ちる。

≪焦ることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。前者はあやまちを増し、後者は新しい後悔を作る≫(ゲーテ『格言と反省』)

別の自分が慰める。もどかしい気持ち、分かるよ。気が急くのはもっともだ。切羽詰まったらケツをまくってしまいなさい。一度にはひとつしか片付けることはできない。確実に着実に、あせり過ぎは禁物なり。後悔しないように。

(沈丁花も一気呵成には咲かない。着実に確実に)
曇り立つ夜の虹立つ眼の前に [2024年03月01日(Fri)]

fumihouse-2024-03-01T15_54_12-1-thumbnail2.jpg夜の虹が見える。隠微で艶めかしい感じを醸すかもしれないが、大したことではない。外灯を囲む小さな虹が見える、車のライトにスペクトルがかかるだけのこと。蛍光灯の細長い明かりだと、虹も楕円に囲んでおり面白い。

戸外ではマスクを外す。列車やバスから出れば感染症のおそれがないので、暑苦しいマスクは取ってポケットにしまってきた。ところが花粉が飛ぶようになってきた。微粒子のPM2.5も多かろう。花粉症にはなりたくないので、外を歩き回る時にはマスクを装着する。冷たい戸外ではマスクから漏れ出る息でメガネが曇り、暗くなると灯に虹がかかる。

それだけのことだが、ささやかな夜の虹は面白い。ただし、曇りがひどくなると安全上問題がある。そんな時は鼻マスクにしてメガネの曇りが取れるまで乾かしてやる。薫風が吹く頃までこんな始末をしなくてはならないのか。面倒この上ない。

(由志園の見事な日本庭園(足立美術館には及ばないが世界10傑)の意見にも定期的に霧が立ち、日が照らせば虹が出来ると思う)