桜には不思議な力妖しくて [2014年04月03日(Thu)]
桜の時季。ソメイヨシノがこちらでは満開直前。ハラハラと散りゆく満開は今日あたりだろう。午後には雨。散り去く花を惜しむときがくるのは残念だ。この時季が希望に満ちたときであるのは確かだが、なにか不安で落ち着かない。進学、就職、転勤など環境が変わっていくからだ。花見があるのも一つの原因かもしれない。それはどこか妖しい。坂口安吾は『桜の森の満開の下』で、凶悪な山賊に言わしめた。
≪どっちを見ても上にかぶさる花ばかり、森のまんなかに近づくと怖ろしさに盲滅法たまらなくなる≫ 花冷えの風が肌を刺すとき、風がなくしんしんと花が舞い散る夜桜を見ていると、どこか穏やかではいられない。春が来たという喜びだけにとどまらず、満開の桜花には魔力がある。 梶井基次郎は『桜の樹の下には』で、≪桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。≫と桜花の見事さを劇場のように表した。 昔話『花咲か爺』にも桜花の力が描かれている。心やさしい老夫婦。犬が「ここ掘れワンワン」と鳴き畑を掘ったところ、小判がわんさと出た。隣のいじわる老夫婦は、その犬に無理やりやらせたが、ガラクタしか出なかった。怒ったいじわる夫婦は犬を殴り殺す。悲嘆したやさしい夫婦は犬をねんごろに弔い、墓の傍らに植えた木はたちまち大木となった。木で臼を作って餅をつくと小判となる。隣のいじわる夫婦は臼で餅をつくが、出てくるのは汚物ばかり。激怒して彼らは臼を燃やす(哀しむばかりで怒らぬやさしい夫婦)。やさしい爺が灰を枯れ木に撒くと桜が満開になった。「枯れ木に花を咲かせましょう」と。お殿様がご覧になり褒美を与えた。妬んだ隣の夫婦は懲りずにマネをしたが、お殿様の目に灰が入り罰を受ける(強欲と無慈悲が身を滅ぼすことを学ばぬいじわる夫婦)。 この物語をさかのぼれば、桜に行き着く。桜の化身があの犬だったのかもしれない。満開の桜の群落には輪郭がにじんだ絵のような不思議さがある。そのにじみが春の私たちを狂わしていく。にじんだごく淡い桃色が妖艶に色気を醸し出す。桜は妖力を持っている。 (朝の山陰本線の沿道に見えるソメイヨシノは淡い春霞に染められている。写真は昨夕仁万の桜) |