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園を去り春の日差しに武者震い [2021年03月31日(Wed)]

fumihouse-2021-03-31T16_43_04-1-thumbnail2.jpg退職の辞令交付式で、島根・丸山知事の言葉が心に残った。

 多くは昭和、平成、令和を経て、社会環境が大きく変わるなかで仕事に励み、多くの場面を経験された。
 県民のライフステージや状況に応じて、業務に全力で取り組まれたことに感謝。
 前例なき事態にも、的確に迅速に対処されたことに最大の敬意を表す。
 皆さんを支えられた家族や周囲の方々にも感謝申し上げたい、云々。

知事は百人を超える退職者に一人ずつ丁寧に感謝状を渡された。その挙措がいい。名前は司会が読み上げるのだが、必ず視線を名前に置いてから、こちらの目を見て「ありがとうございました」と述べられた。一礼に対し知事は深く礼で応答された。直接仕える経験がなかったのは残念だった。

後刻、いただいた花束と有志からの記念品を持って、児童自立支援施設・わかたけ学園の門を出た。わずか一年だったが、歩き回った園舎や本館が見えた。それなりに苦闘した一年。子どもたちとも思い出を刻んだ。グッとくる。あれよという間に過ぎた春夏秋冬を思う。

きのう後任者に引き継ぎを終えた。完璧ではないにしても、あとは任せた。十分整理できなくて残念ではあるが、もがいても仕方ない。残りは託して去ろう。感じ入る一日が終わり、わたしの県職員生活が終了した。

明日からわたしは社会福祉法人の門をくぐって、新しい環境に飛び出す。いまは武者震いしている。

(式典会場の島根県民会館からわかたけ学園に行く途中に咲いていたモクレン。気分が高揚する)
一ねんせい何時になっても一年生 [2021年03月30日(Tue)]

fumihouse-2021-03-30T20_57_33-1-thumbnail2.jpgだれもが知っている『一ねんせいになったら』(まどみちお作詞)は初々しい。友だち百人で富士の上でおにぎりを食べたい、日本中を駆けて一回りしたい、世界中をふるわせて笑いたい、とスケールがでかい。だが、その想いの陰で歌の主には不安がある。

≪一ねんせいに なったら/一ねんせいに なったら/ともだち ひゃくにん できるかな≫

「一ねんせいになったら」を二回も繰り返す。一年生だよねえ、隣に誰がすわる? 仲良くできる? 給食は食べられるかな? 勉強はわかるかなあ・・・期待に胸ふくらむ一方で不安が渦巻く。心細いことだろう。100人で打ち消そうと気張っている。大言壮語の一方で一年生は大変なのだ。

気候が不安定で心身も不調となりやすい春。この時季に新年度を迎えるのには、功罪両面がある。百花繚乱のなか新生活を始めるウキウキ気分。反面慣れぬ生活に心沈む。アレルギー症状がひどくなるのもこの季節。春のうららかさに危うさが隠されている。

ひとは誰でも一年生。新しい環境に入る機会は多い。毎日が同じ繰り返しのようでも状況は移り変わり、新たな局面が生じる。人と出会い、知らないことを学べると面白がれるひと、いつも「一年生」になって頑張れるひとは強い。

(ペチコート水仙も春を面白がっている)
先駆けて模様替えなりNHK [2021年03月29日(Mon)]

fumihouse-2021-03-29T18_46_59-1-thumbnail2.jpg3月29日月曜日。新年度が始まった。うんっ? と思うかもしれないが、新年度の模様替えなのだ。NHKのニュースが変わった。サウンド・ロゴが変わり、お天気キャスターが交代し、天気予報の細かなデザインが変わっている。小さな変化であるが、4月1日の新年度の前触れとして、3月最終月曜日のNHKの改編は楽しみのひとつである。

春は出会う季節。人と出会う、組織と出会う、あれこれと新しい環境に出会う季節。ことしは何に出会うのか楽しみだ。松江や出雲の桜も満開となった。春は嬉しい。

(アーモンドの花。薔薇の仲間、もちろん桜の仲間。ソメイヨシノに先駆けて咲く)
めくるめく景色は代わる桜咲く [2021年03月28日(Sun)]

fumihouse-2021-03-28T11_02_28-1-thumbnail2.jpg【めくるめく】
この言葉を「めくる・めく」と区切って読んでいた。ページをめくるようにして、めくってもめくっても楽しみが尽きない印象からだ。恋人同士が水入らずで過ごす楽しい時間、終わってほしくないこの瞬間を表現するのにもぴったりである。

ところが、「め・くるめく」なのだそうだ。とんと知らなかった。目が眩く(くるめく)。眩くとは、目がくらむこと、めまいがすること。目眩く心地がするとは、目の前の現実が自分にとって信じられないほど、溺れてしまいそうなほど、快楽である状態を意味するわけだ。

何かの展開が刻々と動き、極めてせわしい状態も眩めくというが、目が回るほどの忙しさであっても一時のこと。じっと耐えて落ち着くのを待とう。さすれば、めくるめく至福を噛みしめるときも来るというものさ。

(2日ほどめくるめく日差しが暖かい日が続き、桜は喜んでいる。人に観てもらう快楽に身を委ねる)
満開へ桃色小山が異質なり [2021年03月27日(Sat)]

fumihouse-2021-03-27T22_54_58-1-thumbnail2.jpg松江気象台がソメイヨシノの開花宣言をしたのが、3月14日。明日で二週間たつが、満開に至っていない。開花以降寒い日が続いたこともあるが、わたしの印象として、ことしの桜は華やかさに欠ける。

普段なら(変動の激しい昨今の気象にあっては“普段”という表現に重みはないが)、宣言があるや否やぐんぐん花開き、数日で見頃を迎える。一週間経つか経たないかのうちにハラハラと散り始め、満開となる。桜木は淡い淡いピンクの小山となる。林立する桜の景色は、この世のものとは思えない桃源郷(桜だけど)である。

ことしは華やかさに欠けるというのは、花が開ききる前に、萼(がく)の濃いピンクが目立ってしまっている。しかも葉まで出る木が散見されて薄緑色が混じる。つまり淡いピンクの小山に異質な色が入ってしまっている。桃源郷の夢から覚めてしまいそうなのだ。

ともあれ、この数日暖かさが続き、出雲地方でも8分咲きになった。明日あたりは満開になるのだろう。天気が崩れてしまうのが残念だ。
腹一杯湯の町桜に染まりゆく [2021年03月26日(Fri)]

fumihouse-2021-03-26T23_34_36-1-thumbnail2.jpg週末のミニ家族旅行を楽しんでいる。週末だけでなく、年度末の慰労、夫婦で近い誕生日祝いも兼ねての一泊である。

温泉は気持ちがいい。美味しい料理に舌鼓をうち、久方ぶりの酒に酔い(近頃ノンアルコールビールばかりだった)、退職祝いのケーキを平らげ、昼の桜に加えてライトアップされた夜桜まで楽しんで、うたた寝で爆睡した。次は、本格的に二度目の眠りを楽しむこととする。

(玉造温泉でソメイヨシノは6分咲き。これは違う品種だが、縁を彩る淡いピンクが頬を染めた少女のようだ)
いい感じ爽やかなりし好漢よ [2021年03月25日(Thu)]

fumihouse-2021-03-25T22_03_34-1-thumbnail2.jpg【いい感じ】の人がいる。一方で目を背けて一時でも離れたいと思ってしまう人もいる。イヤなタイプは置いておく。感じがよい人とは、どんなふうに好ましく思うのだろうか。

先日も書いたが、たたずまいがいい。良い印象は、立ち姿に表れ、えもいわれぬ雰囲気がある。話しても、黙っていても、議論をしても、諭しても、演説しても好感が持てる。落ち着いた感じが周囲を穏やかにし、空気を爽やかにする。

アツアツのカップルのことも、いい感じと表現するが、人前ではベタベタせずにムードあふれる落ち着いた雰囲気を醸し出す。二人は釣り合って、お似合いのカップルとなる。実に感じがいい。

いい感じの人は理性を保つ。服でも趣味でも仕事のやり方でも、自分に適したバランスの良い手法で、少しずつ進む。焦らないその感じが、実にいい感じ。

(感じのいい椿である。周囲に白色の斑入りがあり、爽やかに咲いている)
和を以てハンコとなして日本の春 [2021年03月24日(Wed)]

fumihouse-2021-03-24T23_15_57-1-thumbnail2.jpg和を以て貴しとなす、聖徳太子の教え。教えというか、太子が話し合い至上主義という社会原理を見つけて表現したのかもしれない。話し合って決めれば上手くいく、責任を平等に誰も傷つかないという日本の原理である。稟議書にたくさん朱肉の丸が並ぶハンコ至上主義にも行きつく。

ハンコを無くしていく流れもできてはいるし、電子決裁も増えてきたとはいえ、会議で決まった内容を稟議書にして決裁を上役まで上げる。そんな手間をかけてまで、みんなで決めたことをパフォーマンス化するのが日本だ。時間がかかってしょうがない。

専制的なリーダーがかって気まま、唯我独尊でやるのも辛いけれど、これは速い。一番上手くいくのは超のつく有能なリーダーがテキパキと差配していくことだが、そのひとが消えた瞬間に暗黒の世界はやってくる。これも辛い。まだ話し合い至上主義のほうがましかもしれない。

(ユキヤナギに朱肉をつけたら、どんなフロッタージュが出来ることやら)
立ったなら自然に醸すはたたずまい [2021年03月23日(Tue)]

fumihouse-2021-03-23T22_26_22-1-thumbnail2.jpg【佇】の字が気になった。漢字で書くことはあまりないし、一瞬読み方に不安があるが、たたずまい。人(物もあるかな)が立っている様子やら、存在としてのありさま、醸し出す雰囲気みたいなもの。人間に特化すれば、気分としての身の置きどころや生計の立て方も意味する。

貯金の「貯」のつくりは、物をたくわえるための器具の象形である。人偏にこれを加えると、どんな意味になるのだろう。佇まいは悪い意味にはふつう使わない。

人がたくわえるとすれば、いい雰囲気、立派な大人がいい雰囲気を身にまとっている感じだ。作為的ではなく、自然に醸し出すいい感じを周りに伝えていく。あんなふうになりたいな、と周囲は羨ましいと思う。

佇まいがいい人は立ち姿に品があり、静かな中にも強さを感じる。常に余裕綽々というわけにはいかないだろう。しかし必死で平静さを保ちながらも、打開策を考え抜いていく。そこにいい感じが生まれ、雰囲気が良くなっていく。そんな大人になりたいものだ。

(ムスカリを上から撮ると宇宙人の傘。紫のコーティングで水を跳ね返す)
結果出す努力と真面目で勝負なり [2021年03月22日(Mon)]

fumihouse-2021-03-22T07_06_15-1-thumbnail2.jpg林修氏はこう述べる。

≪(仕事の)"厳しさ"とは、結果を出すということです。結果が出なければ「私は努力した」なんて言えません。(中略)それには、努力を主観的に測るのをやめることが重要です。そうではなく、その努力からどういった結果が出たか(中略)そんな厳しい生き方がいつの時代にも増して必要な世の中に、我々は生まれてしまったようなのです≫(林修著『林修の仕事原論』2014年,青春出版社)

毎日が「勝負」だと、私自身よく言っておきながら、甘い感傷にひたって、まっいいかと逃げていることがあります。それは、頑張ったからいいさ、と妥協することであり、誠実さが欠けている姿勢だと反省します。

さあ、きょうも出発です。目標を決める→達成目標と実行目標を明快に分ける→踏ん張って実行する→途中経過を評価する→1日を振り返って勝負を判断する→三日坊主にならずに続ける。さあ奮闘開始です。今の瞬間から開始です。

(時折水仙の花でも眺めて心を静めつつ、顔晴る(^-^)v)
規則的チックタックと枕元 [2021年03月21日(Sun)]

fumihouse-2021-03-21T14_58_00-1-thumbnail2.jpg目覚まし時計のチックチックという音に気づく。眠る前には気がつきもしない。覚醒した途端に、耳元で音がしていることに気づく。不規則な音は入眠を妨害するが、規則的な音は眠りの助けとなる。大きすぎるのはかえって妨げだが、小さな音は邪魔にならない。

羊が一匹 羊が二匹・・・と数えると不眠に効くというのもそのひとつかもしれない。やったことはないが、これは効果がないような気がする。なぜなら、一、二、三、四・・と進むうちに、百、百一、百二・・となり、指折り数える以上の数を頭に浮かべると無意識ではいられない。規則的ではあっても考えながら数えるなんて、とても眠るどころではなくなってしまいそうだ。1573、1574、1575、1576・・となったときには、目は爛爛と冴えて眠れなくなること必定だ。

(ソメイヨシノが一輪。やがて無限に思える万朶の花が枝をしならせて咲く。桜木が春を競う)
名人が太古の昔いまここに [2021年03月20日(Sat)]

fumihouse-2021-03-20T20_12_58-1-thumbnail2.jpgどこの世界にも名人がいる。技能者、アスリート・・・。技や芸に優れた名手。名人芸の前では、誰もがたちどころに色を失う。達人の域に達すればこんなにも凄いのかと。もちろん生まれついての名人などいない。まれに天才はいるが、天賦の才を開花させるために修練が欠かせない。努力の天才であることも多い。

島根県立古代出雲歴史博物館へ行った。特別展『奈良大発掘スペシャル』が始まったばかりだ。奈良へお越しくださいというキャンペーンでもある。マスコット「せんとくん」のシールやバッジをもらった。

金属器がない石器時代に石の斧や鏃(やじり)を作るために砥石があったのだという。確かに石と石を叩き合わすだけでは、鋭利な切断面を作るのは難しい。砥石で形を整える。初めて知ったことだ。

刃物、埴輪、土偶、装飾金具、三角縁神獣鏡などどれをとっても匠の技がある。土に埋もれて数千年。昔日の面影を残したまま発掘された。

作り手が多くいるなかでも際立って上手に速く作る匠は尊ばれたことであろう。人間国宝という制度はなかったにしろ、上手さを羨ましがられ、鼻が高かったのみならず、数千年の時を経て私たちに技を伝える。きっと誇り高く思っている。

(奈良のマスコット「せんとくん」。聖徳太子小児像に似ている。モデルだったのかも)
出会いとは不思議なものよまたあした [2021年03月19日(Fri)]

fumihouse-2021-03-19T23_05_08-1-thumbnail2.jpg出会いとは不思議なもの。誰かにばったり出会い、ひとしきりしゃべって、「じゃあ、また」と別れる。またっていつだ? 気軽に言うが、仕事や趣味の会、コミュニティの会が同じでもない限り、次に会うかどうかもわからない。一生会わないかもしれない。

職場にしても同じこと。異動してしまうと、二度と一緒に仕事をしないばかりか、会ったこともない人は多い。記憶の底に沈んでしまう。転職すればなおさらだ。今月をもって転職する私にとって、今の職場のうち9割以上の人とはもう出会うことはないだろう。そうするうちに、その人も私も鬼籍に入る。宇宙に溶け込んで、千万の風になって吹きわたる。

まさに一期一会。きょうの出会いを大切にしよう。そして、会わないかもしれないが、「じゃあ、また」と爽やかに別れようではないか。

私のブログだってFacebookだって、いつまで続くかわからないが、じゃあ、また明日。

(クロッカスの季節は終わった。じゃあ、また来年)
W,K..T,K,K,G泣かせます [2021年03月18日(Thu)]

fumihouse-2021-03-18T21_39_06-1-thumbnail2.jpg大相撲西前頭2枚目の若隆景(わかたかかげ)。なんと難しい言い回し。アナウンサー泣かせの発音だ。

なぜアナウンサー泣かせか。「わかたかかげ」、母音がほとんどAなのだ。Wは半母音。K、T、K、Kと無声破裂音が続き、最後のGだけは有声破裂音でEと合わさって「げ」。収まりが良くない。早口言葉みたいだ。

[若]の漢字は、髪をふりだし我を忘れて神意を聞き取る巫女の象形から神意に従うことを意味する。[降]の字は、土山に生えた草木が豊かに大きくなる意味がある。そして[景]の字は、太陽の象形と高い丘にある建物の象形から光を表すという。いい四股名をもらってはいるが、言いにくいというのは難点だ。

当の若隆景は平幕の小兵。とはいえ身長は182cmもある。体重が125kgで軽いだけなのだ。26歳、爽やかな紅顔の若武者である。福島市出身。初場所は新型コロナウイルスに感染して休場した。心機一転、起死回生で春場所に賭けていることと思う。3日目に大関貴景勝を破ったものの、5日目を終わって2勝3敗と苦しい展開だ。頑張ってほしい。

(菜の花の春。大相撲の春。そしてソメイヨシノが咲いて春は本番)
出港しテープの龍がなびくとき [2021年03月17日(Wed)]

fumihouse-2021-03-17T20_39_37-1-thumbnail2.jpgフェリーが出港する。紙テープが岸壁と船を結んで、色とりどりにひるがえる。風に吹かれて音を立てて激しく動く。別れの季節。紙テープに送られて、島を去る人も多いだろう。わたしも隠岐の島を去る十数年前に体験した。

船が小さかった頃は、送る側がテープを投げ入れて送られる者が端を持つ。テープを投げると危険だし、船が大型化するとデッキと埠頭は遠いので、あらかじめ船側にまとめて結びつけたテープの端を置き、埠頭側は心棒に通してテープが回るようにしつらえておく。

離れて回りきったテープは切れる。切れはしても両者の絆は切れない・・・。テープは風に揺られて龍が空を舞うように(見たことはないが)なびいてうねる。情緒ある光景だと思う。

これは日本独自の風習だそうだ。1世紀前、サンフランシスコ万博に出展した商売人がラッピング用として紙テープを出品したのだが、全く売れず大量の在庫を抱えてしまった。

同胞のことを思った現地の商売人がアイデアを出した。世界各地へ出港する客船には見送りの人がたくさん集まる。テープを風になびかせて見せて、「テープで別れの握手をしよう」と宣伝したのだそうだ。今でもその習慣が日本では残っているとのこと。

友人が北海道の礼文島を離れる。教師として多くの生徒に慕われ、親からも信頼されていたであろう。きっと盛大なるテープの龍が彼と家族を取り囲んで別れを惜しむ。幸あれ、友よ。

(春が別れの握手をするのは、まだ先のこと。まずはレンギョウの花と握手をしよう)
異状ありれともなしか分からぬよ [2021年03月16日(Tue)]

fumihouse-2021-03-16T18_30_34-1-thumbnail2.jpg今朝地震があった。茨城県で最大震度4を観測したという。報道はマグニチュード4.8、震源の深さは50kmで、津波の心配はないと知らせる。

併せて東海村の原子力関連施設では、「異状があったとの報告はない」と伝える。この表現は論理的に考えると、次の可能性がある。

●異状がなかったので報告がない
●異状があったが軽微と判断して報告しなかった
●大変事が起こったため報告態勢がとれないでいる

「異状はなかったと報告があった」と明快に言い切ってくれないと、不安になる人もいるだろうよ。

(明快なる青空のもと咲き始めたコブシ。淡いピンクを添えて異状なく、美しい)
ありがとう貴方と私しあわせに [2021年03月15日(Mon)]

fumihouse-2021-03-15T10_15_08-1-thumbnail2.jpg≪『ありがとう』の一言が幸せにするのは2人です。言われた人と言った人≫

かつてこんな広告があった。そのとおりだと思う。感謝されると気持ちがいい。満面の笑みでそう言われるともっと嬉しい。もっと何かしてあげたくもなる。おためごかしでなく、心から礼を言われるとそんな効果がある。費用対効果とかの問題ではなく、自然にそう思える。

あるときは厚意に甘えて恩に着て、少しだけ恐縮する。機会があったら何かのおすそ分けをして感謝の一分をお返しする。あるときは感謝を捧げたてまつられる。それこそ恐縮する。いやいやそんなに頭を下げなくっていいから、気軽な気持ちでやったんだから、あんまり恩に着ないでよ。

反対に感謝されると思いきや、うんともすんとも反応がないとカチンとくる。そんなうちはまだ気持ちが足らぬのだ。修養しなきゃいけないよ。

(ご愛顧に応えて咲きました、と白木蓮。感謝満面の白い焔、楽しませてくれてありがとう)
大丈夫無茶苦茶結構使います [2021年03月14日(Sun)]

fumihouse-2021-03-14T09_13_08-1-thumbnail2.jpg【無茶苦茶】
リズミカルで心地よい言葉である。韻を踏んでいる。筋道が立っておらず、常識から外れて程度が甚だしいさまを言う。漢字は当て字だそうだが、仏教用語の無作(むさ/手が加わらないありのまままの姿)から来ているとも。無作を語源とする言葉には、「むしゃくしゃ」「むさ苦しい」があるそうだ。

さて、無茶苦茶の使い方が変わってきたと思う。「むちゃくちゃ美味しい」「むっちゃ凄い」と肯定的に、むしろ最大級の賛辞をこめて使うケースが増えているのがテレビを見ているとわかる。

むろん日本語には、前後の脈絡によってはイエスともノーとも変化する言葉は多い。「結構」とか「大丈夫」が典型であろう。日本語は続々と変化していく。

(むちゃくちゃ元気印のサイネリア)
木瓜咲いて冬から春へ移り行く [2021年03月13日(Sat)]

fumihouse-2021-03-13T11_28_36-1-thumbnail2.jpg目が覚めた。寝過ごしたかと思って時計に向かって首と体を伸ばす。柱に頭をぶつけた(何時間か経つとコブができた)。まだ、3時だった。夜明け前どころか、夜更けに近い。

興奮状態である。業務引き継ぎのための書類づくりやまとめの作業で連日奮闘中。この期に及んであれやこれやと懸案事項も出てくる。引継書づくりだけにかかずらってはいられない。さっきまで仕事の夢をみていたようだ(憶えてないけれど)。

転出するまで、あと半月。3月31日が公務員生活の終わりの日でもある。感慨にふけっている余裕などないが、刻々と過ぎる時間のなかで後任者に適切な事務引き継ぎをすることが、わたしの使命である。

児童自立支援施設わかたけ学園から巣立つ子どもたちもいる、残る子もいる。諸君の前途を自ら切り開く人生であってくれたまえ。人を助け人に助けられ、適切に温かくふれ合うことのできる日々であってくれたまえ。わたしも同じように巣立っていくことにするよ。

(わかたけ学園の男子寮に咲く木瓜(ボケ)の花。入所児童の世話のためここに泊まることは、もうない。寂しい気分だ)
開花まで600度なりヨシノかな [2021年03月12日(Fri)]

fumihouse-2021-03-12T22_47_02-1-thumbnail2.jpg気象予報士が使っているという「桜の開花600度の法則」から、松江におけるソメイヨシノの開花日を予想してみよう。2月1日から松江の最高気温を順に足して、累積で600℃を超える日を算定する。

昨日3月11日までの合計が497.4℃。今日以降の予想最高気温を気象庁のホームページで拾って足してみる。3月19日が累積で600℃を超えて、その時になる。えっ?ほんとか? 今週金曜日に松江でも桜が咲くというのか。少し信じられない気もするが、どうだろう。

2月の後半にも寒さがぶり返して雪が積もった。桜の木は寒さに十分当てられて休眠打破している。覚醒した木々は花を咲かせる準備を整えている。咲けよ、咲け咲け、咲くんだよ。ついでに酒があったら最高だが、今年は期待できないな。

ともあれ、4月にならないうちからソメイヨシノが万朶と咲き上がるとは、これ如何に。変な気候になったものだ。まっそれでも、弾む繁忙の季節がやってきたのだ。

(桃も咲いている。梅はピークを越えた。次は桜の番だ)
決意あり祈りをこめて311 [2021年03月11日(Thu)]

fumihouse-2021-03-11T07_19_03-1-thumbnail2.jpg3・11だから書かなくては、というわけではない。だが書かずにはいられない。大震災、大津波、原発災害から10年。

震災関連死を含めて亡くなられた方が2万2千人、福島を中心に避難生活を続ける方が4万1千人。復興の建設事業は進んでも、心の傷は癒えない多くの人びと。今もなお苦しむ方々への祈りと行動の具体化が、わたしも含めて誰にも必要なのだ。

今日は鎮魂の一日であると同時に、復活へ向かう再出発を期する一日でありたい。

(雨に濡れてパンジー。黄が観る人を元気印に染めていく)
妥協してみんな仲良く泣かぬ世に [2021年03月10日(Wed)]

fumihouse-2021-03-10T22_02_33-1-thumbnail2.jpg「みんな なかよく」と揮毫した額がある。嘘っぱちである。そんなことあり得ない。そうあってほしいという願望ならまだしも、なかよくせよ!と言われても困ってしまう。できるわけがない。

誰でも一番大切なのは、我が身である。自分のことはさておき○○さんのことを一番大切だと言う人は偽善者だ。自分が一番大事だと皆が思っているということであれば、そう思う他人のことを想像してみよう。

それぞれ自分が大事、を最優先すれば争いが起こる。利害が相反して対立する。相手から欠点を指摘されたら穏やかではいられない。わかっちゃいるけど、おまえに言われたくないんだよ!とケンカ。口喧嘩で収まらず手が出る。暴力がエスカレートして殺しあう。究極の暴力が殺戮であり、戦争だ。

戦争状態にならないように、妥協して決定的な対立とせず収束させる。皆が全員肩を叩きあって喜んだり、おしゃべりに興じるとまではいかなくても、馬の合わない人とも険悪にならず、折り合いをつけていく。それが暴力や戦争を避けるための最良の手だ。つまりそれを「みんな なかよく」と言うのかもしれない。

となると、この言葉は嘘っぱちでも何でもない。人類の夢なのかもしれない。人類が生き延びるためには不可欠の行動なのだ。

(みんなでなかよく、サイネリアの花を愛でて気持ち穏やかになろう)
マンダラを広げて愚直な道一筋 [2021年03月09日(Tue)]

fumihouse-2021-03-09T19_43_54-1-thumbnail2.jpg大谷翔平は高校時代に監督の薦めでマンダラチャートを作り始めたという。別名、マンダラート。3×3の升目の真ん中にテーマを書き、周囲八つの升に連想される項目をつなげる。その3×3升目の外には、同じ3×3が八つあって、次々と連想を広げて升目を埋めていく。全部で81もの項目が入れ子状になっており、本来アイデアを強制的にでも湧かそうとする発想法である。ひたすら升目を埋めて、頭を絞り出して単語をひねり出す。わたしも一度やったことがあるが、なかなか大変だ(以降やったことがない)。

大谷は偉大な野球選手になるための目標達成シートとしたから、大谷は二刀流で成功をおさめた。大谷のマンダラチャートは、3×3のマトリックスの中心に【ドラ1 8球団】、つまりドラフト1位を8球団から指名を受けるという意味だろう。周囲に配置された項目は次のとおり。

■コントロール■体づくり■メンタル■人間性■運■変化球■スピード160キロ/h■キレ

丹念に考えをまとめて、実直に練習を継続して、力を倍増していく。大谷に超弩級の才能があることは言うまでもないが、愚直な繰り返しなしに成功は望めない。これは野球に限らない。

(カワツザクラが咲いている。あと10日もすればソメイヨシノが咲いて主役の座を譲る)
大繁と草原いかに変換す [2021年03月08日(Mon)]

fumihouse-2021-03-08T07_17_15-1-thumbnail2.jpg子供のころ買い物をした店。入口の土間に商業スペースがあって、雑貨や駄菓子を売っていた。意地の悪いおばさんが店をやっていた。もう閉店して長いこと経つが、このたび建物の取り壊しが始まった。

その店は「ダイハンド」といった。大人になって「大繁堂」と漢字で書かれているのを見て、大きな違和感があった。子供のわたしにとっては、耳に聞こえる「ダイハンド」でしかなく、そこに漢字を当てるという発想がなかったのだと思う。

子供のころ、近所にある寺を「草原寺」だとばっかり思っていた。今でも口に出す時には、「宗玄寺」と漢字変換してやらないと、草原寺がよみがえる。

原始日本語には文字はなかった。大陸から漢字を取り入れて日本語が転換した。話し言葉に文字をふっていった。やがて音を表す仮名が生まれ、平仮名とカタカナに進化し、カナと漢字の分かち書きが始まった。ものを漢字化する時に、どの字を当てるのか。万葉の昔から人を惑わせ、いくつかの取捨選択により字が確定されていく。

今でも使う字が定まらないものはたくさんある。子供のわたしが漢字変換させた時に違和感があったのも、どこか似た漢字がする(いや、感じ)。

(チンチョウゲ? それともジンチョウゲ? いつもわたしは迷うのだ)
お疲れに負けずがんばる人間よ [2021年03月07日(Sun)]

fumihouse-2021-03-07T11_45_10-1-thumbnail2.jpgきのうもきょうもあれこれ大変、毎日がお疲れさま状態ではないですか? 仕事に家庭に地域活動に、息つく暇がなさそうですね。言葉を代えれば縦横無尽の活躍。すごいことです。でも、お疲れさま!

しっかり眠って気分転換もして、どうか疲れを癒してくださいね。特に年度末は業務があちこちから跳んできて、疲れも溜まりがちです。ピークに達すると言ってもいいでしょう。疲れが高じて病気になりませんように、事故になりませんように。

幸いに今は、送別会というやつがありません。調子に乗って飲み過ぎて夜更かしが過ぎて、体調を悪化させることはないでしょう。一面の寂しさは感じますが、我慢のしどころですね。

誰しも万全はありません。完璧はなかなか難しいものです。適度なやり方で、なにがしかのリスクを抱えつつも頑張るのが、人間ってやつです。どうぞご自愛くださいね。

(雨に打たれてもがんばるクロッカス。我が家のクロッカス、これが最終ランナー)
カレンダーふと見る2月もう終わり [2021年03月06日(Sat)]

fumihouse-2021-03-06T13_50_56-1-thumbnail2.jpg壁掛けの一年カレンダーを見て、きょうは何日だったかと確かめる。2月に目が行く。おいおい、もう3月6日だぞ。しっかりしてくれや。

春たけなわと思えば、途端に寒さがぶり返す。風が強い。巻いてクルマのドアを押し付ける。なんともいえない天気でモヤモヤしてしまうが、それも繰り返して春は来る。コートを脱いで軽くなりたいけれども、まだな。さて、クルマのタイヤはどうしようかと思案中。

(雨に打たれて我が家の白い沈丁花。2月の末に咲いたから)
さあ君よ最後の約束果たしてよ [2021年03月05日(Fri)]

fumihouse-2021-03-05T17_26_04-1-thumbnail2.jpgふと思った。最後の約束は果たされないのではないかと。なぜなら、交わした約束、例えばいついつ会う約束があったとしよう。最後とは最期、命の終わるとき。誰もが弱って枯れるようにして臨終を迎えるわけではない。突然の事故で命を落とし、災害に巻き込まれて末期に至る場合もある。

元気な時に予定を入れていることは、多いのではなかろうか。また会って一杯やろうねと口約束しているケースがいかに多いか。となると、その約束は未完に終わることになる。

となれば、今のうちに約束はさっさと実行してしまおう。同僚と検討しきれなかった業務の締め詰めをしてしまおう。友人と会って語らう時間を持とう。家族と念願だった土地へ旅行しよう。どうせ最期は果たせないのだから、それまでに一回でも多く豊かな時間を過ごしたい。

今は新コロナで不自由ばかりだ。不便をかこつ毎日。だからこそ、こんな想いが湧いてくる。
天高く赤に化薬星二つ [2021年03月04日(Thu)]

fumihouse-2021-03-04T20_38_00-1-thumbnail2.jpg昨夜は星が瞬いていました。オリオンは西へ傾き、?の反対向きの獅子座も昇ってくる。夜空も春の装いとなっています。

赤い星がなかよく並んでいます。双眼鏡で眺めてみました。プレヤデス星団の近くには赤い火星がいます。倍率7倍の双眼鏡の視界に収まっています。プレヤデスには明るい星が6つ。小さな暗いのも含めて一面に宝石を撒き散らしたように見えるのです。

近くには牡牛座の主星アルデバランがあります。これは赤色巨星ですから、赤い。でも火星の赤とは違います。アルデバランは、プレヤデスと同様、散開星団のヒアデスが散らばっています。アルデバランは宝石のルビーが細かなダイヤモンドに囲まれたかのように見えますね。

色で表現すれば、火星はレッド。アルデバランはスカーレット色ですね。近くのレッドに、遥か遠くのスカーレット。双眼鏡の視野は手ぶれでブルブル動きます。寒いせいもあったかもしれません。

きょうは空気は暖かでした。ですが午後から曇りがちになり、どんよりとしてきました。明日は雨になりそうです。

(スカーレット色の椿くん)
うきうきと春は来たきたここに来た [2021年03月03日(Wed)]

fumihouse-2021-03-03T07_20_33-1-thumbnail2.jpg寒い朝です。ただ、寒さの角が取れて丸くなったような、鋭かった冷気が緩くなってきたような気がしませんか? 予報は例年並みと伝えますが、朝から日が照ると気分が和みます。風は吹いても東からの東風(こち)。春を呼ぶ季節の変わり目です。

朝が明るくなりました。目覚ましタイマーで起きることに苦痛を感じません。夕方も太陽が長々と健在です。日が長くなったもので、嬉しくなります。春、やって来ました。

夜になれば星がまたたくでしょう。オリオン座は早くに西へ傾きますが、ともに西へ行くプレヤデス星団(昴)の近くには赤い火星がいます。今夜は、すぐ近くの牡牛座の主星アルデバランとの赤みの違いに目を凝らしてみたいと思います。

(ウキウキとオヤジ顔のヴィオラ)
強張って意地を張ること忘れたり [2021年03月02日(Tue)]

fumihouse-2021-03-02T12_42_32-1-thumbnail2.jpg【強張る】
運転していると指がこわばる。字のとおり、関節が硬くなって、強く突っ張る感覚がある。指の曲げ伸ばしをしたり、親指で力を溜めて中指人差し指を弾いてみるとよくわかる。

初心者マークの頃には緊張してからだ全体がガチガチになって、ひどく疲れたものだった。運転に慣れると力が抜けてくる。それでも前方や周囲に気を配りつつも、ある程度のスピードでクルマを走らす。運転とは心身ともに緊張を強いる行為なのである。ギター演奏をする前に指や腕、体全体をストレッチでほぐした。

行った先はギタ弾こ会の例会。お馴染みさんもいれば、お初の人もいる。ふだん家でする練習と違う環境で弾くと緊張する。不自然にからだが硬くなる。指も思うようにコントロールがきかず強張る。あれっこんなはずでは・・・という具合である。

人前で演奏すると、緊張のあまり顔も強張るものだ。力が入り過ぎれば、良い結果はついてこない。意識して口角をあげて微笑むこともあるが、一度緊張が増してミスが相次いでしまうと、もう手につけられない。次回は頑張るよ! さようなら、という結果になる。

練達のプロフェッショナルに比べれば蚊の鳴く演奏でしかないかもしれないが、オレの音楽はこうだ! 持てるイメージを注ぎ込んで音を奏でている。それを感じてくれや! と強く主張することによってなにがしか伝わるものはあるはずだ。意地を張ることは大切なり。強張るのではなく、意地を張れるよう練習に努めたい。先日も書いたが、練習は本番、本番は練習である。

(強張りなどない姿で椿が咲いている)
勉強しわが道歩けいつまでと [2021年03月01日(Mon)]

fumihouse-2021-03-01T08_20_29-1-thumbnail2.jpg≪勉強するから、何をしたいか分かる。
 勉強しないから、何をしたいか分からない≫

北野武の言葉である。けだし名言である。学生時代の勉強にしろ、働きだしての勉強でもよい。単に知識を得るだけでなく、工夫してあれやこれやと試行錯誤するのも勉強だ。人間心理の襞に入り込み、多様なる人間というものの実像を知る。知識の体系が見えてくると、今までとは異なる視点で眺められる。そもそも一部にしろ世界が違ってくる。こんな好奇心にあふれた人は幸せだ。

勉強するうちに感じてくる、自分の得意分野、反対もしかり。自分というものが理解できてくる。良いなら良いなりに、ダメならダメなりに。でも立つ瀬はある。個性は輝く。勉強は楽しい。勉強しない手はないもんさ。

(オオイヌノフグリ。小さい花なのに、大きな犬のキンタマとは、これ如何に。春はこの花に始まる)