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考えて有言と無口如何せむ [2018年01月09日(Tue)]

fumihouse-2018-01-09T21_41_11-1-thumbnail2.jpg寡黙だからといって頭の中も口重だとは限らない。持ち駒の万の言葉から慎重に適語を選び出し、寡言を貫くひともある。冗舌だからといって心は豊潤な言葉に満たされているとは限らない。口だけが無意味に運動し、軽々しくしゃべるひとだって多い。口数と思考は比例しないのだ。

上のようなパラドックスがある一方で、外見と内面が一致する場合もある。無口なひとが語るべき何ものも持ち得ていないケース。雄弁なひとには深い哲学と清水が湧き出るかのように連想が広がっていくケース。さて、どれを望んだらいいのかな?

(花は寡黙だ。しかし何事かを雄弁に物語ってもくれる)