悔いなきか決めるは君の姿のみ [2021年09月04日(Sat)]
ある方の逝去の報に接し思ったことがある。悔いなき人生を生きようと言うが、どだい無理、あり得ない。わたしが死んだとしよう(いずれ必ず死ぬが)。ああすればよかった、そうしなければよかったのに、もっとやっておけばよかった、、、。後悔だらけである。あれもしたい、これもまだやってない、、、。心残りは数多い。
それでも数多くの人間関係をとり結びながら、日々を邁進するしかない。悠然と進むことができない時はあろうとも、亀の歩みでよい。前に進む。 ▼言葉には温度がある。自分のことを思っている言葉を聞けば、心は温かくなる。他者を顧みない自己中心的な言葉を聞けば、心は冷たくなる。言葉の温度が言葉の力であり、温度は言葉を発する人の「相手を思う気持ち」の強さで決まる▼(「名字の言」2021年1月7日付け聖教新聞) 前者の温かい言葉や励ましをたくさんいただいた方であった。まだ若いあの方がいなくなってしまうなんて、信じられない。 数時間前にお会いしてきた。長い病床からのやつれはあったが、白い肌は輝いて淡い桃色に染まっている。目は半眼で口はわずかに開いて穏やかな表情であった。病魔との闘争の末に敗れはしたが、穏やかな余生を楽しんでいらっしゃるようにも見える。そりゃ悔いはあるに違いない。でもお疲れさまでした。ありがとうございます。合掌 |