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天と地が転倒するなりポセイドン [2016年08月31日(Wed)]

fumihouse-2016-08-31T21_41_48-1-thumbnail2.jpg『ポセイドン・アドベンチャー』はパニック映画として名高い。1971年の公開だが古びた感じがしないのは、豪華客船転覆という悲劇がスリリングなだけでなく、人間ドラマが素晴らしいからだ。

古い映画だから特撮は稚拙だ。客船の模型をプールに浮かべて津波を起こしてはいるが、今時のVFXの凄い映像を見慣れた身には物足りない。だが、絶体絶命の岐路に立たされた時、いかに冷静に行動するかを問う珠玉の物語だと思う。動くか留まるか、右か左か、上か下か。運も含めて選択は生か死に直結する。

私たちは地平に暮らす。生死の境に立ったとき天地は逆転する。比喩としての心理的な逆転にとどまらず、ポセイドン号は180度ひっくり返った。現実と比喩がリアルな直球となって見る者をハラハラさせる。

天井が下になった巨船内でスコット牧師(ジーン・ハックマン)は乗客を導こうとするが、乗組員など他のリーダーもいて言うことを聞かないメンバーはたくさんいる。映画館の観客は彼らが生還し、他の者は死ぬことを知っている。だからひっくり返った船の中程に留まることがいかに危険かがわかるが、彼らにその認識はない。むしろ異端児の牧師の言うことには耳をかさないという選択肢は常識的だ。しかも数十分前にはニューイヤーパーティにドンチャン騒ぎをしていたのだから、目の前の惨状を冷静に見ることができようはずはない。

スコット牧師には確信があった。上へ上へと(つまり船底へ向かって)逃げないと浸水することは必定。真冬の海水に人間はひとたまりもなく溺れる。助けは全く期待はできないと。自分に従ってきた乗客や乗組員を従えて進んだ。唯々諾々と従う者もいれば、独裁的だと嫌って反発する刑事もいた。

スコットは決断するとき誰の顔色もうかがわない。ここにいる全員を必ず守るという強い決意がある。自分だけという欲はなく、無私を貫いたからこそ皆が信じて従った。最期は非業の死を遂げるけれども、その死によって彼の無私が完成された(もちろん彼も生還したかったはずだ)。どこまで苦しませるのか、生贄が欲しければ私をくれてやる、と神に言い放ったシーンが印象に残る。

リーダーのあり方を考えた。日本人の集団ならば、皆さんご一緒に、と合意をとりつけるうちに時間切れになるだろう。民主主義とはみんなで話し合って誰も責任を取らない状態になることではなくて、誰か能力の高い者に権力を集中させてフリーハンドで動けるようにするのが欧米流の民主主義だということがわかる。

ポセイドンはギリシア神話の神。海と地震を司り、ゼウスに次いで強い。その名を冠したポセイドン号が津波にやられるとは皮肉な設定だ。怒り狂う地球という神にはかなわない。強大な自然現象は人間を激しく揺さぶる。

(待宵草よ。宵を待って何をしようというんだね。可憐な黄花は道端に)
ウイルスと菌との戦い始まるぞ [2016年08月30日(Tue)]

fumihouse-2016-08-30T18_03_24-1-thumbnail2.jpg秋になって、暑さ以上に私たちを悩ませた湿度が低くなってきます。空気の乾燥⇒ウイルスや細菌の出番です。おのずと感染症が増えます。手についたウイルスが口に入り、喉の粘膜について発症する経路が一般的ですが、感染には3つのルートがあります。

前者のが【接触感染】です。病原微生物(菌やウイルス)がドアノブや蛇口を通じて(たいていは)手について感染します。続いて【飛沫感染】。保菌者の咳やクシャミが飛んで鼻や喉から感染します。【空気感染】は空気中に漂うヤツらを吸い込んでしまうのが原因です。

病原微生物は目に見えなくても強敵です。人間の一人や二人簡単に殺すことができますから油断大敵! 手洗いと咳エチケット(マスク着用)、うがいで感染のリスクを低くしたいものです。

パキスタンの子どもたちに正しい手の洗い方を教え、石けんを配布する研究をしたそうです。すると1年後に肺炎、下痢症など感染症が半数近くまで減りました。手洗いは感染予防の基本です。外から帰ったとき、食事の前、トイレの後にはしっかりと手を洗え、という教えはわかるのですが、なかなか出来ないんですよ、これが。

しかも正しい手洗いは面倒です。石鹸つけて⇒手のひら⇒手の甲⇒親指⇒手首⇒指先・爪⇒指の間⇒流水でよくすすぐ⇒清潔なタオルで拭く(タオルの共用はダメ)。なんと9ステップもあります。

うがいにも3ステップあります。1口目は口中をグチュグチュ。2口目は上を向いてガラガラ。3口目も上を向いてガラガラ。

うがい薬のイソジンは、病原微生物に対し不活化・殺菌作用があるので、口臭にも効き目があるそうですよ。多少はその気になりそうですね。

(台風10号と大陸からの寒気の影響で不安定な天気ではあるが、時折澄んだ空が雲間から見える一日だった)
正しくは靴で命の泉湧く [2016年08月29日(Mon)]

fumihouse-2016-08-30T21_08_29-1-thumbnail2.jpg私の靴のサイズ。革靴は25.0p、スニーカーならば25.5pのサイズを履いてきた。身長170pからすると小さめだ。

このたび濱田理学療法士(フットケアトレーナー)による講座を受講し、今までの靴選びは間違っていたことを知った。結論から言えば、足長サイズ24.5pで足幅2Eの靴を選ぶのが正しい。

靴の中敷きをとって踵を合わせて足を乗せると、捨て寸(足先の余った部分)1pが正常。メーカーや型式ごとに異なる場合があるので、実際に履いてみなければわからない。

日本人の足は甲高幅広と言われるが実は違う。しかも規格上は多彩でA,B,C,D,E,2E,3E,4E,F,Gがあるのだが、販売される多くは2E。足の痛みがある人のために3Eや4Eがある程度。

日本人は幅広で柔らか靴を好む傾向がある。タコや魚の目、土踏まずの低下といった足のトラブルがあると、大きい靴を履いて対処しようとするが、これは間違い。大き過ぎる靴、紐やマジックテープで調整できない靴はかえって足に悪さをする。

履いたときゆったりして良い感じに思えても、ゆとりが過ぎると、足が中で動いてしまいホールドされない。外反母趾も進行する。靴紐で中程を締めることによって足の変形を防いでおかないと、足のバランスどころか身体まで歪んでしまう恐ろしいことになるという。

長時間歩いても疲れにくい歩き方。少々ランニングしても不調が起きない体力。それらを獲得するためには、筋力や骨格の力が必要なことはもちろんだが、身体を補整する働きを靴にさせてやることが大切だと今回学んだ。どんなに高価な靴も、素材やデザインにこだわった靴も、サイズ次第では意味をなさなくなる。靴の世界は深い。

【備忘録として私のサイズ】左足/右足
足長 247o/242o
足囲荷重(体重掛け)246/251
足囲非荷重(足浮き)230/234
足幅荷重 103/101
足幅非荷重 91/90/
身につけて肌身はなさず宝物 [2016年08月28日(Sun)]

fumihouse-2016-08-28T21_30_56-1-thumbnail2.jpg一日中出かけていた。慌てたわけではないが、スマホを部屋に置いたままクルマに乗り込んで、数キロ進んだところで気がついた。なんとかなるとそのまま行ったものの、意外にも待ち時間が多かったりして、本も持って出なかったために、退屈しのぎのツールがなくて困った。

家人は別の場所に行っており、ケータイ番号は控えておらず電話はできない。フェイスブックの書き込みを見ることはできないし、ツイッターで気になる風物をツイートすることもできない。もちろんメールは送れない。ラインで来るかもしれない連絡だって受け取れない。

スマホには様々な機能があるが、他人とつながるツールであることを痛感した。身体の一部をもがれた感じすらあった。私たちはケータイに依存している。この小箱に重要情報を詰め込んで、大事な人との連携を託し、世界で起こることの窓として利用しているわけだ。今やスマホを利用できない環境では、自分の一部がなくなったと感じられても不思議ではない。

いざという時に重要なライフラインであるケータイ。社会で生きる充実感を認識できるケータイ。単なる情報機器を超えた存在といってよい。ケータイは自分の命と同等にまで地位をあげた。

身につけるケータイは宝物。それと私たちはいかにつき合っていくことになるのだろうか。誰もが幸せへの道だと信じているが、必ずしもそうではないところが問題だ。

(スマホも使い方を誤れば痛い目にあう。栗のイガが指に刺さったときのように)
輝いてメダル大国いろいろに [2016年08月27日(Sat)]

fumihouse-2016-08-27T21_51_53-1-thumbnail2.jpgリオ五輪閉会式で、着物姿の小池知事が五輪旗を受け取り、東京五輪がスタートした。今大会で日本が獲得した金メダルが12個。銀銅合わせて史上最多41個のメダルが輝いた。東京では倍増、と関係者の意気は上がる。

ふつうの金メダルランキングは次のとおり。米国46をトップに英国27、中国26、ロシア19、ドイツ17に続くのが日本。続いてフランス10、韓国9。8個がイタリア、オーストラリア、オランダ、ハンガリー。EUがすごい。英国を含む15カ国で97個の金メダルを獲り、アメリカを遙かに超えるスポーツ大共同体だ。

4年前のロンドン五輪後もやってみたことだが、人口比で金メダル数を出してみた。金メダル1個あたりの人口が少ないほど、一騎当千のアスリートがいるという計算になる。

バハマが第一位である(金メダル数1個)。女子400mでヘッドスライディングしてゴールしたミラーが印象的だった。続いて陸上大国のジャマイカ(6個)。フィジーは7人制ラグビー男子で国として史上初の金メダルを獲得した。その日を祝日にするという。

以下、クロアチア(5)、ニュージーランド(4)、ハンガリー(8)、バーレーン(1)、コソボ(1)、スロベニア(1)、オランダ(8)。英国14位、米国31位、日本は41位であった。

日本は大国だ。世界で1億人以上の人口を抱えるのは12カ国しかない。中国、インド、米国、インドネシア、ブラジル、パキスタン、ナイジェリア、バングラデシュ、ロシア、メキシコ。そして日本が11位でフィリピンがラスト。

人口大国日本が米国やロシアのようにスポーツ大国となる道は険しい。かといって国家ぐるみでドーピングに走るロシアを真似る必要はない。

(フジバカマは平安時代からある日本の固有種。茎や葉を干して洗髪に使ったという)
阿呆かなくりかえし繰り返し天気 [2016年08月26日(Fri)]

fumihouse-2016-08-26T19_52_49-1-thumbnail2.jpg くりかえしてこんなにもくりかえしくりかえして
 こんなにこんなにくりかえしくりかえしくりかえして
 くりかえしくりかえしつづけてこんなにもくりかえしてくりかえし
 (中略)
 そのくりかえしのくりかえしをくりかえすたび 陽はのぼり陽は沈みそのくりかえしにくりかえす日々
  (谷川俊太郎『くりかえす』より)

天気晴れ…昨日も晴れ…今日も晴れ…明日も晴れ予報…明後日も来週もたぶん晴れ。真夏日…35℃一歩手前の真夏日…猛暑日…陽が沈むのが早くなって期待をさせて後の熱帯夜続き…夜の熱が冷めないうちに朝がくる。

くりかえし繰り返し……うんざりだった。狂おしい酷暑、おぞましい猛暑は終わった模様。台風の動きにともなって秋の長雨の大気が大陸から押してきたようだ。あのくりかえしくりかえしは終わりとなった。嬉しい。午後から予報どおり雨。しかも土砂降りで全身がずぶ濡れになる。それもまた嬉し。

迷走していた台風10号が巨大甚大になりつつ関東地方に向かっている。雨は欲しいが適度な雨であってほしい。寒冷前線と南方の暖気が一体となって雨雲が長く停滞するかもしれない。たぶん来週私は思うのだ。もう雨はうんざりだと。

(紫露草もこの雨を浴びて喜んでいることだろう。干天のち慈雨を喜ぶ露草や)
坊さんは布施と言いつつ高い欲 [2016年08月25日(Thu)]

fumihouse-2016-08-25T21_19_19-1-thumbnail2.jpgアマゾンに『お坊さん便』という法事法要を手配するサービスがあることを知りました。一律3万5千円で、届ける予定日を指定するとチケットが発行されます。僧籍資格を持った僧侶が法事を行います。

車代、膳料、心づけは不要で、戒名を付けてもらうとオプションが要りますが、追加「料金」の心配は無用です。メールの後は具体の打ち合わせを電話で行います。利用者レビューでも好評のようです。

旧来の仏教会は、宗教行為を「サービス」として商品化するとは仏教の精神に反すると批判しています。「お布施」はサービスの対価ではなく、戒名も「商品」ではないというのです。

「料金」とは物や「サービス」の当然の対価として「商品」化されたものに発生します。「布施」は違うのでしょうか。

本来「布施」とは、利害を離れて対価を求めずに、人に物や行いを施すことです。そこから転じて、僧に施し与える金銭となるわけですが、すでに信仰を離れてサービス料的な意味を帯びてきます。

法要をしてもらった各自が気持ちを金額に表して包めばよろしい、と言われて金額を決められる人がどれだけいることでしょうか。ほんの気持ちのつもりで少額しか与えなければ坊さんは如実に顔をしかめるそうです。明らかに相場があるのです。料金表がないだけに余計に始末が悪い。見栄っ張りがいたりすると相場は上がります。迷惑千万です。

「ほんの気持ち」と言ったときには法外な金が動くものです。状況はそれぞれが違うのですから、心づけも違ってきます。寸志や祝儀も同じこと。私たち日本人が困るのがチップです。サービスが良しと思えば出すし、ダメなら出さない……ドライになれなくて、つい相場を求めてしまうのです。

「布施」とは究極の心づけであり、万人が納得できない旧習といえるかもしれません。アマゾンはそこに一石を投じたようです。

(ミントが花を咲かせている。布施ともサービスとも関係ないが、桜梅桃李でそれぞれで宜しい)
宝石と花火とどっち取るかいな [2016年08月24日(Wed)]

fumihouse-2016-08-24T18_21_36-1-thumbnail2.jpg 西の空 宵の明星沈むころ シュッと音出し チョルチュルと
 一点光が一瞬に 弾け飛んだよ爆発だ
 小さく秘かなビッグバン 年に数度のババンバン
 大輪の花咲いて 数秒ののち ズッドーン震え 花散った
 ハートに笑顔にしだれ花 パチパチ ヒュルンと 跳ねては落ちる
 絢爛豪華な光彩が 一瞬のちに消えていく 空を眺めて皆ポカリ
 煙が雲にと立ち上る 花火の痕跡ポッカリと
 頭上に夜空 天の川 夜の華なり 日本の夏よ
 金と銀と銅色とでメダル色 誇らし五輪のきらめきで
 ルビーにサファイア エメラルド 宝石超えて美しい

(半夏生、山の水辺に咲いている。白面さわやかな美男子だ)
暑さとは夏の世界の代名詞 [2016年08月23日(Tue)]

fumihouse-2016-08-23T18_52_49-1-thumbnail2.jpgこのままずっと暑さが続くのではないか
そんなふうにおもえたこの夏
エアコンを効かせた部屋から一歩外にでると
鋭い太陽が肌を刺し
蒸した空気が鼻孔に詰まる
暑さはまだ厳しい
熱中症の危険は去っていない
一カ月余りの雨のない日々
夏らしい雲をついぞ見かけなかった空
だが見よ
日暮れてのちの暑さの陰りを
夏らしいスカッとした澄んだ空が戻った
悪夢の暑さは去りゆくのだ
終わらぬ夏はない
明けない夜はない
永遠に続くかのような苦しみにも終わりはある
ひと雨降れば空気は代わる
いや変えるのだ

(珍しい黄のハイビスカス。紅を花の中心に集めて)
やり方は違って対話に向かいたし [2016年08月22日(Mon)]

fumihouse-2016-08-22T18_19_59-1-thumbnail2.jpgここではここのやり方でやってもらう
ここはわたしの流儀でやるまでだ
ここではきみの理屈は通用しない
こことあそことは違うだって? 
それはそうだよ違うんだ
きみがイヤならそれでいい
ここのやり方はここならではのこと
この方法はむかしからの定石なんだ
きみの世界とこことは違うんだ
だけどね、たしかに違うよねえ
こことそことは
違うとはいえ同じ人間が住む地球のことだ
理解しあうのは出来ない相談ではないと思うよ
そう相談なんだ
対話なんだよ
こことそこ、こことあそこ
わからないなら分かるまで
対話を続けようじゃあないか
そう思わないかね

(紫御殿。葉が濃い紫で、花も紫。よって紫の御殿なり。別名はパープルハート。三つある花弁はハート型)
最盛期越えて望むは分かち合い [2016年08月21日(Sun)]

fumihouse-2016-08-21T12_02_26-1.jpg五輪も最終版。どの競技でも若い力が激突し、限界を超える力を存分を発揮し、悲喜こもごもに競技を終了している。若いってのはうらやましい。

≪加齢とともに、体力や家族など、何かを失っていく。これが高齢者の現実である。それを乗り越える鍵が「分かち合い」にある。居住空間や物の共有もあるが、とりわけ「心の共有」が大切。物を所有する幸福は、分けるほど一人分の量が減るが、心の幸福は、分かち合うほど増えていく≫ (聖教新聞〈名字の言〉8月18日付け)

最盛期を過ぎたときに何を求めるか。どう模索するのか。失うことはやむを得ない。しかし如何に全うするかが問題だ。

王子像の願いを聞き入れて、ツバメは宝石に覆われた彼の体から一個ずつ貧しい人達に配り飛ぶ。冬がやってきて二人とも安らかに死ぬ童話(オスカー・ワイルド作『幸福な王子』)が語るように、他人へ貢献すること(自己犠牲はともかくとして)と分かち合いが心の豊かさを左右する。

(初夏のころ満開だった合歓木。個々に見ると眠ったように地味だが、木が大きいので山全体を染めるかのよう)
疲れたら瞳を閉じて脈感じ [2016年08月20日(Sat)]

fumihouse-2016-08-20T18_42_26-1-thumbnail2.jpg目を閉じる。できれば横になって目を閉じる。瞼の力を抜き、目元を沈ませるようにして力を抜く。疲れて目がしょぼつくときはこれに限る。さらにいいのは、頼みの誰かにゆったりとさすってもらうことだが、いつも出来ることではない。

血がめぐる脈動が感じられてくる。ドクン、ドクンと音が響いてきそうに。イメージするのだ。脈の響き、一回ごとに疲れが掻き出されると。瞼がピクピク動くのがわかる。疲れが抜けていく。気持ちよくなっていく。いつの間にか眠ってしまうだろう。

15分、20分後にはスッキリとリフレッシュしてくるのは間違いない。そのまま寝過ぎると、身体が就寝モードになってしまってよろしくないので、申し添える。

(白くて清純な感じの仙人草。匂いをかいだことはないが、とてもいい香りがするそうだ。花弁とは別にある白い羽毛みたいなやつを仙人のひげに見立てた)
銀色は哀愁におふ涙色 [2016年08月19日(Fri)]

fumihouse-2016-08-19T20_23_53-1-thumbnail2.jpg銀メダルは悲しいメダル。世界で2番に強い称号を与えられはしても、特に直接対戦型の競技では悔しい。最後の勝負に負ける。銅メダルは一度負けたとしても三位決定戦を戦い勝ち取ってのメダルだ。勝って終わりと、負けて終わりの違いは大きい。

決勝戦で負ける→自らの不甲斐なさに伏して泣く→起きても号泣する→金メダルでなくてゴメンナサイと泣きじゃくる→負けたショックが尾を引いたまま表彰台でも泣く……。

女子53キロ級フリースタイルで吉田沙保里が銀メダル。戦いきって負けた銀メダル。あっぱれではあっても本人の喪失感は大きい。泣きじゃくる吉田に多くの人がもらい泣きしたことだろう。

日の丸を背負って戦うことの辛さを、リオでこの人ほど感じた人はいないだろう。しかも日本選手団の主将をするとメダルがとれないというジンクスも抱えている。よくぞ戦った。

ところで、日の丸は縦横の比率が2対3、紅色の丸は中心から縦の5分の3の大きさで上下左右対称。世界一の単純な意匠。掲揚台の中央に日の丸が上り、君が代が簡素な節回しで厳かに流れる。吉田に君が代を歌わせてあげたかった。

(アメリカノウゼンカズラ。普通のノウゼンカズラに比べて色が濃くて紅色。そして強そうだ。匂いや分泌物も多いのか、虫がたくさんたかっている)
笑顔にて心の毒を吐き出して [2016年08月18日(Thu)]

fumihouse-2016-08-18T18_25_52-1-thumbnail2.jpgオリンピック報道がにぎやかで、相模原殺傷事件は古くなった感があるが、毎日新聞が野田聖子衆院議員のインタビュー記事を出している。氏の長男には障害があるという(8月17日東京夕刊)。

野田氏は、≪社会の全てとは言いませんが、相当数の人々が障害者に対するある種の嫌悪を持っていると日々感じてきたから≫、今回の事件には意外性を感じなかったと述べる。

≪高齢化やら何やらで、今は誰もが障害者になる可能性があるのに。障害者は「可哀そうな存在」ではなく、将来「なるかもしれない自分を引き受けてくれている存在」だ、ぐらいの気持ちになって≫ほしいと。

そのとおりだと思う。野田氏は、ジャングルにいるように何時襲われるかわからない不安を持ちながら日々を暮らす。そしてこうも言う。

≪誰しも心に毒はある。でも大人になるというのは、心の毒を見せないことだと思う。毒を隠し、建前を大切にできる。それが成熟した大人、国家です≫と。

本音でものを言い、行動することは良いことだ、とよく言われる。心に溜まって膿んでしまった思いを吐いてスッキリするのは確かに良いことだ。だが、むき出しの憎悪や敵愾心を実行されたのではたまったものではない。「心の毒」は人知れず対処し、作り笑顔でもいい、ステキな表情でいたほうが、きっと良い方向に行くと思うのである。

(千日紅。夏になっても紅色が色あせない。白、ピンクもあるが紅が好きだ)
やめないで覆水盆に返らない [2016年08月17日(Wed)]

fumihouse-2016-08-17T19_58_26-1-thumbnail2.jpg惜しまれて閉店する飲食店がある。知って客は「良い店なのにどうしてやめる?」と聞いてくるらしい。

経営者の言い分は「経営が行き詰まったから」。儲からなくなって赤字を垂れ流し続ける経営者はいない。要は「あなたが来ないから潰れた」とグチりたくなるのも無理はない。

最初は皆が珍しがって予約が取れない店でも、一度使ってしまうと満足してそれっきりの人は多い。客足は落ちる。別の店が話題になるとそこへ殺到する。前の店には興味がなくなる。客が減り、客単価が低くなれば、当たり前だが経営はやっていけない。

「良い店なのに?」と聞く人はそれを忘れている。良い魅力的な店であればあるほど、使ってあげなくてはいけない。そうでなければ閉店への道をまっしぐら。それが資本主義の世界なのだ。

食事や飲み会をする店ばかりではない。商店街の八百屋でも駄菓子屋でも靴屋でも、同じことがいえる。気に入った店であれば買うこと、定期的に買い続けることしか、その店が続く方法はない。夜でも開いてるコンビニやディスカウントストアに浮気しているばかりだと、お気に入りの店は遠くない将来に潰れる。

そして惜しまれてはいても、廃線の憂き目にあうのがJR三江線である。広島・三次と島根・江津を結ぶ赤字ローカル線。地元では廃線反対の大合唱が巻き起こるが、これもいい店と同じである。

反対するあなた!この一年に何回使いましたか? 家族は不便を我慢しつつ使っていますか? と尋ねたら、100人中99人が胸を張って答えられないだろう。だってダイヤが不便だもん! と答えるだろう。便利なクルマを享受して列車(一両編成だと列車?)を忘れるうちに、本数は減らされて坂道を転がり落ちる。大切だと思うならば、少々の不便は我慢して使っていきたいものだ。

(ツユクサは涼しげな青色だ。昨日はさぞや雨を喜んでいたことだろう)
逃亡と気晴らしひとつ紙一重 [2016年08月16日(Tue)]

fumihouse-2016-08-16T22_09_39-1-thumbnail2.jpgゲッタウエイ(Getaway)は犯人の逃亡を意味する。一方で休暇をとって気晴らしをする意味もある。逃走の過程で疲れ切っていた妻キャロル(「ある愛の詩」に出たアリ・マックグロー)にとって、メキシコ国境まで逃げて安堵に胸をなで下ろして、ゲッタウエイとなる。

夫ドク(スティーブ・マックイーン)にとっても同じことだと思う。手はずどおりであれば無傷で大金を得て楽な気晴らしができるはずだったのに、思いもかけず何人もの敵を殺し、妻の裏切りにも遭い、命からがら逃げてきた。散々な目に遭った上でのゲッタウエイだ。

映画『ゲッタウエイ』(1972年)で見るスティーブ・マックイーンはカッコいい。彼の苛立ちを表現するのに騒音が効果的に使われる。刑務所(彼は模範囚として仮釈放される)での毛織物機械が出す轟音。駅で赤ちゃんが泣き叫ぶ声、列車内を不作法に走り回る黒人の子供。ここでも泣き叫ぶ子供たち。監督は子供が嫌いなんだと思う。さらに言えば公民権も確立されていない50年前にはやむを得ないとは思うが、黒人も嫌いなんだと思った。

メキシコに逃げおおせて、ポンコツ車で凸凹のハイウェイを行く夫妻。二人で死線を乗り越えて信頼感はよみがえって、二人の表情は安らいでいる。平らかに安穏な風景にエンドロールが流れるのたが、道路の左側には電柱が林立している。穏やかに見えるが私にはそれが墓標に見えた。一連の殺戮による数十人の者たちを弔う十字架である。

(出雲工業高校の植え込みは昨日の雨、今日の雨、1ヶ月ぶりの水を得て生き生きしていた。これは金木犀の葉っぱ)
戦って五輪のJUDO面白し [2016年08月15日(Mon)]

fumihouse-2016-08-15T17_43_32-1-thumbnail2.jpg今回のオリンピック柔道は面白かった。以前はポイントを取ってしまうと守るばかりの試合も多かったものだが、今は延長戦がサドンデスとなりポイントを上げた者が即勝利。女子は試合時間が5分から4分に短縮されて緊迫感が増した。戦う姿勢を貫く様子を観戦するのは楽しい。消極的態度や偽装的掛け逃げにはシドーがあり4つで失格となる。

100s超級のフランス・リネールのように圧力をかけ続けて、原沢が伏せて逃げるよう仕向けてひたすらシドーを獲るという戦法もあった。自分から技をかけないのでイッポンやワザアリといった見せ場もない。金メダルだけを狙った戦法でブーイングは免れない。これは例外だ。

メダルの数が興味深い。7階級のうち男子は金メダルが日本2個、ロシア2個で、イタリア、チェコ、フランスが各1個。28個の全メダルを16カ国で分けあった。女子は7階級の金メダルを各国1個ずつ分け合った(日本、アルゼンチン、コソボ、ブラジル、スロベニア、米国、フランス)。28個のメダルは20カ国に広がった。

東京五輪から男女別に、メダル獲得国数、日本のメダル占有率、日本の金メダル獲得数をあげてみる。

64年東京【男】9カ国 25% 3個(4階級)
68年メキシコ 柔道なし
72年ミュンヘン【男】11カ国 17% 3個(6階級へ)
76年モントリオール【男】13カ国 21% 3個
80年モスクワ【男】15カ国 棄権(8階級へ)
84年ロサンゼルス【男】13カ国 16% 4個(東側諸国棄権)
88年ソウル【男】13カ国 14% 1個(7階級へ)
92年バルセロナ【男】14カ国 18% 2個 【女】13カ国 18% 0個(最初から7階級)
96年アトランタ【男】15カ国 14% 2個 【女】12カ国 14% 1個
2000年シドニー【男】17カ国 14% 3個 【女】13カ国 14% 1個
04年アテネ【男】17カ国 14% 3個 【女】12カ国 21% 5個
08年北京【男】19カ国 7% 2個 【女】14カ国 18% 2個
12年ロンドン【男】14カ国 14% 0個 【女】16カ国 11% 1個
16年リオデジャネイロ【男】16カ国 25% 2個 【女】20カ国 18% 1個
(注)リオ五輪の男子メダル獲得率25%は全7階級で獲得したので最高値

メダルを獲る国が増える傾向にあるなかで、日本のメダル獲得数は今回大復活した。世界に裾野が広がるということは、JUDOにとっては福音であっても、日本がメダルを多く獲れなくなるのはある面やむを得ない。日本の柔道人口は減っている。少子化が進み、サッカーや野球など球技に人気面では押される。格闘技は危ない!汗臭い!と嫌われることもあろう。

国際柔道連盟に加盟する国と地域は200を超え、JUDOは日本発の世界に普遍的スポーツと言っていい。日本にとって誇るべきことだ。かつて日本柔道はお家芸として勝って当然の立場であったが、今回は世界へ挑戦する姿勢で大勝利をもぎ取った。今後ともJUDOに挑み続けなければ、日本柔道の将来はない。

(大和撫子。ナデシコは淡いピンクて縁がこまかく切れ込んでいる可憐な花だ。子を撫でるように可愛がることからこの名前に。柔の道も大切にしよう)
ストレッチ身体動かし暑さ対抗 [2016年08月14日(Sun)]

fumihouse-2016-08-14T14_55_08-1-thumbnail2.jpg朝、わたしのルーティンはストレッチングに始まる。目覚ましのスマホ音で目が覚めると、ガバッと起きてトイレに行く。時計代わりにテレビをつけて、立ったまま前屈を始める。後屈をして、左右の曲げ、上体のひねりを数種、股関節や大腿部、下腿部の伸ばしを数種、足首や膝の屈伸もやって1セットである。10分弱の時間だ。

ストレッチのおかげで体は快調だけれども、この暑さはなんだ! 気分は健康ではあり得ない。満足な雨は1ヶ月も降らず、この日照りはいつまで続くのか。毎朝毎晩、暑気に痛めつけられている。

先週は一時的に空気が替わって、日中ではジリジリと焼け付くような暑さはあっても、日陰では快適だった(もちろん比較してのことだが)。それなのにこの二日で暑さがぶり返してしまった。

うだるような暑さと言うが、「うだる暑さ」と表現するのが正しいのではないかと思って辞書を引いてみた(紙ではなくwebだが)。

暑さにへばり気力が衰え、睡眠不足もあって体がだるくなるのが、「うだる」ことだと考えていたのだが、「茹(う)だる」は「茹(ゆ)でる」こと。どんなに暑くても身体をボイルするほどのことはないわけで、うだるような暑さというふうに、比喩の表現で良いのだとわかった。

どのみち、猛暑のため身体がぐったりし、ふらふらになる。暑さにへたばりそうになると身体は溶けだしていく。「暑さに茹だる」、言い得て妙なり。せめてストレッチは続けよう。

(睡蓮の眩しい白さは朝の眩しさ。涼やかだが、池に入って遊ぶことはできない。この睡蓮は荒神谷公園にある)
かじりつきテレビに魔法の引き手あり [2016年08月13日(Sat)]

fumihouse-2016-08-13T16_16_57-1-thumbnail2.jpg深夜と早朝には五輪中継、昼間には高校野球と五輪録画中継と、切れ目なくテレビにかじり付くことができる。この夏は退屈することがない。特にオリンピック前半では日本のメダル獲得が続き話題が尽きない。

選手村の設備がオソマツだとか、強盗事件に選手や観戦者が巻き込まれたというニュースは聞くが、心配されていた過激派によるテロや五輪反対派による妨害事件は起こっていない。ジカ熱の感染者も出ていないのが幸いだ。経済面での不振や警察官への給与の遅配やらが相当のダメージを与えているのは確かだろうが、ブラジル当局や国民のガンバリ、何としてでも南米初の五輪を成功させたいという意気込みが伝わってくる。その努力に感謝したい。

東京五輪まであと4年。最も大きな課題はテロ対策であることに違いはないが、暑さ対策にも相当な比重がありそうだ。2020年7月24日金曜日(サッカーは22日から)の開会式から8月9日日曜日の閉会式までは最も暑い時季。選手はもちろん蒸し暑さに慣れていない外国人には苛烈な環境となる。今より暑くなる恐れもあるわけで、運営上悩ましいことだろう。

(出雲神話に出る鬼の舌震は奥出雲の清流。ここまで澄んだ水は求めないが、微小藻で緑色に染まるオリンピックプールはいただけない)
秋がくるウイヨースと鳴きながら [2016年08月12日(Fri)]

fumihouse-2016-08-12T23_26_37-1-thumbnail2.jpg数日前の朝のこと。わずかに開けたクルマの窓から蝉が入り、わたしの頭をかすめて後部座席に落ちていった。音からしてアブラゼミ。到着後、蝉は座席下にいた。静かにしていたのが突然暴れ出すセミ爆弾もあるので、恐る恐る触った。びくともせず既に死んでいた。はかない命だ。

今朝のこと。木から飛び立ったアブラゼミが眼鏡のテンプルに当たった。驚いたように鳴きながら方向をかえて飛んでいった。あの蝉も長くはあるまい。

秋を呼ぶ蝉、ツクツクボウシ。夏が終わるよつくづく惜しい、ツクツクオーシ、ツクツクオーシと鳴いている。クチュクチュクー、クチュクチュクー……スウィーッチン、スウィーチン……ウイヨース、ウイヨースと酔っ払いが寝入るようにグジュグジュと消え入っていく。まだ暑さは続くとしても、秋はすぐそこにいる。

(ムクゲの花はまだまだ元気。夏の終わりは自分が見届けると言わんばかり)
君が代は千代に八千代に歌われる [2016年08月11日(Thu)]

fumihouse-2016-08-11T10_52_18-1-thumbnail2.jpg五輪まっただ中。中継で日の丸が掲揚される。メダルに向かって選手が闘志をあらわにし、競技によっては冷静さを保つ。観戦するほうは力が入る。多くのひとが日本国家を意識し、民族主義的な気分が目覚めるのは今の時季だ。

表彰式での国歌演奏。気持ちを鼓舞する明るい調子の国歌が多いなかで、君が代は異色の趣を放つ。単調な音階のユニゾンで始まり、雅楽調の和音が重厚に重なると魂を揺さぶられ厳かな気持ちになる。各パートのユニゾンで締まり静かに終わる。

明治新政府ができて、軍艦が他国軍艦と海上で交わす儀礼には国歌が必要であった。海軍を統括する薩摩軍人たちが急場しのぎに、英軍人に作曲してもらったのが明治2年だという。 古今和歌集に収録された歌で、古くから祝賀の和歌として広く知られていたようだ。江戸時代には謡曲や祝いの場にもちだされ、浄瑠璃、春画や小説にも登場して庶民にもよく知られていたという。

だが、日の丸と君が代のもと、天皇「陛下」の御為にという名目で多大な犠牲を強いた歴史がある。平安の昔から君が代が歌い継がれてきた歴史を上回る暗い重さとなった。 戦後71年の今年。戦争の記憶が薄れゆくなかで、今の平和とかつての敗北を両方とも見据えなくてはならない。

さて、目下のところ金メダルは6個。水泳の萩野、柔道の大野、田知本、ベイカー、体操の団体と個人内村。あと何回君が代が聞けるだろうか。

(涼やかに清純に、カスミソウが咲いている。白は多くの色に染まることができる)
ジャングルの帝王なれば躍動し [2016年08月10日(Wed)]

fumihouse-2016-08-10T18_03_53-1-thumbnail2.jpg堂々たる体躯。2m近い身の丈で逆三角形に締まった上半身。肩の筋肉は隆々として腕は太く手足は長い。裸足は地面や木をホールドし、跳びついた蔓に手が吸いついて滑ることはない。長大な蔓から蔓へ跳び移り、次の次まで目星をつけて空中を飛んでいくためには強く、かつしなやかな身体能力と動体視力が不可欠だ。そうでなければ墜落し起き上がることはできまい。しかも動物や鳥類の声音を使い分けて、なかでもワニの求愛音を発して宿敵を襲わせる離れ技をやってのけるのは、ターザンしかあるまい。

映画『ターザン:REBORN』で、彼は完全無欠の野生児として疾走する。文明社会にも適応し稀なる秀才としても名を馳せる。際立つ美形の妻もめとり、何一つ不自由はない。しかし、必要があって彼は再びアフリカのジャングルへの道をたどる。

愛する妻を守る。愛するアフリカの部族を守る。愛する幼なじみの野生動物たちを守る。ターザンには守りたい人たちがたくさんいる。だからこそ、彼の無敵の強さが発揮されたのだと思う。

(アメリカデイゴの花は南洋のムード漂わせる。アフリカにも咲いているだろうか)
暑さ過ぎ平和を思い五輪の中継 [2016年08月09日(Tue)]

fumihouse-2016-08-09T18_25_50-1-thumbnail2.jpgリオデジャネイロ五輪が開幕して早くも三日。開会式のアトラクションでは、ヒロシマ原爆投下時間に日本をイメージしたマスゲームをしたり、代表が木の種を植えるなど、地球の未来を意識した演出が随所に見られました。

イラン→イラク→イスラエルが連続して入場してきました。アルファベット順ですから当然なのですが、不思議な感動を覚えました。宗教の違い、歴史の矛盾から対立関係にある国々が順繰りに入場することにです。政治の世界では武力も交えて国益を守るため侵しあう国どうしが、こうして一カ所に集まって人々の歓声に応えるのです。スポーツの祭典の中でも最も華やかな五輪の真骨頂がここにありました。

地図で探してみないと何処にあるのかも知らない国も多いわけで、数万人の小国からアメリカのような大国まで、国ぐるみのドーピングで非難されるロシアに至るまで、200を超える国と地域が行進するということも、思えば不思議なことなのです。

競技にあたっては敵どうしが競い、ぶつかり合ってメダル争奪を繰り広げることが擬似戦争の趣を呈したとしても、スポーツの舞台だけでのこと。余分なエネルギーをここで発散させて実際の戦闘行為などなくなってくれたら嬉しいのですが、なかなかそんな世界は実現しないでしょう。それでも、価値観の違いを認め合い対話と協調を進められる理想世界を目指さないことには地球の未来はないのです。

(夾竹桃が花盛りです。典型的な夏の花、なかでも一般的なのがピンク色のキョウチクトウ)
立秋や秋はどこ吹く風よ来い [2016年08月08日(Mon)]

fumihouse-2016-08-08T22_12_57-1-thumbnail2.jpg昨日7日は立秋とは名ばかりの猛暑。あまりに暑い。クーラーをつけて五輪中継か高校野球にチャンネルを合わせるしかない。松江でもとうとう36℃の猛暑日となった。

だが季節は確実に変わり目をむかえている。数日ぶりに夜のウォーキングに出ると、スズムシが鳴いている。ガチャガチャとクツワ虫もやかましい。マツムシだってチンチロと夜の草を振るわせている。

朝夕のヒグラシは群をなして鳴かなくなった。ツクツクボウシも多くなってきた。キーンと耳を貫くニイニイゼミは少なくなった。盛夏は終わったのだ。

星座だって白鳥座が天頂を過ぎて西に傾くと、秋の星座が地味に主役となる。今週末はペルセウス座流星群がやってくる。宇宙にただよう数ミリの塵とともに涼しくて適度に雨ももたらす秋の空気を一緒に連れてきてくれないだろうか。

(秋の七草、萩が満開になるのもそう遠くない)
ノーエラー出雲の誇り知らしめむ [2016年08月07日(Sun)]

fumihouse-2016-08-07T19_49_47-1-thumbnail2.jpg出雲高校の健闘を称えたい。春の覇者・智弁学園に6対1で敗れたものの、大量点の一歩手前で踏みこたえ、楽しく笑顔でかつ理知的にゲームを進めるというモットーのままに初めての甲子園を戦いきった。バント処理に戸惑う場面もあったが、堅守が光った。生き生きした表情が爽やかだった。

これで引退する3年生諸君はバットとグラブに代えて、受験テキストと鉛筆に向かうことになる。大会歌「栄冠は君に輝く」のとおり、≪いさぎよし 微笑む希望/ああ 栄冠は 君に輝く≫ 苦しい時には口角をあげて笑顔をつくれば、チャンスはめぐってくる。新たな戦端を拓く諸君の健闘を祈る。

(今日の出雲の空。4週間近く雨が降っていない地面は乾き、湿気の多い空は常にうっすら雲がかかっている。選手諸君よ、応援団の皆さんよ、出雲に帰ってらっしゃい、誇り高く堂々と)
勇気出せ誰しも未来は白紙なり [2016年08月06日(Sat)]

fumihouse-2016-08-06T15_16_56-1-thumbnail2.jpg『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』のエンディングは鳥肌ものだった。

機関車型のタイムマシンに乗って現れたドクと愛妻クララ。マーティと無事再会したの恋人ジェニファーがドクに尋ねる。

「文字が消えたわ!どうして?」
ジェニファーが2015年から1985年に持ち帰っていた紙には「おまえはクビだ!」と書かれ、未来のマーティが会社を解雇されることになっていた。が、その文字が消えて白くなっていく。ドクは言った。

「そうだ、未来は誰にも白紙だっていうことだよ。未来は自分で切り開くものなんだ。いい未来をつくりなさい」

1985年に戻ったマーティも変わった。チキン(腰抜け)と言われたら我を忘れて数々の失敗を重ねてきたマーティだったが、未来のために、ジェニファーを悲しませないために、大人の行動をとる選択ができるようになったのだ。勇気を奮い起こすとは、ムチャをすることではないと気がついたのだった。

ドクとクララは再びタイムマシンに乗って旅立った。どこに行ったのだろう。未来はもう二人で見てきたと言っていたから、クララの現住所、1885年の西部開拓時代に戻ったのかもしれない。気分のよいシリーズ3作の終わりだった。

(富山・岩瀬浜は北前船と北国街道の宿場で栄えた街。そこに咲くアサガオ。古い街並みが保存された趣ある景観が続く)
それぞれが強み生かしてチーム学校 [2016年08月05日(Fri)]

fumihouse-2016-08-05T16_23_25-1-thumbnail2.jpgPDCAサイクルとは業務の進行管理にあたって、Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)の4つのサイクルを繰り返すことによって継続的に改善するものです。先ほど閉幕した全国公立学校事務長会研究協議会でもって、こんなパロディを聞きました。

Please, don’t change anything. 略して「PDCA」だと。「どうか何も変えないでください」「今のままがいいんです」「改善できそうなのは分かるけどそれまでが大変なんだよね」……そんなボヤキがたくさん聞こえてきます。

『多様性を活かすリーダーシップ』と題した板東眞理子氏(昭和女子大学理事長)の講演で、氏はリーダーがすべて責任をもって万能であることはできない。学校において、事務職は教員とは違う経験と見識を持つわけで、それを強みとして仕事をしよう。分担して助け合うことによって、学校はさらにイキイキとしてくるに違いない。それが「チーム学校」の姿であると締めくくられました。

私も得意なことに関しては情報を提供し、いい参謀役になって校長を補佐しなければな、と思ったところです。もちろん変なPDCAなどかざしてはいけませんね。さあ、出雲に向かって出発です。

(富山市で行われた第40回全国公立学校事務長会研究協議会・総会の壇上にあった生花アレンジメント)
クマゼミは上陸はせず北陸に [2016年08月04日(Thu)]

fumihouse-2016-08-04T21_59_49-1-thumbnail2.jpg富山も暑い。しかしクマゼミはいなかった。
ニイニイゼミとアブラゼミだけ。
クマゼミはまだ北陸に上陸していなかった。
(8月5日追記/今朝ほど富山市役所横の林でツクツクボウシも鳴いていた)

出雲でこの夏きいた蝉の音は次の6種。
夏の出だしにニイニイゼミ。キンキン響く夏の代表。
ぐんぐん暑くなるうちにアブラゼミ。ジージジンジン、いかにも夏らしい。
日の出前後と夕闇が来るまでの時間帯にカナカナゼミ。渋い幽遠なる夏の味わい。
梅雨が明けてこの半月。出勤する時間帯から昼過ぎまでクマゼミ。あーあ、やかましい。
出雲工業高校の近くで昼日中に2回ほどミンミンゼミ。ミスターサマーよ、もっと聞かせておくれ。
家の近所でツクツクボウシを1度だけ。お盆過ぎたら馴染みとなって夏の名残を惜しむのだ。

(富山市の図書館とガラス美術館の複合施設は昨年8月に開館して丸一年。ガラスと木材とコンクリートを混ぜ合わせた近代的な意匠で目を引く)
コンビニで不変のことを考えて [2016年08月03日(Wed)]

fumihouse-2016-08-03T15_52_09-1-thumbnail2.jpg直近の芥川賞をとった『コンビニ人間』(村田沙耶香著,2016年文藝春秋)を、北陸線サンダーバード号内で読み終わったところだ。

冒頭に音に満ちたコンビニの風景が観察眼鋭く描かれて魅力的だ。的確に接客し、コンビニ店員として最高のパフォーマンスを演じる「私」。そう、彼女は演じるのだ。どう振る舞えば周囲と調和してうまくやっていけるかが幼少期からわからなかった「私」。今であれば、広汎性発達障害と診断されて、日常生活に支障がないよう社会適応のためのトレーニングを行ったであろう。が、助けが差し伸べられることはなく、大卒後20年近くにわたってコンビニ・アルバイト店員をやってきたのが「私」であった。コンビニが唯一彼女の適応できる社会であったのだ。

文章のリズムが心地よくて、読み進めるうちに一転する。白羽の登場である。自己評価は高い上に被害妄想の病的な男。しかも不潔感の漂う。又吉直樹の『火花』に登場する神谷を思い出させる。神谷は残念な男だったが、白羽は気色悪い。正常とは何か、常識とは何かを考えさせられる。

≪外から人が入ってくるチャイム音が、教会の鐘の音に聞こえる。ドアをあければ、光の箱が私を待っている。いつも回転し続ける、ゆるぎない正常な世界。私は、この光に満ちた箱の中の世界を信じている≫

この表現が気にいった。「私」は、身の回りの世界を水や食べ物を「摂取」するようにして入れ替えていく。入れ替わることが人間に不可欠だと思わせるのが、次のところだ。馴染みの老婦人が「ここは変わらないわねえ」と安堵するようにつぶやくと、「私」はこう思うのだ。

≪店長も、店員も、割り箸も、スプーンも、制服も、小銭も、バーコードもを通した牛乳も卵も、それを入れるビニール袋も、オープンした当初のものはもうほとんど店にない。ずっとあるけれど、少しずつ入れ替わっている。それが「変わらない」ということなのかもしれない≫

そう、変わらないためには変わり続けていかなければならないのだ。若々しい人が、発展する組織が、変わらないためには入れ替わっていくことが肝要なのだと思う。

(京都駅ビルの最上階広場に咲いていた白いムクゲ。京都駅の変わりように驚いた)
二番手で中だるみとまではいかないが [2016年08月02日(Tue)]

fumihouse-2016-08-02T19_11_22-1-thumbnail2.jpg第一作の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で悪玉ビフは、家の使用人になり果てて小さくなって生きていた。物語の始まりの設定はそうではなかった。マーティの父はおどおどした貧相な男だったのに、マーティが帰っていった1985年では小説家として成功していた。二人のタイムトラベルが影響したことは明らかだ。

ドクは当初、過去や未来に過去にかかわることは現在を変えてしまいかねず、タイムマシンを発明はしてみたものの慎重にことを運んでいた。慣れとは恐ろしい。ドクは第二作『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』になると、未来の望ましからざる出来事を積極的に改変しようと試みるようになった。飽くなき科学者の探求心とマーティに対する友情のあらわれである。油断ともいえるが、最終第三作が楽しみだ。

第二作では追跡や闘争、スリリングなドタバタが多くて楽しめる一方で、第一作で父母の恋愛劇がマーティの存在に関わる意味をもっておりドキドキしたのに比べれば、それほどのことはなかった。ここでも来週の午前10時の映画祭で第三作を見ることに期待しよう。

1985年のマーティがドクとタイムトラベルした2015年10月21日がやってきたということで、去年話題になった。空飛ぶ自動車はまだまだで、この映画では少し未来を先取りし過ぎたかもしれないが、未来を夢見るロマンは常に持ち続けたいものだ。

(花びらが五つに裂けた紅葉葵 (もみじあおい)。紅蜀葵(こうしょくき)ともいう。中国四川の蜀の国で諸葛孔明も眺めた花かも)
ランドセル購入活動盛んなり [2016年08月01日(Mon)]

fumihouse-2016-08-01T18_39_19-1-thumbnail2.jpg ララララン ランドセル
 ラララララララン ランドセル
 たのしいうれしい がっこうに
 せおって ラララン ランドセル(作者不詳)

ラン活が最盛期なのだそうだ。今?夏休み?と言いたくなるのだが、もう何年も前からランドセル市場のピークは、入学をひかえた年明けではなく、お盆の時季になっていると聞く。じじばばが離れて住む孫のためにお盆、夏休みにいい品を物色してプレゼントするのだそうだ。しかも「ラン活」なる言葉まで生まれているとは驚いた。

今の流行りは工房系。今朝のニュースでチラリと見た。5万円台から8万円台までが主流だとか。高級品だ。伝統的な黒赤シンプルなデザインが人気らしい。丁寧な作りで6年間しっかり使えて人気を呼んでいる。しかも海外からも受注が舞いこむようだ。日本のものは丈夫で長持ちするからね。

昔は高学年になるとガキっぽいと言って手提げ鞄に替える連中がいたが、わたしは6年生まで使った。楽チンだし、両手が空いていて行き帰りに遊びやすかったから。今であれば、リュックにするかもしれない。当時はリュックといえば、遠足で使うものでしかなかった。

ショッピングセンターへ行ってみよう。色とりどりの趣向を凝らしたランドセルで楽しもう。

(ランドセルの曲線を想像できそうな石垣。赤穂城趾の石垣は珍しい曲線になっている)