米人に日本語魅力教えられ [2014年07月10日(Thu)]
詩人で翻訳家、米国ミシガン州生まれのアーサー・ビナードさんの講演会を聞きました。題名は『日本語ニモ負ケズ』という目を引くものでした。日本語を使って詩をつくり、日本語の魅力を発信する詩人という認識しかもっていませんでしたが、日本語への愛を語らせたら、氏の右に出る人はいないかもしれませんね。少しアメリカ訛りの日本語で、理路整然と語る氏。にぎやかにして静けさもたたえ、緩急自在に聴衆とキャッチボールをされる様子に、私も時間を忘れて楽しんだのです(講演はなんと3時間近く、予定より1時以上オーバー)。
大学を卒業後日本に来られましたが、日本語を学ぶ前に知っていた言葉は二つだけ。ひとつは「A so」(あっそう。昭和天皇が訪米した際によく使い、流行した)。二つ目は「hibachi」(火鉢。米国では七輪のことを意味しており、来日して真実を知り愕然とした)だったそうですから、今までの努力は並大抵のものではありません。 日々日本語で生きる身として、もう一度ことば遣いを大切にしたいと思えました。自分でもあまり使わなくなった言葉、使ったことがない常套句が氏からいくつか出てきて、その思いを深くしました。「ついぞ見たこともない」「バツが悪い」「邪推」「思考停止の具現化」などが印象に残ります。 氏は、日本語という同じ道具箱を使うもの同士として、食べたり飲んだり空気を吸うという行為から離れて、一見心地よく目に飛び込んでくるコピーライターの言葉に踊らされてはならないと警告されました。私も身が引き締まったような気がします。その代表格として近頃航空会社が出発遅延の言い訳として使う「新しい出発時刻は…」がやり玉に上がりました。「新しい」という良いイメージを持つ言葉でくるむことによって、遅れの事実を覆い隠し苦情を言いにくくしようとするあざとい戦略を感じるのだそうです。 その他、神武景気、岩戸景気、イザナギ景気と称される戦後日本を復興の象徴となった名前も、元をただせば朝鮮戦争やベトナムのおびただしい戦禍と民衆の悲惨を特需として生まれたアダ花経済であることから目をそらす、コピーライターの作製であることを忘れてはならないと、目が覚める言葉でした。 「千代に八千代に日本語が続くように…」と氏は願っています。そんなアホな、日本語が途絶えるなんてあり得ないと考えるなかれ。言語が経済活動に使えなくなると、現代では滅びの道に入ってしまうと氏は言います。アイヌ語とマオリ語もインドネシアの多くの言葉、あまたの言葉が限定された地域でしか使われず、博物館でのみ保存される運命にありますが、日本語だって安閑とはしていられません。TPPなどアメリカ経済の侵出という社会情勢にあって、小学3年から英語を必修にして「英語こそ優れた言語」だと子供たちに教え込もうとする文部科学省のもくろみ。日本語も将来は絶滅が危惧されると、超のつくスーパー言語・英語を母国語とする氏は憂えるのです。人生の半分以上を日本語を操りながら暮らしてきた方だからこその忠告でした。 (鮮やか夏の花、アガパンサス。台風8号の雨雲の合間に見えた夏の空色のように澄んだブルーが目を引く) |