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暗い夜寒さの覚悟できてるかい [2021年11月30日(Tue)]

fumihouse-2021-11-30T18_10_41-1-thumbnail2.jpgきょうの天気予報は、晴れから強い低気圧の流入で帰宅時間帯には雨へ。予報のとおり暗くて冷たい雨のなか傘を差して歩いた。少々気が重い。天気が悪いといっそう暗い。終業時は辺りはもう真っ暗だ。日照時間は冬まっただ中である。

松江では12月5日が16時54分49秒、そして翌6日も54分49秒。この二日間が最も日の入り時間が早くなる。冬至の頃には少し遅くなるので、多少は気分は晴れる。しかし日の出は1月の半ばまで遅くなり続けるので朝は辛い。しかも寒さの本番はこれからだ。覚悟していこう。

ともあれ明日から12月。焦らず弛まず楽しみをもって、悠々と急ぐ歳末でありたい。
オミクロン尾身会長が嘆いてる [2021年11月29日(Mon)]

fumihouse-2021-11-29T08_51_10-1-thumbnail2.jpgWHO(世界保健機関)は昨年、新型コロナ変異株についてギリシャ文字のアルファベットを順に使うよう定めた。インド株やらイギリス株、南アフリカ株というふうに見つかった場所で呼ばれることによって、その地域への偏見や差別が広まらないための配慮である。

ギリシャ文字で馴染みがあるのは、初めのアルファ、ベータ、ガンマ、デルタくらいだろうか。英字のアルファベットは26字だから2文字少ないと知った。以下順番に。

5 イプシロン 6 ゼータ 7 イータ 8 シータ 9 イオタ 10 カッパ 11 ラムダ 12 ミュー 13 ニュー 14 クサイ 15 オミクロン 16 パイ 17 ロー 18 シグマ 19 タウ 20 ユプシロン 21 ファイ 22 カイ 23 プサイ 24 オメガ

オミクロンは15番目。もうここまで来たか。ただしニューは英語のnewと混同するので避け、クサイは英語表記で習近平の「習」(xi)に一致することから見送られたという。だから変異株としては13番目だ。

オミクロン株の警戒レベルは高い。過去の流行株と系統が違うため十分な情報がないというが、細胞へ侵入しやすい構造をしており、感染力が強いとか。感染の第6波は必ず来る。出口はまだ見えていない。

(信楽焼の土偶の口は、ポッカリと空いてよく見える)
体操に男を入れてダイバーシティ [2021年11月28日(Sun)]

fumihouse-2021-11-28T16_23_13-1-thumbnail2.jpgテレビでラジオ体操を見る。日曜朝に放送しているNHK短歌とNHK俳句の合間に、ラジオ体操をぼやっと眺める。そこでは「ラジオ体操第一」「第二」「みんなの体操」のほかミニストレッチで筋肉をほぐさせる。わたしは見るだけで、朝のルーティンで別メニューのストレッチをしている。

10月からメンバーが代わった。男性が入ったのである。毎回フルで5人が登場するが、若い女性のみだった構成が変わった。2人の男性は黒いタイツにTシャツ、長めの短パンを着用している。

女性の衣装も変わってきた。以前は体の線を強調するローカットの彩飾レオタード姿だったものだが、ロングカットの黒レオタードの上にカラーTシャツを着て、白い靴下に黒靴姿である。性的な嫌らしい視線を排除する発想だと思う。ダイバーシティの考えもあろう。ラジオ体操も時代に応じて多様性を帯びていく。

(変哲もない雑草のイヌタデ(別名アカノマンマ)にも美がある)
人に会い飲んで飲まれてコミュニティ [2021年11月27日(Sat)]

fumihouse-2021-11-27T14_35_53-1-thumbnail2.jpg飲みニケーションの人気が落ちている。 日本生命の調査で「不要」とする回答が「必要」を上回った。4年前の調査開始以来初めてだそうだ。

酒を飲みながら同好の仲間と親交を深め、職場の同僚や上司と仕事や世間のあれこれ話に興ずる。深酒にならず絡み酒にならないうちは有益だが、度が過ぎると害になる。

日生の調査によると飲みニケーションが不要またはどちらかといえば不要と答えたのは62%。理由は「気を使う」「仕事の延長と感じる」「お酒が好きではない」が主なところ。20歳代が最も不要と考えている。

必要とした回答は38%だが、理由は「本音を聞ける・距離を縮められる」「情報収を行える」「ストレス発散になる」が34%だった。必要とする理由は昔からこんなものだな。

さて、コロナ禍が収束したのちは、飲みニケニケーションは以前のように復活するのか。そんな感じはしない。アフターコロナは時代を変えた。少なくとも飲むことが得意でない人の気分を後押しした。
直角の指の対角ひと咫よ [2021年11月26日(Fri)]

fumihouse-2021-11-26T18_33_09-1-thumbnail2.jpg最適な箸の長さがあるという。一咫(ひとあた)半。一咫の1.5倍。一咫とは、親指と人さし指を直角に広げて両指先を結んだ長さだそうだ(聖教新聞11月25日付け)。初めて知った。もちろん咫(あた)という単位も。

八咫鏡(やたのかがみ)と八咫烏(やたがらす)で出会うのみの字である。鏡は三種の神器の一つ。8咫あるということは、わたしが1咫17センチなので、130センチを超える巨大な鏡だ。全身の姿鏡になる大きさ。八咫烏もまたでかい。巨大な三本足烏とは、まさに怪物だ。

箸に戻る。持ちやすい箸とは長さだけではない。太さや形、重さも影響すると聖教新聞。今のわたしの箸は持ちやすい。しかし塗りが甘くてハゲハゲになってきている。

わたしが箸をダメにする原因はほぼひとつ。歯で先端をへし折ってしまうのだ。慌てて食べるうちに、箸は口から抜かれないうちに歯の一撃をくらってしまう。箸は砕けるというわけだ。

前は津軽塗のいいものだったから、折れた箸の先端をカッターナイフで整え、無事なほうをナイフで切って削った(鉛筆はナイフで削るのでお手のもの)。しかし使いにくくなってしまって捨てたのだが、いま思えば、一咫半より短かったのだろう。
羚の字を羊と共に膝まずく [2021年11月25日(Thu)]

fumihouse-2021-11-25T20_01_35-1-thumbnail2.jpg【羚】
音読みで「レイ」または「リョウ」と読む。訓読みでは「かもしか」。羊の一種で高山に住み、体は大きい。ヤギに似て大きな角があるという。そもそも、羚という字をこのたび初めて知った。

羊と令からなるこの字は、ヒツジの首の象形(羊)に加えて、頭上に冠を頂く人の前に他の人が跪く(ひざまずく)象形(令)から、ひざまずくようにして休むカモシカを表したという。ふーん、なるほど。

「OK漢字辞典」のおかげで一つ賢くなったかなあ? でも、漢字検定でも受けない限り知識を披歴する機会はない。蘊蓄などとして語ろうものなら、ウザイと言われる。まっここに書くまででお仕舞いだな。

(今日は晴れて曇ってから雨へ。そして今は曇り。晴れ間の青空がほしい)
ぶらぶらと歩くの大好きショッピング [2021年11月24日(Wed)]

fumihouse-2021-11-24T18_01_39-1-thumbnail2.jpgショッピングセンターに行く。目的のものを買う。ぶらぶらとウインドウショッピングを楽しむ。映画を観る。駐車場に停めてセンターまで歩く。連れ合いを見失って探し回る。トイレに入る・・・ショッピングセンターに行くだけで、巧まずして歩くことができる。

列車とバスを使う通勤時にはあれやこれやと歩くし、仕事中でも積み重なると思いの外歩く距離が長い。しかし休みの日に敢えて歩くことをしなければ、スマホの歩数アプリは数を増やさない。

そんなときには、ウオーキングに出るか、ショッピングセンターに行くのがよろしかろう。きっとたくさん歩けるさ。歩いてリズムを取り戻そう。歩いて発想の元を掴み取れ!

(ショッピングでポインセチアを買うことだってある。もう十何年も前のこと)
夏冬と帽子をかぶる出勤時 [2021年11月23日(Tue)]

fumihouse-2021-11-23T20_46_00-1-thumbnail2.jpg帽子をかぶる。冬は防寒に最適だ。風に飛ばされないように深くきつめにかぶる。頭から体を温める。体感気温が2℃上がるというから貴重な防寒用品である。約百年前の映像や画像を見ると、多くの男たちは中折れ帽をかぶっている。今や帽子をかぶる男は少数派である。

夏は陽射しを避けるために帽子をかぶる。蒸れて暑さを感じる時もあるのだが、それなりに熱中症から守ってくれる。また鍔(つば)のおかげで雨に濡れにくい。特にメガネに雨粒がつかなくて重宝する。少しの降雨や短い距離ならば傘を差さなくても十分役に立つ。

ということで、わたしは帽子をかぶる。中折れ帽をかぶってみたいのだが勇気がない。わたしはハンチング帽をかぶる。
奮い立ち情けは人のためならず [2021年11月22日(Mon)]

fumihouse-2021-11-22T11_43_10-1-thumbnail2.jpg他人のために動く。同苦して涙を流す。祈り、頭を振り絞り、知恵を湧かす・・・情けは人のためならず、と諺にあるとおり他人のためにした何らかの行為や心の動きはそこだけに留まるものではない。感謝の倍返しがあり、親しまれ、我が身の評判も高まる。さらに福をも増していく。

≪公園の鉄棒で逆上がりの練習をする少年がいた。隣で友達が手本を見せ、こつを教えている。だが、少年のつま先は空を蹴り上げるばかり。それでも少年は「よし、今度こそ!」と諦めない▼そして、ついに成功した。その時、手をたたいて喜ぶ友達の言葉に感動した。「自分が拍手されるより、拍手する方が何かうれしいな」。大切な人に尽くす行為は、自分が称賛される以上の幸せをもたらす。その真心に応えようと頑張る人も、困難の壁を破ることができる。そう2人の姿に教わった≫ (聖教新聞〈名字の言〉 2018年3月27日付け)

そう、他人に情けをかけることは、つまるところ自分が幸せになっていけるのだ。感謝の押し付けや押し売りはかえって逆効果であるが、真心から頑張る人と共に壁を破るために頑張りたいと思う。

(シクラメンもきっと自己満足で咲くよりは、喜んでくれる人のために咲きたいと願っている)
お相撲さん生まれはどこぞ一二三 [2021年11月21日(Sun)]

fumihouse-2021-11-21T17_33_05-1-thumbnail2.jpg十両以上の関取がどこの出身か。かつては北国出身が多かったものだが、近頃は人口比にしたがって都会地が増えてきているようだ。南日本の県名も多い。

東京が7人で最も多い。続いて4人が北海道と鹿児島。3人は青森、茨城、埼玉、千葉、石川、兵庫。2人が福島、三重、新潟、大阪、熊本。1人は隠岐の海がいる島根ほか、岩手、山形、神奈川、長野、愛知、静岡、富山、奈良、鳥取、長崎、宮崎、福岡、沖縄。

一番図抜けているのがモンゴル。10人もの関取がいて、白鵬が引退したあとも一人横綱の照ノ富士を筆頭に強さ別格である。その他1人ずつがジョージア、ブラジル、ブルガリアの3国。

福岡場所はなかなか盛り上がっている。スポーツ界では大谷翔平のMVP受賞の影で地味ではあるが、目が離せない。

(ユズは揚子江上流部や西域が原産であるという)
セとパでは短期決戦大逆転 [2021年11月20日(Sat)]

fumihouse-2021-11-20T21_53_47-1-thumbnail2.jpg人気のセ・リーグ、実力のパ・リーグと言われるが、今回の日本シリーズは様相が異なる。夏以降怒涛の勢いでペナントレースを駆け上がったヤクルトの打力が凄い。オリックスの打力があるのはもちろんだが、投手力で相手を押さえ込んでのパ・リーグ制覇だ。9回裏、ヤクルトが3対1でリードしたまま第一線をものにするか、それともオリックスがドラマを作るのか。シリーズを通じて目が離せない展開が続きそうだ。

という間に、オリックスが宗のタイムリーで同点に追い付いた。凄い試合になりそうだ。と、次の瞬間にサヨナラゲームとなった。オヨヨ、、。京セラドームにベートーベン第9歓喜の歌が響いた。

(サザンカ群れ咲く晩秋にあちらこちらでドラマが)
日月を比べることに益はなし [2021年11月19日(Fri)]

fumihouse-2021-11-19T18_35_19-1-thumbnail2.jpg太陽は赫赫(かっかく)たるもの。控えめな太陽などありません。厚い雲に隠されたとしても、上空では赫赫たり。変わることなく輝きます。日食は陰陽が明快に分かれます。一方、月は太陽に照らされて間接的に輝くことに加え、地球の大気で影がぼけます。だから月食は曖昧で地味です。

家庭や地域を明るく照らす太陽でありたい。職場で新風を起こして爽やかな風を起こす主体でありたいと頑張るときもありますが、いつも張り積めていてはゴムは伸びきってしまいます。時には月になるのもいいもんです。

今夜の月は、切れかけた電池を入れた灯りがランプシェードの底に沈んだかのような風情で、18時前にお目見えしました。知らない人には何だか分からないでしょうね。食率98%という部分月食はすでにピークを迎えています。ぼやっと月食を楽しむのもいいもんです。今夜の出雲は適度に暖かく、適度に空が澄んでいます。

(月食の写真なんて撮れない。だから朝日に煌めく欅の紅葉をどうぞ)
出来た日を家族みんなで祝おうよ [2021年11月18日(Thu)]

fumihouse-2021-11-18T18_04_24-1-thumbnail2.jpg【家族誕生日】を祝う人がいると聞いた。家族それぞれの誕生日を祝うのは当たり前。ではなく、「家族」が誕生した「家族誕生日」である。すなわち結婚記念日のこと。

結婚によって夫婦関係が生じ、やがて子どもが生まれて家族を形づくる。もちろん婚姻届を出さない事実婚もあるから、暮らし始めた初日を家族誕生日とするのもよいだろう。子どものいない夫婦は二人だけで家族誕生日を祝う。

結婚記念日というと、年月が経つうちに忘れがちなものだ。数日経ってから、ああそうだったと思い出すことがある。意識はしていても、夫婦だけのものだと照れくさいし、今さらなんだかという気持ちにもなりがちだ。子どもを巻き込んで家族誕生日を祝う。二人だけであっても、二人の特別な日にしていく。素敵な取り組みだと思う。

(家族誕生日にはキキョウの花を買ってくる、という儀式もよろしかろう)
補助金の申請変わり今と過去 [2021年11月17日(Wed)]

fumihouse-2021-11-17T18_31_46-1-thumbnail2.jpg厚生労働省に補助金申請をした。電子申請だから極めて簡潔に済ますことができる。かつて厚生労働省が前身の厚生省であった頃、そこで老人福祉や障害福祉の補助金や措置費行政を担当したことがある。膨大な量の紙を前に計算機と格闘したものだ。

今回の補助は少額であるとはいえ、購入した物品の払込書類や領収書を添付する必要がないことに驚いた。公費であるから不正は許されないから、証拠書類を添付して5年間保存せよとの触れ書きである。金額に見合った低いコストで事務処理しようという合理的な考えである。おまけにフリーダイアルのコールセンターに掛けてみると、専任者が的確な指示を与えてくれた。時代は変わったものよ。常識は入れ代わっていく。

(絵画も固定観念を退けて見なければならない。遠くから眺めると違う図柄が見えてくる)
選べ服心のために好きな服 [2021年11月16日(Tue)]

fumihouse-2021-11-16T19_38_33-1-thumbnail2.jpg掛かった服、畳んだ服から着るものを選ぶ。下着からコートに至るまで、毎日は服を選ぶことに始まる。災害に機敏に対応するためには、枕元に明朝に着る服を用意すべきとも言うが・・。

≪着る服は自分の心を左右します。誰のためでもなく、自分のために好きな服を着る。すると“自分を大事にできている感≠ェ得られ、自己肯定感につながります。自分が納得できる服を着ることの大切さを、私も改めて感じました≫
(久野梨沙 潟tォースタイル代表取締役「ファッションは一番外側に現れる心です♪」聖教新聞11月14日付ライフスタイル」)

ワードローブに無尽蔵の服が収まる物持ちもいるかもしれないが、そうでなくても好きな服を着ているか否かで、高揚感が増す。好きかどうか、自分が納得しているかどうか、毎日が貴重な選択の連続だ。

(薔薇をまとえば、艶やかに色めき立つ)
アスリート体を張って表現す [2021年11月15日(Mon)]

fumihouse-2021-11-15T13_32_34-1-thumbnail2.jpg「考えたことがレースで表現できた」と高木美帆。彼女はポーランドで行われたW杯・女子1500メートルで優勝しインタビューでこう語った。

なるほど「表現」か。当然のことかもしれないが、アスリートが心技体を尽くして記録と競争に挑むことは、「表現」なんだなぁ。

言葉や文章で表す、会話する、絵画や彫刻に残す、楽曲を演奏する、仕事としての業務に邁進する、食べたり飲んだりする、腹をこわす、資格試験に向けて勉強する・・・。生きることは全てが「表現する」ということなのだなぁ。私たちの生活は毎日表現に満ちている。

(箒草・コキアも秋になると紅葉して表現する。もう色は褪せてしまったが)
費用とは金と手間なり心なり [2021年11月14日(Sun)]

fumihouse-2021-11-14T21_14_47-1-thumbnail2.jpg【費】は面白い字だ。そして幅広い。「弗」は絡まった紐を2本の棒で振り払い、「貝」は大昔の貨幣・子安貝の象形から、貨幣を振り払う、すなわち経費を使う意味となった。お金だけでなく、時間や労力も金銭換算したものだろうか。使えば無くなったり衰えたりするところから、浪費や疲弊の意味も生じた。

何らかの費用や対価としてお金を支払う。相手のために時間をかけてあげるのも費、心に止めて気にかけ続けるのも費。一所懸命に生きるということは【費】につながることがわかる。お金は利、手間をかけることは美、心を込めることは善きかな。

(花を飾るのも費がある。経費がかかり、飾りつけの手間をかけ、心を込める)
大聖堂ああ宇宙に収まる我が意識 [2021年11月13日(Sat)]

fumihouse-2021-11-13T23_16_50-1-thumbnail2.jpg風邪による体調不良は収まり、門脇教室の発表会に参加した。曲目はアウグスティン・バリオスの『大聖堂』。時折激しくなる咳の発作とともに、ここ数日酷くなった肘痛が気になった。何よりも数日ギターを満足に弾いていないのが心配だが、昨夜書いたこと、「しゃかりきにならず、のんびりゆったり」でもって、朝のうち数回通し練習をし、不安なところを繰り返す程度にして会場へ車を走らせた。

大宇宙の静けさを集めたかのような1楽章の音律。聖なるものと日常が交錯し掛け合う2楽章の和音。端正なたたずまい3楽章の詩心。わたしが夢想するセゴビアが弾く大聖堂には程遠いが、今の技量でわたしらしくの演奏が精一杯できた。

完璧に出来たことが一つある。ミスタッチしても弾き直しはしないこと。弾き直すと楽曲が止まる、いや引き千切られる。自分は一部満足しても客観的には破砕して、聴く者にはぱっくりと口を開けた千切れが無残に印象として残る。音が違うとか空振りがあっても、さらりと続ければ音楽は一連のものになる。ミスタッチは軽いひび割れ程度ですむ(プロはそうも言ってられないので辛い)。

ぶっつけ本番だったが、不思議と落ち着いていた。ホールのスポットライトを浴びながら、第二の自分がいて、客観的に演奏を眺め客席の様子にも注意が向いていた。第一の自分は曲の流れや世界観に浸っていた。もちろん練習で間違えるところは本番でも上手くいかないが、それは置いて次の音に没入する。特に3楽章は最近身近で亡くなられた方々が思い出されて追善回向の気持ちが湧いてきた。最後の和音Bm-5では満足感に溢れて終着することができた。

練習できなかったこと、腕が痛いこと(曲の合間に左手をブラブラ)、咳の発作が起きるという不安(出ず)の中で、開き直って演奏できたのだと思う。手が緊張で震えることもなく、現在の技量としては存分の演奏ができた。ゾーンに入った状態にあったのだと思う。集中力が高まり、感覚が研ぎ澄まされながら演奏に没頭する状態が表れた。いつもこうはいかないが、何人もの方からお誉めの言葉をいただいて収穫を得た。さらに集中し工夫する練習を続けよう。

(我が家のダイヤモンド・リリーが、開き直ったかのように咲いている)
のんびりと残す時間は7週間 [2021年11月12日(Fri)]

fumihouse-2021-11-12T20_45_46-1-thumbnail2.jpg年一枚のカレンダーでは一目でわかる。残すところ7週間だと。コロナにやり込められた2年目。もう10月以上が経過した。不自由さがつのる。寒さまでつのる。今年はラニーニャ現象のせいで雪が多いとの予報がある。やることは多い。体調を崩している場ではないぞ。週末に向けて頑張りたいところだが、しゃかりきにならず、のんびりゆったりいくことにする。先日一日延ばしにするまいと書いたばかりだが、心身をすり減らしては元も子もない。

(冬の日本海側に特有の価額雲。一転かき曇り、冷たい雨が降ることもある。あれよと厚い雲におおわれることもある)
いざ本番この一本に定むべし [2021年11月11日(Thu)]

fumihouse-2021-11-11T08_20_49-1-thumbnail2.jpg兼好法師は徒然草に習い事の妙を説いている。

≪ある人、弓射ることを習ふに、諸矢をたばさみて的に向かふ。師のいはく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。のちの矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ」と言ふ。(中略)道を学する人、夕べには朝あらんことを思ひ、朝には夕べあらんことを思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。いはんや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだかたき≫

「二本の矢を手に持つな」とは厳しい指摘である。二本目を当てにして最初の矢を疎かにする。中るか中らないか、回数で確率を測ると二分の一。すると気持ちが緩む。実際にはなかなか中らないものだ。一本ごとに中る確率を高めないことには何十回射ったとしても同じこと。当たっても単なるまぐれ当たりで技量の向上には結びつかない。この一本の矢で!という決意が大切なのだ。

芸事に限らない。日常でもよくある話。きょうはできなかったが、あしたがあるさ。あしたはあしたで再びまたあした・・・ありがちな話。やがてやろうと思っていたことすら忘れてしまう。あるいは矢の督促が来て慌てておざなり仕事で済ます。こうした怠けの所業の多いことよ。

ギターの練習でも同じことが言える。一人でする練習は何度でも繰り返しが可能だ。間違えたら、そこだけ弾き直して次に進めばなんとなく弾けていると錯覚する。少し不安のある運指でもそこそこ弾けると思い込む。ところが本番を迎えると、弾き直して済ませた箇所は同様に間違える。つまり繰り返し、間違える練習をやってきたことになる。不安な箇所は緊張してやっぱり間違える。かくして、こんなはずじゃない!という思いで集中力は削がれて音楽はズタズタ。終わったときには、満足感どころかやっと済んだという解放感だけという無惨な結果になりがちだ。そうならないためにも、「この一矢に定む」と真剣な緊張をもって練習に励もう。明後日は門脇教室の発表会。

(白いシュウメイギクも、集中して秋を明るく照らしていた)
寒風に晒され思う冬来たり [2021年11月10日(Wed)]

fumihouse-2021-11-10T18_14_31-1-thumbnail2.jpg強い西風。しかも強い雨。寒い。コートかマフラーを出せばよかったと思う。せめて手袋を持って来るんだった。小春日和が続いた先週とはうって変わって、一気に冬が来た。未明には激しい霰の打ち付ける音が響いた。朝も松江駅では霰が降った。時折青空がのぞいて日が差しても、所詮は冬のもの。暖かい室内から一歩外へ出ると冬の西風が吹く。早く春が来ないかなあ、早すぎる夢想をして寒風にさらされている。

(こんな寒い日は籐の入れ物も寒々しく見える。晩秋の寒さ、冬季の厳しさはこれからだ)
体調を崩して思うお先によ [2021年11月09日(Tue)]

fumihouse-2021-11-09T20_47_38-1-thumbnail2.jpg体調を崩すと感じることがある。意外と先は短い、と。今回は、喉の痛みと強烈な痰、黄色い鼻水。体のだるさと微熱。ご飯を食べては眠り、少しギターを弾いては眠ることを繰り返した。診療所など外出も少ししたが、仕事はもちろん日常の活動は出来ない。

先は数十年。思いがけなくも数年かもしれないし、十数日かもしれない。自由にあれやこれや出来る時間は意外に少ないものだ。日常を大切にしよう。1日延ばしにしていることはないだろうか(ある、いっぱいある)。やりたいことに蓋をしたまはまのことはないだろうか。これから風呂で体を温めて再び眠りに落ちる。明日は日常が戻っているに違いない。

(ピラカンサスには黄色いのもある。元気印の黄色でありたい)
数年に一度の風邪に眠りたし [2021年11月08日(Mon)]

fumihouse-2021-11-08T21_55_36-1-thumbnail2.jpg朝起きると喉が痛かった。奥の左側、上の方である。昨日わずかに感じていた体のだるさはなく、熱も平熱。このご時世、大事をとって仕事は休んだ。数日前に体を冷やしたこと、睡眠不足が原因だと思われる。朝食後に再び眠る。二回に分けて2時間ほど眠ってから診療所に向かう。風邪症状につき屋外から電話をかけて、車内で診察を受ける。処方してもらって、昼食をたっぷり食べて、再び眠る。3時間以上寝た。汗をかいて眠った。風呂で体を温めて再び眠りに落ちる(つもり)。いくらでも眠れそうだ。おやすみなさい。

(大輪の菊のように元気になあれ)
足細く危なっかしや歩く人 [2021年11月07日(Sun)]

fumihouse-2021-11-07T17_15_49-1-thumbnail2.jpg山陰線を走る列車を前後から眺めると、太ももが痩せ、ふくらはぎも痩せて足が細く皺だった年寄りを連想する。よたよたと不安定に歩いている。かつ腹が出ている。車体の幅に比べると車輪の幅が狭いから、危なっかしく見える。あの車体に座席が4列と通路まで収まっているのだ。それに比べて自動車はどうだ。タイヤは車体いっぱいに広がって安定感がある。

JRの線路の軌道は1067ミリの狭軌である。たったの1メートル。明治の頃に暫定的に敷設されたままである。世界標準は1435ミリの標準軌。新幹線や私鉄の多くは広軌幅を使っているから安心だ。100人以上が亡くなられたJR福知山線の脱線事故も標準軌であれば起こらなかったかもしれない。

(ユリオプス・デージーも危なっかしい。茎が細くて強風に折られてしまいそう。花はそれで良い)
くりかえし見果てぬ先の繰り返し [2021年11月06日(Sat)]

fumihouse-2021-11-06T21_08_03-1-thumbnail2.jpg朝起きて、くりかえすルーティン
くりかえし繰り返し日常の営みを繰り返す
ストレッチ、顔を洗い、ヒゲを剃り、ご飯を食べる
ネクタイ締めて、身支度する
足を交互に進めて前へ行く、くりかえし繰り返し
電車に乗り、車窓の風景は見慣れた光景
あいさつする、家で職場で何度くりかえしたか
パソコンのスイッチをオン、これなくして始まらない
合間にトイレや茶を飲む、休息のひととき
幾度もくりかえした、これからもまた
帰った、テレビ見る、音楽を聴く奏でる、本を読む
風呂に入る、くつろぐ毎度の作業
布団に入る、やがて訪れる眠りの時間
くりかえし繰り返し、繰り返しくりかえし
永遠に行きそうだが、それはない
いずれは終わる、悲しく終わる
くりかえしを大切にしよう、二度とない貴重な体験

(くりかえし繰り返し、秋の葉は黄に染まり、朱に舞う)
何か見て感じさせられたよ嬉しい [2021年11月05日(Fri)]

fumihouse-2021-11-05T18_58_21-1-thumbnail2.jpg【感じさせていただく】
させていただく、式のもの言いは嫌いだが、なかでも「感じさせていただく」という言い回しには我慢がならない(我慢がならぬといっても、使う人をとがめはしない)。

わざとらしくて、押しつけがましい。何かを見聞きして感じるのは自発的なもの。それをあなたのおかげで感じられたとするのは、あざとくて計算高い気がする。いやらしいと思う。

それを言うなら、「感じさせられる」がよろしい。見たり聞いたりして、胸にストンと落ちるものがある、異質の感覚を発見して嬉しい。単に受け身ではない、内発的な力を感じる。

(させていただく式のもの言いは、円やかにはならない。熟成させたキウィフルーツのようにはなるまい)
交換後はたと違うぞガット弦 [2021年11月04日(Thu)]

fumihouse-2021-11-04T21_23_14-1-thumbnail2.jpg弦を交換した。ギター低音部の金属弦は早くバテるので月に一度交換するとよいというが、まだ十分使えそうな気がして1日延ばしになっていた。錆が出ていなくても、フレットに当たる箇所は白金色から赤銅色に変わりヘタった感がある。今回4、5、6弦は5週間ほど経過したことになる。高音部の1、2、3弦はわたしの場合、3月に一度交換する。

換え時はいつか。音が魅力的でなくなった時だ。まだいけると感じていても、換えてみるとその違いに驚く。大きな音が出る。響きも冴えている。音の分解も良いと思う。金属的で無機的な音ではあるが、わたしは好きだ。数日弾き込めば円やかになって申し分ない。クラシックギターの魅力が存分に生かされる。魅力ある音とはこのことである。ギターを弾くことが楽しい。交換前でも十分魅力的だと思っていたが、格段の違いである。良い音で弾く。そして自分に聴かせてやる。一段と上達するに違いない。

(金属弦ではない。単なるアルミの格子)
防寒かはてさて遮断かマスクして [2021年11月03日(Wed)]

fumihouse-2021-11-03T19_24_08-1-thumbnail2.jpgマスクは防寒に役に立つ。凍てつく寒さには防寒着の重装備の上に、マスクで防御するに限る。今はまだマスクを掛けると熱い空気がまとわりついて不快である。

反対にマスクを危険だと思うときがある。口と鼻だけでなく、常に感覚を塞がれ、外界から遮られる感がある。視界を遮るマスクの不織布。口の周り、ほんのわずかでしかないが、一部視界を邪魔する。眼鏡が曇る。視界が不明瞭となって鬱陶しい。しかしそれ以上の遮断があるのだ。

鼻を塞ぐと匂いを感じにくくなる。鼻がつまった状態に近い。清涼な外界の空気を吸えないだけでなく、頭がボーッとする。デメリットはそれだけではない。鼻や唇、顔の皮膚がセンサーとして周囲の空気や雰囲気を嗅ぎ取る効果が削がれる。

鼻周辺のボワッとした不快さが目や額、直感する力を侵していく。感覚が鈍麻し、危険を察知して素早く動くなどといった芸当ができなくなってしまうのではなかろうか。

もちろんコロナほか感染症の防止、汚れた空気や寒気の吸入を遮るなど得るところは大きいが、マスクには雑踏での危険を察知する感覚を鈍麻させる負の側面があるような気がしてならない。

(マスクのように白さが際立つトルコギキョウ。島根県オリジナル品種のSO八雲ホワイト)
絶景に理想を語り親子かな [2021年11月02日(Tue)]

fumihouse-2021-11-02T18_59_06-1-thumbnail2.jpg4コマ漫画「ちーちゃん家(ち)」(聖教新聞11月1日付け)に感心した。なるほどそのとおりだ。

河童の親子が森を歩いている。やがて開けた絶景。峰峰の向こうに雪を頂いた大山がある。子が、わーっ!といたく感動。親が説明する。ここは世界遺産の登録地、「みんなでこの自然を大切に守らないとね」と。子河童云く。「地球まるごと 世界遺産にすればいいのにな。そしたら大事な地球を守るために 争いもなくなるんじゃない?」

けだし名言である。人類によって侵食されつつあるこの地球を守ることができるのは、この人類でしかない。戦争や抗争がなくなれば、地球を守るために勢力を傾けることができる。人類の叡知の多くを費やして保護活動に邁進することができる。地球は事実上の世界遺産、いや宇宙遺産と言ってもよい。地球を守ろう。

もちろんそんな理想主義など役にはたたん!とけなす向きもある。だが、理想なくして何らの夢が実現したためしがあろうか。理想を掲げよう。理想を語ろう。理想に向かってまずは一歩進もう!

(地球を守る、その理想を体現するために咲いているに違いない、南部町の赤詰草)
ページ閉じ一皮むけた面白し [2021年11月01日(Mon)]

fumihouse-2021-11-01T07_14_55-1-thumbnail2.jpg2021年の読書週間の標語は次のとおり。

  最後の頁を閉じた 違う私がいた

確かにそのとおり。没頭できる物語に出会うと本の世界に入り浸り、頁が残り少なくなると終わらないでほしいと願う。読み終えると満足感とともに喪失も感じられる。

読む前とは何かが異なっている、途中から自分に勇気や希望が具わってきていると感じることができる。物語だけではない。ドキュメンタリーでもエッセイでも、良い本を読み終えると「違う私がい」るのを感じる。「最後の頁を閉じ」ると、もう一度読みたいと思える。

ところが時間が過ぎると感慨は薄れ、本棚の片隅に押しやられ、図書館の本ならば自腹を切って買うことはせず、結局別の本を買う。まっそんなものかね? それでも本との出会いは素晴らしい。

(金木犀の花びらは小さなプロペラ。幾万のプロペラを回したら世界周遊ができる)