リズミカル歩く速度にゆとりあり [2013年12月28日(Sat)]
わたしは歩くのが好きだ。リズミカルに早足で歩くのはもちろん、ブラブラとまわりの景色をうかがいながらゆったりと歩くのも好きだ。少々寒いときでも、歩くうちにほかほかとしてくる。暑ければ汗は吹き出すが、そんな季節だと思ってやりすごす。
歩くうちにいい被写体が見えてきてスマホをかざすこともある。ああこの角度がいいなあ、そうだもう十歩さがってみようかなどと思う。住宅街だと草木や花が飾られる庭に目がいく。洗濯ものの干しようでそこのうちの生活ぶりが想像されたりする(不審者に見られないようにしよう)。詩想がわいてくるのも歩いているときが多いような気がする。歩くのは自由だ。時間さえあれば思うがままに観察と想像の翼を広げることができる。 ≪人間的な速度の限界は、馬車に乗っているときの速度だと言った人がいます。それを超すと、まわりの風景はどんどん流れ始めて、目にとまらなくなってくる。見えるのは遠景だけで、身のまわりの小さな花なんかは、存在しないのも同じことになる。≫ (天野祐吉著『成長から成熟へ―さよなら経済大国』集英社新書,2013年) 馬車に乗る速度とは自転車でゆっくりと進むまでのスピードだ。確かにそれを超えると、もはや目的地まで一直線にしかならない。急ぐときもある。焦ってジリジリとすることもある。そうでないときには少しはゆとりの時間を感じていきたいものだと思う。 (今日の積雪は15センチほど。雪の重みで竹がしなっていた) |