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銅鐸を再発見して嬉しかろ [2022年10月31日(Mon)]

fumihouse-2022-10-31T11_10_29-1-thumbnail2.jpg島根・荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の青銅器発見から40年近く。先日、古代青銅器について話を聞く機会がありました。県立古代出雲歴史博物館(通称:歴博)の増田専門学芸員。氏は顕微鏡を使った最新独自の方法で、多くの青銅器を調べておられます。

加茂岩倉遺跡の秘話がありました。出土した銅鐸は39個。大きな銅鐸の中に小銅鐸が入れ子になっていたわけですが、数が合いません。大が20個、小が19個です。大きい方のすべてに、小が入っていた土砂の跡があったといいますから、発見当時にも小は20個あったはずです。

農道工事の現場から加茂町教育委員会(雲南市の合併前)に発見の報があったのが金曜日の夕方。担当者が現場に行ったのが月曜日。土日の二日間は銅鐸は現場にそのまま置いてありました。そのときに持ち去られた可能性が高いと増田氏はおっしゃいました。機会があるたびに氏はアピールしています。名乗り出なくていいから歴博の入口に「ごめんなさい」と置き手紙して、そっと銅鐸を置いてくれたらうれしい、と。一同大笑でしたが、消えた銅鐸が「発見」されるよう願っています。

青銅器の種類は増えて、大きく派手になって、銅剣や銅矛は実用から祭器へと変わっていきました。荒神谷青銅器は祭祀で使い込まれた跡はなく、製造から埋められるまでの期間は短かったようです。なぜ埋めたのか、大きな気象災害があったのか、鉄器が普及して青銅器の持つ力が衰えたのか、何か一大事が起こったのか・・・悠久のロマンに想像を巡らすのも楽しいことでしょう。

(古代にも茶の花は咲いたでしょうか。茶は室町期に大陸から伝わったようですから、咲いていなかったわけです。では、山茶花は?)
目的と目標掲げ日々の業 [2022年10月30日(Sun)]

fumihouse-2022-10-30T21_35_36-1-thumbnail2.jpg「目的」と「目標」とは違うのだが、日常では明快に分けずに混同しがちである。人生の目的、人生の目標・・どれも使える。仕事の目的、仕事の目標・・これもよし。

目的は、まと(的)。目標は、しるし(標)。射撃の的は最終的に目指す場所。弾はそこに行き着がなければならない。的を貫通させるために、腕の角度はどうか、手の位置はどうか、呼吸は? そうした途中経過に着目して、道しるべとなるのが、目標である。目的は最終決着点、目標は目的に達するための手段だと言える。

会社や役所においても、目的と目標のはき違えが起こる。良い商品やサービスを提供することによって顧客や市民を満足させ、社会に貢献することが目的であるはずなのに、売上の多寡やイベントごとの完遂を目的としてしまうことはよくある話。また、被雇用者がイキイキと働き、幸せを感じるというワーク・ライフ・バランスの充実も目的となるのだが、売上高や利益の絶対視がそれらを破壊することもある。あくまで物差しという目標であるはずなのにである。

自分にとって、自社にとって本来の目的は何なのか。そのためにどんな目標を設定すればいいのか。ときどき振り返ってみることは大切なことなのだ。

(かま首を持ち上げて私の指を襲ってきたカマキリの目的は何なのか。もちろん我が身を守ること)
食欲と読書にスポーツ芸術か [2022年10月29日(Sat)]

fumihouse-2022-10-29T20_32_17-1-thumbnail2.jpg読書週間が始まっている(11月9日まで)。今年の標語は「この一冊に、ありがとう」。 どんな本に出会えるだろうか。良書を読みたい。世の真実に触れたい。心を豊潤にする機微を感じたい。そんなときは心から、ありがとう。

(秋明菊(シュウメイギク)にも、秋の真実がある)
瓶のごとボトルネックの1日は [2022年10月28日(Fri)]

fumihouse-2022-10-28T18_18_46-1-thumbnail2.jpg【タレビン】って何だ? と思って検索してみた。醤油を入れた魚型や直方体の入れ物でフタが赤いのだった。蒲焼きのタレが入っていることもある。そもそも瓶というと、ガラス瓶(サントリー角瓶を思い出す)か、陶器の瓶、金属瓶しかイメージがないのだが、口が狭くて腹の膨れた容器全般を指すとは知らなかった。だから醤油入れも「ビン」なのだな。

瓶と言えば、ボトルネック。途中までは順調でも、首のすぼまった形によって流れがとどこおるのが、ボトルネックの弊害だ。まるで今日のわたしの仕事ぶりのような気がした。

(ボトルのような格好をした、益田・持石海岸の観音岩)
煮えたぎる後悔の念覆水盆 [2022年10月27日(Thu)]

fumihouse-2022-10-27T20_08_41-1-thumbnail2.jpg島根西部の益田でタクシー強盗が昨日あったと報道された。益田の中吉田町で国道191号の路上というから、昼間や夜ならば賑やかなところだが、まだ暗い早朝には人通りはなかったであろう。

客となった男が運転手の首を絞め、現金を奪って逃走した。警察は犯人が写った防犯カメラの画像を公開しており、黒いマスクをつけた、メガネ(だったかな?)の若い男。か弱い印象を受ける。

被害額は3万円。凶悪犯である。それでたったの3万円なり。犯罪に高低はないが、割の合わない犯罪だと思う。早朝だから売り上げがない状態だったのか。そもそもクレジットカードや電子マネーの利用が増えている。タクシー強盗に限らず、現金狙いの犯罪者には実入りが少ない。衝動をジッと堪えて、たとえ思いついたとしても思いとどまることが穏当だ。

さて、当の犯人。公開された自分の写真にさぞや後悔し、臍を噛んでいることであろう。早く自首して更生の道を歩んでくれるよう願っている。

(今朝の朝焼けのように、犯人の心は後悔に煮えたぎっているかもしれない)
追悼の演説光るかつての総理 [2022年10月26日(Wed)]

fumihouse-2022-10-26T18_42_08-1-thumbnail2.jpg野田元首相の追悼演説、素晴らしいものだったと思う。その内容からして、国葬としての告別の辞に匹敵する素晴らしいものだと思う。物議を醸した国葬(安倍さんには罪はなく、岸田首相の判断の是非の問題ではあるが)によるよりも遥かに、故人の人柄を彷彿とさせて偲ぶことができる。

首相のバトンを安倍さんに渡した当人として、≪先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」を我が身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠を捧げ≫ると。

一度目の退陣という挫折を乗り越えて、再チャレンジを成功させた力強さ。強さだけでなく、その優しさを褒め称えた。≪最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表し≫、人との距離を縮める天性の才があったことを褒めた。

また、平成天皇の生前退位に向けた環境整備についての語らいを振り返り、柔軟であり、かつ冷静沈着なリアリストとしての側面を思い出しながら、安倍さん、安倍さん、安倍さん、と何度も呼びかけを繰り返しながら、故人の政治人生を振り返り、安倍さんと議場で交わした勝負に思いを寄せた。

安倍さんの命を奪った暴力の狂気に打ち勝つためには、言葉の力のみ宿ると述べ、最後に議員諸氏に訴えた。完結にして強い決意がみなぎっている。

・政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかる。暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けよう。
・自由な言論を守り抜こう。
・真摯に建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへ育てよう。
・この誓いこそが凶弾に斃れた故人へ、私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。

以上の締めくくりをもってきた。アッパレな追悼演説であったと思う。議員諸氏よ、国会議員に限らず、国民のために働けや。
冷え込みと冬の仕草に愛し人 [2022年10月25日(Tue)]

fumihouse-2022-10-25T18_28_05-1-thumbnail2.jpg今季一番の冷え込みだったと報道が伝える。確かにそのとおり。「今季」ではなくて「この冬一番」と表現してやりたいくらいの冷えだ。コートを羽織った。ニットのベストを着た。もちろん帽子もかぶる。ちょうどいい。この冬は厳しいとも言われる。かなわんなあ。やり過ごすしかない。いや、仲良くするしかない。季節は無二の友なのだ。地球が織りなす気温と湿度、風景と動き。厳しい中にも美しきものはある。楽しきこともある。それを不二の経験としてこの身に納められたら幸いだ。この冬も苦しめられる人間も愛しきものよ。

(セイタカアワダチソウはピークを過ぎただろうか。無数の太陽形が花房を構成している)
天の声乾いて湿って冷たくて [2022年10月24日(Mon)]

fumihouse-2022-10-24T17_19_10-1-thumbnail2.jpg乾いてきた
肌がカサカサする
皮膚の紋に浅い割れ
紙をめくろうとして滑る
指紋に湿り気がない いらだつ
空はくりっとアッケラカンに青い
きのうの雲は自由に楽しんでいた
一転きょうは冷たい雨
明け方までは満天の星
午前中は良い天気が続いた
だのに昼前から降りしきる雨が空気を冷やす
指や手の関節が痛い
これは神経痛というやつか
肩も凝っている
天候が織りなす人間の身体
つきあいたくはないけれど人間のさだめ

(颯爽と咲くツワブキは、わたしと違って凛々しい姿)
鉛筆はくすぐる大人心あり [2022年10月23日(Sun)]

fumihouse-2022-10-23T17_29_07-1-thumbnail2.jpg東京・葛飾に北星鉛筆という鉛筆メーカーがある。コンビニの鉛筆を削った状態で納品したという、日本で初めてのメーカーだそうだ。鉛筆の新品は削ってない。ナイフか、鉛筆削り器で削って使うのが当然だという固定観念を覆した、見事な発想である。「時代に合った価値を自分でつくる。コンビニで鉛筆を買う客はすぐに使いたいはずだから、削っておく」という会長の言葉がある。

北星鉛筆には「大人の鉛筆」という製品がある。使ったことはないが、鉛筆同様の木を使ったシャープペンである。木軸にはシダー材を使い、太さは鉛筆より太く握りやすいという。金属部があるので、鉛筆より重いが、バランスが良いので疲れない。専用の高級国産芯は力を入れても折れる心配がなく、丸くなったら削るという大人心をくすぐる。書く楽しさを思い出すことのできる、鉛筆好きのための筆記具だそうだ。

大人の鉛筆をわたしは持っているかというと、持ってない。もっぱら4B鉛筆を使う。柔らかくて書き味が優しい。カッターナイフで削る手間も愛おしい。大きな番手で12Bも使う。大味なメモをする際に手に取ると、字が上手になったように錯覚するから好きだ。

(鉛筆とは関係ないが、温泉津登り窯で製造途中の兎の置物。来年は卯年)
楽しくも自由になりたし爪弾いて [2022年10月22日(Sat)]

fumihouse-2022-10-22T23_04_21-1-thumbnail2.jpg浜田市立石正美術館は日本画家・石本正の功績を観覧できる素敵な場所である。イスラム建築の宮殿のような回廊と塔、入口の枝垂れ桜の巨木、フレンドリーな学芸員たち。少し夏がぶり返した日差しの中で魅力的な環境を楽しんだ。

石本正というと、薄い瞳・切れ長の目、通った鼻筋、形の良い胸を惜しげもなくさらした裸婦のイメージが強烈である。にぎにぎしい舞妓の群像を描く作品も印象が深い。しかし、それは一部でしかないことがわかる。魚や花、木々、静物など丁寧なタッチで静謐さをたたえている。なおかつ水面下には情念が渦巻いているようにも見える。

画伯のモットーは「自由に、楽しく」だそうだ。こんなメッセージを残している。

≪絵を描く時はがんばったらいかん。がんばろうという気持ちがあると、余計な力が入って自由な発想の絵は出来なくなる。自分は、絵を描くのが楽しくてならない。楽しいから、人に言われたり、教わらなくてもいろんな工夫をして描いてきた。自分なりの発見や工夫が絵を描くことを楽しくする。肩の力を抜いて、モデルと向き合って、その個性や美しさを感じることが大切だ。≫

石正美術館ではギタ弾こ会の浜田交流会が開かれた。わたしの演奏は自由だったか? 楽しくできたか? というと自信はない。画伯の言葉のとおり「肩の力を抜いて」、その曲の「個性や美しさを感じることが大切」なのだ。得るところの多いひと時であった。

(浜田に向かう自動車道の沿線には、シロガネヨシの穂が風に揺れていた)
暮らしゆく体験経験積み上げて [2022年10月21日(Fri)]

fumihouse-2022-10-21T18_34_16-1-thumbnail2.jpg≪経験すると人はよく言うが、彼が出会うのはまず意味のない事実である。それを持続的に自分に同化し、自分の将来の態度を決めるための「教え」を引き出して初めて、それは経験となる≫とは、ドイツの哲学者ボルノーの言葉だそうだ。

「教えを引き出すと経験となる」とは納得がいく。日々の体験が様々に我が身に降りかかる。何がなんだか分からない混乱状況。こんなはずではなかったと困惑の極み・・・いろいろある。ルーティンの決まりきった体験であっても何かしらいつもとは異なっている。

千変万化する状況や感覚を私たちは全身で感じつつ日々を暮らすが、この身を通過していくだけの漫然とした体験で済ましてしまえば「経験」としての蓄積とはならないのだろう。教えとして頭に刻む。体験を知識として記録する。誰かに伝授して少しは喜んでもらう・・・

経験とは、分かった体験、自分の中で再構成した体験と言えるだろうか。毎日する様々なこと。面倒を乗り切り、ピンチをくぐり抜け、辛酸を舐め、感動を味わい、知見を広げ、成長の糧とする。そうした人生における体験を蓄積していくことが、経験となって人格形成のキャリアを高めていくのであろう。

(昨日は雲も一つない日本晴れ、今朝は一面のうろこ雲。これは私の経験となっただろうか)
フォントにもユニバーサルな風が吹く [2022年10月20日(Thu)]

fumihouse-2022-10-20T17_07_17-1-thumbnail2.jpgユニバーサルデザイン・フォントというのがあるのを知った。なるほど、フォントにもユニバーサルデザインなんだ、と感心した。パソコンにはあったかな?と思い、フォントのプルダウンメニューを開いて驚いた。あるある、たんまりある。「UD」と略号で記されていたから、気がつかなかっただけなのだ。

BIZ UDゴシック と BIZ UDP明朝のセットがある。字間隔をバランスよく配置したプロポーショナル「P」を配している。BIZ UDPゴシック と BIZ UDP明朝のセットもある。ほかにはUDデジタル教科書体というのもあった。

かつて初期設定でMS明朝をもっぱら使っていた頃が懐かしい。強調したい文字や表題、見出しはMSゴシック体にする。カッコいい数字を使いたい場合はcentury体にしたものだった。

近頃のパソコンのデフォルトは游明朝体。これがまた細い。印字しても見にくいばかりか、ディスプレイでも霞んでみえることがあるので、MS明朝に全体を変換して作業を進めるのを常としていた。ユニバーサルデザイン・フォントに替えてみる。画面上でも、印字しても確かに読みやすくて、目に優しい。時代は変わったものだ。

(センニチコウは紅色の深い面持ち。この楕円形と併せて誰にでも受け入れられるユニバーサルデザインか)
死を恐れ穢れ嫌って幾世紀 [2022年10月19日(Wed)]

fumihouse-2022-10-19T19_18_16-1-thumbnail2.jpg日本人の宗教的通念の一つ。死は穢れており、なかでも不遇に死んだ者をないがしろにすると祟りがある・・・怨霊思想は生きていると思った。

自治会に棺台小屋という使われなくなったボロ屋がある。築何十年も経った小さな木造だ。死者を仏教式に弔い墓に納める際に、お棺を墓へ多数で担ぐ。まだ土葬の時代である。重い棺桶を運ぶのは大変だったであろう。霊柩車はもちろんない。人が棺を担ぐための荷台が棺台であった。葬送に使った紙飾りや看板の木片が朽ちた状態で転がっている。先日の台風で扉が壊れたので、解体して更地に戻そうと自治会長が提案した。

異論が出た。坊さんに拝んでもらうべきだ、と。言葉では言わないが、穢れた死を扱った道具や建物を処分する際には祀っておかないと後が怖いという発想である。単なる道具でしかないと、わたしも含めて反対した者がいたが、会議は空気で動いた・・・。

本来怨霊を祀るのは神式であり、菅原道真の天満宮や平将門神社が代表であろうが、死者に祟られて災難が起こってはかなわない。多くの日本人にとって神も仏も一緒くたにして恐れてきた宗教的信念は、千年を遥かに超える大昔から続いている。

科学が言い伝えや不可思議な現象を解き明かす時代となってもなお、多くの人にとって見えざる怨霊やお化けは畏怖すべき、いや恐怖の対象なのであろう。

(サルスベリの葉は枯れて朽ちると祟るのか? 植物は怨念を残さないので祟らないようだ)
タイを巻く引き締め秋の空の下 [2022年10月18日(Tue)]

fumihouse-2022-10-18T14_10_53-1-thumbnail2.jpgネクタイを締めて上着を着る。ピシッと気持ちも引き締まる。松江の天気予報では昨日より6℃も気温が下がる。喪服は別として、半年ぶりにネクタイ、スーツを着用した。

昼を過ぎても戸外を歩いてもひんやりしている。薄い雲を透かして太陽が照っても暑くはない。明け方がさらに遅くなり、気温がもっと下がると辛い季節でもある。大陸から本格的な寒気が下ってきて寒さに震えるまでは、季節の変わり目を楽しむことにしよう。

(菊の季節の到来。スプレー菊が咲いた他所の家の庭先)
この秋は黄が咲く赤咲く花が咲く [2022年10月17日(Mon)]

fumihouse-2022-10-17T19_07_51-1-thumbnail2.jpg≪Autumn is a second spring when every leaf is a flower.≫

葉っぱはこぞって花となり、二度目の春を秋が連れてきた・・・『異邦人』を記したアルベール・カミュの言葉。訳文はわたしが頭をひねった。

木々の葉が色づいてきた。「秋は二度目の春」だなんて、よくぞ言ってくれた、カミュさんよ。「葉がすべて花になる」も思い切った比喩である。

秋が深まる。紅葉する木々が艶やかになるのも、もうじきである。花は散る。黄や赤、茶に色づいた葉っぱも落ちる。そして冬へ。寂しくはある。

ところが、冬は三度目の春という言葉もある。枝に降り積もった雪が純白の花となって咲く。あるいは霜が張り付いて微小の花となる。寒さはこたえるにしても、なかなかの景色が眺められる。

考えてみれば、新緑から深い緑へ。この色の変化も花と言うにふさわしい。強い夏の日差しを受けてギラギラする緑葉も一種の花。となると、四季は全てが花に彩られている。

日本の四季は折々に、花咲くさまを見せてくれるありがたい存在である。平均気温が高くなり植物の様相も変わりつつあるが、美しい彩りが健在である。移り行く季節を今のうちに見逃さないよう、味わい尽くしていこうではないか。

(コキアも紅葉した。秋を見つけて高揚する)
それは何処知らぬは私ばかりなり [2022年10月16日(Sun)]

fumihouse-2022-10-16T21_34_49-1-thumbnail2.jpgフェイスブックのある告知で、西区○○番地の△△で□□時から開催する、というのがあった。西区ってどこの都市にあるんだ? 区名で東西南北が付いたのは多いが、全国的に常識化しているのは東京都の北区であろうか。でも西区は知らない。調べてみると、大阪市、名古屋市、横浜市、神戸市、札幌市、福岡市、広島市、さいたま市、これだけの政令市に西区がある。

書いた当人にとっては「西区」というのは言わずとしれた常識で、○○市と記す必要はない。その人を知る近所人にとっても、言うまでもない事柄である。ところが、離れて住むわたしにとっては常識外。わざわざ言葉にしてもらわなければ、理解はできない。

誰でも知っている常識をあえて書き記すことはない。しかし時間や距離が隔たれば常識は常識でなく、書いてないから、隔たった人には理解できない・・・思えばそんなことは、随所にある。100年前の常識が現代の常識である場合もあるだろうが、かつての常識は色褪せて跡形もないのがふつうだ。常識はときにつれ、場所に応じて千変万化する。

(ブルーデイジーの花言葉は、かわいいあなた、そして無邪気なあなた)
ガラス割れ我も割れやと数珠つなぎ [2022年10月15日(Sat)]

fumihouse-2022-10-15T21_38_13-1-thumbnail2.jpg【割れ窓理論】
割られた窓ガラスをそのまま放っておくと、さらに割られ、街全体が無法化するという理論である。ニューヨークが荒廃し、犯罪が多発していた30年前に、当時の市長が割れ窓をすぐさま修理し、落書きを丹念に消す政策をとった。軽微な犯罪もしっかりと取締りを強化した。犯罪が大幅に減ったという。

大した話ではないが、きょうはコミュニティセンターの文化祭での役員をする中で、割れ窓理論を感じることがあった。

数百人の入場者の靴を入れる下駄箱はないので、レジ袋を配って靴入れとしてもらった。コロナ対策もあり、使い終わった袋は持ち帰ってもらう。袋を置き去ろうとする退場者には「お持ち帰りください」と言葉をかける。不審な顔をする人には「ゴミ袋にしてください」と言うと、スーパーレジ袋をもらわない御時世にあって、皆さん納得してポケットに入れてくださった。

ところが、別の出口に行って驚いた。箱に袋が山積みになっているではないか。『靴袋はお持ち帰りください』と書いてあるにもかかわらず、そこの担当者が注意しないとそんなザマだった。袋はいらないと思った誰かが、手近にあった箱に入れて(捨てて)退場した。次の人が箱中のレジ袋を見て、「自分も」と思って入れて、あとは雪崩をうつように袋が一杯になったという循環であろう。

わたしはレジ袋を全て片付け、箱を裏返して底を表にした。30分後、その出口を確かめると袋は捨てられてはいなかった。割れ窓は修復されたのである。

(文化祭で小学生が上手に生けた花、ダリア)
虹見れば日和の雨も過去のもの [2022年10月14日(Fri)]

fumihouse-2022-10-14T19_56_49-1-thumbnail2.jpg≪虹を見たければ、雨も我慢しなくちゃね≫
とは、カントリーミュージシャンであるドリー・パートンの言葉(だそうだ)。

虹が見える。雨が上がって空には七色の橋がかかる。気持ちも晴れるよい体験だ。虹はちょっとした雨のあとに出る。傘を持ってなければ濡れる。車が水しぶきを撥ねる。気分が沈む・・・そうしたことを乗り越えて、幸福を味わうためには、それ相応の苦労なり、辛抱をしなくてはならないという箴言であろうか。

虹を見ると幸せの絶頂に至る。そんなことはない。しかし、ちょっとした喜びではある。そのわずかなことが、暮らしを心情面で豊かにする。避難勧告が出るような豪雨ではないというのが味噌である。

ちょっと面倒なこと、気の進まないこと、苦手な人に会うこと・・・いろいろあるけれど、さあ、虹を見よう。ほんの少しの雨を我慢して。

(虹ではないが、陶器の壺の一部なり)
永遠の名曲なれど難曲よ [2022年10月13日(Thu)]

fumihouse-2022-10-13T19_18_56-1-thumbnail2.jpgクラシックギターの初心者向けだと思う人が多いけれど、難度の高い曲がある。名画『禁じられた遊び』の主題曲『愛のロマンス』である。1弦から2弦、3弦と順にアルペジオを鳴らす。ホ短調の調べがもの悲しい。

少女ポレットと少年ミシェルが十字架作りという「遊び」に熱中していく。死の意味を解さないポレットにとって、その遊びはドイツ軍の機銃掃射で殺された両親への鎮魂となったのだろうか。いやそうはならない。ママがいない寂しさを紛らわすものでしかなかった。彼女にとってママとパパはどこかに姿をくらましているだけなのだから。それがまた観るものの哀愁を誘う。

ナルシソ・イエペスが弾く愛のロマンス。もう150年くらい前に作曲された曲である。映画が封切られた1952年以降、この曲はイエペスの代表曲となり、「禁じられた遊び」と通称されて、それはクラシックギターの代名詞となった。

テクニック上、始まりは易しい。取っつきやすい。ところがセーハが随所に出てくる。指を大きくストレッチする箇所では音が出ないことも多い。だから一曲弾くたびにヘトヘトになるし、完璧に弾けたためしがない。しかも、皆さんがよく知っているとなると、要求水準も高い。だから難曲である。それでもわたしは禁じられた遊びに挑む。

何十年も前、イエペスが存命の頃、東京での演奏会でサイン会が開かれた。プログラムにサインしてもらう。握手をした。にこやかな笑顔で彼は応じてくれたイエペスおじさん。柔らかくて温かくて、大きくない、むしろ小さな手だった。あのサインどうしてしまったんだろう。
きみと呼ぶ君はいったい誰なのさ [2022年10月12日(Wed)]

fumihouse-2022-10-12T18_21_35-1-thumbnail2.jpg章ごとに主役が代わる。関わりの深い一連の環境に暮らす人ばかりだが、その主役を一貫して「きみ」と呼ぶ主格は誰だ。恵美ちゃん、ブンちゃん、堀田ちゃん、三好くん、ハナちゃん、佐藤くん、西村さん、トモくん。それらが「きみ」として代わり番こに登場する。

重松清著『きみの友だち』は重い内容を伝える。イジメの空気感が伝わってくる。無視されて、心無い言葉を吐き捨てられて、空気が読めないことに悲しんで、残酷な事実を述べている。「友だち」というものの解釈の違い、「みんな」の語が持つ閉塞感がひしひしと感じられる。

だが、「きみ」と呼ぶ主格の語り口は温かい。事実は事実、と淡々と描いて染み入るような文が続くので、不快感はない。主格は神か、天か、それとも著者重松氏そのものか。謎は最終章に解決する。

「きみの友だちの僕」が最後に登場する。神や著者ではなかったが、恵美ちゃんが得た最良の「友だち」。彼の語りで物語が構成されてきたのだ。もちろん恵美ちゃんからの伝聞を元に作り上げた二人の物語。当の「きみ」からすれば異なった解釈かもしれない。しかし、温かい言葉と、相手を思う普遍的な心根があればバリアは妨げにはならない。

(デュランタ・タカラヅカというゴージャスな名前をもらった花。宝塚ジェンヌが着ていそうなコーデュロイ風の紫が高貴だ)
宴会を仕切り仕切られ夜は更けて [2022年10月11日(Tue)]

fumihouse-2022-10-11T18_11_03-1-thumbnail2.jpg集団でする飲み会(要は宴会)には、2つのパターンがある。1つは、主催者が取り仕切って「会」として終始進行されるケース。2つ目は、仕切らない。最初の乾杯と終わりの合図はあっても、それぞれが好きなように話し飲み、グループが集散して勝手に盛り上がる。

そうした場で飲むことはめっきり少なくなったが、前者では隣同士がコソコソ話すことはあっても全体が統一をもって進み、締まりのある進行になる。スピーチを中心に、ゲームあり、催し物あり、ハプニングがある。そんな会では組織の一体感が醸し出される。また、積極的に話を楽しむことができない者は気が楽だ。幹事に身を委ねて適度に笑い、手を叩き、合間に隣と話を合わせればよい。

後者はどうだ。場に弛緩がある。向こうで爆笑が聞こえてきたら、何かしら気もそぞろになる。独演会で喋り続ける者がいると退屈になる(自慢話の場合だが)。話を振られたら気の利いたセリフを述べなければならなくてプレッシャーだ。要は場が持たなくなくて居づらいのだ。

わたしは前者が好きだ。なかでも幹事役となって仕切るのは得意なほうだ。幹事でなくとも、幹事を助けて合いの手を入れるのもよろしい。この年末には忘年会ができないかなぁ。

(大宴会の思い出が、春の白桃のように思い出される)
ピアニシモ弱くあっても強い音 [2022年10月10日(Mon)]

fumihouse-2022-10-10T23_28_26-1-thumbnail2.jpgマリア・エステル・グスマンのギター演奏会。繊細と緊張感、解き放たれた開放感。ビアノシモの弱いタッチが客席の遠くまでよく聴こえる。観客が耳をすまして聴き入っているのがわかる。倍音が響いて遠達性が強いのであろう。

初曲が、G線上のアリア。続いて、アルハンブラの思い出。いずれも強い音はない。ピアニシモで始まるアルハンブラなど初めて聞いた。胸に響く澄んた音、硬い音と甘い音のメリハリ、効果的なテンポの揺れ・・・。ホントに凄い演奏に聴衆は魅了された。

指が的確に動く。まるで蜘蛛とかカマキリのように指板上を動く。一度食らいついたら離れない! そんなしつこさに併せて軽やかで優美なタッチがある。羽衣に舞う天女のようだった。

決して大きくない手、細い指、それでも弦を捉える。まるで、勝手に弦が指にまとわりつく感じだろうか。綺麗な運指をじっと見つめるうちに、指がグ〜ンと伸びていくような錯覚が起こる。わたしもあんな指がほしい。柔らかなピアニシモのタッチがほしい。

マリアさんの演奏を聴くと、楽器を鳴らすのにやたらと力は不要だと思う。素直に諦めず、柔らかくゆったりと、ゆっくりユックリ練習していこうと思った。聴き惚れる演奏会、実に良い体験だった。

前座で行ったアンサンブルの演奏。不本意なところもあったが、合奏の楽しさを何十年ぶりかで体験できた1日でもあった。

(演奏会場の米子市文化ホールに咲いていた、ヤリゲイトウ)
待っててよあなたを信じ値する [2022年10月09日(Sun)]

fumihouse-2022-10-09T20_35_23-1-thumbnail2.jpgちょっと困ったことが、知り合いにあったそうだ。女子トイレの前を通りかかると、おばあさんがおもむろに「トイレに行く間、荷物を見ていてくれませんか」とのたまったという。

お願いされた当人にも事情がある。「すみません、用事が・・・」と断ると、おばあさんは近くの若い男性にお願いした。しかし無視された。そこで知り合いは仏心を出した。同性のよしみもある。じゃ見てるから早く行ってらっしゃいと、おばあさんを送り出した。少し時間はかかったが、おばあさんは用を足してトイレから出てきた。知り合いは感謝の礼を受けるのもそこそこに、用向きに急いで行った。

荷物は紙袋1つ、トートバッグ1つと傘だったそうだが、悪い人に当たってしまって、持ち逃げされたらどうするんだ。よっぽどトイレを急いでいたのか、知り合いがよっぽど信頼するに足る雰囲気を醸し出していたのか、そもそも自分には変な人は寄って来ないと信じているのか、それは分からない。

(シオン(紫苑)は秋の風に揺れる。少し寂しい)
冷え冷えと月も星もと欲をかく [2022年10月08日(Sat)]

fumihouse-2022-10-08T21_17_40-1-thumbnail2.jpg今日は天気良好。気持ちのよい秋晴れでした。夜空を見上げます。星がくっきりとたくさん見えます。月が綺麗です。明後日には満月でしょうか。月が煌々と輝いているのに、星がこんなに良く見えるとは。秋の空気が清々しい証拠です。

月の横には星一つ。木星です。月に負けずに輝いています。地球・月間の何千倍も遠いところにありながら、あの明るさ。途方もない巨大な惑星です。右手には土星。輪は見えません(肉眼ですから当たり前)。両星を結んで下に三角形を伸ばすと南の魚座のフォーマルハウトが見えます。秋にあっては唯一の1等星。

秋の星とはいっても、まだ夏の大三角形のベガ、デネブ、アルタイルは西に傾いた程度。東の空には冬の星座、ぎょしゃ座のカペラの姿が見えます。星座の春夏秋冬とは、人間が便宜的に分けた程度のもの。気分でしかありません。

明日の天気は曇り予報。今夜はいい夜でした。冷えてもいます。風邪など引かないようにしたいものですね。

(月見草、それとも待宵草? よくわからない)
膨らんで垂れた男に同情を [2022年10月07日(Fri)]

fumihouse-2022-10-07T18_29_15-1-thumbnail2.jpg乳房が膨らんだ男を、この夏はよく見かけた。薄いシャツを通して膨らみが目立ち、乳首までくっきりしている。例外なく腹も出ているから、身体がなまってダブダブの中年太りなのだと想像し、自分はああはなりたくないと思っていた。どうも中年太りだけが原因ではないようなのだ。女性化乳房症と呼ばれるらしい。

男にも乳腺はあるし、胸は脂肪がつきやすい。そこにホルモンバランスの変動が影響して、思春期にも症状は出てくる。あるいは初老期となった男の更年期に女性化乳房症は発症するという。それだけでなく、一部の治療薬やマリファナ、アルコールが原因になることがらしいのだ。乳房肥大は不摂生の因果だけではない。温かい目で見てあげよう(あんたは女性化乳房症か?と聞くわけにはいかないけれど)。

(出雲大社の巨大日の丸は、風に膨らんで豊かな秋を演出する)
歩くうち欲しいいいもの逢いたくて [2022年10月06日(Thu)]

fumihouse-2022-10-06T18_23_45-1-thumbnail2.jpgショッピングモールを歩く。明確に買うものが決まっている時がある一方で、目的がない時もある。いずれにしても、ショッピングモールは時間を忘れて歩かせるように仕組まれている。目新しいディスプレイ、適切な呼び込み、誘い込む商品陳列など、目的がなくても何かを買いたいと思わせるように仕組む。目的があったらあったで、別なものの購買欲に火をつけようと躍起になる。

さて、モールに行って目的の一つは達したが、まだ何か気になっていた。でも思い出せない。そんな時がある。歩くうちに思い出すこともあれば、思い出せない時もある。まっ大したことではないが、結局分からなくてそのまま帰ることになると少し悔しい。車中で、あっ!あれだと思ってもあとの祭り。ショッピングというやつは水ものだ。

(ヤネノボンテンカという花。ひと月前に他所のうちの庭先に咲いていた。今はどうなったろうか)
アクセルを踏んだ急いだどうするの [2022年10月05日(Wed)]

fumihouse-2022-10-05T08_16_17-1-thumbnail2.jpgおばさんがいる。歩く僕の横を猛スピードて走り過ぎる。広くない生活道路は60キロで走れば脅威だ。散歩する年寄りがほたほた歩いていたら、いったいどうするんだ。毎日というわけではなく、週に一度程度見かけるクルマ。横顔をちらりと見ると、いい年のおばさんだ。

おそらく、踏切で遮断されたくないのであろう。おそらく、遅れて焦っているのであろう。おそらく、いつもより早く到着しなければならないのかもしれない。おそらく、着るものに迷って服を選んだのだ。おそらく、子どもか夫と口論したのかも。おそらく、薬を飲み忘れて慌てて戻ったのかもね。おそらく、道端の花に見とれて出立が遅れたのか(なことないな)。おそらく、朝食の準備に齟齬が生じたのかもしれない・・・・・

こうして無限の、おそらく、が続いていく。真実は一つ。おばさんに直接聞いてみるしかない。もちろん、そんなことするわけはない。
努力せよ辛い時期でも惜しみなく [2022年10月04日(Tue)]

fumihouse-2022-10-04T17_14_46-1-thumbnail2.jpg【努力】
しんかいさんこと、新明解国語辞典第四版はこう説明する。
≪ある目的を達成するために、途中で休んだり なまけたり せず、持てる能力のすべてを傾けてすること。≫

しんかいさんは、努力する人を応援する。不遇な人へも情け深い。「力」の説明ではこんなふうだ(努力の関連記事のみ)。

≪気力・体力の総合としての元気。/独立・独行出来ない人を元気づけ、生活させる働きとしての力。/何かの実現に集中して発揮される力。≫
 
また、「努める」でも思い入れが深い。世のため人のためを基調としているのだ。さすがだね、しんかいさん。

≪困難や苦しさに堪え(て何かをす)る。/私利・私欲を没して、人のために尽くす。≫

最近のしんかいさんは、マイルドになってケラっと笑える記事が少ない。第四版が最も辞書として輝いていた頃であろう。

(地味だがローズマリーの香りを、頑張る人にしんかいさんなら届けてくれるに違いない)
溝に咲く可憐な金平糖桃よ [2022年10月03日(Mon)]

fumihouse-2022-10-03T11_10_10-1-thumbnail2.jpg【ミゾソバ(溝蕎麦)】
秋のはじめに咲く。休耕田や湿地に群生する。花は6、7ミリのピンクと白のグラデーション。10個くらいの花弁が集まって可憐である。蕾ははコンペイトウのような形をしていて美味しそうに見えるが、食べる実はならない。

一見するとアカツメクサに似る。白とピンクのグラデーションが似たもの同士だが、花びらの形も、葉の形も異なっている。葉は、別名「ウシノヒタイ」と呼ばれる牛の頭に似ている。地元では尖った先端が蛙に見えるということで、カエル草と言う。ミゾソバという名前も可愛らしい外見には似つかわしくない。

あと10日ほどは出勤時のひとときにミゾソバの花を楽しむことができる。家の近くに帰り着いたときには暗くて花は見えない。やがて紅葉する。黄色へ、そして赤へ変やっていく。秋は深まる。
秋晴天つるべ落としに闇が降る [2022年10月02日(Sun)]

fumihouse-2022-10-02T20_58_54-1-thumbnail2.jpg秋の日は釣瓶落としに暮れていく。日の入りは6時前。辺りはあれよという間に闇に包まれていく。空気が澄んでいるせいか、太陽が当たるところとそうでないところがはっきりと分かれる。夕暮れの日向はそれなりに明るいが、山影になると一気に闇が寝食していく。

この数日、過ごしやすく勿体ないような晴天が続いた。今夕は雲が広がって夕焼けに変化が見られた。5日水曜日からは寒気が南下してきて気温が大幅に下がるという。風を引かないように気を引き締めていきたい。

(3日前の夕景。三日月を伴った美しい晩)