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南米と鳥取砂丘が融合し [2016年04月30日(Sat)]

fumihouse-2016-05-01T04_55_41-1-thumbnail2.jpg世はゴールデンウィーク。私も豪勢に南米を旅した。ペルーのマチュピチュで壮大な空中都市の不思議に思いを馳せ、チチカカ湖の蘆の浮島に暮らすウル族の色とりどりの衣装に目を見開いた。

大瀑布イグアスに合わせてアマゾンの熱帯地方に住む動物たちの生態を眺めた。南米北部のギアナ高地に栽培されるコーヒー農園での収穫作業を見学したのも印象深い。

そして五輪が開かれるリオデジャネイロに行くと、両手を広げて世界中の人々を待ち受けるコルコバード丘のキリスト像が目立っていた。カーニバルの会場では熱狂の渦に巻き込まれ、私も引き込まれ踊り狂った。

今年も鳥取・砂の美術館では新しい展示が始まった。テーマは『砂で世界旅行・南米編〜繁栄の記憶を留める奇蹟の新大陸を訪ねて』。砂のマエストロたちの作品を堪能した。

(鳥取砂丘を臨む砂の美術館ではニセアカシアの花が盛りを迎えていた)
砂場にてほのかな苦味珈琲を [2016年04月29日(Fri)]

fumihouse-2016-04-29T21_58_39-1-thumbnail2.jpg鳥取の定番「すなば珈琲」で昼ご飯を食べた。ホットコーヒーを付けたランチメニュー。鳥取・平井知事の「スタバはないけど、日本一の砂場はある」との名文句をきっかけに民間事業者が開店し、今や市内に3店、東京にも進出した。

3年前スタバコーヒーが松江市に出店したことで(その後出雲大社にも)、全国唯一スタバがない県となったことに知事が答えたものだ。ところが去年5月にはスタバがオープンして、すなば珈琲は危機に瀕した。いろんな工夫や支えもあって「すなば」は今も元気だ。

メニューは手頃でコーヒーも美味しい。スタバの濃い焙煎のコーヒーに比べてお腹にやさしい。適度な苦味、ほのかな甘味。量もなかなかのもの。島根にも来ればいいのにね。

(南米インカ帝国の象形画。風の谷のナウシカを思い出す)
身を守るイカノオスシを食うなかれ [2016年04月28日(Thu)]

fumihouse-2016-04-28T18_15_18-1-thumbnail2.jpg週のはじめ、塩冶コミュニティセンターを目指して自転車をこいでいた。黄砂が濃い。出雲市内から見る山々には靄がかかり、遠くのビルは幻影的に霞んでいる。幻想にひたるばかりでは体に悪い。私はマスクをつけた。

コミュニティセンターの場所はよく知らない。見当をつける程度で出雲工業高校を出て、見つからなければ誰かに聞けばよかろうと考えていた。塩冶小学校の高学年とおぼしき女子生徒二人に声をかけた。「次の角を左に曲がってすぐです」と親切に教えてくれた。「ありがとう」と言って別れた。

子供のための防犯合い言葉「いかのおすし」が広く知られている。知らない人に声をかけられたらどうするか?
【いか】ない/【の】らない/【お】おきな声でさけぶ/【す】ぐにげる/【し】らせる

私は彼女たちに、自動車から聞いてもいないし、つきまとったわけでもないので、不審に思われることはないと確信していた。ところが後ろから聞こえる声は「今のだれ?」。やっぱり不審者もどきだったのだ。マスクはよろしくないなと思った。彼女らは基本を踏まえていたのである。不審な大人には気をつけよう!

(ナガミヒナゲシ。四枚の花弁を丸く広げて、あちらこちらにニョキニョキと咲いている)
大胆に不敵になれや仏頂で [2016年04月27日(Wed)]

fumihouse-2016-04-27T18_36_50-1-thumbnail2.jpg仏頂面をした小学生が、クルマの通り過ぎるのを待っていた。半袖一枚だ。風はないが気温はそれほど高くない。元気な子、4年生くらいだろうか。胸を張って半ズボンのポケットに手をつっこんでデンと構えている。

仏頂面と書いたが、無愛想で不機嫌をあらわにした感じでもなかった。たぶん彼のいつもの顔なのだろう。平和な顔に見えなくて近寄りがたくて、得な顔つきではないが、真剣に何かを考えたり取り組んだりしている時には、そんな顔にもなるものだ。いつも和やかな仏のような微笑みを絶やさないのは理想かもしれないが、そんな人がいたら少し気持ち悪い。

ところで何で仏頂面というのだろう。辞書を調べてみた。釈尊(仏一般を含め)の頭頂部には尊さが宿るという。尊貴な仏の功徳を概念化したのが、仏頂尊だという。なぜそれが仏頂面で怖いのかはわからない。

彼は、今日の給食のメニューのことを考えていたかもしれない。好きな子にどんなアプローチをしようかと知恵を絞っていたのかもしれない。大胆で優れた思考を頭に描くうちに威厳に満ちた顔になっていたのかもしれないな。マジメさが極まれば傍目には怖い印象にもなるのかも…。

(初めてモッコウバラの白いのを見た。黄のほど目立たないけれども清楚に咲いている)
市松に並びたてるはエンブレム [2016年04月26日(Tue)]

fumihouse-2016-04-26T19_24_58-1-thumbnail2.jpg市松模様は黒(または濃紺)と白の四角(たいていは正方形)が上下左右に互い違いに並んでいて、単調だが印象的なデザインである。歌舞伎役者の市松が最初に身につけたものらしい。

東京オリンピックのエンブレム盗作疑惑に始まった混迷もやっと収束した模様だ。昨日A案の組市松紋に決まったと報じられた。ジャパニーズ・チェック。長短の四角形を円になるよう組み合わせたデザイン。私は好きだ。ありきたりの色使いでないところが品があっていい。

少し遅くはなったが、リオデジャネイロ五輪を前に、東京五輪も模様替えして再出発といこうじゃないかね。模様眺めを決め込んでいた人たちも覚悟を決めて応援していきたいものですなぁ。

(タンポポの綿毛も同じ形の羽根がタネにひっついて、円形のステキな模様となっている)
世の常はさらばと言って祭りかな [2016年04月25日(Mon)]

fumihouse-2016-04-25T18_30_56-1-thumbnail2.jpgかつて堺正章が歌った『さらば恋人』をラジオで聞いた。こんな歌詞だ。

  いつも幸せすぎたのに
  気づかない二人だった
  冷たい風にふかれて
  夜明け町をひとり行く
  悪いのは僕のほうさ
  君じゃない
  (作詞:北山修/作曲:筒美京平)

幸せは失ってみて始めてその希少さを知る。誰もが当然のことだと思ってしまう。何事かをやってもらうのも、何ものかが存在するのも、声をかけてもらうのも至極当たり前だと思う。ところが、淋しさに耐えられなくなって独り歩く。自分の振る舞いを省みて、ああ申しわけないな、ゴメンだよ!と謙虚になっても後の祭り。「君」はもういない。

これは恋人関係だけではない。あらゆる人間関係に言えることなのかもしれない。

(フリージアに似たこの花とも間もなく、さらば!だよ)
さあ跳べよここがロドスだ証明せい [2016年04月24日(Sun)]

fumihouse-2016-04-24T14_59_31-1-thumbnail2.jpgあるホラ吹きがいたそうな。国外から帰国するや、かの地で遭遇した前人未踏の冒険や、成し遂げた偉業の数々を自慢した。

ロドスという島国でのこと。「オレはすごい跳躍をしたんだよ」と男。「誰もオレの足元にも及ばなかったんだ。ロドスで見ていた人がここにいたら、オレの言ってることが本当だと証明してくれるんだがね」と男は大口をたたいた。

男の話を聞いていた一人が、「証人はいなくてもいいよ」と。「ひとつここをロドスだと思って、跳べるだけ跳んでみせておくれよ」 (イソップ寓話集より)

こんなホラ吹きでなくても、自分自身がする自己評価と他人がする自分の評価は3割も違うという。自己評価は控えめにして、他人の助言を謙虚に聞こう! そして、まだ見ぬ自身の未踏地を目指してガンバるのだぞ。さあ跳べ、ここがロドス島だ!

(地中海のロドス島にもこんなチューリップが咲いていただろうか?)
不愉快も不健康だと言うけれど [2016年04月23日(Sat)]

fumihouse-2016-04-23T13_50_01-1-thumbnail2.jpg皮膚科診療所の待合室にいる。待合いのイスをすべて埋めるほどの人が待っている。隣の太めの女性は幅がある。右手でスマホをいじると右側にいる私の左二の腕をこする。不快だ。席を移動した。

30代後半とおぼしき母二人が話す。一方の母は声を抑えて話をする一方で、もうひとりは遠慮がない。病状がああだこうだ、子供がインフルエンザにかかって他の診療所で治療を受けた、だれそれがどうした、なんとかの店が美味しかったなどを、臆面もなく間断なくしゃべり続けた。抑えた方の母はうなずく時のアクションが大きい。手ぶりも大きいからイスが揺れるのなんの。席を移って本を読んでいた私はまた不快を感じた。

避難所のことを考えた。狭い体育館やホールに詰め込まれている。知り合いがいてもたいていは見ず知らず。声や体の接触が気になる。寝るとイビキが大きい人もいる。トイレに立つ、食事に行く、クルマにものを取りに行く。良好な人間関係がうまく育てばいいが、そうでなければイヤになる。クルマでプライバシーを保ちたいという気になるのは無理からぬことだ。

人と接触が少なくなるという点でクルマは確かに楽だ。しかしどんなに座席を倒しても体は伸ばせない。足や腰がしびれる、寝返りがうてない。熟睡するのは難しい。挙げ句の果ては血栓が知らぬ間にできて命を危うくする。わが家に帰りたいだろうなあ。そのわが家はもうない。多くの被災者が隠れて涙を流しているのに違いない。

(モッコウバラがいい感じに咲き出した。かの地で咲いたこの花が皆さんを癒やしているだろうか)
たかが火に意味を持たせて世界再生 [2016年04月22日(Fri)]

fumihouse-2016-04-22T18_34_37-1-thumbnail2.jpgたかが火を採る儀式にすぎない。マッチでもライターでもガスコンロでも、今どき火など簡単にできる。それをわざわざ大きな凹面鏡を太陽にかざして光を集める七面倒なことをやる。熱せられた焦点に燃えるものを置けば、火ができるのは当たり前のこと。

古代オリンピック発祥の地ギリシャで、古代オリンピア神殿の遺跡で巫女を模した美女たちが踊りながら意味ありげに火をもったいなくも採る。有り難みが出てくる。リオデジャネイロ五輪に向けて聖火は走り出した。

EUにおいては経済の劣等生。ユーロの信頼をズタズタにしているばかりか、EUの結束すら危うくしているギリシャだが、この儀式によって面目躍如となった。リオデジャネイロの地元、ブラジルでもルセフ大統領は弾劾されて風前の灯火となり暗雲たれ込める五輪ではあるが、この聖火とともに南米初の五輪の灯が蘇ってほしいものだ。ひとは誰でも意味を感じてガンバレるから……。

(小さな太陽がたくさん地面にはある。シバザクラの季節も盛りを過ぎた)
焦る君夢に見えたよ誉め合って [2016年04月21日(Thu)]

fumihouse-2016-04-21T18_37_47-1-thumbnail2.jpg夢を見た。数時間後には研修会の一コマとして、ワークショップを主宰しなければならない。参加者はすでに集まり、別の講座を受講している。わたしのテーマは決まっているのだが、どのように進めるのかが全く決まっていない。準備不足というよりは、雑事にかまけて準備を先送りしてきたツケがここにきた。

どうしよう、困った。もはや賽は投げられた!というにはあまりにも無責任だが、性根をすえて乗り切るしかない!と腹を決めた。沈思黙考すること数分(たったかどうかは知らないが)。アイデアが浮かんだ。この手法ならイケる!と自信がもてた。

そのアイデアとは、まずは自己紹介をする。ふつうなら拍手をしてご苦労さんとねぎらってお仕舞いだが、途中合いの手を入れるのだ。ホウッ、ナルホド、そしてイイネ! 何か一言二言付け加えてもよい。単に聞くだけではなく、話す人と聴く人が渾然となって場を盛り上げるのだ。

続いて何らかの体験を全員が語る。ここでも、それはイイネ〜、感動モノだね〜、そうそう僕にも経験があるよ〜などと合いの手を切らさない。話す人本人が中断されるほど聴く方がしゃべってはいけないから、ファシリテーターがうまくコントロールすべき難しさもあるが、しゃべる方は乗ってくる。

話が終わってからは、いいね!スゴいね!以外の言葉で誉める、評価するのだ。聴く方は点数化する。話し手の中身や話し方に点数をつけるのではなく、聴き手自身がどんなにうまく褒め称えることができたかを自己申告で点をつけるのだ。

適切な言葉を使って誉めることが苦手なのが日本人の傾向だ。こんなワークショップは日本に新しい誉める文化を根ざしていくような気がしませんか? 夢にしちゃあ、まんざら悪くない夢だったと自己満足。

(この草花も情熱的なピンクでひとを力づけてくれるはずだ)
ティファニーにおしゃれを決めて愛紡ぐ [2016年04月20日(Wed)]

fumihouse-2016-04-20T19_50_52-1-thumbnail2.jpg『ティファニーで朝食を』は、オードリー・ヘップバーンの魅力を満載した映画です。抱きしめたら折れてしまいそうな華奢さ。大きく整った目鼻立ちにドレッシーな立ち居振る舞い。これほど垢ぬけた女性なら、ティファニーで定価買いした宝飾品をジバンシーのドレスとともに着飾って、なおかつクロワッサンにかじりついていても、よーく似合うのですね。この小悪魔さんには田舎暮らしなんてできそうもないのです。

これでいてこの人(ホリー)、娼婦なのかパトロン付きのいい女なのかよくわかりませんが、相手に好意を抱いたら最後、全力で男を愛するのですね。科(しな)をつくる媚びた態に合わせて、口から飛び出す愛の言葉。男はメロメロになってホリーの虜になるでしょうよ。彼女は同時並行して複数の男を愛することだって巧まずしてできる。なかでもリッチな男には好きのムシがすぐに騒ぎだす。永遠の妖精たるオードリーだから演じられた役どころでしょうね。

このラブストーリーのラストでは、ホリーがポールとの愛にたどり着きましたが、いずれ男好きの虫が騒ぐに違いありません。ポールが苦労するのは目に見えていますが、都会っぽさに酔えれば映画はこれでいいのですよ。

ほかに印象に残るのは、どいつもこいつも煙草を吸っていること。オードリーだってそうです。今どき愛しの人から煙草の臭いがプンプン漂ってきたら興ざめでしょうけど、あの当時は大人の嗜みのだったわけですから……。

もう一つは、日本人ユニオシです。アメリカにおける偏見に満ちた日本人像がありました。黒ぶち眼鏡、出っ歯、背が低い、周りとうまくできずエキサイトしやすい。白色人種以外のマイノリティに対するあからさまな差別も含めて1960年代はそんな時代でしたが、今や黒人大統領のアメリカ。すっかり変わったものですね。

(優美な曲線を描く白いハナミズキです。オードリー・ヘップバーンの優雅さにはかないません)
希望とは負けないことと見つけたり [2016年04月19日(Tue)]

fumihouse-2016-04-19T19_21_12-1-thumbnail2.jpgkumamoto    kumamot
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(野ダイコンの花も厳しい冬を越えて可憐に咲き誇る。熊本の方々に早く希望の春がきますように)
朝曇り昼も低めで肌寒し [2016年04月18日(Mon)]

fumihouse-2016-04-18T19_56_57-1-thumbnail2.jpg朝から雲が覆っていました。昼を過ぎても雲は比較的厚いままで気温は低めでした。昨日に比べると肌寒く感じる一日です。こんな夜はきっとシュレーゲルアオガエルも大合唱ではなく、しめやかな夜を迎えていることでしょう。

週末は真夏のように暖かった。花冷えもあった……春の天気は変わりやすいものです。こんなにコロコロ変わるのは、女心と秋の空。それとも男心と秋の空、なんでしょうかね? イライラも時折混じり合う意味で、男女中年と春の雲と言い換えてみたら面白いかもしれません。

中年みんな一緒にするな!と声が聞こえてきそうですが、仕事に追われる中年期、家事でも八面六臂の中年に休む暇がありません。せめて四季の移り変わりを感じつつ、少し太くなってきた月を愛でてみませんか。

(松江・京店の街路樹です。赤いハナミズキはエネルギーを感じます)
追い立てて地震情報けたたまし [2016年04月17日(Sun)]

fumihouse-2016-04-17T14_47_28-1-thumbnail2.jpg緊急地震速報で流れるけたたましい警告音。音階のレとレ♯の音階で、追い立てるリズムを二回繰り返す。アルペジオの不協和音もあるから、何か夢中になっていても自ずと注目せざるを得ない。そして男性アナウンサーの声で「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」と。そして再び警報音。

出雲の防災無線でも16日深夜に流れ、そのあと男性の声で避難が呼びかけられた(私は寝ぼけ眼だった)。昼間にテレビやラジオを見聞きしているときにもしょっちゅうだ。

国民保護サイレンというやつもある。これは不気味だ。他国からのミサイルや爆撃機による攻撃、大規模テロやゲリラ攻撃が判明すると流される音だ。背中から羽交いじめにされて目つきの鋭い男たちに取り囲まれたかのような不協和音である。

できることなら聞きたくはない。そのときはやって来るかもしれないし、来ないかもしれない。来ないでほしいものだ。

(野イチゴだろうか。花びらのヒダが純白で清楚であり、雌しべを取り囲む無数の雄しべが繊細だ)
平凡が有り難いこと感謝せよ [2016年04月16日(Sat)]

fumihouse-2016-04-16T16_48_14-1-thumbnail2.jpg平凡な日常が続いていることに感謝する。平凡であることは退屈に思えるが、日常生活が営めなくなってはじめて、失われた日常がかけがえのないことに気がつく。

自分やかけがえのない人が大病をして入院する。大怪我をして病院にかつぎこまれる、交通事故や転落事故で。今回の熊本大地震のように自然災害に巻き込まれる。水害もあれば他の天変地異もあるだろう。これは悪夢ではないのか、夢なら早く目覚めてほしいと願ってもかなわない。

大自然、大宇宙を前にすれば人間はあまりに小さな存在だ。科学技術が発達しても地球の巨大さにはかなわない。前にも書いたことだが、当たり前のことが当たり前でないことは、当たり前なのだ。この当たり前に感謝しよう。

(出雲工業高近くの畑に咲いていたそら豆の花。目立たない日常ではあるが、咲かないことには美味しい豆はできない)
熊本の被害思いつ我がことを [2016年04月15日(Fri)]

fumihouse-2016-04-15T07_39_42-1-thumbnail2.jpg大きな地震だった。熊本県下で昨夜9時過ぎに震度7を記録したという。その後も強い余震が続いている。被害状況が明らかになるにつれ、死亡者やけが人の数は増えていくであろう。倒壊した家屋から一人でも多くの人が助け出されることを願っている。被災された方々にお見舞い申し上げたい。

各地で地震が起こるたびに思うのだ。わが家の家具転倒防止のために金具を取り付けなくてはならないと。以前部屋のタンスには金具をかけたが、居間の本棚はそのままだ。

重い本が詰まった棚が大揺れして本が一気に滑り落ちる、棚ごと崩れる恐れを考えると被害は計り知れない。ケガでずんだとしても、家屋から避難したり後片付けをする際に支障となること甚だしい。入院したり世話を受ける立場になってしまえば、復旧作業には妨げとなる。だからケガをしてはならないのだ。

そう思いつつもずっと実行できない。このふがいなさから脱皮するため、今度こそホームセンターに行こう。そして取り付け器具を買って作業をしよう。

(被災地の人びとが一日も早く野に咲く花に目を向ける余裕ができますように)
人がみな不埒に動く恋の味 [2016年04月14日(Thu)]

fumihouse-2016-04-14T21_11_30-1-thumbnail2.jpgフランクとモリーの悲恋物語を、名優ロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープが切なくロマンチックに演じた。

映画『恋におちて』は、クリスマスイブに出会った恋人どうしの一年間の物語。要するに中年男女の不埒な恋の軌跡だと言ったら、あの純愛を冒涜するのかと非難されそうだが、まあそういうことなのだ。そうしたことに憧れる人は、それはそれでよい。首に手を回してキスをして、あんなふうに抱擁されて燃えたい!と望む人はそれでよかろう。

悲恋のパターンはどこか一様である。予定調和の物語が進むものだから眠くなってしまった。もちろん美しい音楽が響いて心地よかったこともあるし、二人が「アイ・ミス・ユー」とささやき合いながら交わすキスも美しい。だから余計に眠くなってしまったのかもしれないな。

待ち合わせの出発時間に遅れ、もう駅で待っていはしまい、もうここまで!と落胆したフランクの背にモリーは声をかけた。谷底から天上へ駆け上ったフランク。抑えようとした気持ちがはじけたときのデニーロの演技は最高だ。あなたに逢いたい、あなたと同じ時を過ごしたい!という恋人どうしに共通する思い、愛の虜になって女を思う純な男を切に演じた。

無数の人間が行き交う雑踏、混んだ地下鉄車中。これらを魅力的に映すカメラワークが素晴らしい。ニューヨークという舞台も素晴らしい。二人の名優の演技も最高だ。それでも描かれた内容がそれにふさわしいかというとそうではない。将来につながる発展性はない。それでも映画そのものは燦然と輝いている。

(出会った二人は赤い糸に結ばれた必然を感じていたとしても、隣り合った芝桜の花が折り重なって咲くのと同様に、たまたまの組み合わせでしかないのかも)
名を記す名札を見ては確認す [2016年04月13日(Wed)]

fumihouse-2016-04-13T22_42_25-1-thumbnail2.jpg名札を着用する組織が増えてきた。多くの職場でつけている。公務員職場は不徹底なところも多いが、サービス業界は責任の所在を明確にし、クレームをつける相手方を特定しやすくするために、ほぼ100%でつけていると言ってもよい。

昔は小中学生のように小さな札で苗字だけだったが、今はデザインされた大ぶりな名札でフルネームが記してある。名札を付ける当人も非難されたくないと思うからサービスの質は自ずと高くなる。悪いことではないと思う。

ただ思うのである。明朝体は困る。しかも品よく小さくまとまった字は離れると読めない。机上に置いてある席札も同じことで、明朝体の細い字体は読めなくて困る。ゴシック体で目一杯大きめの字体を使ってほしい。特に姓だけは大きめに、下の名前は小さくてもよいが、苗字はしっかりと読めるようにしてほしいと、よく思う。読めなくては名札の意味がないからね。

(タンポポはいいな! タンポポ色は元気の出る黄色。百の花弁が開いては人を幸せにしてくれる)

(追伸)Facebookに書き込みをいただいた。プレートが裏返しになったままだと読めなくて苦しむと。確かにそうだ。名前がよく聞き取れなかったとき、忘れてしまったとき、見て確かめたいのに出来ない辛さがある。それと長すぎる紐。座るとテーブル面に隠れて読めないのも苦しいところ。

初ガエル鳴き声高く家帰る [2016年04月12日(Tue)]

fumihouse-2016-05-05T18_20_31-1-thumbnail2.jpgカエルの初鳴きを聞いたのが3月30日。ささやかに数匹が鳴いていたが、ここ一週間はにぎやかだ。その合唱を楽しんでいる。

トノサマガエルの「ゲコゲコ、ゲゲコ」という鳴き方ではない。ニホンアマガエルのように「ジーコジーコ」とうるさく鳴くのでもない。シュレーゲルアオガエルだ。愛らしく鳴く。「コロコロコ」と舌を高回転させて転がすように鳴く。小型の木の鈴をリズミカルに演奏するようでもあるし、宮崎アニメ『もののけ姫』の木霊のようでもある。コオロギにも似ている。

今はこのアオガエルの天下だ。トノサマガエルやアマガエルが増えてくると、この可憐な鳴き声は目立たなくなる。今のうちに楽しんでおこう。日本固有の種だというが、なぜドイツ人のような名がつけられているのかは知らない。

(春の花シャガ。アヤメの仲間だがどこか異世界の趣がある。シャガールの絵画の色合いに似てないかな?)
適応し人は悩んで進むもの [2016年04月11日(Mon)]

fumihouse-2016-04-11T17_12_46-1-thumbnail2.jpgひとが新環境に入ってのちに適応していく段階を分析したのが、カルチャーショックの五段階。

第一段階「ハネムーン期」
最初は何もかもが目新しくて新生活が素晴らしく思える楽しい時期。転勤直後のあたふたを終えるとこの時期だ。今わたしがこれに当たる。

第二段階「ショック期」
新環境に違和感や不満が出てきて、前の職場に恋しさを感じる時期。疲れも溜まりストレスを感じる時期。この時期が来るかと思うと憂鬱だ。

第三段階「適応期」
ショック期を乗り越えて試行錯誤を繰り返す時期。ありのままの職場の文化や習慣にも馴染み適応が進む。

第四段階「充実期」
適応してだんだんと組織の一員であることを感じ心地よくなれる時期。昔と今の違いや良し悪しを客観的に理解して受け入れることができている状態。めざせ!充実期。

第五段階「再ショック期」
大失敗したり、思わぬ展開から未経験のカルチャーショックを受けて落ち込む時期。本人にとっては大変な辛苦ではあるが、ありがちなことではある。

この五段階を直線的に経るわけではない。往きつ戻りつしながら誰もが歩む道だ。過度に期待することもない。もちろん恐れることもない。自然体で、でも少しだけガンバって乗り越えていきたいものだ。

(バイオレット【violet】とはスミレのこと。紫の中の紫がスミレの色。純粋培養のミスター・バイオレットはカルチャーショックに耐えられるだろうか)
啓発し事故無くせりゃ苦労せず [2016年04月10日(Sun)]

fumihouse-2016-04-10T10_54_20-1-thumbnail2.jpg春の全国交通安全運動が展開中です。昨年の交通事故の死者は15年ぶりで増加したうえに、高齢者の占める割合が半数を超えたということで当局はあれこれと対策を練っています。

「ルールとマナーを守ろう」と標語になりますが、ルールとマナーは混同されています。例えば、ケータイを操作しながらの自転車運転は危険な無謀運転であり、法律に触れます。すなわちルールです。他人に優しい運転を!というふうに一緒くたにしてしまうと、マナーにすり替わってしまうのです。

ルールとは法律や規則のように罰則のある決まりですから、人や組織を縛ります。マナーは道徳や気配り、エチケットの範疇です。強制力はなく、自発的に振る舞いを律する行為といえます。やっといたほうが気持ちいいよ、好感をもたれるよと言える程度のことです。

ルール違反をとがめるためには取り締まる人員が必要です。予算もたくさんかかります。警察官を無尽蔵に増やすことはできませんし、過ぎれば別の弊害が出てきます。時と場合によって、ルール違反をとがめたりとがめなかったりするのでは規律は保てません。

人が足りないといって時折しか違反摘発をしなければ、運転者の判断は甘くなります。いざ捕まると、危険防止が目的のはずなのに運不運の問題にすり替えられてしまうのです。交通ルールはマナーに転落してしまい、これでは規範意識は保てません。ルールはルールとして厳格に適用する。気持ちよく社会生活ができるように別な場面でマナーを啓蒙する。そんな社会政策が必要です。

(昨日の出雲工業高校入学式に飾られたフラワーアレンジメント。この明るさが式典に似つかわしい)
新しき季節はうつり人育ち [2016年04月09日(Sat)]

fumihouse-2016-04-09T20_09_43-1-thumbnail2.jpgソメイヨシノは終わったが八重桜はこれから。鮮やかな黄のレンギョウが目に映り、ユキヤナギが辺り一帯を明るく染める。ビオラやパンジー、チューリップに浮き立つ季節でもある。やがて万朶と咲き誇るツツジも紅色の花芽を広げようとしている。風が薫る季節がここにある。

今日は出雲工業高校の入学式。在校生と保護者、来賓、教職員が見守る中、新入生160人が参列した。緊張し硬い雰囲気のなかにも、思春期の彼ら彼女らは熱い決意を秘めていたように思う。

校長は、明るく元気にたくましく挑戦を続けてほしい。新築なったばかりの学舎、教職員の温かい学習環境のもと、先輩たちとともに新たな歴史を築いてほしいと、期待を込めて式辞を贈った。

時代の趨勢は甘くはない。だからこそ、君たち青年の熱と力で新時代を作り上げてもらわなくてはならぬ。若いことは無条件に素晴らしいというわけではなく、時に屈折しては凹んでいくものだ。それでも前へ進んだ分だけ人は育つ。出工生の健やかな成長を願っている。

(ウマノアシガタという草花。キラリとした光沢がある。食べると呼吸麻痺や幻覚を起こすらしい。私の執務机の一輪挿しに入れて楽しんでいるが、葉の汁に気をつけなければ)
粧うか笑う春かとウトウトし [2016年04月08日(Fri)]

fumihouse-2016-04-08T20_02_05-1-thumbnail2.jpg昨日の嵐がウソのような今日の陽気。暖かな春の空気に人は眠くなる。木々は芽吹いて明るさを増し、森はほんわりと息づく。そして山笑う。桜に気を取られているうちに、山が変わった。山笑う春の到来だ。

淡い春の色に山が染まる。今はまだほんのりしていても、日々刻々と色を増していく。緑黄色、抹茶色、若草色、萌黄色、青磁色、薄桜色、珊瑚色、藤色、霞色。そうした春色が、山と周囲の空気を艶やかにしてくれる。

山粧う季節と言ってもよい。晩秋の紅葉に彩られる頃に山粧うと言うものだが、春紅葉という言葉があるとおり、品良く化粧した美女の趣を感じないでもない。花粉症でなければ、今の時節は万人にとって嬉しい季節だ。

この春の陽気。春眠暁を覚えずと言うとおり、人にとっては眠い眠たい季節である。ついウトウトしては危険なこともある。くれぐれもご注意を!

(出雲の塩冶ヶ丘の一角に咲いている黄の花。名前は知らないが五角の羽根が広がる不思議な形)
歌姫に耳そばだてる魔法かな [2016年04月07日(Thu)]

fumihouse-2016-04-07T20_34_38-1-thumbnail2.jpg出雲工業高校の校舎の高見にとまって鳴く鳥がいる。イソヒヨドリだ。イソヒヨドリはいい鳥だ。東西を渡る歩行者用信号のピヨピヨと鳴く音のトーンに近い声で鳴く(ちなみに島根県警配下では東西がピヨピヨ、南北がカッコウ)。それをさらに澄んで明るい音に磨き上げるとイソヒヨドリになる。

わたしは称している。魔法の鳥か、天使の声かと。首回りは臙脂色か赤褐色か。落ち着きを感じる。胸から背にかけオリエンタルブルーだろうか。鮮やかで弾みがつく色だ。

孤高の鳥で、独りごちてはメスを呼ぶ。リズムは一様ではなく、声音も少しずつ変えながら、複雑に節を回して自在に鳴いている。鳴き方がかわっても澄み切って遠くへ響く声には変わらない。

留まってばかりではなく、飛びながらだって鳴ける器用なヤツ。澄んだ美声で誰もが耳をそばだてる。遠き昔に魔法にかかり姿を変えられた極上の歌姫がいたのかもしれない。際立つ音色に至極な美形。聞き惚れる君の声を明日もまた聞かせておくれ。

(花ニラ。三つの花弁を下から支えて別の三枚が重なる幾何学模様。淡い色合いで品がよろしい)
夜が来て心細かり雲がいく [2016年04月06日(Wed)]

fumihouse-2016-04-06T19_25_03-1-thumbnail2.jpg おうい雲よ
 ゆうゆうと
 馬鹿にのんきそうじゃないか
 どこまでゆくんだ
 ずっと磐城平の方までゆくんか
  (山村暮鳥『空』)

 のんきにみえるかのぉ
 じゃがそうでもないんだ
 下からは気流が押し上げてくる
 上には炎熱の太陽がある
 いくよ どこまでも
  (読み人しらず1)

 新年度はなんやかんやとシンドイもんじゃ
 特に転勤したばかりの4月はなかなかのもの
 やるしかないんだがね
 そう 今できることに全力をつくす
 ただそれだけじゃ
  (読み人しらず2)

 のんきかのぉ
 そう見えていたらそれはそれで幸せじゃの
 外見では人は計れぬけれど
 所作すれば心にも余裕ができようぞ
 残業ばかりじゃ疲れるからね
  (読み人しらず3)

(ソメイヨシノが怪物たる所以は、こうして幹にも花を咲かせること。万朶に花を見せびらかしてなお足らず、幹にまで花を散らす欲張りなヤツ)
ハラハラと散る桜花惜しむかな [2016年04月05日(Tue)]

fumihouse-2016-04-05T18_03_15-1-thumbnail2.jpgおよそ桜ほど散り際がいい花はない。老醜をさらさない。散る花びらが辺り一帯を薄いうすい桃色に染めていく。桜の絨毯が見られる。緩やかな川にひたれば花筏となる。

花が続けざまに散る桜吹雪。これほど散り際の潔さを感じることはない。花がヒラヒラと落ちる場に身をおいた、出雲工業高校の一画で。桃源の里の舞台に立っているかのような錯覚におちいった。春は過ぎゆく、春は足が速い。去ぬ春を惜しんでいる。

(早春の花、ツルニチニチソウ(蔓日々草)が咲く。地を這って蔓を伸ばす。5枚の花弁が均等でスクリュー形をして可憐ではあるが、強い毒性があるしたたかなヤツ)
毎日がサクラ桜だ名残惜し [2016年04月04日(Mon)]

fumihouse-2016-04-04T18_29_23-1-thumbnail2.jpgソメイヨシノの桜の見頃は、言うまでもなく満開のとき。誰もが待ち遠しかった春を全身に浴びて絢爛豪華なサクラを楽しむ。

同時に私たちは怖れる。盛りを迎えたと思うほどなく一斉に散っていく。その寂しさを憂える。ものの哀れとしてこれも愛でるのだが、栄枯盛衰を思うのだ。枯を眼前にして哀愁を感じ、衰えて定めのない己自身をサクラに託す。

今日は二十四節気の清明の日。万物に清新の精気がみなぎって躍動感あふれる時節。サクラが満開になるときは、盛りを終えた寂寞とした様を裏腹に感じるときなのだ。清明なる人も同じこと。だが、衰えがあるからこそ今は輝く。

(JR出雲市駅南口近くに桜の並木道がある。ここ数年大きくなって見事な姿を見せてくれる。成長が速いのもソメイヨシノの怪物たる所以かも)
全開し祝福してるサクラかな [2016年04月03日(Sun)]

fumihouse-2016-04-03T22_54_44-1-thumbnail2.jpgサクラ満開 サクラ全開
山を上るサクラ
ひたひたと あれよという間に
淡い淡いシミが斑点となって
彩るわけではないけれど
あでやかな春の山肌
春は満面の笑みを浮かべて
誰もを平等に祝福している

(今時分あちらこちらに咲いているペチコートスイセン。ペチコートのようにまろやかに優美に、かつ透けて広がる)
妖し過ぎ桜の気配にゾクゾクと [2016年04月02日(Sat)]

fumihouse-2016-04-02T22_13_29-1-thumbnail2.jpg桜の妖気にあてられて妄想に満たされる。心が乱れていく。毎度のこと私たちは桜を愛でる一方で桜を怖れる。

≪桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二、三日不安だった。しかしいまやっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている≫ (梶井基次郎著『桜の樹の下には』)

桜の妖気は強面の山賊さえも怖がらせた。 ≪だんだん歩くうちに気が変になり、前も後も右も左も、どっちを見ても上にかぶさる花ばかり、森のまんなかに近づくと怖しさに盲滅法たまらなくなるのでした≫ (坂口安吾著『桜の森の満開の下』)

春には誰もが浮き立つ。木々や草が芽吹き、山が笑い、百花繚乱の舞台に立てば誰しも歌いたくなる。一方で憂鬱な季節でもある。新たな環境は新入社員や転勤者をひどく悩ます。花粉症に目や鼻をやられるのも悩みの種だ。

浮き立ってワクワクする気持ちも、強い刺激に滅入ってしまうのも、実は満開の桜がもたらすもの。松江でも出雲でもソメイヨシノは満開。木全体が花花花花。この異様な花の様が古今の日本人を眩惑させた。満開の桜がこの数日ひとを狂わせる。

(春の花、ムスカリも満開だ。別名グレープヒアシンス。遠くの惑星に建設された殖民基地のようで異相だが、桜のような妖気はない)
エイプリル国を守ってなんぼやら [2016年04月01日(Fri)]

fumihouse-2016-04-01T07_44_33-1-thumbnail2.jpg中央防災会議で先日政府は、首都直下地震に備え最大で14万人の応援部隊を派遣すると決めた。自衛隊などからなる専門家集団が力を尽くす。

29日には平和安全法制も施行され、日本国土が武力攻撃を受けたとき、あるいは国益を大きく犯す事態が国外で起こったときに、自衛隊が動きやすい体制が整えられた。むろん自衛行為発動には新3要件でもって厳しくタガがはめられる。

さて今日から新年度。入社や人事異動で新しい生活が始まるひとも多いが、安倍首相も大変化を遂げる。かねてより温めていた奇想天外な危機管理マネジメントを開始するのである。発表によれば、国民の1割をイスラム教徒に改宗させる防衛構想を具体化するにあたり、まずは率先してイスラム教徒(主流派のスンニ派)になり、今日から1日5回の礼拝を始める。ISやタリバンなど急進過激派に対してアピールし、日本をテロの標的にしないための防御壁として期待される。

無宗教を任ずる者が多い日本にあっては、改宗といってもそれほど抵抗はないと判断された。正月は神社、結婚式はキリスト教、葬儀は仏教と節操なく対象物を変化させるのが日本人の一般であるから、むしろ先入観なく宗教活動を行うことができる。国民がイスラム文化へなじめば、難民受け入れにも弾みがつくという作戦だ。檀家や氏子に残留することもよしとする。

地面に伏して礼拝する習俗は日本にはないので最初は抵抗があるだろうが、「皆さんごいっしょに…」という宗教的ともいえる信念があるから大丈夫と判断した。来月から募集と入信ガイダンスを始める。

防衛構想の奇想天外はもう一つある。デブ専の女子を募り、某北国の太めの将軍サマのファンクラブを結成しようという計画だ。自分を崇拝してくれる人びとがいる国に核弾頭を撃ち込もうとする独裁者はいないという目論見である。この4月、日本の防衛がソフト面で大きく変わる。

(仁万田台の田んぼに咲くレンゲ草にウソはない。昨日は暖かく穏やかな夕凪だった)