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若草に人を重ねて育ちゆく [2020年06月30日(Tue)]

20200627_182128.jpg『若草物語』は19世紀半ばにオルコットが著した自伝小説である。アメリカ北部の中流家庭・マーチ家の四人姉妹メグ、ジョー、ベス、エイミーを描いている。映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』を楽しんだ。

女の幸せは結婚。夫次第で幸不幸が決まるという価値観に反旗をひるがえしたジョー(もっとも彼女も結婚したが自立の道を歩んだ)。結婚にはロマンがあり、現実も厳然としている。羽ばたきたかったジョー。長女メグも愛する人と家庭をつくりたいと望んで清貧生活に甘んじたが、女の自立を諦めていたはずはない。他の姉妹もジョーに同意するだろう。

隣家のローリーも個性的だ。単なる金持ちのボンボン孫ではない。活動的で献身的、努力を惜しまない。四姉妹との交流を楽しみ、自らの精神性も高めていく。やがてエイミーと結婚するのも、むべなるかな。

若草物語を読んだことはない。1世紀半も前の小説である。プロットは映画を見ればわかったし、現代の小説に比べれば、読み続けさせて読者を唸らせるテクニックはないかもしれないが、俄然読みたくなってきた。
夏が来たすなわち?の熱いやつ [2020年06月29日(Mon)]

fumihouse-2020-06-29T20_34_30-1.jpg夏が来た
いよいよ夏だ
わたしにとっての夏はすなわち蟬
山の中に蟬の声
まごうことなき夏の使者
ニイニイゼミのお出ましだ
土の中にて苦節◯◯年
陽の目を見て声を限りに鳴き尽くす
きょうのところは仲間がいない
一度だけの高鳴きに終わった
やがて蝉時雨
森が揺れるだろう

(夏の使者は枝にも花咲く。ネムノキの花の雄しべは薄緑から白へ、ピンクへ。先端は光ったグラスファイバーのように輝きを放つ)
会心の出来とは言えぬわが演奏 [2020年06月28日(Sun)]

fumihouse-2020-06-28T21_06_29-1.jpg門脇康一ギター教室サマーコンサートは終わった。米子市文化ホールは緊張と笑顔、渾身と不安、照れ笑いと会心のお辞儀・・・。この日を目指してアマチュアギタリストそれぞれが練習をした成果を披露しあった。

わたしの「カバティーナ(スタンリー・マイヤース作曲)」はどうだったかというと、残念な演奏だった。したことのないミスが出る。それをきっかけに難なく弾けるところでつまずく。一度は演奏が止まりかけたが、適当に繋げて最後まで弾き終えたものの、残念な思いに尽きる。練習の質を上げて、強めに緊張しながら演奏する経験がもっと必要かと感じる。

先生から全般的な講評があった。まず歌うこと。曲に思いを込めて、自分の歌にして心で歌う。それで爪弾く。爪と指に歌を乗せていかなければならないと思う。

次にテクニックをおろそかにせず、一つひとつ積み上げてクリアしていくこと。当たり前だが、不安のある箇所は本番では大抵ミスをする。

三つ目に記憶を大事にしてほしいと。練習のときからメロディを階名で覚え、歌うことに尽きると。歌えればイメージが湧き記憶に残る。演奏もしやすくなるのだそうだ。ギターに向かい、譜面を解釈し腑に落ちたときの記憶や、思い出を結びつけて一曲の中に体験を積み上げるのも記憶となっていくのだろう。

「カバティーナ」を、いつでもどこでも遜色なく弾けるようになりたい。新しい曲にもチャレンジしている。まずはバッハの無伴奏チェロ組曲1番のプレリュードを自分のものにしていくことだ。

(サマーコンサートの舞台を飾った薔薇とカスミ草)
休みの日無限に思えてすぐ過ぎる [2020年06月27日(Sat)]

fumihouse-2020-06-27T09_09_28-1.jpg休みの日でも早く起きる。遅くとも6時半には起きる。子供時分から朝には強かった。特に夏の陽が出る前、涼しい空気の中で縁側に寝転ぶのが好きだった。いま始まったばかりの休みを慶んだ。楽しい予定などなくともウキウキした。

もう死語だが、「花金」という言葉があった。それ以前は「半ドン」が休みを慶祝する単語であった。「週休二日」となってからは特に嬉しい。なかでも土曜日の朝は自ずと目が覚める。

今朝目が開いたのは5時半。すぐに起きてトイレをすませ、ストレッチを15分やりながら、テレビで天気やニュースを確かめる。音楽を聞きながら朝食をとり、朝ドラを見てのちに本を読む。そんなんで今は9時10分。嬉しい休みは刻々と過ぎていく。
強弱のメリハリつけて緩急も [2020年06月26日(Fri)]

fumihouse-2020-06-26T19_15_55-1.jpg【メリハリのない】
朝ボーっとしていると、突然降って湧いたように気になった言葉。

「ハリ」は張りであろう。アイロンを掛けてぴんと張ったワイシャツ、平積みの新刊を手に取った感触・・。「メリ」は何だろう。ハリと対極に位置するものなのか、メリッと割れる鋭い切れ目か。想像しがたいので、ネット辞書の世話になる。

【メリハリ】緩めること、と張ること。抑揚があること。減り張り。

メリとは「減り」なのだな。想像もつかなかった。しかも元々は、尺八の高音と低音のことを意味し、「メリカリ」をつけると言っていたそうな(メルカリと間違える)。カリとは甲と漢字を当てて、音高を少し高めにし、メリ(減り)とは低めに演奏することだとか。メリカリとは、音の強弱や緩急を明瞭にして演奏することなのだ。

転じて、一般的に力を入れるのと抜くところ、集中するのと緩めるところ。さらにはオンとオフのけじめをつける意味が生じた。

わたしのギターもメリハリのない演奏では困る。これがなかなか難しい。「ハリ」過ぎると指がヘロヘロになり、「メリ」過ぎると集中力が途切れる。今夜は換えたばかりの弦を爪弾いてメリハリをつける。
歩くとき自己と周りを見つめます [2020年06月25日(Thu)]

fumihouse-2020-06-25T17_41_48-1.jpg沖縄の戦争体験者から証言を聞く「オキナワを歩く」の活動を主宰する岡本貞雄氏(広島経済大教授)がこうおっしゃっている(聖教新聞6月23日付け)。

≪「歩く」からこそ見えてくるものがあります。「歩く速さ」だからこそ考える時間があります。「歩く」ことで本人の気付きとなって残り、自分自身のものになるのです≫

歩くことは愉快だ。いろんなことに気付き、思いがわき上がってくる。ズンズン歩く。スタスタ歩く。テクテク歩く。ブラブラ歩くのも楽しいもんだ。自転車や自動車での移動は爽快だけれども、思索するには速すぎる。

よちよち歩くのは既に卒業した。よろよろ歩きは願い下げ。よたよた歩くときは泥酔か。ぺたぺた歩くはかっこう悪い。どたどた歩くと荒々しくて品がない。のそのそ歩くと鈍重だと思われそう。のっしのっしと歩くのは太りすぎ。ぱたぱた歩くと軽薄だ。とぼとぼは寂しい。うろうろ歩き回るのは当てもなくて危険。ふらふら歩くと生き方まで揺れそうだ。

「オキナワを歩く」の筋からは外れたが、歩くことはゆっくりであっても、あれこれを見つめる絶好の機会である。そして健康にも直結する。
死んでみて初めてわかる父の愛 [2020年06月24日(Wed)]

fumihouse-2020-06-24T20_48_50-1.jpg映画『一度死んでみた』は、痛快コメディである。薬を飲んで二日だけ死んだはずだった父親(堤真一)を救出しようと、ヘビーメタルバンドの娘・七瀬(広瀬すず)が、父の秘書(吉沢亮)とともに大奮闘する。

七瀬は父が大嫌いだった。ライブでは父に「死んでくれ!」と叫びまくる。だが、父がいなくって初めてわかる父の愛。テーマはここにある。生きている時には口に出来なかった愛だが、死んで初めてわかる愛。幸いに七瀬には再び父とまみえるチャンスがあったのは幸いだった。

ライバルの製薬会社の陰謀、遺体の扱い、葬儀のあり方など荒唐無稽な設定はたくさんあったが、ケラケラ楽しんだ。ちょい役で有名どころがたくさん出演したのも面白い。佐藤健、城田優、古田新太、大友康平、妻夫木聡、加藤諒、志尊淳など。いい味を出している。

実写版の映画『キングダム』の第2段には羌瘣(きょうかい)が登場するはずだ。超のつく高い戦闘能力をもつ将官でありながら可愛い素顔。しかも信の子供を宿したいと言い放った女性。誰がその役をやるのか。秦王・政役は吉沢亮。となると、羌瘣は広瀬すずしかないなあ。

(下野の花も可愛いが、羌瘣はもっと可愛い)
日々助け助けられての毎度なり [2020年06月23日(Tue)]

fumihouse-2020-06-23T19_55_35-1.jpgわたしは17歳から眼鏡の助けを受けるようになった。近視に加えやがて乱視も矯正し、日常これなしではやっていけない。初めて眼鏡を掛けたときの感動は今でも憶えている。視界に入るすべてがくっきりと明るく見えることの驚き。

薬の助けも受けている。10年前から湿疹が時折出て数時間は痒い。アレルゲンは不明だが、植物由来ではないかと考えている。そこで飲むのがザイザル5r錠。

道具類や薬、モノだけではない。家族や職場、よく行く店、道行くクルマに至るまで、わたしはいつも人に助けられて生きている。もちろん助けることもあるが、お互いさまのことだ。毎日は助け・助けられてで出来ている。

(今夜の食卓にはキュウリがあった。わたしはキュウリにも助けられている)
マナー超え巨大になったマスクかな [2020年06月22日(Mon)]

fumihouse-2020-06-22T20_08_03-1.jpgマスクをすることは、マナー以上のものになった。新聞投稿を読んでなるほどと思う。

朝慌てて家を出ると ≪何か物足りない。「あ!マスクしていない」と気付いた。気付いてからの心もとなさと言ったら、スカートをはき忘れたような、なんならパンツをはき忘れたくらいの気持ちになった。行き交う人は皆マスクをしているし、していないと恥ずかしく感じてしまう≫ (6月19日付け山陰中央新報「女子ログ」)

わたしも床屋に入ろうとして、マスクを着用して!という表示に動揺したことがある。車中に置きマスクがあったので着けた。映画館や美術館でもそうだが、長い滞在が必要な施設では義務化されたと言ってよい。

≪暑くなるにつれて「涼しい」マスクが求められている。肌触りがサラッとしていて通気性がよいらしい。あれ? 本来のマスクの機能が薄れていっているではないか。ウイルスを防ぐことよりマスクをすること自体が目的になっていないかしら≫(前出「女子ログ」)

そのとおりだと思う。形さえ整えておけば、実質が伴わなくてもオッケー!という世界は形式主義そのものだ。

きょうは暑かった。初めて立体型のマスクを着けた。以前はカモノハシみたいで違和感があったが、今は当たり前。不織布のプリーツ型しか経験がなかったのだが、思いがけず鼻と口周辺に余裕ができて楽だった。でも暑くなる。形式だけでいいなら、ガーゼ一枚のスカスカのものを着けたいと思った。

(金糸梅も街路に盛り。美女柳に似ている。爽やかな黄のマスクなんぞいかが?)
セゴビアと入力作業を楽しんで [2020年06月21日(Sun)]

fumihouse-2020-06-21T08_41_58-1.jpg数字の入力作業を2時間ほどやった(仕事ではない)。ネットをつないで作業しながら聞いたのは、アンドレス・セゴビアの名演の数々。この人ほど録音、録画の音源が残っている演奏家は珍しいのではないか。インターネットにアップされていて、CDでなくても存分に楽しむことができる。それだけ現代ギターの巨人だったのだろう。多くのヒトを魅了した証拠だ。

セゴビアの音に合わせるわけではないけれど、リズミカルにキーをたたく。順調に入力は進んだ(終わりはしていない)。疲れないよう適度な休憩をとるが、右手のタッチが柔らかくリズミカルに速くなるような気がしてくる。さらにギターまで上手になるのではないかと思えてくる。音楽(名演)と単純作業は相性がいい。

ギターの腕はどうかというと、変わらなかった。まっ当たり前だね。

(ヤナギハナガサ(柳花笠)がリズミカルに風に揺れる。茎株は細いが強い風にも折れることはない)
スピンオフ泣いて笑って花鳥かな [2020年06月20日(Sat)]

fumihouse-2020-06-20T11_12_56-1.jpgスピンオフ番組に笑い泣いた今週。NHK朝ドラ『エール』では、あの世から一泊二日で帰ってきた音の父・安隆と家族が再会した。突然の別れから10年、思いを吐露して、それぞれが生きる意欲を湧き立たせ、軌道修正もした。父が生きていたとしても、あんな会話は出来ないだろう。失ってしまったからこそ見える人生の真実に心打たれる。

喫茶「バンブー」の夫妻のなれそめにも心引かれたし、オペラ歌手の卵・若かりし環の物語も切なかった。いずれも、スピンオフの醍醐味を濃厚に感じる。脚本家とは表面的なセリフのやり取りや場面設定を書き記すのではなく、登場人物の性格や経緯も細かく想定して物語に深みを出していくのだ、と思う。

スピンオフ(spin off)とは脇役にスポットを当てて映画や番組の奥行きを持たせる手法である。いわば太陽から月への主役交代(主役が出ないことも多い)。元は「遠心力で振り落とす」から派生して「付随的に生み出す」意味ができた。

月は地球の遠心力を振り切って地球から離れる。花鳥風月のうちの「月」の風情が消える恐れがあるわけだが、何十億年も遠い未来の話。明日は部分日食。晴れていれば天体ショーを楽しむといたしましょう。

(きょうの花鳥風月はマーガレット。すでに萎れてしまって消えた)
療法で救えぐるぐるスクィグル [2020年06月19日(Fri)]

fumihouse-2020-06-19T20_16_48-1.jpgスクィグルという心理の芸術療法を知りました。なぐり描き法とも呼ばれ、遊戯療法に近い。一枚の紙に、クライアントとセラピストが交互に描いて、二人で一つの絵を完成させるというものです。

子どもや話すのが得意でないクライアントのカウンセリングで使うといいらしいのです。クライアントは、セラピストが表現するのを見て、受容されるだけでなく、セラピストを受け入れる存在ともなる。相互に良い関係が生まれて、クライアントの心情も開かれてくるようです。

今時分はできませんが、カラオケで歌っている人に合わせてハモったり、マラカスでリズムをとったり踊ったり。楽器の合奏もこれに近いかもしれません。一番のスクィグルだと思えるのは、ジャズのセッションでアドリブの応酬することでしょうか。楽しそうですね。同じ時間を共に過ごし、連帯感が生まれます。

ひとは社会を作り、社会に暮らします。最小限の社会は一対一の対面。その二人が絵を共同して絵をつくり上げる。いいですねえ。そこから何を読み取り、深いコミュニケーションにどう入っていくのかは、療法家におまかせしましょう。

(ドクダミもまた草同士のコミュニケーションをとるのでしょう)
パンを食べパンセ眺めて日々暮らし [2020年06月18日(Thu)]

fumihouse-2020-06-18T18_22_36-1.jpg物理学と数学を極め、哲学にも造詣の深かった仏人パスカルは草稿を遺し、死後『パンセ』として発刊された。多くの名文句があり、警句があり、箴言がある。

・人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。
 しかし、それは考える葦である。

最も有名な言葉がこれだ。「あし」は「悪し」に通じ縁起が悪いことから「よし」ともいうが、この場合は「あし」でないと格好が悪い。似た言葉もある。

・人間の偉大さは、考える力にある。

考え過ぎてしまうのも難だが、人間は悩んで大きくなるものだ。

・好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。
 たいていの場合、何かを知ろうとする人は、
 ただそれについて他人に語りたいからだ。

虚栄心、結構なこと。それをきっかけに好奇心が深めていけばよい。オレが俺が、と出しゃばるのはかえって底の浅さを露呈する。

次の言葉もタラレバの名文句。彼女の顔を見たことはないはずだけれども、美女の代名詞として鼻高を示したのか。わたしの好みを言えば、尖った鷲鼻よりはこじんまりした小鼻が好きだ。

・クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、
 世界の歴史は変わっていただろう。

なるほどねー、とうなずける言葉が満載されている。心がけから正義の本質に至るまで。パスカルってすごい人だったのだなあ。

・人間は神と悪魔の間に浮遊する。

・人間はつねに、自分に理解できない事柄は
 何でも否定したがるものである。

・力なき正義は無力であり、
 正義なき力は圧制である。

・無知をおそれてはいけない。
 偽りの知識を恐れよ。

・雄弁も長たらしくなると退屈する。

・親切な言葉に費用はかからない。
 しかし、多くのことを成し遂げる。
 親切な言葉に費用はかからない。
 しかし、多くのことを成し遂げる。

いま自分で取り組んでいることは、真に心が欲しているものなのか、単に周囲に流されただけなのか。自身を見つめよ、とパスカルは警鐘を鳴らす。

・人は多くの場合他人と異なるだけでなく、
 その時々で自分自身と異なっていることが多い。

自身を革新せよ、とパスカルは私たちに勇気を与えてくれる。さあ出発だ、明日に向かって!

・過去の自分はもはや現在の自分ではない。
 悩む者も悩ます者も、時がたてば別人になる。

(パスカルも見たかもしれない昼咲月見草。薄桃色の脈が黄のめしべと合わさって色っぽい)
恐れるな恐れる者は大丈夫 [2020年06月17日(Wed)]

fumihouse-2020-06-17T21_46_29-1.jpg非常事態宣言が解除されてから日にちが過ぎ、東京アラートも消えた。ここ一週間、首都圏や北海道などで感染者は増えているが、他国に比べれば第一波は思いがけなくも最小限でおさまったのが幸いだ。年間130万人以上が亡くなる日本にあって、新コロナで死ぬ確率は交通事故より二桁は少ない。3月4月に言われたように「正しく恐れよう」を実践できれば、リスクは小さい。

それでも必要以上に恐れる人がいる。自粛中より人出が増えたと言って怖がり、他県ナンバーの自動車やマスクをしないで出歩く人を非難する人がいる。パスカルはこう言っている。

 恐れる者は恐れることなかれ。
 だが、恐れぬ者は恐れよ。
  (パスカル『パンセ』)

無自覚に大声や叫声を出す人よ、恐れよ。飛沫を散らすことなかれ! 鼻くそをほじったり、指を舐めることなかれ! そんな人は正しく恐れよ。そうではない、感染症にかからないよう注意を怠らない人よ。恐れることなかれ!

(山に咲いている白い5枚花弁で、雄しべが黄と紅ベースの2種類。何という名前だろうか)
コロナさんコロナ対策お手紙を [2020年06月16日(Tue)]

fumihouse-2020-06-16T19_37_48-1.jpgコロナ社が社員と家族、特に子どもへのメッセージ広告を出しました。コロナとは元々、太陽から広がった高温の散乱電子(コロナウイルスはこれに似ているから命名)です。それに着想を得て社名にしたのが、「コロナ」です。暖房機器や給湯器でもって世の中に太陽のような暖かさとくつろぎをもたらそうとする社の志を表しているのだと思います。

そのコロナ社が、先週新潟新報に広告を出したわけです。新型コロナウイルスにまつわって、嫌な思いをしている社員と家族にあてたメッセージ形式の広告です。社長名で「コロナではたらくかぞくをもつ、キミへ」と題しています。

≪もし、かぞくが、コロナではたらいているということで、キミにつらいことがあったり、なにかいやなおもいをしていたりしたら、ほんとうにごめんなさい。かぞくも、キミも、なんにもわるくないから。わたしたちは、コロナというなまえに、じぶんたちのしごとに、ほこりをもっています≫

早春の陽だまりでくつろいでいるような、温かい言葉です。地球環境を大切に思い、顧客も重視する会社イメージを彷彿とさせるではないですか。そして、よい製品作りにかけて社員一丸となる思いで決意表明しています。

≪わたしたちコロナは、くらしをゆたかにする"つぎのかいてき"をつくろうと、きょうも、がんばっています≫

がんばれ!コロナ社、くたばれ!新型コロナウイルス。

(コロナウイルスではない。まん丸種のタンポポの綿帽子)
パンドラの差別を開けた大統領 [2020年06月15日(Mon)]

fumihouse-2020-06-15T20_55_33-1.jpg黒人男性が白人警察官に殺された事件で大きなうねり。今も全米で抗議デモが続いており、日本でも多くの芸能人やスポーツ選手から意見発信がある。検察庁幹部の定年延長問題でもそうだった。

対して、芸能人が政治に口を出すな、アスリートは埒外の発言をするな!という反応がある。大坂なおみもバッシングを受けているようだが、彼女はTwitterで毅然と反論する。「これは人権の問題です。なぜ私よりもあなたの方がこの問題について話す権利があると言えるのでしょうか?」 と問いかけ、反響を呼ぶ。

大坂はキング牧師の演説の一節を引用した。「沈黙が裏切りになる時がくる(There comes a time when silence is betrayal)」の一節を使い、非道に対して沈黙してはいけないとツイートする。ネットに一部でも罵詈雑言の書き込みがあれば打ちのめされるだろうに、大坂は勇気ある人だと思う。

アメリカでは白人の黒人への差別がずっと続いている。オバマ大統領時代も非道な差別は日常茶飯事であったが、社会的に少しは自制が効いていた。このところ反動的になったのは、トランプのせいである。あからさまに差別的言動を撒き散らし、人種的分断を正当化して過激な言葉で刺激する。大統領がそうなんだから自分も・・・と感化された無思慮な連中が表に出てきたのだろう。

Black lives matter(黒人の命は大事だ)。もちろん、Whiteだって、Yellowだって全ての命が大切だ。それは全ての人種への尊敬があってはじめて成立する命題でもある。アメリカ合衆国がその名のとおり、団結して(United)民族融和の存在であっていただきたい。

(きれいな紫色の花葱も小さな花が寄り集まって融和している)
ブログ書きフェイスブックに早6年 [2020年06月14日(Sun)]

fumihouse-2020-06-14T08_12_29-1.jpgブログを書いて、内容のコピーと写真1枚をFacebookに転載し、同じ1枚をInstagramにも投稿する。毎日のルーティンとして6年以上。好きで書く趣味ではあるが、半ば強制と化している。

たいていは仕事が終わって夕方から夜の早いうちに書く。事情があって朝のうちに書いてしまうと、夜になってから、ブログは書いたっけ?と迷うことがある。土曜日曜には早く書き終えることもあるけれど、たいていは夜も更けてから。時間に余裕があるとかえって先延ばしになってしまいがちだ。

あらかじめ構想をまとめて準備したときは楽々と書き終えるが、そうでないときは焦る。そんなときは、雨がどうした、雲が清々しい、夜空の星の話題だの自然の風物を軽く書いてしまうことも多い。意外とその文は軽快で的を射ている内容であったりして、評判もよろしいようだ。

反対にたくさん調べて引用も多い文章は長ったらしくて、何が言いたいのやら?的なときもある。まっそれでも書くことに意味があるとして、エイヤッと投稿してしまう。

(畑の脇に咲くマンテマ。小さくて地味だが、見るとなかなかの美形。ナデシコ科で幕末にヨーロッパから観賞用に持ちこまれて、今は野生化)
こころみてためしてみたら人生が [2020年06月13日(Sat)]

fumihouse-2020-06-13T21_45_41-1.jpg【試験】
試(こころ)みて、験(ため)す。もっぱら入学選抜や資格のために行うペーパーや面接試験をイメージするが、私たちの毎日は試験に満ちている。

座学したことや思い付いたことを実際にやってみる。出来るかどうか、結果を確かめるのは日常茶飯のことである。高度な化学や工業産品の能力を試験することに限らず(世界の製薬会社がコロナ治療薬開発にしのぎを削っているだろうが)、私たちは日々試験をやっている。

知らない新しいことを調べたり、恋する人の気持ちを探ったり、ギターの運指を試行錯誤して良い音を求めるのも試験と言える。そもそも、こうしようと決めて、一定の枠の中であるやり方を用いてみるのが試験だと思う。

四苦八苦して「しるし」が現れる。「ききめ」である。努力の「あかし」や「報い」にも試験の意味合いがある。日々は、試みて験すことに満ちている。

(キンケイギクも試みて結果として今の姿がある)
必要な瞬発力は今どこに [2020年06月12日(Fri)]

fumihouse-2020-06-12T21_52_24-1.jpg知には瞬発力が必要だ。機転を利かせてウイットに富んだ受け応えをするには、瞬時の反応でなくてはならない。イヤな奴に対し毒の利いた言葉で急所を突くのも、その瞬間でなければ寸鉄人を刺すことにはならない。知には瞬発力が必要だ。

もちろん徐々に熟成していく知恵もあるが、あの時こう言っておけばよかった!と後悔するのはたいてい、瞬発力を出せなかった時のことだ。

一方、情には瞬発力がある。すぐに反応して、時には発火する。なかでも怒りの感情はすぐに暴発してしまう。この場合は、あの時こう言わなければよかった!と後悔することになる。瞬発力が過ぎれば、刑務所に入ることにもなりかねない。情念には瞬発力は無用だ。

いやそうか? 必ずしもそうとは言いきれない。友と味わう感動の場面、ここでじっくり気持ちを動かす必要はない。瞬時にテンションを上げ、素直に飛び跳ねればよろしい。情にも瞬発力は必要だ。

(姫女苑(ヒメジョオン)は静かだ。が、風が吹けば直ちに跳ね踊る)
憲章はなくとも子どもは育つもの [2020年06月11日(Thu)]

fumihouse-2020-06-11T18_54_40-1.jpg児童憲章では冒頭に、児童に関する観念が示される。

 児童は、人として尊ばれる。
 児童は、社会の一員として重んぜられる。
 児童は、よい環境の中で育てられる。

憲章制定の理念は、日本国憲法の精神にのっとり、全ての児童の幸福にある。ここには子どもというものの観念が表されている。主観的な意味の観念ではなく、子どもの一般論、概念に近いと言えよう。

子どもの実体はそれぞれ違う。素直な子ども、ひねくれた子ども、楽しい子ども、陰鬱な子ども・・・いろいろだ。違いも考慮した上で、「尊」び「重ん」じ「育て」ることは難しい。子どもそれぞれが自ら学び育っていくことを祈るのみ。

昭和26年5月5日に制定された児童憲章。5月5日の端午の節句に日付を合わせたのか、それとも昭和23年からこの日がこどもの日になっているのに、ちなんで憲章を定めたのかは知らないが、すべての児童が幸せであってほしい。

(子どもたちよ、ブルーベリーを食べて健やかな視力を養ってくれたまえ。紅いのは未熟。完熟した濃いブルーのを食べよう)
コロナ以後葬儀が変わるあっさりと [2020年06月10日(Wed)]

fumihouse-2020-06-10T21_03_20-1.jpg新しい生活様式では葬儀が変わる。いや、もう変わっている。

葬祭会館を訪れた弔問客は、入口に控える遺族に対し弔意を表し、香典を受付で渡す。一定の間隔を保ったまま焼香台を目指し、葬儀が始まらないうちに焼香する。ここでは座る席はない。焼香をしたら速やかに一方通行で出口に向かい、退去する。読経も始まっておらず、葬儀に参加した感は全くない。以前ならあった代表焼香もない。親しい友人がやる弔辞などもちろんない。式後に遺族を勇気づけるような言葉がけだってできない。

司会の発声で告別式が始まる。読経が始まって葬儀の山場を迎える頃には、在席しているのは遺族と親族だけ。なんともまぁ、味気ない(やがて慣れて当たり前になることだろうが)。

(美女柳(未央柳 /びょうやなぎとも)は長い睫毛の美女なれば)
かんにせんカンセンかんせん如何にせん [2020年06月09日(Tue)]

fumihouse-2020-06-09T18_17_12-1.jpgかんせん【感染】
病原となるウイルスや細菌が体内を侵し増殖すること。そこから派生して、何らかの影響を受けて染まること。良いイメージでは使われない。

かんせん【幹線】
鉄道や道路の主要地点を結ぶ重要なライン。ゴールデンウィーク(ステイホーム週間とも)は幹線の渋滞はなかったのは寂しい。お盆はどうなるだろうか。

かんせん【観戦】
スポーツの試合を観て楽しむこと。密の回避でなかなか機会が訪れない。公式の戦争の実戦を公開する意味もある。いまどき戦争? とんでもないことだ。

かんせん【汗腺】‎
汗を出すため身体中の皮膚に張り巡らされた腺。きょうは暑い。水分を適度に摂らないと熱中症になる。蒸したクルマに乗り込むと35℃を超えた。

かんせん【乾癬】‎
伝染はしないが、皮膚に赤い発疹と盛り上がりができて、角質が白い屑になって剥がれ落ちる。ひとによっては痒い。この夏は冷房しても換気のため窓や出口を開ける。暑いかも。

かんせん【寒蟬】
秋に鳴く蝉、またはそうした風情。本格的な夏にもなっていないのに秋が恋しいとは、ちと早いかな。

かんせん【官選】
政府が選ぶこと。政府が選んだものをいう。わが家にもやっとアベノマスクが届いた。官選の企業が再委託、さらに再委託してできたものだろうか。

かんせん【甘泉】‎
美味しい水の湧き出る泉。天然の冷えた水はそれだけで十分美味しいが、甘泉と表現すると何にでもいい、薬効あらたかな感じがしないかな。

それで、「かんせん」を書いたことにどんな意味があるって? いや別に書きたかっただけですよ。

(鮮やかなピンクに輝く松葉菊に意味があるかって? いや載せてみたかっただけですよ)
静かなる華ある絵画堪能す [2020年06月08日(Mon)]

fumihouse-2020-06-08T18_19_36-1.jpg島根県立美術館で開催中の『日本美術の巨匠たち』を観覧してきた。東京富士美術館所蔵の名品がたくさんお目見えしている。

伊藤若冲の『象図』
 この絵は何度も見たことがある。初見では両耳が化け物の目に見えた印象が残るものだから、これは耳だと言い聞かせてやらなければならない。濃くて太い墨線による単純な象の象形。それだけに象の巨大さが強調される。切れ長の目、眉間に皺、縮こまった足・・画面に収めるデザインでもあろうが、生まれ故郷から遠く隔たり、狭い檻に押し込まれたインド象の悲哀を表しているような気もする。

岸駒『猛虎之図』
 鋭い虎の目を見ていると、中島敦の短編「山月記」を思い出す。かつて詩人となって科挙で登用される望みを抱いた男だが、虎に変身せざるを得なくなって、正気に戻った短時間に数奇な運命を友人に語る。この絵の虎は、体型だけはどこかユーモラスだ。

竹内栖鳳『獅子』
 巨大な屏風にリアルなライオンが描かれている。明治期のロンドンやアントワープ動物園で作者は模写を繰り返したという。牡ライオンのたてがみや筋肉が実物に近い。ベースが金屏風でライオンが透明感がある。雄々しさ、力感が伝わってくる。

会期は新コロナの影響で2ヶ月遅くなり、これから1ヶ月余りの開催。時間は朝10時から日没後30分まで。北斎、広重、写楽など浮世絵の巨匠たち。横山大観、菱田春草など近代日本画を開拓した巨匠たち。一堂に会した華のある、お薦めの展覧会ですぞ。

(島根県立美術館のヤマボウシは優美。ふつうは寸胴の手裏剣型だが、ここのは花が細くてカーブを描き美的な感じ)
星空に思いを馳せて時空超え [2020年06月07日(Sun)]

fumihouse-2020-06-07T09_05_40-1.jpg全国の病院や施設にプラネタリウムで星空を届ける活動をする橋真理子氏(星つむぎの村共同代表)が、こう述べておられる。

≪日本中どこにいても、見上げる星空はほとんど一緒です(中略)千年前に清少納言が見た星と、同じ輝きを見つめることができます。星には時や空間を超えて人の心を揺さぶり、それを共有できる力があるんです≫(「星を愛おしめば きっと世界は美しい」聖教新聞6月7日付)

ここのところ霞んだ夜空が続いている。それ以上に空に目を向けることがなくなった。寒さに震えることもない。遥かな宇宙に思いを馳せる気になってきた。橋氏は星空が人間を謙虚にし、世界観を変えていくことを次のように表現している。

≪一人一人が、広大な宇宙の中の、小さな、そしてかけがえのない存在であることを感じて生きていくことができれば、世界はきっと美しくなる。それが“星を届ける仕事”の一番の思いです≫

ちょうど今は水星が東方最大離角(太陽から最も離れる)を迎えたばかりだそうだ。今夕は西の空に目を凝らしてみようと思う。

(地上の星、源氏蛍が真っ盛り。捕まえた一匹が掌から腕へと這い廻り、こちょばしい(くすぐったい))
姿勢よく歩きに歩く楽しんで [2020年06月06日(Sat)]

fumihouse-2020-06-06T07_31_03-1.jpg通勤時に姿勢よく歩く。リュックを背負って手を振って、背筋を伸ばし歩幅を大きくとる。足元を見て歩くのはせいぜい下に危険があるときだけにして、1キロ先を眺めるつもりで歩く。

これが出来なくなって2ヶ月。クルマ通勤に替わったのが4月1日。コロナ禍で動き廻ることが最小限になって拍車がかかる。わたしの1日の歩数は三分の二になった。

わかたけ学園で仕事する際も目的地に直行するのではなく、遠回りして行く。施設の具合はどうか、樹木で腐ったものはないかなど、チェックも兼ねて楽しんで歩く。それでも歩数は三分の二。帰宅した後の夜散歩を復活させようか。今夜は蛍にでも逢いに行こうかな。

(レモンの花は大ぶりだ。温州みかんや夏ミカンに比べ遥かに大きくて派手。レモンの花のように大手を振って歩きたい)
コロナ禍に声を潜めて難避ける [2020年06月05日(Fri)]

fumihouse-2020-06-05T21_11_07-1.jpg声をひそめるのは、内緒話をする時、近くに寝てる人がいる時くらいだと思っていた。新しい日常(新しい生活様式とも)では、飛沫が飛び散らないよう大声で話してはいけないそうだ。声が低すぎると相手方に聞こえない。すると口元に顔を近づけることになり、かえって危ない。声音の加減は難しい。

3密回避だけでは不十分で、リスクを高めないためには大きな声を出さないこと。耳元で密な会話をする、声を枯らして議論する、酒の席でワイワイやる・・・人間の情を育てる機会が減るのはなんとも切ない。第二波を起こさないためとはいえ残念なことだ。

大きな声を出す場でクラスターが発生したことは確かである。大声を出せないとは熱狂できないこと。なんてつまらないんだろう。新しい日常とは、人との間隔を1メートル以上空けて、常にマスクを着用し、買い物は計画的に素早く済ます。食事会は対面ではなく横並びで短時間・・・なんとも味気ない暮らしだ。

(センダンの花は息を潜めて声を出さない。いや違う、しゃべれないだけだ)
匿名で悪口楽しむ変な奴 [2020年06月04日(Thu)]

fumihouse-2020-06-04T20_49_14-1.jpgダウンタウンの松本人志がツイッターに5月24日、≪あらためて≫と書き込み、5年ほど前のツイートをリツイートしました。

≪匿名で悪口 書いてる人。。。
 匿名は良い行ないをするときに使うのですよ。。。≫ 2015年3月4日

もちろんプロレスラーの故木村花さんを苦しめた、SNSの匿名で誹謗中傷する輩に釘を刺したものです。それにしても書き込みは5年も前のこと。さすが松本というか、自分も匿名に苦しめられてきた証拠というべきなのでしょうか。

≪社会にはびこる根拠なきデマや中傷。その拡散の過程は、今も昔も変わらないだろう。人は、いかに低俗な作り話であっても、繰り返し聞いているうちに真実と思い込んでしまうもの。ゆえに、断じて放置してはならない≫ (聖教新聞〈名字の言〉 2019年6月26日付け)

匿名の悪口は誤解と偏見、そして嫉妬に基づきます。打ち破るには勇気が必要です。勇気とは何か。あるときは、徹底して相手に真実を語り抜くことです。またある時は、無視してやり過ごすこと。何よりも悪口とデマを触れ回る当事者が真実に目を向けて、相手方の苦しみを理解することです。それにも勇気が必要です。がんばれ、デマに負けないで!

(アザミの棘は痛い。しかし相手を痛めようとするアザミはいない。防衛のためにのみ棘をさす)
雨垂れは石を穿ってまる十年 [2020年06月03日(Wed)]

fumihouse-2020-06-03T20_45_00-1.jpg三日・三月・三年という。何事も最初の三日間、我慢することが大切だ。三ヶ月目あたりに次の山があるから耐えよ。三年頑張れば、あとはそこそこやっていけるという心構えから来ている。三年やればその後、慣性で続いていくわけではないが、一面の真理を表す。

三月は百日。三年は日数でいえば千日。この積み重ねが自信となり、実績となって何事においても経験が累積していく。1万日継続できれば技能はプロ級、研究ではその世界で一流の存在になれると聞いたことがある。「石の上にも三年」を超えて十年となるが、「継続は力なり」。

コツコツ地道にやっていく。それに尽きる。もちろんプラトーの高原と呼ばれる停滞期は来る。壁が立ちはだかるものだ。工夫し、勉強し、人として成長していく。やがて「雨垂れ石をうがつ」。不器用なようでも「愚公山を移す」のだ。途中で止めてしまえば元も子もない。ゼロに帰する。がんばろー。

(時計が時を刻むように着々と進めよう。時計草は見ているぞ)
若竹の如くに伸びよ子どもたち [2020年06月02日(Tue)]

fumihouse-2020-06-02T12_45_42-1.jpgわたしがこの4月から働く島根県立わかたけ学園では、会計年度任用職員を募集しています。募集期間6月8日(月)まで、試験日は6月17日(水)。ご一緒に働く方いらっしゃいませんか。採用する職種は次のとおりです。

【児童自立支援員】
大学で心理学や社会学などを修めた人、又は保育士(来年3月末卒業見込みも可)で満18歳以上。入所児童の社会・学校不適応を踏まえた生活指導やスポーツ活動に取り組める方。夜勤ありで月額16万9千円。社会保険、通勤手当、賞与あり。

【児童支援員】
満18歳以上で、入所児童の生活指導やスポーツ活動に取り組める方。夜勤ありで1回13,100円。通勤手当有り。

【調理師】
入所児童と寮勤務職員に食事を提供する調理師免許をもつ方。月額15万9千円で社会保険、通勤手当、賞与あり。

お近くに心当たりの方がおられればお伝えください。
島根県ホームページ《非常勤職員募集/会計年度任用職員採用情報》
https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/syokuin/bosyu/bosyu_somu/?site=sp

(わかたけ学園にキウイの花が満開となった。たくさん実ってくれるやらどうやら)
曇り空硝子忘るなガツンごつん [2020年06月01日(Mon)]

fumihouse-2020-06-01T07_24_42-1.jpg先週父と母に、冗談半分警告していた。きれいに磨いた縁側の大ガラスにぶつからないようにと。表と内をしっかりと洗って拭いてピカピカにしたから、外の景色がよく見えてガラス戸が開いていると勘違いする。ぶつかったりしたら大変だ。鳥がよくぶつかって脳震盪を起こす。

父も母もぶつかったわけではないが、同じような轍をわたしが踏んでしまった。きのう出雲ビッグハートでのこと。ギターレッスンの待ち時間に大ガラス戸の向こうにあるスペースにあるベンチに座って練習をしようと空いた右側から出た(つもりだった)。

ところが開いていたのは引戸の反対側。右手に持って掲げていたギターの胴をガラスにガツン、とやってしまった。ためつすがめつギターを眺め回したが、傷ついていなかったので胸を撫で下ろした。外は曇り空、内も外も明るさの度合いが同じくらいで、光の反射がなかったのも激突した理由だろうが、慣れない場所で不用意な行動は禁物である。

(ミヤコワスレの花は遠く離れた京の都を忘れない(本当に?)。ガラスの存在を忘れてはいけない)