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通勤のやり方変わる最終日 [2020年03月31日(Tue)]

fumihouse-2020-03-31T08_06_38-1.jpgわたしの定期券を改札のタッチパネルに触れさすたびに、ピピッと警告音が出る。期限切れが近づいたから更新を、という合図である。期限は2020年3月31日。列車での通勤もきょうで最終日。スマートイコカ(ICOCA)はたまに使うことがあるだろうが、もっぱらキャッシュレス決済に使うことになると思う。

JRまたは地下鉄での通勤を続けて数十年。宿舎に入って徒歩通勤の時期もあったが、列車にお世話になってきた。思いついて酒を飲む、本を読む、ブログを書く、SNSに投稿する、ぼんやり景色を眺める、寝る・・・。待ち時間があるという難点はあるものの、自由自在に歩いて、駆けて、考えごとをして、語らっての通勤生活であった。

明日からはクルマでの通勤。新しい生活が始まる。そしてきょうは、今の仕事の引き継ぎで忙しい。
年度替えツルニチニチソウが音を出す [2020年03月30日(Mon)]

fumihouse-2020-03-30T20_06_52-1.jpg新しい年度が始まった。令和2年度は明後日からだが、NHKは毎年4月1日を含む週始めから番組を改編する。ニュースのキャスターや天気予報官が交代した。画面のデザインやサウンドログ(冒頭や合間のメロディ)が変わる。新年度の露払いのような感覚があって新鮮だ。

古関裕而をモデルとした朝ドラ『エール』が始まる。5千に近いという作曲の数々。世紀の作曲家役は窪田正孝。糟糠の妻を二階堂ふみが演ずる。窪田は指揮はもちろん、楽器演奏まで吹替、代役なしでやったというから大したものだ。

この世は音楽で満ちている。湧き出る才能の持ち主だったのか、努力の人かは知らないが、戦中戦後の音楽を作り続けた人の物語。楽しみである。実は島根県歌も古関裕而の作曲なのだ。

(ツルニチニチソウは古風に雅な色合い。どんな音楽が似合うことやら)
春だサクラだスマホをかえる [2020年03月29日(Sun)]

fumihouse-2020-03-29T22_39_59-1.jpg春だ。土筆だ。桜だ、サクラ。心踊る春が来たからというわけではないが、スマホを新しくした。電池がヘタって夕方になると切れはしないかと心配だった。基本ソフトを自動更新するたびに、動きが重くなってイライラしていた。

サクサク動くようになった。語句変換の登録を移行し忘れていたので、代わりに面倒な作業が必要になった。今まで入れていたソフトは自動的にインストールされていたので驚き、楽にはなったが、気忙しい1日だった。なによりもドコモショップに3時間も拘束された。長い1日だった。
ジュディさん虹の彼方に何を見る [2020年03月28日(Sat)]

fumihouse-2020-03-28T22_52_57-1.jpg『ジュディ 虹の彼方に』は悲しい映画だ。ミュージカル女優ジュディ・ガーランドの晩年を描いた。少女時代から薬漬けにされ、ステージで稼ぐことを強いられる。華やかな世界の一方で、スキャンダルとプレッシャーにさらされ続ける結果、酒に逃げる。恋にも逃げた。四度の結婚を重ね、どれもうまくいかない。大スターになった引き替えに、ごく普通の幸せには縁がなかったと言える。

ロンドンなら稼げると踏んで乗り込んで来たものの、遅刻や無断キャンセル、酩酊状態でステージに上がり客と口論して泣き崩れる。収拾のつかない自暴自棄。ファンにとっては見ていられない光景だったことだろう。歌姫はスポットライトを浴びて観客の前に立つことが唯一の楽しみだった。自分が輝くことのできる場所はそこしかない、という孤独感を漂わせる背中が寂しかった。

自分をスターダムに押し上げた『オズの魔法使』主題歌の「虹の彼方に」。涙こぼれてやがて歌えなくなる。客が助ける。みんなが続きを歌い始め、ジュディは観客と一体になる。私を忘れないでと言ったジュディであったが、わずか6ヶ月後、ジュディが47歳で亡くなったことを字幕が告げる。悲しい映画である。

(ジュディはまるで木についたまま、茶色に朽ち始めたヒメツバキのようだ)
来年は鬼が笑うと誰か言い [2020年03月27日(Fri)]

fumihouse-2020-03-27T12_55_39-1.jpg東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会が、大会延期後も8万人のボランティアを継続して採用するよう通知したという。

7年かけてやってきた大会の準備。あと3月あまりで手が届くにもかかわらず、運営のすべてを見直さなければならないとは、徒労感はいかばかりか。お見舞い申し上げたい。新型コロナのやつに恨みをぶつけよう。

組織委員会のボランティアへの通知では、諸事情で活動が難しい場合には辞退するようお願いしている。学生が卒業する、結婚して遠くに移り住む、仕事に就く、様々な予定があろう。病気や事故、嫌なことだが確率としては当然誰かの身に降りかかる。こればかりは予測不能ななのだ。

来年の事を言えば鬼が笑うと言うとおり、将来のことはわからない。たとえ数日先でも何が起こるかわからない、一寸先は闇なのだ。かといって、あれこれ言ってみてもはじまらないと諦めるのはつまらない。希望だって湧いてこない。だからこそ、見通しを立てて、計画を作り、人は前を向いていく。

一年後の自分よ、あなたよ、どうしてますか?

(ホトケノザもまた来年も咲くことだろう。だが、この個体が残っているかは予測不能)
貫いて愛を全う朝の山 [2020年03月26日(Thu)]

fumihouse-2020-03-26T20_28_25-1.jpg愛することは難しい。人を愛し、物を愛し、行為を愛する。子を慈しみ、他人を温かく思いやり、異性に心引かれる。また何事かの美や価値を認めて愛好する。可愛さ余って憎さ百倍というとおり、条件付きの愛というものは愛ではなく、錯覚にすぎなかったということもあろう。

関脇の朝乃山が大関昇進を決めた。相撲協会の使者に対して「大関の名に恥じぬよう、相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」と口上を述べた。

富山出身の26歳、スピード出世である。横綱の階段を駆け上っていってほしい。そして張り手、要は出会い頭のパンチングで格下を脅すような横綱ではなく、「正義を全う」し「相撲を愛」する大横綱になってほしいと思う。

それは横綱としての正道でもあろう。相撲界の王者として、人間として道理にかなった正しい道を歩んでほしい。

(水仙を眺め愛でる。よき春の昼間)
焦るなよ急ぎすぎるなこんな時 [2020年03月25日(Wed)]

fumihouse-2020-03-25T20_32_15-1.jpg急いで焦るといいことがないもので、一昨日夜の足の挫き事故もそうだったが(幸いに回復した)、取り違えたり、ぶつかったり、落ちたり、吸い込まれたり、ぐらついたり、送信ミスしたり、人違いしたり、いろいろあるんだと心得てはいたものの、鞄に入れたはずのものが見当たらなくて困るという失態をしでかした今夜の私は、ほとほとドジだなあと思ってるけれども、まあこんなこともあるものだと思い直して説明すると、いつもの入れる場所に入れずに慌てて違う場所に入れたんだろうと探し直しをしてみたところ。

(今夜は最後まで一文で済ましたら、気持ちの悪い文になったものだけど、ハクモクレンの白い焔の波は見てて楽しい)
残業はマスク着けるなバスに乗れ [2020年03月24日(Tue)]

fumihouse-2020-03-24T08_08_21-1.jpg疲れていたのだろう。残業してバス乗り場に向かった。余裕はあると思っていたのだが、意に反して停まっていたバスのドアが閉まった。スルスルっと発車して、手を振って追いすがったにもかかわらず、置き去りにされた。しかも暗がりを走ったものだから、段差に気がつかず右足をグキッ! 挫いてしまった。泣きっ面に蜂。気持ちまでくじけそうだ。

毎朝のストレッチでは足首も入念にやっている。くるぶしを捻って20秒、足の甲を伸ばして20秒。比較的柔らかいとは思うので、挫いた瞬間の衝撃は少ない。しかし、ダメージはある。じわじわと患部が熱くなる。くるぶしが突っ張って凝った感じが出てきた。右膝が重くて熱い。痛みはないけれど何か違和感。

冷やせばいいのだけれど、列車のなかではそれもできなかった。落ちた瞬間に踏ん張ったのだろう。右足も変な感じ。たぶん今夜か明日には痛みがくると思いつつ家路を急いだ。トホホの休み明け・・・。

マスクがいけなかった。マスクというやつは気持ちがどこか緩む。口回りの暖気が鼻や目に立ち上る。ゴムと不織布で頬を押し絞めると、ぼやっとする。その証拠にマスクを外して冷気を吸うとシャキッと研ぎ澄まされた感じだ。昨夜職場から出る前に、花粉や黄砂を吸うまいと思って、ポケットから出したマスクを念入りに着けたのも時間を食ったことに原因がある。

幸いに一夜明けた今朝は、歩くと痛みはあるが腫れはない。時間に余裕をもって行動するのが第一だが、マスクに注意である。

(杏の花も咲いている。いい季節、大事な時季だ。焦らず慌てずに、心して!)
偉大なり生の芸術手を伸ばす [2020年03月23日(Mon)]

fumihouse-2020-03-23T20_41_25-1.jpg音楽評論家の林田直樹氏が新型コロナウイルスの蔓延で音楽や演劇活動の空間が閉鎖されていることに対して述べている(『音楽の散歩道』聖教新聞3月18日付け文化欄)。

≪本物の生きた音楽は、手を伸ばせば届きそうなくらいに、すぐ近くで息づいていた。(中略)奪われてみて、改めてそのありがたみが分かる。いつかこの試練が終わり、劇場やホールが再び活気を取り戻したとき、私たちは、ライブな舞台というものを、もっと大切にできるようになっていたいものだ≫

ステキな演奏を聴きたい。軽やかで心踊る音楽に浸りたい。静謐な湖面を思わせる絵画を眺めたい。血沸き肉踊る物語に没入したい・・・生の芸術に触れたら、今はきっと感極まってしまうかもしれない。

(ミモザは黄色い球形のボンボンのような花がびっしり咲く。これも生の芸術だ)
葬式を終えて遺族を思いやる [2020年03月22日(Sun)]

fumihouse-2020-03-22T14_14_45-1.jpg詩人・谷川俊太郎がエッセイにこう書いている(『葬式考』新潮社,平成22年「ひとり暮らし」)。

≪葬式には未来というものがないから何も心配する必要がない。未来を思って暗い気持ちになることもない。(中略)未来があるのは結婚式だけで沢山だ、葬式にまで未来を持ち込まれてはあの世とこの世の区別がどこかへ行ってしまう。せめて葬式のときくらいはこの世の憂さを忘れたいものだと思う≫

葬儀に参列した。輪廻転生、永遠の生命と言っても立証はできないから、故人には「未来というものがない」。それは確かだ。遺族にとっては故人が存在しない寂しい状態での生活が始まる。当分は気持ちにぽっかり穴が開き、歳月を経ても時折空虚に思い出が頭をかすめる。

葬式とは遺族のためのもの。参列者がその場でどんなに言葉を尽くそうとも、遺された家族の助けにはならない。葬儀という一連の大行事にあって家族は気も張っており、ある面大丈夫だ。やがて葬儀の参列者をはじめ親戚の人たちが日常に戻り、周囲に人の輪がなくなる。寂しくなって辛かろうと思う。そんなときに適切に声をかけられたらいいと思った・・・。

(辛夷(こぶし)が満開だ。故人もきっとこの花を知っていたに違いない)
サクラ咲けキットカットを激励に [2020年03月21日(Sat)]

fumihouse-2020-03-21T23_22_14-1.jpg桜は咲かなかった。一昨日の春一番で吹いた南風。気温がぐんぐん上がり桜の蕾がふくらんで割れ、濃いピンクの花びらが見えた。きのうは春一番のあとの冷え込みで一時停止。きょうは風は多少強いままだったが、クルマの温度表示は18℃まで上がった。開花すると思ったが、意に反して開かなかった。明日に期待しよう。

キットカットは、ウエハースをチョコレートでコーティングした棒状の菓子。ネスレ日本が製造する。嗜好に応じて異色の味があり、受験生が「きっと勝つ」ように縁起担ぎに食べる。激励のメッセージを書く枠まである。

写真は『桜日本酒』。ホワイトチョコが桜色に染めてあり、少し日本酒の味がした。桜日本酒の順番を替えると『本日桜酒』。酒を飲もう、桜酒で楽しもう。戸外なら風通しもよいからウイルス感染の恐れは少ない。自粛で飲み会や集まりがなくなってしまうのは、もうウンザリ。少々ハメをはずしたい。「Have a break, Have much SAKE 」
何らかの肯定感を背の軸に [2020年03月20日(Fri)]

fumihouse-2020-03-20T23_09_46-1.jpg職場や家庭、友人との人間関係に悩み、抑鬱気分、不安感や不快感が強いと言われる今の世の中。他人にどう思われているかが第一義。他と比べてしまい自分の良さを見失って劣等感ばかりを刺激する。落ち込んでばかりで、自己肯定感が持てない。そして不眠となる。時には必要以上に動いたりしゃべったりして集中力欠如。考えがまとまらず、恐怖すらも感じて奈落に落ちる。記憶力は低下し、食欲は不振で倦怠感と悲哀感に満ち、自責の念や焦りから希死念慮すら湧いてくる。刺激に影響されやすくなって、泣き濡らしたり興奮することもある。やがて反対に感情の機微を感じられなくなって、鬱の坂道を落ちていく。

恋愛カウンセラーの羽林由鶴氏は次のように述べている(聖教新聞12月27日付けライフスタイル)。

≪周りの評価を気にして、自分の感情にすら自信がない子が多い。親が……、友達が……と振り回され、自分の考えや生き方への不安が、エントリーシートにも透けて出ちゃってる。/だからまず、自分の好きなもの、自我を大事にする訓練をします。悩む人は優しい、真面目、良い人。より完璧を目指す頑張り屋だから≫

肝胆相照らす仲の付き合いができる人、別な表現をすれば、気の置けない関係があると楽になる。自分の思い過ごしを軌道修正してもらえる。わたしは、「悩む」「優しい」人、「真面目」、さらに「完璧を目指す頑張り屋」にはなかなかなれないものだから、せめて「良い人」を目指したい。

(ユキヤナギは悩まない。ひたすら春を待ちわび、春に咲く)
春一番サクラ咲くころ今のとき [2020年03月19日(Thu)]

fumihouse-2020-03-19T20_55_00-1.jpg暑さを感じるほどの陽気だった。太陽が照りつけて眩しい。夕方になると強い風が吹き荒れてやかましい。しかも気温は暗くなってからでも上昇中だ。

きっと春一番。あすは春分の日。ギリギリ間に合った。被害が出ない程度に吹いてくれ。春の嵐くんよ。あすは桜が咲くかもよ。

(沈丁花も満開となったことだろう。香りは今一つだが)
終わりありそれゆえ今が輝いて [2020年03月18日(Wed)]

fumihouse-2020-03-18T19_12_30-1.jpg転勤が決まって考える。この部屋で会議するのはあと何回だろう。このロッカーを使うのもあと何回か、2週間後はもう新職場にいる・・・そんな感傷に浸りながら、仕事の詰めと引継ぎ資料作りに励む。出勤日は残すところ8日。今の仕事の終わりが近い。

では、わたしの日常はずっと続くのか? わたしの生活上の営みは無限に繰り返すことができるのか。そんなことはない。いずれ終わりが来る。何事にも終わりはある。仕事だけでなく、人との別れもある。自分の人生もいつかは終わる。

終わるから空しいとは思わない。何事も終わりがあるからこそ今が輝く。マンネリ化を嘆くことがあるかもしれない。努力が報われず下を向くことがあるかもしれない。だが、諦めなければ明かりは消えない。最後まで今この時は輝く。これは間違いない。

(菜の花は春に輝き、春を輝かせる)
こだまです響く心はこだまです [2020年03月17日(Tue)]

fumihouse-2020-03-17T19_27_21-1.jpg金子みすゞは歌いました(『こだまでしょうか』)。

 「遊ぼう」っていうと
 「遊ぼう」っていう。
 「馬鹿」っていうと
 「馬鹿」っていう。
 「もう遊ばない」っていうと
 「遊ばない」っていう。
  そうして、あとで
  さみしくなって、
 「ごめんね」っていうと
 「ごめんね」っていう。
  こだまでしょうか、
  いいえ、誰でも。

こだまは、樹木に宿る霊や木の精が呼び合うから木霊、あるいは木魂。山や谷、人里離れた場所で開放的になって思わず叫ぶ。おーい、ヤッホー・・・。反響は自分の声ではなく、精霊が返してくれたリフレイン。残響たっぷり山彦くんのお出ましです。

こだまは【子霊】。子どもたちの声を聴いていますか?
こだまは【粉霊】。粉粒のように小さくても心の声を聴きましょう。
こだまは【戸霊】。戸を隔てていても中の人のことを想像できますか?
こだまは【呼霊】。あなた呼ばれてますよ。気がつかないんですか?

寄り添うことは、こだますること。かけがえのない人を美しい珠(宝石)のように大切にしたいですね。まずは言葉を繰り返してみましょうよ。

(白木蓮が咲いてます。白い焔のように連なります。これも木霊の仕業でしょうか)
待つ時と作る時とが転じるや [2020年03月16日(Mon)]

fumihouse-2020-03-16T08_13_43-1.jpg≪時を「待つ」のではなく、時を「つくる」――その姿勢は、私たちの人間革命の挑戦にも通じる。目の前の課題に対して、“チャンス”と捉えて挑んでいくか、“仕方がない”と一歩引いてしまうか。結果はともあれ、“挑戦”を選択し、努力を続けていく人生には限りない充実がある≫ (聖教新聞「名字の言」3月4日付け)

挑戦してきただろうか?と疑う。怠け心や臆病という自分に負けずにやってきただろうか?と問う。現状がこうだから仕方がないと挑戦を怠っていなかったか。やるべきことを押し込めて後回しにしていなかったか。

もちろん過去は過去、過ぎ去ったことだ。だが、生命の傾向性は未来へも続き、性格は簡単には改まらない。生活環境が換わる今こそ、自分を広げるチャンスである。今やるべきことから目を背けず、自分にできることを問いかけながら、挑戦を開始しよう。

(サイネリアも咲くときには全力で咲き誇る。見る人を喜ばすために(たぶん))
演奏の道標なり記号かな [2020年03月15日(Sun)]

FB_IMG_1584253923645~2.jpg和音の進行や演奏記号などの理論を楽典という。楽譜を読むために必要なことを学ぶ。楽譜の文法とも言われるが、主にクラシック音楽や現代音楽で使われる。

メロディを奏で、リズムを刻み、ハーモニーを楽しむ。そのために必要な約束事。音楽の入り口にあっては基本に忠実でありたい。

楽典の【典】の字。辞典の典だ。真ん中の横バーと二本の足は「物をのせる台」の象形。上部の枡形は「書物」の象形。合わせて「神に捧げた尊い書物」となるそうだ。そこから、手本や法則を示す漢字が成り立つ。

五線譜と格闘する。戦う必要はないのだが、初心者には五線譜が指し示す曲の内容を汲み取るのは難儀である。今はYouTubeなどインターネットで音源を聞ける便利な時代だ。それでも楽典を欠いては音楽は成立しない。
入鋏を漢字で書いて読めない [2020年03月14日(Sat)]

fumihouse-2020-03-14T10_34_50-1.jpg遅延証明書である。JR松江駅が2月18日に発行した、2時間遅れを証明するものだ。たった10センチの積雪だったが、湿った雪で倒竹があり列車の進行を妨げた。

「周囲 入きょうしたとおり 列車が遅延しました」と書いてあり、日付の10と8、遅延時間の2時間のところに鋏(はさみ)が入っている。

ハサミは漢字ではふつう書かない。だから【鋏】の字には馴染みがない。鉄道会社も鋏を入れることを漢字ひらがなの混ぜ書きで表すわけだ。

乗車券や入場券に係員が鋏を入れるシーンをとんと見なくなった。それでもこの辺りでは一畑電車が改札で入鋏しているが、裏が黒い磁気キップ、近頃ではICカードで手早く済ます。人間の手でパンチしないということは、駅員との挨拶の機会も少ない。世の中は刻々と変わっていく。
行き交って人よ人よと縁結ぶ [2020年03月13日(Fri)]

fumihouse-2020-03-13T20_32_35-1.jpg集合庁舎の中で他の事務所の人と行き交う。知っている人もいれば知らない人もいる。知り合いでなくても気持ちのよい挨拶をし合う仲になることもあれば、こちらから声をかけても梨のつぶての人がいる(やがて私も気にとめない)。ある人と1日のうち何度もばったり出会って「きょうはよく会うね」。そうと思ったら、そのあと何週間も会うことがない、てなこともよくあること。

職場でも同じことが言えて、何度も同じ職場で働く人がいるかと思えば、職員録に掲載されてはいても名前を知らないのはもちろん、会ったことのない人も多い。人と人との縁は不思議なものだ。

きょうは島根県職員の人事異動の内示の日。替わることはないと思っていたが、思わぬ内示の通告。驚くとともに、今の職場で縁した人たちに感謝する。併せて新しいまだ見ぬ職場の人よ、こんにちは!どうぞよろしく! 四月から新しい縁をつないでいくことになる。楽しみもあるが不安もある。まっなるようになるさ。いや、なんとかしてみせる。

(桃の花も咲いた。新型コロナウイルスになんか関知せず、自然の風物は歩みを進める)
大流行じっと耐えてはデマを消せ [2020年03月12日(Thu)]

fumihouse-2020-03-12T18_40_41-1.jpg耐え忍ぶ世界。地球規模の大流行(WHOもパンデミックを宣言)に多くの人が不安を感じ、流言蜚語が出回ります。愉快犯やお調子者が発したデマ情報を信じた人は、よかれと思って拡散させます。罪に荷担したことになります。よくよく注意しましょう。デマのいくつかを掲げてみます。

【デマ1】花崗岩に殺菌作用がある(大嘘)
【デマ2】27℃の温水を飲むとウイルスが死ぬ(大嘘)
【デマ3】日向で衣服を干すと殺菌できる(大嘘)
【デマ4】鼻水と痰が出る場合は新型コロナではない(大嘘/鼻水と痰は初期症状そのもの)
【デマ5】トイレットペーパー生産は中国中心。マスクと同原料なので供給が遅れる(大嘘だが、デマがまかり通りホントに店頭から消えた。いい加減パニックを終息させたい)
【デマ6】ティッシュペーパーやカップ麺、米まで不足(大嘘/念のための買いだめが拍車をかける)
【デマ7】厚労省が日の丸を印刷したマスクを生産手配中(嘘っぱちだが、あったら面白い)
【デマ8】髭を剃って防御(大嘘)
【デマ9】聖母や聖人の像にキスしても感染しない(大嘘)
【デマ10】牛肉を食べると良いワクチンになる(大嘘)
【デマ11】中国からの手紙や小包で感染(大嘘/長時間は生きない)
【デマ12】コカインはウイルスを殺す(大嘘)
【デマ13】冷たい食べ物を避けると感染しない(大嘘)
【デマ14】アルカリ性の食事は感染を予防する(大嘘)
【デマ15】アオサやビタミンDが効き、紅茶や緑茶で予防できる(大嘘)
【デマ16】アルコールでは消毒不能(大嘘/アルコール消毒剤か、石鹸と水で頻繁に洗うこと)

イランではアルコールを飲むとよいとしてメタノールを飲み、27人が中毒で死んだといいます。イスラム教徒の多くは酒を飲みませんから知識がないのです。可哀想なことをしました。

混乱に乗じて別のウイルスも暗躍します。変なメールやサイトに引っ掛かってコンピュータ・ウイルスに犯されてはいけません。よくよく注意です。

(林檎を食べる時も、よくよく手を洗い、表面も水で流してウイルスを寄せ付けない)
目を閉じて追悼のとき黙祷で [2020年03月11日(Wed)]

fumihouse-2020-03-11T18_24_35-1.jpg職場で黙祷をした。14時46分すこし前に「東日本大震災の犠牲者を追悼するため黙祷を捧げます」と音頭をとって「立てる方はご起立ください」(電話応対中の職員等がいた)と。起立を確認して「黙祷」。14時47分まで1分を計って「お直りください」。協力を謝して終えた。

黙祷って何だろう。無言のまま目を閉じいくらか下を向き心の中で祈りを捧げる。祥月命日を選ぶことが多く、時間は通常1分程度。厳かに静かに死者に思いを馳せる。無宗教儀礼として大抵は集団で弔意を表す。戦乱や大災害、大事故によってたくさんの人が亡くなったあとの弔慰式典において尊崇の念を表す。

日本で黙祷が浸透したのは関東大震災(1923年9月1日)からだという。震災1年後に慰霊祭が行われ、その同時刻に1分間の黙祷がされた。これ以降、全国的に広まったということだ。

(何の種類かは知らないが、3月9日の澄んだ朝に咲くサクラ)
想定ができぬ早さで敵進む [2020年03月10日(Tue)]

fumihouse-2020-03-10T17_44_47-1.jpg≪新型肺炎は、すべてを可視化できると信じる人間への警告だ。見えないものを尊重しないと真の進歩はありえない≫(広瀬浩二郎氏,国立民族学博物館)

そのとおりだと思います。死亡率は低いとはいえ、コビッド19は人類にとって未知の怪物です。抗生物質は効かない、感染者は引きも切らず増える、突然変異で強力化しないとも限らない・・・見えない危険な敵に世界がおびえています。この「警告」に対して私たちは謙虚でなければなりません。

(可愛らしくて美味しい出べそのデコポンのようにウイルスが見えたらいいのに)
追悼し未来に向かう今一度 [2020年03月09日(Mon)]

fumihouse-2020-03-09T20_41_29-1.jpg追悼式典はなくなりましたが、3.11はきます。災害時にトップがなすべきこと協働策定会議が発信した文書があります(平成29年4月)。東日本大震災や熊本地震に遭遇した市町長が著したもので、≪私たち自身が失敗し、もがき苦しみながら重ねてきた経験と教訓≫を、≪被害の軽減につながることを心から祈念し≫、ここに込めたと。

日本は災害列島。常にどこかが被災します。地震、津波、大雨洪水、山崩れ、大雪、大風・・。前例のない事態に翻弄され、多くは批判されます。それでもトップは責任を放棄できないのです。

平時にあってトップは責任を自覚し備えを怠らず、自然の災いを甘く見て油断せず、いざとなれば躊躇は禁物。避難勧告の空振りを恐れてはならないと。なおかつ行政には限界がある故、日頃から自らの判断で自ら命を守る覚悟を住民に求め、指示待ちを排除することだと。

それでも、≪人は逃げないものであることを知っておくこと。人間には、自分に迫りくる危険を過小に評価して心の平穏を保とうとする、「正常化の偏見」と呼ばれる強い心の働きがある(中略)緊迫感をもった言葉で語る等、逃げない傾向を持つ人を逃げる気にさせる技を身につける≫べきであると述べます。

その他、詳細な記録、報道や視察への対応、立ち居振舞いの配慮、ボランティアセンター、住民の悲哀、瓦礫の分別処理、職員が働きやすい環境と感謝の念、職員の休息、制度や運用の改善を訴えることなど、トップとしての心得を説いています。

災害は起こってほしくない。でも残酷にも起きるのです。3.11を機に改めて祈り、考え、自分の出来ることに取り組みましょう。

(山茱萸(サンシュユ)の季節が来ました。弾ける水滴のように、火星人の触手のように春を喜びます)
ウイルスを正しく恐れ対処して [2020年03月08日(Sun)]

fumihouse-2020-03-08T18_15_01-1.jpg新型コロナウイルスは、当面ニュースのトップに居座るであろう。東北でも宮城に次いで福島の牙城が崩れ、中国地方では山陽の3県に狼煙が上がった。島根、鳥取に感染者が確認されるのも時間の問題だ。

ショッピングセンターの客の入りは普段の土日の2割方少ないだろうか。映画館はガラガラ。医院の患者も少なかった。皆が不要不急の外出を最小限に控えて感染に警戒している。

報道が騒ぐのはやむを得ない。政府も本腰をいれて対策に駆け回っている。それでも肌感覚と実際とは開きがある。冷静になってみれば濃厚接触したときの感染率は7%程度、罹患者のうち死亡率はインフルエンザより低い1%。差し迫る脅威は感じない。心理学でいうところの正常化バイアスもあるので、甘く見過ぎるのは禁物だが、騒ぎ過ぎのように思える。

マスクを買い占めてネットで稼いだヤツら。トイレットペーパーやティッシュまでデマを流して儲け代にしようとする輩。撒き散らされた根拠のない噂話に扇動されて動く人。迷惑千万、犯罪並みだ。国内で生産されて在庫はあるのに、流通の問題で遅れているのをいいことに流言飛語がまかり通る。

デマが流される → 信じた一部が買いに走る → 信じないがこのままいくと無くなると予測した者も念のため買う → 一部の店頭から消える→誰かがSNSにアップ → 買い占めに拍車がかかり全ての店から消える

悪循環でもって、デマを流した当事者がシメシメとほくそ笑んだのだろう。「正しく恐れる」という言葉が使われるとおり、デマの温床を断ち切りたいものだ。過剰に恐れるのではなく、冷静に恐れる時なのだ。

(ムスカリも咲いた。異相な春の使者、別名グレープ・ヒアシンス)
持続する彩色バッジ円満に [2020年03月07日(Sat)]

fumihouse-2020-03-07T10_00_56-1.jpg鮮やかに彩色された円形ピンバッジを着用する人を見かけます。SDGs(エス・ディ・ジーズ)の印です。5年ほど前に国連サミットで採択された、持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)のために、2030年までに達成すべき17のゴールを多色化しています。

「持続可能」というと難しそうですが、30年後も今と同様に暮らしていけるのか、100年後も人類の文明が維持できるのかどうかということです。危ないと感じるからこそ、多くの人が取り組むようになったわけです。キーワードは、誰も置き去りにしない(No one will be left behind)。

貧困や飢餓、健康や教育、安全性、エネルギー、働きがい、まちづくり、気候変動と海や陸の話。まさに地球全体の生き残りを視野に置いたゴールです。備忘録としてSDGsの17項目を列挙します。

1.貧困をなくそう
2.飢餓をゼロ
3.すべての人に健康と福祉を
4.質の高い教育をみんなに
5.ジェンダー平等を実現しよう
6.安全な水とトイレを世界中に
7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに
8.働きがいも経済成長も
9.産業と技術革新の基盤をつくろう
10.人や国の不平等をなくそう
11.住み続けられるまちづくりを
12.つくる責任 つかう責任
13.気候変動に具体的な対策を
14.海の豊かさを守ろう
15.陸の豊かさも守ろう
16.平和と公正をすべての人に
17.パートナーシップで目標を達成しよう

奇しくも新型コロナウイルスの拡大によって地球に住む人類は運命共同体であり、世界の課題や方向性は人類すべてに繋がる、という感覚もできているのではないでしょうか。

地球と人類が持続可能になるよう私も微々たるものですが、行動を起こしたいと思っています。〆切はは西暦2030年。時間はあまりありません。

(いたいけな子供たちのために、この世界と地球を守らなければならない)
モンスター幻影見ては恐怖する [2020年03月06日(Fri)]

fumihouse-2020-03-06T18_38_18-1.jpgモンスターとは化け物のことであるが、モンスター・ペアレント(理不尽な学校保護者)やモンスター・ペイシェント(酷い患者)で使われすぎてしまって、原義の意味が薄れてしまった。

化け物とは、異様な姿の妖怪変化であり、得体の知れない薄気味悪さを併せ持っている(この際、超人的な能力をもつ化け物的な人のことは除く)。魑魅魍魎(ちみもうりょう)とも言う。全ての字が鬼偏になっていて、山海の精気から生じて人を迷わすという化け物にふさわしい字である。物の怪(もののけ)とも。人にとりついて祟る悪霊のことだ。

お化けは怖い。スッーと音もなく突然現れて驚かす。真綿で絞めるように苦しみを与え、ときには思いがけない痛い目を遭わす。痛めつけられて恐怖感が強まると、人はやがてお化けがいないのにも関わらず、そこに存在しているかのように錯覚しておびえる。化け物にとっては願ったり叶ったり。祟りの対象をトコトン苦しめて支配することができる。

化け物とは何だろう。人間にほかならない。地球にとっては人間こそ、魑魅魍魎であり、物の怪、悪霊、モンスターなのだ。これ以上地球を怯えさせてはならない。

(花をながめて安らかであれ。モンスターを忘れよ)
観る者のいない客席閑古鳥 [2020年03月05日(Thu)]

fumihouse-2020-03-05T17_56_32-1.jpgオープン戦でホームラン。選手が喜び弾け、ガッツポーズ。大声援が飛びそうであるが、そうはならない。響くのは打球がスタンドの座席に当たって響きわたる鉄筋音とベンチのチームメイトの声援。プロ野球無観客試合。寂しいものである。見つめるのは報道とマスコットキャラクターも含めたチーム関係者のみ。

ラグビー、バスケットはもちろん、大相撲さらに春の甲子園までも無観客で行うという。寂しいことだ。客の応援を受けて燃える選手、声援が沸き立ち、さらに熱くなる一団、思いがけないパフォーマンスも生まれる・・・。いい循環が続かない。やむを得ないことではあるが、張り合いのないこと、この上ない。

(なぜか我が家の沈丁花の匂いは漂ってこない。寒さに当てられなくて香りが弱いのか)
バス停を一つ二つと歩きたり [2020年03月04日(Wed)]

fumihouse-2020-03-04T18_16_39-1.jpg【バス停散歩】 おもしろい試みだと思う。松江市営バスが、こう称して健康ウオークを推奨している。

≪バスに乗っていただきたいのですが、あなたの健康のためにたまにはバス停散歩をしてみませんか!≫と銘打ち、次のバス停までの距離と時間、消費カロリーを表示している。

この掲示に気がついたのは今朝だが、わたしは既に実践している。次のバス停とは言わず、二つも三つも先のバス停まで歩くことが常だ。松江市内循環路線に乗るもので、バス代は一律210円。節約にはならないが、季節の移り変わりを感じつつ、バス停散歩を楽しんでいる。
ふくらんで木の芽うれしや春うらら [2020年03月03日(Tue)]

fumihouse-2020-03-03T18_13_33-1.jpg【木の芽時(このめどき)】がやってきた。木の蕾はふくらみ始め、山は淡く化粧を施したようで、まさに山笑う季節。桜前線が話題に上るのももうじき。この冬は薄くて短かったが、木々ならずともこの季節は嬉しい。きょうの日差しは春そのもの。

希望に満ちる春は反面、寒暖の差が大きく、自律神経やホルモンのバランスを崩しやすい。卒業・入学、就職、人事異動や引越しなど引きも切らず、生活全般が変化する。花粉も飛んでぐちゅぐちゅしてしまう人も多かろう。新しい環境は喜びとともに大きなストレスを引き起こす。

木の芽時という言葉には、体調を崩しやすい時季だから警戒せよとの意味が込められている。春はうつ病や不眠症など発症しやすい季節であるし、情緒も不安定になる。自殺者数が多いのも3月だ。若芽のエネルギーに人間は圧倒されてしまうのかもしれない。

新型コロナウイルスによる世情不安もある。仕事においてモチベーションが下がってしかたないとぼやく人がいた。意識してリラックスタイムをつくり出し、無理をしすぎず、どうぞ皆さんご自愛くださいね。

(紅白斑入りの椿でも楽しんでくださいな)
無理しても笑う門には福来る [2020年03月02日(Mon)]

fumihouse-2020-03-02T18_43_43-1.jpgウィリアム・ジェームズは19世紀末のアメリカの哲学者。頭でっかちにならず、行動することの大切さを説く。

 楽しいから笑うのではない。
  笑うから楽しいのだ。
 We don't laugh because we're happy.
  We're happy because we laugh.

心も身体も動かしていく実戦力で地平を切り開こうとする力強さがある。同類の言葉がある。

 私は幸せだから歌うのではない。
  歌うことが幸せなんだ。

 快活でなくなったとき最善の方法は、
  快活そうにふるまい、快活そうにしゃべることだ。

あれをやっておけばよかった・・・不作為という選択。あとあと後悔するのはこれだ。うじうじと臆病になってはならないと哲学者は言う。

 選択しなければならないのに選択しないのは、
  それ自体がもう選択なのである。

快活に勇気をもって進め! という開拓者魂に溢れた哲学者の真髄に触れたような気がする。この骨太な精神性にわたしは同時代の(数十歳年上だが)詩人ウォルト・ホイットマンと同様のたくましい息吹を感じる。

(青かピンクか、白か。0.5か0.4か。好きなものを選択せよ)
ワンカット人は生きるさひと息に [2020年03月01日(Sun)]

fumihouse-2020-03-01T17_01_41-1.jpg映画を見て、人生はワンカットであることを思い知りました。常に「私」の視点から見た映像で世の中は動き、「私たち」も含めて一人称の感情や体験でもって途切れることなく連綿と続いていきます。

邪魔が入り、怪我をしたり生死の境に置かれることもある。期待に胸踊らせるときもあり、喜びすぎて墓穴を掘ることもある。友の悲しみに泣き、痛む心を他人に癒されることもある。走り、飛び、腹を減らし、喉の渇きに飢える。重い荷物に辟易し、ポケットに忍ばせた愛する人の写真に頬を寄せる。思いがけない攻撃から必死の思いで逃げ、時には全力で相手を打ち倒す。それが絶えることなく死ぬまで続く(睡眠中は除く)のが人生です。

映画『1917 命をかけた伝令』(原題は「1917」)は英国の上等兵ブレイクとウィルが決死の思いで敵陣を駆け抜けて重大な伝令を味方に伝える第一次大戦での半日の物語です。戦争の凄惨さの中に、家族愛を伝え、命を削る戦闘にもヒューマニズムが顔を出します。それが2時間のワンカットに詰め込まれているのです。

主人公の後ろからカメラが追いかけ、横に回り、開けた前方の視界を先取りし、俯瞰して上から眺める。ワンカットが途切れたように見えたのは、気を失ったときと、滝壺に落ちたとき。すごい映画でした。

(春のワンカット。ふきのとうはいい香り)