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寅年に虎が動けば年変わる [2021年12月31日(Fri)]

fumihouse-2021-12-31T21_29_40-1-thumbnail2.jpg丑年から寅年へ。
(モー)烈に働き過ぎたのは過去のこと。働き方改革も相まって、(牛)のようにじっと我慢の辛抱は(モー)たくさん。稼いだはずの日本の経済は凋落の一途。ジャパンアズナンバーワンと誉めそやされたのは40年前。あれは張り子の(虎)だったのか。

時代は変わり、飲み会が少なくなったこともあり、荒っぽい酔っぱらい(虎)はぐんと減った。ファッションも(トラ)ディショナルが見直されて巷に散見。昨年失速した(タイガース)は今年こそ優勝を狙う。10年ほど前に始まった(タイガー)マスク現象。伊達直人の名義で児童福祉施設に金品を匿名寄付する行為はいまも続いているらしい。要らない物が届いたらどうする? 必要な団体にあげればよろしい。タイガーも喜んでくれる。

コロナ終息へ、騎虎の勢いで進めや人類! 挑戦なくしては新境地は開けない。虎穴に入らずんば虎子を得ず。きっと、敵がはびこることだろう。前門の虎・後門の狼の状況を飛び越えて、虎に翼の世界は開けるさ。

2021年が暮れていく。2022年はどんな一年になるのか。なるのではなく、するのだ。2022年の行く末は私たちがどんな意思を持ち、どんなふうに行動するかにかかっています。太き善き流れ、大河にすべく、良い年にいたしましょう。

(夜中積もった1センチの雪は太陽の熱で溶けると思いきや、気温が低く残ったまま。夜になり再び雪が舞い始めた)
同じくも価値の違いか貧乏か [2021年12月30日(Thu)]

fumihouse-2021-12-30T16_45_29-1-thumbnail2.jpg【時間資産】と【時間負債】
前者は、無駄なく効率的に管理することのできた時間。当然生産性は高く、未来の行動が節約できる。余裕をもって何事にも対処できる。ところが、そうは問屋が卸さない。わたしを含め多くが安逸に時間を費やし、サボってやろうと思うがちだからだ。無為な時間もまた楽し、とつむじを曲げるようにして意に反する行動もとる。これが後者の時間負債。悔やんでも後の祭り。何かをした結果で悔やむのは、まだよい。うじうじと何もせず、時間を費やすというのが一番の後悔のもと。時間負債となるのもやむを得ないか。先行した時間を食いつぶし、時間貧乏に陥る。

刻々と時間は過ぎて、時計の針は進む。今年も残すところ1日と少し。

(島根・大根島の牡丹でも眺めて気を取り直して引き締めよう)
2021年残す3日を楽しむぞ [2021年12月29日(Wed)]

fumihouse-2021-12-29T15_28_50-1-thumbnail2.jpg残すは3日。2021年ともサヨナラだ。実現したことがある一方で、やり残したことはたくさんある。でも諦めてはいけない。残りはある。

年齢とともに時間が経つのが早くなる。時間の絶対量は平等だが、時間が流れる感覚は違う。充実した時間を過ごしているとたちまち過ぎていくが、苦しみを感じる時は長い。

ジャネーの法則という。時間の心理的長さは年齢に反比例し、6歳の子供の1日は60歳の10日に相当する。60歳の10年は6歳の1年分でしかない。目にするもの、聞こえてくるもの、読み進める文章が新鮮に思えて好奇心を保ってときめく。そうしていくうちに、時間は何倍にもなっていく、はずだ。

いずれにせよ、誰とも「あっという間に今年もおわりますね」と話を合わせて、歳末の別れを交わし合う。さて、やることをやって、ギターを弾く時間を捻出しなくてはなるまい。
正月に年を数えて交わし合い [2021年12月28日(Tue)]

fumihouse-2021-12-28T08_09_13-1-thumbnail2.jpg数え年では元旦に一つずつ年をとります。みんなが一斉に年をとって隔てがありません。これも悪くありませんね。その名残だと思いますが、いまも正月前には「よい年をお迎えください」と言葉を交わして別れます。

「よい年」にはどんな意味が含まれているのでしょうか。歳末の慌ただしい日々を無事にやりくりし、正月を迎える準備を一切合切やりとげて、年齢を一つ重ねてめでたい初日の出を拝む・・・そんなことを想像します。幸せに歳を重ねたいという人びとの願いが幾歳月、色濃く重ねられてきたのでしょうね。

読者の皆さん。よいお年をお迎えください!
寒波くる雪道歩く通勤で [2021年12月27日(Mon)]

fumihouse-2021-12-27T08_00_46-1-thumbnail2.jpg昨日から雪。強い冬型が続いてきょうも雪。早朝のJR運行情報によれば、鳥取・米子から西は平常運転と表示していたのに、駅へ来てみるといつもの通勤列車は運休。寒い待合室で待ちぼうけをくらっています。積雪は10センチもないのですが、鳥取・倉吉より東側の鳥取県から京都、滋賀辺りまでが大雪となっています。

リュックサックを通勤用に使うようになってから何年か経ちます。以前は手持ちのブリーフケースを使っていました。それより前はソフトアタッシュケース。片手がふさがって、雪の日には心もとないのです。身体のバランスが崩れて危ない。雪の歩きをするときです。

視線は50センチ先に落とし腰をかがめる。足裏全体で着地して小股で歩く・・・傘を杖にするという方法もありますが、邪魔になります。雨と違って雪ですから濡れる心配はそれほどありません。いたってカッコ悪い姿で歩くのが雪道で圧雪があるときのセオリーです。

この稿を書くうちに30分。まだ次の列車は来ません。冷えたベンチに座らず立っています。
やりとりを互い喜ぶ手紙かな [2021年12月26日(Sun)]

fumihouse-2021-12-26T13_58_57-1-thumbnail2.jpg≪手紙を送ったり送られたりする友だちがいる。
 それは、ほんとうに嬉しいことだった。もっとも、純子ももちろん、携帯メール派だった。この一年は特に。だって、いちおう、旅人みたいなことをしていたのだから、決まった住所がなければ、手紙など受け取れないわけで。
 けれど、もと通りに決まった住所を得るようになって、そして成子から手紙をもらってみて、ああ手紙が欲しいなあ、と初めて思ったのだ。≫ (『花々』原田マハ著)

わたしには定期的に「手紙を送ったり送られたりする友だち」はいない。電話はある、メールもある、訪問もある。しかし手紙はない。それでも年賀状のやり取りをする友はいる。ご無沙汰が過ぎて、年賀状でしか交流がない古い友だち。形式的になりがちだが、元気にしているというメッセージを伝えるだけであっても価値はある。

さて、年賀状の作成に着手しよう。積雪がある。6、7センチといったところ。現在は雪の合間の晴れ間がのぞいているが、再び雪になるであろう。さあ今のうちにやってしまおう。
日常の小さな野望果たすとき [2021年12月25日(Sat)]

fumihouse-2021-12-25T13_37_05-1-thumbnail2.jpgearth music & ecology のキャッチコピーにこんなのがあった。

  すきな仲間と、
  すきなごはん。
  という野望。

「野望」かぁ。日常の当たり前だったことが、今はできない。屈託なく大声を出し、肩を叩きあって馬鹿話に興じることはない。飲み食いで口を開けたら、さっさと放り込んで、すぐにマスクをする。用心するならそうするしかない。口の障壁でしゃべりが不自由になる。眼鏡が曇る。周囲がやかましいと言葉が通じにくい。思うにまかせない飲み会では解放感が満たされない。

好きなだけしゃべり、パクパクぐびぐびやる・・・まさに「野望」だなぁ。やりたいなぁ。
牛乳を飲んで救おう北海道 [2021年12月24日(Fri)]

fumihouse-2021-12-24T15_55_51-1-thumbnail2.jpg牛乳を飲もう。乳製品を食べよう。わたしの一口で北海道の酪農を救う、なんておこがましいことを言うつもりはないが、塵も積もれば山となる。微々たる助けとなるかもしれない。

北海道の生乳生産量は過去最高を更新しているそうだ。数年前に起こったバターやチーズの不足に応えるため生産量を増やしたことがあるだろう。また酪農家の設備投資や乳牛拡大がピークを迎えたとも聞く。一方で消費が低迷している。新コロナのせいである。外食の機会が減り、観光客が減少すれば自ずと需要が落ち込む。

脱脂粉乳やバターに加工することで、生乳の廃棄を防ぐことはできる。しかしそれも一時的なこと。食べたり飲んだりしてくれないことには、在庫は際限なく増えていく。北海道の酪農は日本の原初。危機を乗り越えて、国産の牛乳や乳製品を残してほしい。

金曜日の昼下がり、わたしが飲んでいる牛乳はセブンイレブンで買った「毎日の食卓牛乳生乳100%使用300ml」。渇いた喉にぐびぐび注ぎ入れた。

(牛乳のように白いニチニチソウ。どんな味する?)
累卵の危うきドラマ我が胸に [2021年12月23日(Thu)]

fumihouse-2021-12-23T19_11_39-1-thumbnail2.jpg【累卵の危うきにあり】
日々が安定して豊かであるように見えても、実はそうではない。資金繰りの悪化で会社の経営が傾く。わずかなすれ違いが誤解を生み人間関係が崩れる。油断や不運から事故を起こす・・・。こんなはずではなかったと、ほぞを噛んでも後の祭り。だからこそ人生はドラマである。

運命に引き裂かれ、強く生きようともがいても、しなやかに生きることは難しい。傍目で見て、ああすればいいのにとほざいても無責任な傍観者。作り物のドラマも同じこと。画面に没入して視聴者も悲しみ、そして笑う。

朝ドラ『カムカムエブリバディ』は昨日第一部の最終日を迎えた(三部立てなんて初めて)。戦争という巨大な歯車に押し潰されて、運にも見放されても翻弄されていく登場人物たち。安子は最愛のるいと別れた。もがいてもなお、あの頃の幸せは帰ってこない。幸福はいつでも累卵の危うきにある。

人生のドラマは負の要素ばかりではない。ひとが更生し、思いがけない幸運に回生の光が差す。禍福は糾える縄のごとしと言うとおり、決して諦めず捨て鉢にならず、丹念に生きよと劇中のドラマは教えてくれる。ドラマに泣くもよし。大いなるストレス解消装置となりましょうぞ。

(藤袴の花もまた累卵の危うきにある。叩きつけるだけで哀れや、バラバラになる)
ガムは板いまは糖衣のタブなのさ [2021年12月22日(Wed)]

fumihouse-2021-12-22T18_53_18-1-thumbnail2.jpg伝統的にガムは板状だった。お菓子としてのチューインガムがあった。6、7枚の板を重ねた包み紙の端を切って一枚取る。帯に巻いた紙を抜くと銀紙で覆ってあり、剥いて食べる。

甘味を楽しみながらしばらく噛んで舌と歯で細工して息を吹き込むと膨らむ。上手くやると眼前に球体が広がる。パチッと弾けて鼻や口の端に付いて気持ち悪い。人口甘味料は長くは続かない。飽きてしまって紙にくるんでポイ。

今もチューインガムはあるのだろうが、もっぱらキシリトールガムばかり噛む。歯に悪影響を及ぼさない。噛むうちに口中はスッキリして気持ちいい。チューインガムは噛むうちに脆くなって柔らかだったものだが、糖衣のタブレットガムは噛むうちに強靭になる。

噛みごたえがあるものだから、親の仇とばかりに噛む。バランスを崩すと口の内側を噛んで痛い思いをする。ガムが血の味になる。血の味を噛みしめたくはないが、鞄や車の中にガムは欠かせない。

(オシロイバナに味つけてクシャクシャ噛んだならきっと何かを感じるよ)
繊細な星から届くギターの音 [2021年12月21日(Tue)]

fumihouse-2021-12-21T18_18_08-1-thumbnail2.jpgアンドレス・セゴビアはこう述べています。ギターは小さなオーケストラ、と言ったベートーベンの言葉を本歌取りしたものでしょう、多分。

≪ギターはオーケストラに似ていますが、その音は、地球よりも小さくて繊細な惑星から届いてくるかのようです≫

本歌取りとはいっても、追従しているわけではない。バラエティに富んだ音質と深みに彩られるギターの音楽は次元が違うと言いたいのでしょうか。もちろんオーケストラの音楽がつまらないというのではない。それとは異質の魅力がギターにはあります、多分。

惑星からの音を届けるためには、鍛練が必要です。剛力がいり、芯のある微細な音も出せなくてはなりません。テクニックを学び、伝えたい何事かを聴き手にわかってもらいたい。さあ、今夜も練習に邁進です。もちろんやるべきことは、しっかりとやらなくてはなりませんね。

(ほかの星からやってきたブロッコリー、てなことはない)
年越しも年明け麺も美味しいぞ [2021年12月20日(Mon)]

fumihouse-2021-12-20T16_21_42-1-thumbnail2.jpg年越しそばは江戸の昔からある。年明けうどんのことは知らなかった。香川では縁起物の饂飩を祝い事のたびに食べるようで、正月も例にもれない。そこで讃岐うどんの業界が10年あまり前に始めたようだ。うどんは太くて長い、そして白くて縁起がよい。赤い蒲鉾、梅干しなど赤いものをトッピングすれば紅白となってさらに良いと。

年越しそばはあと11日後、食う食わないにかかわず、年明けうどんも近い。さて年賀状を買いにいかなくちゃ。

(一昨日はうどんのように白いあられが降って、地面で水を含んで透明になった)
忘れ物あちら取ったら立たないぞ [2021年12月19日(Sun)]

fumihouse-2021-12-19T19_56_33-1-thumbnail2.jpg忘れ物をした。ショッピングセンターの本屋で買い物をした際、コピーした何十枚かの紙をクリアファイルに入れたのを、レジのカウンターに置いたまま帰ってしまった。漫画『キングダム第63巻』を手に入れて心が踊っていたのだ、きっと。

1時間後にショッピングに戻り、幸い忘れ物は手元に戻った。サービスカウンターで書類に住所と名前、電話番号を書くだけのことであった。

また幸いに個人情報が書いてある紙でもない。ただ積雪時の除雪計画を示す出雲市からのお知らせを、自治会の皆さんに伝えるためのコピーであったから害はない。時間を余計に使っただけのことだ。

それでも、魔は天界に宿る。油断すると足元をすくわれる。歳末の慌ただしい時季でもある。注意めされよ!
珍馬名その意図不思議と感じられ [2021年12月18日(Sat)]

fumihouse-2021-12-18T22_47_22-1-thumbnail2.jpgNHK総合の『日本人のおなまえ』で珍名馬の特集をやっており、興味深く見た。初期は名字一辺倒だったが、やがて地名や物の名前などバラエティに富んだものになった。馬券は買わないので、馬の名前はこんなに面白いのかと見た。

オヌシナニモノ  スモモモモモモモモ  オレタチハツヨイ  オニャンコポン  バカニシナイデヨ  モグモグバクパク  ナンデヤネン  サバノミッソーニ  ビックリシタナモー  オレニホレルナヨ  ネコパンチ  ゴマスリオトコ  ダメダメダメダメダ  オレハマッテルゼ  オマワリサン  アラシヲヨブオトコ  オジサンオジサン  エガオヲミセテ・・・なんでもござれ状態だ。

北九州のある馬主さんが多くの名付け親のようである。上位に付ければ実況のアナウンサーが馬名を繰り返す。面白くて笑えるだけでなく、聞く人を元気づけたいとか、叱咤したいという意図があると言っていた。ところで馬の名前はなぜカタカナなんだろう。
滑走の浮遊の前の期待感 [2021年12月17日(Fri)]

fumihouse-2021-12-17T17_36_06-1-thumbnail2.jpgきょう12月17日は「飛行機の日」。米国ノースカロライナ州で1903年、ライト兄弟が動力飛行機を飛ばせた(浮かばせた)。その偉業から118年。軍事技術と相まって飛行機は長足の進歩を遂げ、飛行機は人々の暮らしになくてはならないものになった。日本での初飛行は1910年(明治43年)12月19日だそうだ。帝国陸軍の徳川好敏が行った。

もう、2年4月も飛行機には乗っていない。滑走のとき背もたれに押しつけるGの力、滑空に移った瞬間に感じる浮遊感と安堵感、雲海を見下ろす爽快感・・実に懐かしい。空の旅に気兼ねなく出かけられる時はいつになるやら。

(眼前に広がる雲海。その光と影に似た白菊)
歯ブラシの仕事させてよ弱力で [2021年12月16日(Thu)]

fumihouse-2021-12-16T18_22_17-1-thumbnail2.jpgヒゲを剃る際は秒速3センチでカミソリを肌に滑らせると前に書いた。「刃先」が最適な仕事をしてくれる。歯磨きも同じだ。ブラシの「毛先」を巧く使わなければならない。

ゴシゴシ強く擦ってはならない。強いと毛先が寝る。寝ると毛の腹で擦る。汚れを取ろうと強く歯に当てても期待に反し、毛先が仕事をしなくなる。そんな人の歯ブラシは毛先が曲がる。歯をきれいに磨くことは困難だ。

ブラシは握りしめずに親指、人差し指、中指の三本でゆるりと当てる。すると毛先がしっかりと仕事をしてくれる。だいたい一月が目安だと思う。安くて小さめの歯ブラシを買って毛先に仕事をさせてやり、惜しげもなく捨てていこう。

(透明感のある白いシクラメンのような歯がほしいけれど、叶えられそうにない)
糾える禍福を誇りこの2年 [2021年12月15日(Wed)]

fumihouse-2021-12-15T18_32_12-1-thumbnail2.jpg≪世界も私も、去年よりタフだ。≫とは、若い女性向け服飾ブランドの earth music & ecology のキャッチである。

私たちはコロナ禍を経て、確かにタフになった。身体接触を少なくするために、オンライン会議やキャッシュレス決済といった電子的手段を発達させ、3密を避ける知恵を定着させた。それを当然のこととして受け入れたことを、タフと言わずして何と言おうか。

感染第5波でもパニックにはならなかった。一部の野党政治家はやたらとエキセントリックに叫んでいたのは印象的だったが・・。そして今につながり、新株流行の兆しは見えないのは、心身ともにタフになったことの証であろう。

 ♪坊やが産まれて母さんは
  とってもとっても上手になった♪

そんな童謡があった。母はもちろん、子も父もじじばばも、このたびはタフになった。それは誇るべきことだ。

(ユリオプスデージーは冬最中となっても鮮やかな黄で人々を元気づけてくれる。これも誇ってよいことだ)
早とちり待ちぼうけなり冬の宵 [2021年12月14日(Tue)]

fumihouse-2021-12-14T18_11_09-1-thumbnail2.jpg帰り道。バスが来た。道が混んでいたのでもっと遅くなるだろうと予想していただが、意外に早かった。バス停まではもう100m。走りながらミニ懐中電灯を振って運転手に合図して、無事乗り込んだ。

しばらく行くと無事でないことがわかった。乗り間違いだ。目的のバスより早い時間の違う目的地。前にもやったことがある。バスの目的地表示を確認せずに乗ったものだから、この始末。バスが順調に走ってくれれば松江駅の次の乃木駅で列車に乗ることができる。

ただし順調に行けば、という条件であり、混んでいたらあえなく私の望みは潰える。一時閑弱の待ちぼうけとなる。頼むぞ!
信ずるは我が身だけなら寂しかろ [2021年12月13日(Mon)]

fumihouse-2021-12-13T18_38_32-1-thumbnail2.jpg信ずるに足るのは自分しかない。究極すれば、自分すら信じてはいけない・・・まるでゴルゴ13の世界であるが、感染症という目に見えない世界にあっては常識化したともいえる。

ただし、ウイルスや細菌に感染したかどうかという実体があるうちは構わないが、人間や精神活動そのものへの不信が渦巻いたならば悲しい。蔓延の初期、去年の春は知らない人と雑踏ですれ違うことすら避ける傾向にあった。ましてマスクを着用していないと、しゃべったり荒い息を吐いていない状態であっても、イヤな雰囲気を醸し出した。これは差別にもつながり、人間同士の連帯感を破壊する。やるせないことだ。

オミクロン株が置き換わって、全世界を侵食していく現在。英国では1日5万人以上が感染していると聞く。が、重症者が倍々ゲームで増えて死者が類類・・・といった話を聞かない。ひょっとして新コロナも普通の風邪並みの感染で収まる時が来たのだろうか。

東京では今日の発症が7人だと聞く。この奇跡的な安穏ぶりは信じられないが、誰もが戦々恐々となってマスクを着け、感染対策を継続しているおかげだと思う。前述のゴルゴ13の発想が定着したのかもしれない。しかし人間不信の世の中にだけはしてはいけない。

(高くそびえる皇帝ダリアを見よ。冬空の今も、堂々と咲き誇る)
欠礼の寒中見舞いはいかがかな [2021年12月12日(Sun)]

fumihouse-2021-12-12T20_54_56-1-thumbnail2.jpg喪中につき新年のご挨拶を失礼させていただいます
◯◯が□月■日に△歳で永眠いたしました
ここに本年中に賜りましたご厚情を深く感謝いたしますとともに
明年も変わらぬご交誼のほどお願い申し上げます

年賀欠礼のハガキが来ている。年ごとに増える気がする。わたしがその立場になったらどうしようかと考える。欠礼ハガキは出したくない。正月に年賀状が届かないなんて寂しいじゃあないか。場合によっては悲しみから一年近くも経過して喪中は明けている。となると、年が明けてしばらく経ったら、寒中見舞いの形で欠礼の理由を明らかにして新年のご挨拶をするのがよろしかろうと思っている。今そうした状況にないのは幸いではある。
愛のあるアイメッセージなりありがとう [2021年12月11日(Sat)]

fumihouse-2021-12-11T22_53_34-1-thumbnail2.jpg青少年育成アドバイザー養成講座で、相談・助言の演習で講師さんから教えていただいた。アイ・メッセージで発せられた言葉は相手を、特に子どもを勇気づけるメッセージとなる。その3つは「ありがとう・嬉しい・助かった」で、曽山和彦氏(名城大教授)が述べられていると。

youではなくて、Iを主語にして相手に伝えることは簡単なようでできない。頭に血が上ると、「だいたいお前は・・」と相手が主語になる。相手の勇気を湧き立たせる言葉とはならない。ガンバろっと。

(姫椿のピンクは人を元気にしてくれる)
老後には資金だけではやれません [2021年12月10日(Fri)]

fumihouse-2021-12-10T18_38_25-1-thumbnail2.jpg映画『老後の資金がありません!』は、なかなか笑えないコメディだった。長いものに巻かれてしまいがちな夫(松重豊)、要求するばかりでケチケチでうるさい夫の妹、散財癖のある姑。イラッとくる人たちが、主人公・篤子(天海祐希)の周りに生息している。彼女が老後資金として貯めていた数百万円はあれよという間に消えていく。わたしは同調していたたまれなくなっていく。

それでも後半は笑った。主人公たちの大ピンチにゲラゲラ笑いほっとして、人生の新展開に笑みがこぼれ、大団円に向かって人物が回生していく姿に涙した。久々の映画。映画っていいなあ。

(今日の松江の虹。数分後には筆で描いたように、鮮やかな七色となった)
懸命に仕事はステージしめすとき [2021年12月09日(Thu)]

fumihouse-2021-12-09T18_14_59-1-thumbnail2.jpg≪「仕事はステージ」。練習する毎に理想は高くなり、そのステージに向かって猛練習します。毎日の生活に張りが生まれ充実してくるものです。
 ですから演奏できる人はプロ、アマを問わずギター演奏の「仕事はステージ」と言った訳です。私は長い間この言葉をつぶやいてきました。さぁ!発表会に向けて「仕事はステージ」です≫

これは私のギターの師匠である門脇康一氏の言葉である。「仕事」とは生計を立てるための職業的仕事ではない。何かを作り、成し遂げるために目論見をし努力を傾注すること。行動の結果として、期待した業績をあげることもあれば、失意に沈むこともある。その仕事をステージで行う。スポットライトを浴びるステージもあれば、1人の聴衆を前に練習の成果を示す演奏もある。人前で弾くことはすべて、ステージ。「仕事はステージ」を楽しみたい。

思えば、人生はステージである。さまざまな場面がある。満場の目にさらされて緊張に震える場があるかもしれない。客席に人がいないときもあるだろう。時事刻々のステージを楽しむのは私、捨て鉢になってふて腐れた態度で過ごすのも私。広い意味でどんな「仕事はステージ」を経験するのか。すべては私の意思と力と運にかかっている。

(錦に染まる秋の葉は使命を終えて最期のステージに色づく)
青空に目眩させるよ冬の雲 [2021年12月08日(Wed)]

fumihouse-2021-12-08T14_56_28-1-thumbnail2.jpg青空に浮かぶ雲を見ていると目眩がする。くらくらする。晴れたと思ったら曇り雨になり、、、を繰り返し、うんざりさせられる冬場に一服の清涼剤としての青空を喜ぶ、、、いやそんなことではない。

ビルの上に見える青空に浮かぶ雲は風で少しずつ動いていくが、ビルは動かない。しかし、ビルが移動して自分の足元もぐらつくかのような錯覚が起こるからだ。

晴れたり曇ったり雨になったり雪に変じたり、暖かくなり寒くなる、あるときは幸運に喜び不幸を嘆く、、、繰り返すうちに年は暮れていく。そして歳末大詰めになり、私たちはその時間の少なさに目が眩む思いをするのだ。

(クリスマスツリーのイルミネーションに目が眩む季節でもある)
咲くほどに笑うがよきよ君の声 [2021年12月07日(Tue)]

fumihouse-2021-12-07T18_32_45-1-thumbnail2.jpg【咲】の字は「わらう」とも読むという。咲は笑の古字だと。よーく字を見れば似ている。そして笑の草冠は花が咲くに通じ、咲の口偏は口を開いて笑うことに通じる。両者は相通じ合う関係にある。

咲くは、「口」の象形と「髪を長くした若い巫女(みこ)」の象形だそうだ。若い巫女は笑うのか、若さから笑い転げ、周囲も微笑ましく笑う。花が咲きこぼれるように笑いが広がる。笑うは咲くに展開し、咲くは笑うに夢中になる。そんな気がしてきた。

やるせない時は無理矢理に口角を上げてみよう。目を細めて笑いの格好だけでもしてみよう。事態は変わらない。しかし、うちひしがれてヘロヘロになっているよりはマシだ。挑む姿勢に転じる時は必ずやってくる。
肝油食べむしゃむしゃゴクンで美味しいな [2021年12月06日(Mon)]

fumihouse-2021-12-06T18_26_37-1-thumbnail2.jpg今の小学校にあるのかどうか知らないが、かつては夏休み前に斡旋されて肝油ドロップを買ったものだ。ビタミン類が添加された栄養剤である。表面を糖衣でコーティングしたものがあったが、グミ状の本体に細かな砂糖粒をまぶしたものが好きだった。

夏休みに入ると給食を食べない。すると家庭環境によっては栄養が足りなくなる児童がいることを心配してのことか、滋養をつけて暑さに負けないための処方だろうか。

1学期の終業式が終わり、学校から解放されると安心するのか、立て続けに食べた。あろうことか、1缶丸々その日のうちに食べ終わったことがある。何年生だったかは憶えていない。禁断の甘いおやつだった。

(砂糖粒をまぶした肝油ではない。クリスマス商戦まっただ中)
傷つけて棘痛々し柚子黄なり [2021年12月05日(Sun)]

fumihouse-2021-12-05T19_58_35-1-thumbnail2.jpg累々として黄の柚子が実っている。柚子(ゆず)には棘がある。長いものは5センチを超える。枝に5センチも置かず棘が生えている。硬く鋭い棘に素手で向かっては怪我をする。イチコロだ。軍手でもダメ。分厚い安全手袋が必要だ。

柚子は人に似ている。我が実(身)を守ろうと棘で武装する。敵を寄せつけず、襲い来るものを痛い目に遭わせて実(身)を守る。ところが風が吹けば枝が揺れて実(身)が棘に刺さり傷つく。守るつもりが自害に及ぶ。何を恐れるか。信頼せよ! 我が実(身)を守らんと思えば、信頼し、他を利せよ。情けは人のためならず。巡りめぐって我が実(身)は守られる。

(柚子よ。下手に躍るな! タンポポのように穏やかであれ、朗らかであれ)
秒速で遅い髭剃り快適に [2021年12月04日(Sat)]

fumihouse-2021-12-04T19_13_17-1-thumbnail2.jpg「秒速3センチ」は、カミソリを肌に滑らせて髭をそる最適な速度。今週の『ためしてガッテン』では、剃刀使いの極意が紹介された。

わたしは5枚刃の安全カミソリを使う。1枚目がスパッと切って髭を引き出し、元の鞘に収まらないうちに2枚目が短く刈って以下3枚目4枚目と続いて深剃りが完成する。そのためにはスピードが必要だと思っていたのに違うようだ。深く剃りたいから力を入れてゴシゴシ。こうすると皮膚の角質が削がれて皮膚はズタズタに傷つく。

それは誰もがやる自己流で間違いのようだ。ヒリヒリするばかりか、時には血が出る肌荒れや肌のくすみを呼び込む。剃るのではなく、軽く滑らしてやる。自ずと剃刀が仕事をしてくれるとのこと。

しかも長持ちすると。普通1ヶ月もすると痛くなってくるが、秒速3センチを守ると、倍は切れ味が保たれるとのこと。早速数日前から実践している。物足りないような気もするが、当分これでやっていこう。だから髭剃りには時間の余裕をもって!

(こりごりゴシゴシやり過ぎて真っ赤になるのはやりきれない)
光彩は一瞬たりとも留まらない [2021年12月03日(Fri)]

fumihouse-2021-12-03T08_11_09-1-thumbnail2.jpg朝の光彩です。美しい。これで十分素晴らしい朝の雲ではあるのですが、1分前にはもっと煌めく桃色が目を引きました。電線が邪魔だったので、歩みを進めて空が開けた時に見上げると、残念! あの光彩は過去のものとなっていました。写真には収められませんでしたが、山光の冬の光彩は誇らしいものです。電車に揺られバスで運ばれるうちに、小雨となりました。なんと変わりやすい冬の天気か!
理不尽な物言い負かす言葉かな [2021年12月02日(Thu)]

fumihouse-2021-12-02T17_41_49-1-thumbnail2.jpg安斎には負けない言葉があった(伊坂幸太郎著『逆ソクラテス』)。偉そうにする奴に対して負けない台詞である。

『僕はそうは思わない』

決めつけてお前はダメだと罵る奴、笑いものにしようと嘲る奴、自分の間尺を押し付けて正しいのは我ばかりと威張る奴、やたらと人の悪口ばかり言いふらす奴、、、そうした奴らに自信をもって対抗できる言葉がそれだ。少年たちの心のヒダに入り、軽快なタッチで読み進む伊坂氏の文を読むと、少々気が重い人間関係にも立ち向かっていこうかと力が湧く。

僕はそうは思わない、と使ってみよう。あくまで一人称で、私自身の所感を述べるまでだ。相手の理不尽なもの言いを軽くいなしながらも、毅然と受け止めて自分の意見として表出させる。素敵なもの言いだと思う。

(なんとなく乗らないと思う冬の朝でも「そうは思わない」と自らを鼓舞する必要もある)
待ってるぞ絶好調なら時過ぎ去る [2021年12月01日(Wed)]

fumihouse-2021-12-01T18_20_58-1-thumbnail2.jpg体調は絶好調で、気力も充溢している・・・そんな時もあるにはあるが、年に何回あるかどうか。めったにない。静かに闘志が満ちあふれ、やってやるぞ!と心身が充実していることは意外に少ないのだ。

絶好調になるのを待って、物事をテキパキと進める。懸案事項を片付けていく・・・それが来るのを待っていたら何事も進まない。滞留していくばかりだ。

となれば、そこそこの気分であろうが、滅入りそうな時であろうが、やるべきことをするしかない。時間はたくさんあるようで、実は少ないのだ。

(絶好調に見えるシクラメンだが、何かしらの不調を抱えているのに違いない)