最強の二人はきつくタッチして [2012年11月19日(Mon)]
腹を抱えて笑った。体が揺れて座席も揺れた。『最強の二人』は笑える映画である。同時に人権や福祉や人生を考えさせてくれる深い映画だ。
ドリスは黒人、フィリップは白人。 ドリスは壮健頑強でスポーツ万能、フィリップはパラグライダーの事故によって頸椎損傷した重度障碍者。 ドリスの仲間は失業者ばかり、フィリップは金持ち階級の社交界に暮らす。 フィリップは高級邸宅に住み、ドリスは低家賃の母の住宅にも入れてもらえない。 フィリップは気難しく、ドリスは楽観的でハチャメチャもする。 ドリスは失業手当をもらうために汲々としていた、フィリップは富豪で24時間対応の介護者を募集中。 ドリスはあけすけな遠慮のない言葉をかける一方、フィリップは口数が少ない。 フィリップはクラシック音楽を好み、ドリスは強烈なポップスで踊り狂う。 ドリスは自由奔放に笑い冗談を飛ばし、フィリップは微笑む 程度で上品だ。 周囲の気遣いにフィリップは疲れるが、ドリスはフィリップが障碍者であることを時折忘れる。 フィリップの身の回りを世話をする介護者は数週間と努められない。フィリップは気難しく不機嫌で介護することは大変だ。どの介護者も腫れ物に触るような思いでフィリップの世話をして、結果として疲れ切って辞めてしまう。だがドリスは違った。ドリスは粗野で野性的でハチャメチャだ。フィリップはそのドリスに賭けた。ドリスは一見乱暴で何をしでかすか分からないが、不正なことを許せない正義感をもち、周囲がどうであれ物怖じせず堂々と自分のやり方を貫く好漢である。 人間として本音で何度かぶつかった結果、二人はうち解けあい、フィリップはドリスによって初めて生きるに楽しみを見い出した。笑顔が弾けて大笑いをして、挑戦意欲がわき出した。周囲は下層出身のドリスを雇うことに反対の者が多かったが、フィリップは意に介しない。この映画は実話であり、別々に暮らすようになった二人は今でも強い友情で結ばれているとエンドロールで紹介された。 障碍者に対する福祉、人権問題はデリケートである。気の毒だ、可哀想、世話してあげる、同情するといったステレオタイプの障碍観がある。デリケートであるだけに、あまり触れたくない、無難にやり過ごしたいという気分が一般的にあるのは確かである。この映画の原題が『intouchables(アンタッチャブル)』(英語題「untouchables」)となっているのはそんな意味だと解釈した。それに対して日本語題『最強の二人』はそのデリケートさに正面からぶつからずに、逃げていると思う。 フィリップは身動きができない重度の障碍者、しかも大金持ちの実業家で権勢は高い上に気難しい。周囲の取り巻きが腫れものに触るような態度で彼を扱うのも当然のことである。ところがドリスにそんな観念はない。ある面ハチャメチャで甘い恩情や福祉の理念などとは無縁であった。 では障碍者に接するに当たってドリスのようにすればいいのか。否である。彼だからこそできたことだ。圧倒的な体力、リズム感、明るさ、おそらく黒人総体として差別されてきた歴史も含めて、彼だからこそできたことかもしれない。わたしたちがそのようにやれば、直ちに非難を浴びて糾弾されることは間違いない。それでも、逃げてばかりでは共生への道は開いてこないと私は感じた。 (写真は、いよいよお出ましポインセチア。クリスマスの色で登場) |