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新しき想い広げよ供養月 [2022年07月31日(Sun)]

fumihouse-2022-07-31T10_56_34-1-thumbnail2.jpg≪特攻隊員だった作家・神坂次郎氏は「本当の供養は『忘れないこと』だと思う」と。被爆者のために“不忘の誓い”を新たにすること。その青年たちの“意志”によって、核兵器に命を奪われた方々の“遺志”は受け継がれる≫(名字の言,聖教新聞,7月28日)

そのとおりだと思う。現実は難しい。去る者は日々に疎し、というとおり眼前に居ない人のことは忘れる。事柄にしても同じこと。ましてや、亡くなられた方々を忘れないことは難しい。悲惨な形で亡くなったり、生き残った自身も負の辛い記憶であるならば、なおさら忘れてしまいたい方向に脳は働く。ましてや直接的にそうした体験をしたこともなく、人づてに聞いただけであれば、忘れるのも無理はない。

それでも、それでも、神坂氏は忘れてはならないと言う。供養の八月がやってくる。不戦の誓いを強い遺志で残すべき月がやってきた。これを単なる通年行事としてはいけない。忘れないために、誰もが認識を新たにする時季なのである。
便器には便を流すかいけないか [2022年07月30日(Sat)]

fumihouse-2022-07-30T10_55_24-1-thumbnail2.jpg≪便器にはトイレットペーパー以外は流さないで下さい≫

トイレに入り、ごく当たりまえの表示を見て、ん? と思った。大便、小便が入ってない。もちろんそれを出すためにこの場所に居るのだから、便を出してスッキリして流すのは当たりまえのこと。この表現には当然のこととして、便は含まれていない。

これが強調しているのは、紙屑や生理用品、その他いらなくなったあれこれを捨ててはいけない、誤っても流してはいけない、便器が詰まってしまうから。タバコの吸殻なんてとんでもない、という意味が込められている。

しかし、額面どおりにこの文を解釈してしまう障害を持つ人だったらどうだろう。トイレットペーパー以外は流さないで……ということは、ここでウンチができない、どうしよう、漏れそうだ……パニックに陥ってしまうかもしれない。説明すると長々と面倒だ。反対に短くしたら分からない人もいる。なかなかに難しい。

(ゾウのぬいぐるみを流してはいけないことは言うまでもない)
悔しかろ酸っぱいブドウ後ろ髪 [2022年07月29日(Fri)]

fumihouse-2022-07-29T18_46_46-1-thumbnail2.jpg無限の可能性とは言うが、100メートルを9秒台で走れる人間はごく稀である。才能に加えて、それこそ無限の努力がなければ達成出来ない。わたしがセゴビアのテクニックと音色、音楽性を獲得出来るかというと絶対に無理だ。

ひとはそこそこのところで満足しなければならないし、市井の生活を続けていくためにはそれが一番だ。イソップ童話にある「すっぱいブドウ」は、適切なところで諦めるというあるべき姿を表す。高所にあるブドウが食べたいキツネ。何度も跳び上がるのだが、届かない。「あのブドウはまだ青くて食べられない」と言い去っていく。

出来なかったことを悔い続けるのは、心理的な負担が大きい。クヨクヨしてばかりだと精神衛生上悪い。天才や伝記的人物はへこたれずに大成功を収めるが、ふつうの人間は酸っぱいブドウでいいじゃないか。気分転換にもなり、別のチャンスが生まれたりして悪くない。

採用試験に落ちたり、恋の思いが遂げられなかった際に「縁がなかった」という言葉を使う。これは、酸っぱいブドウそのもの。結果として別の道が開けると、こちらも悪くないと思える。深いコンプレックスに沈むのではなく、きっと意味はある、将来を開く元となると考えれば「塞翁が馬」。結果オーライである。
有り難し予定を立てて平和ゆえ [2022年07月28日(Thu)]

fumihouse-2022-07-28T08_06_56-1-thumbnail2.jpg≪平和とは、明日の予定を立てられること≫
(「ちーちゃんと考える未来のかたち」聖教新聞7.19)

そのとおりだと思う。きょうはこんなことをやった。やろうとしていたが邪魔がはいって出来なかった。あしたは予定がある。数週間前に決めて楽しみにしている、○○がある。心置きなく臨めるように、今のうちにあれとそれをやり遂げておこう・・・。まさしく、これを平和と言わずして何と表現できようか。

銃声が響き、ミサイルの着弾音が轟く。そんな戦乱状態はもちろんだが、大怪我をして救急車で病院に運び込まれたり、コロナ陽性で人工呼吸器が必要なほど重篤化したとしたら、もう平和ではありえない。その平和という静穏はいつ破られるかもわからない。リスク管理はするにしても、今の平和をありがたく享受したい。

(暑い盛りだが今年も桔梗の花が咲いたと感じられるのも平和故のこと)
閾値とは幸せボタンの掛け始め [2022年07月27日(Wed)]

fumihouse-2022-07-27T18_59_33-1-thumbnail2.jpg閾値(いきち)という言葉がある。刺激を感じたり、何らかの作用が現出する境目となる値である。花粉を浴び続けてある年の春から突然花粉症になるのは、閾値を超えたから。臭いニオイが初めは我慢ならなくてもやがて平気になるのは閾値が下がったから。閾値を使って筆者は幸せについて述べる。(エッセー『幸せって何だろう』小山薫堂,ジャフメイト2022夏号)

≪幸せにも閾値がある、と僕は思っている。子供の頃はゴーカートに乗るだけで幸せを感じるのに、大人になると本物の車でなければ幸せを感じなくなる。それは明らかに、幸せの閾値が上がったからだ。(中略)自分の幸せの閾値を保つ、もしくは下げる! それこそが、自分が常に幸せでいられる秘訣だと思う。あらゆる閾値が低かった子供の頃の幸せを思い返してみると、実は今の自分が手に入れられる幸せがまだまだたくさん存在していることに気づく。幸せは探し求めるものではなく、気づくものなのだ≫ 

幸せの種はあちらこちらに転がっている。目を凝らしてみれば、異なる方向から見てみれば、常識に囚われずにやってみたら・・・幸せはたくさんある。美しいものはこの世に満ちている。

(マツバボタンにも美の閾値がある。100uの面積に花が一面に咲くのを見て、美しいと感じる者は閾値が高い。一株二株でも美しいものは美しい)
ミンミンと群れないうちに危惧種なり [2022年07月26日(Tue)]

fumihouse-2022-07-26T17_57_40-1-thumbnail2.jpgミンミンゼミがやってきたのは、7月20日の水曜日。こいつは孤高の蝉。群れずに鳴く。戻り梅雨のこの朝、忽然と鳴いた。虫偏に単と書くセミの漢字。その字にふさわしいのがミンミンゼミだ。複数で鳴いていても、シンクロはしない。自律心に溢れた、キング・オブ・セミ、だとわたしは思う。

あの朝の一匹。以降全く耳にしない。あちこち行っても聞こえるのはニイニイゼミやクマゼミばかり。ミンミンゼミはどこにいるんだ。かつては盛夏からお盆の頃までひたすら聞いた。そして数えた(4鳴きから7回が多かった)。暑過ぎる夏に弱いのか、都市化した地域環境にあっては生き延びられないのか。寂しい限り。

(ミンミンゼミと同様、夏にぴったりなピンクのサルスベリ)
Amazonをかたる悪者おぞましや [2022年07月25日(Mon)]

fumihouse-2022-07-25T11_07_12-1-thumbnail2.jpgAmazonで注文を完了した翌日にメールが届き、不安をかきたてようとする悪者がいる(私が注文したものとは全く関係はない)。日本語が不自然だ。

【表題】Amazon/アカウントの支払い方法を確認できず、注文を出荷できません 。
【本文】Аmazon お客様
残念ながら、Аmazonのアカウントを更新できませんでした。今回は、カードが期限切れになってるか、請求先住所が変更されたなど、さまざまな理由でカードの情報を更新できませんでした。アカウント情報の一部が誤っている故に、お客様のアカウントを維持するため Аmazon アカウントの情報を確認する必要があります。下からアカウントをログインし、情報を更新してください。なお、24時間以内にご確認がない場合、誠に申し訳ございません、お客様の安全の為、アカウントの利用制限をさせていただきますので、予めご了承ください。

巧妙な手口である。Amazonカスタマーサービスを名乗り、ログインしたように見せかけてアカウントとパスワードを盗み取るのであろう。こんなヤツもある。

【表題】Amazon.co.jpでのご注文の確認
【本文】誰かがあなたのAmazonアカウントを使用して、別のデバイスからこの注文を購入しました。まだ注文していない場合は、[注文の詳細を表示する]をクリックして、この注文をすぐにキャンセルしてください。セキュリティ上の理由から、身元を確認するためにいくつかの情報を入力する必要がある場合があります。

東京のある男が私のクレジットカードで39,600円分の買い物をしていると脅す。Yahooメールにはこんなのがたくさん来る。かなわんなあ!
れんとケラー奇跡の人の物語 [2022年07月24日(Sun)]

fumihouse-2022-07-24T20_46_12-1-thumbnail2.jpg原田マハ著『奇跡の人』は、ヘレン・ケラーとサリヴァン先生の物語を元に、青森・弘前に舞台を移した小説である。夢中になって胸を詰まらせながら読んだ(列車を危うく乗り過ごしかけた。しかも2日連続)。主人公は介良れん(けら れん)。教師は去場安(さりば あん)。両者の交流と相互の葛藤が見事に描かれた名作だと思う。

先生はこう語る。
≪あの子は、樹木なのです。樹木は、聞くことも、見ることもない。話すことも、もちろんかなわない。けれど、太陽の光を受け、風に枝をそよがせながら、全身で表現しているのです。ーー生きていることを。生きる喜びを。(中略)
 さらに、樹木にはない、底知れぬ可能性を、あの子は持っているのです。あの子には、感情がある。学ぶ能力がある。人間らしく生きていく権利がある。言葉を知り、それを操って、自立する必要性がある。
 人を愛し、信じて、誰かのために祈る。そういう人に、あの子はなる。それが、 介良れんという人間の運命なのだ。れんは、不可能を可能にする人。・・・奇跡の人なのです≫

れんと安の物語に、れんの成長に極めて大きな影響を与えた津軽三味線の狼野キワ(人間国宝第1号)の物語も加えて、明治から昭和にワープした物語は大団円を迎える。

(雲は変幻自在。それよりもなお不可思議で底知れぬのが人間。ひとは皆大きな可能性を秘めている)
シリアルで土日の朝を満たしたい [2022年07月23日(Sat)]

fumihouse-2022-07-25T08_49_15-1-thumbnail2.jpg【シリアル】
オートミールとも、コーンフレークとも言うが、似たようなものだ。一般的に甘くした朝食用の穀物加工品のこと。ビタミンや植物繊維などの栄養素を加えている。厳密に言えば、オートミールはオート麦が主で、コーンフレークはトウモロコシである。

欧米では朝ごはんの定番であったが、日本では普及しなかった。ホテルのバイキング朝食で珍しがられてはいても、多くの家庭では普及しなかった。菓子のイメージが強かったからである。菓子の市場は競争が激烈。シリアルは太刀打ちできない。

忽然と売れるようになった理由が面白い(我が家ですら土日朝の定番)。スーパーでお菓子売場からパン売り場に移したら、売れるようになったとか。発想の転換があり、担当者の努力の賜物だろう。

商品の中身は一切変えず、パッケージもそのまま。価格も一緒。しかし、売り場を変えただけでパンと同様、朝ごはんとして認識されるようになった。売り方次第、伝え方次第で何ごとも大変化する。

(わたしが専ら食べるのはカルビーのフルグラ。豆乳をかけるか、無糖のヨーグルトに入れるのがよろしい。イチゴやレーズン、リンゴ、パパイヤ、カボチャ種も入って色合いが食欲をそそる) 
熊の蝉大きな奴ら無粋だぞ [2022年07月22日(Fri)]

fumihouse-2022-07-22T08_15_46-1-thumbnail2.jpg蝉は大合唱で夏の空気を震わす。家屋にも車の中にも列車にも、壁やドアをかい潜るようにして大音量で満たしていく。夏はそのものが蝉に満たされている。

夏を満たす代表格は今やクマゼミとなった。かつてはミンミンゼミであったが、退潮著しい。南方からじりじりと競り上がってきて、強さゆえにクマゼミは主流となった。初鳴きは三連休の中日、7月17日。そのあと梅雨も戻ったということで増えることはなく、しばらくは過度な大音量を聞かなくてすむ。

クマゼミにとって、都会地の街路樹は条件がよろしいようで、朝からがんがんと鳴く。集団でざわめき、午後になると不思議にもピタッと鳴き止む。以前大阪の公園で樹木の陰に入って、ふと上を見上げると無数の蝉。クマゼミだった。背筋が冷たくなったことを思い出す。

ニイニイゼミが高めの金属音で間断なく鳴くが、クマゼミは図太い濁音である。まとまってジュワジュワッと鳴く。決してシンクロはしない、やけに無粋な奴らだ。
映像も画像も過去のそのとき一瞬だ [2022年07月21日(Thu)]

fumihouse-2022-07-21T08_11_09-1-thumbnail2.jpg職場でカメラの録画映像を確かめる機会があった。全部で20数台のカメラが稼動しており、ハードディスクドライブに録画されている。子どもたちが動き回り、職員も忙しそうに働いている。わたしが見たのはほんの数台で、時間も限られたものであったが、機械を操作しながら行ったり来たり、重なる同時間帯を他のカメラでも確認した。結構な時間がかかる。

そこで感じたのは、過去には膨大な時間の蓄積があること。その当たり前のことを思った。カメラ映像はいずれ消えるが、過去の時間そのものは消えない。それぞれの人や物事の過去として蓄積され、今に宿り、将来の因となる。

カメラに残る映像だけではない。人にしても物にしても、その細胞一つ一つ、分子や原子、素粒子に至るまでそれぞれの時間を持つのであろう。その重なりたるや、無限である。その一瞬にも無限はある。無限に過去から未来への無限の時間を掛け合せて、やっぱり無限。宇宙は無限に満ちている。不思議な思いでいっぱいになった。

(過去の画像、6月10日の画像として切り取られた荘原コミュニティセンターの薔薇はすでに散ったが、ここに残る)
国会はダイエットと言う不思議なり [2022年07月20日(Wed)]

fumihouse-2022-07-20T19_13_00-1-thumbnail2.jpg【ダイエット】
もとは食べ物や餌のこと、さらに食べ物を摂取する意味であったが、やがて限定的に肥満防止、食事制限による減量を示すようになった。無駄を削ることを比喩的に意味するようにもなった。

ダイエットに関する番組やコマーシャルを目にしない日はない。痩せたい、これ以上太りたくない、どれだけ多くの人がダイエットを目指していることか。

ダイエットには、出ルヲ計リ 入ルヲ制ス ことが大事だ。身体を動かして熱量を発散する。食べる量を調整するために食欲をコントロールすることは特に重要だ。

わたしはどちらかといえば夏に体重が増える。アイスクリームなど冷たくて甘いものを食べるのと、暑い盛りでも食欲が落ちないことが原因だろう。半年前に比べて1キロ多めで毎日推移しているので、ここらへんで戻しておきたいと思っている。

満腹中枢が満足するには、よく咀嚼して時間をかけて食べることが大切だと言われる。だから、ひと口あたり30回噛むことを課しているつもりだが、ついつい目前の食事の美味しさにかまけて、噛むことがおろそかになりがちだ。

早く食べ終わって別のことをしたいと思うことも多いが、ダイエットには時間をかけることがポイント。ゆっくりよく噛んで食べよう。そうすれば満腹になり、食べる量も減る。さあ今夜から再び実践だ。

(ラベンダーとダイエット。全く関係がない。議員と国会ほどの近しい関係ではない)
油色ジリジリかかかの夏の雨 [2022年07月19日(Tue)]

fumihouse-2022-07-19T18_27_59-1-thumbnail2.jpgアブラゼミの初日は、7月15日金曜日の夕方だった。住宅街の庭木から懐かしい鳴き声が聞こえてきた。ウルトラシリーズに登場する異星人が発する攻撃光線のような、絶え間なく揺らぎのある濁音を、ジリジリと出し続ける。夏の通奏低音・ニイニイゼミと同様、マメなやつだ。

彼らは自分を主張している。私はここにいる。ここに生きている。単にメスを求めているだけじゃない。生きることの意味を見いだすのだ・・・んなわけはないが、夏の盛りに彼らの存在感は抜群だ。

戻り梅雨で各地にゲリラ豪雨が降っている。梅雨明けを宣言した気象庁だが、梅雨に再入したなどとは口が裂けても言えず、難儀をしていることだろう。ともあれ誰もが命を守る行動をとるのが第一である。いまセミは鳴りを潜めている。雨風が無くなり、暑さが戻ってくることを心待ちにしていることだろう。
白波にわれは海の子思い出す [2022年07月18日(Mon)]

fumihouse-2022-07-18T20_31_51-1-thumbnail2.jpg唱歌『われは海の子』は唄う。

  我は海の子 白波の
  騒ぐいそべの 松原に
  煙たなびく 苫屋こそ
  我がなつかしき 住家(すみか)なれ

この青年は青雲の志を抱いて故郷を離れたのであろう。上の学校に進んだのか、職に就いたのか。急用で戻ったのか、それとも数日の休養を過ごしに帰ってきたものか。海辺の我が家にたどり着き、茅づくりの屋根を持つ家、幼い時からの思い出に満ちた家屋が見える。そこには父母か、妹、弟か、はたまた老いた祖父母がいるのだろうか。白波の立つ浜辺の松林を横切って家に向かう。ああ懐かしや、何年ぶりだろう。郷愁に胸を打つ・・・。

きょうは海の日。1996年に祝日となってから四半世紀以上経つ。夏休み以外には休日がなかった7月に新しい流れが出来た。今週から学校の夏休みが始まる。

(夏の夕刻、空にはこんな雲が浮かんでいたことだろう)
温かき名優赤子雨の夜 [2022年07月17日(Sun)]

fumihouse-2022-07-17T22_38_59-1-thumbnail2.jpg是枝監督の『ベイビーブローカー』。スタッフもキャストもほぼ全員が韓国人からなるそうだ。『パラサイト家族』で加齢臭漂う主演を務めたソン・ガンホがブローカーのリーダーという設定である。

降りしきる雨の中の赤ちゃんポスト。若い母親が男の子を捨てるところから映画は始まる。筋は書かないが、すべての命が生きるに値する、重要な価値を持つ命であることを肩肘張らずに述べている。

その軸にいる赤ちゃん。実に名優であると思った。静かな眼差し、落ち着いたたたずまい、笑顔が可愛らしいこと・・・そうした名演に助けられてか、物語では誰もが売りたくなくなっていく。

誰が主人公か、と思えるほと皆が赤ちゃんを大切に思うようになる。サスペンスの要素が入ってきて結末に向かっての楽しみが増す。赤ちゃんを取り巻く5名はまるで、疑似家族のようになってロードムービーが進行していく。その子の幸せを願い行動する温かさに満ちてくる。目も覚めるような景色やシーンは出てこないが、決して眠くなることはない映画であった。
何もない否何かあるきっとある [2022年07月16日(Sat)]

fumihouse-2022-07-16T13_33_33-1-thumbnail2.jpgSomething is better than nothing.

直訳すれば・・・何かあれば何もないよりはよい。
ひねると・・・何もやらないより何かやったほうがまし。
意訳すれば・・・諦めるな、なす術はある。
さらに操れば・・・やり切るんだ! 活路は開ける。

(フロックス(草夾竹桃)は思うのか。自分はなぜ木の夾竹桃に似ているのか? なことはない、あるがまま)
合同で窮状土を踏んで舞う [2022年07月15日(Fri)]

fumihouse-2022-07-15T18_29_00-1-thumbnail2.jpg高校野球の島根大会が一昨日開幕した。初日第一試合で強豪の開星高校と対戦したのは、江津&浜田水産の連合チームであった。島根では初の合同チームとしての参加となる。残念ながらコールドゲームで敗れたが、チームは粘り強く全力プレーを貫いたと新聞は伝えた。

なぜ合同でチームを組むのか。言うまでもなく、部員不足の故である。江津は7人、浜田水産5人で足して12人の極少チームだ。野球をやるために入学して(決してそれだけではないが)、最大最高の大会である夏の甲子園予選に出場すら出来なかったのでは泣くに泣けない。苦渋の選択にはなるが、隣市にある高校同士が組むのは当然の流れである。

野球の人気は長期低落傾向にある。大谷翔平などスーパーヒーローは生まれはしたが、野球少年は少なくなった。外遊びやスポーツを楽しむ少年は少数派だ。いてもサッカーや他の野外スポーツに人気の座を明け渡している。チームスポーツということで力関係の強弱が生まれやすい。指導者には暴力やパワハラを日常茶飯に行う化石化した人びとも残っていることであろう。そもそも少子化の波をもろにかぶる。

出場するのは38チーム。以前は40校が参加していたものだ。これからも減ることになるのであろう。全国的にも傾向は同じである。さて島根大会は、順調に試合が進むと決勝は7月27日となる。

(夏といえば甲子園球場。そして蔦の茂る球場壁。写真は繁茂しすぎて困ってしまう葛(くず))
蜩よ玄なる響き夏の朝夕 [2022年07月14日(Thu)]

fumihouse-2022-07-14T18_29_28-1-thumbnail2.jpgヒグラシの初鳴きは7月5日だった。暑さが残る、いや、夜にかけてさらに暑くなりそうな気配の夕方に現れた。草むらと竹やぶ、林の向こうから轟くようにやってきた。

ヒグラシはシンクロして鳴く。カナカナ、シュシュッと一団となって鳴き声が固まっていく。もちろん合唱するようにはいかないが、明らかに一塊をなして声の濃淡を醸し出し、種の存在を主張する。幽玄の趣、日本の美。部活帰りの高校生に似合う。幽霊だってその気になって出てくるぞ。

朝のヒグラシは喜ばしい。その日の曇り以上の天気は保証する。さあ起きて起きてと、布団から誘い出す。二度寝をしたら、いつの間にか消えていく。亡霊のような一群だ。

あの日は一匹のみだったが、シンクロこそ出来ないにしても、存在感はたんとあった。だから轟くと書いた。さあ、次はミンミンゼミか、アブラゼミか、クマゼミか。誰でもいいぞ、たんと来い!

(ハイビスカスも家々の植木に存在を主張している。夏だ夏だと)
始めよう終わりなきかな無窮の花 [2022年07月13日(Wed)]

fumihouse-2022-07-13T17_58_23-1-thumbnail2.jpg歴史学の碩学・トインビー博士は、あるとき後輩に次のように言ったそうだ。

 次の仕事にとりかかる適切な時は、
 明日でもなければ、来週でもない。
 今すぐです』と。
 アメリカの慣用語を添えて。
 ライト・ナウ!

始めよう。すぐに始めよう。やることは数多ある。一つずつ順番に、丁寧に。いい加減にやって手戻りすれば余計に手間がかかるのは十分承知のこと。一日の仕事を終えたとき、適度な疲労感と満足を残すのだ。また明日も飽くなき一日で!

(ムクゲはわずか一日でしぼむ。しかし次々と蕾が開くゆえに韓国では無窮花(ムグンファ)と言われ国の花。多くの国難を耐えてきた人々を示すにふさわしい)
大台を越えて驚天動地なり [2022年07月12日(Tue)]

fumihouse-2022-07-12T18_32_00-1-thumbnail2.jpg【1262人】
島根県がホームページで発表する前日のコロナ感染者数を、昼前後に確認するのが習慣となっている。今日は目を疑った。陽性者が1262人である。松江保健所管内 502、出雲 445、益田 182、浜田 59、県央 39、雲南 30、隠岐 5。島根にとっては途方もない大波乱を呼ぶ数字となった。

大台を超えた。千人以上を記録することは他県では珍しくないが、人口66万人の島根県にとっては、とてつもなく桁ハズレの感染者数。累計で2万7千人を越えたので、4%強の人が感染したことになる。

ウイルスは尽きない。私たちの周囲には無数に存在する。四方八方を敵に囲まれた中にあって、私たちはどうすべきか。大して症状は出ないとはいっても、後遺症に苦しむ人がいる。症状が出なかったのにもかかわらず、復帰後に不調を訴える人もいるという。ともかく罹患しないのが一番だ。

基本を守ろう。手を石鹸で洗う。唇や鼻に手を当てたり、目をこすったりしない。マスクの着脱の時は口に当たる部分を触らない。食べて、休息をしっかりとって免疫力を後退させないようにする・・・。

永遠に続くことはない。底なしの脅威ではないはずだ。果てのない戦いと思えても終わりは来る。うんざりせずに、あきらめずに、驚天動地の状況を忍んでいきたい。打開策は必ずある(そういえば治療薬はどうなってる?)。
夏が来たセミが鳴いてるドレミファソ [2022年07月11日(Mon)]

fumihouse-2022-07-11T16_42_20-1-thumbnail2.jpg毎度のことながら、変わり映えなくセミのことを書く。

ニイニイゼミの初鳴きは6月25日だった。私が聞いたときを初鳴きと言っている。荒神谷遺跡公園の二千年蓮池に忽然と響くニイニイゼミの声(あえて声という)。今年は早くから暑さにうだったが、セミの声を聞くと陶然とした。なぜか初鳴きは、うっとりと酔いしれて感無量となる。特にニイニイゼミは、夏の序盤から中盤にかけての通奏低音と言ってよい。戸外には常にこれ。屋内にも声は鳴り響く。夏のイメージとしてニイニイゼミの声は欠かせない。

その声は文字では形容できない。名のとおりニーニーというのでは物足りず、金属的な感じに鋭く濁る。ジーン、キーンを混ぜた感じ。なおかつ、ニイニイゼミは音程を変える。ひとしきり鳴いて間断を置かず(息継ぎ不要というのがセミのいいところ)、音程が上にでも下にでも変わる。何十ヘルツの違いだと思うが、次々と音域を変えていくのが面白い。

セミの音程は音階の1度ほども変わらない。ドとレ、ラとシほどの違いはない。その微妙な異なりによって、辺り一帯に猛暑を醸し出していくのである。

しっかりと間断なく鳴いている。それぞれが多重に夏の濁りを染み出していく。耳鳴りのごとく、耳について離れないニイニイゼミの声。夏は始まっている。どんな夏になるのだろうか。

(ノウゼンカズラは夏の使者。艶やかで色気のある夏をエロい感じが彩る)
残念な梅雨が過ぎたよ夏盛り [2022年07月10日(Sun)]

fumihouse-2022-07-10T21_24_00-1-thumbnail2.jpg家を出るときには降っていなかったのに、途中で小雨が降り出すと困る。折りたたみ傘を出すべきかどうか。仕事を終えてからも同様、職場からバス停まで折りたたみ傘を広げるかどうか、迷うのが小雨どき。ざんざと降るなら諦めがつくが、そうでなければ濡れてしまった傘を畳まなければならないのが面倒だ。電車内で濡れたまま傘を足元に置いておくのは不安がある。濡らさずに折りたたんだままの傘を温存したいのである。

そういう点でわたしは帽子をかぶって外を歩くので便利だ。ツバが雨を防いでメガネが濡れるのを防いでくれる。髪もベタベタしない。少々の雨ならばエイヤっと走っていける。

ともあれ、雨が少ない。6月ひと月の雨量は出雲でたったの80ミリ。水瓶となるダムの貯水量が足りない。このまま水不足の夏となるのだろうか。それは困る。子どもたちの水遊び、プールの自粛に甘んじることは考えたくない。適度な雨よ、降ってくれ。

(ジャガイモの花も雨を待ち望んでいたろうに、残念で短い梅雨だった)
生きている僕らはみんな生きる日々 [2022年07月09日(Sat)]

fumihouse-2022-07-09T17_59_50-1-thumbnail2.jpg浜田マハ著『生きるぼくら』。引きこもりの話。しかも母に愛想つかれて捨てられた青年の話。あーやだやだ、読み進めるのが辛いな、と思った。でも、著者の見事な筆致に次のシーンが読みたくなって引き込まれていく。ハッピーエンドである。

主人公の人生(名前)は認知症を患ったばあちゃんとともに暮らすようになる。不思議な縁で同じ屋根の下で暮らすのは、死んだ父が営んだ二度目の家族の片割れ、つぼみ。両者に血縁関係はない。いじめられて生きることをはかなんだ人生だったが、蘇生のときが来た。介護の仕事に就き、稲作をし、丁寧に懸命に日々を過ごすことを繰り返すうちに蘇っていく。それは、つぼみにも言えることで、3人の家族は周囲の人々に支えられながら温かい家庭を築く過程が微笑ましい。

『生きるぼくら』と題した写メール。人生が稲が成育するごとに撮影して皆に送る際、毎回つけていた表題。収穫の時、稲刈りを終えて、≪黄金色の稲架かけの前に立ち、弾ける笑顔の五人。人生、つぼみ、純平、志乃さん。そしてばあちゃんも。豊穣の時を迎えた、最高の笑顔が小さな画面に写っていた≫。豊穣は一回では終わらない。やがてばあちゃんも亡くなるであろう。しかし別の形の豊穣が人生とつぼみの日々を満たしていくであろう。それを予感させて小説は終わった。

(きのう安倍晋三氏が凶弾に倒れた。あの人はどんな小説を読んできたのだろうか。ともあれ冥福を祈る。不幸なことではあったが、すべてのテレビ番組が安倍氏一色となってその死を悼んだ。在任期間最長を誇る元首相であり、経済政策や外交で数々の成果を上げた人。背も高く先進国首脳の中でも押し出しがきき、多くのパイプを持っていた。汚点もあったが、選挙遊説中に撃たれたことも含めて安倍氏は伝説の政治家になる)
檜扇を翳して恥じる乙な姫 [2022年07月08日(Fri)]

fumihouse-2022-07-08T08_05_38-1-thumbnail2.jpg昨日は七夕。雲間にベガとアルタイルが見えるかも、と期待して外へ出た。織姫と彦星の逢瀬を見ることは叶わず、空は雲で覆われて何一つ見えなかった。地上は曇りだからこそ、恥ずかしがり屋の織姫に、彦星は密かに会いに行ったのにちがいない。二人はありったけの愛を込めて見つめ合い抱き合っただろうか。

両者は15光年の距離を隔てているから無理だって? 確かにそうだ。光速の宇宙船に乗って7年半後に天の川で二人が落ち合う。星の舟でたゆたうロマンス。甘い甘い一夜。一夜限りにサヨナラして舞い戻ったら往復15年。また会いたいねえと、再び15年ぶりの邂逅で抱き合う二人。切ないねえ。まっ何億年も生きてきた二人だから15年など一瞬だ。会えないまでもウインクして星の瞬きを送れば合図は送れるか? いやいや、ウインクだって光で送るから15年。

目覚ましに起こされると、リズミカルな雨音。心地よかった。涼しいのは雨のおかげだったのだ。ふと気がつくと40分も過ぎている。二度寝してしまっていた。きっと彦星になった夢を見ていたのにちがいない。

(ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)は、天の川の水辺で檜扇をかざして恥じらう織姫星)
減衰し返す返すに振り返り [2022年07月07日(Thu)]

fumihouse-2022-07-07T19_12_07-1-thumbnail2.jpg≪ナイロン弦のクラシックギターは、一音一音が減衰する (音量が小さくなる)のが速いので、点描を重ねて絵画を作るようなもの。点と点、それをつなぐ音のない間は、聴く方にとって、自分を見つめる時間になる…‥。
 ギターの音色が心の回転木馬を巡らせ、過去のいとおしい記憶をよみがえらせてほしい。出会いや別れ、いろんな事があったけれど、「それらを乗り越えてきたから、今がある」と、今をもっと輝かしく感じてほしい。≫ (ギタリスト 木村大,聖教新聞7月3日付スタートライン)

なるほどー。ギターの弦を弾く音は点描なのか。点をつなぐが故に、過去の愛おしさを蘇らせるのか。うーん、完全に納得はできないが、減衰すると消えたようには思える。しかし耳をすませば、別にすまさなくても、甘い音は継続している。その弱まった継続音には、自分を見つめさせる力がある‥‥‥それには首肯できる。

ギターの演奏会に行くと、過去の甘い酸い記憶が甦るのだ。それは懺悔に身をよじる苦しさではなくて、返す返すもいろんなことがあったなぁと、過去を万感の思いで振り返る縁(よすが)となる。自分で弾くときはそんなことに思いを馳せる余裕はないが、他人の音は、特に見事な演奏は、かつての頑張りようを振り返る機会となる。「それらを乗り越えてきたから、今がある」と、誇り高く輝きたい。

(ムクゲの季節である。木槿の槿の字は硬そうではあるが、柔らかなハイビスカスに似た花もちだ)
釣り糸が弦に化けたよ70年 [2022年07月06日(Wed)]

fumihouse-2022-07-06T18_54_41-1-thumbnail2.jpgギターの神様・セゴビアの大功績の一つに、ナイロン弦を広めたことがある。ギター製作家のオーガスチンとともに、デュポンの釣り糸を使って開発した。戦後ガット弦(羊の腸をより合わせて作ったもの)が極度に不足したことをきっかけに、セゴビアが働きかけて1954年に完成させた。オーガスチンブランドには今もなお、セゴビアの肖像が使われている。

ナイロン弦が生まれたことは革命だった。ガットに比べて格段に持ちが違う。ガットの1弦は細いので数時間でささくれだって、使用に耐えないという(使ったことはないが)。人の手で撚り合わせて作るガット弦は甘くて深い音がするらしい。しかし、当たりハズレがある上に、高価なためにギタリストの懐を痛めたことだろう。

ナイロン弦でも、カーボンの混じったナイロン弦でも安定して深くていい音がする。あのセゴビアトーンもまた、ナイロン弦で生まれた音なのだ。もちろん、タッチの良し悪しがあり、ギターの造りにもより、弦の個性と弾き手のマッチ度も違うが、その恩恵に浴して今夜もまたギターを楽しむことにしよう。

(ナスタチウムのように鮮やかなレッド。そんな音が出せたらいいなぁ)
好奇心前進力を失うな [2022年07月05日(Tue)]

fumihouse-2022-07-05T18_59_13-1-thumbnail2.jpg好奇心に目を輝かせる若い女性に会った。若いって素晴らしい。もちろん常に目を輝かせていることはないだろう。ため息が漏れて失意に胸をすぼませることもあるだろう。しかし、そんな人は決して立ち止まらない。後ずさることもない。迂回して難を避けたとしても、安全と見極めたならグングンと歩みを進めるであろう。多少の賭けはするにしても、若いってことは許されること(年取ったら許されないことはないが)。好奇心、前進する力‥‥失いたくないね!

(ヒルガオだって太陽が暑すぎるからといって、咲くことを決して止めない。敢然と咲き誇る)
愛なきの感性除け人を超え [2022年07月04日(Mon)]

fumihouse-2022-07-04T17_55_48-1-thumbnail2.jpg三浦しをん著の『愛なき世界』。著者の文力にグイグイ引き込まれる。藤丸と本村の恋の行方はどうなるのか? シロイヌナズナという研究基準となる雑草(研究者たる本村には可愛いが)が、試薬に光って煌めく天の川のような風情を醸し出すという、ビジュアルを想像させてくれて憧れは尽きない。

≪本村と会ってから、藤丸には世界がこれまでとはちがって見える。料理で使う野菜はよりうつくしく輝きを帯び、なんということもない都会の風景のあちこちにある緑が目にとまる。なんてたくさんの植物が、地球上で生きているんだろう。さびしさをふと忘れるほどに≫

藤丸に与えられた、恋する感受性。恋の禍福は甘酸っぱい。当人には苦しいばかりではあっても、周りの者は温かく見はしても、じれったくてしょうがない。藤丸はよーく頑張った。本村もそれなりに応えた。愛を直接表現することはなくとも、植物たちは人間が愛を醸し出す土壌となってこの地球に存在している。「愛なき」とは人間の錯覚であって、大宇宙から見れば人間の愛など、芥子粒ほどのものでしかないかもしれない。

派手さはないが、草花やキノコ類が散りばめられて、バックは深奥なる宇宙か、深海か。魅力的な表紙絵に惹かれて、文庫本上下2巻を買った。帰りの列車でページをめくるうちに、何年か前に単行本で読んだことを思い出した(調べてみると3年半前)。まっいいか。ニコニコ、ヘラヘラしつつ、結末は思い出せななかった2回目の読書を楽しんだ。

(しばらく雨を待ち望んでいた、この萎びたネムノキも雨の愛を受けて溌剌としたかもしれない)
半夏生暑さも半分にしてほしや [2022年07月03日(Sun)]

fumihouse-2022-07-03T12_54_28-1-thumbnail2.jpg玉造温泉について出雲国風土記には次のように記す。

一たび灌(すす)げば形容(かたち)端正(きらきら)しく 再び浴(ゆあみ)すれば 万(よろず)の病(やまい)悉(ことごと)くに除(のぞ)こる
古より今に至るまで験(しるし)を得ずといふことなし
故(かれ) 俗人(くにびと) 神湯と曰ふなり

全ての病はことごとく治るか。ケガも治るだろうな。2週間ほど前に左親指の付け根を捻挫して以来、何気なく動くたびに痛みを感じて不自由していた。玉造の湯の効用で魔法のように治ることを期待したが、そうは問屋が卸さない。やっぱり痛い。まっ、伸ばしたり広げたり、リハビリする時期になったようなので、のんびり完治を待とう。

(半夏生は初夏の植物。暦では夏至から11日目が半夏生。クルマを濡らす程度に雨は降ったが、暑さ変わらず)
様子見て何もしないの言い訳に [2022年07月02日(Sat)]

fumihouse-2022-07-02T09_43_56-1-thumbnail2.jpg【しばらく様子を見る】
何もしないで置いたままにすることと同義。もしくは、気にかけておこうと思っているうちに、いつの間にか忘却の彼方に消える場合も多い。日薬でもって、日にちが経つことで治っていく、癒えていくケースもあるにはあるにしても、何らかの対処はしておいたほうがよい。

いつするか? 今でしょ、今しかないでしょう。何かやっておけば、あるいは忘れないうちにメモしておけば、一歩は進んだことになる。それはしばらく様子を見ると同義にはならないはずだ。

(テイカカズラの様子をしばらく見るうちに、盛りを過ぎてしなびていった)
マスク付け顔の一部が強迫か [2022年07月01日(Fri)]

fumihouse-2022-07-01T22_29_08-1-thumbnail2.jpg職場ではひとに呼びかけられたらマスクを付ける。もちろん自分から話しかけるときもマスクをしている。それが終わると外す。駅では改札を出たらすぐに取ってポケットに入れる。もちろん戸外を歩くときにマスクを付けたままなんて、とんでもない。

まだ春のころ、クルマが多い通りを歩いているときは、粉塵を吸い込まないよう、マスクを付けていた。花粉防止のためにも有効だった。今はもうどうでもいい。口の周りに熱い空気をまとうなんて嫌だ。

強迫的にマスクを付けている人がいる。どんなに暑くても、他人が近くにいなくても、自分がしゃべっていなくても、強制されたかのように付け続ける。それもかなり多い。マスクが身体の一部になったかのようだ。私には耐えられないが、これがフツウになった。もう3年前には戻れそうにない。

(マスクをしたまま歩いていると、クチナシの香りも逃してしまう)