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ギターとは静寂なもの心温む [2024年10月03日(Thu)]

fumihouse-2024-10-03T18_43_42-1-thumbnail2.jpgリサイタル『ギターと静寂』を出雲・ビッグハートの白のホールで鑑賞。クラシックギタリスト五十嵐紅さんのソロ・コンサートであった。

開演前のステージには何もない。椅子無し、足台無し、譜面台も無い。足台や譜面台がないのはわかるが、なぜ椅子がない? 氏が小さなギターを持って現れた時には目を見張った。19世紀ギター? ダボッとした短めのパンツにも目がいく。上もゆったり大きく長めのシャツを着ている。ギター以外は黒色。足元も黒のエナメル靴。へぇーこんなギタリストがいるんだ!とびっくりしながら演奏に耳を傾けた。

ギターはもともと音が小さい。しかも、氏の19世紀ギターは内部構造が現代仕様で響きが良いとはいえ、なにぶん小さい。大きな音は望めない。しかも、爪を使わない指頭奏法。指先を使うので爪で弾くほどにクリアで大きめの音は出ない。しかも、ストラップに掛けてギターを立ったまま演奏する。現代ギターは座って弾く。足台も使って安定させて演奏するようになった故、ギタリストの技量は格段に進歩したと言われる。氏は座らない。

だから半端なく違和感があった。私の未体験ゾーンに位置するギターリサイタルであった。しかし、それは演奏が始まるまでのこと。リズミカルにあるいは不規則に揺れる身体を通して、繊細で柔らかい、ギターの真髄と言えるまでの甘美な音が響く。ピアノシモに抜群の冴えというか、深淵な響きを感じる。正確な左手の押弦と右手の優しい弾弦から豊穣な音が柔らかく空気を震わせ、醸す静謐感に私は魅了された。150人ほどの聴衆も同じように思ったであろう。

氏は全て暗譜で譜面台を使わない。曲の解説もソラで静かに語る。マイクは使わない。御本人そのものが『ギターと静寂』であり、音楽を愛する静謐な姿に感動を覚えた。

曲はバッハ、同時代のヴァイス、ギター界のショパンたるタレガ、日本代表武満徹、ロマンチックで悲劇的な映画音楽を演奏された。閑静で心落ち着く曲ばかりであったと思う。来年も出雲で演奏するという(次回こそ出雲大社に行くと決意を述べた)。ぜひとも再びの演奏を聴きたい。

(静寂な佇まいで蕎麦の花が咲いている。収穫されて挽かれて麺にされて、美味しく食べられるのを泰然と待っている)
コドモにも信じられて足るオトナたれ [2024年08月26日(Mon)]

fumihouse-2024-08-26T18_58_11-1-thumbnail2 (1).jpg「絵本とは、大人を信じている子どもたちに手をさしのべるもの」、というのは益田・グラントワで行われている『堀内誠一 絵の世界』で堀内が言った言葉として紹介されている。

画家、デザイナー、雑誌ディレクター、絵本作家などマルチな才能を発揮した人ではあるが、絵画一つをとっても一様ではない。表現の幅が拡散して同じ人が制作したものとは思えないほどの異なりようだ。好みはあれど、心から描くこと、書くことが好きで好きでたまらなかった創造人がここにいたのだと思う。50代の半ばで亡くなったことは残念であるが、冒頭の言葉、なんと素晴らしい。子どもたちへの愛情が色とりどりのバラエティに富んだ絵柄に現れている。わたしも福音館書店の「こどものとも」や「たくさんの不思議」で堀内に接していたことを、今さらながら知って、なるほどと感じる。

子どもたちに読み聞かせをする機会はとんと減ってしまったが、信じるに値する大人にならなくてはなるまい。
糸の下あやつり人形命かけ [2024年08月25日(Sun)]

fumihouse-2024-08-25T22_20_28-1-thumbnail2.jpg益田・グラントワで行われた、益田糸あやつり人形の定期公演を観劇してきた。太夫と三味線とに合わせて、70センチほどの人形を操る人形浄瑠璃である。

八百屋お七の演目では、艶やかさや色っぽさを表した。人形を10本以上の絹糸を使って巧みにシナを表現する。見事なものである。弁慶の演目では、勇壮で荒々しいなりを、ふとした仕草も加えて観る側に感情の機微を伝える。なんともファンタスティック。三味線の謡い、太夫の節をつけた語りが加わると人形たちは、生きて古の人々の喜怒哀楽をもって観客を魅了する。

終演後の舞台で人形遣いの体験をすることができた。重い人形を高い位置にある歩み板の上に立ち、下を向いて操作する。熟練の技であるのは当然だが、さぞや肩も凝るであろう。年季とはいえすごい胆力が必要だ。

ただ、義太夫節からなるこの人形芝居は、すべて古語と漢語で演じられる。中世から近世に至る歴史物語が題材であるから、現代人には馴染みがない。どうしても難しい(申し訳ないが居眠りした)。口語で演じてほしいと思った。近現代の新作が、出てほしいとも願う。

益田にこの人形浄瑠璃が伝わったのは、明治20年頃という。芝居は連綿と受け継がれたが、数十年前には団員がわずか5名となり、風前の灯であったという。子どもにもウイングを伸ばし、親たちも引き入れて愛好者を増やし、今では24、25人の会員が支えるようになって、こうして定期的に公演もできる。頑張ってほしい。及ばずながら寄付をしてグラントワ中ホールをあとにした。
大阪やああ大阪の気概あり [2024年07月10日(Wed)]

fumihouse-2024-07-10T07_19_51-1-thumbnail2.jpg祈るひとは、耐えて祈る、契りに歌って祈る、厳しい定めと覚悟して歌い祈る、咲き乱れる撫子の光に宿し祈る、遠く果てない花野を歩んで祈る・・・(田三郎曲、村上博子詞「遥かな歩み」を聞きながら)。

ほんま、わろうた。ごっつええでぇ。大阪・吉本のライブみたいやったわー・・・。団員が大阪のおばちゃまの派手な出で立ちで舞台や客席から登場し、わいわいガヤガヤ、ノリノリの大盛り上がり。その流れで最初の曲は『あめちゃん』。そのノリに思わずノってもうたがな。「あめちゃんいる?」と場内に問われて、「いる!」とつぶやいた(にしては、デカい声)。

終演後感想を出演者に送ったら、「あーーー!アレって原さんだったんですね。みんなその話で盛り上がりました」と感謝され、大阪のおばちゃまたち、大喜びだったと情報をいただいた。いらぬお世話かと心配もしたが、嬉しい限りである。

もちろん笑うだけではない。祈りや移ろう季節、ひとの気遣い、ピアノの力強く美しい調べ。多くの感慨を残してくれた。出雲の女声合唱団フィオーリと大阪・高槻のカンティ・サクレ女声合唱団とのジョイントコンサート。題して『ひと うた 結ぶ出雲』は渾身の内容で、外気は灼熱であったが、爽やかな気分で家路についた七夕の日であった。

(出演者の明るさが、そして着実さが向日葵のようだった。転じて昨日は松江で12時間189ミリの大雨。日御碕道路が陥落、各地で冠水被害があった。昨日の午後からJRは運休中)
樹の下に癒しの音色ベンジャミン [2024年07月06日(Sat)]

fumihouse-2024-07-06T11_30_45-1-thumbnail2.jpgベンジャミンの樹の下で5人のコンサート。出雲市ひかわ図書館で昨夜、『大人の夜の図書館』のイベントがあった。

バイオリン、ビオラ、チェロ、チェンバロによるバッハとビバルディ、モーツァルトの調べ。最前列のイスにかけて聴くのは気持ちよい。昼の疲れが出て(昨日も熱中症警戒アラート)、ウトウトしたのはご愛嬌。珈琲を飲みスコーンをかじりながら、大人の夜を味わった。演奏が終わって振り返ると、50人以上立ち見の人がいたのは驚いた。チェンバロの中身も見せてもらった。爪が弦(ピアノと異なり同じ太さ)を上方に引っ掻く様子も分かった。初めての得難い体験だ。

ベンジャミンの木にはリラックス効果があるという。この図書館は内装外装ともにレンガ仕様で、欧風の落ち着いた佇まいがある。役場の建設担当だった方(中学校の剣道部の先輩)が大奮闘して丹精を込められた。そして魂魄をとどめられた。残念ながら亡くなられたが、宇宙に溶け込んだ彼の生命も、この催しを喜んでいたに違いない。

(オシロイバナが一日限りの花を咲かせる。花言葉は、臆病と内気)
人形と街と家族と世界なり [2024年06月09日(Sun)]

fumihouse-2024-06-09T10_37_06-1-thumbnail2.jpg野ア千愛季氏の創作人形展を観てきた。平和と平穏を希求する、鬼気迫る思いがビシビシと伝わってきた。創作の動機について氏はこう記している。

≪私は理不尽な暴力を散々憎んで、理不尽な暴力に抵抗することもできず、ただうちのめされるしかないことに納得できなかった。私は抵抗したかった(中略)私はあらゆる方向からの暴力を憎んでいた。敵とされている国からの暴力、自分が住んでいる場所からの暴力、いっしょに遊ぶいじめっ子たちからの暴力。私は「暴力」に抵抗するのだ。その抵抗の手段が「武装」という「暴力」であってはならない。武装は本当の本当に最後の手段でなくてはならない。「表現活動」で抵抗しよう。銃の引き金を引くのをちゅうちょするような作品を作ろう。いじめっ子が私に悪さをするのをためらうような絵を描こう。何も変わらなくても、抵抗することに意味がある≫

暴力でもって問題解決の手段にしてはいけない。戦争という究極の悪の暴力を求めてはならない・・そうした強い気持ちが伝わってくる。細密で丁寧な人形の造りに驚嘆することは当然のことだが、人形の表情と姿勢に思いがこもっている。

≪話しつづけて。
 コミュニケーションをとりつづけて。
 どんなに無意味に思えても。
 対話できている間は戦争はおこらないから。
 それはひとつ屋根の下に暮らす家族も同じ≫

戦争はどこか遠く離れた世界にあるのではない。身近な環境の延長線上あり、まずは小さな対話を軽視しないことから始めようと思った。

地域の逸材である野崎さんを応援していきたい。人形展は出雲かんべの里(松江市大庭町)6月16日(日)まで。入場無料(自由意志の寄付求む)。インスタグラムでも投稿多数。https://www.instagram.com/stories/nozaki_chiaki/3385864009575496468?utm_source=ig_story_item_share&igsh=MWJ0M2U5c2c3eXhndw==

(出雲かんべの里にはザクロの花が咲いていた。強いオレンジ色に黄のコントラスト、実のように硬質のツボミが野崎氏の作風をイメージさせる)
サクラ満ち広響トリックスターかな [2024年04月06日(Sat)]

fumihouse-2024-04-06T21_09_22-1-thumbnail2.jpg広島交響楽団の民音名曲コンサートを楽しんだ。演目はメンデルスゾーン『バイオリン協奏曲ホ短調』、ベートーヴェンの『交響曲第7番』など、超有名曲を熱演された。特に「ベト7」には血沸き肉踊った。ソロのあるメンデルスゾーンを除き、オケ主体の曲では気になる演奏者がいた。演者と言うにふさわしい。

時折笑顔を客に向けながら(笑みではなくニッコリ笑顔)、楽しげに弾く。音量を抑える時には、バイオリンのささやく音を盗み聞くかのように身を屈める。短調の旋律には深刻な雰囲気を醸し出し、大きく弾むリズムと音量が轟くときには、腰を浮かせて跳ねる。激しいボウイングでは客の方向に顔を向けて一心不乱に弓を上下させた。第一バイオリンの端の最後尾(コンサートマスターの同列の客席側)で演奏し、客席からよく見える。

彼の目立つ大きなジェスチャーを見ていると、こちらも楽しくなる。その面白いパフォーマンスにわたしは腹を揺すった(声は出さない)。その彼は「ミスター広響」と呼ばれているとか。

クラシックは真面目に演奏し、四角四面で緊張して聞かなくてはならない。そんな偏見に満ちた秩序を打ち破るトリックスター的な存在ではないかと思った(大袈裟かな)。第一バイオリンのパートにあって英雄的な地位にある(きっと)。広島市民に愛され応援される広響にふさわしい人だと思った。

広響の山根さん。松江・プラバホールのリニューアル記念公演として行われる4月27日の島根定期演奏会、ここでも期待してますよ。

(演奏会前に歩いた、出雲市駅近くの赤川土手に広がるソメイヨシノの大並木には満開の花)
音楽で春満たされて心満つ [2024年03月31日(Sun)]

fumihouse-2024-03-31T20_58_26-1-thumbnail2.jpgこの世は音楽で出来ている。オカリナの発表会に参加して、そう思った。わたしがオカリナを吹いたわけではないが、妻のオカリナのギター伴奏をしたのだ。会ではオカリナの他に講師さんが弾くピアノ伴奏があり、ハーモニカを吹く壮年もいて楽しんだ。

ああ失敗した!と眉をひそめ、いいハーモニーを奏でて満足する。わたしも含めて皆さん、音楽を楽しんでいる。音も、奏者の表情も、観客の雰囲気、会場の空気、暖かい春の空、さえずる小鳥、一部咲きの桜、ぬるんだ水道の水、新緑に笑う山々・・・すべてに音がある。音楽が鳴っている。この世は音楽で出来ている。

(辛夷(コブシ)もまた、音楽を奏でている)
ギター弾き揺蕩う春の穏やかさ [2024年03月23日(Sat)]

fumihouse-2024-03-23T22_30_27-1-thumbnail2.jpg「ギターの父」と呼ばれるのは、フランシスコ・タレガ。19世紀末から20世紀初頭のスペインの作曲家である。最も有名なのは『アルハンブラの想い出』。初心者も好んで弾く小品『ラグリマ』も不朽の名作と言えよう。

わたしが取り組んでいるのが『前奏曲第1番』。ターン・タ、ターン・タと続くシンコペーションのリズムを基本に、揺蕩(たゆた)う明るい春を醸し出す。ホ長調からホ短調への転調は少し事件めいて場を惑わせて、結末は穏やかに幸せに終わる。

もうひとつは『ゆりかご』。テンポのよい小太鼓のようなニ長調の楽しい曲。楽しいのを楽しく弾くのは難しいが、何度も繰り返し、余裕を持って運指を進め、情感を込めて歌えるようになりたい。

タレガの小品はステキだ。美しい和音が存分に響く。ギター音楽を再興し、その魅力を知り尽くしたタレガ。その世界観に浸っていきたいと思う。

今日は鳥取まで遠征し、ギタ弾こ会に参加した。カフェ・レスト「サブレ」にて揺蕩う春の日本海を眺めながら、ギターを弾き合った。わたしはといえば、前奏曲の他に、妻のオカリナと『ソルの月光』『太陽がいっぱい』をデュエットで披露した。ベストの演奏は出来なかったが、参加者と楽しい交流を重ねることが出来た揺蕩う春の一日であった。お世話いただいた木村さん、ありがとうございました。

(春よ来い、春は来た来たと喜ぶ、花桃の花たち)
砂浜に新生生物現れた [2023年08月11日(Fri)]

fumihouse-2023-08-11T21_26_38-1-thumbnail2.jpg『テオ・ヤンセン展』を楽しんだ(島根県立美術館)。砂浜に蠢く(うごめく)巨大な生き物のようなもの。プラスチックパイプとチューブ、結束バンド、ペットボトル、シートで出来ている。大きいものは高さ3メートル以上、長さも10メートルはある。ヤンセンはオランダの物理工学者にしてアーティスト。ストランド・ビースト(砂浜の生命体)の制作し、現代のレオナルド・ダ・ヴィンチと称される。

実演もあった。尺取り虫のように、ムカデのように、すり足で、足を上げて、意外となめらかに動く(前方向だけだが)。ヤンセンさんがオランダの広い砂浜で補修しながら試行錯誤する映像が面白い。楽しそうに一緒に歩き回っている。可愛らしいペットのような新種の「生命体」。わたしを含め、多くの老若男女が目を見張っていた。
塗り込めた時間を頼り一歩一歩 [2023年07月12日(Wed)]

fumihouse-2023-07-12T22_08_10-1-thumbnail2.jpgニセ物ではある。が、塗り込められた時間に感慨深いものがあった。徳島・鳴門の大塚国際美術館には千点余もの展示があるという。製陶技術の粋を凝らした陶板名画西洋美術の作成。窯元による陶器の製品は釉薬と窯の温度によって出来不出来があるというが、ここの技術は色合いから筆のタッチまで復元している(絵によっては平板つるつるのものもあるが)。陶板は色褪せずに、原本の色や肌合いを伝えてくれる。広い館内を五千歩は歩き回った。偽物とはいえ、じっくり眺めたくて、なかなか進めなかった。1点ごとの解説が専門の学芸員顔負けで、記述がしっかりしているというのもある。

冒頭の「塗り込められた時間」には、こんな意味がある。元本の絵やモニュメントといった傑作に製作者が費やした時間は莫大なものがある。それぞれにモデルとなった人物がいる。数限りない人が関わった歴史がある。原作者や関係者の周辺には家族がいて、友人がおり、上司がおり、侍女がいて、モデル当人のために費やす時間は幾何級数的なものとなる。作品が完成して陶製の複製が出来上がるまでの数十年、遠くは数千年の年月が過ぎる。実作者の工夫と努力はもちろんのこと、大塚製薬のグループ会社である大塚オーミ陶業株式会社の技術者たちが名画の一点一点を製陶で再現させた膨大な時間。この美術館が完成してから25周年を迎えたまでの時間と多くの観客の感嘆ぶり。過去と今が合わさって、塗り込められていることに感無量となる。楽しい時間を過ごすことができた。

(エジプトで出土したという「婦人の肖像」。二千年もの時間が塗り込められている)
今は冬ブエノスアイレス熱き潮 [2023年07月02日(Sun)]

fumihouse-2023-07-02T20_41_48-1-thumbnail2.jpgNHKFM放送の「ベストオブクラシック」とBS放送「クラシック倶楽部」の公開収録を楽しんだ。場所は安来・アルテピア大ホール。バンドネオンと弦楽四重奏団によるアルゼンチンタンゴである。アストル・ピアソラの曲が目白押しだ。「リベルタンゴ」で名高いピアソラ。伝統的なタンゴにクラシックやジャズを加えて新境地を開拓した。

「ブエノスアイレスの冬」 ギターでもよく弾かれる人気曲。ブエノスアイレスの冬景色は寒々しいものではなく、家族や友人同士が集まって暖かい人間模様を描く光景が想像される。
「オブリビオン」 好きな曲である。忘却の彼方にと題して、甘美で儚い夢を描く。柔らかいタンゴのメロディが気持ちをくすぐる。

両番組とも平日は毎日放送があるが、ディレクター氏によると、年4回だけ地方収録が行われるとのこと。あとはすべて東京近辺で収録される。地方で4回のうちの1つに入ったということで喜ばしい。

バンドネオンの名手・小松亮太氏、あれほどのひょうきんな構えから軽口のトークを織りなす人とは、写真を見るだけではわからなかった。まっ、ラテンのリズムが人柄にも影響するのだろう。演奏は実に見事なものだった。弦楽四重奏団のクァルテット・エクセルシオの演奏もまた名手ぞろい。

放送はラジオが8月10日(木)19時30分、テレビが9月8日(金)朝の5時。忘れないようにしなくては。

(ゼニアオイ(銭葵)はアルゼンチンタンゴの気分)
油絵に自画像バイク弥山裾 [2023年05月20日(Sat)]

fumihouse-2023-05-20T13_59_49-1-thumbnail2.jpg出雲文化伝承館できょう開幕した『春日裕次展』を鑑賞。氏はわたしの高校同級生。奥様も美術教師で娘の担任だったという縁もあり、オープニングセレモニーに参加し、初発のギャラリートークも楽しんだ。画風はバイクと自画像、とばかり思っていたが、女性や子ども、静物、マジシャン、風景などあり、意外と多彩である。

初期の「ネイキッド」が気になった。その名のとおり、むき出しの自画像の背景にバイク。表情は無機的で内面を抑えているようには見えるが、若いエネルギーに満ちている。点描や細い線の塗り込みでブルーを基調にした全体感が爽やかだ。1991年に東光展奨励賞を受けている。

2016年日展で特選を受けた「胎動」も印象深い。バイクの心臓部を背景に、上半身裸の若者が屹立している。自画像かと思っていたが、若い同僚教師であると氏のトーク。終了後、似てるね?と尋ねたら、人物画は結局何度も自分の姿を鏡で見直すから似てくるんだよと彼は言った。なるほど、やっぱり自画像だ。

人物像を描くのは苦しい。一方でバイクのエンジンを描くのは楽しいと氏は言った。静物というのは無生物もしくは死んだ体でありながらも、エネルギーがある。年月を超えて分解されて原子、素粒子にまで遡り、再び何かを形づくる根源となる。この世の存在すべてが、生成し安定し空に帰し、再びそれを繰り返す。そうした宇宙の成住壊空を感じさせる物のエネルギーを氏は表現したいのだと思った。特に好きな対象物については、掘り下げて眺めキャンバスに塗り込んでいくことがいくらでもできるのだろう。

人物画というのは、それがたとえ自己の肖像であっても、眺める自分と見つめられるモデル、そして超空間から凝視する別者の目も加えた人物の姿。そこに、時間経過で光が変わったり、当人たちに変化が生じて千変万化する。それらが絡み合って筆に迷いが生じる、そんなことが茶飯事なのではないかと想像した。

鑑賞後、アンケートにわたしはこう書いた。「初々しい頃から今に至るまで、志を変えず貫いてこられた氏の意志を感じます。厚く暑すぎずしなやかな意志です」と。書きなぐったので、「熱すぎず」を誤ったのはご愛嬌。

自己の表現を求め、試行錯誤を繰り返し、高校教師としての職責も勤め上げた。今も新しい扉を開こうと、ときに戸惑いつつも希望を抱き続ける……すなわち、青春の煌めきを存分に残している。氏にとってこの個展が新しい扉となって次なる光彩が見えてくる。『春日裕次展』の盛会を祈っている。

(出雲文化伝承館の瓦葺き屋根と欅の向こうには、出雲大社をいただく弥山(みせん)が見える。零れ落ちそうだった雨だが持ちこたえて、氏を祝した)
哀愁の城壁の音アランブラ [2023年05月16日(Tue)]

fumihouse-2023-05-16T21_57_24-1-thumbnail2.jpg『アルハンブラの想い出』は永遠の名曲(アランブラとも表記)。しかも最上級(わたしが思うに)。フランシスコ・タレガが130年ほど前に作曲し、多くのギタリストに弾かれた。ユーチューブやコンサートでも耳にする機会が圧倒的に多い。わたしだって弾く。何度聴いても弾いても飽きないところが魅力だ。

♪ミーレドーレミー♪ 冒頭はイ短調、後段はイ長調。繰り返してコーダから終局へ。バス音と中声部和音は親指が担当し、薬指、中指、人差し指で一つの弦を繰り返し弾くトレモロ奏法でメロディとする。

アラビア語で「赤い城塞」という意味のアルハンブラ。イベリア半島を支配していたイスラム文明に対し、ヨーロッパがルネサンスを経て反転攻勢にかかる。イスラムが追い落とされた最後の牙城がアルハンブラ要塞。イスラム教徒にとっては望郷の象徴であったであろう。

トレモロは調子の波が大きい。練習を怠るとトレモロは弾けなくなる。ならば今夜もこのメロディを弾こう。

(シラーの花がトレモロと関係ある? ないけど、聞こえない音律が響いてきそう)
連休の素敵集まり時間過ぎ [2023年04月29日(Sat)]

fumihouse-2023-04-29T22_44_59-1-thumbnail2.jpg時折強風が舞う。雀がさえずっている。ギターの二重奏が始まった。門脇康一・卓人親子によるカフェにしかどコンサート。古民家を改装した素敵なこの空間は、鳥取県大山町の所子(ところご)地区にある。歴史的伝統建築保存地区として地域全体が、近世から昭和初期のムードに素敵に包まれている。

珈琲を淹れる音。よい香りが漂う。小畑オーナー夫妻による素敵なおもてなし。手を伸ばせば触れることのできるほどの距離で楽しむギターデュエットとソロの数々。なんと素敵な経験であろうか。

百メートルほど歩けば、牧草畑には雲雀が舞い飛び、伯耆大山からの裾野が緩やかに日本海に続いている。その向こうには島根半島の先端部がよく見える。牧歌的な眺望の中に、巨大で近代的な風力発電の風車が多く回っている。見飽きることのない素敵な風景。

コンサート終了後は門脇先生宅にてギターを手にしながらギター談義を続ける。なんと贅沢で素敵な時間か。たくさんの素敵が集まると、自ずと時間を忘れる。楽しく語り合い、大型連休の時間は素敵に幸せに過ぎていった。

(カフェにしかどの庭に咲くクレマチスもまた素敵)
春の海ひねもすのたりのたりかな [2023年01月10日(Tue)]

fumihouse-2023-01-10T18_30_15-1-thumbnail2.jfif正月にショッピングモールに行くとBGMとして必ず聞こえてくるのが箏曲。琴の清澄な音色、尺八の力強さ。この二重奏を聞くと厳かな気分になる。たいていは宮城道雄の「春の海」や「瀬音」。なぜ正月の定番になったのだろうか?

春の海が作曲されたのは百年近く前のこと。小学校において観賞用音楽として指定されているようだ(道理でわたしも知っている)。和風を強調する場面ではイメージがピッタリなのだろう。正月には、テレビ、ラジオも含め箏曲だらけと言っていい。商業施設では宮城道雄に尽きる。琴と尺八(たまにバイオリン)で奏でるゆったりした調べは、気分一新する正月にふさわしい。

じゃあ、どうして「春の海なの?」と尋ねられても、さあ、知りません。ひょっとして、与謝蕪村の句「春の海 ひねもすのたり のたりかな」から連想されて誰もが知るところになったのではないか、と想像する。でも答えにはなってません。

(和風の灯ではあるが、光源は蝋燭ではなく、純な和紙で覆われているのでもなかろう。和洋折衷なのだ)
レクイエム生きる命は明日求め [2022年12月31日(Sat)]

fumihouse-2022-12-31T17_45_59-1-thumbnail2.jfif『ドイツ・レクイエム』はブラームスの作曲。聖書から選んだ章句で構成され、人生の苦悩や儚さを歌い、神(主)への感謝を捧げる。生者のためのレクイエムとも言われる。

 主よ、教えてください
 私の命に末あること
 私がこの世から必ず去ることを
 主よ、あなたの御前では
 私の命は無に等しいのです
 どんなに確固たる生き方をしていようとも
 影のようなものです
 影がごとく移ろい、虚しく思い悩む

主を信じようが信じまいが、ひとには誰でも終わりがある。個の命は尽きても種としては存続し(SDGsで説かれるとおり人類だって危ういが)、宇宙に溶け込んだ個の生命は縁を得て再びこの世に現出すると私は思う。まるで年の終わりに続いて新しい年が始まるように。忙しかった大晦日が残り6時間となった。来年に希望をつなぐ、正月休みでありたい。

(大晦日夕暮れ時の蝋梅。思えば日が長くなったものよ)
スペインの弦に爪弾く神なれば [2022年12月05日(Mon)]

fumihouse-2022-12-05T10_23_03-1-thumbnail2.jfifアンドレス・セゴビアが、アメリカのホワイトハウスで1979年に演奏した映像を、ユーチューブで見ることができる。クラシックギターの奏法からレパートリー、楽器の構造、演奏会のあり方に至るまで根本的に変革し、栄華と名誉を極め、長寿を全うした(1987年に94歳で死去)。現代ギター奏法の父とも言われるが、一般に「ギターの神様」と呼ぶ。天才中の天才である。

キレッキレのスケールやアルペジオが硬質な音で響いたかと思えば、甘く深深たる音に転じる。慈愛と陶酔、決意と飛翔、さまざまな思いが心に去来する。一台のギターから紡ぎ出される多彩なセゴビア・トーンに酔いしれる。今でもあらゆるギタリストの頭にはセゴビアがいる。

ホワイトハウスの演奏会では86歳。もはや昔日の面影はない。音はかすれ、ミスタッチは多く、キレはない。だが、聴衆はかつてのセゴビア・トーンをレコードで聴いて知っている。老いさびて丸まった背中であっても、伝説の「神」を眼前にしたときに、かつての鮮やかさが蘇ってきたのではないだろうか。

そして「神」は老いて衰えてなお、ギターを手に取り日々に研鑽を積んでいる。その姿に生涯学び技術を深めることの大切さを感じたに違いない。セゴビアは練習中に心臓発作で亡くなったという。ギターの「神」はギターとともに逝った。

(絢爛たるカーネーションのとカスミ草の取り合わせ。セゴビアの演奏は、さらに百倍豪華と言えるかも)
奏でたしアンサンブルと紅葉と [2022年11月16日(Wed)]

fumihouse-2022-11-16T18_11_46-1-thumbnail2.jpgギタリストの浜野茂樹氏がこう述べている。

≪「独奏は一人で行うアンサンブル」とよく言われますが、正にその通りだと思います。音楽の源流には諸説がありますが、 おそらくは豊作のお祝いだったり、あるいは宗教儀式のお祈りだったり、いずれにせよ人が集まったときに歌ったり踊ったりしたことから発達していったことでしょう。やがて、その中に特別上手い人が現れ名人芸のようなものを披露したことから独奏が発達したと思われます。それが「独奏は一人で行うアンサンブル」と言われる所以なわけですね≫

最初は木の枝で空洞のある幹を叩いて響かせた(のかも)。切断して動物の皮を張ったら太鼓になった。草笛にリード楽器の源流があり、筒に息を吹きかけて管楽器ができた。糸の張りの強弱で音程がわかったら弦楽器が登場する。リズムだけの音楽から和音を見つけて、アンサンブルの出来上がり。人類の楽しもうとする能力はすばらしい。

さらに浜野氏はこうも述べる。

≪特に、ギターのように独奏が得意な楽器は一人で完結できてしまうことが裏目に出てアンサンブル経験を積みにくい傾向もあるわけです。≫

なるほど、たしかにそうだ。わたしのギターソロが上達するようアンサンブルに目を向けよう。先月マリア・エステルのギター演奏会の前座で、シバの女王やイン・ザ・ムードの合奏でステージに立ったとき、実に楽しかった。

小さなデュエットでもいい、アンサンブルを楽しみたい。独奏するのがもっと楽しくなる。そして独創的な演奏になるのではなかろうか。私なりの解釈で正統に、かつロマンチックに。ただし、くれぐれも独走してはいけないよ。独りよがりになっては誰も寄りつきやしない。

(季節と木々と空が見事なアンサンブルを奏でた雲南・八重滝)
クラシックサロンでギター胸響く [2022年11月04日(Fri)]

fumihouse-2022-11-04T15_30_48-1-thumbnail2.jpg二人のミニコンサートを開きます。主催は山陰ギタ弾こ会。11月27日㈰ 14時、カフェ・ローチ(JR安来駅から1キロ米子寄り)。「二人」とはわたしと藤田さん。その日に向けて、渾身の練習の日々を続けています(思うにまかせませんが)。

・アルハンブラの思い出(タレガ)
・カヴァティーナ(マイヤーズ)
・モーツァルトの魔笛の主題による変奏(ソル)
・大聖堂(バリオス)
・鐘の音(ペルナンブコ)
・太陽がいっぱい(合奏)(ニノ・ロタ)

クラシックギターの音色はなぜ胸に響くのでしょうか。その音色が心の回転木馬を巡らせると、言う人がいました。胸や腹に心が宿るとするならば、クラシックギターは「心の歌」を表すにふさわしい、と私はかつて書きました。

巨大な音は出なくとも豊穣な歌がロマンチックに響く……深い音色で心弾ませ、何かを呼び覚ます……ギターは撥弦楽器ですから音はすぐに減衰しますが、自分を見つめ、過去の愛おしい記憶をよみがえらる縁(よすが)に、その甘い音がなっていくと思うのです。ほんのわずかでもいい。無心に演奏に集中し、聴く人に共鳴してもらえる時間になるよう願っています(約1時間の演奏とおしゃべりです)。

コロナ対応のため、事前の人数掌握が必要です(総数は25名以下)。ご参加くださる方は、わたしまで一言お伝えください。
月が過ぎあの日あのときグルーブで [2022年11月01日(Tue)]

fumihouse-2022-11-01T08_02_39-1-thumbnail2.jpg現代ギター作曲家で演奏家のレオ・ブローウェル(今は作曲のみ)が作った『11月のある日』は、ギター弾きにとって定番とも言える、ロマンスある曲です。

ラシドードーミードー……と短調で始まると、哀調のあるうねりがグルーヴ感を醸し出します。哀愁なのにグルーブ? と思われるかもしれません。しかし演奏していると身体を揺らしたく感じがあるんです。哀しみと楽しさが同居していくんです。

それもそのはず、落ち着いたあとは一転して、ラテンのリズムが激しく鳴ってきます(ブローウェルはキューバ出身)。悲恋か惜別か。哀しみの前のまばゆい体験が、作曲者を揺るがしたのでしょう。

この曲は4年ほど前のギター教室発表会で弾きました。ギターを再開して半年経った頃ですから、難しい曲は弾けません。つまりこの曲は技術的にそれほど難しくないのです(もちろん上質な演奏をするのは困難ですが)。かつ美しい。多くの人が好むのは当然です。

この曲は映画音楽です。半世紀ほど前の同名タイトルのキューバ映画の主題曲だそうです。『11月のある日』とは、どんな一日だったのでしょうか。明日から11月。わたしなりの、11月のある一日をイメージしながら弾くことにします。

(11月といえば、見事な菊だな)
楽しくも自由になりたし爪弾いて [2022年10月22日(Sat)]

fumihouse-2022-10-22T23_04_21-1-thumbnail2.jpg浜田市立石正美術館は日本画家・石本正の功績を観覧できる素敵な場所である。イスラム建築の宮殿のような回廊と塔、入口の枝垂れ桜の巨木、フレンドリーな学芸員たち。少し夏がぶり返した日差しの中で魅力的な環境を楽しんだ。

石本正というと、薄い瞳・切れ長の目、通った鼻筋、形の良い胸を惜しげもなくさらした裸婦のイメージが強烈である。にぎにぎしい舞妓の群像を描く作品も印象が深い。しかし、それは一部でしかないことがわかる。魚や花、木々、静物など丁寧なタッチで静謐さをたたえている。なおかつ水面下には情念が渦巻いているようにも見える。

画伯のモットーは「自由に、楽しく」だそうだ。こんなメッセージを残している。

≪絵を描く時はがんばったらいかん。がんばろうという気持ちがあると、余計な力が入って自由な発想の絵は出来なくなる。自分は、絵を描くのが楽しくてならない。楽しいから、人に言われたり、教わらなくてもいろんな工夫をして描いてきた。自分なりの発見や工夫が絵を描くことを楽しくする。肩の力を抜いて、モデルと向き合って、その個性や美しさを感じることが大切だ。≫

石正美術館ではギタ弾こ会の浜田交流会が開かれた。わたしの演奏は自由だったか? 楽しくできたか? というと自信はない。画伯の言葉のとおり「肩の力を抜いて」、その曲の「個性や美しさを感じることが大切」なのだ。得るところの多いひと時であった。

(浜田に向かう自動車道の沿線には、シロガネヨシの穂が風に揺れていた)
永遠の名曲なれど難曲よ [2022年10月13日(Thu)]

fumihouse-2022-10-13T19_18_56-1-thumbnail2.jpgクラシックギターの初心者向けだと思う人が多いけれど、難度の高い曲がある。名画『禁じられた遊び』の主題曲『愛のロマンス』である。1弦から2弦、3弦と順にアルペジオを鳴らす。ホ短調の調べがもの悲しい。

少女ポレットと少年ミシェルが十字架作りという「遊び」に熱中していく。死の意味を解さないポレットにとって、その遊びはドイツ軍の機銃掃射で殺された両親への鎮魂となったのだろうか。いやそうはならない。ママがいない寂しさを紛らわすものでしかなかった。彼女にとってママとパパはどこかに姿をくらましているだけなのだから。それがまた観るものの哀愁を誘う。

ナルシソ・イエペスが弾く愛のロマンス。もう150年くらい前に作曲された曲である。映画が封切られた1952年以降、この曲はイエペスの代表曲となり、「禁じられた遊び」と通称されて、それはクラシックギターの代名詞となった。

テクニック上、始まりは易しい。取っつきやすい。ところがセーハが随所に出てくる。指を大きくストレッチする箇所では音が出ないことも多い。だから一曲弾くたびにヘトヘトになるし、完璧に弾けたためしがない。しかも、皆さんがよく知っているとなると、要求水準も高い。だから難曲である。それでもわたしは禁じられた遊びに挑む。

何十年も前、イエペスが存命の頃、東京での演奏会でサイン会が開かれた。プログラムにサインしてもらう。握手をした。にこやかな笑顔で彼は応じてくれたイエペスおじさん。柔らかくて温かくて、大きくない、むしろ小さな手だった。あのサインどうしてしまったんだろう。
ピアニシモ弱くあっても強い音 [2022年10月10日(Mon)]

fumihouse-2022-10-10T23_28_26-1-thumbnail2.jpgマリア・エステル・グスマンのギター演奏会。繊細と緊張感、解き放たれた開放感。ビアノシモの弱いタッチが客席の遠くまでよく聴こえる。観客が耳をすまして聴き入っているのがわかる。倍音が響いて遠達性が強いのであろう。

初曲が、G線上のアリア。続いて、アルハンブラの思い出。いずれも強い音はない。ピアニシモで始まるアルハンブラなど初めて聞いた。胸に響く澄んた音、硬い音と甘い音のメリハリ、効果的なテンポの揺れ・・・。ホントに凄い演奏に聴衆は魅了された。

指が的確に動く。まるで蜘蛛とかカマキリのように指板上を動く。一度食らいついたら離れない! そんなしつこさに併せて軽やかで優美なタッチがある。羽衣に舞う天女のようだった。

決して大きくない手、細い指、それでも弦を捉える。まるで、勝手に弦が指にまとわりつく感じだろうか。綺麗な運指をじっと見つめるうちに、指がグ〜ンと伸びていくような錯覚が起こる。わたしもあんな指がほしい。柔らかなピアニシモのタッチがほしい。

マリアさんの演奏を聴くと、楽器を鳴らすのにやたらと力は不要だと思う。素直に諦めず、柔らかくゆったりと、ゆっくりユックリ練習していこうと思った。聴き惚れる演奏会、実に良い体験だった。

前座で行ったアンサンブルの演奏。不本意なところもあったが、合奏の楽しさを何十年ぶりかで体験できた1日でもあった。

(演奏会場の米子市文化ホールに咲いていた、ヤリゲイトウ)
北斎を見たくば松江に来るがよし [2022年06月05日(Sun)]

fumihouse-2022-06-05T16_12_55-1-thumbnail2.jpg島根県立美術館がリニューアル。新コレクション展には豪華なる葛飾北斎コレクションの一部が展示された。故永田氏から寄贈された膨大な作品群を加えて1600もの北斎作品があるということだ。毎月模様替えするというが、全部見るためには3年かかる勘定になる。

初回展示でわたしの目を引いたのは『赤壁の曹操図』。赤壁の戦にあって曹操は大敗するわけであるが、直前の曹操は機嫌が良い。長い槍を持って戦船でポーズをとっている。この戦いでは一敗地にまみれるが、やがて戦国の世を駆け上って覇者となり、多くの国を従える。この絵では曹操は王者としての風格も見せる。

新しい試みとして「かぞくの時間」が設けられていた。子どもが大きな声を出してもよし、とする家族優待時間である。何人かの子どもが父母とともに楽しげに展示物を眺めていた。ねぇねぇと母を呼ぶ子の姿が微笑ましい。

新しいのは他にもあった。入場料を払ってもらうのは半券のチケットではなく、QRコード付きの紙。入口で読み取り機にかざす新システムが導入されている。でもキャシュシュレスではなく、キャッシュのみの決済。ここはなぜか旧態依然。

(美術館横の湖畔に出た。この日の宍道湖は凪いで透き通っていた)
コンクールガチガチドボンフラフラよ [2022年05月03日(Tue)]

fumihouse-2022-05-03T22_14_20-1-thumbnail2.jpg第30回の佳節を迎えた山陰ギターコンクール。初日のきょうはジュニアとシニア、シルバー部門が行われた。わたしは初参加。シニア部門でヴァイスのファンタジーホ短調を演奏した。

ほんの15分前の練習では難なく弾いていた箇所を間違える。空振りしたり、違う弦を弾いたりして、こんなはずじゃない!と思うことの連続であったが、ともかく止めない、流れをブチ切らないように努めて最後まで弾ききった。

わたしなりの情念を込めて訴えるものを感じていただけたとは思うが、いかんせんミスタッチが多過ぎて賞とは無縁。3年前のプロフェッショナル部門で優勝しプロ転向した宮川春菜さんのコンサートを聴いてから(異次元の音色、強弱のメリハリに驚愕)、用事もあったので審査結果を待たずに帰路についた。

帰宅後参加者から知らせがあった。なんと奨励賞をいただいたとか。3位までの入賞ではなく、さらに精進を望むという意味合いで選外ではあるが、それなりに評価されたということだ。もっとガンバロっと。

明日は中級、上級部門とプロフェッショナルの予選と本選がある。わたしは役員の一人として皆さんのお世話をする。明日も楽しいギター漬けの一日になる。

(コンクール会場の米子市公会堂近くに咲いていた、太陽の花ガザニア。明日も良い天気)
トレモロが甘く引き立ちああ無常 [2022年02月25日(Fri)]

fumihouse-2022-02-25T19_11_19-1-thumbnail2.jpg風呂上がりにギターを爪弾いている。家人が近くでドライヤーをかけ始めると、わたしが弾く「アルハンブラの思い出」が変身する。トレモロの音は甘く粒ぞろいで極上のものとなり、親指が奏でる音は力強くかつ切ない響きに満ちる。まるで、亜麻色の髪の乙女が目の前で優しく舞い歌うかのような風情である。

ところがドライヤーの音が消えるとどうだ。トレモロにはカシャッと爪が当たる音が混じり、粒が立たなくなる。親指は粗が目立ち、強弱をつけたはずの音にメリハリがない。あのトレモロはどこへ行った? 幻と消える。悲しいかな! 先は長いが、今ここにも楽しみはある。ギターの響きは美しい。
繊細な星から届くギターの音 [2021年12月21日(Tue)]

fumihouse-2021-12-21T18_18_08-1-thumbnail2.jpgアンドレス・セゴビアはこう述べています。ギターは小さなオーケストラ、と言ったベートーベンの言葉を本歌取りしたものでしょう、多分。

≪ギターはオーケストラに似ていますが、その音は、地球よりも小さくて繊細な惑星から届いてくるかのようです≫

本歌取りとはいっても、追従しているわけではない。バラエティに富んだ音質と深みに彩られるギターの音楽は次元が違うと言いたいのでしょうか。もちろんオーケストラの音楽がつまらないというのではない。それとは異質の魅力がギターにはあります、多分。

惑星からの音を届けるためには、鍛練が必要です。剛力がいり、芯のある微細な音も出せなくてはなりません。テクニックを学び、伝えたい何事かを聴き手にわかってもらいたい。さあ、今夜も練習に邁進です。もちろんやるべきことは、しっかりとやらなくてはなりませんね。

(ほかの星からやってきたブロッコリー、てなことはない)
懸命に仕事はステージしめすとき [2021年12月09日(Thu)]

fumihouse-2021-12-09T18_14_59-1-thumbnail2.jpg≪「仕事はステージ」。練習する毎に理想は高くなり、そのステージに向かって猛練習します。毎日の生活に張りが生まれ充実してくるものです。
 ですから演奏できる人はプロ、アマを問わずギター演奏の「仕事はステージ」と言った訳です。私は長い間この言葉をつぶやいてきました。さぁ!発表会に向けて「仕事はステージ」です≫

これは私のギターの師匠である門脇康一氏の言葉である。「仕事」とは生計を立てるための職業的仕事ではない。何かを作り、成し遂げるために目論見をし努力を傾注すること。行動の結果として、期待した業績をあげることもあれば、失意に沈むこともある。その仕事をステージで行う。スポットライトを浴びるステージもあれば、1人の聴衆を前に練習の成果を示す演奏もある。人前で弾くことはすべて、ステージ。「仕事はステージ」を楽しみたい。

思えば、人生はステージである。さまざまな場面がある。満場の目にさらされて緊張に震える場があるかもしれない。客席に人がいないときもあるだろう。時事刻々のステージを楽しむのは私、捨て鉢になってふて腐れた態度で過ごすのも私。広い意味でどんな「仕事はステージ」を経験するのか。すべては私の意思と力と運にかかっている。

(錦に染まる秋の葉は使命を終えて最期のステージに色づく)
大聖堂ああ宇宙に収まる我が意識 [2021年11月13日(Sat)]

fumihouse-2021-11-13T23_16_50-1-thumbnail2.jpg風邪による体調不良は収まり、門脇教室の発表会に参加した。曲目はアウグスティン・バリオスの『大聖堂』。時折激しくなる咳の発作とともに、ここ数日酷くなった肘痛が気になった。何よりも数日ギターを満足に弾いていないのが心配だが、昨夜書いたこと、「しゃかりきにならず、のんびりゆったり」でもって、朝のうち数回通し練習をし、不安なところを繰り返す程度にして会場へ車を走らせた。

大宇宙の静けさを集めたかのような1楽章の音律。聖なるものと日常が交錯し掛け合う2楽章の和音。端正なたたずまい3楽章の詩心。わたしが夢想するセゴビアが弾く大聖堂には程遠いが、今の技量でわたしらしくの演奏が精一杯できた。

完璧に出来たことが一つある。ミスタッチしても弾き直しはしないこと。弾き直すと楽曲が止まる、いや引き千切られる。自分は一部満足しても客観的には破砕して、聴く者にはぱっくりと口を開けた千切れが無残に印象として残る。音が違うとか空振りがあっても、さらりと続ければ音楽は一連のものになる。ミスタッチは軽いひび割れ程度ですむ(プロはそうも言ってられないので辛い)。

ぶっつけ本番だったが、不思議と落ち着いていた。ホールのスポットライトを浴びながら、第二の自分がいて、客観的に演奏を眺め客席の様子にも注意が向いていた。第一の自分は曲の流れや世界観に浸っていた。もちろん練習で間違えるところは本番でも上手くいかないが、それは置いて次の音に没入する。特に3楽章は最近身近で亡くなられた方々が思い出されて追善回向の気持ちが湧いてきた。最後の和音Bm-5では満足感に溢れて終着することができた。

練習できなかったこと、腕が痛いこと(曲の合間に左手をブラブラ)、咳の発作が起きるという不安(出ず)の中で、開き直って演奏できたのだと思う。手が緊張で震えることもなく、現在の技量としては存分の演奏ができた。ゾーンに入った状態にあったのだと思う。集中力が高まり、感覚が研ぎ澄まされながら演奏に没頭する状態が表れた。いつもこうはいかないが、何人もの方からお誉めの言葉をいただいて収穫を得た。さらに集中し工夫する練習を続けよう。

(我が家のダイヤモンド・リリーが、開き直ったかのように咲いている)
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