望んでも生きるか死ぬか定めあり [2015年11月22日(Sun)]
20年間続いた独裁官政治が、法律で定めたとおり議会制民主政治に切り替わりました。そのとき仁科独裁官は、日本共和国すべての国民にこう呼びかけたのです(山田宗樹著『百年法』)。
「自虐的で冷笑的な言葉に酔う前に、その足で立ち上がってほしい。虚無主義を気取る余裕があるなら、一歩でも前に踏み出してほしい。その頭脳を駆使して、新たな地平を切り拓いてほしい。我々の眼前には、果てしない空白のフロンティアが広がっている。あたなにもできることは見つけられるはずだ」と。 この小説、夢中になって読み上げました、上下2巻の部厚い本を一気に。大胆なストーリーです。不老不死の世界を想像できるでしょうか。見かけでも年を取らないことは素晴らしいことなのでしょうか。しわの1本1本がその人の人生であるはずなのに……。 ヒトを不老不死にするウイルスが発見されて世界中が色めき立ちました。もうこれ以上老けないのです。細胞は永久に再生をくり返して体は不老不死になります。年を取らないと聞けば誰でも嬉しい。そんな魔法があれば何の心配もなく暮らしていける、と思うでしょう。でも社会の新陳代謝がなくなりますから、この小説の設定では人工的に寿命を100年で終末させることにします。そこから社会にも個人にも大きな波が続けざまに起こるのです。 生と死は不可分であるからこそ尊い。不老の若い体に老人の心が張り付いていたら不自然です。好奇心はなく新鮮味もない。保守に安住し、喜びのタネも少なく、生きていること自体がマンネリ化するのです。終わりがあってはじめて生きることが輝きます。 現代は死をタブー視しています。ほとんどを病院の中に閉じこめて死を忘れようとしています。死を抜きにした文明は、「自虐的で冷笑的」となり、「虚無主義を気取」ってしまいます。どんなに頭が良くても「その頭脳を駆使して、新たな地平を切り拓」くエネルギーは出てきません。著者は、刺激的なエンターテインメントでもって、不健康な現代社会に一石を投じています。 (紅に染まる葉に不老不死はない。色あせて落ちて朽ちてなくなるが、あとの世代が続く) |