不愉快も不健康だと言うけれど [2016年04月23日(Sat)]
皮膚科診療所の待合室にいる。待合いのイスをすべて埋めるほどの人が待っている。隣の太めの女性は幅がある。右手でスマホをいじると右側にいる私の左二の腕をこする。不快だ。席を移動した。
30代後半とおぼしき母二人が話す。一方の母は声を抑えて話をする一方で、もうひとりは遠慮がない。病状がああだこうだ、子供がインフルエンザにかかって他の診療所で治療を受けた、だれそれがどうした、なんとかの店が美味しかったなどを、臆面もなく間断なくしゃべり続けた。抑えた方の母はうなずく時のアクションが大きい。手ぶりも大きいからイスが揺れるのなんの。席を移って本を読んでいた私はまた不快を感じた。 避難所のことを考えた。狭い体育館やホールに詰め込まれている。知り合いがいてもたいていは見ず知らず。声や体の接触が気になる。寝るとイビキが大きい人もいる。トイレに立つ、食事に行く、クルマにものを取りに行く。良好な人間関係がうまく育てばいいが、そうでなければイヤになる。クルマでプライバシーを保ちたいという気になるのは無理からぬことだ。 人と接触が少なくなるという点でクルマは確かに楽だ。しかしどんなに座席を倒しても体は伸ばせない。足や腰がしびれる、寝返りがうてない。熟睡するのは難しい。挙げ句の果ては血栓が知らぬ間にできて命を危うくする。わが家に帰りたいだろうなあ。そのわが家はもうない。多くの被災者が隠れて涙を流しているのに違いない。 (モッコウバラがいい感じに咲き出した。かの地で咲いたこの花が皆さんを癒やしているだろうか) |