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一足に秋飛び越えて初秋かな [2021年10月25日(Mon)]

20211025_172048.jpg家を出ると手袋が欲しいと思った。朝の最低気温は12℃で寒い。昼間も気温は上がらない。風もあって上着が手放せない。二週間前まで夏だったのに、突然晩秋から初冬の気配。釣瓶落としの日が暮れると、あれよという間に闇が押し寄せる。長らく咲かなかった金木犀が、いつもと違う淡いオレンジ色で微かな香りを散らしている。すでにコートを羽織り、マフラーを巻いている女性もいる。季節は冬に向けて急旋する。

(気味の悪い、それでいて怪しい夕焼け雲が魅惑する今夕)
公民館小さな小さな公民館 [2021年10月24日(Sun)]

20211022_153223.jpg【公民館】
我が地域では自治会の集会所のことを、「公民館」と呼び習わす。集落ごとに地域経営をしてきた明治以降、いやそれ以前からか。集落は小さな「公」として人々を守り、時には縛りつける存在であった。それは自治というにふさわしい。その名残が公民館という名に残っているのではないかと想像する。

やがて大字単位で生涯教育や地域振興、地域福祉の運営を行うための建物に、公民館という名前を付けたことによってダブリが生じた。平成の合併以降、出雲ではコミュニティセンターと名を変えた。略してコミセン。今でも集会所は公民館と呼ぶから混在はしていない。

自治会でわたしは今年度、自治委員をしている。いわゆる自治会長である。はたして自治なのか。月一度の印刷物の配布や集金はもちろんのこと、調整事項の依頼があれこれとある。下請け機関としての自治会に「自治」としての意味はあるのかどうか。疑問がぬぐえない。まっ、こんなもんかと悟るしかないのかも。

(金木犀が咲いた。一月遅れの開花であるが、匂いは薄い。色も薄い)
コロナ禍で依存傾向注意せよ [2021年10月23日(Sat)]

20211023_160945.jpgコロナ禍でゲーム障害とネット依存傾向が増えているという。1.5倍にもなった(KDDI調査)。2019年12月と2020年8月、すなわちコロナの前後で比較したものだから興味深い。

スマホの利用時間は7〜8%増加。これはよくわかる、わたしもそうだから。スマホ依存の傾向を示す「手にしていないとイライラしたり、怒りっぽくなる」人は増加している。外出自粛やテレワークの普及によって、スマホが生活の中で重要な位置を占めストレス耐性が落ちたのかもしれない。

コロナ禍が収束したとしても、惰性でその影響は残る。コンピュータと各種のネットワークにがんじがらめにされる日常は御免こうむりたい。

(柿には、抗酸化作用が強いβ-カロテンやビタミンC、タンニンを含み、老廃物の排出に役立つカリウムもある。柿を食べてストレスに対処しよう)
いつまでにそして何のため忘れまい [2021年10月22日(Fri)]

20210929_171943.jpgずぶの素人集団をコンクールで日本一になるまで伸ばした中学校吹奏楽部顧問の話がある。魔法のような指導はないそうだ(聖教新聞「名字の言」 2018年5月1日付)。

≪一つは「○時から全体練習」と板書された「○時」の意味。それは“集合時間”ではなく、皆が個人練習を終えて、最高の状態で全体練習に臨む“開始時間”を指していた。各人が“自分をピークに導く練習法”をあみ出しているという▼もう一つは「何のため」を自分でとことん考えること。“この練習は何のため”から、“何のために私は部活動を頑張るのか”などにも及ぶ。「広く、深い目的観を持つ自分づくりのためです」と顧問は教えてくれた≫

締め切りは設定しても、段階を踏んで目標を明快にすることが少ないような気がする。仕事にせよ、楽器練習にせよ、自身の甘さがわかる。そもそも〆切を決めているだろうか。外部から迫られる〆切はあっても、自主的に何時までにどの程度の出来映えを目指すか。曖昧なまま着手していることってよくある。自ずと集中力は削がれていく。

何のためにやるのか。目的観があるのとないのとでは雲泥の差となる。練習や仕事の目的が定まれば質の高さは保たれる。ましてや誰かのために頑張る気になれば、格段に力は伸びていく。それを教え続けるその顧問は凄い。子どもたちは他の分野でも力を発揮していくに違いない。

(ダリアは季節になると咲く。世話をやく人の力もあるけれど、咲く力はまるで魔法)
散歩する秋に冬来たげんなりだ [2021年10月21日(Thu)]

20211015_122233.jpg冬の天気になった。空は高くキリリと澄んでいる。冷たい空気が満ちていても、太陽の姿さえあれば気分爽快だ。むろん太平洋側や瀬戸内に限った話であり、出雲はスッキリとしない天気が多い。名前のハンディもあって、山陰は年がら年中曇って雨や雪ばかりだと信じる向きもあるが、全く誤りである。

秋の長雨がある関東地方に比べれば、晴れの日は多い。夏はいっちょまえに暑いが、アスファルトとコンクリートの度合いが少なく、人口密度が低いことを考えれば都会地より過ごしやすい。春にあっては、寒さと曇天の冬を経て桜花爛漫を格別の思いで迎えることができる。冬にしてもそれほど寒くはないし、中国山地の豪雪地帯こそ1mを越える積雪があるが、わたしのところでは20センチも積もれば大雪になる。

さて、ここ数日西高東低、冬型の気圧配置。10月にして早くも冬がやってきた。ユーラシア大陸にある高気圧からの乾いた風が日本海で湿気を引き連れて雲となって列島に上陸する。雲は山に当たり、雪や冷たい雨を落としていく。山岳地帯を越えたときには空気はスッキリ。再び乾いた風になって太平洋側に冷たいが晴れをもたらす。

おいおい、秋はどこに行ったんだい! のほほんと秋の空の下を散歩する楽しみを与えてくれたまえ。
言葉にはいろいろあって御免なさい [2021年10月20日(Wed)]

20211011_091725.jpg【ごめんなさい】
謝るとき、この言葉。「ごめんください」と言って他所にお邪魔する。「免」は許可すること。尊敬の御をつけて「御免」。それが不思議にも謝罪や断りを意味するようになった。命令形を伴って「ごめんあれ」やら「ごめんくだされ」となり、「ごめんなさい」にも派生する。御免をしなさいとは、すなわち「許せ」と命ずることなのだが、丁寧な印象を受けて、不遜さが消える。省略して「ごめん」とすると、くだけた関係でのみ用いることができる。

いま使われるのは「御免なさい」「御免ください」くらいだろうか。お詫びとお断りを自然に素直に表現する言葉となっている。ごめんなさいを多用する必要はないが、悪くない日本語である。ごめんくださいも同様なり。

(ハナミズキは恥ずかしい。葉を赤茶に染めて変身する。実まで朱に染めて恥じらう)
握りあい脊髄反射かお返しか [2021年10月19日(Tue)]

20211015_071222.jpg伯母の手を握る。熱い。体温は38℃を超えている。脈や呼吸のバイタルは安定しているようだ。耳元で話しかけてみた。寝息は聞こえているが反応はない。指をニギニギする。ピクッと薬指が動いた。おっ? 続いて中指と薬指の二本が握り返してきた。覚醒か? 違う、脊髄反射だそうだ。

よく叱られた。強烈なパンチのような怒声を浴びた。それ以上によく可愛がってもらった。母より5歳も年上だから、強い母のイメージがあった。長らく自分の母(わたしの祖母)を介護したが、口は減らない気丈な祖母とのやり取りは面白かった。その祖母が逝って四半世紀。伯母は老いた。

身体は大きい。もともと体力もある。まだ逝かないでほしい。さらに生き抜いてほしい。もちろん激動の昭和を生きて駆け回ってきたが、もっと長生きしてください。かつて会いに行くたびに、「ようこそようこそ」と歓待してくれた。穏やかで温かい眼差しであった。あの声音を思い出すと瞼が熱くなる。

(伯母さんは、つわぶき色の服を着ていたことがあるだろうか。はてさて全く記憶はない)
人けなく待つ身は辛し暮れる秋 [2021年10月18日(Mon)]

20211008_164432.jpg待つ時間は考える時間だ。切羽詰まったときが問題だ。考えるうちに落ち着きを取り戻すこともあるが、焦りにつながることが多い。嫌な思いが次から次へと連想されて顔はひきつっていく。ポカも当然ありがちだ。危機管理とはそんなこと。あらかじめ想定して準備を整えていたらいいのだが・・・。

考える時間は深い思索をめぐらすことにもつながる。考えると疲れを催す。面倒になって気分転換したくなる。そんなときの読書やギターの練習は深くなる。夢中になってしまうと、考えるべき何事かをないがしろにする。言ってみれば目前の課題から逃げているのだ。

時間を無駄にしないよう常に何かすることは大事だが、何もしない時間、ただボッーとしている時間も貴重なものだ。かといって、人間は考える葦と言うとおり、頭を空っぽにはできやしない。何かを考えている。だから眠ることが大切なのだ。夢は見るから脳は働いてはいるが、無意識の底に沈んで頭をリフレッシュしよう。それがとても大事。

(色鮮やかなパプリカを眺めて夢見心地で考えるのもよかろう)
ロマンスに遊ぶ禁じ手ラシシソラ [2021年10月17日(Sun)]

20211009_102122.jpg【ロマンス】とは、恋愛・武勇などを扱った中世ヨーロッパの空想的な冒険の物語をいうが、今ではもっぱら恋物語を連想するようになった。ロマンティックな話と言ったら明らかに恋愛の匂いがある。元はロマンス語(ラテン語の俗化した言葉)で書かれた物語のことを指していたようだ。吟遊詩人が叙情的にリュートでもって愛を語り歌いながら各地を遍歴した楽曲もロマンスという。

さて、クラシックギターでロマンスと言えば『愛のロマンス』である。1952年の映画『禁じられた遊び』でナルシソ・イエペスが弾いた名曲だ。誰もが知っていると思いきや、近頃の若者は知らないし聞いたこともないのが普通だ。が、この曲を聞いて美しいと思わない者はいないだろう。

この曲を誤って作者不詳とか、スペイン民謡と説明する向きもあるが、アントニオ・ルビーラというスペインの有名なギタリストが20世紀初頭に作曲した練習曲である。原譜はアルペジオの順番が今とは違って、p(親指)a(薬指)i(人差し指)m(中指)で弾く。

ソロでこの曲を弾く醍醐味といったらないが、難しい。6小節目までは初心者でも形になっても以降は難所。セーハが出てきてバタンキュー。中盤になるとセーハはもちろん、きついストレッチもあってレベルが高い。だからこそ憧れの曲として際立つ存在感があるのかもしれない。わたしはと言えば、音のかすれがあって厳しい箇所もあるが、何とかさまになってきたところだ。

(リンドウにはロマンスの香りがある)
夏過ぎて早くも晩秋忙しや [2021年10月16日(Sat)]

20210925_161436.jpg朝のうちから雨が降りだした。気温は上がらず16、17℃。冷たい雨がしとしと降る。いよいよ寒くなるのか。それにしても急激過ぎるぞ。コタツやホットカーペット出した家庭も多いことだろう。

予報によれば明日も同じようなもの。雨は降ったり止んだりで、風が強めなのが嫌だ。体感は肌寒く感じるだろう。風邪をひかないようにしたい。体調を少しでも崩すと出勤を控えなければならない。それは困る。皆さんもご自愛ください。

(玉すだれが咲いていた頃は寒くなかった。暑すぎる日々だった)
季節は黄黄っ黄黄っと善き色よ [2021年10月15日(Fri)]

20211015_122037.jpg秋の色は黄。季節は黄に彩られている。

夏の盛りの女郎花(オミナエシ)に秋は始まった。夏の名残のガザニアは黄が眩しい。マーガレットも夏のものだが、オレンジ色と合わせて路肩を飾っている。黄花コスモスは黄を越えて橙色に近いが、その名のとおり黄に分類しておこう。

この秋お目にかかっていないのが金木犀(キンモクセイ)。もちろん芳香を嗅いだこともない。どこに消えたのだ。菊芋(キクイモ)は萎びてしまったが、あちらこちらに群落を繁らせて美しかった秋の風景。背高粟立草(セイタカアワダチソウ)と石蕗(つわぶき)はこれからのお楽しみ。年中咲いている感じもあるが、ユリオプスデージーはハーブの好ましい匂い。

黄といえば柿。種が大きくて人気なくても食べれば美味しい。菊花展を観覧する機会には恵まれないが、菊といえば白か黄。見事な大輪、細かなスプレー菊、いいもんだ。

桜や銀杏の紅葉も、無理強いすれば黄に見えるし、薄(ススキ)だって黄の類い。黄色がないかないかと探していたら、電柱支柱に巻いてある黄のラインまで花の色に見えてきた。夕陽が美しい季節。これもまた黄なり、と強弁。

(秋の麒麟草ってやつもなかなか可愛らしい。雑木の下に咲く)
感動し心震わせ奮起せよ [2021年10月14日(Thu)]

20211008_171854.jpg【感動】
何らかのもの・ことに感銘を受けて心を動かされること。物事そのものに感動することもあれば、物事から想起して心を震わせることもある。

ところが近頃とんと深い感動を覚えることがない。名曲を聴いても背中がぞくぞくするような感覚がない。小さないいね!はたくさんあっても、大きなものがない。いかん、いかん。マンネリ化している証拠だ。普段と異なる体験をしなければならないな。

(セイタカアワダチソウの黄が林立する様にも、感受性が強ければ感動できるはずなのだが)
実用文わかってもらう技術なり [2021年10月13日(Wed)]

20211008_085139.jpg役所でも企業でも、実用的な文章を書く技術を学ぶ機会は意外に少ない。公用文の用語や文例を示す本を読まされた程度である。見よう見まねのOJTで学んできた。

今はどうか知らないが、学校の現代国語で文章術を教わることもない。幸いわたしは国語の先生に、岩波新書『論文の書き方』の単元ごとに500字で要約するという課題を与えられ、毎回添削していただく得がたい体験をした。相当鍛えてもらったと思う。H先生に感謝の念は尽きない。

それ以降は本格的な文章教育を受けないまま、今を迎えている。だいたい多くが同じだろうと推察する。就職してから上司や先輩に恵まれればよし、そうでなければ残念なことになるが、なかなか独りで学習を積み上げるのは難しい。才能と運に任せるしかないと諦めるのか。

「てにをは」は難しい。的確に読み手に伝えることは当然としても、文章のリズムを整えるにも重要だ。文をずらずらと続けず、一部を箇条書きにするだけで見え方は違ってくる。定量的、具体的に伝えると読み手に優しい。

■漠然表現から具体化へ
 かなり多いとか、いくぶん少ない → 数字や図表化で目に止まる工夫を

■心に浮かぶ言葉をそのまま文字に
 目の前の情景を順に記述すればよい、との教えもあったが、浮かぶ言葉や眼前のものを順に言語化できる者などいようか。

■文は人なりではない
 文に人格は宿らない。文とは情報の伝達手段に過ぎない。

■学習指導要領は進化する
 アクティブ・ラーニングを取り入れて、授業は改善されたはずだ。新しい時代の実用的文章書き、出でよ。

■ますます書く機会は増える
 今後はAIが書き物を手伝ってくれるだろうが、ビジネスやSNSで書くことは増え、文字による意思表示はなくならない。

■美文は不要、技術を磨く
 実用文に美的な感動は求めない。練習を重ねて上達するのみ。

途中から箇条書き風にしたかったが、失敗したのはご愛嬌。文章修行は続く。

(宍道湖に一部アオコ発生。この程度なら絵になる)
お手軽につまむは音に深みなし [2021年10月12日(Tue)]

20210925_155807.jpg日本の女流ギタリストの先駆け、小原聖子氏がこのように述べている(ブログ『小原聖子のひとり言』)。

≪味わい深い、充実した音を聴かせてくれる人々が減ったように思います。なんででしょう?
奏法も何か変化したなと思える人も多く、一番気になったのは和音の弾き方、指を揃えて弦をつまむ弾き方になった人が多かった事!
私も帰ってきて、関節を使わない、おつまみ奏法を試してみました。
まあ楽器が鳴らない事、ろくに鳴りません。
何故もっと和音感のある厚みのある、豊かな響きを求め無いのでしょうか≫

つまみ奏法ではない和音の弾き方ってどんなだろう。先日のレッスンで門脇先生に尋ねてみた。

まずはセット奏法。すなわち弦に指をプランティングして、弾力をもって第一から第三関節まで全て使って滑らかに弦を弾く。そしてリリースと同時に手指の力を抜くと遠達性のある音になると。さっそくやってみる。音に深みがあり調和がある。ギターが鳴っている。反対に指でつまんで引っかくと、瞬間の音は大きくても荒く耳障りだ。

しかし違いはほんのわずか。しかも安定して出来るわけではない。ひとつのタッチごとに音を聞き分けながら、基礎練習を重ね、実際の演奏でも再現することが課題だ。そうすることで丁寧な良い音楽になる。ギターが美しく豊かに鳴り響くよう望んでいる。

(小粒でも山椒の実のようにピリリとパンチの効いた音色を聴かせたい)
役として死んで一花咲かせたる [2021年10月11日(Mon)]

20211008_085020.jpg竹下景子さんは死んでいる。正確にいえば、役として死んで、あの世からみんなを見守り、ナレーションをしている。朝ドラ『おかえりモネ』で、百音(清原果耶)のばあちゃん・雅代役で出演していたが、劇中で故人となった。遺影として、時に追憶映像として登場する。

役として死ぬ。役者にとってどんな感じなんだろう。縁起でもない、と言って役を断る役者はいるんだろうか。今どきいないとは思う。少し離れた位置から他の役者の演技を見る。そして語りだけで演技を磨き、新境地を開くことになるのかもしれない。役者さんはいろんな経験ができて楽しいだろうな(うまく運ぶ限りは)。

(宍道湖東岸から見た北山山系と湖面、青空・淡い雲。濃淡あるブルーの世界)
過酷なり秋の駅伝三十度 [2021年10月10日(Sun)]

20211010_165808.jpg出雲駅伝は終わった。30℃を超える大晴天の中、選手には過酷な条件で45キロの道程を走り抜いた。今回が33回目ではあるが、初期は学生陸上競技連盟から正式に駅伝とは認められず神伝と称していた。今や箱根駅伝、全日本大学駅伝と並び、三大学生駅伝となった。二時間半の全国放送枠となって誇らしい。今年はコロナ感染防止のために沿道応援を自粛するよう告知があったので、一昨年に比べると(去年は中止)少なかった。出雲大社正面の勢溜(せいだまり)をスタートし、出雲平野を駆け抜けて出雲ドームでフィニッシュするのは、実に絵になる。

結果は東京国際大が初出場にして初優勝を果たした。青山学院大、東洋大と続いたが、今年の箱根駅伝で優勝を飾った駒澤大は5位に甘んじた。その駒澤に最終区で大逆転を許したが、往路優勝を勝ち取った我が母校創価大は7位となった。多くは図抜けた記録を持たない創価の選手たちではあるが、よく頑張った。どのチームの選手もあの暑さの中でよくやったと思う。お疲れさま!
山村にギターとフルート音色美し [2021年10月09日(Sat)]

20211009_124633.jpgK氏宅の古民家を改修した「街角の小さなアートスペース」のこけら落としに参加して楽しませていただいた後に、三成ダム(奥出雲町)を見てきた。斐伊川(ひいかわ)の上流にある。発電用としては日本最古のアーチ式ダムで1954年に完成してから70年の今も現役で働いている。

なぜアーチ状にするのか、貯水池に対し弓なりに張り出すのか。強いからである。水圧がダムの両端に重くかかり、ダム本体は薄くてすむ。コンクリート使用量が少なくてお得である。地震にも強い。ただしダム両端に強い岩盤がなくてはならない。三成ダムは高さ42m。ダムの上部に立って下を見下ろすと足がすくむ。日本一の高さ、黒部ダムは186m。今ごろ紅葉が始まってきれいだろうなあ。

小さなアートスペースではギター仲間の演奏があり、フルートのトリオ演奏も素晴らしかった。アートスペースは音響が良く、木の香りが気持ちよい。食したお昼ご飯も美味しくて、お土産までちょうだいして嬉しかった。みなさん、どうもありがとうございました。

演奏は呼吸が大事である。楽器の音の圧力は伝えたい心情の熱さ、厚さに比例する。よく楽器が鳴るかどうかは修練の度合いと心情に負うている。そんなことを感じる一日だった。

(K氏宅の古民家の畑との境にある石垣に咲いたシュウメイギク。わたしの演奏はというと、残念な「大聖堂」に終わった。呼吸が不規則で体中に力が入っていたからに違いない)
後期にて光輝香って好機なり [2021年10月08日(Fri)]

20211002_144530.jpgある方の投稿から【高貴香麗】という言葉を知った。もちろん後期高齢者のもじりであり、まだ若く麗しい!と意気軒昂な様子をアピールされている。

高齢であることは高貴なり。そして光輝である。むろん社会常識なりの綱紀はないがしろにせず、好奇心にも満ちている。そんな香気のある高齢者が増えれば先行きは明るい。好機到来だ。

【幸齢社会】という言葉も以前から使われる。自分らしくイキイキと健康に生きる社会は、まさに幸齢社会。ひと、もの、情報の生き字引として新しい時代を生きる高齢期でありたい。それは社会全体が歳をとっても幸せに老いることのできる証左である。

(ある午後の宍道湖のほとりから撮影。高貴なるひとつの風景)
安らいでおやすみなさいは魔法なり [2021年10月07日(Thu)]

20210924_175027.jpg【おやすみなさい】

命令形の「なさい」がついた「休む」。表現を変えれば「休め」。この言葉を寝る前に交わし合うというのは、考えてみると不思議だ。

由来は宿屋で客に対して「ゆっくりとお休みになってください」と言葉を掛けたことだという。省略されて「おやすみなさい」になった。母が子に対して優しく掛ける言葉としても、似つかわしく好ましい。

おやすみなさいが魔法の言葉となってぐっすり寝入ることができる。おやすみなさいは思いやりの言葉、そして安らぎの言葉。

では、おやすみなさい・・・いや、いかん。いま寝たら終点の出雲市駅まで行ってしまう。夜中までとっておこう。
ようようと夕暮れてコロナの禍 [2021年10月06日(Wed)]

20211005_180746.jpg【コロナ禍で】
口々にこの言葉が出てきます。もちろん私もよく使いますが、滑舌が悪いと「この中で」と聞こえるのです。さらに「コロナ禍の中で」と言われたのが「この中の中で」と聞こえてしまって、面白いのです。

コロナ禍が常態化した今日、コロナ時代の到来と言われています。「コロナ禍で」と「この中で」は、ほとんどイコールで結べるようになりましたね。まったくどうしてくれるんだい、ウイルスさん。

(コロナ禍の中の松江・天神川の夕暮れ。暮れてずんずん暗くなる)
失敗を冒してそれは糧になる [2021年10月05日(Tue)]

20210929_172749.jpgいつの頃からか、失敗を恐れるようになっている。公務員であった故に、年をとったが故に。理由は別にもあるのかもしれない。日々日常に埋もれるうちに挑戦を避け、保守的になっていく。もちろん毎日が千変万化だと疲れてしようがない。苦しくもなってくる。楽をしたい。失敗して唇を噛むのは辛いことだ。失敗を責められたくないと思うのは当然だ。でも挑むことを忘れたら、人生つまらない。

(エジソンの)≪母ナンシーは彼に、“失敗は最高のレッスン”と教えたという。エジソンは失敗を指摘されても、「うまくいかないということを確認した成功例なのだ」と、“前進の証し”と捉えた。そこから新たな可能性を見いだし、世紀の発明を次々と生み出した(中略)▼失敗は敗北を決定づけるものでも、不幸を意味するものでもない。確かに失敗が重なれば落胆は大きい。大切なことは、挑戦の火を自身の胸中から決して絶やさないこと。前へ進む限り、失敗は自己を飛躍させる糧となる≫ (「名字の言」2021年9月27日付け聖教新聞)

さあ、前へ進もう。もちろん闇雲に当てもなく進んでも益は少ない。準備は入念に、そのあとのことを想定することも怠らず。研鑽を忘れたら前進はないですぞ。

(駅の構内になっているナツメの実でも食べて、思いきっていこう)
人道にエロエロあると言うなかれ [2021年10月04日(Mon)]

20210928_161226.jpgコンゴ民主共和国で世界保健機関の職員や救援スタッフら(エボラ出血熱の対応)が、女性や少女に対し性的虐待やレイプを行ったとする報告書が出た。50人以上が被害を訴えている。WHO、コビッド19でもってテドロス事務局長は名高くなったが、人道支援の先遣隊でそんな事件が起こるとは信じがたい。

事務局長は被害者に向けて「あなたたちに奉仕し、守るはずのWHOに雇われた人たちがあなたたちにしたことに対し、申し訳なく思います」と陳謝し、容疑者たちに説明責任を果たすよう求め、被害者を支援すると約束した。

戦場では事実上男だけの世界になる。性的欲求の虜になる者が出ても不思議ではない。日中戦争や太平洋戦争では従軍慰安婦の問題があり、今も決着していない。戦場で民間人を強姦したり、ことに及んだ後に殺害するなど当たり前で、異常な世界だった。もちろん正当化など出来やしない。戦国の世では男色が公認されていたのも、欲求のはけ口だったのだろう。

エボラ出血熱の対応はいわば戦場のようなもの。そこで権力を手にした短期雇用の不届き者が勘違いをして、エロに染まった気分を実行に移した。実に腹立たしい。

(割れたガラスはWHO。一日も早く信頼を取り戻すのだ)
足んねえよ時はまったく足らないや [2021年10月03日(Sun)]

20210929_132748.jpg「さーて、時が足んねえぇ」と渋沢栄一。今夜の大河ドラマは侃々諤々(かんかんがくがく)の議論で始まった。省庁から出向者が集まって改正掛ができて、新しい日本に必要なものやことを議論している。租税、驛停、郵便、度量衡、貨幣統一などなど。各人考えること、得意分野が違う。が、チームとして日本を生まれ変わらすという大使命に立った渋沢は、その混沌を喜ぶ。そして見事まとめあげて、迅速に仕事を次々と成し遂げる奮闘ぶりを見せる。爽快である。いきいきと冒頭の台詞。「時が足んねえぇ」と。そんなふうに溌剌と仕事をしたいものだ。

(マリーゴールドは可憐にして輝かしい)
映像が左右逆なり会議にて [2021年10月02日(Sat)]

20211001_080246.jpgズームにログインして、画面に一人写る自分の姿を見ながら考えた(他の人はまだ会議室に入っていない)。なぜ左右が反対なのだろう。パソコンのカメラで映しているわけだから、ビデオカメラに通常映るように、そのままにすればよいと思うのだが、鏡面と同じく左右対称である。

はたと思った。あえて鏡に写るのと同じようにしたとみた。ふつう自分の姿を確かめるのは鏡。そこに写る姿は見慣れたものだ。たまに写真やビデオに違和感があるのは、鏡の姿と雰囲気が違うからだ。だからズーム社は会議に集中できるように、鏡面の対称にしたと想像した。いかがなもんかな?

(鏡に写しても映像に撮っても多分あんまり変わらない雲)
面接で顕在と潜在を分け隔つ [2021年10月01日(Fri)]

20210925_170331.jpg組織を運営するにあたっては面接することは不可欠である。採用試験で面接をする。人事考課のために面接する。相談事のために一対一もしくは少人数で面談する。家族内での話し合いも面接力による。多くのひとにとって、人間関係の機微はその面接力にかかっていると言ってよいと思う。その総和として組織の良好な運営は築かれる。

面接は難しい。「人間理解の難しさは、表面にある行動と、潜在的な内面とが異なることにある」という言葉があるが、本音と建前、きれいごと と あけすけごとを明確に隔てて判断することは、まず出来ない相談だ。そもそも本人にだって分かっていないの違いない。

面接は、本人が意識して隠そうとしたり、虚飾しようと思ったにしても、あくまでも表面に出てきた言動を通して、相手の人と成りを洞察していく技術である。場面とも言えるかな? 明日はある面接をするのだが、相手の将来的な可能性を含めて、的確な判断が出来たらいいなと思っている。

(溝蕎麦にはどんな潜在的な内面があるのだろうか)