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わが愛よさらばといって清算す [2014年12月05日(Fri)]

fumihouse-2014-12-05T20_22_43-1-thumbnail2.jpg映画『さらば、わが愛/覇王別姫』を20年ぶりに観た。小樓の妻・菊仙はなぜ死んだのかが気になった。女形の蝶衣が死んだ理由と重ねて考えた。

「覇王別姫」は漢の劉邦に敗れ包囲された楚王・項羽と、その寵姫たる美女虞の最期をクライマックスとした京劇の人気演目で、この映画は覇王別姫を得意とした役者二人を軸にする愛憎劇である。四面楚歌の成語でも名高いシーン。京劇独特のドラの響きが効果を上げていた。ある時はけたたましく、ある時は悲しみのこもる慎ましさでもって。3時間という長い映画が短く感じた。

京劇の養成団に属する子どもたち。辛い修行や死と隣り合わせの体罰に耐え、兄貴分の石頭と繊細気質の小豆は京劇界で頭角をあらわす。遊廓や宦官、同性愛の世界も描きながら、小豆は蝶衣に、石頭は小樓となって京劇界のきらめくスターとなった。

コン・リー(菊仙)の際立つ美しさと強さが目を引く。遊郭の娼婦出身でありながら、小樓の妻となって彼を見事にサポートするばかりか、生きることに不器用で孤立しがちな蝶衣も助ける。決然と困難に立ち向かったときの凛々しさが輝いていた。彼女の強さを支えていたのは、小樓の愛情があるからだった。遊郭の3階から飛び降りたときに彼が階下で受け止めてくれたあの体験を象徴的に、彼の愛を糧とするごく普通の女性だった。しかし毛沢東が権力奪取のために若者たちを扇動し中国が狂気にのた打ち回った文化大革命がすべての人の運命を狂わせた。紅衛兵の前で小樓は演技をした。「菊仙などもう愛してはいない」と、狂った群集の若いエネルギーに圧倒されてその場をつくろった。菊仙が生きる頼みの一本の綱が切れたのである。彼女には演技やつくろいはなかった。真一文字の実生活しかなかった菊仙はまっすぐに愛を清算した。

一方で蝶衣はなぜ自ら死を選んだのか。兄貴の小樓は蝶衣にとって役柄の項羽そのものであり、同性愛的な愛に貫かれていた(肉体関係はなかったが)。菊仙という邪魔者ができて嫉妬に狂い、それでも演目中で小樓への思いを傾注した。文革が終わり再び虞を演ずることができるようになり、もう誰にも邪魔はさせない、私は虞姫、覇王様(小樓)の剣で自ら首を貫いて死ぬのよ、それが愛……。そうした倒錯した心情があった。つまり演技と実生活を一致させて、彼なりに愛を清算したのである。

この極端な両者の間に立ったのが小樓であった。舞台では役になりきっても、実生活は別物。文革のあの凄惨な糾弾の舞台で生き残るには、菊仙を前にして演技するしかなかった。あの時はやむを得なかったんだ、許してくれよ菊仙、というのが彼の心情であったことだろう。だが他の女への興味も尽きない小樓であったわけで、ひょっとして彼のあの演技には一分の真実もあったのかもしれない。いずれにせよ、誰もが時代の狂気に踊らされて苦しめられていた。

まさに、いくつもの狂気を鮮烈に描いた映画だ。愛することの狂気、役作りの狂気、集団や国家というものの狂気。そして何よりも個々の人間そのものが持つ狂気。二人は少年のころ厳しかった師匠から「人は運命がある。逆らわずに生きていけ」と教導された。しかし人には誇りというものがある。プライドをズタズタにされてでも雑草のごとく生きぬくことは大変なことなのだ。狂気に逆らうことは命の危険を意味する。菊仙は死を選び、蝶衣は狂気に殉じた。小樓だけは逆らわなかった。

文革に巻き込まれた多くの人たちが総じて体験した恐怖を感じられる映画だった。毛沢東が絶対権力を奪取しようと目論んで若者のエネルギーを結集した。純粋に毛沢東万歳!と行動した者もいた。しかし多くは打算と退廃のはけ口として、中国全土を混乱の坩堝に陥れた。そんな時代が10年も続いたのである。それを収拾しようと精力を傾けた周恩来が今でも人民の父として慕われる理由がわかる気がする。人が信じられず、善意も希望も捨てさせられた非人道的な生活に戻りたいと思う中国人は今もいるまい。