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あいさつを挨と拶にと分けたなら [2014年04月17日(Thu)]

__tn_20140417192425.jpg昨今は挨拶するにも人を選ぶ。気心の知れた人にしか声をかけないという風潮である。不審者情報が流れ、ニュースでは行きずりの通り魔犯罪を報じているわけだから、なおさらのことであろう。それでも人の往き来が頻繁で人々が声をかけあっている町では、空き巣を狙う不審者には利く。彼らは顔を見られたくないから、顔を見て声を掛けてくる人は避けたいからだ。

そういう点では、邇摩(にま)高校がある仁摩町(にまちょう)の仁万(にま)は心地がいい場所だ。歩く人に「こんばんは」と声かければ、「こんばんは」と笑顔で返ってくる。庭先から声がかかることもある。

昨日の朝は邇摩高校の生徒昇降口でさわやかな声が聞こえた。わたしの出入りするところからは離れているので顔は見えなかったが、10人ほどの女子生徒たちが一列に並んで声を張り上げていた。わたしに向かって手を振っている子もいる。気持ちがいい朝だった。

挨拶は交友の幅を広げ、新たな出会いのチャンスとなる。人間練磨の出発点とも言えるだろう。挨拶の「挨」は押すという意味があり、「拶」は迫る義である。禅問答のやり取りにあって悟りの深浅を試すことに言葉の由来があるという。どちらかが発し、相手が受けることではじめて挨拶は成り立つ。「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」「お久しぶり」など、挨と拶が日々繰り返される 。マンネリ化した儀式だと考える向きもあるが、人間心理に与える影響は大きい。小さな社会でも、大組織にあっても挨拶は組織を円滑に動かす魔法の言葉だ。気持ちのよい挨拶を繰り返していけば、組織のチームワークは確実に高まっていく。

自分から声をかけるのは恥ずかしい…無視されたや嫌だな…ええ格好しいの奴、ウザイ奴と思われやしないだろうか…心配はつきないかもしれない。勇気をふるって自分が変われば、相手もいずれは変わる。自分の見方が変われば相手の良い面も見つかる。気持ちが豊かになる。また今日も昇降口で彼女らの挨拶が見られるだろうか。元気な声が聞かれるだろうか…。楽しみである。

(追記/4月17日夜)
彼女たちの元気な声は今朝も聞こえた。昨日よりもっと元気になっていた。部活の強化の一環として彼女たちが自主的に挨拶を始めたとのこと。マンネリ化した日常に何らかの一石を投じたい時には、勇気が必要だ。今までとは違う行動をとるためには清水の舞台から飛び降りる思い切りがほしい。朝から元気のもとを湧き立たせようという試みに、わたしは拍手を送った。彼女たちだけが元気になったわけではない。挨拶を受ける生徒らも違う空気を感じとって、ピリリと心がひきしまったに違いない。頼もしい娘たちよ。おじさんは嬉しく思いましたぞ。


(コメント)
あいさつは、ほんとに大事なものですね!
朝から元気よくあいさつすると
すごく気持ちがいいですよ ✡✡
これからの、結果につながってくれるといいです。
投稿者 さりぼん : 2014/4/22 (火) 19:57

コメントありがとうございます。ほんとに気持ちいいですね。僕も心がけています、声をかけるように。返ってくれば嬉しい。でも返ってこなければ…落ち込む、一瞬だけど。無視されたとしても、心に徳が積まれたと考えましょう。また明日も顔晴って、ガンバろう。
投稿者 挨拶をとこ : 2014/4/23 (水) 21:12