快不快自発的なり幸不幸 [2016年09月30日(Fri)]
耳をつんざく騒音、長く続く意味不明の異音、まぶし過ぎる光、派手過ぎて目をおおいたくなる色彩、異臭や悪臭、不潔にしている人と肌や服が触れること……。いずれも不快なことであるが、破局した夫婦、犬猿の仲の同僚、長年にわたって仲の悪い隣人などとそうした事態が生じた場合は、別に過ぎたことではなくても不快に感じるものだ。不快どころか、虫酸が走ると言ってもよい(かといって私が今、破局しているとか、仲の悪い同僚や隣人に悩まされているわけではない)。
気分のものなのだ。人間関係が崩れてしまうといいことはない。そうした関係を多くかかえやすい人は大抵不満だらけの生活を送る。ヤツは自分をないがしろにするだとか、アイツはいつも自分を攻撃するとか言う傾向にある人なのだ。いずれも相手方に常に目を向けて不満をぶちまける。相手次第で自分の幸不幸が左右されがちな人なのだ。 今日食べるお金がないのに幸福だ!と言うのは偽善的であるが、幸せな事柄やステキな物事を見つけていくのは、私たち自身でなければならない。それが主体的に生きることなのだと思う。 (出雲工業高校の近くの交差点に咲いているランタナの花。同じ株からも違う色合いの花になって楽しませてくれる) |