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慣れ親しみコロナコロナと呼ぶ人よ [2020年08月31日(Mon)]

fumihouse-2020-08-31T18_16_55-1-thumbnail2.jpgコビッド-19と名付けられた新型コロナウイルス。初期症状は風邪症候群。鼻水や咳、発熱、筋肉痛や倦怠感を伴い、嗅覚・味覚障害がときに生じる。サイトカインストーム(免疫系大暴走)を招いたり、重症急性呼吸器症候群を起こすと死に至る。

このウイルスや感染症のことを「コロナ」と呼びならわすようになった。人びともマスコミも、コロナ、コロナと言う。犬のポチや猫のミケのように親しげだ。そもそも製造メーカーのコロナに失礼ではないか。語源たる太陽のコロナだって悲しんでいるかもしれないぞ。

わたしは「新コロナ」と言っている。前にも書いたが、新ゴジラと呼ぶようにして恐ろしさをイメージできる。コビッド-19は目に見えない恐ろしい難敵である。運命共同体たる地球号において、人間と新コロナは共に生きざるを得ない。激闘は続く。

(美味しい茶粥を食べて夏バテを防ごう。もちろんこれだけでは不足だ。副食をたっぷり食べることだ)
自覚して想像をして行動す [2020年08月30日(Sun)]

fumihouse-2020-08-30T20_44_37-1-thumbnail2.jpg聖教新聞「名字の言」に大きな問題に人類が向きあう際の共通項として、長崎原爆資料館に今年から掲載された文を紹介していた(8月18日付け)。胸打つ言葉である。

「核兵器、環境問題、新型コロナウイルス…世界規模の問題に立ち向かう時に必要なこと その根っこは、同じだと思います。自分が当事者だと自覚すること。人を思いやること。結末を想像すること。そして行動に移すこと」

自分は当事者であること、すなわち大きなくくりに対して、影響を及ぼさない小さな存在などではない。自分は主体者であると考えること。Think Globally , AcAct Locally(地球規模で考え、地域で行動する)という言葉のとおり、一人一人が地球環境や核、新コロナへの処方は描けないまでも、想像を逞しくして思いやりを持ち、いま自分に出来ることを実行すること。いわば地球に対して責任を持つこと。

待ったなしの状況は続く。30年経っても今の文明が維持できているかどうか。瀬戸際に立つ人類の一人として、高くて広い鳥の目と微細な蟻の目を持つときが来た。

(瑠璃柳は暑い夏に咲く。爽やかな瑠璃色)
猛る日に心尽くして生きたいよお [2020年08月29日(Sat)]

fumihouse-2020-08-28T13_28_39-1-thumbnail2.jpg【猛】とは、勢いが盛んであることを表す。荒々しい状態もまたそうだ。あちらこちらに猛る(たける)の字が浮き上がる。

鳴りを潜めていた猛虎だが、甲子園高校野球交流試合以降、復調の兆し。猛打復活だ。猛攻撃で、巨人を猛追せよ! 猛牛だったはずの近鉄バッファローズは猛将ならずして指揮官が交代した。野球界自体に猛勢がないだけにコロナ禍の入場制限が解かれてほしいところ。

夏休みは天王山。受験生よ、猛勉せよ、がんばれ! これから猛チャージだよ。二学期も始まった、猛スピードで猛然ダッシュだよ。健闘を祈る。

猛反発を食らったアベノマスク。あちこちで猛炎となって燃え上がった。当の安倍さん、元気がない模様。病がぶり返したのだろうか。猛勇を奮って政治が活躍すべきときなのに。いたずらに在位日数を誇ることなく猛省してほしい。

猛烈な暑さである。先週少し秋が見えたかと期待させておいてこの迫る猛暑。忍び寄って人間を羽交い締めにして、臆面もなく悩まし苦しめる。猛犬か、それとも猛毒か。島根では連日日本列島一の暑さを記録する。

これなら猛吹雪や猛雨がましだと思いがちだが、それならそれで猛襲されると人の命が左右される。台風由来の暖気と大陸と太平洋の高気圧が、猛威を奮う。猛ることは、適度な加減で済ませてほしいものだ。

(猛き夜には温かく安らぎの灯り)
断腸の思いと痛み悲しいね [2020年08月29日(Sat)]

fumihouse-2020-08-29T08_02_10-1-thumbnail2.jpg【断腸の思い】
腸がちぎれるほどに激しく悲しむこと。中国の故事、春秋時代の晋に由来する言葉だ。捕まえられた子猿を長路追い掛けてのち母猿は死んだ。母の腸はずたずたに千切れていたいう。

安倍首相の辞意表明。潰瘍性大腸炎が再発し、職務の継続が難しくなったと。首相は「体力が万全でないなか、政治判断を誤ることがあってはならない」と述べた。多くの政治課題を残したまま「志半ばで職を去るのは断腸の思いだ」と語った。

大腸に炎症が起こり、潰瘍となるこの疾患。下痢や下血、痙攣、発熱。完治の難しい難病だそうだ。まさに断腸の思い。まっ不支持率54%にもなってるし、総理在位最高記録もつくった、もういいか!という感覚かな?

世はポスト安倍に。次の自民党総裁、すなわち総理大臣となるのは誰か。虎視眈々と総理の座を狙うのか、それともわずか1年の任期はスルーして新コロナも落ち着く次の座を狙うのか。駆け引きが始まっている。

(総理の座は針のむしろ、いが栗の痛みかもしれないよ)
抗議にて出場するかボイコット [2020年08月28日(Fri)]

fumihouse-2020-08-28T07_23_26-1-thumbnail2.jpg大坂なおみが、ウエスタン・アンド・サザン・オープン女子シングルス準決勝に一転して出場を決めた。大坂は、あい続く警官による黒人男性銃撃への抗議として棄権を表明していたが、大会主催者も同様の趣旨から27日の試合を中断していた。両者の協議の結果、プレーすることになったという。

「不平等と社会の不正に抗議」する考えを世に問うこと、立派なことである。しかし、単にボイコットするよりは、続けて勝って、優勝インタビューで堂々と抗議したほうが遥かに効果的だ。さらに、全米オープンでも強さを示して覇者となれ! 多くの人が耳を傾けてくれるだろう。
オショクジケン美味しさと危険悩ましき [2020年08月27日(Thu)]

fumihouse-2020-08-27T05_59_09-1-thumbnail2.jpgオショクジケンは美味しいようだ。

昨夏の参院選で首長や県議に票の取りまとめを依頼して現金を渡したとして逮捕された河井議員夫妻の公判が始まっている。現金は提供したが選挙運動の報酬ではなかったと、見え透いた抗弁をしている。夫は衆議院議員、妻が県会議員から参議院議員に格が上がる(本来議員に貴賤上下はないはず)ことで得られる美味しさとはどんなものやら。汚職事件が引きも切らないのは、美味しさの表れか。

わたしの手元にあるのは「出雲の飲食店応援プレミアム付き食事券」と「しまねプレミアム飲食券」。新コロナの暴風を受ける業界の一つが飲食業である。お食事券をせっせと使ってカネを回そうではないか。大人数の飲み会ができないから、大枚をはたくことにはならないが、ちょっとずつお食事券を使って、美味しい思いをいたしましょう。

(サルスベリが紅色のフリル状の花を咲かせるのも暑さの残る頃までだ。でもいつまで続く?この暑さ。出雲では初めて37℃を超えた)
もののけの姫に殿なり人となり [2020年08月26日(Wed)]

fumihouse-2020-08-26T12_54_51-1-thumbnail2.jpg『もののけ姫』を映画館で見る。オーケストラのサウンドが響き渡った。冒頭、コントラバスの低音に心を揺さぶられた。太古の森の守り手の強い意思を感じた。それはヒトではなく、地球そのものの雄叫びだ。

ヒトという破壊者を静めるために数々の予兆で示す。収奪者と化したヒトを諌めることができないと知った地球は牙をむいてヒトに襲いかかる。物の怪とは地球の変身した姿。怪奇なる物は地球の分身。モノに付いた怪奇なるコトが人間界に混乱をもたらす。

怪奇なるはヒト。ホモ・サピエンスが怪奇そのものなのだ。地球の資源を収奪し、他の生物がそれぞれ適した環境で生きている価値を優先しない。映画『もののけ姫』を見たらそんな気持ちになってきた。ジブリ渾身の名画である。
染められて令和2年は過ぎ行きて [2020年08月25日(Tue)]

fumihouse-2020-08-25T12_05_00-1-thumbnail2.jpgずっと思っていた。なぜ平成を30年でお仕舞いにしなかったのか。31年の、しかも4月末で途切らせるなんて変だ、区切りが悪過ぎる。政策立案者に悪態をつきたかった。

ところが、4月30日で終わらせたのはともかく(皇室行事に配慮したとか)、平成31年と令和元年とは相性がいいことに今さら気がついた。令和2年、3年と進むうちに平成で換算すれば32年、33年となってちょうど30を差し引きすればよい。昭和はどうしようもないけれど、令和と平成の相性はいい(数字の読みだけの話ではあるが)。令和が始まってから、早くも16か月。うち7か月は新コロナに染め尽くされた。

(雛桔梗(ヒナキキョウ)というそうな。道端に咲く小さくて可憐な花。品のいい薄紫だ)
今はもう弱虫じゃないペダル踏む [2020年08月24日(Mon)]

fumihouse-2020-08-24T06_59_20-1-thumbnail2.jpg映画『弱虫ペダル』を観て、思わず足に力が入った。小野田が坂道を上る。ぐいぐい漕いで疲れを知らない。疲れはするだろう、が彼には山の神が降臨したのだ。

アニメ・マンガ好きの小野田は一人であれば、単なるオタクでしかない。しかし、人間というものは、自分を知ってあてにしてくれる誰かのためにがんばれる。思いがけず自転車競技部に入った小野田は、意外な才能に気づく。まずは周りが気がついて鼓舞する。小野田は自信喪失状態から立ち位置を替えてがんばった。いい循環が続いたのは、彼にとって幸運だった。周りがいい人ばかりだったのも幸せだ(皮肉屋はいるが)。

King & Princeの永瀬廉が小野田を純朴に、かつ伸び代タップリに演じた。伊藤健太郎は高校一年生には見えなかったけれど、クールに熱い今泉役にはまっていた。先輩たちがオッサンばかりで驚いたが、高一にとって先輩とは1年2年の違いが大きな溝があることを示していて、なるほどと思う。

千葉県大会のレースシーン。自転車の団体競技とはああしてレース運びをするんだなあ、と勉強になった。ハラハラの連続で、勝ったときの痛快さといったらない。走行場面にはCGを使っていないという。練習を重ねてたくましくなった若い俳優たちが実際に走る。これも痛快な出来事だ。
もよおして朝のスッキリ楽しげに [2020年08月23日(Sun)]

fumihouse-2020-08-23T08_49_27-1-thumbnail2.jpg朝ごはんを食べると、もよおしてくる。トイレに入ってスッキリ・・・。もちろん食べたモノが直行便で下りるわけではないが、そう思えるくらいに反応が早い。朝起きてすぐに水をタップリ飲む。15分のストレッチで身体をほぐす。ごはんを食べるころには腸の蠕動(ぜんどう)が活発になって下へ下へと押し出していく。幸いに消化器は十分健康である。

先日大腸に内視鏡を入れたときに医師が小腸の出口を診ながら言った。小腸の微絨毛(びじゅうもう)が稠密で元気そうだ。ここは栄養素を吸収する毛細血管のほかにリンパ腺も通っている。ここが元気だと免疫力も強い。新型コロナウイルスに感染したとしても症状は出ない。家でもお年寄りに移さないよう余程注意しなさいね、と。

元気に不覚をとることなく、新コロナ対策を進めていかなくてはならない。

(簾(すだれ)の向こう、出雲大社に連なる弥山山の麓を眺めながらゆっくりしている。月夜のうさぎという地元の宿だ)
気をつけてやったつもりは未確認 [2020年08月22日(Sat)]

fumihouse-2020-08-22T09_43_12-1-thumbnail2.jpg交通事故を起こしてから(いや、ぶつけられてから)、見たつもりの(実は見ていない)左右確認がなくなるように、口に出して運転するようになった。

クルマの運転に限らない。やったつもりの確認の多いこと。チェックしたことにしておく、形だけのものが、いかに多いか。ほとんどは異常なしで済む。しかし一定の割合で要注意の案件が出る。ヒューマンエラーもあり得る。「気をつけて やったつもりは未確認」というのはさっき考えた標語。

運転中の左右確認。だんだん緩んできて、口に出しているかどうか、近頃心もとない。こういうところから破綻は始まる。奈落の底に落ちていく。

(カーテンの向こうには魔物が潜んでいるかもしれないよ)
悪口は依存的なり注意せよ [2020年08月21日(Fri)]

fumihouse-2020-08-21T07_15_38-1-thumbnail2.jpgネット上には誹謗中傷があふれる。厳しく取り締まるべきだという声が増えているが、彼ら彼女らはすでに報復を受けている。人を呪わば穴二つの諺のとおり、強く嫉妬したり、他人の悪口を言う人ほど不幸になる。精神科医で作家の樺沢紫苑氏がこう述べる(週刊東洋経済プラス8月17日号)。

≪人間はついつい他人と自分を比較してしまう生き物です。
(中略)自分が劣っていると感じたときに「劣等感」を抱きます。劣等感は強烈なネガティブ感情なので、それを何とか払拭したいという衝動にかられる。
(中略)相手を引きずり下ろすことによって、自分の価値を相対的に高めることができる。それによって、内なる劣等感を緩和しようという心理が働いてしまうのです≫

氏は悪口や誹謗中傷で劣等感を解消したい人の心理を分析する。

(自己肯定感が低い人は)≪自分対相手との比較において、自分が劣っていると感じやすい傾向があります。だから、実は自己肯定感の低い人ほど悪口を言う傾向にあるのです。
(中略)なぜそれをやめられないか? それは「悪口は依存症である」と考えると、非常に腑に落ちます。誰かの悪口を言うと、やる気や快楽に関与するホルモン「ドーパミン」が放出されます。
(中略)ドーパミンはよくばりな脳内物質でもあり、一度放出されると「より大きな刺激」を求めるようになります。
(中略)悪口を言えば言うほど深みにはまってしまう。これはアルコール依存症や、薬物依存症と同じ原理です≫

さらに、悪口を言うとストレスホルモンであるコルチゾールが分泌されるというから大変だ。悪口でストレス解消、なんてとんでもない。害悪だらけ。

氏曰く。悪口を止める一番の近道は、自分を褒めることだと。ささいなことでよいから、自分の良いところとか成功体験を独り言でいいので褒めることがよいという。自慢話を他人に振りまいてしまうと、反対に害があるので注意したいものだ。

(花はそれぞれが美しい。自分は美しいとも思わず、花は凛と咲いている)
丸付けて女担任笑われた [2020年08月20日(Thu)]

fumihouse-2020-08-20T06_03_51-1-thumbnail2.jpgわたしは丸付けのマルが書けなかった。答案の正答のすぐ下に鉛筆を置いて、時計回りにぐるっとマルを書く。たいてい長丸の右上がりのマルが書けて、左下には払いが残り、出来上がり。小学2年生、そんな簡単なことができなかった。

左斜め上に向けて真っ直ぐな線を描くと、右斜め上に90°に折れて、ある所までいくと急角度に折る。そこから始点に向かって再び真っ直ぐな線を伸ばして、ぶつっと止める。担任になったばかりの中年女教師はへらへら笑った。丸じゃない!これは三角、と侮蔑的な言い回しで笑った。以来その女を嫌いになった。

隣に座る女の子が丸の書き方を教えてくれた(その子とは半年前の同窓会で会った)。マルとはそんなものだと思い込んでいたのか、不器用で書けなかったのか、全く記憶にないが、猛特訓?の甲斐あって丸が書けるようになって今に至る。遠い昔の記憶。あれはいったい何だったのだろう。

(まん丸に近い長丸のピオーネ。今シーズンはまだ口にしていない)
かまびすし季節は転じて秋に行く [2020年08月19日(Wed)]

fumihouse-2020-08-19T07_14_17-1-thumbnail2.jpg昼間の暑さは耐え難い。しかしなんとか耐えている。夜に続く酷暑も忍び難い。しかしこれもギリギリ忍んでいる。

しかし昨夜は違った。エアコンの効きが悪いような気がして外へ出てみると、思いがけず涼しい。機械が自動的に止っていたわけだ。窓を全開にして風を入れて眠る。南の山から下りてくるほのかな空気が心地よかった。

起きてからも涼しさは続いている。しかし晴天。雨など期待できないまっさらの青空。気温はぐんぐん上がる。セミもかまびすしい。しかしセミが代わった。蜩のカナカナ音で目が覚めなくなった。遅れてやってきたミンミンゼミがうるさいほど鳴くようになった。

季節は確実に転じている。新コロナの季節も転じてくれないだろうか。しかしそうは問屋が卸さない。

(白いキョウチクトウとも、もうじきお別れだ)
こそあどは適度に使いコミュニケーション [2020年08月18日(Tue)]

fumihouse-2020-08-18T13_02_09-1-thumbnail2.jpg出雲徳洲会病院に行ったら、こんな標語がありました。医療安全標語・川柳の優秀作品の一つです。

  あれ! これ! それ!
  あれ? あなたのそれは これですか?

「あれ」という指示代名詞を唐突に使われると戸惑います。これちょうだい? とか、それ何? であれば目が届く範囲にあって何とか分かっても、あれどこにある? と尋ねられて応えられる人は余程察しのいい人です。

【こ・そ・あ・ど】は、話し言葉における指示語の体系です。話し手から近いもの(近称)が【こ】、中くらい(中称)が【そ】、遠いもの(遠称)が【あ】、不明なもの(不定称)が【ど】です。

これ、それ、あれ、どれ/こう、そう、ああ、どう/こんな、そんな、あんな、どんな/この、その、あの、どの/こいつ、そいつ、あいつ、どいつ/こちら、そちら、あちら、どちら

代名詞となり、副詞や形容動詞として使われ、体言にまたがって使用頻度は高いのです。ついつい、多用しがちです。具体的な名前が口に出てこなくて、苦し紛れの「あれはどうなってる?」などは、短い一文に こ・そ・あ・どが二つも入っています。年をとるとやむを得ないこともありますが、なるべく使いたくないものですね。

(これ何の花だっけ? ダリアだよ)
含羞の憂いを含んだ葉が閉じて [2020年08月17日(Mon)]

fumihouse-2020-08-17T07_10_14-1-thumbnail2.jpg恥ずかしがると視線が下もしくは外を向き、背が丸まる。はにかんで恥じらう姿が可愛らしいのはどんな人だろうか。それは置くが、含羞草(がんしゅうそう)という植物がある。別名のほうが有名で、オジギソウ。マメ科の多年草でブラジル原産。江戸末期に渡来したそうだ。

10時10分の方向に開いて対になった葉っぱに触れると一斉にすぼむ。そればかりか、恥じらって体をよじらせるように、茎の節から折れていく。おじぎ草というよりは、含羞草がふさわしい。含羞草をいただいてから、毎日手わるさで遊んでいる。夜になると閉じたままになるのが寂しい(就眠運動というらしい)。

この葉は初夏には花咲く合歓木(ネムノキ)に似ている。子供のころ区別がつかなくて、合歓木に何度もちょっかいをかけたことを思い出す。夏になると淡紅色の小花が球状に群がり咲くという。来年を楽しみにしている。
缶を蹴りクルマ轢かせるガキがいた [2020年08月16日(Sun)]

fumihouse-2020-08-16T08_11_08-1-thumbnail2.jpg小学校高学年のころ、下校中に友達と缶を蹴って遊んだ。ただ蹴るだけでは面白くない。クルマにひかせてペチャンコにしようと企んだ。

通りでクルマを待った。タイミングを見計らって道路脇からポンと蹴り出す。上手いこといくと、タイヤに轢かれて薄っぺらい缶の残骸となった。ある時、クルマが急停止してオジサンが駆けてきた。危ないだろ、飛び出しちゃ、と叱られた。誰かが飛び出したように見えたのだろうか。反論はせず、黙って頭を下げた。オジサンが立ち去った後、二人で顔を見合わせた。以来、この遊びは封印した。

運転する立場となって思えば、とんでもないガキである。脇に子供が立っている、何か知らないがクルマに向かって蹴った・・・缶ガラだとわかっていても、小言をかましてやりたくなるぞ。このガキ野郎(>_<)
演奏し心は健康うれしやな [2020年08月15日(Sat)]

fumihouse-2020-08-15T09_31_54-1-thumbnail2.jpgある調査によると、楽器を演奏することは心の健康に大きくプラスになるという。幸福感があり、リラックスできるという点でわたしも同感だ。

ウクレレを持つ400人の英国人で、ある曲をカバーして発表するまでの水準に達した人々を対象に調査した結果、9割がメンタルヘルスに良いと感じていた。その9割のうち、6割近くがリラクゼーションに良いと思い、また5割が満足し、4割が穏やかな気分になっている。さらに3分の1以上が、音楽を演奏するという能動的な行為によって、人生における目的意識が高まったというから、楽器の演奏ってスゴいことなんだと思う。

音楽にはリラックス効果があり、ストレス解消効果があるのは自明であったが、演奏することがここまで良いとは驚きだ。もっとギターを弾かなければいけないね! もちろん上手くいかないとストレスにはなるが、音を出すこと自体を楽しもう。

(鍵盤を上り下りする指はピアノの弦をハンマーで間接的に叩く。なぜ鍵盤楽器が生まれたか。弦楽器が難しい過ぎたから)
繊細さん考え細やか察知して [2020年08月14日(Fri)]

fumihouse-2020-08-14T10_10_48-1-thumbnail2.jpg「繊細さん」というのは初めて聞いた呼称だ。『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本』の著者・武田友紀氏がオリジナルだという。HSP(Highly Sensitive Person)という気質が原因となって、深く考えすぎる、過剰に刺激を受けやすい、感情反応が強く共感力が高い、些細なことも察知できるという特徴が繊細さんにはあるそうだ。

一見すると、繊細さんは神経が細やかで配慮が行き届き、他人から感謝される人に思えるが、過ぎたるは及ばざるが如し。生きづらいと悩む人が多いそうだ。考え過ぎて疲労困憊する。

そういう私は、共感力はともかく、軽く考えがち、刺激を察知しづらい・・・。繊細さんとは対極にある。かといって、ときには完璧主義になって煮詰まってしまうこともあるから、人間というものはわからない。

著者の武田友紀氏はおっしゃる。≪繊細さは、克服すべき課題ではありません。(中略)見方を変えると「毎日のちょっとした幸せにも気付ける」ということ。自分のままで、仕事もプライベートも、人生をより深く味わうことができると思います≫と。(聖教新聞7月31日付「Woman in Action 輝く女性」)

毎日は小さいけれど刺激に満ちている。「ちょっとした幸せにも気付ける」よう、感性と実力を磨いていきたいものだ。

(繊細な薔薇、繊細な白色。雨にさされて涼しげだったが、宿直明けの眠たい今朝は一雨ほしいところ)
連呼して飛沫を飛ばすことなかれ [2020年08月13日(Thu)]

fumihouse-2020-08-13T07_16_56-1-thumbnail2.jpgしばらく前の東京都知事選挙で選挙の様相が変わった。名前を連呼する選挙カーが走り回ることは当分なさそうだが、大昔こんなことを考えた。

応援する候補の選挙カーが近くを通ったら、手を振り「頑張って!」の声も添えて、奮闘を願う。ライバル候補者が目の前を通ることもある。そんな時、どうしたらいいのかと考えた。

結論は、手を大きく振って声援する素振りを見せる。やっていることは前者と同じことじゃないかい? いや違うのさ。「候補の◯◯でございます。皆さまのご支援に支えられて、議員を務めてまいりました。今後も誠心誠意この選挙区のために尽くしてまいります」。応えて手を振ってあげると、「手を振ってのご声援ありがとうございます。◯◯さらにこの選挙を強く戦ってまいります」。すると陣営は当たりはいい!勝てる! と油断するにちがいない。

そんな荒唐無稽なことを考えたことがある。もう大昔の話。35℃の猛暑日などない頃だった。そもそも「猛暑日」という気象用語は発明されていなかった。

(猛暑日の昼間を乗りきるためには夕立が欲しいところ。数日前の夕立あと里芋の葉に水玉)
アマガエル包んで外へ丁寧に [2020年08月12日(Wed)]

fumihouse-2020-08-12T06_16_21-1-thumbnail2.jpgアマガエルを捕まえた。というか、捕まえさせられた。昨夜ギターの練習をしていたら家人から、脱衣場に蛙がいるとSOSが発信され、現場に急行したのであるが(もちろんギターは丁寧に扱う)、なかなか捕まえられなくて難儀した。小さくてすばしっこくて、指の間から逃げてしまう。手の中で潰したくないから、ギター並みに丁重に包み込む。すると手が甘くなって、すり抜けられてしまう。挑むこと5度目にして、やっと掌に包んで外に去っていただいた。当然手にはヌルヌルが残るので、これも丁寧に石鹸を泡立てて洗う。再び丁重にギターをケースから取り出して練習を再開したのであった。ヴィラ=ロボスの練習曲第一番。練習曲といいつつも、セゴビアがコンサートのアンコールで演奏していた芸術的な名曲だ。しかも難しい。これは私にとって蛙の比ではない。当分人前では弾けそうにない。

(アマガエル君よ、オクラの花に座って鳴きたまえ。絵になると思うよ)
干しうだり日々に更新この暑さ [2020年08月11日(Tue)]

fumihouse-2020-08-11T20_06_52-1-thumbnail2.jpg昨日はこの夏一番の暑さにうだった。南からの強めの風が吹いて暑い一日が終わった。昼間はほとんど外へ出なかった。

夜になって運動がてらウォーキングをする。風で雲が吹き払われて塵も飛ばされるのか、空が澄んでいる。星が瞬く。それぞれが呼応して瞬く(なわけないが)。

北斗七星の曲線に続く牡牛座アークトウルス、乙女座スピカ。まだ春の星座は健在だが、西に傾いている。北極星の小熊座もW字のカシオペア座もくっきり見える。

圧巻は南の空。南中を過ぎた蠍座が雄大だ。大きなS字がちゃちなサソリを超えている。木星が明るい。黄みがかった土星もある。その射手座は1等星こそないが、2等星の明るいやつらで意外と目立つ。天の川の光の靄がかかって見ごたえがある。蠍座から射手座にかけて、星空の宝石箱そのものだ。

南の風はまだ強い。湿って熱くて心地よい風ではない。秋の虫が聴こえていた。ガチャガチャとクツワムシもうるさいやつらだ。盆明けまで暑いとの予報。それでも秋の足音は確実に歩み寄っている。

(今夜はすやすや眠りたいところ。昼下がりに雷雨があって涼しくなって嬉しい)
巧まずか敢えてか歩いて健康に [2020年08月10日(Mon)]

fumihouse-2020-08-10T07_17_47-1-thumbnail2.jpg電車通勤をしていると、巧まずして歩くことができる。家から駅まで歩く、駅構内を歩く、バス停まで歩く、待ち時間にコンビニへ行ったりして歩く、歩くために次のバス停まで歩く、弾みがついて昼休みにウォーキングする、帰りもバス停をいくつかやり過ごす・・・なんだかんだで1日一万歩は軽かった。ついでに歩くという点で電車通勤は貴重な機会である。

ところが今は、巧まないと歩けない。クルマ通勤となると、意図的に歩くことをしないと1日の歩数はせいぜい3千歩。この半年、通勤ついでに歩くことができなくなって、こうなると敢えて歩くようにしないと歩数は確保できない。

すると、夕食が終わってテレビタイムを止めて、歩く。家族を誘って歩く、数キロ先ならクルマで行かず歩く・・・機会を積極的に作り出すことが必要だ。この暑い時季。ついででなく、敢えて歩くことは難しい。

昨日はフェーン現象でこの夏一番の暑さにまいった。今朝も朝からクマゼミがジュワジュワと暑さを振り撒いている。少し涼しくなるまで、歩く楽しみはとっておこうと思う。
メンタルの恒常性なり成果なり [2020年08月09日(Sun)]

fumihouse-2020-08-09T08_26_16-1-thumbnail2.jpgメンタルヘルスのためのマネジメント研修を受けた。講師は総合心理教育研究所・東京セリエセンターの佐藤氏(臨床心理士・精神保健福祉士・公認心理師)。氏は、指導とハラスメントの区別を明快に定義なさった。

1/職場における優越性(上司と部下。上司であっても古参部下には優越しない)
2/業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動(感情のままに激しい言動)
3/労働者の就業環境が害される(心身のダメージ)。

「あほうとり」の態度は心理的負荷を与えるという。その代わり「やきとり」型リーダーを目指したいと。

【あ】あくびをする
【ほ】頬杖をつく
【う】腕組み
【と】時計を気にする
【り】リズム行動(貧乏ゆすり、机を爪で叩く)
  *************************
【や】優しい
【き】厳しい(仕事に)
【と】とっつきやすい
【り】理性的

働く人のレジリエンス(困難への対応、復元力)を向上させる条件も提示された。心していきたい。

ストレングスファインダー(価値を見い出し目標を設定する)/コーピング(ストレスを評価し対処する)/エクササイズ(適度な運動)/マインドフルネス(今に意識を集中させた瞑想)/ニュートリション(栄養)/サポートとコミュニケーション/認知行動療法(ものの見方や考え方の修正によって行動を変える)/笑顔の職場

研究所の名称の元となったハンス・セリエさんというのは、カナダの生理学者でストレス学の父と呼ばれるそうだ。覚えておこう。
マスクして夏の暑さにうんざりさ [2020年08月08日(Sat)]

fumihouse-2020-08-08T17_38_46-1-thumbnail2.jpg疲れている。うんざりしている。暑さに、マスクに。暑いのはこの時季仕方がないとしても、マスクには辟易している。冬季のマスクはまんざらでもない。適度に暖かく、湿り気もくれて好ましい。しかし、夏季のマスクは初体験だ。

口と鼻を覆い、耳を紐で引っ張る。圧迫感がある。顔全体どころか、身体全体にもわっとした空気を引き連れて、わたしを苦しめるマスク。出掛けるときには忘れてはいないかと、大いに気にして確かめる。周囲の人が離れているときは外していても、話すときには口許に。何度も繰り返される日々の行為に飽き飽きしている。

コロナ禍のこの時期。暑さと同様仕方のないことさ・・・と、なかなか諦観できないところは人間が出来ていない証拠。
お尻から管を入れたらあら不思議 [2020年08月07日(Fri)]

fumihouse-2020-08-07T16_59_38-1-thumbnail2.jpgボーン・ゴルファーという言い方がある。生まれついてのゴルファー。生まれた直後に「天上天下唯我独尊」と言い放った聖徳太子にはなれないが、幼児のころから手ほどきを受けて、たちまちにして高いレベルのゴルフができる。環境も才能にも恵まれている。大人になって始めたレイト・ビギナーからすれば、うらやましい限りのゴルファーのことだ。ゴルフではないが、こうした記述に出会った。

≪生まれた時にはすでにその手に内視鏡を持っていたと言われる程、内視鏡は体の一部のようです≫

このドクターに診察を受け、大腸がんの内視鏡検診を受けた。前日から消化のよい検査食を食べて、夜から絶食。朝から経口腸管洗浄剤、すなわち下剤を2リットルも飲む。排便を重ねて便が水状になっていく。経口補水液の味、砂糖と塩の混じった味は始めこそ美味しく感じたが、だんだん飽き飽きして、いらんと思う。固形物は早々に無くなったが、便の色が抜けず、結局飲み干した下剤は3リットル。ほとほと飽きた。

検査は異常無し。ほっと胸をなでおろす。たんまり飲んだだけあって、大腸のなかがキレイに見えた。これでご飯にありつける。ボーン・ドクターよ、ありがとう。

(検査後は、薫り立つ薔薇に包まれて、のんびりしたい)
日常はさりげなきかな75年 [2020年08月06日(Thu)]

fumihouse-2020-08-06T19_45_43-1-thumbnail2.jpg茂木健一郎氏はJ.S.バッハの足跡を求めて、ドイツ中部に旅した。そこで巨匠と音楽、日常を真摯に見つめることに思いを馳せた。

≪どんな人にも、生活に与えられた時間や空間は平等である。皆、その中でやりくりをしてきたのだ。当たり前のことだが、その場所に行けば、聖地は「日常」となる。そもそも、最初からこの世には「日常」しかないのだ。
(中略)私たちの世界が、生きる限りにおいて日常の繰り返しであるとするならば、私たちはほんの少しの工夫で、日常を底光りさせることができる。今日もまた、私たちの耳にはかくも美しい生命という「音楽」の響きが届いている≫ (『音楽の捧げもの〜ルターからバッハへ』茂木健一郎著,PHP文庫,2009年)

真実とは日常の延長線上にしかない。一発大逆転だって忽然と生まれるものではなく、日常の地道な鍛練の途上にある。

きょうは、広島の被爆から丸75年の日。3日後の長崎も含めて3・四半世紀が過ぎた。被爆して亡くなられた多くの方々。後遺症に悩まされ、差別に苦しんだ人々。あの日いつもの日常を過ごしていたはずの人々はたった一発の悪魔によって、平凡だったはずの日常を剥ぎ取られてしまった。核廃絶運動の原点となったとはいえ、悲しき非日常であった。

日常はさりげなく、柔らかに、ここに存在していなければならない。その日常には「美しい生命という音楽の響き」が、ここかしこに流れている。
トレモロに水滴流れ異郷かな [2020年08月05日(Wed)]

fumihouse-2020-08-05T06_04_47-1-thumbnail2.jpg名曲『アルハンブラの想い出』。これを独奏すると、イベリア半島に花開いたイスラムの栄光が感じられる。正確に言えば栄華の跡である。フランシスコ・タレガが120年以上も前にここを訪れて着想を得た。

ギリシャとローマの文明が滅び、西洋キリスト社会が暗黒に転じたあと、文明技術の精髄を継承し発展させたのはイスラム文明である。やがてヨーロッパがルネサンスを経て反転攻勢にかかる。一方でイスラム社会は宗教的原理主義が強烈となり文明は衰退する。両者の力関係が逆転するのが、アルハンブラ要塞のあるグラナダ(スペインの地中海寄り)が陥落した頃と言える。それが15世紀末。イベリア半島全体を支配していたイスラム教徒であったが、アフリカや中東の砂漠地帯にまで追われた。脱出した者にとってアルハンブラは望郷の象徴となった。

クラシックギターのトレモロ奏法で ミーレ ドーレミー と続く単調のメロディは、故郷を追われた者の無念さと滅びの哀愁を醸す。タレガはアルハンブラに旅して、追われし者たちの「想い出」や「思い入れ」に感じ入ったのかもしれない。

トレモロは薬指(指記号a)、中指(指記号m)、人差し指(指記号i)で一つの弦を高速で弾いてメロディとし、親指(指記号p)はバス声部と伴奏和音を奏でる。pamiの4連符の繰り返しが最後まで続く。トレモロで途切れない噴水の粒々を表現したのだという。時おり入る装飾音が実にメルヘンチックで、細やかで幻想的な彫刻や装飾美も映し出されている。

トレモロの繰り返しはどんな意味があるのか。城が滅びたあとも水の流れ、噴水の飛沫が途絶えない。精緻なイスラムの土木建築技術が素晴らしかったことの証を表現した、とわたしは見る。繁栄は永久に続きそうに思えるのだ。

タレガが見たアルハンブラは、今のように観光客が寄せる世界遺産ではない。荒廃していたのではないだろうか。タレガは、異教徒が七百年もの間支配した、兵どもが夢の跡のアルハンブラに寄せて、繁栄が途絶えてしまった寂寥を描いた。自分個人の「想い出」というより時代の「情念」を表現した。宮殿と風景の美しさのみならず、歴史も含めた全てを包含して「情緒」をメロディに残したに違いない。

タレガは世にあるすべての栄枯盛衰、建設と破壊、諸行無常の様々を感じたのかもしれない。人が人を征服し支配する。殺し合いを経て生まれる憎しみの連鎖。それも過去の遺物となって、今ここに超然として存在するアルハンブラ。そうした叙情を見事に歌いきったのだと思う。

(アルハンブラ宮殿にはこんな花が似合いそう。スパラキシス・トリカラー。別名は水仙文目というそうな)
梅雨空とカンカン照りを比較して [2020年08月04日(Tue)]

fumihouse-2020-08-04T05_21_37-1-thumbnail2.jpg梅雨空が続いていました。出雲では大雨こそ降りませんでしたが、降ったり止んだりの日ばかりで日照時間は少なかった。各地に被害をもたらした豪雨。線状降水帯に痛めつけられました。早く梅雨が明けてくれっ!と空を恨めしく見ていたものです。

ところがこの暑さです。もちろん去年も一昨年も今頃はあまりの暑さに閉口していたものですが、今年はずっとましです。でも暑いものは暑い。エアコンなしでは過ごせません。

暑いのもイヤ、雨続きもイヤ。わがままだと言われそうですが、人間なんてそんなものです。中くらいの幸せを望むのです。かといって平凡な毎日が続いてしまうと、刺激が欲しいと言って、欲が深くなるのかもしれません。

(カーテンの向こうには何がある? わがまま放題の刺激か、それとも避けがたい艱難辛苦か)
狙うことゴルフとギターの共通項 [2020年08月03日(Mon)]

fumihouse-2020-08-03T06_52_46-1-thumbnail2.jpg今はやらないが、ゴルフで学んだことがある。狙わない的には当たらないということだ。狙ったとおりにクラブが球を芯でとらえ、思いどおりの軌跡を描いて球が飛んで落ちて転がる。十のうち一つでもそうなれば御の字だ。プロゴルファーでもそれは同じこと。彼らは抜群の精度でショットを打つだけに許容範囲が狭いのだ。

ざっと方向を定めて、当たるも八卦当たらぬも八卦状態で打つと、決まってミスショット。まぐれ当たりはあるが稀なことだ。まぐれを期待するのが習い症になってしまって、下手が下手のまんま変わらない・・・。

それを脱するために、一打一打スタンスを決めて描く球筋をイメージしてから始動する。確かにショットが良くなったと思う。多くはイメージどおりにはいかないが、気を取り直してゲームプランを練り直す。結果としてスコアもアップした。

ギターを弾くにあたって左指の押弦、右指の弾弦にも同じことが言えるのに気がついた。距離は近くてもピンポイントでフレットのすぐ外側を押さえることは難しい。指板の横から見るために立体的な視点では眺められない。ゴルフクラブのように振り回すものではないが、距離は近くても思うにまかせない。だから毎回、ここだ!と狙う。

右手も同様。これは目で見ながらでなくて、感覚で指を動かすだけにもっと難しい。見えなくても狙う。狙って弾く。優しくタッチする・・・心がけていきたい。永久に試行錯誤だが。

(クローバーがさりげなく咲く。ギターもさりげなく上手に弾きたい)
刈り払い草のいきれにムンムンと [2020年08月02日(Sun)]

fumihouse-2020-08-02T07_13_41-1-thumbnail2.jpg草刈り機を使う。刈り払い機と言うのがふさわしい。刈ったそばから遠心力でもって草が弾かれていく。ベルトを肩に掛けて持ち手をしっかり握って、90度くらいの半角をつくって進んでいく。腕力で持つとムダな力を使う。地面に歯の底を乗せ、右太股に柄を乗せてリズミカルにやれば楽にできる。

まっ平らな所ばかりではない。マウンドがある、思いがけなく石がある。畑だったら草に隠された作物がある。リズムは崩れ、機械もその度に異音を発して警告を出す。斜面を進むときは要注意。足を滑らせて鋼のチップソーが身体に向かえば恐ろしい凶器だ。

適度に休んで水分を補給しないと危険だ。草が繁茂するのは酷暑の頃。熱中症と隣り合わせの作業である。ジリジリと手指がしびれている。重い金属の棒を強く叩いて響いた時の感じ。それがずっと続く。ドリルやチェンソーを扱う仕事人は白蝋病になりやすい。強い振動によって血管が収縮して運動神経障害を来す。

メガネ型ゴーグルを外し帽子を取り、手を洗う。上下着替えて眼鏡を洗う。エアコンをつけて涼んで冷たいアイスクリームを食べる。ギターを取り出す頃には手のしびれは消えた。タッチには上々違和感があったが、仕事後の心地よいひととき。

(タンポポに似た花。春から今も咲いている。コウリゾナというそうな)
トリモチでセミを捕る夏懐かしき [2020年08月01日(Sat)]

fumihouse-2020-08-01T09_45_11-1.jpg夏休みと言えばセミ捕り。取り方はいくつかある。手を丸めて木の幹を押さえる。高い所には手が届かない。逃げられる率は高い。虫取網を使う。幹が平らでないと難しい。ズルズルと網を下ろす時に逃げられやすい。

蜘蛛の糸を使うという手もある。竹棒の先に細い枝を丸めて、いくつもの蜘蛛の巣から糸を奪って巻き付ける。蜘蛛の巣の粘着力を利用するのだが、元気がよくて大きめのミンミンゼミやアブラゼミだと、粘着を跳ね退けて逃げられることが多い。

一番確実なのはモチノキを使うこと。幹から皮を剥ぎ取る。コンクリートに乗せて石で叩いて細かく砕く。粘りけが出て、幾度か水洗いするとトリモチ(鳥黐)の完成。竹棒の先に付けて、蝉の背をそっと押さえれば逃げられはしない。

これにも難点があって、トリモチが強力で羽根から落とせないのだ。やがて何匹か捕るうちに飽きる。虫籠に入れた蝉も忘れ去られて、翌日にはご愁傷さま。哀れな夏のセミたちよ。

(あの頃はゴーヤの花なんて知らなかった。そもそも苦瓜なるものの存在すら知らなかった)