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人は皆アレという間に年をとる [2024年01月31日(Wed)]

fumihouse-2024-01-31T18_24_19-1-thumbnail2.jpg華やかな元日が混迷の極みに達し、多くの人を厄災に引き入れた。飛行機の衝突事故が起こった2日は、陰鬱な天気がさらに不安を増した。数々の事件や災害が人々を苦しめた1月だが、今日で終わる。あれよという間の「往ぬ」1月。土曜日は節分、翌日曜は立春。身を切る寒さを感じなくなったことからすると、春は間もなくと思われる。バレンタインデーの狂騒を経ると、2月はあれまっと「逃げる」。オリンピックイヤーにつき1日ほど長い月ではあるが、逃げ落ちることには違いない。3月は「去る」。年度末の慌ただしさに、桜が咲く狂乱も加えて4月はやって来る、「尻込み」するほどに。5月は「ゴーッ」と過ぎ、6月は「ろくでもない」ほど早足で、7月は「質入れ」て金を工面し、8月は「ハメられた」ように週替り、9月は「苦労暇なく」トントンと、10月は「ジュウジュウ」焼肉食べるうち、11月は「イチイチ」伺いを立てるうち、12月は「十二分に」秋を楽しむことなく、あっという間に過ぎて1年が終わるのだ。

(今朝の淡いピンクをまとった空に、キリッと冷えた空気が気持ちよかった)
眼球の奥で疼くは疲れなり [2024年01月30日(Tue)]

fumihouse-2024-01-30T18_57_54-1-thumbnail2.jpg1時間ほど残業。バスに乗って目を閉じると、どっと目が沈み込む。疲れを感じている。眠り込んでしまうと乗り過ごしてしまうので、目を開けた。

≪1日の疲労が眼球の奥でうずいている≫(『光』三浦しをん著)

その表現のとおりだ。眼球の奥でうずく疲労を取ってやらなければならない。やがて列車が発車する。暖かい車内で規則的な揺れに身を任すと、眠りは深くなる。要注意。一刻も早く帰宅し食事をとり湯船に浸かりリラックスした時間を過ごして、明日への英気を養おう。
必然も偶然もまた面白や [2024年01月29日(Mon)]

fumihouse-2024-01-29T18_07_07-1-thumbnail2.jpg列車やバスに乗って通勤する。仕事を終えたら同じようにして帰宅する。これは偶然か、必然か。当然ながら必然である。刻々と過ぎる毎日にあって淡々としたルーティンをこなす姿は必然そのもの。思いがけない厄災に見舞われたとしても地震や風水害、交通事故といった原因が明快に存在し、不本意ではあっても必然のこととなる。

だが、長いスパンで見たらどうだろう。どこそこへ採用されて勤め始める。故郷を離れて見知らぬ土地に住み始める。縁でもなかった趣味を始めてみる・・・偶然の要素がたくさん出る。多くの選択肢の中からそれを選んだというのが偶然でないことがあろうか。必然的に選んだように見えても、人生はほんの少しの揺らぎでもって、大いなる変化を遂げる。

不思議不可思議ほらご覧知。人生は偶然に満ちている。人との出会い、仕事での縁、目に触れる物の気づき・・・さまざまな偶然を大切に生きると、多分今の必然も多様さに満ちていく。

(服を選ぶのも、必然か偶然か。いずれにも当てはまる)
童顔の横綱誕生乞う期待 [2024年01月28日(Sun)]

fumihouse-2024-01-28T21_54_17-1-thumbnail2.jpg童顔の主が取組前に浮かべた野獣の顔。相手を倒す闘争心に満ちた恐くて強い顔であった。しかし、大相撲初場所・千秋楽の優勝決定戦では、横綱・照ノ富士に跳ね返された。琴の若は13勝し大関への昇進を確実にしたが、敗れたあとの彼の悔しそうな顔ったらない。来場所にこそ横綱に勝ってみせるという決意を漲らせた。三世代で優勝を狙うプリンス。単なるボンボンではない強い大関・琴の若。近いうちに横綱になることは間違いない。
ゆきかける人の力の自然かな [2024年01月27日(Sat)]

fumihouse-2024-01-27T17_48_44-1-thumbnail2.jpg雪をかいた。職場の駐車場の車止めの辺りに、一昨日どけた雪が邪魔をして車が収まらなかった。残る雪をタイヤで踏み固めて次の車も止まりやすいようにするつもりだった。しかし車輪がスタックした。空回りして前にも後にも進めなくなった。仕方がないのでトランクからシャペルを出しで雪をかいた。踏んで固くなったものも崩し、ひと掻きふた掻き。40回くらい雪を捨てたろうか。車は動くようになり、駐車スペースにうまく収まった。

かいて捨てた雪の小山を見て思った。一帯には膨大な雪が残っている。かいて大山になったものもあれば、25センチの積雪が昨日と今日の気温上昇で溶けて低くなったところもある。全部合わせたらどれだけの雪が積もったのだろう。今回の大雪で各地に降った雪の量、水の嵩は天文学的なものになる。人間のコントロールが及ぶ世界ではない。大自然を前に人は無力だと思った。

(ショッピングセンターの駐車場にはショベルカーでかいた雪山があった。2メートルを越えるこの山も、ほんのひと欠片)
雪ズレて行きずりの雪落とす朝 [2024年01月26日(Fri)]

fumihouse-2024-01-26T17_58_53-1-thumbnail2.jpg松江の積雪はところによって異なるが、わたしの職場近辺では25センチというところ。西側のスレート屋根の庇には吹き溜まりになることもあって、30センチ程度の雪の層ができていた。一昨日は軽い雪でサラサラだったが、昨日の朝は重い湿ったボテボテ雪ということもあって、層が目立つほど圧縮された。

気温が上がって雪が解ける。雪解け水がボトボト落ちていく。庇の雪がズリズリと位置を変えていく。雪が庇をはみ出して限度を超えると、やがて重い雪はボタッと落ちていく。雪遊びをする園児に被害が及ばないよう、伸縮する長いモップでかき落とした。

子どもの頃を思い出した。屋根から曲面を描いてギリギリ持ちこたえている雪庇に向かって棒を突いた。穴が開いて青空が見えた。棒が届かない高い所は雪玉を投げてぶち当てた。穴が空くと爽快だった。いくつか玉が当たって雪がドサッと落ちるたびに、みなで快哉を叫んだ。子どもの雪の思い出は楽しい。
染まりたし絆に少しは染まれよな [2024年01月25日(Thu)]

fumihouse-2024-01-25T17_29_11-1-thumbnail2.jpg大雪。降りしきる雪で一面雪景色。すべてが白く染まった昨夕。バスは遅れていた。乗り降りする客は多い。二人掛け席の半分が空いた乗口近くの席に座った。男子学生が座っていたが、お構いなく、失礼っと言って座る。

見渡すと立っている客の多いこと。一人掛けは全て埋まっているが、二人掛けのほとんどは一人しか座っていない。雪の日の夕方に通勤客中心の客層であれば鞄がある、傘もある。立たれると邪魔でしょうがない。

以前から気になっていることであるが、隣の席に知り合いでない他人がいる状況では、座ることを避ける人が実に増えた。狭い席で衣服が接することを不快に思うことの証だろうか。

カプセルホテルに2泊して洗面所で顔を合わせた人に挨拶しても三人のうち二人は無視する。袖振り合うも多生の縁、という言葉は死語になりつつある。人間同士の接点が希薄になっていく。そのくせ、自分の属する世間では必要以上に気を遣い、精神的に病む者も頻出していると聞く。絆とは、狭い世間だけのことにとどまらず、広い社会においても、緩やかに繋がれることでなくてはならないと思うのだが、如何に。

(このスギゴケたちも今は雪に埋まっていることだろう)
加齢臭置きどころなく耐える日々 [2024年01月24日(Wed)]

fumihouse-2024-01-24T19_23_04-1-thumbnail2.jpgバスに乗ると強い加齢臭。乗口近くに座る年配の壮年が臭いの元だ。汚れたジャンパーに同系色のキャップをかぶり髪が乱れている。定期バスはまだいい。長く乗るものでもなし、主もやがて降りるだろう。

災害に遭って身を寄せる避難所ではどうか。逃げ場がない。一時は慣れるが、一度外に出て環境が変わると臭いは復活する。臭いに限らない。不快の元は次々と湧いてくるに違いない。閉塞感漂う避難所において、皆さんどう対処しているのだろうか。

我慢を続けるか、2次3次避難所に移るのか。不快が原因というよりは、衣食住にわたり生活全般で危機的な状況がある。災害関連死の可能性があるにもかかわらず躊躇する人々が多いと報道される。安心して暮らせるか保証がなくて不安だ、家が近くにあり必要な品々を取りに帰れなくなる、住み慣れた故郷を離れたくないという人も多い。災害に遭っていない身で無責任に述べるが、多くの人が亡くなり、罹災してそこを離れ、かつての景色や風物は無くなってしまった所に固執し過ぎると、自分と家族の命は守れない。思い切って離れて生活を再建する時ではないかと思う。

避難所で新しい人間関係もできたので、自分たちだけ去るのは気が引けるという意見もあると聞く。そこまで世間体を大事にしてどうするんだ、と言いたい。故郷の幻想を追い求めるよりは、一歩も二歩も前に進み、新しい故郷を作る時だ。行政としても思い切った復興対策を講じるためには、新しい地平が必要だと思う。
繰り上げて最終列車よサヨウナラ [2024年01月23日(Tue)]

fumihouse-2024-01-23T08_08_22-1-thumbnail2.jpg「最終列車を繰り上げて運転いたします。お帰りの際にはくれぐれもご注意ください」と、松江駅の改札の駅員が拡声器で伝える。松江駅発出雲市駅行の最終列車が19時50分。警報級の大雪のためである。今夜から明後日にかけて、こちらでも20センチを超える積雪が予想されている。

今夕わたしはJRを利用しない。2日間のホテル暮らしとなる。駅前のホテルに滞在し雪に備える。仕事を休みたいのは山々であるが、今週は休めない。肝を据えて松江に滞在することにした。

バスの外は牡丹雪(出雲弁でダンベ)が風に舞って降りしきる。家々の屋根が白くなり、雪景色の1月23日となった。

(昨日の朝は穏やかな空だった。淡いピンクが好ましい)
冬盛り静かなわけにいくはずない [2024年01月22日(Mon)]

fumihouse-2024-01-22T17_59_45-1-thumbnail2.jpg【静】の字を書いたら、おやっと思った。青が争うって何だ。

OK漢字辞典によれば、偏と旁に分解して、青()+争(爭)。草木が地上に生えてきた象形と井げたの中の染料の象形が合わさって、偏は「青くすみきる」意味になるそうだ。旁は、ある物を上下から手で引き合う象形と力強い腕の象形が変形した字が合わさって「争う」。両者を足すと、争いが澄みきり、鎮まる様子が成り立ったのだと。

今のところ静かに夜は更けているが、大寒波の襲来が予報されている。明日山陰本線は米子駅発の列車は19時台から運休する。出雲市駅から西方面行きですら20時台から止まる。唸りを上げて冬が押し寄せる。

(今朝の雨上がりの穏やかな空気に、蝋梅の花が芳香を漂わせていた)
日常を様相変えて無上かな [2024年01月21日(Sun)]

fumihouse-2024-01-21T22_14_12-1-thumbnail2.jpg日常が続く。いつもどおりの日常が動いていく。当たり前だと思いがちだが、大災害に遭った方々、突然の事故で大怪我をしたり家族を失った方々、そうした大変な状況にあるひとは、当たり前だったはずの日常を失ってしまう。日常を取り戻すのには時間がかかる。戻ったとしても決して同じ日常ではない。

日常は様相を変える。大きな変動もあれば、刻々と少しずつの変化もある。ふつうの日常、いつもと同じ日常はない。予測可能な範囲で変わるのはいいだろう。突如、地獄は現れる。あるいは、日常を代えなくてはいけないときがある。思い切ってルーティンを変えるときは来る。

それも引っくるめて日常と言うのかもしれない。日常とは、生活のすべて、人生そのもの。ごく普通に日常が過ごせることに感謝しつつ、丁寧に日々を過ごしていきたい。

(ニホンズイセンが咲く冬の日常。良きかな)
底過ぎて朝はそこなり底冷えに [2024年01月20日(Sat)]

fumihouse-2024-01-20T08_01_27-1-thumbnail2.jpg朝の底は過ぎた模様。1月3日から1月12日までの日の出が7:17で最も遅い。「朝の底」というのは、ラジオで耳にした初めての言葉。言い得て妙と言える。暗い朝、天気が悪ければいっそう暗いものだ。気分も上がらない。寒さも手伝って、底にいる気分になるようで、感じがつかめる。

一方で昼の底(わたしの造語)は12月3日から12月9日までが16:54で、日の入りが年間で最も早い。晴れていれば空気が澄んでつるべ落としの如く、暗くなっていく。雨が降っていたときには、夜が早くから忍び寄ってくる。

さあ、来週は寒波が来襲する。底冷えし、雷獣の如き雪起しの雷も鳴るだろう。去年の同時期にあった大雪ほどはないと信じたいが、寒さの底はこれからやって来る。今季は暖冬。これで冬の底にしてほしい。

(1月17日水曜日7時18分、底抜けに明るい一日を予感させた空)
曇り雨のち晴れてほしいかな [2024年01月19日(Fri)]

fumihouse-2024-01-19T08_06_34-1-thumbnail2.jpgきょうは一日どんな日になるのかな?
日和見、受け身を決め込んではいけない
どんな日? いやいや違うのだ
わたし自身が作る一日なのだ
良き一日を作りたい
その集積が一週、一月、一年、そして十年を作る
わたしの意志と行動の総和が一生を作り上げる
どうせならお互い笑顔でいきましょうや みなさん

(キンセンカは金盞花、「盞」はサカヅキ。金の盃で祝杯をあげよう)
止まるはす停まらぬ者は危険満ち [2024年01月18日(Thu)]

fumihouse-2024-01-18T08_10_08-1-thumbnail2.jpg初心者マークの車だった。運転席はよく見えず、男女の別も年代も分からない。小雨の横断歩道で手を上げた(正確には傘を高く持ち上げた)わたしを前に初心者マーク氏はスピードを落とし、そのままブレーキを踏むかと思われた。しかし、再び加速して走り去った。わずか30メートル先に踏切があって一時停止しなくてはならないはずなのに。

対抗車は停まってわたしを待ってくれていた。歩行者優先、ましてや手を上げて横断を合図する歩行者を差し置くなんて、法令違反そのもの。初心者マーク氏はそれだけ抜け落として勉強していたに違いない。それともハンドルを握れば人格が変わるたぐいの者なのか。いや、そうならば躊躇してスピードなど落とさずに、突っ走っていたに違いない。

何かしらの警告が発せられたり、不安があったとしても、軌道修正せずに惰性で進んでしまう人柄なのかもしれない。あるいは他人から直接指示がなければ動かない動けない他動的な者なのかもしれない。初心者マーク氏の日常は危うさに満ちている。そして小さな後悔の果てに大きな失敗をしないことを望む。

(危険な滑り台を奈落に落ちでいきませんように)
幸福は上りに喜ぶ過程なり [2024年01月17日(Wed)]

fumihouse-2024-01-17T19_09_46-1-thumbnail2.jpgドストエフスキーはこう言った。
≪幸福は幸福の中にあるのではなく、 それを手に入れる過程の中だけにある≫

そのとおりだと思う。「過程の中だけ」というと極論のように思えるけれど、幸せに浸り過ぎるとそれが当たり前と化してしまって、喜びがなくなる、新鮮味がなくなる、感謝がなくなる。やがて不満まで出ていく。不断の努力を重ねて、成果が少しずつ現実のものとなって、そうこの調子!と乗っているときが一番充実している。満月の美しさよりは14番目の月がいいものさ。と、ユーミンの真似。

(過程を楽しめれば、色付きタイルのきらめきにも幸福を感じられるものさ)
拾六に思い出したり幼き日 [2024年01月16日(Tue)]

fumihouse-2024-01-16T08_09_19-1-thumbnail2.jpg温泉の脱衣所にある貴重品用のミニロッカー。16番だった。小学校のときの出席番号、16を思い出した。幼い僕に刻まれた16という番号。何度も反芻した数字だと思う。不思議な感覚を覚えた。おやっ、今日は1月16日。1月も折り返し点を過ぎた。年度末にむけて日々の充実が問われる。
よき冬日空輝いて玉磨く [2024年01月15日(Mon)]

fumihouse-2024-01-15T18_03_34-1-thumbnail2.jpg昼の玉造温泉で湯と昼食を楽しんだ。美肌県そして、ご縁の地・島根から温泉客に向けてのメッセージがポスターに表現されている。

≪ご縁、
 それは気づき。

 いつも通りの毎日でも
 巡り会いで今があると感じたり
 ちょっとだけ認めてあげたり
 ちょっとだけ褒めてあげたり
 自分の日常は
 ほんとは素敵なんだと気づくこと≫

「まるで湯船すべてが化粧水!」の玉造温泉でもって、お客さんが(県外も県内も)良い時間を過ごすことができますように。わたしも湯に癒やされ、そして雲のない満点の晴れを楽しんだ。

(松乃湯の苔むした庭石は、なかなか絵になるもんだ)
変わるべし火葬の形葬儀もと [2024年01月14日(Sun)]

fumihouse-2024-01-14T22_33_01-1-thumbnail2.jpg火葬場の順番待ちが長いらしい。特に都会では多死社会を迎えて、5日や6日待つことはざらであると。去年1年間の死亡者が157万人。かつては日本の年間死亡者は120万人と言われていたが、いつの間にそこまで増えたのか。昼までに告別式を終えて、火葬場へは午後に向かう。なもので順番が取りにくいのだそうだ。ニュースでは死体安置ホテルが利用されていると報じていた。

出雲地方では朝のうちに出棺することが多い。そのまま火葬場へ。故人はそこで骨になり、告別式ではお骨箱と写真にしかお目にかかれない。故人に対面するためには、死去の当日に急いでお悔やみに駆けつけるか、通夜に参列するしかない。出雲地方だけの風習かどうかは分からないが、出雲地域だと朝から火葬場は稼働することが多いので、利用は比較的平準化する。

コロナ以降、葬儀の形は変わった。流れ焼香でもって一般参列者は遺族に挨拶だけして辞去することは当たり前になったし、通夜をやらないケースも増えた。葬儀が変わったということは、火葬の順序も変わっていっても不思議はない。

(お骨ではない。白い玉砂利が木漏れ日に不思議な気配を漂わす)
繰り返し繰り返してはルーティンを [2024年01月13日(Sat)]

fumihouse-2024-01-13T22_17_54-1-thumbnail2.jpg名監督ヴィム・ヴェンダースと名優・役所広司による静かなる饗宴。映画『PERFECT DAYS(パーフェクト・デイズ)』は、日常に喜びがあり美がある、判で押したようなルーティンの日々を重ねる平山の生活に快感を覚えた。

ボロアパート近くの掃き掃除の音に目を覚まし、読みさしの文庫本に栞をはさんで、布団をたたむ。口ひげをハサミで整えて電気カミソリで余分なひげを剃る。歯を磨き、霧吹きで窓際の欅やモミジの鉢植えを湿らし、鍵類を所定の位置からポケットに入れて、戸口を開けて空を眺める。缶コーヒーを買ってダイハツの軽バン(トイレ掃除の道具が満載)の運転席で飲む。仕事は手を抜かずに手際よく行い、昼食はコンビニで500CC牛乳、サンドイッチパック一袋を買い、神社のベンチに座って木漏れ日の中で食べる。毎回空に向かって欅の枝の広がりをフィルムカメラで撮る。午後は風呂屋、浅草駅の地下の呑み屋、時々古本屋で寝床で読む文庫本を買い、カメラ屋にフィルムを持ち込んで現像する。代わり映えのない木の白黒写真を箱に入れる。テレビはなし、オーディオはラジカセのみで古い洋楽を聴く、布団に入ると寝るまで本を読む。清貧を絵に書いたような生活ぶりである。

こうしたルーティンを崩さない。人間関係や突発事象によってルーティンから外れたとしても元に戻すのだが、平山のルーティンは世界から独立している。孤立と言ってもいい。家出してきた姪っ子に平山は、お母さんの世界と自分の住むところは違うと言った。あえて深い関わりを持たない生活。かつて所属した上流階級とだけ関わらないというのではなく、ルーティンで接する風呂屋、古本屋、バーのママ、浅草駅地下の一杯呑み屋、カメラ屋、仕事場ですら表層的な関係しか持たず、ルーティンを繰り返す。その変わりはえのなさが「パーフェクト」なのだろうが、微妙な空気の上に立つ不可思議なパーフェクトさに、もやもやした感じが残った。

父親との確執から裕福なバックボーン(おそらく相当な富裕層)を若い頃に飛び出した。詳細は示されず、今のつつましい清貧生活をこの上なく大切にするのだが、なぜそこまでやるのか。ここにも?の感じがあった。

ルーティンが戻ってからの最後のシーンでもって、運転席でハンドルを握りながら、笑顔と微妙な泣き顔が示された。名場面である。映画の思想がすべて込められたような気もしたところだが、想像することしかできず、なんとなく納得できない気持ちで映画館をあとにした。素晴らしい映画であることには間違いない。

(モヤモヤしていた昨日の朝の曇天。ドンドンテンテンどんてんてん)
お話に象さん蟻さんヒヨコさん [2024年01月12日(Fri)]

fumihouse-2024-01-12T15_24_01-1-thumbnail2.jpg5歳児クラスの壁に絵入りの注意書きが貼ってあった。声を出すときのテンションを示している。

5 とおくのひとへ おはなしするこえ(象の絵)
4 はっぴょうするこえ、うたをうたうこえ(ライオン)
3 みんなに おはなしするこえ(うさぎ)
2 ぐるーぶで おはなしするこえ(ひよこ)
1 となりのひとと はなすこえ(蟻)
0 こころのなかで おはなしをきくとき(忍者が術をかける仕草)

これがよくある定番のものかどうかは知らないが、小学生前半までの子どもにイメージしてもらいやすいように思う。子どもだけじゃないな。衆目の中で大声で電話する者に(中高年男が多い)、数人が輪になってハチャメチャに騒ぐ者たちに(おばさまが多い)、公共交通機関内で羽目を外す高校生に、教えてやりたいものだね。

(思い直してくれたらカーネーションをあげるよ)
雨のち晴れて笑顔なり [2024年01月11日(Thu)]

fumihouse-2024-01-11T18_30_22-1-thumbnail2.jpg昨日はあいにくの雨
よく寝て よく食べて出勤
連休明けの四勤の二日目
邁進した
雨を晴れにするくらいの笑顔で頑張った
応えて今日は良き晴れ間が広がる
夜中のトイレにも起きず万々歳
腹巻きで温めてぬくぬくしたのが正解だ
仕事ではトホホが続いたが
今日も一日笑顔で乗り切った
明日もよき一日を

(今日の青空と言うには青すぎる)
今日はどこ景色探して目を皿に [2024年01月10日(Wed)]

fumihouse-2024-01-10T18_09_23-1-thumbnail2.jpg景色を探す。心地よい景色を探して爛々とした目で眺める。ほんわかとした柔らかな景色に身をおいて、ぼんやりするのもいい。探そうとすると意外と景色は見えてくるものだ。

いい景色は写真欲を刺激する。ファインダーを覗いてシャッターを切りたくなる。しかし上手く撮れたことはない。肉眼がとらえる景色は良い印象の部分を強調するものだから尚更美しい。カメラはあるがままを写すから腕が正直に出てしまう。

良き景色を探して心の栄養とする。たっぷり眺めて心に刻むのがよろしかろう。わたしのカメラワークは局所に限定する。花なら花畑全体を撮ろうとしない。一部を全画面に収めて、輪郭の外に余韻を残す。雲も局所、建物も一部だけ、木々もそうだ。今夜の写真もまた、トレニアの花壇の一部なり。
エスカレータ回れ右してドッキリだ [2024年01月09日(Tue)]

fumihouse-2024-01-09T18_28_12-1-thumbnail2.jpgエスカレーターで1階へ向かった。交差して2階へ上るエスカレーターが見えたら気が変わった。再び2階を目指し、下りてすぐに踵を返して回れ右。上ろうと思ったらストックヤードにぶち当たりそうになった。当たり前じゃないか、上りは30度の対角線にあるわけで、すぐ横に入り口があるわけがない。そんな当たり前のことが頭から抜け落ちた正月明けの連休最終日であった。なんのことはない。ボケをかましただけのこと。

(ナンキンハゼの白色が骸骨のようでもあり、虚飾を剥ぎ取った謙虚な人のようでもある)
本を買う地元かネットか思案顔 [2024年01月08日(Mon)]

fumihouse-2024-01-08T20_21_54-1-thumbnail2.jpg本をネット注文しようとサイトを進めた。最後にポチッとしようとしたが配送料がかかる。もったいないという気持ちと、地元書店で買ってあげたいと思ったので、ポチを止めた。チャットGPTはどう考えるだろうかと聞いてみた。

【Q】ネット注文が増えると地元の本屋がつぶれる可能性がある。ネット注文には配送料がかかるけれど、地元の本屋で買うと配送料は不要。判断する分岐点があるだろうか。

【A】ネット注文と地元の本屋での購入の判断にはいくつかの要因が影響します。以下は、考慮すべきポイントの一部です。

1.支援地元経済
地元の本屋で購入することは、地元経済を支援する一環となります。地元の小売業者が繁栄すれば、地元の雇用も促進されます。

2.コミュニティのサポート
地元の本屋は通常、コミュニティの一部として機能しています。そこで購入することで、コミュニティの中での交流やイベントへの参加など、さまざまなサポートが期待できます。

3.配送料と価格
ネット注文には配送料がかかりますが、地元の本屋で購入するとその負担がない可能性があります。一方で、ネット注文の方が割引やセールがあることがあります。価格や送料を比較しましょう。

4.便利性と選択肢
ネット注文は便利で、幅広い商品を手に入れることができます。しかし、地元の本屋での購入は即座に手に入れられることがあります。また、地元の本屋での購入では、実際に手にとって選ぶ楽しみもあります。

5.環境への影響
ネット注文の場合、商品が配送されるまでのプロセスにはエネルギーや資源がかかります。地元で買うことで、物流に伴う環境への影響を軽減できるかもしれません。

これらの要因を考慮し、個人的な価値観や優先事項に基づいて判断することが重要です。例えば、地元経済やコミュニティサポートが優先事項であれば、地元の本屋で購入することが良い選択かもしれません。逆に、特定の本が手に入りにくい場合や価格が大きな違いがある場合は、ネット注文も検討する価値があります。

以上、期待した以上の回答をくれた。4の便利性という点では、店頭には多分ないので注文してもらうとすると1週間以上かかるし、注文と受取の二度手間となる。ネットが断然便利ではあるが、経済への波及と環境を考えて地元で買うことにした。

(シャインマスカットも地元産品を買いたいものだ)
汚れとりスッキリ眠る風呂の後 [2024年01月07日(Sun)]

fumihouse-2024-01-07T21_48_06-1-thumbnail2.jpg歯を磨く。一日の汚れを取り去る。3食後に必ず歯を磨くことはしないので、夜にまとめて磨く。大抵は風呂で20分くらいかけてゆっくりと磨く。歯のヌメリやザラザラが取れていくのは気持ちいい。

近頃の常識では、食後は口中が酸性になり、エナメル質が溶けやすい状態となる。そこで歯を磨くと、象牙質が削れやすくなるというから、最低30分は置いたほうがよいらしい。何回も磨いたとしてもブラシが当たっていないと虫歯にはなるようだから、時間をかけて丁寧に軽くブラッシングするのが正しい。

おかげで半年に一度の歯石チェックでお世話になる以外は、歯の治療に通うことはない。歯を大切にしよう。

(我が家の七草粥は、スズナ(蕪)、ススジロ(大根)のニ草粥。美味しく食べた)
儚くも気宇壮大に星眺む [2024年01月06日(Sat)]

fumihouse-2024-01-06T21_55_37-1-thumbnail2.jpg見上げると満天の星。ウォーキングしてキョロキョロしながら、時折立ち止まって星を眺めた。見惚れるまでの冬の星空。なかでも冬の大三角形が素晴らしい。オリオン座左肩の赤色巨星ベテルギウスを頂点にして、右には青白く全天一明るい大犬座シリウス、左には白面の貴公子子犬座のプロキオン。巨大な正三角形である。恒星はいつも変わらない。雨でも雪でも曇っても、昼間であっても変わらず輝き続ける。何十年何百年の彼方から変わらぬ輝きを届けてくれる(過去の光ではあるが)。何万年か経過すれば各恒星や太陽の固有運動や銀河系宇宙の自転運動により星座は崩れていくとしても、人間の一生ては変化を及ぼさない、不変である。星を眺めるのは気持ちいい。

(白い牡丹は萎んで枯れていく。その儚さもまたよろしい)
幸不幸あざなえるもの地に続き [2024年01月05日(Fri)]

fumihouse-2024-01-05T18_33_38-1-thumbnail2.jpgアン王女とジョーが交わした行きずりの恋。そのフィクションが『ローマの休日』。それを通して、脚本家の大森美香氏は幸不幸をこう表現した。

≪「人生は決して悪いものではない」ということをこの映画は教えてくれた。刻々と変化していくアン王女の表情を観ていればそれがわかる。
 幸せと不幸は決して真逆にあるものではなく、このうえなく幸福な瞬間は、切なくてたまらない瞬間と地続きであり、その記憶があれば一生生きていけるほどの宝物となることもある≫(『14歳からの映画ガイド』)

その記憶で一生、なるほどそうかもしれない。でも、欲深なひとには難しいかもしれない。愉快で痛快で、意味深で、深く眠れて、馬鹿騒ぎして、法規を逸脱して、疑いしも信頼を寄せて・・・あんな十数時間を再び過ごせるならば、どんな代償を払っても構わぬと思うひとだっているかもしれない。

いずれにせよ、幸せは堪らない不幸せと地続きにある。信じて進もう。わたしはもちろんだが、今苦闘中の皆さんもまたしかり。幸に転ずることを祈ります。

(二人の恋は、クリムトが描くような愛欲ではなかった)
仕事する時間とともにカウントダウン [2024年01月04日(Thu)]

fumihouse-2024-01-04T17_26_16-1-thumbnail2.jpg2024年の出勤。改まった気持ちで迎えた仕事始めの朝でした(あれよという間に新鮮味はなくなったけれど)。

改めて時の流れというやつを感じます。ケジメと言っていいかもしれません。毎晩午前零時はくるのですが、新年の午前零時に私たちは厳粛なケジメを感じます。時間は常に淡々と滑らかに過ぎていくものですが、新年は格別です。人間が暦上設けた単なる区切りでしかないにもかかわらず、特別な意味をもっています。それが人間が人間たる由縁と言えるのです。

平凡な日々の時間経過は変哲もない「時」で、記念すべきケジメある「時」に差別があるわけはないのですが、時ってやつは実に不思議なもんですね。時間を大切にしようと思います。
禍福あり転じていくのは人次第 [2024年01月03日(Wed)]

fumihouse-2024-01-03T22_46_29-1-thumbnail2.jpg元日、二日と続けて夕刻が魔の時間帯となりました。今日も夕刻にかけて大火事が起こっています。北九州・小倉で飲食店街に火がつき延焼しています。飲食店が密集する鳥町食道街というところで大火災です。今も火は消えていないとのこと。日本に不吉な暗雲が垂れ込めているような気がしますが、吉凶を占うようなマネはしたくありません。

不幸は幾度も繰り返さない・・禍なるものは福を交えてあざなえる・・悪しことは悪しきままで終わらない・・何事も幸や福、良しことに転じていくことは間違いありません。小さな身の回りでも広大な世界にあっても、その原理は変わりません。不運を幸運に転じていく力は、ひとの意志と行動にかかっています。災禍に遭われた人びとに笑顔が戻って来ますように。

(柔らかな服と敷物にくるまって安らかな眠りにつかせてあげたい)
燃え盛るエアバスが泣く羽田かな [2024年01月02日(Tue)]

fumihouse-2024-01-02T21_24_47-1-thumbnail2.jpg元日の能登半島地震では多くの方々の死去が確認されています。怪我された方は数多、被災された方は数え切れない。心に受けられた傷はどんなに深いことか、痛み入ります。お悔やみ申し上げます。どうか凌いでください。

そのニュースが刻々と重ねられる最中、18時前に日本航空の機体炎上の報道。海上保安庁の固定翼機が、400人近くの乗客乗員を乗せて着陸直後のエアバス350型機と激突したというではないですか。今回の地震で新潟空港基地に物資を輸送する途中だったそうです。日本航空機は全員脱出したものの、海保機は5人の死亡となりました。痛ましい大事故です。そもそも管制官は何を指示したのでしょうか。これは大事件となるでしょう。

一刻も早い事件の解明を望みます。そして閉鎖された羽田空港が一日も早く元に戻り、正月休みを終える人々を迎えられるよう願っています。

(獅子舞飾りのように、のほほんと幸せでありますように)
我が友よ凌いで生きよ被災地に [2024年01月01日(Mon)]

fumihouse-2024-01-01T18_43_37-1-thumbnail2.jpg元日の泰平を覚ます地震と津波。加賀と能登に大きな地震、さらに各地の津波。元旦の午後4時過ぎからNHKの女性アナウンサーは連呼した。冷静ではあったが、必死で危険に直面する人々を逃そうと必死に声かけした。画面には、 津波!避難! つなみ!にげて! EVACUATE ! と大きく注意を促す。

津波警報、やがて石川県には大津波警報が発令された。原発の情報も気になるところ。さらには例のストレスフルな不況音(半音の2音を繰り返す)で緊急地震速報が何度も流れる。

すぐに逃げてください/家に留まらないでください/少しでも高い所に逃げてください/テレビを見ていないですぐ逃げてください/テレビを消して逃げて、いや消さなくていいです、直ちに逃げてください/決して油断せず、今すぐ逃げてください/家には戻らないでください、決して引き返さないでください、東日本大震災では引き返した結果命を落とした人もいます/可能な限り高い所に逃げてください、今いる所は安全でしょうか/逃げている人は止まらないでください/早く移動してください/諦めないで逃げてください/まだ逃げていないという人、あなたに危険が迫っています////

諦めないでと言うが、最も怖いのは、どうせ大したことはないとナメること。正常化の偏見である。解説委員もさらに追い立てて情報を出す。理論的に避難を促す。

報道者のその熱い思いに、しゃくりあげそうになった。民報も含め全ての番組が速報に切り替えられた。テレビ情報の初期には津波警報ばかりであったが、その当時現地の皆さんは大きな揺れと破壊、火災によって混乱の極みにあったことだろう。今もなおそれは続いている。無事であってくれと願っています。いや、祈ります。

(ブロッコリーに乗った幸せな水玉。淡い水は安らぎ、怒涛の水は恐怖)