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会心の出来とは言えぬわが演奏 [2020年06月28日(Sun)]

fumihouse-2020-06-28T21_06_29-1.jpg門脇康一ギター教室サマーコンサートは終わった。米子市文化ホールは緊張と笑顔、渾身と不安、照れ笑いと会心のお辞儀・・・。この日を目指してアマチュアギタリストそれぞれが練習をした成果を披露しあった。

わたしの「カバティーナ(スタンリー・マイヤース作曲)」はどうだったかというと、残念な演奏だった。したことのないミスが出る。それをきっかけに難なく弾けるところでつまずく。一度は演奏が止まりかけたが、適当に繋げて最後まで弾き終えたものの、残念な思いに尽きる。練習の質を上げて、強めに緊張しながら演奏する経験がもっと必要かと感じる。

先生から全般的な講評があった。まず歌うこと。曲に思いを込めて、自分の歌にして心で歌う。それで爪弾く。爪と指に歌を乗せていかなければならないと思う。

次にテクニックをおろそかにせず、一つひとつ積み上げてクリアしていくこと。当たり前だが、不安のある箇所は本番では大抵ミスをする。

三つ目に記憶を大事にしてほしいと。練習のときからメロディを階名で覚え、歌うことに尽きると。歌えればイメージが湧き記憶に残る。演奏もしやすくなるのだそうだ。ギターに向かい、譜面を解釈し腑に落ちたときの記憶や、思い出を結びつけて一曲の中に体験を積み上げるのも記憶となっていくのだろう。

「カバティーナ」を、いつでもどこでも遜色なく弾けるようになりたい。新しい曲にもチャレンジしている。まずはバッハの無伴奏チェロ組曲1番のプレリュードを自分のものにしていくことだ。

(サマーコンサートの舞台を飾った薔薇とカスミ草)
セゴビアと入力作業を楽しんで [2020年06月21日(Sun)]

fumihouse-2020-06-21T08_41_58-1.jpg数字の入力作業を2時間ほどやった(仕事ではない)。ネットをつないで作業しながら聞いたのは、アンドレス・セゴビアの名演の数々。この人ほど録音、録画の音源が残っている演奏家は珍しいのではないか。インターネットにアップされていて、CDでなくても存分に楽しむことができる。それだけ現代ギターの巨人だったのだろう。多くのヒトを魅了した証拠だ。

セゴビアの音に合わせるわけではないけれど、リズミカルにキーをたたく。順調に入力は進んだ(終わりはしていない)。疲れないよう適度な休憩をとるが、右手のタッチが柔らかくリズミカルに速くなるような気がしてくる。さらにギターまで上手になるのではないかと思えてくる。音楽(名演)と単純作業は相性がいい。

ギターの腕はどうかというと、変わらなかった。まっ当たり前だね。

(ヤナギハナガサ(柳花笠)がリズミカルに風に揺れる。茎株は細いが強い風にも折れることはない)
静かなる華ある絵画堪能す [2020年06月08日(Mon)]

fumihouse-2020-06-08T18_19_36-1.jpg島根県立美術館で開催中の『日本美術の巨匠たち』を観覧してきた。東京富士美術館所蔵の名品がたくさんお目見えしている。

伊藤若冲の『象図』
 この絵は何度も見たことがある。初見では両耳が化け物の目に見えた印象が残るものだから、これは耳だと言い聞かせてやらなければならない。濃くて太い墨線による単純な象の象形。それだけに象の巨大さが強調される。切れ長の目、眉間に皺、縮こまった足・・画面に収めるデザインでもあろうが、生まれ故郷から遠く隔たり、狭い檻に押し込まれたインド象の悲哀を表しているような気もする。

岸駒『猛虎之図』
 鋭い虎の目を見ていると、中島敦の短編「山月記」を思い出す。かつて詩人となって科挙で登用される望みを抱いた男だが、虎に変身せざるを得なくなって、正気に戻った短時間に数奇な運命を友人に語る。この絵の虎は、体型だけはどこかユーモラスだ。

竹内栖鳳『獅子』
 巨大な屏風にリアルなライオンが描かれている。明治期のロンドンやアントワープ動物園で作者は模写を繰り返したという。牡ライオンのたてがみや筋肉が実物に近い。ベースが金屏風でライオンが透明感がある。雄々しさ、力感が伝わってくる。

会期は新コロナの影響で2ヶ月遅くなり、これから1ヶ月余りの開催。時間は朝10時から日没後30分まで。北斎、広重、写楽など浮世絵の巨匠たち。横山大観、菱田春草など近代日本画を開拓した巨匠たち。一堂に会した華のある、お薦めの展覧会ですぞ。

(島根県立美術館のヤマボウシは優美。ふつうは寸胴の手裏剣型だが、ここのは花が細くてカーブを描き美的な感じ)
セゴビアが励ます日本の60年 [2020年05月19日(Tue)]

fumihouse-2020-05-19T00_37_22-1.jpgアンドレス・セゴビアの1959年東京コンサートのCDを聴いています。戦後14年、日本の復興期、高度経済成長期が始まった頃とはいえ、まだ戦争の爪痕は残ります。グラン・ソロのアレグロ(フェルナンド・ソル作曲)など鳥肌が立ち、聴くうちに勇気が出てきます。セゴビアは当時の日本人をこう励ましています。

悩み多き日々に格闘することは大事だよ。でも悩みにとらわれてはいかん。希望をもって勇敢に邁進せよ。日本は素晴らしい国だ。みんな頑張れよ・・・と。

素晴らしい演奏に固唾を飲んで全身を耳にして聞き惚れる聴衆の気配が漂っています。聴衆にも熱い息吹を感じます。日本のギター界をつくっていこう、音楽を創造しよう、世界の日本にするんだ・・・と。それから61年。もう生きている人はほんのわずかでしょう。当のセゴビアも鬼籍に入っています。60年前の熱い時代の息吹を感じながら聴いています。

(蜜柑の花は地味だが、柑橘の芳香があたりに充満する。良い実をつけよう、大きくなろうという意欲に溢れている)
美しい可能な限り鍛練を [2020年05月17日(Sun)]

fumihouse-2020-05-17T18_35_32-1.jpgもう亡くなって30年以上になるが、巨匠アンドレス・セゴビアが述べている。「客観的に言えば、ギターは人類が創造した中で最も美しい楽器だと思います」と。

コンサートホールでは音が小さくてもなお、クラシックギターは他の楽器にない美しく繊細な音が出せる。音に魅入られて深淵に立ち入ろうとすると、思いがけず障壁は厚い。あの豊潤な響きが出せないのに歯噛みする。なぜ鍵盤楽器が出来たかといえば、弦楽器が難しいからなのだ。左右の手指を同調させるのは大変なのだ。まっ、下手くそな私はそれなりの進歩を楽しんでいる。

セゴビアが言った「最も美しい楽器」の所以は音と響きの豊かさだが、実に多彩な表現技法がある。

アポヤンドは、弾いたあとに隣の弦に寄り掛かる弾き方。ギターらしい深い音色が出る。アルアイレは上の弦に寄り掛からないが、タッチが熟達するとアポヤンドに近い音で響く。アルペジオは分散和音。フォークギターでもやるが、細いスチール弦とナイロン弦とを比べると音色の豊かさが断然違う。

ストロークは一気に弦を渡る。フォークギターのように上下にジャカジャカとかき鳴らすこともあれば、親指で柔らかく下ろすストロークもある。ストロークでも激しいラスギャードは情熱のフラメンコ。小指から順に人差し指までバネを弾くように力強く流していく。

根本のブリッジ近くを弾くと硬質な音で緊張し、サウンドホールまで上ってくると柔らかで甘い音となる。ビブラートをかけると音が震えて情感までが揺れてくる。ハーモニクスは宇宙的。1オクターブ高い倍音が響いて不思議な世界が醸し出される。

ピチカートは飛び石を渡るよう。右手の平の付け根をブリッジに乗せて弦をミュートさせると音程つきでボンと伸びない鈍い音が出る。タンボーラはパーカッション。右手親指の側面でブリッジを叩くと打楽器になって楽しい。タバレットも打楽器だ。6弦を持ち上げて5弦に交差させて押さえると小太鼓の音になる。

クラシックギター(昔はガットギターと言った)は伴奏で歌や他の楽器と合わすこともあれば、独奏するとメロディと伴奏が一体化する。ベートーベンが「ギターは小さなオーケストラ」と言ったとおり、音楽としては多様な表現力を持つ。ただし腕が必要だ。頑張ろっと。

(ギターの胴のくぼみを思わせるハナミズキ)
コロナ渦は長期となるぞ腕上げろ [2020年04月02日(Thu)]

fumihouse-2020-04-02T20_45_14-1.jpg幾何級数的な勢いで増え続ける感染者。きょうは300人近くまできた。東京の感染爆発が医療崩壊の一歩手前まできているのが恐ろしい。知事は近県の首長と共同メッセージをまとめ、不要不急の外出や夜間の外出を控え、3つの「密」を避けるように求めている。島根、鳥取、岩手の3県は感染者が発生していないが、ひたひたと押し寄せるウイルス禍。終わりが全く見えない

ギタリストの浜野茂樹氏がメルマガでこう述べる。

《今は感染を抑えることが最優先でしょうから外出などもできるだけ控えたほうが良いですがその一方で、氣持ちが沈むのも問題です。でも、幸い私たちにはギターがあります。
(中略)家で過ごすのであれば普段より多めに練習して上達のキッカケにしても良いですよね。それに楽器の練習って、氣持ちを落ち着けるのには最適だと思います》

そうそう、そのとおり。ギターを弾こう。ギターの音色を楽しもう。新型コロナの終息を待とう。その頃わたしの技量は格段の進歩を遂げているはずだ。
偉大なり生の芸術手を伸ばす [2020年03月23日(Mon)]

fumihouse-2020-03-23T20_41_25-1.jpg音楽評論家の林田直樹氏が新型コロナウイルスの蔓延で音楽や演劇活動の空間が閉鎖されていることに対して述べている(『音楽の散歩道』聖教新聞3月18日付け文化欄)。

≪本物の生きた音楽は、手を伸ばせば届きそうなくらいに、すぐ近くで息づいていた。(中略)奪われてみて、改めてそのありがたみが分かる。いつかこの試練が終わり、劇場やホールが再び活気を取り戻したとき、私たちは、ライブな舞台というものを、もっと大切にできるようになっていたいものだ≫

ステキな演奏を聴きたい。軽やかで心踊る音楽に浸りたい。静謐な湖面を思わせる絵画を眺めたい。血沸き肉踊る物語に没入したい・・・生の芸術に触れたら、今はきっと感極まってしまうかもしれない。

(ミモザは黄色い球形のボンボンのような花がびっしり咲く。これも生の芸術だ)
演奏に力入って疲れたよ [2020年02月14日(Fri)]

fumihouse-2020-02-14T19_14_56-1.jpg名手がギターを演奏する。バッハやヴァイスといったバロック曲、ソルやジュリアーニなどの古典、タレガやバリオス、ブローヴェルといった近現代の曲。好き嫌いはあってもどの演奏も素晴らしい。何よりもすごいのは指に余分な力が入っていないような演奏姿勢である。指は軽々と動いて簡単そうに弾いている(実は難曲)。

それにひきかえ、わたしの演奏はどうだ。左手の指板を見ようとして背が曲がり首を突きだす。そのせいで体の軸は左に傾いている。右手のタッチに間違いがあってはいけないと指に力がこもり、肩が上がっていかにも硬いフォームとなる。左手にも力が入ってガチガチだ。歯も食いしばっているようで、練習のあとは顎が強ばるし肩も凝りやすい。

名手の演奏にはほど遠いにしても、せめて聞く人に緊張感を与えるのではなく、リラックスして和んでもらうことを当面の目標としている。

(我が家の春の光彩。春の光を放つ明るいクロッカスのような音を出したい)
高校生吹奏楽団素晴らしき [2019年12月21日(Sat)]

DSC_1593~3.JPG出雲北陵高校吹奏楽部のウインターコンサート2019を見てきた。素晴らしい重厚なサウンド、若さ弾ける軽快なリズム、パート内で呼吸を合わせた楽器ごとのハーモニー。よく鍛えられた70名弱のメンバーであるが、やらされている感はなく、音楽が好き、仲間と楽しんでやっている様子がよくわかる。

第二部・なぎなた部とのコラボレーション・ステージは勇壮で、第三部のステージドリルもオズの魔法使いをモチーフにして楽しかったが、第一部のウインドアンサンブル、要は普通の吹奏楽団としてのステージが圧巻だった。

難曲ばかりだと思う。出すべきところでは大音響で自信をもって奏で、完璧な消音でさっと静寂になり、ソロ部分はどの奏者も情感豊かに見事に奏できった。特にわたしはクラリネットのソロに感動した。激しさも穏やかさも艶かしさもロマンも、いろんな感情が沸き起こって気持ちが強く揺さぶられた。素晴らしい演奏に立ち会えたことに感謝する。
管楽器宇宙旅して心地よし [2019年12月15日(Sun)]

DSC_1574~2.JPGブラスの響きを聞くと宇宙を連想するのはなぜだろう。ホルストの組曲『惑星』、なかでも「木星」をイメージするからだと思う。弦楽もあるが、管楽器の勇壮な響きが宇宙飛行に飛び出した様を連想させるのだろう。

スターウォーズのテーマ曲もそうだ。大編成のオーケストラがきらびやかで重厚なハーモニーを織り成し、軽快なリズムを刻む。星間を駆け抜ける宇宙船の視点で星が流れる。中心となる管楽器、トランペットやトロンボーンの大音響がツーンと胸を突き抜けるようなあのイメージも大きい。

先日、航空自衛隊の西部航空音楽隊の演奏を楽しんだ。西部地区は九州と中四国の範囲だそうで、軍隊でいえば師団に相当するのだろうか。開星高校吹奏楽部とのジョイントでハートフルコンサートinしまね2019は素晴らしかった。金管だけでなく、木管もあるが、ブラスの響きと言ってよいだろう。とても心地よく宇宙旅行を楽しんだような気分を味わった。
勇壮なコミカル称え大笑い [2019年12月04日(Wed)]

IMG_20170503_132304.jpgムノツィル・ブラスで笑った。笑える金管七重奏団が松江にやってきた。トランペットとトロンボーン、チューバの3種の楽器だけと思いきや、歌あり、思わぬ楽器の鳴らしかたあり、リコーダーあり、おもちゃあり、足踏みあり、口笛あり、咀嚼音あり、口を膨らますブーイングあり、叫びあり、ため息あり、そして常にコントあり。

酔いしれよ、顔をしかめよ、笑われよ、楽しめや。思い思いの衣装で舞台に上がれや、靴はお洒落であれ、滑らかに歩けや、心安らかにステップを踏めや、戦え前進だ、怖さを吹き飛ばして行けや進めよ、大股で歩けや、韻を感じて踊れや。

ブラスの力強いハーモニーと弾むテンポに感心し、大いに笑った夕方のひととき。ジャズ的なスイングするパフォーマンスを存分に楽しんだ。
幻想の人の命とよきホール [2019年11月16日(Sat)]

fumihouse-2019-11-16T23_48_44-1-thumbnail2.jpg門脇ギター教室の発表会は終わった。境港シンフォニーガーデンのホールにて。300人ほどの小さなホールだが、アコースティックな音楽にぴったりな会場だ。クラシックギターの音色が柔らかく周囲に広がり、弾く者にとっても心地よい(はずだが、聞き惚れるほどの実力がないのが残念)。

わたしが弾いたのはバロック時代のリュート奏者兼作曲家のヴァイスの幻想曲ホ短調。3分あまりの曲である。別名の「ファンタジー」を想起させるほどに私は弾けない。これからも弾き続けて自分のものにしていきたいものだ。

この曲は亡くなったある人に捧げる気持ちで弾いている。無念にも亡くなった彼の葬送の儀があったのは暑い夏。その頃に練習を始めていただけに、彼を悼むことと不思議な接点を感じるのだ。もの悲しい短調ではあるが、後半部の展開は力強く、よしっ!やろうという気持ちで奏でられる名曲である。できるならば彼の仏前にて弾きたいと思っている。彼の奥さまもきっと許してくださると思う。

(高いポプラも色づき、散りゆく時が迫っている)
奏でよう私のメロディゆっくりと [2019年11月05日(Tue)]

fumihouse-2019-11-05T18_32_19-1-thumbnail2.jpg音楽を奏でることは難しい。メロディとリズムを明快に、ハーモニーもバランスよく演奏できればこの上ないが、そうは問屋が卸さない。特に左手で押さえ右手で爪弾くギターは、指使いに四苦八苦する。

≪ある壮年が一念発起し、ギターを始めた▼以来、熱心に練習を重ねるが、指が思うように動かない。“やはり無理か”と諦めかけた時、友人の音楽家が助言した。「楽器を速く弾きたいと思うなら、とにかく、ゆっくり弾くことです」▼曲が速いか、遅いかは表現の違いで、本質的には「同じ音」。“遅すぎる”と感じるくらいのテンポで正確に音を出し、少しずつ速めていく。「どんなにゆっくりでも、音楽は楽しいもの。その過程で、自然に指が覚え、耳も育っていきます」。言われるままに実践すると、壮年は驚くほど上達したという≫ (聖教新聞〈名字の言〉2019年11月1日)

わたしも指が思うように動かない。人前で弾くと緊張もして、なおさらミスタッチを連発する。そもそも、プロが弾く演奏を聴いて模範とするから、その速さで弾こうと無理をする。自ずと弾けない、弾けたと思っても数日経つと元の木阿弥。うまくいかないから楽しさが減じていく。その悪循環を断ち切るのだ。逆説的にゆっくり弾こう。やがて美しいわたしの音を獲得するんだ。

コラム氏はこう文を結んだ。ギターに限らない。生活全般わたる奮闘においても同じことが言えるのだ。自分らしい表現を日々探すのだ。長い先の果てに到達点があると思うのではなく(それだと苦しい)、小さな成長を喜び、去年より今がよし、として楽しんでいこうと思う。

≪課題に向き合い、全力で格闘し、一つ一つ乗り越えていく中で、少しずつ自分が変わり、人生を勝ち抜く底力が磨かれる(中略)焦らず、一歩一歩を踏みしめながら、自分らしい“勝利と幸福の曲”を奏でよう≫ 

(サフランは6つの花びらが調和をもって咲く。ゆっくりゆっくり育っていく、焦らない)
練習会ギター抱えてお楽しみ [2019年09月15日(Sun)]

fumihouse-2019-09-15T21_17_11-1-thumbnail2.jpg3人でギターの練習会。4台のガットギター、それぞれの愛器をとっかえひっかえ、音色やタッチの違いを比べながら、自分の持ち曲を演奏し合う楽しい時間を過ごす。一人で練習するのと違い緊張するが、同好の同士で刺激を与え合う。

自分だけで弾いて楽しむのは単なる自己満足。それで飽き足らないから誰かに聴いてもらう。演奏を聴いてもらうのは上手になる第一歩。下手な演奏で恥をかきたくないから、練習に身が入る。

目の前の人に何を伝えるのか。伝えようなんてことは今まで考えていなかった。せいぜい有名な曲をさらりと弾いて感心されたいとか、緊張の中でもよく弾いたと誉められたいとか、その程度のものだったのかもしれない。

それならそれでよいが、何か物足りない。演奏することで相手に何かを伝えたい、感じてもらいたい、と考えたほうがよいとある人から教わった。確かにそうだ。が、わたしに伝えるべき内面があるのか、と自問自答する。きっとある。愛情、勇気、根気、朗らかさ、理知、いろんなものがあるに違いない。

それを表現するためにも、楽譜を読む、そしてメトロノームで不動のリズムを体得する。しっかりした基礎的練習をしなければ、可哀想な演奏に終わってしまう。思想なり感情が現れる演奏というからには、ちゃんと弾けることが前提なのだ。

(オクラは習熟せずとも淡いレモン色の涼やかな花を咲かせる。いや人知れず苦労しているのかも)
呻吟し音のありかを探しけり [2019年06月09日(Sun)]

fumihouse-2019-06-09T08_36_58-1-thumbnail2.jpgギターに呻吟している。弦楽器は高低を受け持つ複数の弦を使うだけに、同じ高さの音であっても異なる弦で表現できる。そこがピアノや管楽器と違うところだ。弦ごとの音色の違いやポジション移動のしやすさを求めて、奏者は工夫する。

ギターは左右の4本ずつの指を駆使して和音を奏でるだけに、押さえるべきフレットの組み合わせが多い。3オクターブあまりの音域に2つか3つの同音があるのだから難しい。楽譜に記してない場合も多い。

弦を移るのか、同じ弦でポジション移動するのか、彷徨する気分で楽譜を読んでいる。手に負えないと思うこともしばしばだ。レッスンの時に教わったはずなのに、忘れることもあってもどかしい。

それでもやり方がわかって(記録しておかないと忘れて元の木阿弥)、定着して弾けるようになって、暗譜して、難しいパッセージも高い確率で弾けると嬉しくなる。楽しい、そしてそれなりに美しい。ギターは小さなオーケストラ、とベートーベンが言ったとおりになる。

(まつ毛は美女の必要条件ではないが、美女柳はまつ毛の長い美女なのか。金糸梅と似ていても、雄しべの長さは圧倒的に違う)
練習しギター斜めに傾いて [2019年05月04日(Sat)]

fumihouse-2019-05-04T23_21_41-1-thumbnail2.jpg山陰ギターコンクールの運営を手伝った。きのう3日は出場者を控室から送り出す係、きょうは会場の騒音監視役だ。米子市文化ホールで行われたコンクールでは、ジュニア、シニア、中級、上級、プロフェッショナル部門に分かれて競う。1983年にスタートした伝統ある競技会である。

舞台で演奏者を支えるのは足台だ。15から20センチの伸縮式足台が昔から使われている。左足を足台に上げて高くし、太ももをギターのくびれに乗せて安定させる。

近頃多いのは、ギターサポートやギターレストと呼ばれる吸盤や三角支持具でギターを固定し、左足を上げなくてもすむようにするものだ。確かに足台を長時間使っていると足が疲れる。しびれてしまうこともある。普通にイスに座った状態を保つことによって、骨盤の歪みが減って長時間のギター練習が可能との触れ込みだ。

確かに疲れにくいかもしれないが、ギターサポートやギターレストはいま一つさまにならないと感じた。なぜだろう。ロダンの名彫刻「考える人」を考えてみよう。

右肘が左足に乗って前傾した体が左側にねじれて、「考える人」の完成だ。哲学する思考者はねじれていなくてはならない。まっ、カッコいいだけではあるが・・・。ギターレストを使って左右の足が均衡に広がっていると、考える人のイメージは湧いてこない。

ギターは小さなオーケストラ、とはベートーベンの言葉らしいが、弦楽器、金管、木管、打楽器もこなせるギターはカッコいい、でも難しい。ならば、せめて美しく見えるように努めたい。

(ギターのようなくびれを持つ赤いハナミズキ)
二回目の発表会が無事終わり [2019年04月29日(Mon)]

fumihouse-2019-04-29T21_09_59-1-thumbnail2.jpg門脇康一ギター教室のスプリングコンサートに参加した。要するに半年に一度の発表会である。わたしが演奏したのは、ホアン・ペルナンブコが作曲した『鐘の響き』。ブラジルのポプュラー音楽であるショーロで、明るくて楽しい曲だ。曲は楽しくても演奏は難しい。

わたしがこの2か月の練習で重視したのは、いい感じにリズムを出すこと、そして流れである。間違えたとしても止まってはいけない。止まるな、流れを崩すな、ラテン的な楽しさを貫け! 毎回の練習で心がけてきた。

小さくてもステージはステージ。観客の目を意識してか、本番を迎えた故か、とても緊張する。ふだんはしないミスが出る。それでも、途切れさすことなく曲を続けていった。

音が通りきれいだと言ってくださった方がある。ありがたい評ではあるが、自己評価はベストの10分の6。まだまだ練習が足りぬ。飽きずに練習を重ねて得意曲にしていきたいと思う。

鳥取・島根両県にまたがる門脇教室に貫かれるのは、生徒各々をありのままに受け入れてギターを楽しもうと教えられていることだ(わたしはそう思う)。とても良い先生に恵まれて、わたしのギター生活も来月で1年となる。

(アフリカ原産というスパラキシス。いま見ごろを迎えている。「鐘の響き」のような情感をかもし出している)
弾き切れて替えどき聴きどき楽しけれ [2019年02月02日(Sat)]

fumihouse-2019-02-02T22_42_43-1-thumbnail2.jpgギターの練習をしていたら第4弦がピチッと切れた。フレットに当たる部分は変色していたし、前回の交換から2か月。替え時だとは思いつつそのままでいた。とうとう切れた。細いスチールでコイル巻きにしてある、100本は越えるであろうマイクロナイロンの束が露出している。ネックの張力に耐え、わたしの打撃に耐えてきた、可愛いやつだ。

すべて新しい弦に替えた。音が違う。張りがある、伸びがある、よく響く。トレモロの粒がそろった。名曲・アルバンバラ宮殿の思い出が上手になったように思える。ひと前ではまだまだだが、クラシックギターって楽しいと思う。美しさにじんとくる。
あきこさんタブー切り込む新表現 [2018年12月17日(Mon)]

fumihouse-2018-12-17T19_11_37-1-thumbnail2.jpg与謝野晶子はうたった。

  明日といふよき日を人は夢に見よ
   今日のあたひはわれのみぞ知る

ひとは明日という日を夢にみて、未来に期待していくんでしょうね。私はどうかって? 今が全てなんだ。今日一日の価値は私だけが知っている。無駄にはしない。是も非もなく、私はわたしなんだから・・・。

強い言葉である。女性は自立せよ、女性は自由であれ・・・情熱をもって歌に詠み続けた歌人・与謝野晶子らしい。

情感を秘めて表に出さないのは当たりまえ、行動も慎ましやかにして当然! これが美徳とされていた時代にあって晶子は心情をありのままに込めて、和歌の世界を変えた。タブーとされてきた身体や出産を斬新に表し、現在の目からみてもエロチックな表現を使っている(発禁処分も受けた)。

晶子が生まれたのは1878年。大阪という風土も彼女の実直さに寄与したことだろう。晶子が1942年に亡くなってから76年。そう大昔のことでもない。今年は生誕140年。

(今夕出雲工業高校から見えた天使の梯子。晶子ならどう表現したろうか)
輝いて青春まっただなか楽し [2018年12月12日(Wed)]

fumihouse-2018-12-12T20_40_01-1-thumbnail2.jpg出工高の吹奏楽部諸君が図書委員会主催のクリスマス会で(ちと早いが)、何曲かのポピュラー曲を演奏してくれた。うちの一つがカーペンターズの『青春の輝き』。サワリの I know I need to be in love しか知らないが、好きなメロディで、気持ちよく彼らのハーモニーに耳を傾けた。甘酸っぱい感情が押しよせてくる。サワリの歌詞はこうなっている。

 わかってるの、私っていつも恋してなくちゃいけないって( I know I need to be in love )

 十分わかってる、あまりに時間をムダにしてきたことを( I know I've wasted too much time )

 自分は欠点だらけなのに、完璧な相手を望んでいたなんて、もちろん今はわかるよ( I know I ask perfection of a quite imperfect world )

 そしていつか理想の相手に巡りあえると思っていたなんて、おバカさんだよね( And fool enough to think that's what I'll find )

なんと題名は『 I know I need to be in love 』ではないか。意訳して『青春の輝き』と邦題をつけるとは恐れ入った。

近頃の青年は恋をしなくなったというが、恋はアドレナリンでやる気がみなぎる。何げない風物に心が動く。一方で恋は盲目。つんのめり過ぎると重傷になることに、よくよく注意。でもそれこそ青春の輝きなり!

(恋すれば薔薇の一輪だって極上の美と喜びになる)
11月の善き日が過ぎて大山の [2018年11月24日(Sat)]

fumihouse-2018-11-24T21_08_18-1-thumbnail2.jpg『11月のある日』は、作曲家の連想した秋であろうか。草木が色づき落葉がすすむと肌寒い。色が失われる冬に向かって寂しさもある。出会いや別れ、多くの思いを秘めて静かに秋は深まる・・・。

キューバ出身のレオ・ブローウェルが作曲したこの曲。アレクサンダー・ガラガノフ演奏会(安来アルテピア小ホール)でアンコールで弾かれた一曲が『11月のある日』。CDで聞くのとは違う生演奏の迫力。静謐にしてダイナミック、最上のギターの音色を聴かせてくれた。

「すぐれたギターほど美しいものはほかに考えられない」(ショパン)

演奏会に先だって、門脇康一ギター教室の発表会が行われた。わたしが演奏したのが『11月のある日』。アレクサンダーさんの演奏とは比較にならない出来ばえ。美しいとはお世辞にも言えなくてお恥ずかしい限りであるが、数十年ぶりにクラシックギターの音色に惹かれている。アルテピアから見えた極上の冠雪した大山が、わたしを祝福してくれた。

(わたしが11月のある日に撮影したムカゴの生る山芋の葉と蔓)
似ていても不昧と不味は大違い [2018年11月05日(Mon)]

fumihouse-2018-11-05T21_38_50-1-thumbnail2.jpg不昧(ふまい)の字を見ると、不味いと読んでいけないのだが、松平不昧公は島根にとって、美味しい人だ。『没後200年 大名茶人 松平不昧』展へ行ってきた。

18世紀末の出雲藩・松平治郷は、古今に伝わる茶道の名品を熟知し磨かれた鑑識眼で選び、贅を尽くして蒐集した。むろん、財政改革を成し遂げたからこその贅沢である。

不昧と称し、優れた感性と知性で禅と茶を極めた。地元の陶芸を育てもした。そのコレクションが「雲州蔵帳」として結実している。いわば不昧流茶道具ランキング帳である。

国宝・大井戸茶碗。鈍い光沢をたたえてアクリルケースの真ん中で鎮座している。轆轤回しで製作されたものだろうが、対称ではなく歪みがある。釉薬をかけてできた貫入(釉のひび模様)や欠け目に使い込んだであろう茶渋があって、わび・さびを感じる。

今や美術品として飾られるだけの名品となった。使われるうちは生きているが、一部の人が独占する。一方、美術館だと公開されて誰もが眺められる代わりに死んでいく。普遍性と独占性は相いれない。

不昧公お手製の豆腐の墨絵が掛け軸になってあり、歌が詠まれている。
  世の中は まめで四角で和らかで
   とうふのやうにあきられもせず

なかなか茶目っ気たっぷりの人のようだ。「昧」は暗くてよく見えない意。転じて愚かで考えが足りないとなる。「不昧」はその反対で、自信過剰の人なのか、それとも戒めとしての号なのか。江戸の昔とはいえ、まだ没後200年。意外と不昧公は近いところにいる。

(犬蓼の花。食用にはならない。別名は、ツブツブ状から赤まんま。赤飯に見えなくはない)
神々が集うこのつき神が在る [2018年11月04日(Sun)]

fumihouse-2018-11-04T21_39_45-1-thumbnail2.jpg歴博(古代出雲歴史博物館の通称)で企画展『神々が集う〜神在月と島根の神像彫刻』が開催中です。旧暦神在月の由来を文献で示し、出雲で造られた神像の数々を展示しています。

平安末12世紀の歌人・藤原清輔による『清輔奥義抄』にはこうありました。少なくとも900年前には貴族の間では出雲に神々が結集することが常識となっていたわけです。

≪十月 天下のもろもろの神 出雲国へゆきてこと国に神なきかゆへにかミなし月といふ≫

室町時代15世紀の辞書『下学集』には出雲大社の文字が見えます。そして神有月と。

≪十月ニ諸神皆出雲ノ大社ニ集ル故ニ神無月ト云也 出雲ノ国ニハ神有月ト云也≫

イザナミの神が10月に死んだのが神在月の起源となったとも言われています。イザナギとともに日本列島を産んだイザナミですが、火の神を産んだため焼死。黄泉の国へ迎えに行ったイザナギ。イザナミは腐敗してウジ虫だらけの姿を見られて鬼となりました。

ほうほうの体で地上界に逃げ戻ったイザナギ。二人は別離した・・・ならば出雲大社の主神はイザナミかと思いきや、オオクニヌシになったのは何故? つじつまの合わないところは神話によくあることです。追及するのはやめましょう。神在月というイリュージョンが文章化され、既成事実となります。神楽や謡曲を通じて世の中に広まっていきます。

有名な仏像に比べれば稚拙な神像が、展示場にはあまたあります。神の画は僧形であったり、女神であったり、龍や蛇の姿をしています。でも多いのは仏像や仏画に連なる造形です。かつては神仏習合であり、神も仏もごっちゃにしていたのです。

それは置いて、こうした習作のような造形がたくさん残っているということは、出雲の民衆に神を敬う文化が浸透し、裾野が広がっていた証拠。豊かだったのでしょう。出雲は大したものですね。さて、もうすぐ神在月が始まります。

(出雲大社参道入り口にある菊花展の小菊。菊は平安朝のころに中国から伝わってきたという。つまり神話の時代には無かった。神無菊、なーんてね)
善悪ともカーテンコールに喜びて [2018年09月17日(Mon)]

fumihouse-2018-09-17T21_11_34-1-thumbnail2.jpg終演後のカーテンコール。全出演者のお出ましです。主役はむろんのこと、ついさっきまで主役を苦しめた悪漢どもまで、満面の笑みでステップを踏み客席に手をふっています。満足と感謝を全身にあらわして会場は熱い。演劇は実にいいですね。

ミュージカル『あいと地球と競売人』で、妖怪たちは地球人にもっと地球を汚せとけしかけます。汚染されるほど悪の世界では高く売れると。そして妖怪は地球人を哀れむかのように歌うのです。

 愛をどこかに捨てた人
  夢をどこかに捨てた人

妖怪とは地球人自身のこと。地球の環境を破壊し、人類の未来を台無しにする。この青い地球を守りたい、美しい水の星を栄え続けさせたい、愛ちゃんの思いに観客は引き込まれていきます。

暗闇の世界に取り囲まれてしまえば、君の悩む顔も燃える瞳も泣き顔も優しさにだって触れることはできません。悪を退けるエネルギーとなるのは、友の笑顔と連帯です。主題歌の力によって子供たちは妖怪の強力な暗闇に抵抗し勝利を納めるのでした。

 ♪ 好きさ 君の笑い顔が ♪

きょうは3日間公演の最終日。5か月間よくガンバった、娘よ。さぞ妖怪づいているかと思いきや、きのうの公演のカーテンコールでは笑顔爆発、喜び全身!の姿を見ることができました。

その他キャスト、スタッフ、ボランティアの皆さん、お疲れさまでした。島根の至宝、坪田愛華さんが残した絵本『地球の秘密』。それをモチーフにしたミュージカル『あいと地球と競売人』。素晴らしいリバイバル公演です。

ただ私は思うのです。ゴミを捨て、汚水を垂れ流し、動植物を殺し踏みにじることで地球の価値を上げようとした妖怪たち。そんな面倒なことなど止めて、核兵器発射のボタンを押し一発の水爆を打ち込ませるだけでいいのです。報復の応酬が始まって地球の汚染など数日で完了です。妖怪に気づかれないよう、早く核兵器廃絶を進めなければなりません。
偽物と本物の境どこにある [2018年07月24日(Tue)]

fumihouse-2018-07-24T18_08_09-1-thumbnail2.jpg島根県立美術館で開催中の「東京藝術大学クローン文化財展〜甦る世界の文化財」。法隆寺の釈迦三尊像を鋳物で複製した富山・高岡の職人の映像に見入った。完成お披露目でのこと、釈迦像に手を合わせる見学者がいた。その映像を見て思った。なぜ人間は神仏の偶像を造るのだろうと。

そもそもクローンとして造った美術品や仏像は偽物。偽物に価値はないと初めは思っていた。しかし、匠の魂魄が留められた仏像には手を合わせたくなる力があったのだ。本物も偽物もない、良き物の不思議な本物感。

イスラム原理主義タリバンはバーミヤンの大仏群を爆破した。偶像崇拝は許さないイスラムの教えを他宗に強制する。神の足下にひれ伏す人間が神の姿に似せて像を造るなんて、とんでもないという発想だ。

一方でキリスト教は認めている。数々の絵画、彫刻、鋳物、音楽、工芸、書に至るまで。だからキリスト教文化では、芸術が花開いた。神に対して畏怖や祈願の気持ちをいだいて具体的なモノに向かって礼拝したいという発想。美しく神々しいものを求めた結果、至高の芸術が産まれた。人間の想像力には限りがある。偶像もある面必要なのではないかと感じた。

敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)などを再現した壁画も印象深い。1500年以上も前、像法の時代に仏道修行として造営された石窟。東西交易の要衝として栄え、様々な文化、宗教が融合した仏教芸術のひとつだが、すでに仏法はない。シルクロードの栄華を感じるために敦煌へ行ってみたくなった。

ゴッホの自画像クローンは照明の新技術によって揺れた。ゴッホの揺れ動く自画を表象するかのように。写楽や広重の浮世絵は匂いをかいだり、アニメ化されて、当時絵師が見た原像を想像して楽しむこともできた。偽物クローンだってまんざら悪いものではないと思った。

会場から出ると山陰中央新報の2年目記者にインタビューを受けた。写真も撮られた。わたしのしゃべったことがどこまで文章化されるかはわからないが、楽しみにしておこう。
不協和も協和もあるぞ小宇宙 [2018年06月09日(Sat)]

fumihouse-2018-06-09T16_02_33-1-thumbnail2.jpgぼやっと起きた休日の朝。太陽がまぶしい。まどろんで昨日のことを思い出す。一晩たてばイヤな思いもまろやかに、良かったことはそれなりに。母さんの声が聞こえる。起きてる? 「はいっ!」 さあ、起きよっ! わたしはコスモス、小さな宇宙。わたしは私。不協和音もあるけれど、憂鬱な時もあるけれど、わたしは私でいくんだわ。おやっ父さんピリピリしてる。どうしたの?って聞きたいけれどそんな空気じゃあないね。何ごともうまくはいかないよ。まっいいか。これもミクロコスモス。わたしは一人でひとつの宇宙。かけがえのないこのわたしの毎日。それは誰にとっても同じこと。みんな違うがみんないい・・。

小さなアンサンブルが出雲地区吹奏楽祭の冒頭を飾った。出雲工業高校の吹奏楽部、7名は白いブレザー、濃紺のパンツがキリッとしたたたずまい。

初めて聴いたバルトークの『ミクロコスモス』。もとはピアノのための練習曲集。短調でも長調でもない無調な感じ、まさに現代音楽。不定愁訴のようなぼんやりとした不協和音。揺れ動いていくリズム。不安や戸惑いが漠然と表されているが淡々と曲は進んでいく。朝の光景をイメージしながら聴いた。生徒諸君、お疲れさま!

(会場となった大社文化プレイスうらら館には爽やかな色合いの紫陽花が飾られていた)
プラバにて小さなオケを楽しみて [2018年05月04日(Fri)]

fumihouse-2018-05-04T17_34_31-1-thumbnail2.jpg松江・プラバホール(松江市総合文化センター)に来ている。500人ほどの小規模ホールで楕円形。前三分の一を広くとってあり、巨大なパイプオルガンが鎮座した本格的な舞台で、音響はすこぶるよろしい。マイクなしでもギターの演奏がよく響く。

今日は山陰ギターコンクールを聞きにきた。今回で26回目を数えており、米子と松江で毎年交互に開かれている模様。初級から中級、上級、プロフェッショナル部門の他に、55歳以上のシニアもある。

わたしのクラシックギターは、もう30年も弾かないままにしてある。かつてはあんな熱心に練習していたのに今は過去のこと。ソル作曲の魔笛の主題による変奏曲などよく練習した曲も演奏された。少しかじっただけの曲もある。懐かしい。ほとんど白紙状態に戻ってしまったが、「ギターは小さなオーケストラ」。誰か先生に習ってみようかなと思う。

(小さな宇宙を感じる、田植え前の斐川平野の朝)
ドーナツとレモンはドレミ楽しかろ [2018年05月03日(Thu)]

fumihouse-2018-05-03T13_19_12-1-thumbnail2.jpg曲『ドレミの歌』。映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、マリアがトラップ家の子供たちが音楽に親しむきっかけを与える歌である。原曲を元にリズムに合わせて訳してみたらこうなった。

♪ドはメスの鹿/レは陽が満ちる/ミはミーのこと/ファは遠い道/ソは針で縫う/ラはソのあとよ/ティーはジャムパン合う/ドに戻りましょう♪

それがどうだ。ペギー葉山さんにかかるとなんて素晴らしい。歌が生まれ変わってみんなの応援歌になる。あの明るさに励まされたひとは多かろう。

♪ドはドーナツのド  レはレモンのレ
 ミはみんなのミ  ファはファイトのファ
 ソは青い空  ラはラッパのラ
 シは幸せよ  さあ歌いましょう♪

アメリカの家庭で祝祭に合わせて作られる〈ド〉ーナツ。戦後十数年の頃には夢の国アメリカの幸せ家族の象徴だったのかもしれない。〈レ〉モンは不思議な紡錘形。この頃アメリカから輸入が自由化されて、家庭でもお目見えするようになる。高級感があって酸っぱい大人の味。

仕事も学校も忙しいが戦中の苦しさは去り、〈み〉んなは豊かになっていく実感が日々あったにちがいない。日本人が応援する時いつから〈ファ〉イトと言うようになったのだろう。将来のためにガンバロー。

青い〈そ〉らは澄みきって輝かしい。家族や日本の未来をつくるために前進を重ねよう。〈ラ〉ッパは鳴り響く。人生の戦いの場に臨むひとの背中を押す。しかも、空とラッパは、しりとり関係。語呂が良い。

君は〈し〉あわせかい? そうだよ幸せさ。20世紀は我らの世紀だ。さあ、家族で歌おう、みんなで高らかに歌おうよ。

(倉吉・白壁土蔵の街並みの一角に咲くクレマチス。まるで太陽のよう)
ゴーリーの不思議なヒミツ楽しんで [2018年01月20日(Sat)]

fumihouse-2018-01-20T22_00_10-1-thumbnail2.jpgシュールだとは思わない。非現実的ではあるけれど、イラストや挿し絵とはそんなもの。ユーモアだとも思わない。ひとをほっこりさせて、いいね!とうなずかせる絵ではないからだ。謎めいて、不思議いっぱいで、陰惨にそこまでなにも描かなくても・・・と思わせるのがゴーリーの世界。益田のグラントワ(石見美術館)で『エドワード・ゴーリーの優雅な世界』に浸ってきた。

極細のペンで緻密なモノクロームの線。幾重にも重ね合わせて重く暗いタッチの絵ができあがっていく。「うろんな客(Doubtful Guest)」が気になった。うろん(胡乱)とは、胡散(うさん)くさくて怪しいこと。そして、不確実で乱雑なさま。白いスニーカーを履き、縞々のマフラーを二重に巻き、鼻と口は尖って恐竜ヴェロキラプトルのようだ。手は長く指先は先細になっている。その客が家に居着いている。

 ふと見れば 壺の上にぞ 何か立つ
  珍奇な姿に 一家仰天(訳:柴田元幸)

韻を踏んだゴーリーの詩を全編にわたって五七五七七の短歌形にした柴田氏の詩心&遊び心が楽しい。

遊び心といえば、キャプションの文字に時折黒地に白抜きにされた文字があった。それをつなげると学芸員の遊び心が見えてきた。

【ゴ】【ー】【リ】【ー】【の】【ユ】【う】【が】【な】【ヒ】【ミ】【ツ】

(ゴーリーがハーバード大在学中に母宛てに送った手紙の封筒。ゴーリーの自筆絵。一番のお気に入りをスケッチしてみた)
湖畔にて美術の質感楽しんで [2018年01月08日(Mon)]

fumihouse-2018-01-08T21_42_15-1-thumbnail2.jpg 「点」が「線」をつくり
 「線」が「面」をつくり、
 「面」が「量」をつくります。
 (「かたちの冒険」島根県立美術館『みんなの美術室』)

島根県立美術館の所蔵品を中心にコレクション展が開催されている。版画や油彩、彫刻などさまざまな技法で見せる美術の造形を楽しんだ。美術家が形、色、材料、構成といった多くの要素を組み合わせることで千差万別の楽しみが生じる(??という反応もあるが)。

数学的に言えば点には面積がない。面積がないものを長くつなげても線はできないはずなのだが不思議だ。同様に線を重ねていっても面になってしまう。面が三次元の立体(量)になるときもこの不思議は残る。

理論と実際は違うということでよいだろう。点にも線にも面にも立体にも、質感がある。柔らかそう、硬そう、つるつるしている、ごつごつしている、重そう、軽そう、温かそう、冷たそう、遠そう、近そうなど。時間が経てば、周囲の状況が変われば美術品の質感は変化するのも面白い。そんなことを考えながら楽しい展覧会を時間をかけて楽しんだ。

(出雲工業高校の管理・特別教室棟は時折ゆらゆらと妙な質感になっていく)
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