若手社員が担当する、一見すると決まりきったことを繰り返す業務であっても中身は千差万別であることを、豊田義博氏がこう述べる(長い引用だが)。
≪その多くは、日常の定型業務、ルーチンワークだ。(中略)高度な知識、スキルを要するものもあるし、機械的な作業もあるが、誰かが幾度となくやってきた仕事であることに変わりはない。
しかし、その多くの仕事が、一方で、日々同じ仕事では決してない。同じ商品・サービスの営業をするのでも、顧客が違えば全く違うものになる。同じ製品を生産するのでも、原材料の仕入れ価格の違いや在庫状況、競合企業の動向などにより、日々の状況は変わってくる。店舗で販売するといっても、曜日、天候、近隣施設の催しなどによって、何がどれだけ売れるかが代わってくる。つまり、どのような仕事においても、未知なる状況が頻々と生まれる。いつもと同じことだけをしていたのでは、前に進まない、という状況が、どのような仕事でも必ず生まれる。そのような状況において、何が起きているか、何をすべきかを構想し、何かをすることを意思決定する≫ (『若手社員が育たない。―「ゆとり世代」以降の人材育成論』/豊田義博著,ちくま新書,2015年)
広汎性発達障害をもつ人が、仕事につまづいてしまうというのも、対人的なコミュニケーションにおいてパターン化した対応しかできない特徴に原因がある。ふつうの人にとって「日常の定型業務」でも、少しずつだが刻々と変わっていく「未知なる状況」に対処できなくて混乱してしまうところに生きづらさを感じてしまうのだ。
豊田氏は仕事の本質について、≪ほぼすべての仕事が、人とかかわりながらやっていくもの≫であり、≪それぞれの人とのやり取りは、担当者に一任される≫。よって、≪未知なる状況に立ち向かい、構想し、意思決定し、人を動かす。仕事の本質とは、そういうことだ。明示的な専門知識や技術・スキルによって構成されているのは、仕事の一部分に過ぎない≫と述べる。
肉体労働も含めて、すべて仕事というもののは、現在自分が置かれている状況を頭に入れ、何が起こっているのか、ならば今何をすべきかを考えていく。そして組織の了解を得た上で意思決定することの繰り返しである。とても高度な人間活動であると思う。
(リンドウの花は深い。5裂している。漢名の竜胆(りゅうたん)がリンドウと読まれるようになったらしい)