前世から君を探して名前呼ぶ [2016年12月04日(Sun)]
ラッドウインプスは歌う。≪君の前前前世から/僕は君を探しはじめたよ≫と。宇宙の時空を超えて君を求めてきた、これからも迷わず探し続けるという意味合いの歌詞は力強く頼もしい。
圧倒的な光の量、煌めく光彩に目を奪われた。変化する光の様を、微細にかつ大胆に描き分けるアニメーションの技法。太陽や雲、彗星の光輝、都市や飛騨の祭りの光彩が、この世のものとは思えないほど異質の感覚を巻き起こす。陽炎のように不確かだった彼岸と間を、東京の高校生・瀧は行き来した。隔たる時空の光陰を映像で表現したのが、映画『君の名は。』(原作、脚本ともに新海誠監督)である。 人と人との出逢いは偶然だ。だが必然的でもある。そんなことを感じさせてくれるファンタジー。奇想天外な天体現象が機縁となって特異な物語が進行していく。開くドア、家の開き戸、襖、電車の扉がたくさん出てきた。低い位置から眺める視点がとても新鮮で、ドアを通り抜ける人は皆、時空間を乗り越えて行くような気分になって面白い。 諱(いみな)というのがある。忌み名とも書くが、本当の名前を口にするということは無礼なことで縁起が悪いとされた。霊的にその人格が支配されると昔は考えたのだ(「千と千尋の神隠し」で千尋が名を捕られたが如し)。反対から考えると、名前を知らなければ、名前でかけがえのない人を呼ばなければ互いに心は通じない。 瀧と三葉は互いをかけがえのない人として認識していたが、入れ替わりが終わると名前を忘れるばかりか、相手の存在さえも意識できなくなる。しかし無意識で「誰かを探すんだ」と強い思いを持ち続けた。だから三年の時空を隔てても、瀧と三葉とはつながることができた。黄昏の逢魔が時に、時空の交換は起こった。運命すらも転換し奇跡は起こった。三葉と瀧の軌跡がつながり結び合ったからこそ二人は運命を開いたのだ。 誰かとの今日の出逢いは前世から望んできたものかもしれない。大事にしようと思えた映画だった。 (間接光に不思議な雰囲気を漂わせている花。これは何だろう、JR出雲市駅前のプランター植え) |