日々新たマンネリしても奇蹟なり [2019年05月28日(Tue)]
毎日は奇蹟で成り立っている。朝起きていつもの準備をして通勤する。仕事場に着いてルーティン、臨時を問わず業務をこなす。昼休みには弁当を食べたり外食したりする。茶を飲んで休憩し、同僚と世間話などする。少々残業したとしても無事家に帰りつく。食事をして家事をしてあれこれやっているうちに夜は更ける。一日が終わる。
もし、体に突然の異変があったらどうするか。家族が急病で救急搬送されたとしたら、いつものことはなし得ない。通勤列車やバスに大幅な遅れが出たとしたら、職場の誰かが事故に遭って仕事に穴があいたとしたら、大口顧客が逃げていったとしたら、食中毒が起こって入院騒ぎがあったら、妙なスキャンダルを聞き付けてマスコミが押し寄せてきたら・・・・。 マンネリ化してつまらないと思っていたはずなのに、あの日常が遠くなる。組織上のやりくりに苦闘してため息を漏らす。家族の不慮の事態に悲しみが止まらない・・・・。自身の体も、家族も、属する組織も、すべては恒常性を保とうと欲するが、そうは問屋が卸さない。釈尊はそれを諸行無常と言ったのだ。 あらゆることに、全てのものに不変はあり得ない。いつものようにやろうとしても、ほんの少しずつ違うのだ。歳月を経るにつれて善きにつけ悪しきにつけ、変化はつきものである。このままでいてほしいというのは儚い願望でしかない。だから、たとえ退屈に思えたとしても、今日の奇蹟に感謝しよう。 (変哲もない温州みかんの花が甘酸っぱく咲いて、実をつけることも奇蹟なり。ありがとう(^.^)(-.-)(__) |