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豊穣な淡い神秘の音なれば [2021年09月30日(Thu)]

20210929_172126.jpg今夜もタレガのことを書く。120年も前の夜に奏でられたタレガの演奏を新聞は次のように評した(フランシスコ・タレガ伝,手塚健旨著,現代ギター社,2021年)。

≪この楽器はデリケートで、きめ細かく、淡い神秘さを漂わせ、夕べの調べを醸し出す。また、優美な色彩の変化、ビロードのような音色、柔らかな表情、耳に心地よい温かさ、精神の安らぎがある。ギター、それがタレガによって弾弦される時、それは何か楽器を超えた存在になり、音楽家の感情のリズムを揺さぶるひとつの生き物になる。タレガはこの楽器の秘密を知り尽くしており、その素晴らしい天分によって、和音、 ハーモニー、響き、秘められた色彩、隠された音を一つも逃さない≫

豊穣なる音色、和音の響きを求めて、今夜もわたしは爪弾く。残業して遅い列車でこうして書きながら、今夜も良い音を目指して頑張ろうと思う。甘くもあり、固く響き、柔らかに耳に入ってくるギターの音を求めて今夜も弾こう。道は遠いけれども、今だって十分に美しい。楽しくてたまらない。

(キバナコスモスも美しい。目に優しく秋の短日の光を放っている)
ゆっくりと練習すれば上達よ [2021年09月29日(Wed)]

20210925_161504.jpg弟子のホセフィナ・ロブレドの父親に対し、タレガは手紙を送った。

≪ホセフィナはあせらず、根気よく練習すると、どこまでも上達します。ゆっくり練習することが上達の近道で、もしそれを怠ると、たとえ3世紀生きたとしても良い演奏を身につけることは不可能です≫ (フランシスコ・タレガ伝,手塚健旨著,現代ギター社,2021年)。

タレガがギターを、単にかき鳴らす伴奏楽器としての存在から芸術的な独奏楽器として地位を上げた功績は大きい。タレガがいなかったら、名曲の数々は生まれず、超絶したテクニックでもって人々の関心を呼び起こせなかった。そのタレガが「ゆっくり練習することが上達の近道」と言っている。その言葉に嘘はない。

(まろやかな小紫の果実。クラスターとなって密になって成長する)
言葉には色がありけり秋の空 [2021年09月28日(Tue)]

20210925_170635.jpg言葉には色がある。人によりけり、色がある。冷たい寒色があり、温かな色彩もある。フレッシュさを失くし褪せた色だってあるし、清新なる熱い血潮の色もある。言葉には色があり、言葉はそれぞれ人からこの瞬間に生まれていく。

≪言葉の色とは、言葉を発する人の「心の色」だろう。相手を思う心が根底にあるから言葉は生きる。(中略)同じ言葉でも、言葉を発する人の「心の色」次第で、受け止め方は全く異なってくる。(中略)心を磨き、すてきな色の言葉を届けたいと思う≫(聖教新聞「名字の言」2021年9月10日付け)

体調が悪いときもある。気分がムシャクシャするときだってある。それを顔や態度の色に表せば、他人はもちろん自分もまた奈落に落ちる。じっと我慢の子、あるいはさっさと休むことだね。気分をかえて、体力を回復して捲土重来を期すのだよ。

(オシロイバナにはきらめく秋の色がある)
ゆく秋を惜しんで咲けや人と花 [2021年09月27日(Mon)]

fumihouse-2021-09-27T18_21_30-1-thumbnail2.jpg5年前のきょう、『100日あったら何ができますか?』と題してこう書いている。

≪厚い本薄い本、均して10日で3冊。30冊の本が読めるでしょう。週に2人とじっくり語り合えば30人と昵懇の仲になれます。毎日楽器を練習すればそこそこ弾けるようになります。(注:5年前はギターに再会していなかった)
 来週から10月。今年もあと3ヶ月余り。すなわち100日です。心おきなく歳末を迎えたいものですね≫

残すところ100日。100日を大切にしよう。いや100日もあると思えば緩くなる。1日1日を千金の重みに感じていかねばならぬ。さらに1時間ごとに振り返りをしてみようじゃないか。時間を大切に、かつセコセコしてもならぬ。きっと年末は自由自在に楽しめているに違いない。

(萩の花もまた、ゆく秋を惜しんで咲く)
感染よ宇宙のなかの一コマなり [2021年09月26日(Sun)]

fumihouse-2021-09-26T21_54_38-1-thumbnail2.jpg新コロナの感染者が少なくなって、第五波が収束しそうだ。要因について様々に取り沙汰されている。ツイッター上の(無責任な)投稿をざらっと見てみた。

□人の出入り減少説/お盆や夏休みとオリンピックが終わった。そして台風や大雨で人々が外出を控えた。そこそこ影響していると思う。

□季節性要因説/一時的に鳴りを潜めてはいても、秋が深まると再拡大期が来る。確かに恐れは大きい、気をつけなければ。涼しくなって窓を開けるようになり、室内の換気が良くなったのも原因だあろう。

□ワクチン接種進展説/まっとうである。ワクチン接種率は6割近い。中央と地方政府の必死の努力を忘れてはならないのに、それを無下に否定する向きが多くてびっくりする。感染増の状態は政府が無能のせい、緊急事態宣言を出せば文句、出さなくても大文句。感染が減ったら減ったで政府の功績は無視する。空しく感じないかい?

□検査数が意図的に減らされ、陽性を隠蔽した説/この意見が意外に多くてびっくりする。日本の社会システムはそこまで壊れていない。言いがかりに過ぎない。

□自民総裁選、総選挙がらみのでっち上げ説/上の考えに近い。荒唐無稽だが信じる人が一定程度いるところが心配だ。

□国民自戒説/多く国民が感染を警戒して行動を抑制したから。あれだけ政府が自粛要請し、マスコミが報じても届かなかった人たちが、口コミやSNS投稿によって自分事として認識したことは大きいと思う。入院できず重症化したり、自宅で死にたくないと感じているというところか。千葉真一氏の死去も影響したかも。

□感染者出尽くし説/感染しそうな行動をとっていた人があらかた感染し尽くした。なるほど。

□ウイルスの自壊説/デルタ株が他のウイルスを席巻して天下を取り、自ら感染力を弱めた。案外あるかもしれない。

新コロナとの闘争は当分続く。できれば永続的に効力あるワクチンが開発されて、特効薬が産み出されることを願っている。誰もが願いは一つ。早く不安の種を取り除きたい、である。

(コスモスは人間界の混迷を、どうなふうに観戦していることやら)
表現し誰かに見てもらおうよ [2021年09月25日(Sat)]

fumihouse-2021-09-25T13_39_52-1-thumbnail2.jpg書を絵画化し現代アートにまで昇華させた芸術家・紫舟さんがこう言っている(9月19日付け聖教新聞「スタートライン」)。≪表現者の先輩から教えられた、「表現者は人に見てもらうことでしか成長しない」との言葉を支えに、自身を鍛えました≫と。

なるほど、「人に見てもらう」か。文章を書く、詩歌を作る、デザイン画を描く、企画書を構成する、楽器を演奏する、パフォーマンスをする・・・あらゆるものは表現である。

一人称の立場から眺めるだけでは自己満足に終わる。自己満足でも悪いことはないのだが、表現の幅を広げ弱点を知るためには、二人称の立場の他人から批評をされ褒め称えられることが必要だ。そこから表現者はエネルギーを得る。ある時は天にも昇り、ある時は奈落に落ちる。確かに、何事かを表現しようとする者は他人に見られて成長する。秋は文化祭や運動会など見てもらう機会も多い。ガンバロウ。

(キクイモの花は、それなりに芸術的。黄が秋空に映える)
他人には幸を届けて幸もらう [2021年09月24日(Fri)]

fumihouse-2021-09-24T18_24_01-1-thumbnail2.jpgわたしは上下逆さまの文字を読むのが苦手である。対面する相手に資料を示し説明すると読みづらい。差し支えなければ相手側に移動する。会計検査院の検査官にはそれが出来なかったから苦労した。

送られてきたPDF資料が上下反対にスキャンされていると実に困る。ノートパソコンだったら機械をひっくり返して読む。ましてや上下逆さまに字を書くなんて思いもよらない。

≪地図を手書きしながら道を教えていた時のこと。テーブルを挟んで、向かいに座る相手側から読めるよう、文字を上下逆さまに書いた。説明の途中で、「あっ」と思わず声を出してしまった。幸町という地名の「幸」と書いた時だった。この文字が自分の側からも「幸」と見えたからだ▼相手に「幸」を届けようとすれば、自分にも「幸」が届くことになる……そう感じ、二人して笑顔になった。人の前に明かりをともせば、自分の前も明るくなるという仏法の教えを思い返した≫ (「名字の言」聖教新聞9月21日付け)

情けは人のためならずと言う。人のために動けば巡りめぐって自分にも益がある。なかなか余裕はないかもしれないが、少しのカネも含めて、相手のためにテマを使いたい。たとえ上下逆さまの文字を読むのが苦手でも、そうしたほうがきっと幸があるのに違いない。

(ノダイオウは春に咲くというか、実る。上下逆さまでも同じように見える)
久しぶり語り合っては飲む時間 [2021年09月23日(Thu)]

fumihouse-2021-09-23T12_22_31-1-thumbnail2.jpgおう 久しぶりだね
さっそく 飲もうかね
どこ行く? 角の居酒屋 どうっ? よっしゃ
まずはビールで ぐぐっとぐっと
飲むうちに 語るうちになじんでくる
会話がなじむ 語り口がほぐれる 旧知の仲の没入感
飲めや飲め しゃべれや喋れ
聴いてるぞ 耳をすまして聞いてるぞ
こんどはこっちの番だ
怒涛のおしゃべり尽きはせぬ
聞く 飲む 聴く しゃべる 呑む 次々と飲む
うん? もう帰る時間か?
じゃあまたな
あーいいもんだ
こんな夜はいつくるの?

(りんどうの花。これも、あーいいもんだ)
名月や静かにものを思うころ [2021年09月22日(Wed)]

fumihouse-2021-09-22T08_28_37-1-thumbnail2.jpg日が落ちたと思うまもなく、闇が押し寄せてくる。秋の日は釣瓶落とし、と言うが、澄んだ空は混じりけがなくて乱反射が少ないのだろうか。日陰になるや否や、辺りは見えにくくなって陰陽の境目がくっきりする。

昨夜は中秋の名月。静かだ。虫の声が静寂をかきたてる。ほのかに風。空には薄い雲がなびいて、ときおり明月を覆っていった。

月はじっとして動かない。静かなようではあっても、38万キロの向こうで轟音を響かせるようにして高速で地球を公転し(空気はないから音はないが)、1日一回自転する。宇宙の神秘は静寂と喧騒のうちにある。

一転きょうは朝からしとしと雨。あしたは秋分の日。と思ううちに、ざあざあ本格的に降ってきた。
油断なくピークを下げて嬉しかろ [2021年09月21日(Tue)]

20210925_164312.jpgfumihouse-2021-09-21T18_35_17-1-thumbnail2.jpg東京都ではきょう21日の新コロナ感染者が253人だった模様。やればできるじゃないか、東京の諸君! 300人を下回るのは3か月ぶりのこと。第5波がピークだった8月上旬と比べると20分の1以下だ。やればできる、よくやった。ちなみに島根は10人で、きのうより増えてしまった。

減ったとはいえ、東京で二百人以上の人が感染者リストに名を連ねた。放蕩三昧で、なって当たり前という不届き者もいるかもしれないが、十分に注意していたにもかかわらず、青天の霹靂という人も多いと思う。状態が悪くなりませんように願ってます。もう罹らないようにしようね。
忘れてたうっかりすっかり忘れてた [2021年09月20日(Mon)]

fumihouse-2021-09-20T14_04_33-1-thumbnail2.jpg忘れてしまった。家族で出かけて昼食を。食べ始めて、はたと気がついた。go to イートのチケットを忘れてきた。あーあ。まっ、大したことはないんだけどね。美味しく食べて楽しく時間を過ごし、支払いはカードで。ただそれだけのことなんだ。使用期限は今月末まで。忘れないようにしないとね。トホホの午後でした。

(セイヨウフジバカマもヘラっと笑って見ているさ)
親ガチャか子ガチャかそれは人次第 [2021年09月19日(Sun)]

fumihouse-2021-09-19T15_33_25-1-thumbnail2.jpg【親ガチャ】という言葉があるそうな。自販機のガチャから落ちてくるカプセルが運次第で自分では選べないように、親を選ぶことはできない。生まれてきた境遇を自身で選べなくて悲しかったという嘆き節(オチャラケ気味かな?)である。

親をガチャに例えるなんて不謹慎だ、育ててくれた恩を感じもせずに「親ガチャはずれ」などと言うのはけしからんと、眉をひそめる生真面目者もいるようだ。遊びには遊びで応えよう。「何であんたなの? 子ガチャ外れだよ」と。

まっ、生まれてきたこと自体が奇跡。その奇跡を受け止めて全力で、かつ、気張ることなく顔晴ればよろしい。

乙武洋匡氏は言っている。「私はありがたいことに親ガチャに恵まれた。一方、肉体ガチャなるものがあるとするなら、やはり大外れを引いたと言わざるをえない。いろいろ違いはあるけれど、どのガチャを引いても魅力的という社会にしていきたい」と。至言なり。

(田んぼ脇に咲く白い曼珠沙華。これを構成する分子や原子も、彼岸前の今時分、たまたまここに集ったものの集積だ)
拉麺を食うて胃の府と背に汗を [2021年09月18日(Sat)]

fumihouse-2021-09-18T22_17_33-1-thumbnail2.jpg格別ラーメン好きというわけではないけれど、時々食いにいく。湯気とともに立ち上る麺の薫り、スープの刺激。食欲がぐんと高まる。熱い麺をすする。舌を火傷させないように少なめに箸で持ち上げて、フウフウさせながらすする。美味しいなあと独りごちて、ムシャムシャ食う。挽き肉もよく噛んで食う。モヤシとトウガラシを口に入れた。辛くて刺激が強い。しっかりと30回は噛んだと思うが、ものの10分で担々麺と焼き餃子は、わたしの胃の府に消えていった。背に汗をかいていた。
口ほどにモノを言う目は小さいが [2021年09月17日(Fri)]

fumihouse-2021-09-17T18_05_48-1-thumbnail2.jpg目は口ほどに物を言う。目が語る感情は、ときに口以上に饒舌であるし、しゃべる言葉とは正反対の心情を示すときもある。目はおしゃべりだ。

ただし顔の全体から見れば一部でしかない。マスクで鼻と口、頬や顎を覆ってしまうと、残すは目と眉と頭だけ。その人の顔かたちを判断する情報としては少なくて心もとない。

街中で誰かから声をかけられても、誰だったかな?と疑心暗鬼を生じ、あの人かな?と思っても確信がないことがある。マスクを必要としないときは来るのか。涼しくはなったが、今も暑くて蒸れて気持ち悪くてしょうがない。

(苦瓜の花はしゃべらない。でも正直に元気印の夏を表した。季節は終わる)
知ってるかい杮と柿の違いをば [2021年09月16日(Thu)]

fumihouse-2021-09-16T17_47_51-1-thumbnail2.jpg【杮落】という漢字を初めて知った。【こけらおとし】の言葉は知っていても、柿の漢字でコケラと読ませるというのが驚きだ。そもそも杮ってなんだ。種があることと、甘味が少なく、皮を剥かなければ食べられないということで、近ごろさっぱり人気がないフルーツの柿ではない。

こけら(杮)というのは、材木を加工して出た木屑や削りカスのことだそうだ。そこから、新築または改築した会場の初興行。また、開場行事のことである。

某村落にある自宅古民家を改修された主が、杮落としにわたしを招いてくださる。というか、押し掛ける。何人かが演奏をするとのこと。小さいが新しい舞台で催される、祝祭の(コロナ禍でいたって静かだが)杮落としである。

杮(こけら)と柿(かき)は別字なのだそうだ。拡大して見ると確かに違う。カキのつくりの市は、なべぶた+巾であり、ほんの小さな隙間がある。一方でコケラは、つくりの縦棒が突き抜けて1本になっている。漢字とは不思議なものよ。

(松江城の石垣のコケラは落ちていないかな? ちがう、カケラだ)
老人の言葉に懲りて敬老よ [2021年09月15日(Wed)]

fumihouse-2021-09-15T18_29_39-1-thumbnail2.jpgきょう9月15日は【老人の日】。かつては敬老の日として定めた休日だった。やがて敬老の日は祝日法の改正で9月第三月曜日に鞍替えし、9月15日は老人の日となった。そこから一週間を老人週間として、各種の敬老行事や施設入場特典が与えられる。

いまだに「老人の日」という呼称には馴染みがない。老人という文字には手垢がついた。しかも差別的な色合いがあるということで、一時使うのを躊躇した時期がある。おそらく全国社会福祉協議会の運動があったのだと思うが、経験を積んだ立派な人、君主に仕える徳の高い偉い人という意味がある老の字を埋もれさせたくない、という強い意志があったのではないかと想像している。

老という字は、「腰を曲げて杖をつく人」の象形であるが、なんとなくそう見えてくるが、老いてなおかくしゃくと杖をついてもいい、よき年寄りになりたいものである。

(若いタンポポのような老人だっているものさ)
トイレ前腰を屈めるでっ尻で [2021年09月14日(Tue)]

fumihouse-2021-09-14T17_42_01-1-thumbnail2.jpgオヤジが公衆トイレを使う際によくある図。トイレの入口まで来ると、歩いたまま尻をクイッと上げ、ジッパーに手を伸ばす。便器に到着する前には引き下ろして、立った瞬間にモノを出す。若者のようにはいかないから放尿までは少々時間がかかるが、終わるとそそくさと歩き出して、手を洗う直前までジッパーを引き上げている。

先日近くのショッピングセンターで、若いにいさんがそれをやったので、後から見て笑ってしまった。気持ちが急くゆえの行動であると思うが、時間短縮にはならない。スッスと歩いて便器前に行く。終わったらその場でモノをしまってジッパーを引き上げて歩き出す。腰を屈めたりする動作に無駄があるし、第一小汚ない。まっ、人それぞれだけどね。

(曼珠沙華のように凛と立て)
帰りたし場所と人とのhomeなり [2021年09月13日(Mon)]

fumihouse-2021-09-13T10_36_46-1-thumbnail2.jpg【home】には、住居の意味のほかに、家庭や家族という意味もある。そこから広がって故郷や故国にも及ぶ。抽象的に、心のふるさとにも広がった。心地よい人がいることも含めて、心安らぐ場所という意味である。

働き方改革どこ吹く風という企業戦士でも、年間のほとんどを出張で過ごす人でも、単身赴任ゆえに家族のもとへなかなか帰ることができない人も、homeで家族とともに団欒の時間を過ごせば、心は大いに休まる。

ビジネスに出かける、買い物に行く、図書館に行く、コンサートに行く、散歩に出る、旅支度して車に乗る・・・いずれも自宅から離れる。それでも誰もがhomeに帰ってくる。離れがたいhomeへ戻る。そして安心する。引っ越したりすると当分は空虚で不安になるものだ。

災害によってhomeが破壊される。人は大きな痛手をこうむる。homeにいた人が何らかの理由でいなくなる。心の傷は癒えない。そんな人が少しでも少なくてすみますように。

(今の季節、homeには紫露草が咲いているだろうな)
新装の風呂に浸かって至福かな [2021年09月12日(Sun)]

fumihouse-2021-09-12T22_42_55-1-thumbnail2.jpg我が家の風呂工事が終わった。昨夜から新しい風呂に入っている。大進歩である・・・床が滑らない。節水型でもシャワーに勢いがある。色味は浴槽と窓枠の高さまでは茶と濃いグレーにしたので目に穏やかだ。照明も眩しくない。手すりも使いやすく設計されている。モノの置場も広い・・・湯の川温泉・四季荘に入った5日間は開放的で楽しかったが、我が家で入る新しい風呂は格別である。

体を洗い、髪を洗う。浴槽に浸かりながら歯を磨き、足指のマッサージをする。体を拭く前に水シャワーをかけてブルンと震える。一連の風呂ルーティンが戻った。気分のよい週末であった。

(アサガオもまだ元気だ。暑さは続くだろう)
通したら上手になりたし出来ません [2021年09月11日(Sat)]

fumihouse-2021-09-11T21_42_38-1-thumbnail2.jpg曲を始めから終わりまで通して弾く。これが楽しい。楽譜を四苦八苦して読む、運指を工夫して書き込む、試行錯誤を繰り返して頭と指に覚え込ます、難しいところもとりあえず形にする・・・その苦労の末に(もちろん楽しみだが)通して弾けるようになる。

ところがこれがマズい。上手く弾けないところがあっても、続いて好きなフレーズにうつる。快感に酔いしれながら弾き続ける。終わりまでいく・・・気持ちいい、けど上手くいかないところはそのまま変わっていない。でも通しているから弾けてるような錯覚に陥る。

地味で辛いが、弱点を繰り返し繰り返し練習する。指の置き方、肘の出し方、体の傾け具合、呼吸など駆使して弾ける配置を探しだす。安定して再現できるように繰り返す。それが大事。

(ギタ弾こ会in浜田の帰り。大田・五十猛の海岸は太陽の妖気を吸収する雲のようであった。わたしの演奏は残念(/。\)
夕焼けに月と星あり笑顔あり [2021年09月10日(Fri)]

fumihouse-2021-09-10T15_41_37-1-thumbnail2.jpgきのうの夕焼け。宵の明星は西の空30°、煌々と輝く。三日月は仕立て針のように鋭く、金星と並び立つ。空気が澄んでいるからだろうか、太陽光の当たらない月の暗い部分も色づいている。棚引く雲が効いている。得も言われぬ朱に染まる空の前面に、雲は彩飾した屏風のように色を添える。

近所の人に出会った。
「金星と月、見事ですね」
「そうね、私が作ったもんじゃないけどね」
と見事に切り返された。大笑いして家路を急ぐ。

宍道湖の夕日は格別にきれいだった模様。日没後に千変万化する夕空も、さぞかし見ごたえのあるものであったろう。

(昨夕の夕焼けに、この病葉(わくらば)も染まったはずだ)
変わりゆくコロナ時代を駆け抜けて [2021年09月09日(Thu)]

fumihouse-2021-09-09T18_34_52-1-thumbnail2.jpg制約だらけの生活は当分続く。昨年書いたのは、西暦2020年をA.D.元年と名付け、2019年をB.C.1年とするということ。A.D.は西暦ではなく、新コロナ後、すなわちafter disease(病患のあと)。B.C.はキリスト誕生前ではなく、新コロナ前、すなわちbefore Coronaであると。

新コロナという病原が引き起こした疾患が世界を震撼させて早くも一年半。新たな変異でワクチン接種が進んでも集団免疫ができたとはなかなか言えない。日常が戻るには当分時間がかかる。日常というのは、ワクチンを打って、マスクを着けて、人との密な距離を避けて、という日常になるのだろうか。

葬儀の仕方、会食の持ち方、飲み会のあり方、リモートワークや会議、出張・・・それらが2年前と同じ状態に帰るとは思えない。働き方改革、ウェブ化の大波も相まって、きっと世界は異なるものになる。

新しい生活様式(新しい日常とも言うが、近ごろ聞かない)が定着し、それに慣れたら、そのまま昔には戻らない。コロナ以前とコロナ以後、まさに世界が転換し、コロナ時代は到来した。

(ニラの花も新しいコロナ時代を粛々と受け入れるに違いない)
ギター弾きセロの音色を目指しつつ [2021年09月08日(Wed)]

fumihouse-2021-09-08T18_12_08-1-thumbnail2.jpg低音弦はチェロのように響かせる・・・ギタリストが目指すところであるが、そもそも楽器が違う。ギターは撥弦楽器で、チェロは擦弦であって音の出し方からして違う。それでも良い楽器、良い弾き手はサウンドホールから甘くて伸びのある芯の強い音を出す。

チェロを「セロ」と言ったら、違和感があって良い音などしないように思ってしまうのだが、昔はそう表現したのだから仕方がない。『セロひきのゴーシュ』(宮沢賢治作)はチェリストである。

リズムが悪く、音が合わず、演奏に感情がこもらない。金星音楽団の公演は近いにもかかわらず、第六交響曲は仕上がらない。指揮者には叱られてばかりだ。そのゴーシュが成長していく。演奏技術はもちろんのこと、人間的にも慈しみの心をもった青年として向上する姿が描かれる。

ゴーシュは悔しかった。
≪粗末な箱みたいなセロをかかえて壁の方へ向いて口をまげてぼろぼろ泪をこぼしましたが、気をとり直してじぶんだけたったひとりいまやったところをはじめからしずかにもいちど弾きはじめました。≫

帰宅しても必死だったゴーシュ。不思議なことにカッコウやタヌキ、ネズミなどと夜中に交流するうちに、演奏上の弱点を知らぬ間に克服していく。何よりも自分の演奏が動物たちを癒していることに気がつく。最後に大観衆を前にして喝采を浴びることとなった。

合理的な練習を根気強く続けて、情景や人を思い浮かべながら本気になって弾く。すると、聞く人に音楽が届く。そして、本気になって聴いてくれる。そんな音楽を奏でたい。
守られてベルトは襷の命綱 [2021年09月07日(Tue)]

fumihouse-2021-09-07T21_59_36-1-thumbnail2.jpg数十メートル先まで運転する時はシートベルトをしない。するとどうだ。守られていない感が強い。右肩から胸、腰にかけて緩やかに絞めてくるあの感じがなくてフリーである。ハンドルを握っているから安定感はあるが、事故で急な加速度がつけば、吹き跳んでしまうもの。付け始めた頃はキツくて不快だったが、今となっては安心のもと。シートベルトとエアバッグで守ろう。何よりも安全運転で!

(葛の花は甘い香りを漂わす。繁茂して途からはみ出して邪魔ものではあるが)
入りたや新風呂間近に秋の夜 [2021年09月06日(Mon)]

fumihouse-2021-09-06T19_45_49-1-thumbnail2.jpg我が家では今日から風呂の工事が始まった。築20年、もう20年か、まだ20年か。経年劣化もそれなりにあっても大きな支障はなかったが、バスユニットの出始めの頃の製品であり、床が滑りやすい。母が転んでシャワーのハンドル部を壊したことをきっかけに(幸い怪我はない)、風呂ごと換えることにした。

工事は4、5日かかる。その間、湯の川温泉に行く。近くに温泉があって幸せである。行き帰りの時間や出かける手間もあって面倒ではあるが、しばらくの我慢である。遅くとも土曜日には新しいバスライフ(大袈裟か?)が始まる。楽しみだ。

(ランタナの花もまた日々楽しんでいるか)
二度とない一日過ぎて感謝なり [2021年09月05日(Sun)]

fumihouse-2021-09-05T20_29_09-1-thumbnail2.jpg疲れた一日、喜び勇んだ一日、平々凡々な一日、急転直下の一日、悩み多き一日、思いがけない出会いがあった一日、思索にふける一日、ギター三昧の一日、行楽に動いた一日、不安にさいなまれた一日、PCR検査を受けたのち安堵した一日、首相退陣に賛否あった一日、歩き回った一日、判で押したような一日、、、。

いろんな一日がある。変化のないことを嘆くこともあれば、反対に平凡こそありがたいと感謝できることもある。文豪のヘミングウェイの言葉。

  毎日が新しい日なんだ

そう、今日わたしは新しい一日を生きた。未経験の一日だった。そしてもう戻ってはこない一日である。明日も新しい一日を過ごす。新鮮味のある良い一日を過ごせますように。

(パラリンピックの閉会式で、長い長い、儀式とエンターテイメントをテレビで見ながら)
悔いなきか決めるは君の姿のみ [2021年09月04日(Sat)]

fumihouse-2021-09-04T22_24_48-1-thumbnail2.jpgある方の逝去の報に接し思ったことがある。悔いなき人生を生きようと言うが、どだい無理、あり得ない。わたしが死んだとしよう(いずれ必ず死ぬが)。ああすればよかった、そうしなければよかったのに、もっとやっておけばよかった、、、。後悔だらけである。あれもしたい、これもまだやってない、、、。心残りは数多い。

それでも数多くの人間関係をとり結びながら、日々を邁進するしかない。悠然と進むことができない時はあろうとも、亀の歩みでよい。前に進む。

▼言葉には温度がある。自分のことを思っている言葉を聞けば、心は温かくなる。他者を顧みない自己中心的な言葉を聞けば、心は冷たくなる。言葉の温度が言葉の力であり、温度は言葉を発する人の「相手を思う気持ち」の強さで決まる▼(「名字の言」2021年1月7日付け聖教新聞)

前者の温かい言葉や励ましをたくさんいただいた方であった。まだ若いあの方がいなくなってしまうなんて、信じられない。

数時間前にお会いしてきた。長い病床からのやつれはあったが、白い肌は輝いて淡い桃色に染まっている。目は半眼で口はわずかに開いて穏やかな表情であった。病魔との闘争の末に敗れはしたが、穏やかな余生を楽しんでいらっしゃるようにも見える。そりゃ悔いはあるに違いない。でもお疲れさまでした。ありがとうございます。合掌
ありがとうそのままどういたしまして [2021年09月03日(Fri)]

fumihouse-2021-09-03T22_38_44-1-thumbnail2.jpg「ありがとうございました」と感謝されて、「いえいえ」と応えてしまいがちだ。別に間違った使い方ではないのだが、ほんとうは「いいえ、どういたしまして」と返答したい。

「どういたしまして」に「いえいえ」を足すと、腰が低くなる。有り難いと感謝されるほどの大それた行為ではないですよ、と否定を意味する。それが元々ではあるが、否定の意味は弱くなり、柔らかい謙遜表現となった。あるいは「どういたしまして」だと自信満々と解釈されるのもイヤだ。だから控えめに遠慮した、という意味でもあるだろう。

なぜ「いえいえ」と応えてしまいがちなのかと言えば、堂々と「どういたしまして」を加えられないのだ。感謝に応えて自然に謙遜の意を込めて「いいえ、どういたしまして」、あるいは「いえいえ、恐縮です」と大人らしく返答したいと思っている。
さてさて夜も更けまして [2021年09月02日(Thu)]

fumihouse-2021-09-02T23_26_13-1-thumbnail2.jpg世の中いろいろあるもんだ
世の常いろいろこんなもの
それでも元気でありがたし
満員の歓呼に応え記録増し [2021年09月01日(Wed)]

fumihouse-2021-09-01T19_15_38-1-thumbnail2.jpgオリンピックスタジアムでは満員の観客が歓呼してパラリンピアンを励まし称える。新記録の樹立に場内がドッと沸きスタンディング・オベーション。諦めずにトラックを走り抜く姿に感動のため息が漏れる・・・てなことはない。無観客で行われる競技は寂しい。競技関係者が声援を送っても声量はわずかだ。

しかし、競技場をよく見ていただきたい。オレンジ、臙脂、茶、白、緑、黄緑、グレーといった客席が無作為に並び、まるで色とりどりの服装の観客がいるように見える。もし、客席がベージュ色のモノカラーで染められていたらどうだろう。ブロックごとに異なる色が配置させて荒いモザイク模様となっていたらどんなだろうか。無人の環境に置かれて侘しさを感じながらの競技だったかもしれない。

トラックもフィールドも確かに静かではある。しかし競技者は応援してくれた人の声を感じ、全世界の理解者が発するメッセージを五感に感じとっている。そして大熱情をもって最大限のパフォーマンスを繰り広げている。寂しくはないさ、きっと。