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新コロナ未知なる存在怖いもの [2020年11月27日(Fri)]

20201023_205220_compress78.jpgきょう27日、北海道内では新たな感染者が252人。東京でも570人。過去最多だという。新コロナの感染が全国では2500人超え。感染拡大第3波は止まることを知らない。感染者は通算で14万人、死亡者も2千人を超えた。歳末をひかえて勝負の週末、封じ込めるべき3週間が始まった。

私たちは見えない敵に今おののいているが、昨年までインフルエンザで亡くなる方が年間2万人もいたというのに、たいして話題にも上らなかった。予防接種を誰もが受けていたわけではない。わたしもそうだった(今年は受けた(^o^)/)。2万人と2千人。桁違いではないか。去年まで恐れもしなかったのに今年は戦々恐々。なんとアンバランスなことか。

インフルエンザにはワクチンがあり、治療薬もある。その安心感もあるが、新コロナが未知のウイルスでどう変異していくかもわからない、得体の知れない存在であることは大きい。それでも闇のベールは徐々にはがれてきた。ワクチンも出来た模様。経済活動、日常行動も回復させならがら、新コロナを封じ込めなければならない。

(柚子は酸っぱい。柚子のトゲは長くて刺さるとケガをする。しかしその酸っぱさや痛さを私たちはわかっているから怖くない)
セーハして力を入れず球を曲げ [2020年11月26日(Thu)]

20201117_180911.jpgギターでセーハすることと、ゴルフで曲げて打つことは似ている。動きとしては全く違うが、イメージするという点で似ている。

演奏するときに、左手の人差し指で同一フレット上の複数の弦を同時に押さえて音を出す。力を込めて押さえればいいわけではない。力めば力むほどクリアな音からは遠ざかる。へとへとになる。右指で弾く特定の弦にイメージを焦点すると良い音が出る。一念をそこに集中するのである。

一方でゴルフ。左にフック(カーブ)させるときは、ボールの右下を睨んでヘッドを右下から左上に押し出す。ボールにフック回転がかかっていくイメージで打つ。右にスライス(シュート)させようと思えば、ボールの右上を眺めて右上から左下に流すとスライスがかかる。下手するとあらぬ方向に飛んでしまうが、曲げるとイメージを定めていくことで効果を生む。

(山茶花が寒寒しい街路に咲いている。暖かい春までは遠いけど、どうぞ気軽に季節をイメージしてねと)
王冠の宿に入り込み日常捨てる [2020年11月25日(Wed)]

20201121_212254.jpg映画『ホテル・ローヤル』。原作は桜木紫乃の小説だそうだ。

利用客にとってラブホテルは非日常でも、経営者や従業員にとっては日常の光景。男女のむつみごとを間近にする。女将さん(母親)が家出したことで、ラブホの娘であることを拒んできた雅代(波瑠)だが、その日常に引きずられていった。そこで垣間見る他人の日常と非日常の入り交じった空間。事件にも巻き込まれながら両者が交錯していく。

廃墟となったホテルに忍び込んでヌード写真を撮りまくる男女カップル。何年か前の出来事、従業員たちが繰りなしていた日常の残像が亡霊のように差しはさまれる。ある人にとっての日常の風景は他人には非日常。日常と非日常が交錯してこの世はできている。過去も現在も未来も、同じように交錯するのだろうか。

『白いページの中に(柴田まゆみ/作詞作曲)』はエンディングでこう歌う。
♪振り向けば安らぎがあって/見守る瞳があったことを/サヨナラの時の中で/やっと気づくなんて♪

日々を綴りながら、私たちの日常の風景も移り変わっていく。心もまた変わる・・・安らぎがある。温かい愛すべき人がいる。悲劇も喜劇もある・・・たいていはサヨナラして初めて気がつく。終わってからやっと素敵なことに気づく。まっそんなものだ。

(日常のなかの非日常。見事な紅葉は今だけの日常)
停止されドキッとしたらどうなさる [2020年11月24日(Tue)]

20201121_211709.jpg『あなたのアカウントは停止されました』なんていう表題のメールが来るとドキッとする。Yahooメールに届く主はAmazon Servicesを名乗る。(  )内はわたしのメモ。

親愛な[わたしのYahooアドレス](正しくは“親愛なる”)
アカウントに疑わしいアクティビティがあります。 (おやッ?と思わせる)
24時間以内にこのメッセージを確認するまで、アカウントは保護されます。(24時間と期限をつけて迷わせる)
指定された期限内にこのメッセージを承認しない場合、アカウントは永久に無効になります。 確認ボタンをクリックして、アカウントを確認します。(永久に無効なんて言われると焦るかも)
ログインする (ここをクリックしてはいけない)
宜しくお願いします(ふん、よろしくやってやるもんか!)
Amazon Support  利用規約 | プライバシー規約 | パーソナライズド広告規約 コピーライトマーク1996-2020, Amazon.com inc. or its affiliates(いかにももっともらしい)

(黄金に輝く昼下がり黄葉を見てみよ。気宇壮大になって悪いことなど失せてしまうよ)
重なってノリノリになり側坐核 [2020年11月23日(Mon)]

20201121_212329.jpgやる気が出ない。誰もが日常的に経験することだ。やる気に関わるのが大脳辺縁系にある「側坐核」という小さな器官。側坐核を働かせ、モチベーションを高めるには刺激が必要である。刺激とは何か。行動である。

つまり、行動をすると側坐核が刺激を受け、やる気が生じる。「まず始める」ことが大事なのである。矛盾するようではあるが、ともかく始める、やってみるしかない。始めてみれば慣性が働いていく。そうすればだんだんと集中してノッてくる。明日も、まず着手することから始めよう。

(銀杏の落ち葉が重なっている。下の葉に上へ上へと重なりあっていく。重なることをノッてくると言う)
日常は立って歩いて血栓防止 [2020年11月22日(Sun)]

20201118_191900.jpg立つことは大切だ。歩くともっと良い。血流をアップさせて、エコノミークラス症候群(肺血栓塞栓症)を防ぐ。

肺は酸素を取り入れる一方で二酸化炭素を体外へ出す。四六時中休みなく繰り返されるガス交換。これを進めるのが血流である。滞ると血栓ができて脳や心臓に達し、肺血栓塞栓症となって命に及ぶ。飛行機に乗った際に、狭いエコノミークラスに長時間座っていると、発症する可能性が高い。エコノミークラス症候群は飛行機に限らない。座った状態が長引くと誰でもかかる恐れがある。

寒くなるとリスクは高まる。肺血栓塞栓症にはよくよく注意が必要である。会議が長引いたりして立てないときは、踵を上げ下げして、ふくらはぎの腓腹筋とヒラメ筋を収縮・拡張させる。ポンプ作用で血の巡りが速まる。この運動を30分に1回やり、水分補給も併せるとよい。会議は立ってやるのがよいのかもしれない。なおかつ短時間で終わると効率的で一番だ。

(ダイヤモンド・リリーは鮮やかなピンク色。血の色とは違う)
忘年は違う手段でやりたいね [2020年11月21日(Sat)]

20201121_211827.jpg20201121_211313.jpg東京商工リサーチが調査したところ、この年末年始に忘年会・新年会をやらないとする企業が多かったそうだ。実に88%の企業がやらないと回答したという。わたしの職場でもやる動きはない。やりたいけど期待していない。

新コロナの感染拡大はうなぎ登り状態で、小単位の飲み会であればよろしかろうと判断していた企業や集団も中止の判断に傾いていることと思う。飲食店は危機感を抱いていることであろう。

きょうは過去最高の感染者2500人超え。日々記録を更新している。GoToの各種キャンペーンを見直す意見も増えたが、規制を強めたとしても、濃厚接触を無防備に行う者が多ければ効果は上がらない。マスクをして加害者にも被害者にもならない、換気を怠らない、同一の場所に長らく留まらない、免疫力を落とさない・・・私たちは正念場を迎えたようだ。

(雲南市の八重滝は紅葉の真っ盛り。わたしも含めて感染の心配のない近場で紅葉を楽しむ島根や広島ナンバーで駐車場はいっぱいになった)
マスク取り顔を見たならえっ!となり [2020年11月20日(Fri)]

20201118_191827.jpgマスクに隠された口元と鼻、アゴ。残された目と額、髪、体型といったパーツから何となくその人の容貌をイメージしている・・・マスクで初対面の人が増えた昨今、そんなことがばかりだが、ふとその人がマスクを外したときに、えっ!と思うことがある。水を飲んだり、ずれたマスクを付け直す際に顔を見ることになるのだが、そのときにえっ!なのである。

想像と違う。この人こんな顔なんだ!と意外に思う。しげしげと、失礼にならないよう目を会わさないように気をつけるが、昨日も数回そんな体験をした。見知った人であっても、思いがけず髭を生やしていたりすると、えっ!なのであるが、マスクのせいで他人の顔を認識する一連の過程が異なるようになった。

(マスクを常時掛けるということは、ひとの顔を色ガラスにかざして見ることに似ている)
新聞は便利至極に厄介な [2020年11月19日(Thu)]

20201118_185331.jpg新聞、この便利なるもの。
世の事象全般情報を得て社会情勢を知る。詳しく解説を伴ってその深い意味を理解する。シリーズもののエッセイを楽しみ、投稿欄の意見にうなずく。画面を見てしまえば消え去るウェブ情報とは違い、紙が残る点ではある面有効だ。活字文化を守るという点でも重要な存在である。

古くなっても役に立つ。土間の敷物によし、窓ガラスを拭くとインクの作用で汚れが落ちる。物を包むにも適している。急場であればメモしてもよい。外出先で思いがけない寒さに見舞われたら背と腹に挟めばたいそう暖かい。手荷物梱包時に空きスペースを埋めてもよし、子供とのボール遊びにも使える。とても便利だ。

新聞、この厄介なるもの。
古新聞は役に立つから使っても使いきれない。古新聞が溜まっていく。新聞置き場に日々積み重なって、あれよという間に山が崩れそうになる。リサイクルに出すとはいっても所定の場所まで持っていく手間はバカにならない。その他のゴミもあわせて私たちは格闘する。新聞は厄介なものでもある。

(新聞をカーテンの向こうに置いておくと、自動で消えていたらいいのになぁ)
後悔は先に立たずと便座に居 [2020年11月18日(Wed)]

20201118_091414.jpgとある洋式便所。『前寄りに、お座り願います』と壁に表示してある。腰かけた。狭い。壁が迫っている。便座が壁に近すぎるのだ。要するに造りが悪い。180センチを超える長身の人が座ると、さぞや窮屈であろう。わたしだって不快感がある。

後ろ寄りに座ると便器が汚れるかどうかは知らないが、設計段階でチェックしていたら、こんな表示は必要なかったことだろうに、残念だ。後悔先に立たず・・・
後悔は先に立たずと便座に居 [2020年11月18日(Wed)]

とある洋式便所。『前寄りに、お座り願います』と壁に表示してある。腰かけた。狭い。壁が迫っている。便座が壁に近すぎるのだ。要するに造りが悪い。180センチを超える長身の人が座ると、さぞや窮屈であろう。わたしだって不快感がある。

後ろ寄りに座ると便器が汚れるかどうかは知らないが、設計段階でチェックしていたら、こんな表示は必要なかったことだろうに、残念だ。後悔先に立たず・・・
大切なものを捨てるな物持ちよ [2020年11月17日(Tue)]

20201103_094143.jpgふと気がつくと鍵がない。大切な鍵。ポケットから出して使ったのは確かだ。手に持って動き回っていたときもある。どこかに落ちたのか、それとも何気なしに置き忘れてしまったものか。心当たりがない。どうしても見つからない。

朝になったら探そうと、その日は捜索をあきらめて眠った。朝になり、昨夜の動線を振り返ってみる。一度は探したところを再びなぞってみる。でも見つからない。こんなとこ来てない、というところにも広げて探した。

大切な鍵は見つかった。ふとしたはずみでゴミ箱に落としてしまっていたのだ。ゴミとして捨てるはずはないのだが、落ちるときはあるのだ。気が緩む、目が離れる、鍵を机の縁ギリギリに置いてバランスが崩れて十数秒後に落ちたのかもしれない。今となってはわからない。

大切なものを弾みで捨ててしまっていることはありませんか? 気分がささくれて破れかぶれで、こんなん要らんと捨ててしまったことはありませんか? 鍵だけではありませんよ。夢も希望も、なんやかや、取り返しがつかない物や事を捨ててはいけませんねぇ。

(温州みかんの皮は捨ててもかまいません)
生物を追いやりヒトはどこへいく [2020年11月16日(Mon)]

20201116_201655.jpg先日気象庁が生物季節観測の多くを廃止すると発表して衝撃が走った。全国の気象台で開花や色づき、初鳴きなどを観測していたものである。

気象台周辺が都市化して、鶯が鳴かなくなり、燕が営巣しなくなる。モンシロチョウは飛ばず、蛍も光らない。アブラゼミはクマゼミに居場所を追われたのかもしれない。

残る季節観測は次の6種だけとなった。紫陽花の開花、銀杏の黄葉・落葉、梅の開花、カエデの紅葉・落葉、桜の開花・満開、ススキの開花。

日本人の心、サクラがなくなることはあるまいが、自然は人間界の営みによって次々と消されていく。自然をなくしてしまっては、人間も生き残れない。

(この秋初めて皇帝ダリアの観測?をした。秋空に高くそびえている)
丼を掻き込む姿日本人 [2020年11月15日(Sun)]

fumihouse-2020-11-15T20_21_43-1-thumbnail2.jpg丼物。日本の発明品として、最高傑作の一つであろう。ご飯を盛った丼に他の料理を盛り付ける。出汁で飯に味が付いて美味しく食べられる。室町時代が起源ではあるが、寿司と同様に江戸時代のファストフードとして発展した。

飯と具を盛って一気に掻き込む。もちろん戦後に多様化して今の全盛期を迎えているのだと思う。忙しくて早食いしがちな日本人の志向に合うのだろう。天丼、牛丼、煮豚丼、玉子丼、親子丼、中華丼、うな丼、アナゴ丼、カツ丼、海鮮丼、マグロ丼、イクラ丼・・・ヨダレが出てきそうだ。

欠点がある。箸ですくえないことがあるのだ。汁や具を吸ったご飯はバラバラして箸に乗りにくい。丼を持って食べる。韓国や中華料理の食文化で器を手に持つのはマナー違反だが、日本ではそうではない。

丼物の登場でマナーに変化が生じたのではないかと、わたしは想像している。丼に口を付けて豪快に口に掻きこむことも許容範囲である。食とは面白い。そして食文化の集大成としての丼物は、これからも種類を増やしていくことと思う。

(丼の飯の上に野イチゴの花を山のように乗せたらどうか。不味いだろうな)
音質の違い楽しみFM・AM [2020年11月14日(Sat)]

fumihouse-2020-11-14T21_45_09-1-thumbnail2.jpgラジオのFM放送とAM放送では音質が違う。NHKのニュースを読むアナウンサーの声質でよくわかる。AMは硬質でガッチリした骨のある声として聞き取れる。FMはまろやかで声を取り巻く枠組みが滑らかと表現できようか。

FMは超短波を使うので雑音が入りにくいという。音がクリアだから音楽放送に向いている。ただしFMは障害物に遮られやすい。

一方、AMは中波だから広いエリアに信号を送ることができる。だから島根では朝鮮半島からの放送も聞こえてくる。それはノイズや混信が起こりやすいことだから音質は劣る。

クルマに乗ってニュースを聞くとき、雨や風の音がうるさい場合はAMチャンネルに合わせることが多い。ニュースが終わると再びFMで音楽を聴く。

(混信状態になったAM放送を見える化したわけではない。宍道湖面に映った晩秋の空)
ぼちぼちと煙に巻いてる円滑に [2020年11月13日(Fri)]

fumihouse-2020-11-13T10_37_55-1-thumbnail2.jpg【ぼちぼち】という副詞がこれほど多義だとは知らなかったが、1以外は聞いたことがない(ほぼ死語?)。

1 ゆっくりとりかかる様子、そろそろ何かが近づいてきたこと
2 水滴などが続けて落ちる音やその様子
3 小さなものが散らばる様子
4 男女が仲むつまじく小声で話す様子

関西弁から【ぼちぼち】は広まったと想像しているが、あいまいにぼかし、融通のきく便利な言葉に進化している。ぼちぼちでんな、ぼちぼちやらしてもうてます・・・てな感じで使われている。近頃どうや? と聞かれれば、まあぼちぼちです、と応答して会話は完結。実に便利である。

ちなみに出雲弁では、【ほちほち】と表現する。「ほちほち、歩いて行かこい」。もしくは「おちらと」と表現する。

(紅葉はどうや? ぼちぼちでんな / 紅葉はどげだや? おちらとだわや)
家族とは浅田一家の肖像よ [2020年11月12日(Thu)]

fumihouse-2020-11-12T22_08_22-1-thumbnail2.jpg家族の肖像を撮る。つくろわず、かつ飾り盛って撮る。あえて家族愛とうたわずに、満面の家族愛を撮る。『浅田家!』は実在の写真家・浅田政志を題材にした映画で二宮和也が演じた。

自分がやりたいこと、アイデンティティなんてものは自分ではなかなか見つけられないものだ。だが他人の要望に応えて動くうちに、意外に自分の何たるかが見えてくる。浅田は、父と母がなりたかった職業をやってみたいという希望を叶えようと、家族のコスプレ写真を撮った。やがて奮闘するうちに賞をとり、一人前の写真家となった。おもしろ可笑しくて、ちょっと変な家族のおかげである。

家族とは何か?と大上段に迫るのではなく、写真を通して家族の肖像を描いて、幸せとは何かを問う。写真を通して家族の一員それぞれが成長していく。浅田が撮る写真は、その家族が一番輝く姿を表現した。

やがて東日本大震災、大津波という外因によって浅田は境地を開く。もちろん、もがき苦しんで恋人(黒木華)に助けられつつも、利他の行動で人生を開き、新しい家族をつくっていく。第二部は重いが、忘れがたい印象を残した。

(わかたけ学園で忘れがたい印象を残す楓の紅葉)
ギターにはクラギとエレキとアコギなり [2020年11月11日(Wed)]

fumihouse-2020-11-11T22_49_51-1-thumbnail2.jpgアコギとは、アコースティックギターの略称。エレクトリックギター(略してエレキ)のように弦の振動を電気信号として増幅しない。楽器全体を共鳴させて生の音で演奏する。クラシックギター(略してクラギ)もアコースティック(電気的な装置を使わない音響的な楽器)ではあるが、一般的にアコギはフォークギターを指す。

さて、略称のことだ。エレキと呼ぶことに違和感はない。だが、クラギはしっくりこない。頭の中で【暗ギ】と変換してしまうのが嫌だ。

アコギには嫌悪感すらある。「おぬしも阿漕(あこぎ)な奴よのぉ」。時代劇のそんな台詞を想像してしまう。人情に欠け悪どい者のことだ。三重・津市の阿漕ヶ浦(あこぎがうら)は、伊勢神宮に供える魚をとるために殺生禁断の海だったが、たびたび密漁する漁師がいたので、その者をそう呼んだという。

語源はともかく、アコースティックギターを弾く方々。アコギという呼び名にしっくりこない感じはないですか?

(クリームがかった白の山茶花。まもなく冬を迎える季節のものとして違和感はない。しっくりと収まっている)
いくつ寝る依るとさわるとお楽しみ [2020年11月10日(Tue)]

fumihouse-2020-11-10T13_16_30-1-thumbnail2.jpgお楽しみが近いとき、唱歌『お正月』の気分になる。

 ♪もういくつ寝るとお正月
  お正月には凧上げて
  独楽を回して遊びましょう
  早く来い来いお正月♪

待ちきれない子供の気持ちをよく表現している。昔はハレの日は格別だった。気ぜわしいが大人も同じであろう。ただ、お楽しみが終わったあとの喪失感は大きい。

心待ちにしているその本番を待ちわびて、いよいよ明日がその日ならば、一日中目一杯がんばれる。が、意外とその時はあれよという間に過ぎていく。愉快だな、面白いなと思う余裕もなく過ぎていくことも多い。ポッカリと空虚な感じを残して終わる。むしろお楽しみの前が一番ステキな時間かもしれない。さて、わたしも何かお楽しみを企画しなければなるまい。

 ♪ もう51回寝るとお正月 ♪

(葉を紅色に染めて紅葉葉が冬を待つ。いや、今を楽しむ)
外回りワイヤレスホンには気をつけて [2020年11月09日(Mon)]

fumihouse-2020-11-09T17_33_34-1-thumbnail2.jpgマスクを外そうとしたら眼鏡のテンプルが引っ掛かった。眼鏡が危うく落ちそうだった。音楽を聴きながらマスクをいじった。ワイヤレス・イアホンは落ちた。コードがないだけに、耳の穴からポロリ落ちると転がり先はわからない。

わたしは外では使わないからいいが、駅のホームでワイヤレスイアホンの落下が多発しているという。線路の砕石の隙間に入り込んで見つからないし、わかってもなかなか回収できないとか。急いで電車に飛び乗った時にふと気がつくとない、というケースも多いのではなかろうか。

しゃべった→マスクがずれた→紐を調節して位置を直そうとした→指がイアホンに触れて落ちる・・・立った位置エネルギーは大きい、アスファルトはよく弾ける、あれよという間にイアホンはホームの下に消えていく。ワイヤー付きを使うか、外歩きのイアホンは止めることだね。第一周囲の音が聞こえにくくて危ないでしょ!

(外へ出たなら雲を眺めて天空の音楽でも聴くがよろしい)
観察し練習上手で過ごしたし [2020年11月08日(Sun)]

fumihouse-2020-11-08T06_39_41-1-thumbnail2.jpgクラシックギターが上手くなる人には2つ特徴があるという。酒井ギタースクールの酒井良祥氏が解説している。この2つを実践できるかどうかで大きな差が生まれる。ギターに限らない。何かを習得したり、人間の成長にあっては不可欠な条件であると思う。

【1 練習が上手であること】
間違った時そこだけ弾き直してさらっと次へいく。1曲通して満足感を得る・・・よくある練習のやり方だ。難しい箇所をできるまで繰り返す。考えて工夫して反復する。信じられないほどゆっくり練習すると身についていく。反対に漫然と曲を繰り返すとミスを定着させる練習となってしまう。注意あれ。

【2 観察力が優れていること】
レッスンであれ、YouTubeであれ、他人の演奏を聴くときであれ、視野広く集中して冷静に観察すること。ピンときたり、コツを見つけたら直ちに試してみる洞察力が必要だ。カンを鋭くせよとも言えるだろう。

(タペストリは、機械織りであろうが手織りであろうと、製品にするまで不断の習練と調整が不可欠だ)
死ぬことは意義あることだ異議はなし [2020年11月07日(Sat)]

fumihouse-2020-11-07T08_57_41-1-thumbnail2.jpgヘルマン・ヘッセはこう述べる(エッセイ「人は成熟するにつれて若くなる」)。

≪私たち白髪の老人は、私たちよりも若いすべての仲間たちと同じように、私たち老人の存在に意義を与える使命をもつ。(中略)年をとっていることは、若いことと同じように美しく神聖な使命である。死ぬことを学ぶことと、死ぬことは、あらゆるほかのはたらきと同様に価値の高いはたらきであるー−それがすべての生命の意義と神聖さに対する畏敬をもって遂行されることが前提であるけれど≫

年間130万人の死者(日本だけでこんなに)のうち、多くを占めるのが高齢者。その死は多くの「意義」があると。「美しく神聖な使命」だと温かい言葉。もちろんヘッセ晩年の言葉であるからして、自分が生を終えることの覚悟を示す言葉でもあろう。

もちろん今すぐ死ぬと宣告されたら、やり残しばかりで狼狽して覚悟などぶっ飛んでしまうが、死ぬことは価値あること、悪くない。

(犬蓼も今年の使命を終えて、やがて枯れる)
反動の馬鹿な騒ぎに流血恐る [2020年11月06日(Fri)]

fumihouse-2020-11-06T20_42_57-1-thumbnail2.jpgアメリカ大統領選挙は投票日から3日たっても決着がつかない。票が確定したのは、西海岸と東海岸、どちらかといえば都市地域が民主党の青色で、中部から南部にかけては共和党の赤に染まっている。面積だけだと赤が広い。これだけ多くの州がトランプを選んだというのがおぞましい。

4年前は、まぐれが重なった事故でトランプが選ばれたと思っていた。今回はわかる。トランプ的なるものがアメリカを席巻しているのだ。保守反動化したアメリカが影のように怪物トランプを産んだ。

利己的で自分勝手。反対意見には暴力的に対応し、失言しても謝罪などどこ吹く風と、馬耳東風。非寛容なアメリカ人に世界のリーダーたれと言っても通用しないだろう。

トランプにとっては誤算であり、アメリカ全体にとって幸いだったことは、僅差の接戦であること。時間が遅れて開票される民主党支持の多い郵便投票分を差し止めれば、自分が優勢なまま勝利をものに出来ると踏んでいたようだが、激しい競り合いにつき、自分の首をも締めてしまう。武装した過激右派集団も迂闊に手が出せない。いずれにせよ、途上国のように流血事件が起こることなく新しい大統領が選ばれるよう願っている。

(美味しい柿でも食べて、落ち着けドナルド!)
好きなのよ水と火と雲癒し系 [2020年11月05日(Thu)]

fumihouse-2020-11-05T20_55_14-1-thumbnail2.jpg水と火と雲。わたしの好きなもの三つ。

プールサイドで水をすくう。太陽の光が不可思議な蠢(うごめ)き。放り投げる。張力で粒が丸くなる。自在に形を変えながら瞬間に落ちて、大きな水量に溶け込んでいく。宝石のような水玉が好きだ。

焚き火をする。チロチロ燃え始めメラメラと周囲を温める。オレンジ色、イエロー、濃いめの橙色が揺らめく様子は好ましい。豪火を目の前にすれば、さぞ恐ろしかろうが、暖炉の火の色合いは癒して安らぐ。

高い空にひつじ雲にいわし雲。すじ雲に飛行機雲が交差すると絵になる。ポッカリ浮かぶ層雲の底が平たくておもしろい。雷雲はごめんこうむるが、刻刻と変わっていく雲が好きだ。

(大きな楠の木立を抜けて太陽光が射し込む。太陽は火の塊。太陽あっての地球であり、水も雲も太陽の賜物)
触発し馬の鼻には人参を [2020年11月04日(Wed)]

fumihouse-2020-11-04T18_25_31-1-thumbnail2.jpg人間というものはひとに触発されて、頑張りもし、落ち込みもする。野球の世界で再生工場と称された故野村監督。選手の長所をつかみ、ボソッとぼやきながら開眼のヒントを与え、やる気を奮い立たせた。

そもそもプロ野球は打ってなんぼ、抑えてなんぼ。即契約額アップ。自分の腕次第で稼げる。モチベーションが上がらないわけがない・・・と思いきや、指揮官や同僚との人間関係によっては、やる気は失せて自己統制が緩み、やがて不調の泥沼に陥る。反対にこの人のためだったら死んでもいい、この人を優勝させたいと思わせる人の元につくと俄然張りきる。野球にとどまらない。人間は感情の動物であり、多分に他人に左右される。

3つのションがよく言われる。ミッション、パッション、アクションである。ミッションは、使命を自覚すること。さすれば進むべき道筋が見える。パッションは、好きこそものの上手なれというとおり、情熱で悩みを突き抜けられる。アクションは、勝ちに向かう行動力だ。

目の前に人参をぶら下げたとしても、人間というものはおいそれと頑張れるものではないのだ。使命を自覚し、励まし合って情熱を保ち、たゆまず行動する・・・その繰り返しを楽しめるようになれば、向かうところ敵なしである。

(鮮やかな番傘を差したらモチベーションが高まるかもしれないよ)
魂を共鳴させてガット弾く [2020年11月03日(Tue)]

fumihouse-2020-11-03T13_38_43-1-thumbnail2.jpg松江・プラバホールで開催された島根大学ギター部定期演奏会で、顧問の法文学部教授 武田信明氏はこのように述べる。

≪ギターはポピュラーな楽器なのですが、ギターのみでの演奏をじっくり聴く機会は少ないものだとも言えるでしょう。弾き語りという形式がありますが、ギターだけの楽曲演奏においてこそギター本来の魅力が発揮されるわけです。ギターのアコースティックな音色は、時に聴く者の魂と共鳴します≫ (第55回定期演奏会プログラム)

エレキギターも悪くはないが、生の音ではなくアンプで増幅された電子音は「魂の共鳴」というよりは、パッションの伝導というに相応しい。弾き語りで使うアコギではスチール弦の音が鋭くて、やはり歌をサポートする役割といえよう。クラシックギターのガット弦(昔は本当のガット、羊の腸で今はナイロンかカーボン)は、タッチによってある時は柔らかく、またある時は硬質に幻想的に音楽を奏でて、共鳴させる。

共鳴させるうちに、やがて何かを呼び覚ます。覚醒した魂は生きる力を沸き立たせるであろう。氏はさらに、≪部員一同そのような一瞬をめざし、無心に演奏いたします≫と。そうだ、一瞬でもいい、思いも込めて無心で演奏に集中するうちに、拙い演奏であっても聴衆に伝わるものがあるであろう。わたしもそう心がけたい。

(夜露を残して無数の水玉が朝日に共鳴するかのように輝く)
国破れ将棋は古代の戦いよ [2020年11月02日(Mon)]

fumihouse-2020-11-02T22_00_35-1-thumbnail2.jpg将棋は近世以前の戦いをゲームにしたものだ。王将(または玉将)を獲る。昔の戦争というものは、王は大抵天下無双の強者であり、その王様が捕縛または殺害されれば勝負は決し、国は敗れ、敗者は勝者のなすがままとなる。大将や将軍ではなく、王将であるのが味噌だ。

近代戦となると、将軍が死んだり負傷して戦闘に堪えなくなってもナンバー2、さらにナンバー3が指揮を執る。戦いの中心は近代兵器であり、指揮官が前線に立つことはない。もちろん3割を超える将兵が死傷して戦闘不能になると軍として体をなさないというから降服は近い。

個の力を軸に戦った古の時代、組織戦で戦う近代。将棋は古代(キングダムのような)を体現している。

(近代戦の象徴かもしれないが、塹壕を思わす照明のシェード。むろん核戦争が想定される昨今、塹壕は掘られない)
灯を消して目を休めてはまた使う [2020年11月01日(Sun)]

fumihouse-2020-11-01T12_00_08-1-thumbnail2.jpg風呂の明かりを消して、脱衣場の明かりだけ残して間接照明にする。髪や体を洗うには十分な光量だ。歯を磨くに鏡で確認するにはちっと暗いが、10分以上長々と歯にブラシを当てるうちにキレイになる。

眼鏡を外して眼を休める。視界がぼやけてはしまうが、無理して対象を視ることがないので眼が休まる。眼球をぐるぐる回したり左右に往き来させるのも筋肉を弛緩させるいい方法だ。

木や草の緑を眺めるのも眼には良い。遠い山の景色、大海原の広がり、千変万化する雲の流れ・・・どれも眼精疲労が取れていくことだろう。もっともぐっすり眠ることにしくはない。
人間は一番が好きこれ常識 [2020年11月01日(Sun)]

fumihouse-2020-11-01T08_46_20-1-thumbnail2.jpgトップギタリスト村治佳織をはじめ多くの奏者を幼少期からの英才教育で育んできた、村治昇氏がこう述べている。

≪なぜ、芸術、スポーツを問わず多くのコンサートや大会があるのでしょう。それは一言で言うならば「一番になりたい」という気持ちが人間の持つ本質の中にあり、その気持ちがあるからこそ、さまざまな分野が現在あるような形にまで発展してきた大きな原動力の一つになっているからなのでしょう≫ (『先生!どんなふうに育てているの?/子どもの夢の叶え方』2006年)

順位のつかない競技はない。肉体をぶつけ、球やシャトルで相手を射て、隣のレーンのライバルに激しい闘志をぶちまかす。闘争の行く末は「一番になりたい」である。一番になれないならば、せめて順位を上げて自分の実力を示したい。スポーツだけでなく、音楽、学問、技術、経済、政治もすべてが、人間の本能によって成長を遂げている。

自分で楽しむだけだから、という人もいる。でも「上手だね」「そんなあなたが好き!」なんて誉められれば俄然元気が出る。それもまた「発展の原動力」と言えるのではないだろうか。適度な競争は絶対に必要なことである。

(花は競争しないのだろうか。すると思うなぁ。誰が一番綺麗かって)