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伝え合い以心伝心愛のひと [2023年05月31日(Wed)]

fumihouse-2023-05-31T18_26_55-1-thumbnail2.jpg【以心伝心】
心を以って心に伝ふ。心の内で思うことを、口や態度に表さなくても互いが理解しあうこと。

上辺だけの理解では以心伝心はし難い。相手が口に出さずも分かるためには、相手を強く思っていなくてはならない。互いの信頼と積み重ねてきた歴史が必要であろう。

禅僧が、師から弟子に真髄を伝えるところからこの言葉が登場したというから、あまり軽い使い方は変かもしれないが、仲のよい二人(恋人でも長年のコンビでも、夫婦であろうと)が以心伝心でコミュニケーションをとっていると言ってもよいと思う。阿吽の呼吸っていうやつだ。英語で直訳するとテレパシー。人間の胆力やら情念を超えて、超能力の世界に入っていく。少し違和感がある。

(ヒナゲシは麻薬になる? なったとしても手を出してはいけません。超能力でもなんでもない)
触れてみておどろおどろし春の闇 [2023年05月30日(Tue)]

fumihouse-2023-05-30T16_49_28-1-thumbnail2.jpg【気が触れる】
ふと気になった。何に対して「気」が「触れる」のか。正気を無くし、精神が異常な状態になることである。Weblio辞書には、心が動くとの解もあったが、普通は気が狂うことだ。

「触れる」で関係のありそうな語意は、「勘気に触れる」の使い方で、怒りなどの強いマイナス感情を身に受けることだが、この場合触れられるのは相手方ではなく、こちらである。こちらからもあちらからもアプローチして触り合うのが「気が触れる」のイメージだ。あちらとは何だ。

得体のしれない狂気がくっついて、常人には理解しがたい状態に当の人が陥っている。瞬間的にくっついて当人を変えてしまったのは何なのだろう。

長野・中野で4人を殺害した男は、何に触れたのか。刃渡りの長いナイフを持ち出し、猟銃を構えて人を殺す強い殺意。引きこもった状態が続いて、周りから独りぼっちと言われたことに過剰に反応したとか、殺した女性二人から悪口を言われたといった妄想。冷静に計画的に殺したとしか思えない気の触れよう。正気の沙汰ではない短気や怒気。鬼気なのか、妖気なのか。一体全体彼は何に気が触れたのだ。

(キンシバイは気が触れない。ただ愚直に見事な黄色を広げて人を喜ばす)
発疹が胴巻きと言われる前に対処して [2023年05月29日(Mon)]

fumihouse-2023-05-29T18_40_55-1-thumbnail2.jpg風邪が一段落したと思ったら帯状疱疹。金曜日にヘソの上に4個の発疹。やがて5センチほど右に1個現る。気にするほどのことではないと思っていたが、土曜日になると腹が時折チクチク痛むようになった。胃が傷んでいるのかと思っていたが、夜にかけてチクチクが増えてきた。湿疹を押すと鈍い痛みもある。

2年前に帯状疱疹の弱毒性ワクチンを打っていたし、偏らず体の真ん中に発疹ができていたので、まさか帯状疱疹ではあるまいと思ったが、日曜の朝には痛みが増し、湿疹も治らないので出雲市休日診療所に向かった。明日月曜日に皮膚科で正式な診断を受けるまで当座1日分の抗ヘルペスウイルス薬を処方された。その後は外出せず、体を休めた。過労やストレスが引き金になるわけで、休息が何よりも大切だ。

きょうは仕事を休んで皮膚科クリニックに向かった。医師は見るなり、帯状疱疹ですと断定した。抗ウイルス薬で後発品のバラシクロビル錠(昨日は先発薬のバルトレックス錠)と痛み止めのカロナール錠を処方してもらった。カロナールは昨日もらいはしたが、耐えられないほどの神経痛はないので使わなかったが、あとあと後遺症の痛みを長引かせないためには最初が肝心との指導があり、食後のものだけでなく、頓服としてのカロナールもしっかり飲んでいる。お陰で痛みはだいぶん薄くなった。

何十年も前にも早く見つかって事なきを得たことがあったが、胴巻き状になる前に早めに治療するに限る。何よりも過労は万病の元。疲れをためないようにしよう。

(爽やかなピンク色のニゲラは、きょう梅雨入りした雨に濡れていることだろう)
旅に出て道を連れたし世は情け [2023年05月28日(Sun)]

fumihouse-2023-05-28T18_01_59-1-thumbnail2.jpg【旅と旅行】
2つは同類ではあるが、異なる。

旅行は、家を離れて他の土地へ移動すること。目的地を定め、予定を立ててルートも日程も大筋を決めておくイメージだろうか。長短はあっても本拠地に戻っていく。

旅は、よその土地を訪ねるのは同じでも、目的地も日程も融通無礙で明快でない印象がある。ある面気ままに滞在し、気の向くままに経過を楽しむのだろうか。もちろん旅行の概念は旅に含まれている。日常の小さな移動において心が動くことも旅のひとつだと、わたしは思っている。

旅は、心の滋養にならなければならない。帰りにはくたくたでも、またわくわくして出かけるのが旅である。日常とは異なる自身と出会うために旅をする。知らなかった食べ物に舌鼓を打ち、新たな出会いを結び、心に染みる景色に感動する。活力が高まり、価値観にいい影響を及ぼす旅をしたいものだ。

(昼咲き月見草も、パラボラアンテナのような花で旅の気分を受信する)
環境はときには歩くと見えるもの [2023年05月27日(Sat)]

fumihouse-2023-05-27T21_31_52-1-thumbnail2.jpg国道9号沿いを歩く。路肩には距離表示の看板が0.1キロごとに設置してある。目の前の表示は「352.6」。京都から350キロ余り。思えば遠くへ来たもんだ(いや違うぞ)。クルマを運転しながら100mごとの表示を眺めると、あれよという間に過ぎ去っていく。歩くと1分もかかる。大違いだ。

クルマというやつは膨大に時間を短縮してくれる。それと引き換えに膨大な資源を費消し、地球環境に負荷をかける。今さら引き返すことはできないが、たまに歩くことで人類が自足を使って歩いてきた原点に帰ることはできる。

(路端に咲くギシギシが怪獣のように見えた)
君はもう季節に出会い次の人 [2023年05月26日(Fri)]

fumihouse-2023-05-26T19_19_13-1-thumbnail2.jpg春の季節に出会うとは、人と出会うこと。新しいクラスメイトに出会い、仕事とも出会う。新しい環境に出会っていく。自然環境にも出会う。毎年恒例といえども、桜や新緑に出会うと心はときめく。夕暮れ時にマジックアワーの光に出会えば、地球の神秘を一身に集めたような気がしてくる。目新しいショーウィンドウや街の装いも新たな出会い。冬の名残の寒風に出会い、真夏の前哨の灼熱も出会う。

わたしは春の季節にもう十分出会ったろうか。名残惜しい気もする。忙しさにかまけて出来なかったことがある。新体験を重ねられなかったこともある。会いたいと思う友人と、じゃあまたね!と別れてどれだけ経ったのか。まっいろいろあるが、春という季節は終わった。夏が控えている。目前に梅雨も迫っている。春の出会いはここまでだ。

(春の盛りに鈴蘭よ。君はどこへ行ったのだい?)
楽しんで悲しむときも歩くのだ [2023年05月25日(Thu)]

fumihouse-2023-05-25T20_33_39-1-thumbnail2.jpg歩くことは進むこと
ズンズン歩けるときがある
バネじかけの強力ロボットのように歩く
チョボチョボとしか歩けないときもある
ずっとそんなしか出来ないときも来る
歩くこと 前に進むだけが目的にはあらず
キョロキョロ眺めて周囲を楽しむ
思いにふけりながら瞑想して歩く
後悔に苛まれるときもある
期待と喜びに胸ふくらむときもある
喜怒哀楽に散りばめられた毎日を歩いていく
歩くことは生きること

(美女柳が花開く。艶やかな朱を帯びた黄が眩しい)
風が吹き死にものぐるい風変えよ [2023年05月24日(Wed)]

fumihouse-2023-05-24T20_51_46-1-thumbnail2.jpg【死にものぐるい】
なりふり構わず脇目も振らず、モノに狂ったように一所懸命に頑張っているさまが現れる。「必死」という言葉も同じ意味だったはずだが、人口に膾炙するうちに、死は避けられず危機が背中まで押し迫っているほどの切迫感、死ぬ覚悟で全力を尽くすような感じがしない。「死にものぐるい」が的を射ている。

死にものぐるいとなるべき時は、エネルギーがたくさんいる。そんな時は楽をしよう。必ずこれをやる、いつものルーティンをこなさして何々しなければならない‥‥‥など人を縛るものはたくさんあるが、そんなときは精神的にもキツイとき。せめて身体は楽をして、止めてしまうのも手だ。

明日は明日の風が吹く。今日の風はそれなりに吹いている。あしたも晴れる。風は少しヒンヤリするかもしれないが、自分らしく奮闘しよう。そのためには良き眠りを。おやすみなさいと言いたいところだが、まだ帰宅途上。

(天を貫きそうな気配で赤色を振りまくブラシノキの花)
アマガイは貝ではなくて粥なんだ [2023年05月23日(Tue)]

fumihouse-2023-05-23T18_26_07-1-thumbnail2.jpg【甘粥】
出雲弁では訛ってアマガイと呼ぶ。ドブロク状に白く濁った甘酒で、米麹がたくさん入っている。水分の多いお粥並に固形物がある酒だ。父や母は作っては、好んですすっている。美味しい菓子のない昔の名残であろう。アルコールはほぼない。

米麹のデンプンを酵素アミラーゼで多糖類に分解させるので甘くなる。麹菌を使うから酒と同類となり「酒」とも称するのだろうが、似ても似つかぬ。栄養価は高く、甘粥は飲む点滴とも呼ばれるらしい。わたしは好きではないが、お一ついかがかな?

(甘粥は、リュウキュウバイを思わす色をしている)
来た客をもてなすつもりぞんざいに [2023年05月22日(Mon)]

fumihouse-2023-05-22T23_10_58-1-thumbnail2.jpg【来客者】という表示を公的機関の駐車場入り口に見かけた。なんかヘンだ。客として来た者に対して、迎える側が来客者と言うとなんかヘン。ご来客者と丁寧にしたとしてもヘン。無礼な感じを受ける。なんでだろう。

客観性が強すぎるのだ(「客」だけに)。訪問客、あるいは主人に対する客。ゲストとして大切にされる存在である(付属的で中核からは外れるが)。その「客」に「者」を加えると、バランスが悪い。者は物であり、事、所である。中心でないばかりか、そこらへんの適当な一点。定点ではない、ぞんざいな存在になる。

結局、来客か来場者が望ましい。もしくは、お客さまと表現したほうが馴染む。で、何か意味があるかって? 別に何も。ただ書いただけ。

(白い紫蘭の捨身に意味があるかって? 別に何も。ただ載せただけ)
くるくると厚い障子が枠弾く [2023年05月21日(Sun)]

fumihouse-2023-05-21T22_04_42-1-thumbnail2.jpg障子紙を貼った。和紙の風合いで普通の障子紙より4倍破れにくいという触れ込みである。素材はパルプのほかにポリエステルが60%も含まれている。厚手だから糊をたっぷり付けなければならない。巻き戻る力が強くて糊を撥ねる。重しでは不十分でテープで止めておかなければならないほどだ。余り部分をカッターで切ろうとするが、これがなかなか。長くもってくれるということで、よしとしよう。苦労して何枚か貼り終えた。少々疲れたが、風邪の病み上がりにちょうどよいとしておこう。明日は月曜日。
油絵に自画像バイク弥山裾 [2023年05月20日(Sat)]

fumihouse-2023-05-20T13_59_49-1-thumbnail2.jpg出雲文化伝承館できょう開幕した『春日裕次展』を鑑賞。氏はわたしの高校同級生。奥様も美術教師で娘の担任だったという縁もあり、オープニングセレモニーに参加し、初発のギャラリートークも楽しんだ。画風はバイクと自画像、とばかり思っていたが、女性や子ども、静物、マジシャン、風景などあり、意外と多彩である。

初期の「ネイキッド」が気になった。その名のとおり、むき出しの自画像の背景にバイク。表情は無機的で内面を抑えているようには見えるが、若いエネルギーに満ちている。点描や細い線の塗り込みでブルーを基調にした全体感が爽やかだ。1991年に東光展奨励賞を受けている。

2016年日展で特選を受けた「胎動」も印象深い。バイクの心臓部を背景に、上半身裸の若者が屹立している。自画像かと思っていたが、若い同僚教師であると氏のトーク。終了後、似てるね?と尋ねたら、人物画は結局何度も自分の姿を鏡で見直すから似てくるんだよと彼は言った。なるほど、やっぱり自画像だ。

人物像を描くのは苦しい。一方でバイクのエンジンを描くのは楽しいと氏は言った。静物というのは無生物もしくは死んだ体でありながらも、エネルギーがある。年月を超えて分解されて原子、素粒子にまで遡り、再び何かを形づくる根源となる。この世の存在すべてが、生成し安定し空に帰し、再びそれを繰り返す。そうした宇宙の成住壊空を感じさせる物のエネルギーを氏は表現したいのだと思った。特に好きな対象物については、掘り下げて眺めキャンバスに塗り込んでいくことがいくらでもできるのだろう。

人物画というのは、それがたとえ自己の肖像であっても、眺める自分と見つめられるモデル、そして超空間から凝視する別者の目も加えた人物の姿。そこに、時間経過で光が変わったり、当人たちに変化が生じて千変万化する。それらが絡み合って筆に迷いが生じる、そんなことが茶飯事なのではないかと想像した。

鑑賞後、アンケートにわたしはこう書いた。「初々しい頃から今に至るまで、志を変えず貫いてこられた氏の意志を感じます。厚く暑すぎずしなやかな意志です」と。書きなぐったので、「熱すぎず」を誤ったのはご愛嬌。

自己の表現を求め、試行錯誤を繰り返し、高校教師としての職責も勤め上げた。今も新しい扉を開こうと、ときに戸惑いつつも希望を抱き続ける……すなわち、青春の煌めきを存分に残している。氏にとってこの個展が新しい扉となって次なる光彩が見えてくる。『春日裕次展』の盛会を祈っている。

(出雲文化伝承館の瓦葺き屋根と欅の向こうには、出雲大社をいただく弥山(みせん)が見える。零れ落ちそうだった雨だが持ちこたえて、氏を祝した)
希望もち希少な未来希う [2023年05月19日(Fri)]

fumihouse-2023-05-19T20_22_09-1-thumbnail2.jpg【希う(こいねがう)】
希望、希少、希薄の「き」以外に「まれ」と読むとは知っていたが、「こいねが」うの読みは知らなかった。市川猿之助がインスタグラムで使っていた(5月8日付け)。

≪2023.5.7夜の部にて、宙乗り1400回を迎えました。安全に飛行するために、多くのスタッフさん、お弟子さんの、なかなか見えない支えがあります。そして、それを見守ってくれるファンの皆さん。ありがとうございます。観に来てくださったお客様に幸せが訪れますようにとの希いをこめて、これからも翔び続けますので、よろしくお願いします!≫

「希いをこめて、これからも翔び続けます」と述べた。両親を殺し(あるいはともに死を志すか、幇助し後を追ったか)、スタッフへの性的加害報道(あるいは根も葉もないでっち上げか)に打ちのめされた故の一家心中なのか。

存在感としては梨園の逸材であることに違いない。このまま消えてしまうのは惜しい。生きて生き抜いてやり直してくれることを希う。

(生き抜いて乗り越えていけば、月桂冠の栄冠に輝くであろう)
マスク取り因果関係不明だか [2023年05月18日(Thu)]

fumihouse-2023-05-18T20_25_48-1-thumbnail2.jpg付和雷同社会に抗してマスクを外す。「ふつう」を強制する社会、同調圧力に負けまい、などとうそぶいていたが、風邪をひいてしまった。喉のいがらっぽい状態から咳と鼻水がひどくなり、熱も出た。抗原検査(定性の簡易なもの)は幸いに陰性。クリニックで風邪薬を処方してもらって数日おとなしくしている。

睡眠負債が溜まっているのかもしれないが、マスクを付けていれば風邪のウイルスをもらわなくても済んだかもしれないと、一抹の不安は残る。やっぱり健康に自信のない人、リスクの高い人はコロナが怖いだろうと、今となっては感じる。

今日は午後から雨。明日も雨予報。気温は下がる見込み。マスクをしていても、不快ではないかもしれない。

(麦秋の季節。もうじき収穫作業が始まる。季節は初夏へ移りゆく)
少年の性加害捨てさあジャーネー [2023年05月17日(Wed)]

fumihouse-2023-05-17T20_28_51-1-thumbnail2.jpgジャニー喜多川による所属少年たちへの性加害問題。この性暴力は以前にも週刊誌を中心に報道されていたらしい。しかしテレビや報道大手は矮小化した。タレントを引き上げると脅されたのだろうか。ウヤムヤにされてジャニーズ事務所の天下は続いた。

喜多川氏はLGBTで言えばゲイになるが、問題となっている性的少数者への理解増進法案とは次元が異なる。双方の合意があって始めて性的少数者がいるのであり、権力を笠に着た未成年者淫行とは区別しなくてはならない。

男色(なんしょく)というのは昔からあった。武家や寺、歌舞伎の世界などで衆道(しゅどう)として発展した歴史もあるにはあるが、スターにしてやるから言うことをきけ、というのは暴力そのものである。

居並ぶ美少年たちを舌なめずりして自宅や高級ホテルに招いていたとはヘドが出そうだ。墓場にいる本人は合意の上だ、そんなつもりはなかった、と抗弁するかもしれないが、上司によるセクハラを遥かに超越した人権侵害が、あの世界にあったことを皆が知るところとなった。

(スイセンアヤメもそれなりに色っぽい花で好きだが、男色は受け入れられない)
哀愁の城壁の音アランブラ [2023年05月16日(Tue)]

fumihouse-2023-05-16T21_57_24-1-thumbnail2.jpg『アルハンブラの想い出』は永遠の名曲(アランブラとも表記)。しかも最上級(わたしが思うに)。フランシスコ・タレガが130年ほど前に作曲し、多くのギタリストに弾かれた。ユーチューブやコンサートでも耳にする機会が圧倒的に多い。わたしだって弾く。何度聴いても弾いても飽きないところが魅力だ。

♪ミーレドーレミー♪ 冒頭はイ短調、後段はイ長調。繰り返してコーダから終局へ。バス音と中声部和音は親指が担当し、薬指、中指、人差し指で一つの弦を繰り返し弾くトレモロ奏法でメロディとする。

アラビア語で「赤い城塞」という意味のアルハンブラ。イベリア半島を支配していたイスラム文明に対し、ヨーロッパがルネサンスを経て反転攻勢にかかる。イスラムが追い落とされた最後の牙城がアルハンブラ要塞。イスラム教徒にとっては望郷の象徴であったであろう。

トレモロは調子の波が大きい。練習を怠るとトレモロは弾けなくなる。ならば今夜もこのメロディを弾こう。

(シラーの花がトレモロと関係ある? ないけど、聞こえない音律が響いてきそう)
あかくらと逢魔ヶ時よ夏近し [2023年05月15日(Mon)]

fumihouse-2023-05-15T11_19_50-1-thumbnail2.jpg黄昏時は出雲弁で、あかくら(明暗)という。暗くなりかけた頃、まだ明るさは十分残っている。運転手の注意が及ばず歩行者を見逃しやすい。気をつけるべき時間帯。あかくらだけん、運転気ぃつけらっしゃい!と注意を促す。

昼と夜が移り変わる時間は、逢魔ヶ時(おうまがとき)ともいう。夕暮れ時は寂しいものだ。魔物に遭遇したり、災禍を蒙るとも信じられる魔の時間帯。雲間に千変万化する光彩が入れ代わり、豊かではあるが、不思議な気分にさせられる時刻である。

今朝は濃霧。雨が降っているかもと思わせる薄暗い朝だった。転じて風も穏やかないい天気。雲は夏を感じる姿となった。

(あかくらの時間に、ノアザミはどんな姿を見せているだろうか)
満水の春から夏へきらめく田 [2023年05月14日(Sun)]

fumihouse-2023-05-14T22_00_22-1-thumbnail2.jpg田の景観が美しい季節である。代かきが終わって満面が水となり、田植えを待つ。無風ならば水面は鏡となってものを映す。朝焼けが空を染め田の水を燃やす。上る太陽の光を受けて田はぐんと明るくなる。昼は深い緑を映す。空の青さが乗り移り田はきらめく。日没後のマジックアワー。薄明の頃、蒼い空、ソフトな空気を映し出し、暖かい金色が辺りを染めていく。夜になれば街灯、家の灯り、星月を映し、空間が広がる。気宇壮大になって意欲に溢れていくではないか。

(ハナビシソウというらしい。鮮やかな色っぽいオレンジ色。実にいい)
不思議なりマスク社会に同調し [2023年05月13日(Sat)]

fumihouse-2023-05-13T11_07_52-1-thumbnail2.jpg猫も杓子もマスクを掛ける状態は、灼熱の季節がきても変わらないと思う。感覚的には公共の場で今9割以上が掛けているが、夏になっても半分以上の人は掛け続けるであろう。感染しないためというよりは、習俗と化している。

新コロナは感染症法5類へ移行しても、みなさんご一緒に!という日本人の性癖があるなかでは、強制的に着用を禁じでもしない限りマスクは残る。3年前は感染防止という恐怖を伴った絶対命題があり、マスク警察という言葉があったほどに自然の流れで皆が掛けた。が、外すことを強制はできない。通常では感染の可能性は低いと言っても流れは変わらない。

8年ほど前に、風邪でもないのにマスクを常時掛ける高校生にアンケートした記事があった。感染症防止、花粉や粉塵を防ぐことのほかに、自信のない口や鼻を隠したいとか、存在を消したいという回答まであって驚いた。この気分は今世間に蔓延しているのかもしれない。

付和雷同社会、イジメ社会、「ふつう」を強制する社会・・・そうした強烈な空気によって、多くの人が対人関係の恐怖を抱く。社会的交流を恐れる。結果、少年期から老年に至るまで150万人と推定される引きこもりとなって現れている。

堂々と自分の口元を見せてコミュニケーションしようじゃないか。危なそうな場面とか高齢者施設、病院ではマスクをポケットから取り出して掛けるにしても、3年間染みついた習慣を脱しようじゃないか。

(温州みかんの花が一気に咲いて甘い香りを漂わせる。マスクを掛けていたら存分に吸えないよ)
幸あれと南の小国地図の中 [2023年05月12日(Fri)]

fumihouse-2023-05-12T08_10_50-1-thumbnail2.jpg【ガイアナ と スリナム】
アフリカにある国だと思っていた。何の根拠があるわけではないが、そんな響きを感じていたのだろう。我が家のトイレに貼った中央ジオマチックス社の世界地図を何気なしに眺めていると、ガイアナがあった。その隣にはスリナム。南アメリカ大陸の最北端に位置するベネズエラの東側に並んでいる。

ガイアナは鬱蒼とした熱帯雨林が特徴で、英語圏。英国の植民地であったという。人口は80万人。スリナムも小さな国で人口52万人。オランダの元植民地でオランダ語が公用語だそうだ。

わたしが生涯で行くことはあるまい。そこに暮らす人々が百万人を超えていても、誰かと接することもあるまい。それでも彼の地の人々に幸あれと願う。

(熱帯雨林が繁る両国では欅の街路樹があるだろうか。熱帯でも生えるらしいからあるにはあっても、熱帯の国らしくない)
爪弾いてアタマに刺激進化して [2023年05月11日(Thu)]

fumihouse-2023-05-11T09_12_25-1-thumbnail2.jpg弁護士の菊地幸夫氏がこう述べている(「音楽する」は脳に効く 弾く・聴く・歌うで一生アタマは進化する/共著)。

≪ギターはお腹に抱えて弾く楽器ですが、その抱えるポジションが良いのではないでしょうか。ギターを弾いているときに、その振動が身体に伝わってくるからです。その反響や音波、振動は、脳に心地よい影響を与えていると思います≫

抱えてしばらくは弦が硬い印象がある。爪弾くにつれ馴染んでくる。楽器の胴体が温まるとその振動が心地よくなる。脳にもきっといいんだな。

≪「木」でできている、という点もとても重要です。弦楽器全般にいえることですが、「木」というのは、見た目も美しく、触っていても心地よいものです。演奏技術とは関係なく、ギターを抱えているだけでも、とても「幸福感」を感じます。人間にとって、「木」はとても親和性があるものなのだと思います≫

わたしのギターの木目が好きだ。今もなお生きる木の模様が目に優しい。左足を足台に乗せて右と左の太腿にギターのくびれを当てていく。ロダンの考える人になったかのようで、弾き語る詩人になる。

≪ギターには「手をかける楽しさ」もあります。木製で精緻な作りの楽器には「手入れ」が必要です。手をかけないと錆びるし、汚れもします。面倒な部分もある半面、手をかければいつまでも美しい。そして、手をかけることで、だんだんと「自分の楽器になっていく。これが楽しいのです≫

練習が一段落してケースに仕舞う際に、マイクロファイバー布地で丁寧に拭いてやる。脂分の指紋や汚れが取れて、塗装の光沢が心地よく目に映る。何かにぶつけたキズを見ると心が痛む。音色には影響ないと割り切ってやれば、我がギターライフの記念碑として磨き込まれていく。喜怒哀楽を込めて、きょうもギターを弾こうかね。

(ウマノアシガタも心地よく咲いている)
おつかれの夕刻の空あかね色 [2023年05月10日(Wed)]

fumihouse-2023-05-10T19_28_55-1-thumbnail2.jpgお疲れさまの夕刻
残業終わりの帰宅途中
あれこれやった
パソコンで資料をつくり
ズームで会議をし
面と向かって協議も行った
やることは多い
際限がない
そしてあしたが来る
明日は明日の風が吹く
今は頭を空っぽにして
仕事のことをしばし忘れよう
少しだけどギターを弾こう
少しだけど家人と話をしよう
気分転換していく
あしたの活力を得るために

(満開のベニウツギもまた、今夜の眠りに就くだろう)
春盛り緩む混雑どこへ行く [2023年05月09日(Tue)]

fumihouse-2023-05-09T18_04_03-1-thumbnail2.jpg大型連休が終わると山陰線の通勤列車は、わずかだが混雑が緩み席が空く。と言っても3人掛け席に二人座っているところをこじ開けて座っていたものを、4人掛けのボックス席に四人目として座れるようになる、程度のことではあるが、乗客が減るのは毎年のことだ(わたしが乗るのは後尾車両)。

なぜだろう。頭の体操に30案考えてみる(荒唐無稽だが)。

新入社員がクルマ通勤切り替え/自転車通勤に切り替え/早くも転職/マラソン通勤に切り替え/金持ちがヘリコプターで通う/今更テレワーク開始/生徒が親の通勤に便乗/生徒の親が送り迎え/新入社員を親が送り迎え/新入社員が誰かに便乗/五月病で通学しない/五月病で通勤しない/家族の事情で通学できない/家族の事情で通勤できない/生徒が病気で入院/社員が病気で入院/事故で生徒が入院/事故で社員が入院/生徒がご愁傷さま/社員がご愁傷さま/ヤングケアラーとなった/後部座席から前の車両に移る/新年度早々に転勤になった/逮捕されて勾留中/出社を制限された/引っ越した/会社が倒産/会社が買収された/生徒が寝坊して次の列車に乗るようになった/社員が寝坊して時間年休を使うようになった/朝の太陽が眩しすぎる/そもそも私の錯覚だった

これで32。もうこれまで、時間切れ!

(ミヤコワスレが忘れなさんな、と言っている)
新社会コロナ映って世もそぞろ [2023年05月08日(Mon)]

fumihouse-2023-05-08T18_14_40-1-thumbnail2.jpgきょうから新コロナは感染症法5類へ移行。変哲もない病気の一つとなったはずだが、街の風景は変わらない。列車やバスに乗れば、喋る者は誰もいないのにマスクを95%は付けている。歩行者も9割は付けたまま。わが職場では通園する子どもと表情を分かち合い、コミュニケーションを円滑にするため、原則マスク無しを方針としていることもあって、ほぼ全員が装着していない。

しかし、世間ではマスク大原則が動く様子がない。ファッションとしてマスクを付ける人もいるだろうが一部に過ぎない。たいていは無粋な白マスク。オシャレでもなんでもない。3年間染みついた習慣としてマスクを付けている。習俗と化してしまったかのようだ。同調圧力もある。みなさんと同じようにご一緒して外されたくないという日本人の性向は強いと思う。

もちろん感染して体調を崩すのはイヤだ。回復してなお後遺症に悩まされたくはない。だが、周囲がドンチャン騒ぎをして収拾がつかないほどに乱れる場にいるわけではない。そんな場所ではマスクを付けていたい。咳やくしゃみが出そうになれば、ポケットに忍ばせたマスクを出すなり、腕で口を覆う。ずっと掛けたままなんて、不快この上ない。早く空気を自由に吸わせておくれ。と、マスクは付けずに列車にて書いている。

(イキシアというこの花。こいつは自由に咲いている)
穴開けてドリルかキリか考えて [2023年05月07日(Sun)]

fumihouse-2023-05-07T10_06_37-1-thumbnail2.jpgマーケティングでドリルの穴理論というのがある。アメリカの学者レビットの発想である。例えば、ホームセンターでドリルを求める人が欲しいのは、つまるところ「穴」。ドリルは手段でしかない。穴を提供するための手段をフレキシブルに考えよ、ということらしい。

6ミリのドリルはありますか?と聞いた客に店員が品切れですと応えれば、客は帰る。会話をしていけば客のニーズが分かったかもしれない。店員が買い手の視点で考えることができれば「穴」や板に注目できる。千枚通しやキリ、裁縫用の目打でよかったかもしれない。穴の空いた板を売ることもできる。

売り手の都合でなく、客の課題をいかに解決するかが重要な視点であるという。言われてみれば当たり前のことに思えるが、現場に立つとそうはいかない。つい、売り手の常識が幅を利かせてしまいがちだ。適切な会話ができれば、有効なヒアリングとなる。ホームセンターに限らない。顧客の本当に欲しいものを想像してみよう。

(客が欲しいのは、サルビアか、それとも気分を高揚させる赤色なのか)
匂いあり春から夏へのバトン受け [2023年05月06日(Sat)]

fumihouse-2023-05-06T21_50_33-1-thumbnail2.jpg春の匂いはキリッとした沈丁花に始まり、駆け足で過ぎていきます。ほのかに甘く香る梅園。桃も幾分香ります。満開の桜もまた、淡い春を香らせます。タケノコを収穫すると春の匂いが満載です。ラベンダーもまた爽やかな春の香りです。ツツジの丘に立つと独特の香りがあります。この十年、大型連休前に盛りが終わるようになりました。

先週末から小高い照葉樹が輝くようになりました。細かい髭のような花が咲くシイやカシなどです。萌え出ずる春の光色に濃厚な匂いを添えます。むせかえる臭いを放つと言ってもよい。男が秘めた絶頂とともに放つジェル状の液体と同じ臭いです。

今日は雨が降りました。温められたアスファルトが雨に濡れると春の匂いが立ち昇ります。薄暗い空に春の匂いはふさわしいとは言えますが、各地に大雨をもたらしそうです。震度6強の揺れで被害が大きい能登地方。彼の地の方々が無事でありますように。

(フレンチラベンダーも擦ってやるといい匂い)
並々の努力重ねてステージに [2023年05月05日(Fri)]

fumihouse-2023-05-05T22_22_03-1-thumbnail2.jpgステージに立つために、出演した皆さんは並々ならぬ努力を続けてこられた。だからこそ、審査員の皆が丁寧に審査を行い、今こうして発表することが出来る。と山陰ギターコンクールの審査結果を示すに当たり、門脇会長の冒頭の言葉。

当然のことではあるが、その事実を思うと背中がゾクッとした。ジュニア、シニア、シルバー、中級、上級、プロフェッショナルの各部門とも、どの登壇者にとっても並々ならぬ決意で当日を迎えた。人によって準備の度合い、演奏の精度、気持ちの持ちようはさまざまなれど、わずか数分から30分弱のために多くの時間を割いてきた。それを集積させれば莫大なものとなる。その当たり前のことに感動した。

中でも我が努力を奇貨とし、賞を取りたいと取らぬ狸の皮算用をしてきた自分の努力は奇貨でもなんでもなく、平均以下であったことを思い知らされる。

ギターが持つ能力を引き出し、よく鳴るようにしてやらなければならない。音楽を作るために楽譜を何度も繰り返し読んでいかねばならない。実際の舞台を想定した厳しい環境での練習でなくてはならない。メカニカルな腕を伸ばし、テクニカルな音楽性を深め、情念をそこに乗せられるようにしたい。次なる目標ができたギター三昧の二日間。

(安来市総合文化ホール・アルテピア近くに咲いていたヒナギク。可憐な姿を学ぶべし)
音奏でホールに響く右左 [2023年05月04日(Thu)]

fumihouse-2023-05-04T12_49_25-1-thumbnail2.jpgブログ『クラシックギターの世界』で筆者は5つのポイントを述べる(「右手のタッチを確認する練習は毎日した方が良い。」)。

・非常にゆっくり、感覚を確かめるように弦を弾く
・弦を指のどこで捉えたか、どこでリリースしたか意識する
・弦に圧力を加え、リリースした指の動きを確認する
・弦を弾く指だけを動かす(指の独立)
・音量を完璧にコントロールする(開放弦であっても、和音のバランスに注意する)

やってないなあ。ゆっくりと弦を弾くのは、基礎練始めにほんの数回のみ。指のどの位置で弦に触りリリースしたか。深く入って抜けなかったときに、深過ぎたなと反省する程度。リリースした指がどう動いているか。気にしたことすらない。人差し指と薬指を交互にバタバタ動かすことはあっても、ガサツだった。ピアノからフォルテまで音階をコントロールする練習はするが、単音をわずかに繰り返すのみで、和音は気にしたことすらなかった。

全般に、早く曲の練習をやりたいという欲があるので、基礎練はおろそかになりがちで、しかも右手のタッチを確認するなどといった、のんびり練習には意欲が湧かないものだ。筆者は次のメリットがあると言う。

・指が独立して動くようになる
・(手や腕でなく)指を付け根から動かす良い癖が付く
・音量、音色のコントロール能力が向上する
・ミスが減る
・疲れずに弾ける

山陰ギターコンクールの本番を前にして今更やりようはないが、まずは頭を空っぽにして私の思う音を奏でたい、その音が審査員や会場の人に届くように。右手のタッチ確認は今夜からの課題だ。

(なんじゃかんじゃと課題はあるが、ナンジャモンジャの花は今年も満開だ)
身の回り物が占領息を継ぐ [2023年05月03日(Wed)]

fumihouse-2023-05-03T23_20_45-1-thumbnail2.jpg私たちは物に囲まれて生きている。埋もれていると言ってもよい。なかでも服は溜まっていく。古いけど捨てられない。思い出の服であって思い入れが深い。まだまだ着られる。なんかもったいない・・・色々な理由で服は増えていく。服とともに、福に包まれて暮らせたら、よろしいのになあ。

(シランは服なんて着ない。だから、知らんと言っている)
忙中閑5つの日延べ緩やかに [2023年05月02日(Tue)]

fumihouse-2023-05-02T22_03_37-1-thumbnail2.jpg目がショボショボする。さっきまで目を閉じて横になったら眠っていた。1日よく働いたもんだ。静かな激闘と言ってもよい。ふーっお疲れさんだ。明日から5連休。あれこれと予定が詰まって忙しい。山陰ギターコンクールが大きな山場。忙中閑ありで、忙しい中にもゆとりを見つけて、それが心身を休めることになれば嬉しい。何と言ってもゴールデン。黄金週間だから。

さて、風呂にでも入ろっと。

(ナガメがいいなあ。ナガミヒナゲシの裏側から朝日の方向を臨む)
慇懃におためごかしの無礼かな [2023年05月01日(Mon)]

fumihouse-2023-05-01T15_36_53-1-thumbnail2.jpg丁寧だけどバカ丁寧が過ぎて、ちょっと癪に障る。こちらがバカにされているわけではないけど、心が通わない。そんな感じの慇懃無礼を、チャットGPTがどう説明するか、興味がわいた。

■「慇懃無礼」とは、言葉や態度には丁寧さがあるが、実際には相手に対する敬意や配慮が欠け、不適切で失礼な態度をとっていることを意味します。つまり、偽って丁寧な態度をとっているような感じです。

間違ってはいないが、隔靴掻痒である。weblio辞書をひいてみた。

□(大部分を省略)慇懃無礼は、悪意がないのに丁寧すぎてかえって相手には無作法に見えてしまう場合と、相手を見下しているくせに、その本心を隠して表面だけ丁寧なふりをする場合の2つの使い方に分けられる。

これだコレ。相手との間に存在する妙な距離感のニュアンスが説明されていて満足だ。一方で、GPTには半分しか説明がない。GPTもまだまだだな。いや、このくらい出来ていれば及第点かもね。

(花の王様、牡丹の存在感はピカ一だ。見事すぎて慇懃無礼)