挑戦し楽器の習得人の目に [2021年04月14日(Wed)]
楽器を習得するのに独習は難しい。教則本を読み進め音源も頼りにしつつ、楽器を手にして、抱えて、口に当てる。形はできても壁にぶつかる。先生がいれば小さな壁はちょっとしたコツを与えられて克服できるし、大きく見えたとしても道筋を示されて目標が明確になる。独習者にはそれが難しい。
先生から励ましを受けて技量を伸ばし、発表会の機会を得て、悔しい思いをしては、頑張ることの繰り返し。どんどん上達していく。職業的演奏家が研ぎ澄まされていく過程も似ている。格段に厳しい世界ではあるが、中野雄氏は次のように述べる。 ≪音楽家はステージ経験を積まなければ一人前にはなれない(中略)他人の前で、料金をいただいてコンサートを催そうと決意したとする。するとその日から、彼や彼女等が実際にステージに立つ瞬間までの時間の密度は一変する。彼等は譜面を読み、作曲家の創作意図を理解し、曲の仕上がりを脳内にイメージして、ステージからそれをいかに正しく聴き手に伝えるべきか、技巧の練磨に心を砕く。何千個、何万個という音符で書かれた楽譜をソラで弾くために、暗譜という困難な作業にも挑む。厳しい批評家やレヴェルの高い愛好家に納得してもらい、賞賛を得るため、曲をただ間違いなく弾くテクニックの勉強だけでなく、曲想の把握−−その一手段としての歴史的背景の理解や作曲者の人間性洞察にも不可欠の研究課題として挑む。何日、何ヵ月もの間、コンサートのことが四六時中頭から離れない。日限を設けられた大きな目標に向かうことで、脳内が飽和状態になるのである。 こういう、いわば追いつめられた状態で過ごす月日が、アーティストの解釈力・演奏能力に質的な変化をもたらす。こと音楽に限らず、技量の新保・上達はだらだら坂を登るようにではなく、階段を跳び上がるような形で実現されるものであるが、実現のための与件は目標が具体的で、しかも大きいことである。そして成功体験が本人の能力を倍加する。≫ (『モーツァルト 天才の秘密』(中野雄著,文春文庫,2006年)) 長過ぎる引用で恐縮であるが(著作権上も問題ありだが)、独りで音楽演奏のレベルを高めることは無理だ。大なり小なり演奏家は他人の目や耳を介して技量を知り、相手の鑑賞眼を上回る出来映えを見せようと努力する。「成功体験が本人の能力」をぐんと高めるのであれば喜ばしい。失敗すれば目も当てられないけれども、命を取られるわけではない。挑戦の甲斐があるというものだ。 (八重桜も咲き具合を競う。挑戦して試行錯誤を繰り返す。ホントか(・・;) |