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巧まずか敢えてか歩いて健康に [2020年08月10日(Mon)]

20200809_131558_compress58.jpg電車通勤をしていると、巧まずして歩くことができる。家から駅まで歩く、駅構内を歩く、バス停まで歩く、待ち時間にコンビニへ行ったりして歩く、歩くために次のバス停まで歩く、弾みがついて昼休みにウォーキングする、帰りもバス停をいくつかやり過ごす・・・なんだかんだで1日一万歩は軽かった。ついでに歩くという点で電車通勤は貴重な機会である。

ところが今は、巧まないと歩けない。クルマ通勤となると、意図的に歩くことをしないと1日の歩数はせいぜい3千歩。この半年、通勤ついでに歩くことができなくなって、こうなると敢えて歩くようにしないと歩数は確保できない。

すると、夕食が終わってテレビタイムを止めて、歩く。家族を誘って歩く、数キロ先ならクルマで行かず歩く・・・機会を積極的に作り出すことが必要だ。この暑い時季。ついででなく、敢えて歩くことは難しい。

昨日はフェーン現象でこの夏一番の暑さにまいった。今朝も朝からクマゼミがジュワジュワと暑さを振り撒いている。少し涼しくなるまで、歩く楽しみはとっておこうと思う。
メンタルの恒常性なり成果なり [2020年08月09日(Sun)]

20200411_215533_resize_7.jpgメンタルヘルスのためのマネジメント研修を受けた。講師は総合心理教育研究所・東京セリエセンターの佐藤氏(臨床心理士・精神保健福祉士・公認心理師)。氏は、指導とハラスメントの区別を明快に定義なさった。

1/職場における優越性(上司と部下。上司であっても古参部下には優越しない)
2/業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動(感情のままに激しい言動)
3/労働者の就業環境が害される(心身のダメージ)。

「あほうとり」の態度は心理的負荷を与えるという。その代わり「やきとり」型リーダーを目指したいと。

【あ】あくびをする
【ほ】頬杖をつく
【う】腕組み
【と】時計を気にする
【り】リズム行動(貧乏ゆすり、机を爪で叩く)
  *************************
【や】優しい
【き】厳しい(仕事に)
【と】とっつきやすい
【り】理性的

働く人のレジリエンス(困難への対応、復元力)を向上させる条件も提示された。心していきたい。

ストレングスファインダー(価値を見い出し目標を設定する)/コーピング(ストレスを評価し対処する)/エクササイズ(適度な運動)/マインドフルネス(今に意識を集中させた瞑想)/ニュートリション(栄養)/サポートとコミュニケーション/認知行動療法(ものの見方や考え方の修正によって行動を変える)/笑顔の職場

研究所の名称の元となったハンス・セリエさんというのは、カナダの生理学者でストレス学の父と呼ばれるそうだ。覚えておこう。
マスクして夏の暑さにうんざりさ [2020年08月08日(Sat)]

20200419_122146_resize_74.jpg疲れている。うんざりしている。暑さに、マスクに。暑いのはこの時季仕方がないとしても、マスクには辟易している。冬季のマスクはまんざらでもない。適度に暖かく、湿り気もくれて好ましい。しかし、夏季のマスクは初体験だ。

口と鼻を覆い、耳を紐で引っ張る。圧迫感がある。顔全体どころか、身体全体にもわっとした空気を引き連れて、わたしを苦しめるマスク。出掛けるときには忘れてはいないかと、大いに気にして確かめる。周囲の人が離れているときは外していても、話すときには口許に。何度も繰り返される日々の行為に飽き飽きしている。

コロナ禍のこの時期。暑さと同様仕方のないことさ・・・と、なかなか諦観できないところは人間が出来ていない証拠。
お尻から管を入れたらあら不思議 [2020年08月07日(Fri)]

20200425_182505_resize_9.jpgボーン・ゴルファーという言い方がある。生まれついてのゴルファー。生まれた直後に「天上天下唯我独尊」と言い放った聖徳太子にはなれないが、幼児のころから手ほどきを受けて、たちまちにして高いレベルのゴルフができる。環境も才能にも恵まれている。大人になって始めたレイト・ビギナーからすれば、うらやましい限りのゴルファーのことだ。ゴルフではないが、こうした記述に出会った。

≪生まれた時にはすでにその手に内視鏡を持っていたと言われる程、内視鏡は体の一部のようです≫

このドクターに診察を受け、大腸がんの内視鏡検診を受けた。前日から消化のよい検査食を食べて、夜から絶食。朝から経口腸管洗浄剤、すなわち下剤を2リットルも飲む。排便を重ねて便が水状になっていく。経口補水液の味、砂糖と塩の混じった味は始めこそ美味しく感じたが、だんだん飽き飽きして、いらんと思う。固形物は早々に無くなったが、便の色が抜けず、結局飲み干した下剤は3リットル。ほとほと飽きた。

検査は異常無し。ほっと胸をなでおろす。たんまり飲んだだけあって、大腸のなかがキレイに見えた。これでご飯にありつける。ボーン・ドクターよ、ありがとう。

(検査後は、薫り立つ薔薇に包まれて、のんびりしたい)
日常はさりげなきかな75年 [2020年08月06日(Thu)]

fumihouse-2020-08-06T19_45_43-1-thumbnail2.jpg茂木健一郎氏はJ.S.バッハの足跡を求めて、ドイツ中部に旅した。そこで巨匠と音楽、日常を真摯に見つめることに思いを馳せた。

≪どんな人にも、生活に与えられた時間や空間は平等である。皆、その中でやりくりをしてきたのだ。当たり前のことだが、その場所に行けば、聖地は「日常」となる。そもそも、最初からこの世には「日常」しかないのだ。
(中略)私たちの世界が、生きる限りにおいて日常の繰り返しであるとするならば、私たちはほんの少しの工夫で、日常を底光りさせることができる。今日もまた、私たちの耳にはかくも美しい生命という「音楽」の響きが届いている≫ (『音楽の捧げもの〜ルターからバッハへ』茂木健一郎著,PHP文庫,2009年)

真実とは日常の延長線上にしかない。一発大逆転だって忽然と生まれるものではなく、日常の地道な鍛練の途上にある。

きょうは、広島の被爆から丸75年の日。3日後の長崎も含めて3・四半世紀が過ぎた。被爆して亡くなられた多くの方々。後遺症に悩まされ、差別に苦しんだ人々。あの日いつもの日常を過ごしていたはずの人々はたった一発の悪魔によって、平凡だったはずの日常を剥ぎ取られてしまった。核廃絶運動の原点となったとはいえ、悲しき非日常であった。

日常はさりげなく、柔らかに、ここに存在していなければならない。その日常には「美しい生命という音楽の響き」が、ここかしこに流れている。
トレモロに水滴流れ異郷かな [2020年08月05日(Wed)]

fumihouse-2020-08-05T06_04_47-1-thumbnail2.jpg名曲『アルハンブラの想い出』。これを独奏すると、イベリア半島に花開いたイスラムの栄光が感じられる。正確に言えば栄華の跡である。フランシスコ・タレガが120年以上も前にここを訪れて着想を得た。

ギリシャとローマの文明が滅び、西洋キリスト社会が暗黒に転じたあと、文明技術の精髄を継承し発展させたのはイスラム文明である。やがてヨーロッパがルネサンスを経て反転攻勢にかかる。一方でイスラム社会は宗教的原理主義が強烈となり文明は衰退する。両者の力関係が逆転するのが、アルハンブラ要塞のあるグラナダ(スペインの地中海寄り)が陥落した頃と言える。それが15世紀末。イベリア半島全体を支配していたイスラム教徒であったが、アフリカや中東の砂漠地帯にまで追われた。脱出した者にとってアルハンブラは望郷の象徴となった。

クラシックギターのトレモロ奏法で ミーレ ドーレミー と続く単調のメロディは、故郷を追われた者の無念さと滅びの哀愁を醸す。タレガはアルハンブラに旅して、追われし者たちの「想い出」や「思い入れ」に感じ入ったのかもしれない。

トレモロは薬指(指記号a)、中指(指記号m)、人差し指(指記号i)で一つの弦を高速で弾いてメロディとし、親指(指記号p)はバス声部と伴奏和音を奏でる。pamiの4連符の繰り返しが最後まで続く。トレモロで途切れない噴水の粒々を表現したのだという。時おり入る装飾音が実にメルヘンチックで、細やかで幻想的な彫刻や装飾美も映し出されている。

トレモロの繰り返しはどんな意味があるのか。城が滅びたあとも水の流れ、噴水の飛沫が途絶えない。精緻なイスラムの土木建築技術が素晴らしかったことの証を表現した、とわたしは見る。繁栄は永久に続きそうに思えるのだ。

タレガが見たアルハンブラは、今のように観光客が寄せる世界遺産ではない。荒廃していたのではないだろうか。タレガは、異教徒が七百年もの間支配した、兵どもが夢の跡のアルハンブラに寄せて、繁栄が途絶えてしまった寂寥を描いた。自分個人の「想い出」というより時代の「情念」を表現した。宮殿と風景の美しさのみならず、歴史も含めた全てを包含して「情緒」をメロディに残したに違いない。

タレガは世にあるすべての栄枯盛衰、建設と破壊、諸行無常の様々を感じたのかもしれない。人が人を征服し支配する。殺し合いを経て生まれる憎しみの連鎖。それも過去の遺物となって、今ここに超然として存在するアルハンブラ。そうした叙情を見事に歌いきったのだと思う。

(アルハンブラ宮殿にはこんな花が似合いそう。スパラキシス・トリカラー。別名は水仙文目というそうな)
梅雨空とカンカン照りを比較して [2020年08月04日(Tue)]

fumihouse-2020-08-04T05_21_37-1-thumbnail2.jpg梅雨空が続いていました。出雲では大雨こそ降りませんでしたが、降ったり止んだりの日ばかりで日照時間は少なかった。各地に被害をもたらした豪雨。線状降水帯に痛めつけられました。早く梅雨が明けてくれっ!と空を恨めしく見ていたものです。

ところがこの暑さです。もちろん去年も一昨年も今頃はあまりの暑さに閉口していたものですが、今年はずっとましです。でも暑いものは暑い。エアコンなしでは過ごせません。

暑いのもイヤ、雨続きもイヤ。わがままだと言われそうですが、人間なんてそんなものです。中くらいの幸せを望むのです。かといって平凡な毎日が続いてしまうと、刺激が欲しいと言って、欲が深くなるのかもしれません。

(カーテンの向こうには何がある? わがまま放題の刺激か、それとも避けがたい艱難辛苦か)
狙うことゴルフとギターの共通項 [2020年08月03日(Mon)]

fumihouse-2020-08-03T06_52_46-1-thumbnail2.jpg今はやらないが、ゴルフで学んだことがある。狙わない的には当たらないということだ。狙ったとおりにクラブが球を芯でとらえ、思いどおりの軌跡を描いて球が飛んで落ちて転がる。十のうち一つでもそうなれば御の字だ。プロゴルファーでもそれは同じこと。彼らは抜群の精度でショットを打つだけに許容範囲が狭いのだ。

ざっと方向を定めて、当たるも八卦当たらぬも八卦状態で打つと、決まってミスショット。まぐれ当たりはあるが稀なことだ。まぐれを期待するのが習い症になってしまって、下手が下手のまんま変わらない・・・。

それを脱するために、一打一打スタンスを決めて描く球筋をイメージしてから始動する。確かにショットが良くなったと思う。多くはイメージどおりにはいかないが、気を取り直してゲームプランを練り直す。結果としてスコアもアップした。

ギターを弾くにあたって左指の押弦、右指の弾弦にも同じことが言えるのに気がついた。距離は近くてもピンポイントでフレットのすぐ外側を押さえることは難しい。指板の横から見るために立体的な視点では眺められない。ゴルフクラブのように振り回すものではないが、距離は近くても思うにまかせない。だから毎回、ここだ!と狙う。

右手も同様。これは目で見ながらでなくて、感覚で指を動かすだけにもっと難しい。見えなくても狙う。狙って弾く。優しくタッチする・・・心がけていきたい。永久に試行錯誤だが。

(クローバーがさりげなく咲く。ギターもさりげなく上手に弾きたい)
刈り払い草のいきれにムンムンと [2020年08月02日(Sun)]

fumihouse-2020-08-02T07_13_41-1-thumbnail2.jpg草刈り機を使う。刈り払い機と言うのがふさわしい。刈ったそばから遠心力でもって草が弾かれていく。ベルトを肩に掛けて持ち手をしっかり握って、90度くらいの半角をつくって進んでいく。腕力で持つとムダな力を使う。地面に歯の底を乗せ、右太股に柄を乗せてリズミカルにやれば楽にできる。

まっ平らな所ばかりではない。マウンドがある、思いがけなく石がある。畑だったら草に隠された作物がある。リズムは崩れ、機械もその度に異音を発して警告を出す。斜面を進むときは要注意。足を滑らせて鋼のチップソーが身体に向かえば恐ろしい凶器だ。

適度に休んで水分を補給しないと危険だ。草が繁茂するのは酷暑の頃。熱中症と隣り合わせの作業である。ジリジリと手指がしびれている。重い金属の棒を強く叩いて響いた時の感じ。それがずっと続く。ドリルやチェンソーを扱う仕事人は白蝋病になりやすい。強い振動によって血管が収縮して運動神経障害を来す。

メガネ型ゴーグルを外し帽子を取り、手を洗う。上下着替えて眼鏡を洗う。エアコンをつけて涼んで冷たいアイスクリームを食べる。ギターを取り出す頃には手のしびれは消えた。タッチには上々違和感があったが、仕事後の心地よいひととき。

(タンポポに似た花。春から今も咲いている。コウリゾナというそうな)
トリモチでセミを捕る夏懐かしき [2020年08月01日(Sat)]

fumihouse-2020-08-01T09_45_11-1.jpg夏休みと言えばセミ捕り。取り方はいくつかある。手を丸めて木の幹を押さえる。高い所には手が届かない。逃げられる率は高い。虫取網を使う。幹が平らでないと難しい。ズルズルと網を下ろす時に逃げられやすい。

蜘蛛の糸を使うという手もある。竹棒の先に細い枝を丸めて、いくつもの蜘蛛の巣から糸を奪って巻き付ける。蜘蛛の巣の粘着力を利用するのだが、元気がよくて大きめのミンミンゼミやアブラゼミだと、粘着を跳ね退けて逃げられることが多い。

一番確実なのはモチノキを使うこと。幹から皮を剥ぎ取る。コンクリートに乗せて石で叩いて細かく砕く。粘りけが出て、幾度か水洗いするとトリモチ(鳥黐)の完成。竹棒の先に付けて、蝉の背をそっと押さえれば逃げられはしない。

これにも難点があって、トリモチが強力で羽根から落とせないのだ。やがて何匹か捕るうちに飽きる。虫籠に入れた蝉も忘れ去られて、翌日にはご愁傷さま。哀れな夏のセミたちよ。

(あの頃はゴーヤの花なんて知らなかった。そもそも苦瓜なるものの存在すら知らなかった)