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寒さ来て地球の奇跡歓喜なり [2017年10月31日(Tue)]

fumihouse-2017-10-31T18_07_02-1-thumbnail2.jpg夜中に寒さを感じて目が覚めた。今朝の出雲は7℃。この秋一番の寒さだ。晴れて過ごしやすい昼間となった。気温は18℃と程よい。2月前には25℃を超える熱帯夜となって、私たちを苦しめたものだ。その差20度ほど。冬がきて出雲ではマイナス2℃を下回ることもある。その差は大きく思えるが、わずかな違いでしかない。

宇宙に視野を広げると、大気がほぼない月では、マイナス170℃から110℃までの寒暖差があり、人間は凍結し沸騰してしまう。太陽でみると表面温度は約6千℃。内部はもっと高くなり、中心は約1500万℃と想像もできない。

地球の平均気温は15℃だという。太陽光と太陽からの適切な距離、自らの大気のおかげで生物が生まれ進化できる気温を保っていられるのは奇跡といえる。

今夜も高気圧に覆われて晴れ、放射冷却で冷えるだろう。大陸から寒気も流れこんでいる。寒くなるけれど、地球の奇跡に歓喜しよう。感謝すれば愚痴など出てこないかもしれないね(やっぱり寒いけど)。

(花が咲くのも奇跡。その美しさを愛でることができるのも奇跡)
習俗を新たに生んでハローウィン [2017年10月30日(Mon)]

fumihouse-2017-10-30T22_21_05-1-thumbnail2.jpg明日はハロウィン。この10年で定着したとはいえ、わたしも含めて冷ややかに眺める者は多い。実施中のYahooアンケートが証拠だ。「あなたはハロウィーンのイベントやパーティーに参加したことがありますか?」

2万近くの投票のうち、92%が「ない」と回答した。無作為抽出ではないから精度は低いが、ひとつの目安にはなる。

古代ケルト人が収穫祭で悪霊を追い出して運気を呼ぶために始まった。現代では英語圏、特に米国で盛んなお遊びとなった。カボチャお化けの「ジャック・オー・ランタン」を飾り、子供が仮装し近所を回っては菓子をもらう。

日本では真夏の商戦とクリスマスの間を埋める時季に10月はちょうど良い。景気の下支えのためにも悪くない。店頭や街中が装飾でにぎやかになり、人の流れが盛んになる。若者がハレの日に羽目を外すのも大目に見ればよろしい。散らかしや乱闘が過ぎれば犯罪として取り締まればよいではないか。むしろ、異相の風俗を元にして、新しくて若い文化が生み出されたら嬉しい。

(ユリオプス・デージー。白粉をまぶしたような蕾が好きだ)
大恩か世界平和か佐吉の愛 [2017年10月29日(Sun)]

fumihouse-2017-10-29T16_06_06-1-thumbnail2.jpg大一大万大吉の旗印。小さい一人なれども万人のために幸福をもたらすことは正義なり。石田三成はそう考えた。

頭が切れて先が読める。実務では格段の能力をもった男。近江出身だけに秀吉存命中から三河出身者とは反りが合わなかったが、死後は徹底的に嫌われた。冷たかった、他人を機能としてしか扱わなかったからである。太閤殿下の恩寵に応えて秀頼様に統一天下をお譲りするまで、家来は機能を果たせばよいと考えた。人間は感情の動物であることは眼中になかった。

映画『関ヶ原』は、謹厳で真っすぐなところが以前に描かれていた三成と同じだったが、三成の人物像に焦点を当てて岡田准一が三成になり切っていた点、ひたすらに太閤の恩義に応えきろうと努めた姿に感動を覚えた。

ただし、それが正義であると考えたところに難点がある。大一大万大吉を実現させること、民衆に戦争のない平安な世界を実現することを真の目的と考えるスケールはなかったのだ。

司馬遼太郎原作の小説「関ヶ原」を原作にしているとはいえ、映画『関ヶ原』では視点が違っていた。小説では家康率いる東軍が上杉討伐と見せかけて西軍を陽動した。下野・小山で三成憎しで全軍を統率し、西へ向かう。その間家康がいかに西軍を攪乱したか。そこらへんにハイライトが当たっていた。映画では、天下分け目の戦いまでは淡々と描かれる。周知の事実は結構省略されて、三成の太閤恩義の赤誠と、天下分け目の戦いの壮絶さを中心に描く。

ここまで戦国の戦闘を描いたものを知らない。雑兵が戦う。一人ひとりに表情がある。怖れおののき逃げ腰の兵がおり、奮闘し敵をなぎ倒す者もいる。敵の将を取り囲み、槍でくし刺す。敵味方入り乱れての戦いなのだが、部隊が違えば敵であっても知らぬ顔。味方が窮地に陥っていても知らんぷり。近代とは全く違う戦争の姿があった。

三成に付くか、家康に付くか。小早川秀秋の逡巡が興味深く描かれていた。伊賀者の女(有村架純)と三成の愛が、三成の人間味を表して巧みだったと思う。
恋してる本に恋して目を細め [2017年10月28日(Sat)]

fumihouse-2017-10-28T22_26_13-1-thumbnail2.jpg 本に
 恋する
 季節です!

昨日から2週間の日程で始まった2017年読書週間の標語である。恋の字は赤、本と恋と季節は二回り大きい活字を使っている。

絵もステキだ。平積みにされた本に囲まれて若い男女が椅子に座っている。女の子はおさげ髪にして膝の上に広げた本を置いている。細めた視線の先は本に向かっておらず、片手で眼鏡を直している。小休止といった風情。セーラー服のリボンは赤茶系。本の表紙は同じく赤茶で微妙なグラデーションで濃緑にかわっていく。詰め襟の学生服の男の子は色白で繊細な感じ。文庫本に見入っている。

両者は平積み本の内側で背を向けて座っているが、心は通じあっているようだ。よく見れば本はハート型に積まれている。恋している、ホントに本に恋してる。そして二人も恋しているのであろう。

日本は世界有数の本を読む国なのだそうだ。電子メディアが活字文化を蹴散らして、本を読まなくなったと言われるが、まだまだ健在だ。情報伝達の主役はネットに取って代わられたが、人間性を育て想像力を高めるために、本が重要であることは論を待たない。暮らしの中に読書を忘れないようにしたい。

ポスターの中の若い二人も気持ちを通じるために言葉を交わし合ったはずである。自分の気持ちを伝えるために、粋な言葉で相手の心をつかむために、相手の言葉を理解するために、二人は読書で力をつけてきたに違いない。
3年の日記に代わり振り返り [2017年10月27日(Fri)]

fumihouse-2017-10-27T19_38_37-1-thumbnail2.jpg3年や5年日誌を書く人も多いであろう。去年の今ごろは何をしていたか、ズバリわかるのだ。同じ年中行事であっても、少しは違いがある。心身の具合によっても周辺環境の違いでも異なるものだ。巧まずして振り返りができるという点でいいツールだと思う(わたしは使わないが)。

Facebookは勝手にそれをやってくれる。「過去の思い出を振り返ってみましょう」と。タップすると、去年の同日から4年前までの投稿が写真とともに掲示される。長らくやっている人であれば、「今日の分はこれだけです」の文末まで延々と思い出にひたれるだろう。

あれから1年?、もう2年?、3年たってしまった?と感慨深い。写真は代わりばえしない。記事だって同じような中身で書いている。投稿後に振り返り記事が出てくるから後の祭り。昨日初めて話題にしたことだと思っていたのに、3年前の今日ほとんど重なる内容を書いていたこともある。それはそれで面白い。同じようでも微妙にタッチは違う。変化し、少しは進歩したと思っておこう。
夢の中あれよあれよと朝がきた [2017年10月26日(Thu)]

fumihouse-2017-10-26T18_11_00-1.jpg夢のなかにいた 目覚ましが鳴る
ここはどこだ 今いつだ
眠たい まだ夜中 布団の外は寒い
もぞもぞと起きようとして 逡巡する
暗い 外は真っ暗
日の光とともに起きた夏が懐かしい
太陽が顔を出すのが遅すぎる
再び目覚まし スマホが鳴りだす
ミとソを穏やかに繰り返す音階 また鳴りだした
第一報から5分経ったのだ
眠りを誘う緩やかな波のように穏やかだ
このまま誘われては後悔する
エイやっと布団を跳ね上げて
朝が始まった

(穏やかに波をうつ衣装。眠りを誘うような)
虹わたる虹はわたれぬ端と端 [2017年10月25日(Wed)]

fumihouse-2017-10-25T07_19_12-1-thumbnail2.jpg虹わたる
虹は渡れない
虹がわたる
右の端から左の端へ
ぐるりと半円できあがる

雨あがる
いや雨はあがらない
起きがけからしとしとしと
今は霧雨
傘さした

虹がわたる
縁起がよいか良い日なり
何をよしとするのかは
人それぞれに
十月二六日木曜の朝

(露か霧か雨粒か。週の中日の雨の朝)

追伸 ふと気がつくと今日は10月25日(水)。少し心配な朝。
モノクロは温かいのかホラーなのか [2017年10月24日(Tue)]

fumihouse-2017-10-24T21_26_36-1-thumbnail2.jpgホラーのような曲調で始まったモノクロ映画。黒澤監督らしい陰翳のはっきりした画面から、時代への批判精神にあわせて、恵まれない人々への温かい目が感じられました。麻薬取締法以前には覚醒剤中毒者の巣窟があったと聞いたことがありますが、捜査に入った刑事にヤクをくれっと迫る様子はゾンビそのものでした。

完全犯罪を目論む貧乏研修医の竹内(山崎努)は、綿密に抜かりなく金持ち権藤(三船敏郎)を追いつめます。極秘に動いた警察も戸倉警部(仲代達也)を中心に憶測で動くのではなく、膨大な捜査対象を綿密につぶしていきます。その両者を支えてサスペンスを面白くするのが綿密なる脚本でした。加えて壮大な人間ドラマを描くのです。

人命か金か、人道か権力か、葛藤が描かれます。権藤と妻(香川京子)との葛藤、人違いで誘拐された子の親・青木と権藤との葛藤、権藤とナショナル・シューズ重役たちとの葛藤や対立、警部と見えない誘拐犯との対決・・・見応えのある展開です。最終場面で竹内の死刑が確定します。権藤に面会した竹内は不敵な笑みを浮かべて語ります。やがて権藤邸を天国に見たて、自分は地獄の側で嫉妬の火を燃やしたことを述懐するのです。突然竹内が金網に掴みかかり絶叫したシーンは圧巻でした。

映画『天国と地獄』は白黒なのですが、唯一色がありました。身代金を運搬した鞄が燃やされてピンクの煙が出る、そこだけフィルムを着色してあったのです。事件解決の糸口となったシーンを劇的にするために全体をモノクロにしたのでしょう。

令夫人の香川京子が美しいマダムを演じました。シーンごとに衣装がかわります。着物姿が2回、ワンピース1回、ノースリーブのワンピースが1回、純白(たぶん)のブラウス姿が1回。カラーだったらもっと目を引かれたと思います。グレース・ケリーがヒッチコックの『裏窓』で見せた華麗な衣装、品があって端正なたたずまいを思い出しました。

同時に思い浮かべたのです、高校の同級生のことを。先日の同窓会では出席がかなわなかったものの、細身で背が高く、静かで優美な雰囲気をたたえた在学中の彼女を思い出しました。年を重ねて今会ってみたいと思ったのでした。

(モノクロ映画を思わせる落ち着いた色調の照明。蔵カフェおもひで屋の店内は温かみがたっぷりある)
買い付けて私のものだと美術館 [2017年10月23日(Mon)]

fumihouse-2017-10-23T17_48_22-1-thumbnail2.jpg美術館で鑑賞して気に入った絵画や彫刻を買い付けるなんて思いもしなかった。むろん空想であるが、エア買い付けと称して筆者は、買うという視点で主体的に作品に向き合うと見方が違ってくると述べる(藤田令伊氏『美術館・アートの楽しみ方』聖教新聞10月23日付け)。

そのほか氏が紹介される、ディスクリプション(作品の情景を説明する)、引っ掛かり鑑賞(ざっくり全体を見て気になった作品を中心にじっくり見る)、五感をフル回転鑑賞(香りや温度、音、匂いをイメージする)も参考になる。

わが家ではどの部屋に飾るのか、友に贈るとすれば誰それにはあれがいいとか考えるのも楽しいと。作品にタイトルをつけたり、作中人物にセリフをしゃべらせてみることで鑑賞を深める方法も紹介された。

静かで薄暗い館内で見続けるのは、思いのほか緊張を要し疲れる。時間切れになると終わりのほうはサラッと終わらせてしまうこともある。こんな方法を実践すれば、入場料の元が取れるかもしれないね(そもそもその発想が不純かも)。

(小菊は蕾ではピンク色。開くにしたがって淡くなる。開ききると象牙色とピンクが混ざって品よく散らばる。中央部の黄色い雌しべ部分も開くにつれて薄くなり、同心円状の突起が不思議に幾何学だ。背景の闇もコントラストがあってよろしい。そんなふうに小菊も美しい)
徴あり懐かしくて久しくて [2017年10月22日(Sun)]

fumihouse-2017-10-22T23_21_43-1-thumbnail2.jpg出雲高校同窓会『久徴会』総会に昨夜は参加。3年に1度、地元の面々が集まる。1000人以上はいたように思う。私の同級生も10人ほどおり、先輩方や知り合いとも旧交を温めた。

昨夏、出雲高校が甲子園に出場したことは創立以来の快挙で、近年中にひかえた100周年記念式典に大きな花を添える。私が1年生のころ夏の高校野球決勝で浜田高校に惜しくも敗れたことがある。その頃の応援団長だった2つ上の先輩と話をした。

快進撃する中で邇摩高校と当たり出雲は勝った。団長の声が今でも耳朶に残っている。「よーくやった、よーくやった、邇摩高〜」。おざなりに敗者を哀れむエールではなかった。真っすぐに健闘をたたえ、君たちの戦いぶりは見事だった、誉めたたえる雰囲気に満ちていた。どんな応援をし試合の内容はどうだったのか、記憶は残っていない。何十年たってもそのエールだけは心に残っていることを話した。

すると先輩は会心の友に会ったかのような笑みを浮かべた。主力の多くは仁摩中学校の同級生だったのだそうだ。多くは邇摩高に進学し、甲子園行きを夢み努力を重ねた。高校は違ってもそれをよく知るだけに感無量のエールをおくったのだと。心のこもった言動は人を感動させる。そのことを思い知った夜であった。

今日午後から風雨が強くなって、開票速報を見るテレビの音を大きめにしないと聞こえにくい。台風21号から遠い出雲でもこんなに影響がある。中心の気圧は945ヘクトパスカルと非常に強い勢力を保ち、最大瞬間風速は60メートル。久徴会が昨日で良かった、ラッキーだった。

(出雲高校の裏山の久徴園にも黄色の清々しいツワブキが今咲いていることだろう。この石蕗は出雲工業高校の駐車場脇のものだ)
独占し後ろめたさに譲る人 [2017年10月21日(Sat)]

fumihouse-2017-10-21T07_30_30-1-thumbnail2.jpg あの座席
  座りたいけど
    座れない

JR西日本の乗車マナーキャンペーンでポスターに書かれた575です。近頃増えました、声をかけるという関わりを避ける面々が。ポスターには窓側に座った女の子が傘を通路側に立て掛けていて、別の子が見ているイラストが描かれています。声をかければいいんです。ここいいですか?と。大きな鞄や荷物を置いている人ですら膝の上に置くなとして退けてくれます。傘などなんの支障もありません。でも、ひと声かけるその手間を煩わしく思うのと、隣に接近して座るくらいなら立っていた方がまし、という思考があるのでしょうね。

 スマホ客
  画面見続け
    周り見ず

スマホに夢中になる、傘や荷物を置く。乗客が増えてきたにもかかわらず、そのままの状態を続ける者は拒否しているのです。ここに座るなよと。でもふつうの人なら独占していることに少々後ろめたさを持つものです。だから、いいですか?と声をかければ退かしてくれる。これがふつうです。ただし例外もありますよ。そうした輩にカラマれたら大変です。君子危うきに近寄らず…。

(タンポポの綿帽子のように丸く円満に、声をかけていけばいいのではないかな?)
おもひでに懐かしきかな夕闇の [2017年10月20日(Fri)]

fumihouse-2017-10-20T22_54_41-1-thumbnail2.jpg上質の思い出がある。折にふれて脳裏をよぎり、機会あるごとに温かいものが心を満たす思い出がある。忘れ得ぬ出会いと交流が思い出となって人生のページを飾る。モノや文章や景色と一緒になって誰それが思い出される。静かな田園や林間はその場としてふさわしい。

出雲市・塩冶の一角にこの店はある。企業組合 おもひで屋が主催する蔵カフェ『おもひで屋』はそこにある。ふと、一人入った月曜日の夕方(つまり今夕)、私はおもひで屋と出会った。

ガラスの引き戸を開けて店に入ると品のいい温かい光と薄暗さが同居している。家一軒分はある白壁の大きな蔵を改造してある。静かなたたずまいだ。いらっしゃいませ、と接客する若い女性は自然体。立ち姿が整っている。むろんのこと傲岸さなど微塵もなく、かといってホスピタリティを満々とたぎらせているわけではない。気負いのない微笑みがあった。安らぐ笑みである。

奥から出てきた主は女性。品のいいたたずまいはカフェの雰囲気と見事に一致している。企業組合 おもひで屋の中心者としてこの7年、走ってこられた。着物を仕立て直して洋服にすること、そしてカフェの経営について話を聞かせてくださった。素敵な二人は親子である。

大きな窓から見える中庭にはトネリコが植わっており、明かりに照らされていた。トネリコはハリー・ポッターシリーズのロン・ウィーズリーが使っていた魔法の杖だ。釣瓶落としの秋の夜はあれよという間にやってくる。夕闇の中の照明に光るトネリコは幻想的だった。

上質の着物や帯であってもタンスの奥に忘れられたものがある。それに息吹を注ぎ込んで洋服として再生させる。古民家の雨漏りのする蔵をカフェとして再生させる。服とカフェを媒介にして人と人とをつなげ、縁を再生させる。さらには地域の再生にも関わっていく。再生をテーマとして、おもひで屋の事業は緩やかだが着実に歩みを進めている。

蔵カフェ おもひで屋を出ると、秋明菊 (しゅうめいぎく)が暗がりに楚々と咲いていた。花が終わると綿毛が出てくる。この秋の思い出を胸にかの花も冬を迎えるのだろう。
冬きぬと目にも鮮やか見えすぎて [2017年10月19日(Thu)]

fumihouse-2017-10-19T23_05_21-1-thumbnail2.jpg今日の出雲の最高気温は18℃。今朝の最低気温は13℃。起きると上着を羽織った。朝身支度にネクタイを締める。防寒にちょうどいい。霧雨が時折降ってきて、風に当たるとやっぱし寒い。

明日の予報は曇りのち晴れだが気温は21℃止まり。衆院選当日は雨で22℃まで上がっても、翌週中盤以降は冷え込んで、最低気温が10℃を下回る予報。冬がひたひた攻めてくる。先週は気温が高くて汗を拭っていたのに、これいかに。負けじとワシはここにあり、と冬が主張する。

冬と夏とのせめぎ合い、しばらく前までいい具合に秋を楽しんでいたのに、これ如何。このまま冬が来るとは思わぬが、じわりジワリと季節は進んでほしいもの。穏やかにさりげなく、季節よ気候よ、過ぎてくれ。

(ピラカンサスが真っ赤っか。たわわに実って真っ赤っか)
バラックとモノクロ生活戦後かな [2017年10月18日(Wed)]

fumihouse-2017-10-18T18_23_44-1-thumbnail2.jpg1981年封切りのこの映画。舞台は昭和31年(1956年)。水の都・大阪の面影はなく、汚れた川のほとり。バラック建てに近い古いうどん屋兼住居に少年は住んでいる。原作は宮本輝の小説。重い内容だ。見終わって珈琲で一服しながらゆっくり語り合う気分にはなれないが、感慨深い。

少年の両親は戦中、戦後のもやもやを今も抱えながら生きている。堅実に生計を立ててはいても、朝鮮戦争の特需景気に沸く世間とは無縁に生きている。父にとっては遅くできた子供で一段とかわいい。それでも溺愛することなく適度な距離感で生きている。

小学生の少年にしてみれば少々早すぎる思春期への突入。まだ貧しい戦後の暮らしがそうさせたのだが、宿船で二人の幼い子と暮らす母親。家事一切は10才そこそこの娘に任せて自分は板一枚隔てた隣部屋で売春業をしている。母役は加賀まりこ。綺麗であか抜けた美女だが魂の抜け出た空虚感。幼い姉弟と仲良くなった少年は残酷な現実を見て大人びていった。

映画『泥の河』は戦後72年の現代にあっては想像すらできない喜怒哀楽が詰まっている。濁り汚れた河のように気持ちが沈殿していくのが感じられた。モノクロ映画とするにふさわしい。

(伯耆大山のブナの巨木。長い長い歴史を刻んでいる)
輿論とは世論にあらず世の中の [2017年10月17日(Tue)]

fumihouse-2017-10-17T17_54_05-1-thumbnail2.jpg世論(よろん)とは、社会の現象や問題について世間一般が抱いている意見のことですが、この衆院選でも報道機関が票読みのための世論調査をやっています。もともと輿論(よろん)という言葉がありました。

【輿論/よろん】人々の議論または議論に基づいた意見
【世論/せろん】世間一般の感情または感情から出た意見

多過ぎる漢字を日常的に制限するため、使用の目安として戦後すぐの昭和21年に定められたのが当用漢字(今の常用漢字に相当)です。輿論は以後新聞記事などで使われなくなり、代わりに世論(せろん)を「よろん」と読ませてごっちゃにしてしまったのです。日本語変換が簡単にできる今となっては、漢字使用の目安とする意味はありません。難しい漢字はフリガナをふればいいのですから。

世論は感覚的な一時の意見で、輿論は議論や熟考の末持ち得た恒常的な意見という区別は明快のようでよくわかりません。わたし自身のことを考えても、報道や情報を見聞きするたびに二転三転、ころころ変わってしまいます。自分の頭で考えたようでベースにはテレビやネット、噂話から聞きかじった断片が入り込み、純粋に事実のみを取り出して自分で考えることなど不可能です。

それでも政治は比較論です。絶対的なベストはありません。あちらを立てればこちらが立たずという世界です。よりましな方を選ぶことにいたしましょう。棄権もひとつの選択肢ですが、土俵に乗らないことには何も始まりません。期日前投票するのもよし、当日投票所の雰囲気を味わうのもよし、政治参加の権利を逃す手はありません。その上で開票速報を楽しむことにしましょうか。

(紫蘇の花は思い思いに咲くようで、人間には皆同じように思われる)
人ひとと人はひとひと人ひとひ [2017年10月16日(Mon)]

fumihouse-2017-10-17T00_07_25-1-thumbnail2.jpg人だかりがある
ふつうの人混みではない
人泣かせの渋滞で通りを歩けない
人一倍止まることの嫌いなわたし
人いきれがムンムンしてきた
人怖じせずに話しかけようぜ
人がよいのもいい加減しといたら
人が変わったように背筋が伸びてしゃんしゃんしてる
人柄は立ち姿と歩く姿にもあらわれる
人里離れた隠れ家で
人知れず日々を暮らす
人違いの郵便物が届いたら宛先不明で送り返す
人使いの荒いアイツともおさらばだ
気をつかいすぎ人疲れになっちまった
人付き合いに疲れたときにはリポビタンD
人づてに聞いたけどあんた結婚したんだってな
人手が足りぬ人の子ならば人を出せ
このろくでなし人でなし
戦い済んで人心地がつく
天高く馬肥ゆる人恋しい秋の夜
人なつっこい微笑みに人の情けが身にしみる
人並みにおごれや1.7320508
人の口には戸は立てられないけれど人の噂も七十五日
人を呪わば穴二つ報いは己を殺すもの
人は石垣人は城情けは味方仇は敵

(松江・水燈路にタイアップして県庁庭園・結いとうろの夜)
伝統の色はとりどり日本の美 [2017年10月15日(Sun)]

fumihouse-2017-10-15T22_21_45-1-thumbnail2.jpg薄紅のコスモスが風にゆれる
利休鼠の雨が降る
鈍色(にびいろ)の冬の空から雪落ちて
空木の別名は卯の花色の名のとおり
真綿色したシクラメンはすがしい
藤田嗣治の裸婦像は乳白色の肌
こんがりと狐色なり料理本
グラスにそそぐ琥珀色のウイスキー
明治以来文明開化は煉瓦色
遷宮の出雲大社は檜皮色
栴檀の花はさわやか初夏の楝色(おうちいろ)
夏のおいしい野菜の茄子紺
津和野の鯉に菖蒲色
みずみずしい若草物語に若草色よ
ティーグリーン微粉末なり抹茶色
苔むしてモスグリーンとは苔色の
柳に風の柳色
ラピスラズリはフェルメールの瑠璃色
秋色の雲を追いかけ空色と水色
紺色をジャパンブルーで応援す
千早ぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは

(カリンの実が秋空に映える)
注意されキレて止まって殺人者 [2017年10月14日(Sat)]

fumihouse-2017-10-14T16_30_02-1-thumbnail2.jpg東名高速で追い越し車線に停止した車が追突されて夫婦2人が死亡した事件。進行を妨害して車を止めさせた25才の男が逮捕された。男は夫の胸ぐらをつかみ、車外に引き出そうとしたところに大型トラックが追突したという。手前のパーキングエリアで、進路をふさいで駐車していた男を夫が注意した。怒った男が追いかけて走行し事件に及んだ。

45才の夫が若造に対して、どういうふうに注意したのかは知らない。妻や娘2人の前でどんな口ぶりで呼びかけたのだろうか。厳しい口調でルール違反をとがめたのか。今となってはわからない。逆上した男に正確な記憶など残ってはいまい。たとえ「すみません邪魔ですよ」と柔らかく言ったとしても、次の論考からすれば逆恨みは避けられない。危険なヤツはキレる。

≪この国では「他人を傷つけず自分も傷つかない」ことこそ、あらゆる行為を支配する「公理」である。したがって、われわれ日本人は他人から注意されると、その注意の内容がたとえ正しいとしても、注意されたことそのことをはげしく嫌う。その他人は私を傷つけたからであり、「思いやり」を欠いたからであり、日本的行為論の「公理」に反する暴挙に出たからである。(中略)だから、それにもかかわらず注意されるとき、われわれは激怒するのである。注意した相手をはげしく憎み、恨み、場合によっては殺すのである≫  『<対話>のない社会〜思いやりと優しさが圧殺するもの』(中島義道,PHP新書,2003年)

他人から注意されるとカチンとくる。家族であっても他人であっても…。非を認めたくなくて「そんなんわかってる!」と強がる。自分もそうだから自ずと他人には注意できない。緊張を避けて逃げる。著者の主張は明快だ。男は他人から注意を受けて傷つけられた瞬間に、迷惑行為をしたことなど忘れ、被害者に転換した。復讐するのは当然だと体が行動したのだろう。

そんな日本文化にあっては、管理者や圧倒的強い立場の者に注意することを委ねる。お上に頼るメンタリティになる。管理者が望むようにやってくれないと、傍若無人な無法者がその場を支配する。勇気ある発言者はおらず誰もが口をつぐむ。そしてますます、皆さんご一緒に、というムードをかもし出す社会になっていく。

(無法者を囲う鋼鉄のドームは残念だがない。高松市繁華街の丸亀ドームは長く広いアーケード街の象徴的存在だ)
四十万孤立無援に海の端 [2017年10月13日(Fri)]

fumihouse-2017-10-13T18_05_21-1-thumbnail2.jpg戦闘はない、静かだ、初年兵の友について街路に出た、敵はいない、突然の銃声、銃弾が壁や地面に突き刺さる、仲間が倒れても助けられない、ひたすら逃げる、影に隠れて小さくなっている、かろうじて味方陣地に逃げこんだ、爆撃音が遠くに聞こえる、爆撃機の飛行音、ただ伏せる、爆弾が炸裂する、機銃掃射が友を貫く、こっちへこないでくれ、破裂音は今度こそここへ、目の前で爆発、飛び散る土砂、怖さを感じる余裕もない恐怖、独軍に包囲されて逃げ場がない、英軍と仏軍合わせて40万、艦船が救出に来てくれる、制空権を奪われて艦は撃沈された、怖いよ家に帰りたい、祖国を求めて?誰でもいい助けて、どうしたら帰れるのか、母さん父さんねえちゃん兄さん、死にたくないよ、戦いたくない、怖いでも生きたい、敵はどこにいる? 逃げろ、逃げられない、叫べ、どうしようもない・・・・

遊覧船の船長がドーバーを越えて戦場にむかう。かなりの年配だ。その年にしてなぜ戦場にむかうのだ? 船長は答えた。「私と同世代が始めた戦争で若者を死地に向かわせた、責任がある」と。そんな義勇と責任感を満載した船がドーバー海峡を進む。英軍の要請に応えたこともあるが、小さな民間船が何百隻(千?)と集まった勇気の救出劇。30数万人の将兵を救ったという。それがナチスへの反撃のきっかけになったのだ。映画『ダンケルク』には美しい夢のような映像はない。しかし人間の善性は美しいことを示してくれる映画である。

(戦場にはこんな無防備な笑顔はない。平和な笑顔が楽しい。讃岐のJR高松駅)
見たものとキレイなものに本質が [2017年10月12日(Thu)]

fumihouse-2017-10-12T22_10_45-1-thumbnail2.jpg島根県立美術館で開催中の「夢の美術館」で見たエドガー・ドガの言葉。

≪見たものを写すことはとても有意義である。そしてさらにずっと良いのは、もはや記憶の中でしか見ることのできないものを描き出すことである。想像力と記憶が共に作用して生じる変化が重要なのである。感動させたもの、すなわち本質のみを表現するのだ≫

記憶を留めることは難しい。特殊能力をもつ人なら別だが、記憶はあやふやで場合によっては脳が勝手に創作していることだってある。だから描き出す。画家が見たものをカンバスに写し、写真家はフィルムに残し(今はメモリ)、随筆家は原稿用紙に文字を書き連ねる(今はディスプレイ)。数学者は数式を書き留め、音楽家は聴衆の耳に忘れがたい印象を残す。

それでも「感動させた本質のみを表現」することが、どんなに難しいことか。そもそも、本質を示しているのかどうか。真実はどこにある? 想像力で結びついたそれは独りよがりではないのか。絶対的な答えはない。それでも自分自身の心を震わせたものだけを表現していくうちに、本質に行き当たると信じよう。

(香川・高松のレグザムホールの壁画は元気がよい。これもまた作者の心に行き当たる本質なのだ)
生徒会告示が過ぎて論戦を [2017年10月11日(Wed)]

fumihouse-2017-10-11T18_09_27-1-thumbnail2.jpg昨日はあたしの学校の生徒会選挙、告示だったわ。選挙戦が始まりました。主流派と対抗して、仲間たちと目下奮闘中ですよ。あいかわらず今の会のリーダーを辞めろって声は大きかったけど、このままいくことにした。だってそうしたいんだもん。

ところで昨日は衆院選の公示。テレビもネットもにぎやかね。投票日は22日で、あたしたちの選挙と同じ日。不思議な一致よねぇ。誰かが言ったの。あたしは東京都知事の小池さんにそっくりだって。容姿じゃないわ、あたしずっと若いもの。

都知事の職にありながら、衆議院選挙で新政党のトップをつとめるという二股かけたことが、そうなんだって。でも大したものよね。知事は激務だよ。地元紙に載ってるんだけど、島根県知事の先週のある一日の動静よ。

【午前】県議会本会議/隠岐空港利用促進協議会会長からの要望
【午後】ねんりんピック秋田2017上位入賞者と団長との会談/遣島使(島根県のふるさと大使)でプロレスラー日高郁人氏との会談/主要地方道の早期全線2車線化を願う会会長からの要望/県政記者会の共同取材
【夜】 親善交流がある韓国の劇団公演鑑賞

庁内の内部協議や決裁の処理だって多いと思うわ。県の舵取り役として考えたり、情報をつかみにいくこともやってるでしょうしね。激務よ。忙し過ぎると思うよ。

東京都だったらもっと大変なんじゃないかしら。その知事がほとんど出ずっぱりで、都庁の役人さんたち、よっぽど困ってるんって思うわ。怒ってる都民も多いんでしょうよ。都知事という公職を投げ出して一政党の私的活動を優先するのは公私混同だ、ってね。あたしは、たかが一委員会の長。大した影響力じゃないわ。小池さんはケタ違いよね。あたしとは比べものにらないわ。

(暑過ぎる夏を避けたか、あちらこちらで朝顔が満開。選挙が終わる頃、さすがに朝顔も姿を消すだろう)
会議とはできるできぬかやる気出せ [2017年10月10日(Tue)]

fumihouse-2017-10-10T19_25_18-1-thumbnail2.jpg人材開発メールニュース(10月9日)ワンポイント・アドバイスで吉次潤氏は、会議の性質を整理するだけで働き方改革へのヒントになると述べる。そう、よくある。やる方向で決まっていたはずの会議で、話を蒸し返してやる意味を声高に問い重箱の隅をつついて出来ない理由を並べ立てる者がいる。氏はこう述べる。

≪会議の目的を大別すると二つに分けることができます。(中略)できる−できないを話し合う会議は、どちらというと可能性を探りながら情報を収集、共有を図ることが中心で、一方、やる−やらないを話し合う会議は、意思決定がメインになります。
(中略)上手くいってないケースの多くは、本来は意思決定する場でありながら、できる−できないを話し合っている会議です。当然、着地点を見出せなくなります。様々な立場からできる、できないという意見が飛び交い、結果的に意思決定が先延ばしされることは、よくある話です≫

それでなくても会議は多い。効率的に終わらせてしまいたい。かつ、気持ちよく次のステップに移っていきたい。失敗したとしてもフィードバックして新しい展開に備える組織を作りたいものだ。さあ、明日も会議があるぞう!

(会議は回る。春のツルニチニチソウの5弁の花のようにくるくる回る)
夢がある九州2つの美術展 [2017年10月09日(Mon)]

fumihouse-2017-10-09T21_20_51-1-thumbnail2.jpgエドガー・ドガ『マネとマネ夫人像』(1868年作)
赤茶の髭をたくわえたマネは横になって宙を見ている。ソファに横たわり右足を乗せリラックスしているようだが、どこかムリしている感じがある。ベージュ色のベストに合わせて薄茶色の靴下をはいている。靴は白で、上着とズボンは黒だが上下は釣り合っておらず、くたびれている。実に弛緩した雰囲気で夫人の後ろにいる。夫人はといえば、ピアノを弾いているらしい。グレーベースの黒い大きなストライプのあるドレス。演奏を披露するため予行演習を夫の前でやっているのかもしれない。残念ながら、右4分の1がハサミで切ってあって夫人の顔や容姿は見ることができない。

マネは気に入らず絵を切り取ったという。ドガは怒った。持ち帰り放置したという。夫人の背は丸まっているのはやむを得まい。鍵盤に集中するのだから。それでも背中に肉がついているのがわかる。マネは見たところ50才。今で言えば70才相当だ。となると奥方もそれなりの年を重ねている。老いていない方が不自然だ。でも自意識過剰?の夫人は自尊心を傷つけられた。マネも同調したのかもしれない。

部屋の壁は薄汚れている。ソファの白シーツも綺麗ではない。目立つ色合いは丸いクッションの赤のみ。ピアノも黒だとすれば全体の配色の地味さにも耐えられなかったのだろうか。ともあれ、絵を切り取るとはなかなかの豪傑だ。

松本竣介『彫刻と女』(1948年作)
36歳夭折の画家が死ぬ直前に描いた絵だ。島根県立美術館で開催中の「夢の美術館〜福岡市美術館・北九州市立美術館名品コレクション」で、私が一番気に入った絵。

透けたネグリジェのような幅広のドレスを着た童顔の女。茶か黒か、頭部の像に触れている。ダースベイダーのようにいかめしい像だ。女の白い息がかかるのか。手や胴体、足から白光を発している。霧なのか霞か、地上にあって地底の者であるかのような風情。地面に接していながらも宙に浮いているかのような軽さ。女は厳然と存在しているが淡い。あれは竣介の命がもはや儚い灯火であることを意味したのだろうか。

(ドガの絵に石榴の赤色が入っていたなら、様相が違っていたかもしれないな)
ありがとう楽しかったよ同窓会 [2017年10月08日(Sun)]

fumihouse-2017-10-08T19_30_04-1-thumbnail2.jpg昨夜は高校の同窓会を行った。あっという間に夜は更けていく。楽しい時間は過ぎていく。不参加者も含めてメールを送った。
(^_^)/~ (*_*) (^_^) (^o^) (@_@) (>_<)

クラス同窓生の皆さん
昨夜は小人数でしたが、楽しい懐かしいときを過ごすことができました。写真送ります。みんな良い顔しています。わかりますか?

O君が老け顔のまま登場してくれてよかった(つまり見た目は30代だということ)。W君がハツラツとして饒舌でよかった。Yさんが清々しさを保ちエレガントでいてくれてよかった。K君が心身ともにたくましさの度合いを重ねてくれてよかった。S君が良性のボヤキを変わらず連発してくれてよかった。Hさんがくりくりした好奇心にあふれた目を失わずにいてくれてよかった。M先生が僕らの今の年齢よりもはるかに若かったことに驚きつつも変わらずお元気でよかった。T君は遅れて来場したけれどニヒルさを装いつつも温かい人柄でよかった。僕は幹事としてみんなの姿を見ることで満足できてよかった。

連休の中日、どう過ごしてますか? 次回を楽しみにしています。人生の三つの坂、よく言いますよね。上り坂に油断せず淡々と、下り坂にも腐らず諦めず、まさかにもしなやかに対処する。再び年輪を重ねて会いましょう。

不定期便も歓迎です。久々に帰省する向きはどうぞお知らせください。一杯やりましょう。
ハロウィンの大嘘つきになるかしら [2017年10月07日(Sat)]

fumihouse-2017-10-07T09_07_25-1-thumbnail2.jpgあたしの学校、生徒会選挙の続報よ。選挙が近づいてきたんだけど、雲行きが怪しいんだ。まっ原因はあたしにあるんだけどね。

あたしね、校内のある会で会長をやってるわけさ。だったら辞めて生徒会選挙に出て会長になるのが当然って言うんだよね。仲間の身内からも、合流した非主流派の連中もそうよ。聞きつけた主流派の有力生徒までそう言ったわ、辞めろって。でもね、今の役を途中で投げ出すわけにはいかない。居心地もいいし、結構多忙だから二股をかけるわけにはいかないわ。

それとね、非主流派にはヤなタイプがいるんだ。だから選別して仲間にしないって宣言しちゃった。そりゃ怒るわね。あたしが嫌われるだけで済むと思ってたんだけど、予想外のことが起こっちゃった。別のグループを作って選挙に出るんだって。まっしゃあないか。

非主流派のリーダーも清水の舞台から飛び降りて、いったんは大逆転の様相だったけど、なんだかんだと困っているようよ。

毎日あちらこちらから意見がたくさん出て、ラインでは情報が飛び交ってる。選挙っておもしろいね……なんて他人事のように言っちゃった。あたしのことなのにね。

(ハロウィンのお化けジャックも大嘘つきだった)
しなやかにパワフルにまた懐かしく [2017年10月06日(Fri)]

fumihouse-2017-10-06T19_45_55-1-thumbnail2.jpgレジリエンスとは、しなやかな生き方。たとえ落ち込んでも立ち直り、学びに変換できる力。「マイナス妄想で自滅。常に他人の目が気になり、やたらと自分を責める」という日本的な空気に縛られた気遣いとは対局にある。

長年の養護教諭の経験を元にパワフルに起業し、保健室の先生たちを奮い立たせるコーチングでもって教育界に一石を投じる方の講演を聴いた。桑原朱美氏、ハートマッスルトレーニングジム代表取締役。題して、『しなやかな心を育てよう〜レジリエンスを高めるヒント』。出雲一中PTAが主催され、対象は大人と全校生徒であった。

仲のいい誰かに挨拶をした…反応がなかった…無視された?…胸が痛む…わたしのこと嫌いなの?…ご機嫌斜めな原因はわたしがつくったの?…みんながわたしを嫌ってる? いろんな疑心暗鬼を生じて心は揺れる。

氏はこうおっしゃった。鋼鉄でできた鉄人ではなくて、柔らかく受け止めるベイマックスになろうよ。そんな神経質になることはないよ。単に気がつかなかっただけかもしれないし、過去は過去、執着せずにこれからうまくいく方法を考えようよ。未来の希望に目を向けよう、と。

声がいい。聞き取りやすく柔らかい一方で、強調すべきところはキチッと言い切る。中学生に受け入れやすい話題と親しみのある言葉遣いでスッと心に入りつつも、礼節をわきまえた言動がある。保護者にとっても琴線に触れる話題がたくさんあって退屈させない。

講演の冒頭部分で生徒のレスポンスがほとんどない場面でも、サラッと受け流して次にいく。まさにレジリエンスな姿を実践されていた。実はパワポ資料に修正ミスがあって、本人は恐縮して謝罪されたのであるが、ほんの数秒。その後になんら影響はなかった。お見事なり!

反省とは懺悔し顔を下に向け続けることではない(集団ヒステリーのように話題の人を叩くマスコミとネット人は、「反省」する姿を強要していると私は思う)。シマッタと思った瞬間で反省は終わり。長くても10秒。今と未来へ意識を向けようと、氏はおっしゃった。

脳は不器用である。一つのことに囚われてしまうと同時に存在する情報を見落とす性質がある。「焦点化の原則」という。過去に焦点を当てず、未来に向けてどうしたらうまくいくかに焦点をとどめよと。捜し物をするときの秘訣が披露された。「ナイ!ナイ!ナイ」と言わない。「○○を見つける!」と存在する前提で念じて意識を向けると、脳は焦点化して見つけ出してくれる。

脳の主語は「わたし」だけ。他人を褒めると自分が褒められたように錯覚する。だから全部自分に返ってくることを忘れてはいけないと。反対の究極が「人を呪わば穴二つ」。憎み嫌い呪うことで相手を殺せても、負のエネルギーは自分に返ってきて共に死す。

自己肯定感を高めて、自分を多面的に見ていこう。いろいろな側面をもつのが人間、だから人間だ、と達観するのが自己肯定感の意味するところと氏は締められた。彼女はわたしの同級生。数十年ぶりの再会に心が躍った。親しみのある中にもキリッとした声がいい。高校生の面影をそのまま残して、終了後の会話が弾んだ。

(リンゴは食べて食べてと主張する。買って持ち帰り食べるかどうかは、わたし次第。開店日のプラント斐川にて)
整理してクリアになった頭脳かな [2017年10月05日(Thu)]

fumihouse-2017-10-05T19_48_44-1-thumbnail2.jpg書類はバラけやすくて、なくなりやすい。紛れてしまって、ないないと探したことが何度あることか。その点クリアファイルは便利だ。数枚の書類を一まとめにできて、何十枚も紙を散逸させずに保管できる。透明で中身もよく見える。この10年、書類整理の王道をいくようになった。

サイズはA4版が標準だが、A4を半分に折り曲げてA5にできるものがある。簡易バッグ風に手提げにして資料を持ち帰ったら、三方をミシン目で切り取ってクリアファイルに変身する優れものもある。

企業や各種運動体のアピール用としても大活躍だ。印刷して街頭や会合でもらうのは嬉しい。ただ、アピールがしたいばっかりに両面に印刷してあるのはいただけない。クリアじゃなくなってしまうじゃないか。
星を見て月を眺めて幾年月 [2017年10月04日(Wed)]

fumihouse-2017-10-04T18_08_45-1-thumbnail2.jpg≪私たちが今晩夜空を見上げた時に見える星座は、数千年も昔の人が見上げた同じ星座です。私たちが目にするもので数千年前と同じように見えるものが星座の他にあるでしょうか。絵にしろ彫刻にしろ、長い時の移ろいとともに風化していく。なのに、星は当時のまま。少しも変わらず夜空に輝いているのです≫ (永田美絵『カリスマ解説員の楽しい星空入門』2017年ちくま新書)

星座もそうなら月も同じ。地球の衛星・月は数億年も前から今と同じように輝いていたことでしょう。古代の人びとは月明かりを頼りに夜を歩き、松明や提灯など人工の照明は最小限にして生活していたのです。古の人びとに思いを馳せて星空や月夜を眺めましょう。

さあ、今日は中秋の名月。今夜、空を見上げよう。月は満を持して私たちに眺められるのを待っていますよ。
スニーカー歩けや歩けズンズンズズン [2017年10月03日(Tue)]

fumihouse-2017-10-03T20_22_27-1-thumbnail2.jpgスポーツ庁がスニーカー通勤を推奨し始めた。働く世代の1日の歩数を1000歩増やし、運動不足の解消を目指す。

スニーカーは歩きやすい。蒸れにくい。だから夏場に楽だ(それならクールビスと一緒に始めてくれればよかったのに)。都会ならば、会社まで1駅、2駅歩こうという気にもなれる(田舎はムリ。1駅が5キロも6キロもある)。運動して疲れが取れれば、休みの日も余力をもって臨める、活動的になれる。

営業職にとってどうなのか。いまだにクールビスなどどこ吹く風で、炎天下をネクタイ・スーツ姿で歩き回る人は柳に風と受け流すかもしれないが、スーツとネクタイ、革靴の西洋戦闘服に身を包み真夏にフーフー言う必要はない。私たちは年ごとに苛烈な日本の夏に暮らすのだから。

警官や警備員、巡視員、いざというとき走る必要がある人には是非ともスニーカーを履かせてあげたい。速く走れる動けるというだけでも分があると思うのだ。

わたしはウォーキングシューズを愛用している。黒くて合成皮革。底は厚いゴムで細かく深い刻みがあって滑りにくい。紐で結ぶビジネスシューズ風でスーツにもそこそこ合う。

スーツというフォーマルな装いにとって革靴がカッコいいのは確かだが、滑りやすい、クッションが悪くて膝や踵を傷めやすい、手入れも面倒くさい。時代は変わった。災害時の利便性も高い。実用的なスニーカーに軍配を上げよう。

(黄色いスニーカーのような春のフリージア。太陽を浴びて嬉しそうだった)
その時は終わった瞬間始まるぞ [2017年10月02日(Mon)]

fumihouse-2017-10-02T18_13_19-1-thumbnail2.jpg会議に出席する。会議を主催する。展覧会に行く。映画を見る・・・終わって安堵する。満足感がある。職場に帰る。家路につく・・・安心してはいけない。まとめの作業にかかるのだ。映画や絵画の感想を書き留めよう。

記憶や印象が最も鮮明なのは「そのとき」。結論はどうなったのか、明らかになった課題も見えてきた。至る経緯も頭に残る。ヒーローの名ゼリフや背後から迫った爆撃の恐怖も体が覚えている。だから再現しやすいのだ。

だが、記憶と印象は2時間、3時間とたつうちに抜けていく。悲しいくらいに忘れていく。数日たてば細かいメモをとったつもりでも、行間に隠れた細部の空気は失われる。レコーダーやビデオに撮っていても蘇ってこないものだ。しかも聞き直すには同じだけの時間がかかる。映画の筋だって忘れてしまう。終わった瞬間から「そのとき」は始まる。そのときを大事にしよう。

(犬蓼(いぬたで)があちこちに咲く。犬がつくと、食用にならないとの意味があるようだ。かわいそうな犬たちよ)
変遷し流行り廃りの言葉かな [2017年10月01日(Sun)]

fumihouse-2017-10-01T22_36_32-1-thumbnail2.jpg言葉は難しい。一方でおもしろい。国語に関する世論調査28が先日文化庁から発表された。興味深い内容であり、わたし自身も毎年言葉の使い方を改めて考える。

次の表現が気になるかどうかを聞いた質問だ。どちらかというと気にしないで使っている。他人に目くじら立てる必要はないが、自分には厳しく使っていこうと思う。

●うそをついて「あとで後悔」した。
  気になる50% 気にならない47%
●早起きして行ったのに「順番を一番最後に」された。
  気になる49% 気にならない48%
●今年の「元旦の夜」はみんなで初詣に行こうよ。
  気になる43% 気にならない52%
●その方法は「従来から」行われていたやり方だ。
  気になる23% 気にならない72%
●「まだ未提出」の方は提出してください。
  気になる47% 気にならない49%

次の正解はすべて(a)だが、ほとんど逆転している。注釈なしに使うのは難しくなってしまった。

□さわり
 (a) 話などの要点のこと 36%
 (b) 話などの最初の部分のこと 53%
□ぞっとしない
 (a) 面白くない 23%
 (b) 恐ろしくない 56%
□知恵熱
 (a) 乳幼児期に突然起こることのある発熱 46%
 (b) 深く考えたり頭を使ったりした後の発熱 40%

次も正解は(a)だが、私自身「存亡の危機」とばかり思っていた。

■はっきりと言わない曖昧な言い方
 (a) 言葉を濁す 74%
 (b) 口を濁す 18%
■卑劣なやり方で,失敗させられること
 (a) 足下をすくわれる 64%
 (b) 足をすくわれる 26%
■存続するか滅亡するかの重大な局面
 (a) 存亡の機 7%
 (b) 存亡の危機 83%

その他、「心が折れる」「目が点になる」「あさっての方を向く」「背筋が凍る」「毒を吐く」といった使い方も定着したと考えてよさそうだ。言葉は刻々と変わっていく。

(ムカゴが実ってきた。秋を満喫しよう。秋を楽しもう……でも明日は雨)