思い出は時計の針を戻すもの [2019年12月31日(Tue)]
≪時計の針が前にすすむと「時間」になります。
後にすすむと「思い出」になります≫ (寺山修司『思い出の歴史』) 歳末が来て年始になって、旧年の友誼に謝し、本年もよろしくと威儀を正す。もちろん、時計の針が後に進むことはないが、寺山が言うとおり、思い浮かべて過去にひたる、楽しい感傷だ(歯噛みすることもある)。 マスコミやネットで節目がことさらに言われるから、気分一新、世の中すべてが改まったように思ってしまうのだが、実は錯覚だ。ふと周囲を見渡せば日常がそのまま続いている。汚れたクルマはそのままそこにあり、寒くて雨が降るからと掃除しなかった窓は埃がついたままである。 あらたまるは【改まる】、そして【革まる】。節目がかわるときには、気持ちが引き締まって背筋が伸びる。態度もいくぶんか堅苦しい。 年は改まるのではなく、年は改めるものだ。『時間』は時計の針に合わせるというか、先手を打って創りだすものであり、意識して苦闘した時間を振り返ったときに『思い出』となっていくのだろう。さあ大晦日の1日が始まった。 (ナチュラル方式で乾燥させたエチオピア産イルガチェフ。大地を感じさせる渋い甘味があった) |