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劣化するメディアを守るか排するか [2013年05月02日(Thu)]

__tn_20130502121145.jpg映画『図書館戦争』では、図書隊とメディア良化委員会軍とが小田原でもって正規の局地戦を戦った。今朝報道された小田原の中学校での事件と不思議な符合を感じてしまう。まずは中学2年女子2人が、教室を破壊した上に水びたしにした事件で補導され、「漫画・惡の華のワンシーンを真似た」と供述した。さらに小田原の別の学校では男子中学生が前の事件を真似た模様である。

もしも「メディア良化委員会」なるものが実在したとしたら、この事件を奇貨としてこの漫画の閲覧中止・廃棄処分を命令するであろう。そして図書隊が表現や思想の自由を楯にして、両者の戦端が開かれるに違いない。「惡の華」という漫画は閉塞感にさいなまれて屈折しつつも自我の確立に向かっていくという物語のようであるが、ほんの一部でも真似れば大きな社会的不利益が生じかねない、現に模倣犯が出たではないか、と委員会は検閲を実行するだろう。

反対の声に対し委員会はおそらく言い放つ。「劣化したメディアを排除する」と。劣化しているかどうかは人それぞれ判断が違う。しかし漫画や小説、雑誌、新聞、インターネットなどに溢れかえっている放縦な性描写、際限のない暴力描写、人権や人命を無視した処置。それらが目の前に存在していれば、「私たちはメディアを良い方向に化導する」という理屈は一見もっともだ。そこで表現の自由に一旦制限を加え始めれば、権力側は容赦なく自由を制限しはじめる。疑わしくば罰するという狂気も露わにし、本来正当な批判勢力に対しても動きを封じる。そして暗黒のファシズム社会になってしまう恐れがある。図書館戦争で人びとは自由を謳歌しているように見えはしたが、本の値段は吊り上がり、健全に権力を批判できるマスコミは少なくなっていた。それでなくとも空気で動く日本社会にあっては、一度転がり始めた玉を途中で止めることはできないという認識を図書隊、なかでも仁科司令は明確に持っていた。

もちろん劣化するメディアはマスコミに限らない。ネットに溢れかえる個人のサイトや書き込みが、火のないところに煙を立てて、無辜の一般人を晒し者にして笑いものにする。むしろこちらが悲惨であり、だからこそ冷酷にも人を虜にする。こうした世界は図書館戦争の中にだけあるのではない。今の僕たちの生活にそのまま当てはまる。

劣化したメディアを守るべきか否か、そもそも劣化したと判断を下すことが正しいのか否か。そうした重い課題が図書館戦争には示されている。