徘徊しポケモンGOは何のため [2016年07月23日(Sat)]
ポケモンGOについて、懸念材料はニュースなどで報じられるとおり。アプリを起動すると、≪周りをよく見て、常に注意しながらプレイしてください≫と表示される。節度をもった使い方をしたい。歩くゾンビとけなされてはいけない。
さて、麻生財務大臣が「海外では引きこもりやオタクが外に出てポケモンをするようになり、精神科医よりよほど効果が出る」と評価した。観光地や店舗へ人が動くことによって経済効果も期待されるし、地方創生への助けともなるに違いない(ご当地ポケモンもあるようなので)。 ただ、思うのである。ポケモントレーナーにとって、ポケモンがいる場所に行く意味は大きいが、次々と捕獲することだけが目的になると、そこに居続けることの意味はない。スマホに収めたら、はい終わり!と立ち去るような気がする。 観光地で記念写真を撮ってしまうとさっさと退散するひとがいる。きれいな写真で紹介される名高い景勝地は多い。そこに行って写真に収まると満足してしまい、行ったぞ!という証拠だけを集めるために写真を撮るのだ。実にもったいない。 ポケモンGOにも同じおそれがある。今後アプリにはオプションが付加されて、関連サービスも開発されていくだろうが、行った先で一帯の魅力を感じて、できれば金も落としてから帰ってほしいものだ。 わたしは昨日休みをとっていたのをいいことに、午後にダウンロードして夕方からポケモンゲットに着手した。今日は松江に行ったついでに松江城、島根県民会館、県庁外周でたくさんモンスターを獲得した。友人同士や親子連れが夢中になっているのも見かけた。このまま行くと私も虜にされて膨大な時間をムダに使いそうなので、島根県立美術館を最後に封印した。原発に侵入するとか、崖から落ちるとかする連中の気持ちが少しはわかったような気がするんでお仕舞いといたしましょうか。 (太陽の花よ、ひまわりよ、キミは元気だ!) |