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尊属が殺しあうのは惨たらし [2018年11月30日(Fri)]

fumihouse-2018-11-30T19_19_08-1-thumbnail2.jpg自分や配偶者の直系血族で親か、それより上の世代を殺すことを尊属殺人と言うが、かつては普通の殺人より刑が重かった(無期懲役か死刑)。40年ほど前に違憲と判断されて、普通と同じく3年以上の懲役または死刑となった。儒教的な倫理観で縛るよりは、法の下の平等が勝るという判断であろう。

尊属の「属」とは所属し従属させられる関係であり、無条件で尊敬の対象としなければならない。そんな儒教的孝養にそぐわない尊属もいる。パワハラ、セクハラ、さらに性的虐待を浴びせる尊属もいるだろう。耐えかねて殺したときに、死刑か無期しかないというのは酷だ。

2016年に発生した殺人事件のうち、55%が親族間殺人だったということだ。家族や親族間の人間関係が危ういと言えるかもしれないが、親子間の葛藤で生じる憎しみは尋常なものではない。そもそも可愛さ余って憎さ百倍になりがちなのだ。横溝正史が描いた凄惨な愛憎劇は、戦後とはいえ特殊な事情ではない。

出雲で母と祖母を殺した事件、数日前は宮崎で一家と知人計六人の惨殺遺体が見つかった事件、ほかにも最近一族の殺人があった。親子間や親族間で本音を出すことが過ぎると、歯止めがきかなくなってむごたらしい結果になるおそれがある。みんな仲良くしろとは言わない。しかし、オブラートに包むか、距離を保って生き延びよう。

(松江路を歩けば、過ぎていく錦秋、名残惜しいなあ。でも来週半ばまでは暖かいらしい)
日の入りに冬の到来寂しげに [2018年11月29日(Thu)]

fumihouse-2018-11-29T07_26_36-1-thumbnail2.jpg国立天文台の暦計算室によれば松江の日の入りは、11月30日から12月11日まで16時55分。秋の日は釣瓶落とし、いや、秋の日は蜜柑の坂落とし(11月3日に書いたとおり)で日が暮れるのが早くなった。仕事を終えて家路につく頃はすでに暗い。そして風は冷たい。

この暗さ、そして雨雪混じりの寒さを耐えしのぐために正月の喧騒があると、わたしは思う。バタバタと歳末をやりくりし、忙しくもゆったりと新年のあらたまった空気を吸って過ごす。これがなかったら、陽光にさんざめく春の温もりが来るまでに、息が尽きてしまうかもしれない。冬は来た、やがて春は巡る。

(先ほど7時4分の東の空。崩れそうだかなんとか雨は降らずにすんでいる。日の出は年末から年始めの中程までさらに遅くなる)
スピーチに15秒なり一区切り [2018年11月28日(Wed)]

fumihouse-2018-11-28T07_14_31-1-thumbnail2.jpgこの夏に出雲工業高校の進路情報紙に寄稿したものを載せる。わたしの学校生活の一端をお見せしよう。

**********
生徒の名前をおぼえることは、先生たちにとっては最初の仕事です。ところが事務方にとって、生徒との接点が少ないだけになかなか難しい。チャンスは掃除の時間にあります。事務室と玄関、ホールのあたりを毎日3年生がやってくれており、私は名前を覚えるように努めています。

さてチャイムが鳴ると終わりのあいさつです。私の場合は生徒にスピーチしてもらっています。毎回一人ずつ15秒間を与え、好きな内容でショートスピーチします。なぜ15秒か。ちょうどいいまとまりなのです。

生徒たちはさまざま話題を提供してくれます。試験勉強の準備が着々進んでいるとか、課題研究のテーマ決定が遅れ気味。あるいはワールドカップでの日本の健闘を引き合いに自分もがんばるとか、18歳になったので次から選挙権があるなど。

社会に出る、進学するといったステップごとに、スピーチの機会は増えます。15秒は相手方に訴えかける最小単位なのです。必要があれば、2単位3単位と積み上げていきます。その15秒を感覚として身につけることは悪いことではないよ、という私の言葉を信じて彼らは毎度つきあってくれます。

スピーチが長過ぎると相手方が飽きるし、しゃべり過ぎだとそしられる。単位を意識できれば、話を締めて相手にコメントの機会を預けるキャッチボールの余裕も出てきます。大人には大切なマナーですね。

それらを理解し実践しようとしてくれる生徒諸君が、学校生活を充実させ、自らが羅針盤となって最適な道を歩んでくれるよう願っています。
幸せに生きる記しに服を着る [2018年11月27日(Tue)]

fumihouse-2018-11-27T07_18_21-1-thumbnail2.jpg若い女性向けブランドの「earth music & ecology」は、次のコピーで有名です。

  あした、
  なに着て
  生きていく?

このほど見た新作コピーでも、宮崎あおいが余情ある表情で(妖艶とも言えるが)、仕事もオフもひっくるめて生きていくことを楽しもう、なかでも着ることを大切に!と表現しています。

  本業、
  幸せでいること。

人間は何のために生きるのか? 幸せになるために尽きるでしょう。しかし苦しみは多い、不快な出来事も頭を悩ます。それでも人間の生きる目的は、つまるところ幸福にあるのです。日々是好日の言葉も、生きることの「本業」は幸福にありと表現していると思います。きょうも幸せを求めて行きましょう。

(山茶花はサンジャカ。サジャンカとならず、サザンカと言われるようになったのは、言葉の響きからか? 呼び名にも幸せを求めて)
考えて考え抜いて善悪を [2018年11月26日(Mon)]

fumihouse-2018-11-26T17_32_33-1-thumbnail2.jpg≪ユダヤ人虐殺(ホロコースト)の実行責任者だったアドルフ・アイヒマン。戦後の裁判で彼が主張したのは“「命令」に忠実に従っただけ”ということ。何百万人もの命を奪った男が裁判で見せたのは、自分の頭で善悪を判断しない姿だった(中略)自身の生き方を問うことを忘れ、「善を為す」という勇気を失った時、私たちは人間の生存を奪う悪にさえ加担しかねない、ということだ≫(聖教新聞〈名字の言〉11月15日付け)

同じく聖教新聞の四コマ漫画「ちーちゃん家」で、こたつをいつ出そうかと、スマホ検索したジイちゃんに対してバアちゃんは怒る。「あんた、そんなことも自分で決められなくなっちゃったの!?」と。

ひとのことは笑えない。ネットに頼り、他人の評判を木にして自分で決断できない。五感に自信がなくて他人の目や感性を当てにする。なんたる情けなさ。チコちゃんになら、「ボーっと生きてんじゃねえよ」と叱られる(きっと叱られたい人はいるだろうな)。

自分の頭で考えてみよう。考えたことを、少しでも実行してみよう、悪いことならばやらないでおこうと多くの人が強い意思を持てば、アイヒマンのような愚かな命令執行者はいなくなる。

(銀杏の大木もきっと考えている。もっと伸びるべきか否か、黄の色合いをどうしようか、と)
日日になお重ねて好きよ日よりかな [2018年11月25日(Sun)]

fumihouse-2018-11-25T18_00_39-1-thumbnail2.jpg『日日是好日』は美しい映画であった。茶道という作法は形式から入り、やがて内実に心を込めて、もてなし、励まし、未来の希望をわき立たす。20歳の典子(黒木華)が暦が二巡するうちに成長し、困難を乗り越えていく基礎にお茶がある。この世にはすぐ分かるものと、長年かけてじっくり育んでいくものの二つがあると。即答ばかりを求める現代に、長期の視野で身体で覚えさす納得の生き方を提示してくれるかのようだ。

『日日是好日』は美しい映画であった。典子が幼さの残る学生から一人前の女性として美しくなっていく様子を描く。おねんねから大人へ。好奇心に満ちた目の輝きを保ったまま、素敵に年を重ねたのが好ましい。多くの場面で主人公に共感して涙をもよおす。

『日日是好日』は美しい映画であった。格別に絶景が広がるわけではない。舞台の多くが武田先生(亡くなった樹木希林)宅の庭に面した座敷である。掛け軸、茶器、茶菓子、和服、庭、暑さ寒さなど季節の彩りが静かに豊かに描かれた。派手ではないが日本の美に目を見開く。日日は即ち是れ悲しみも喜びもすべて堆積なり。好い映画が見られて嬉しく思う。

(季節の彩り、日が当たれば紅葉は鮮やかに光り、雨が降ればしっとり落ち着く)
11月の善き日が過ぎて大山の [2018年11月24日(Sat)]

fumihouse-2018-11-24T21_08_18-1-thumbnail2.jpg『11月のある日』は、作曲家の連想した秋であろうか。草木が色づき落葉がすすむと肌寒い。色が失われる冬に向かって寂しさもある。出会いや別れ、多くの思いを秘めて静かに秋は深まる・・・。

キューバ出身のレオ・ブローウェルが作曲したこの曲。アレクサンダー・ガラガノフ演奏会(安来アルテピア小ホール)でアンコールで弾かれた一曲が『11月のある日』。CDで聞くのとは違う生演奏の迫力。静謐にしてダイナミック、最上のギターの音色を聴かせてくれた。

「すぐれたギターほど美しいものはほかに考えられない」(ショパン)

演奏会に先だって、門脇康一ギター教室の発表会が行われた。わたしが演奏したのが『11月のある日』。アレクサンダーさんの演奏とは比較にならない出来ばえ。美しいとはお世辞にも言えなくてお恥ずかしい限りであるが、数十年ぶりにクラシックギターの音色に惹かれている。アルテピアから見えた極上の冠雪した大山が、わたしを祝福してくれた。

(わたしが11月のある日に撮影したムカゴの生る山芋の葉と蔓)
質問は新たな出会いの玉手箱 [2018年11月23日(Fri)]

fumihouse-2018-11-23T11_44_02-1-thumbnail2.jpg会議や会合で質問することがあります。講演会でも質疑時間がある場合もあります。説明者や演者にとって、自分の説明なり論説が、情感的なことも含めて評価の対象となり、どんな質問が飛び出すかわからない・・・緊張のひとときです。

ところがどうでしょう。会議や講演によってはせっかくの質問タイムに手が上がらないことがあります。内容は資料を読めば分かるからさっさと終わってくれや!という空気を感じるときもありますが、主催者が時間がないと称して質疑の時間を設けないケースがあります。面倒な質問に右往左往したくないのかもしれません。

講演会でせっかくの質問時間に手が上がらないのは、もったいないと思います。講演がよほどつまらなかったのなら別ですが、演者にたいして失礼になるではないですか。皆さん御一緒に!のメンタリティにあっては、皮切りの質問者は恥ずかしい、こんなこと聞いたら変だと思われやしまいか、と二の足を踏んでいます。ですから主催者はサクラの質問なり、意見陳述者を用意しておかなければなりません。

質問によって演者は刺激を受けます。話しているときは一方通行ですが、質問を受けると別の思考スイッチが入ります。新しいものが生み出される可能性があります。質問者が知りたい情報を新たに得るというメリットは当然あるのですが、演者も自身では思ってもみなかった思考のきっかけに出会うのです。こんな会合や講演会の場に臨めたときは、とても嬉しく感じます。

(ダイヤモンド・リリーのような鮮やかな質問をしてみたい)
鳥取と島根の位置を教えてよ [2018年11月22日(Thu)]

fumihouse-2018-11-22T18_49_42-1-thumbnail2.jpg島根県はどこにある? 場所がわからない人が多いらしい。東日本ではその傾向が強いが、私たちだって栃木県と群馬県をまぜこぜにするから、どっこいどっこいだ。

先日、星がキレイに見えるというので星取県を標榜する鳥取県の広告で、島根を指して鳥取だと表示してしまったものだから、少しだけ騒動になった。広告代理店の無知と鳥取当局のチェックミスにご愛敬! 蟹取県もそうであるが、鳥取県知事は宣伝上手で島根はとてもかなわない。

島根県はどこにある? という話題で、かつて私は自虐的に冗談を飛ばした。「世間は鳥取県の西は山口県で、広島県の北は日本海だと思い込んでいる」と。やり過ぎたかな?

今夜も山陰線の鈍行列車には縁結び女子がたくさん乗っていた。神在月に多くの人が来てくださる。「知る人ぞ知る、島根県」。それでも、いいんじゃないかな。

(コキアは今年もピンク色の紅葉が見事。枝や茎を乾燥させると箒のようだから、別名は箒木)
異状なし西部か頭部かどちらとも [2018年11月21日(Wed)]

fumihouse-2018-11-21T18_52_47-1-thumbnail2.jpg第一次世界大戦の西部戦線において、ドイツ軍の若い志願兵たちを描いたという『西部戦線異状なし』。残念ながら映画も小説も見てないのだが、題名を「頭部戦線異状なし」ともじったのは、哲学者の黒崎政男氏である。

頭の髪が抜けないよう努力されたとか。その結果、頭部後退阻止作戦の最前線に異状なし、というわけだ。ネットで画像を拝見すると、額は広いけれどもそれなりに豊かな髪を保っていらっしゃる。努力の賜物である。

私のじいさん(早くに死んだので会ったことはない)はハゲている。父もハゲだ。おのずと遺伝する。幼いときから私の額は広かった。禿げる確率は高い。

結婚して数年たった頃からだろうか。育毛剤入りのヘアトニックを使うようになって数十年。幸いに額は禿げ上がらず、頭頂部も無事だ。白髪が目立ってきたのはご愛敬。わが頭部戦線も異状なし。

(ヤツデの花が咲いた。真ん中に白金をまぶしたような品のいい花)
これからは風邪引き防止さわるまい [2018年11月20日(Tue)]

fumihouse-2018-11-20T22_31_56-1-thumbnail2.jpg風邪や感染症を防ぐには、手洗いとうがいの励行が一番だと言われるが、眉唾ものだと思っていた。手を洗っても、ただトイレのドアを開け閉めするだけでも、手は菌やウイルスだらけ。元の木阿弥だ。どこもかしこもからだに悪いものが浮遊し、皮膚や衣服に付着する。手洗い、うがいでは効力がないと思うからである。マスクをしても隙間から雑菌は入ってくる。抵抗力をつける以外に、手の施しようがない。

保健室で養護教諭が教えてくれた。確かに手洗いもうがいもマスクも万能ではない、それでもマスクをしていれば粘膜(唇や鼻)を自分の手で触ることを防げる、手を頻繁に洗えば菌やウイルスの数が減る、おのずと感染する確率は低くなる、なのだそうだ。

あらためて口や鼻の周り、唇を触らないように気をつけよう。口に手を入れるとか、鼻をほじるとか、論外だ。このことは今から始めるべきこと(止めるべきことか)だ。風邪は引きたくないものさ。

(今朝7時の空。雲がピンクやオレンジに染まって好きだが、冬そのもの)
割りたまふ68万淋しかろ [2018年11月19日(Mon)]

fumihouse-2018-11-19T19_45_09-1-thumbnail2.jpg島根の人口が68万人を割った。10月1日現在の推計人口が1年前と比べて5042人も減ってしまった。今年の4月1日に書いたとおり、神在月に出雲に集結する神々の定員を増やすため、神たちが出雲地方の人口増に一役買うはずではなかったのか。神々は嘘つきだ! あっ違った。エイプリルフールの話だから、嘘つきはわたし(-.-)Zzz・・・)。

社会減は収まっていても(官民を上げた努力の賜物)、自然減が止まらない。高齢者が多いから死亡数が多いのはやむを得ないとして、出生数が5千人を割り込んだ影響は大きい。

それでも神を迎えたという出雲には、女性客を中心に多くの観光客がひしめいている。交流人口、関係人口の増には大きな力になっているのは確かだ。神々よ、がんばってくれたまえ。

(風になびくススキが一本、二本。寂しい晩秋の風情)
まず二島日本の人たちどうあがく [2018年11月18日(Sun)]

fumihouse-2018-11-18T13_45_35-1-thumbnail2.jpg民法では、他人の不動産の占有(=自分のものとして使ったり宣言すること)を始めて以降、善意で(=知らなかった)無過失ならば10年が取得時効となる。すなわち自分のものになる。悪意で(=知っていた)過失があっても20年たてば所有権を取得できる。プーチン大統領の言いぶりから思い出した。

北方領土の返還は日本にとっての悲願である。しかし、悪意の(=ポツダム宣言受諾後理不尽にも奪い取った)ソ連に盗られてから70年以上、ロシア人にとっても愛すべき故郷と化した。シンガポールでの日露首脳会談では、交渉を加速させるよう両首脳が話し合った。

そのあとプーチン大統領はこう言い出している。1956年の日ソ共同宣言では、両国の平和条約締結後、4島のうち歯舞と色丹の2島を日本に引き渡すと書いてあるが、引き渡すだけで主権がどちらにつくかは明記されておらず慎重な議論が必要だ、と。もちろん日本側の認識は、引き渡し=領土返還である。

引き渡して占有は認めたとしても、所有権は別物。こんな理屈を考え出してくるとは、恐るべしプーチン。前途は険しく長い。

(山茶花が咲き乱れる冬。北方四島交渉は冬だが、交渉のテーブルが用意されただけでも、よしとしなければならない)
選択を許されざるを許すまじ [2018年11月17日(Sat)]

fumihouse-2018-11-17T22_18_22-1-thumbnail2.jpg毎日は選択の連続である。やる・やらない、行く・行かない・・・私たちには選択肢がたくさんあり、より良き選択をすることによって人生が開くと思っているし、現実にそうだ。しかし、過酷な運命に翻弄される人にとってみれば選択肢はない。運命に導かれるようにして悲劇的結末に飛び込んで、不幸せが連鎖していく。

映画『ソフィーの選択』は、選択がひとつのテーマ。それに併せて、アウシュビッツをはじめとした強制収容所で亡くなった人々への鎮魂の物語であった。

天才的な闊達さで対人関係を如才なく切り盛りし、その博識に周囲が舌を巻くネイサン。一方で彼は病的に躁鬱の浮沈が激しく(のちに病気であることが明かされた)、狂暴な愛憎表現がソフィーと友人スティンゴの二人を心配させ、恐れさせ、振り回す。

ソフィーの美しさ(若いメリル・ストリープははかないほど美しい)が際立つ。悲劇的な美である。運命に抗うことをしなかった。なぜなら、ふつうのポーランド人でユダヤ人ではないのに、強制収容所に収監され、二人の子供を助けられなかったからである。生き残ってしまったがゆえに、自分が幸せになることを許せなかった。ソフィーに恋心をもった年若いスティンゴ。不安定な三角関係も観る者を不安に陥れる。

選択肢はある、希望は残っている、あなたの命を繋ぐために努める人はどこかにいる。そんな人生観を、諦めきって目の光を無くした人々に届けたいと思える映画であった。

(情の深い人々の赤い血潮ではない。わたしの赤いスマホケース)
晩秋の朝に寒いと愚痴を言う [2018年11月16日(Fri)]

fumihouse-2018-11-16T07_21_45-1-thumbnail2.jpg冬が来た。出雲の気温は、いま4℃。明け方にはもっと冷えていたことだろう。わたしの通勤も冬になった。マフラーを巻き、手袋をつけ、冬用の帽子をかぶって駅まで歩く。

長期予報が暖冬だっただけに油断していた。でもやっぱり寒い晩秋はやってきた。北海道でも初雪がいつもより何十日も遅かったと報道していたが、あくまで平均との比較である。やっぱり初冬は寒い。本格的な冬もすぐだ。

去年と比べて気温が高いといっても、一年も前の気温をからだが覚えているわけはない。昨日より一昨日より寒いとか暖かいとかの比較の問題だ。寒い寒いと愚痴を言う。手がかじかんでペンがうまく握れないとか、文句を言うのは仕方のないことさ。

(赤い真珠。南天の実が日に映える朝は気持ちがよいものだ)
風邪ひきに抗菌薬とは如何かな [2018年11月15日(Thu)]

fumihouse-2018-11-15T17_53_12-1-thumbnail2.jpg風邪に抗生物質は効かない。患者の3割はその処方を望むのだそうだ。昨年風邪をひいて医者に行ったとき、抗菌薬も出しましょうか? と尋ねられ、否と。風邪のような症状であっても病原菌が原因で不調となっている場合もありますよと。でも、要りませんと答えた。総合感冒薬では期待したほど早く症状は治まらず、やっぱり抗生物質をもらえばよかったと、後悔した私であった。

先日の報道によると、抗生物質が風邪やインフルエンザに効くと誤解している人が5割もいるという。医者も患者の希望どおり処方するのが約6割。効きもしない抗生物質がたれ流されている。薬漬けにして保険点数をとると言われる日本の医療ではあるが、抗生物質は大して高額ではないし、副作用もそんなにない。よって処方してもいいのだろうか。いや違う。

抗生物質の使い過ぎで薬剤耐性菌が広がり、世界中で少なくとも毎年70万人が死ぬという。必要もないのに使ったり、処方されても飲みきらないと、強力な耐性ができる。免疫力が落ちた人に感染すると命は危ない。

「あの先生は薬を出さない」と噂されやしないかと心配する向きもあろうが、風邪には抗生物質は効かないと訴え続けなければならない。この際日本人が得意な「皆さん、ごいっしょに!」が有効だと思う。厚労省が中心になって周知するのがよろしい。

(青空のもと満面の笑みを浮かべた皇帝ダリア。風邪を引かずに元気な冬でありたい)
薄橙雲の合間に冬の色 [2018年11月14日(Wed)]

fumihouse-2018-11-14T07_24_49-1-thumbnail2.jpgきょうの出雲では、日の出が6時42分、日の入りは17時03分。太陽が顔を出してから隠れるまでに10時間21分である。明るくなってくるのと、暗くなるのが30分前後にずれるから、朝は6時過ぎに始まり、夜は17時半にやってくる。実質11時間あまりの昼間にやっておくことは多い。

きょうの気圧配置は弱い西高東低。北国や山間地では雪が降っている模様。これで木枯らしでも吹いたときにゃ、手袋、マフラー、コートが欲しくなる。冬は来た。

きょうの出雲の朝は幸いに薄橙色に染まった雲の合間から日が射して、空は澄んでいる。しかし、冬型。いつ雲間から雨が落ちるかはわからない。折りたたみ傘は今時分の必需品。

(今時分咲く枇杷の花は、寂しい気分になる冬の入りを象徴するかのようだ)
島根だよどんなもんだい美肌なり [2018年11月13日(Tue)]

fumihouse-2018-11-13T18_37_29-1-thumbnail2.jpg美肌ランキングで島根県がトップに返り咲いた。2位の秋田県を引き離して、数年ぶりの第1位。ポーラ化粧品が数十万人のスキンチェックのデータから各県ごとに美肌偏差値を弾き出し、毎年この時期に発表する。まさにビッグデータの面目躍如である。

「しまねの女性は肌がきれい」。じろじろ見るわけにはいかないので、私にはよくわからないが、客観的にデータとして示されたことになる。

肌に潤いがある、マイクロダストに強い、ニキビができにくいの項目でダントツの指数を弾き出しての返り咲きである。当然、シミもシワもできにくいだろう。化粧のりがよいに決まっている。気候がいい、生活習慣もいい。条件はそろっている。

島根の女性たちよ! 今後もトップを保ってくれたまえ。髪や化粧にも気をつかうのはもちろんのこと、立ち居振る舞いや歩き方にも注意して、ますますその美人度を磨いてほしい。

(まさに島根の女性たちを彷彿とさせる花。これは芙蓉だろうか。もっと綺麗になあれ)
大丈夫イエスかノーかはっきりせい [2018年11月12日(Mon)]

fumihouse-2018-11-12T18_02_11-1-thumbnail2.jpg【大丈夫です】と言われると、何が大丈夫なの? どう大丈夫? と尋ねたくなります(実際はツッコミをいれないが)。からだの具合を心配している時に、大丈夫と応えてくれたのならいい。イエスかノーかで尋ねているのに、【大丈夫です】はしっくりこないのです。

大丈夫とは、立派な男子のこと。堂々たる偉丈夫のことです。それがいつのことか、危険や心配がない状態を保証する意味になったのかは知りません。

そこから派生して、「よろしいですよ」という受け止め方になったのは、まだいい。「いいえ、要りません」「やめます」と拒否の意味になると混乱するんです。イエスもノーも曖昧なまま【大丈夫】なんですよ。前後の言葉から判断するしかないのでしょうね。

【大丈夫です】は、若い人だけが使うものだと思っていましたが、近頃は年配者も使うようになりました。ますます混乱に拍車がかかりそうです。これも言葉をオブラートで包む日本人の特性なのでしょう。

考えてみると【大丈夫】だけではありません。「結構です」「よろしいです」。前後の脈絡によってイエスにも、ノーにも変化する言葉じゃないですか。英語を混じらせて「オッケーです」とすると、不思議と曖昧さが消える。イエスにしか解釈できません。

日本語を母国語としない人のための日本語教室では、断るときに否定とも肯定とも両者に解釈できる言葉は使ってはいけないと教えていると聞きました。言葉は難しいですね。

(これは毛糸ですか、それとも鶏頭の花ですか? これは分かりやすい。花でした)
ローンにて君の未来を開けや開け [2018年11月11日(Sun)]

fumihouse-2018-11-11T07_49_28-1-thumbnail2.jpg  あなたの“未来”応援します。

国民政策金融公庫が手がける、国の教育ローンのポスターが駅に掲示されている。制服を着た高校生の男女。ブレザーと赤ベースのレジメンタル・タイを締めた二人は満開の桜の元で柔らかな笑顔で並ぶ。足元には水溜まりが広がっており、そこに映っている二人は未来の姿だ。

男の子は警察官に、女の子はナース。国のローンを得て、多くの人のために貢献する仕事に就いてほしいというポスター製作者の意図が見える。もちろん、真面目にローンは月々返してほしいという意図も。

わが国の未来をしっかり開いてくれたまえ。そのことは他人のためならず、全てあなたを開いていくのです。応援するよ!

(社会に貢献するといっても自己犠牲を強いてはならぬ。オフタイムにはぬくぬくと暖まり、好きな人とクリスマスを過ごしてほしい)
非常時のために忍ばせチョコレート [2018年11月10日(Sat)]

fumihouse-2018-11-10T07_59_20-1-thumbnail2.jpg僕の鞄には夏以外、非常用にチョコレートが忍ばせてある。列車が立ち往生して長らく動かないときのために、事故でどこかに閉じ込められて救助を待つときのために、仮に血糖値が下がって気分がすぐれなくなったときのために・・・。

家に帰り着くまでに時間があるが、腹がへってグーグーいっている。“非常時”だからチョコを食べる。

知り合いがいた。おひとついかが?と一緒につまむ。“非常時”だから食べる。

生徒会選挙の立会演説をやった出工生に出会った。ごくろうさんとねぎらってチョコをすすめる。“非常時”だから食べる。

喫茶店でコーヒーを飲む。甘いものが食べたいが、ケーキセットにするまでもない。これも日常ではない“非常時”だからチョコを出して食べる。

こうした“非常時”を積み重ねて、チョコは数日でカラになる。非常時が積み上がると、それは日常になる。いつものことになってしまって、僕はチョコを食べきる。あぁ美味しいなぁ。

(ミルクチョコレート色の栗の実だ。マロングラッセも、モンブランも美味しいが、鞄に入れておくわけにはいかないな)
億万の長者になって不幸せ [2018年11月09日(Fri)]

fumihouse-2018-11-09T17_18_52-1-thumbnail2.jpg映画『億男』は笑えない。高橋一生(九十九)と佐藤健(一男)、このコンビが学生時代からの親友同士を演じ、大学落研の高座で場内を沸かせたが、わたしには笑えない。10年たって、九十九は一男の3億円を持ち逃げしていたからである。

カネを持つことの意味、カネという人間界にのみ通じる記号が主人たる人間をいかに苦しめるかを矢継ぎ早に描いて、観る者にのし掛かる。妻役の黒木華も、あの優しいほころびた笑顔を見せてくれなかった(最終シーンの笑顔でやっと救われた)。

カネは人を変える。カネ持ちが過ぎるのはもちろんのこと、カネがなくても愚かしく振り回されて、人は自分らしさを失う。自分らしさというけれど、醜い本性が見えて崩れていくだけ。

一男は兄に背負わされた3千万円の借金を抱えて苦しんでいた。そのせいで妻(黒木華)と小学生の娘と一緒に暮らせなくなったと嘆く。妻は、カネに翻弄されて人格が変わってしまった一男に、嫌気がさしていたのだ。カネが手に入って借金を返しさえすれば元の幸せが戻ってくると、一男は信じていたのが愚かしい。

しかし、一男は自分のバカさ加減に気がついた。悔し涙を流して途端にどんでん返し。一男は再び3億円を取り戻した。親友・九十九の滋味あふれる行動の意味を知ったのだった。

九十九は、人生を豊かにするために必要なだけのお金があればいい、そんな意味合いのことを言った。お金は欲しい、でも必要なだけ。昔のひとは言いました。少欲知足・・・欲は少なく、足りることを知れと。飽満な贅沢は人間をダメにする。

(暖かい光を投げかける温かいデザインのランプシェードの元で読書をする、お茶を飲む、語らうとはなんて幸せなこと)
小春日の臭いとともにブーンブン [2018年11月08日(Thu)]

fumihouse-2018-11-08T20_12_54-1-thumbnail2.jpgわっしょい わっしょい わっしょいしょい ♪
祭りだ祭りだ 楽しいぜ ♯
寄ってけ 寄ってけ 楽しめや ♭
そこのけ そこのけ カメムシ様の お通りだい ♪
俺たち行くとこ人間は 避けてあっちへ行きたまふ ♪
この秋 俺たちゃ大繁盛 何が儲かるんか 知らねぇが ♭
仲間が多くて 楽しいや ♪
わっしょいしょいの わっしょいしょい ♯
この暖冬に 生き延びよ ♭
寒さ押し寄せ 家の中 暖房ヌクヌク 羽休め ♪
来春待って またブンブン ♯
楽しい楽しい 虫の日々 ♪
槍出せ 角出せ 臭い出せ ∝∽
冬が立ち今年の暮れが見えてきた [2018年11月07日(Wed)]

fumihouse-2018-11-07T17_33_06-1-thumbnail2.jpg暖かな朝、きょうは立冬
目覚ましで起きてもまだまだ暗い立冬
暖冬予報のとおりの毎日で10月上旬並みの立冬
寒風を覚悟して外套類を用意する立冬
昼はポカポカでも早朝は身がひきしまる立冬
朝と夜は暖房が欲しくなる立冬
風邪ひきのマスクが目立つ立冬
二学期末試験を視野にいれてる高校生も立冬
街路樹の枯葉が歩道に舞う立冬
冬立ちて師走も近い焦ります
菊花展があちらこちらで盛りの立冬
徐々に天気は下って雲の合間から太陽が覗く立冬
列車内のスチームが暑く感じる立冬
今年2018年も7週間余りとなった立冬
稲刈り後の稲株に生えた穭(ひつじ)が伸びた立冬
4つの台形・オリオン座は見えないであろう立冬

  立冬や上衣のボタン外しけり  ふみハウス
重い人軽いノリではしゃべれない [2018年11月06日(Tue)]

fumihouse-2018-11-06T18_10_50-1-thumbnail2.jpgはい!ダメっ! と鋭い語気で叫ぶオッサンがいた。地域の祭りで、回るガラガラから赤い外れ玉が出てくるのは、わたしと妻にとっては残念なこと。

一方で、年の頃は50代半ば、ごま塩ひげ面のオヤジにとっては、その日何千回も見てきた同じワンシーン。オッサンにとっては、毎度のことで愛嬌のつもりか、元気よく、はい!ダメっ!と言った。私にとっては嫌味たっぷりの感じの悪いオッサンでしかない。

ガラガラ程度であればいいのだが、これが重要なサービスをつかさどる職種であれば目も当てられない。不治の病の宣告を何百回とやってきた軽いノリでやられてしまったら、その医師が患者に与えるショックたるや想像もできない。学校の教師が冗談のつもりで生徒を中傷したとしたら、即不登校になってしまうかもしれない。

綸言汗の如し(りんげんあせのごとし)、覆水盆に帰らず(ふくすいぼんにかえらず)、とも言う。言葉は大切に使おう。思いやりは常に忘れずにいこう。

(曇りの予報だったが午前中は晴れ間が続いた今朝の出雲市内。百合の木の紅葉が空に映える)
似ていても不昧と不味は大違い [2018年11月05日(Mon)]

fumihouse-2018-11-05T21_38_50-1-thumbnail2.jpg不昧(ふまい)の字を見ると、不味いと読んでいけないのだが、松平不昧公は島根にとって、美味しい人だ。『没後200年 大名茶人 松平不昧』展へ行ってきた。

18世紀末の出雲藩・松平治郷は、古今に伝わる茶道の名品を熟知し磨かれた鑑識眼で選び、贅を尽くして蒐集した。むろん、財政改革を成し遂げたからこその贅沢である。

不昧と称し、優れた感性と知性で禅と茶を極めた。地元の陶芸を育てもした。そのコレクションが「雲州蔵帳」として結実している。いわば不昧流茶道具ランキング帳である。

国宝・大井戸茶碗。鈍い光沢をたたえてアクリルケースの真ん中で鎮座している。轆轤回しで製作されたものだろうが、対称ではなく歪みがある。釉薬をかけてできた貫入(釉のひび模様)や欠け目に使い込んだであろう茶渋があって、わび・さびを感じる。

今や美術品として飾られるだけの名品となった。使われるうちは生きているが、一部の人が独占する。一方、美術館だと公開されて誰もが眺められる代わりに死んでいく。普遍性と独占性は相いれない。

不昧公お手製の豆腐の墨絵が掛け軸になってあり、歌が詠まれている。
  世の中は まめで四角で和らかで
   とうふのやうにあきられもせず

なかなか茶目っ気たっぷりの人のようだ。「昧」は暗くてよく見えない意。転じて愚かで考えが足りないとなる。「不昧」はその反対で、自信過剰の人なのか、それとも戒めとしての号なのか。江戸の昔とはいえ、まだ没後200年。意外と不昧公は近いところにいる。

(犬蓼の花。食用にはならない。別名は、ツブツブ状から赤まんま。赤飯に見えなくはない)
神々が集うこのつき神が在る [2018年11月04日(Sun)]

fumihouse-2018-11-04T21_39_45-1-thumbnail2.jpg歴博(古代出雲歴史博物館の通称)で企画展『神々が集う〜神在月と島根の神像彫刻』が開催中です。旧暦神在月の由来を文献で示し、出雲で造られた神像の数々を展示しています。

平安末12世紀の歌人・藤原清輔による『清輔奥義抄』にはこうありました。少なくとも900年前には貴族の間では出雲に神々が結集することが常識となっていたわけです。

≪十月 天下のもろもろの神 出雲国へゆきてこと国に神なきかゆへにかミなし月といふ≫

室町時代15世紀の辞書『下学集』には出雲大社の文字が見えます。そして神有月と。

≪十月ニ諸神皆出雲ノ大社ニ集ル故ニ神無月ト云也 出雲ノ国ニハ神有月ト云也≫

イザナミの神が10月に死んだのが神在月の起源となったとも言われています。イザナギとともに日本列島を産んだイザナミですが、火の神を産んだため焼死。黄泉の国へ迎えに行ったイザナギ。イザナミは腐敗してウジ虫だらけの姿を見られて鬼となりました。

ほうほうの体で地上界に逃げ戻ったイザナギ。二人は別離した・・・ならば出雲大社の主神はイザナミかと思いきや、オオクニヌシになったのは何故? つじつまの合わないところは神話によくあることです。追及するのはやめましょう。神在月というイリュージョンが文章化され、既成事実となります。神楽や謡曲を通じて世の中に広まっていきます。

有名な仏像に比べれば稚拙な神像が、展示場にはあまたあります。神の画は僧形であったり、女神であったり、龍や蛇の姿をしています。でも多いのは仏像や仏画に連なる造形です。かつては神仏習合であり、神も仏もごっちゃにしていたのです。

それは置いて、こうした習作のような造形がたくさん残っているということは、出雲の民衆に神を敬う文化が浸透し、裾野が広がっていた証拠。豊かだったのでしょう。出雲は大したものですね。さて、もうすぐ神在月が始まります。

(出雲大社参道入り口にある菊花展の小菊。菊は平安朝のころに中国から伝わってきたという。つまり神話の時代には無かった。神無菊、なーんてね)
秋の日は釣瓶落としが古過ぎて [2018年11月03日(Sat)]

fumihouse-2018-11-03T09_38_53-1-thumbnail2.jpg「秋の日は鶴瓶落とし」 秋の日が沈むと夕闇はあれよという間にやってくる。司会、俳優として引っ張りだこの笑福亭鶴瓶も、油断すると秋の日没のように忘れられることを戒める言葉・・・てなわけはない。

『秋の日は釣瓶落とし』 井戸水をくむときに使う釣瓶。縄や竹竿を手で引っ張り上げる、または滑車に掛けて引き下ろす。いずれも手を離すと重力に引かれて落ちていく。水面に落ちてパッシャーン。あまりにも速い。秋の夕暮れが早いことに例えて釣瓶落とし。

しかし、釣瓶など今は使われない。秋の夕闇が早いことを例える言葉、釣瓶落としに代わる表現はないものか。

秋の日は月の陰陽(空気のない月では陰は極寒地獄、陽は灼熱地獄)右向き三角2️つまらん!

秋の日は猿股落とし(オッサンが履く猿股のゴムが伸び切って人前で落ちた】右向き三角2️例えになってない!

秋の日は星屑落とし(流星が次々落ちていく)右向き三角2️流星のあと辺りの様子は変わらない?

秋の日は瓦職人屋根落とし(油断すると瓦職人も屋根から落ちて怪我をする)右向き三角2️縁起が悪い∝∽

秋の日は蜜柑の坂落とし(買い物帰りにミカンの袋を坂でぶちまけると転がり落ちる→追いかけて息が切れる→探すうちに日が暮れる)右向き三角2️語呂は悪くない!

今朝は濃霧。列車も遅れた模様。晩秋のよくある朝の光景だ。日が高くなると秋高し。空は青く高い。蜜柑が坂を転がる前に秋の日を楽しもう。

(姫蔓蕎麦(ひめつるそば)は金平糖状のピンクの花が咲く。葉っぱも少し紅葉してきた)
冬の色お天気マークが変わるとき [2018年11月02日(Fri)]

fumihouse-2018-11-02T20_44_01-1-thumbnail2.jpgNHKテレビの天気予報で天気マークが替わっていることに気がついた(鈍い、遅い、と笑うなかれ)。

【晴れのち曇り】は、太陽から矢印が出て雲に向かう。反対に【曇りのち晴れ】は、雲→太陽だ。移り変わる天気がうまく表現されている。

【晴れ時々曇り】はどうか。雲の前面に太陽が描かれて、晴れが主だったことがわかる。【曇り時々晴れ】だと、雲が太陽を半分隠して日当たりが少なそうだ。

雨と曇り、晴れの関係も同じように立体的に描かれて一目瞭然で、天気のイメージができて素晴らしい。もちろん一日ごとに予報は更新されて、期待が外れたり、ホクホクになったりするのは、昔も今も同んなじだ。

(冬に色づいた宍道湖。今週は寒かった。来週、雨ののち暖かい日が続くとか)
今まさに厳しき冬へ向かう秋 [2018年11月01日(Thu)]

fumihouse-2018-11-01T17_35_51-1-thumbnail2.jpg今まさに秋。

穀物が実る「秋」。危急存亡の秋(ときと読み、生き残るか滅ぶかの分かれ目)、すなわち「秋」は大事な時。春秋に千秋、歳月を経て齢(よわい)を重ねる「秋」。そこで盛りを過ぎて終わりが見えた「秋」。

秋の字は、禾+火+龜でできている。亀は省略されて消えてしまったが、「禾」は稲や粟(あわ)の穂先が茎に垂れる象形、「火」と「龜」は炎で亀の甲羅をあぶり割れ目で豊凶を占った象形。

きょうは澄んだ空が広がった。夕暮れの西の雲は茜色に染まっている。色づいた欅の葉が歩道に落ちている。桜の病葉が乾いて風に舞う。11月1日、世は晩秋の趣きに染まった。北国ではすでに雪の便り。ああぁ冬は近い。

(小菊は秋の象徴か。寒風吹き荒ぶころも咲き続ける健気なやつら)