風邪による体調不良は収まり、門脇教室の発表会に参加した。曲目はアウグスティン・バリオスの『大聖堂』。時折激しくなる咳の発作とともに、ここ数日酷くなった肘痛が気になった。何よりも数日ギターを満足に弾いていないのが心配だが、昨夜書いたこと、「しゃかりきにならず、のんびりゆったり」でもって、朝のうち数回通し練習をし、不安なところを繰り返す程度にして会場へ車を走らせた。
大宇宙の静けさを集めたかのような1楽章の音律。聖なるものと日常が交錯し掛け合う2楽章の和音。端正なたたずまい3楽章の詩心。わたしが夢想するセゴビアが弾く大聖堂には程遠いが、今の技量でわたしらしくの演奏が精一杯できた。
完璧に出来たことが一つある。ミスタッチしても弾き直しはしないこと。弾き直すと楽曲が止まる、いや引き千切られる。自分は一部満足しても客観的には破砕して、聴く者にはぱっくりと口を開けた千切れが無残に印象として残る。音が違うとか空振りがあっても、さらりと続ければ音楽は一連のものになる。ミスタッチは軽いひび割れ程度ですむ(プロはそうも言ってられないので辛い)。
ぶっつけ本番だったが、不思議と落ち着いていた。ホールのスポットライトを浴びながら、第二の自分がいて、客観的に演奏を眺め客席の様子にも注意が向いていた。第一の自分は曲の流れや世界観に浸っていた。もちろん練習で間違えるところは本番でも上手くいかないが、それは置いて次の音に没入する。特に3楽章は最近身近で亡くなられた方々が思い出されて追善回向の気持ちが湧いてきた。最後の和音Bm-5では満足感に溢れて終着することができた。
練習できなかったこと、腕が痛いこと(曲の合間に左手をブラブラ)、咳の発作が起きるという不安(出ず)の中で、開き直って演奏できたのだと思う。手が緊張で震えることもなく、現在の技量としては存分の演奏ができた。ゾーンに入った状態にあったのだと思う。集中力が高まり、感覚が研ぎ澄まされながら演奏に没頭する状態が表れた。いつもこうはいかないが、何人もの方からお誉めの言葉をいただいて収穫を得た。さらに集中し工夫する練習を続けよう。
(我が家のダイヤモンド・リリーが、開き直ったかのように咲いている)