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静寂と厳か調べセゴビアと [2021年05月28日(Fri)]

fumihouse-2021-05-28T19_52_50-1-thumbnail2.jpgバリオスの『大聖堂〜第1楽章』。静寂が響きわたるかのよう、大宇宙の静けさを一所に集めたかのような音律。夜空は確かに静寂である。だが、喧騒の前哨を醸す(ビッグバンかも)。アルペジオのメロディが満天の星空に輝く1等星のように胸を貫く。夜景に佇む聖堂も神々しいのであろう。

バリオスの『大聖堂〜第2楽章』。厳かな和音で始まる。聖なるものと日常が交錯し、柔らかに両者が掛け合う。調和は穏やかさを表すだけではない。困難の峰が待ち構えているであろう。カオスもあるであろう。聖堂の大建築を彩るステンドグラスが、言葉にできない調べに震える。

バリオスの『大聖堂〜第V楽章』。端正で落ち着いた大人のたたずまいがある。低音を響かせて穏やかに弾き始めると、高音の速いパッセージが生きてくる。ほとんどが16分音符だが、慌てる曲ではない。静かに力強く奏でるうちに速くなってくる。でも落ち着いて、静寂と深い決意を表明するのである。やがて現れるビッグバンに全魂を込めてぶち当たる。

アグスティン・バリオスは南米パラグアイの卓越したギタリスト。よいギター曲もたくさん残している。バリオスの曲には詩心があり、芳醇な響きを醸し出す。

難曲ではあるが、バリオスの『大聖堂』に挑戦中。目標はセゴビアが弾くようなバリオスにすること。生前は確執のあった両者。特にセゴビアはバリオスの演奏も曲も認めなかったという。素晴らしい曲なのに、セゴビアが弾いていたら、曲の値打ちはさらに増しただろうに残念だ。だから私がセゴビアのように大聖堂を弾く。と夢想している。

(川辺に咲くセンダンの価値を認めよ。空を飛ぶ風車のようで美なり)
安来にてイチゴと演奏楽しんで [2021年05月24日(Mon)]

fumihouse-2021-05-24T18_36_38-1-thumbnail2.jpg安来のアルテピアでベートーヴェンの交響曲第4番と6番(田園)を聴いてきた。なかうみ交響楽団が精力的に行う連続演奏会の三回目。初めて聴いた4番は興味深かった。

序奏部は沼にはまりそうに暗いが、やがて明るく展開しエネルギーが満ちてくる。恋人たちの掛け合いを感じさせるような愛の調べもあった。イキイキと心が弾む。気分よくなって目を閉じたら、心地よい眠りに落ちたのはご愛敬。生の音楽っていいなあ。ウトウトするのも贅沢な時間だ。

終演後オープンカフェでイチゴパフェを食べた。安来は苺の産地につき、完熟した苺をふんだんに使ってある。イチゴをたっぷり張り付けて落ちこぼれそうな外観。よく熟れて甘い半切り苺を食べ進めると生クリームに覆われた大きなアイスがお目見えする。中程にシリアルが引いてある。下には乳精で混ぜ込んだ酸っぱいヨーグルト。スライスしたイチゴを容器の壁面に目一杯張りつけてある。上で食べたイチゴとは違う味わいなのがいい。苺より甘いアイスクリームを食べた後には、スライスイチゴが酸っぱく感じる。ヨーグルトにも影響を受けて、舌の感覚が変わるのも原因だろう。税込みで千円余りと高くはあるが、演奏会も含めて贅沢な価値ある時間を過ごした。
基礎練は美しく弾く基本なり [2021年05月10日(Mon)]

fumihouse-2021-05-10T18_37_00-1-thumbnail2.jpgギターの基礎練習、略して基礎レン。嫌う人は比較的多いが、わたしは好きだ。単調にみえてギターの音色の深さがよく分かる。なによりも、続けるほどに上達が目にみえるのが嬉しい。ギタリストの鈴木大介氏がブログでこう述べている(「僕はなんで基礎練習ばかりし続けているのか」2020年4月18日)。

≪ギターを演奏するテクノロジーは遥かに進化しましたし、楽器も格段に弾きやすく鳴りやすくなっていますから、昔のような練習は必要がないのかもしれません。
 ではなぜ僕が基礎練習をし続けるかというと、やはり昔のギタリストの様式に、より強い憧れを感じるからです(中略)アンドレス・セゴビアの絶頂期は60代でしたし、ナルシソ・イエペスも最晩年まで研鑽を積んで変化し続けていました。
(中略)
 基礎練習より曲の練習に時間をかけるべきだという意見もあります。曲から難しい場所を抽出して基礎練習に役立てることもできます。
 しかしながら、スケールやタッチ、左手の動きの正確さ、そして脱力と単純なことに秀でていれば、演奏は格段によく聴こえるようになります≫と、嬉しいことをおっしゃる。

こんなエピソードも記されている。アイスダンスショーで、あるプロスケーターが≪突出してスケーティングが美し≫かった。≪彼女はただ滑っているだけでちょっと尋常ではない美しさだった≫というのである。これは余程基礎の滑りを重ねて修練した技なのだろう。規定演技というのは失くなったが、スケーティングの甲乙を判定した。跳んでなんぼ、回転してなんぼの現在の得点構成では出てこない、美しさという目盛り。そんなスケーターは立っただけでも佇まいが絵になるに違いない。

≪やはり、演奏家であるからには、それぞれの人が持っている技量の美しさや音色の素晴らしさを伝えたいもの。ですから、その人が弾いたら何を弾いたって美しい、というサウンドの高級感、というか、スペシャルさを突き詰めるのが僕の基礎練習の目的です≫

さあ、基礎練習を続けよう。でも曲も暗譜して演奏手順を頭に入れなければ、新しい曲は弾けない。こちらもゆるがせにはできない。

(優美なクレマチス。絵のようにある宅の庭を飾っていた)
名器なり名工冴えてオリベさん [2021年05月05日(Wed)]

fumihouse-2021-05-05T16_41_14-1-thumbnail2.jpgわたしの愛器、ホセ・オリベ(カリダッド・スプレマ/米国製)がいい音を出す。2年ほど前にファナ大阪で購入した。透明感のある甘い音であることに加えて、芯のある強い音にも感じ入っている。低音から高音に至るまでバランスのとれたクラシックギターだ。わたしが、さらに良い音を引き出したいとメールで述べると、店長はこうおっしゃる。「求めると得られます」と返信があった。まるで、求めよさらば与えられん、と福音書の如し。

いい音が出る条件は大ざっぱに言って三つある(わたしの分類で)。弦も含めて楽器が良品であること、右手のタッチが研ぎ澄まされていること、左手指が確実にフレットを捉えていること、この三つである。

どんなに楽器が良くても、右手指の爪の磨きが悪かったり、左手指の押さえが甘くては良い音からは遠い。ギターの良さを引き出すためにも丁寧にかつ、しっかり弾き込んでやる。

待つだけでは良い音は降ってこない。懸命な鍛練が実を結ぶまで努力が必要だ。終わりはない。ひたむきさがなくてはならない。音を求め、練習を重ねる。こんな音を出したいとイメージすることも大事で、貪欲さを忘れてはならない。そのためにも誰かに聴いてもらおう。失敗したとしても再び挑む。

力をできるだけ少なく使って弾けるようにすると益々楽しくなりますよ、と店長氏。曲の途中でヘトヘトになるようじゃあいけないね。フワッと軽やかに素早く手指が動くようきょうも一歩ずつ進む。名器にふさわしい腕を持たねばなるまい。

(垣根の薔薇のように朗らかに演奏しよう)
オフィシャルに髭の男の歌いだす [2021年05月04日(Tue)]

fumihouse-2021-05-04T20_05_17-1-thumbnail2.jpgOffical髭男dismの歌『I LOVE...』を聴いて、その色彩感に唸った。

♪ 高まる愛の中 変わる心情の中
  燦然と輝く姿は
  まるで水槽の中に飛び込んで
  溶けた絵の具みたいな
  イレギュラー♪

水槽に溶ける絵の具。なるほど、様子を想像することはできる、しかしそんな表現をするなんて思いもよらない。透明な水槽の水にパレットから筆でとった絵の具を垂らす。水に付けてシャカシャカすると面白みはない。垂らして水の流れのままに色が渦を巻いたり水深くに落とし込んだりして広がっていくのを楽しみたい。色は何だろう。黄と紫か、赤と白もほしい。

「水槽の中に飛び込んで溶けた絵の具」と絵の具を能動的に扱っている。こりゃ大事件だ。絵の具が意思をもっている。絵の具は思いのままにうねって沈んで浮かんで、好みの色彩を描き出す。

Offical髭男dism・・・やるねっ。スゴいよ! 島根大学と松江高専出身の四人組。さらに健闘を祈る。

(Offical髭男dismの歌は、風に飛び込んで揺れる小手鞠のようにして響き渡る)
挑戦し楽器の習得人の目に [2021年04月14日(Wed)]

fumihouse-2021-04-14T18_24_22-1-thumbnail2.jpg楽器を習得するのに独習は難しい。教則本を読み進め音源も頼りにしつつ、楽器を手にして、抱えて、口に当てる。形はできても壁にぶつかる。先生がいれば小さな壁はちょっとしたコツを与えられて克服できるし、大きく見えたとしても道筋を示されて目標が明確になる。独習者にはそれが難しい。

先生から励ましを受けて技量を伸ばし、発表会の機会を得て、悔しい思いをしては、頑張ることの繰り返し。どんどん上達していく。職業的演奏家が研ぎ澄まされていく過程も似ている。格段に厳しい世界ではあるが、中野雄氏は次のように述べる。

≪音楽家はステージ経験を積まなければ一人前にはなれない(中略)他人の前で、料金をいただいてコンサートを催そうと決意したとする。するとその日から、彼や彼女等が実際にステージに立つ瞬間までの時間の密度は一変する。彼等は譜面を読み、作曲家の創作意図を理解し、曲の仕上がりを脳内にイメージして、ステージからそれをいかに正しく聴き手に伝えるべきか、技巧の練磨に心を砕く。何千個、何万個という音符で書かれた楽譜をソラで弾くために、暗譜という困難な作業にも挑む。厳しい批評家やレヴェルの高い愛好家に納得してもらい、賞賛を得るため、曲をただ間違いなく弾くテクニックの勉強だけでなく、曲想の把握−−その一手段としての歴史的背景の理解や作曲者の人間性洞察にも不可欠の研究課題として挑む。何日、何ヵ月もの間、コンサートのことが四六時中頭から離れない。日限を設けられた大きな目標に向かうことで、脳内が飽和状態になるのである。

 こういう、いわば追いつめられた状態で過ごす月日が、アーティストの解釈力・演奏能力に質的な変化をもたらす。こと音楽に限らず、技量の新保・上達はだらだら坂を登るようにではなく、階段を跳び上がるような形で実現されるものであるが、実現のための与件は目標が具体的で、しかも大きいことである。そして成功体験が本人の能力を倍加する。≫ (『モーツァルト 天才の秘密』(中野雄著,文春文庫,2006年))

長過ぎる引用で恐縮であるが(著作権上も問題ありだが)、独りで音楽演奏のレベルを高めることは無理だ。大なり小なり演奏家は他人の目や耳を介して技量を知り、相手の鑑賞眼を上回る出来映えを見せようと努力する。「成功体験が本人の能力」をぐんと高めるのであれば喜ばしい。失敗すれば目も当てられないけれども、命を取られるわけではない。挑戦の甲斐があるというものだ。

(八重桜も咲き具合を競う。挑戦して試行錯誤を繰り返す。ホントか(・・;)
強靭でとろける音に憧れて [2021年04月12日(Mon)]

fumihouse-2021-04-12T21_35_11-1-thumbnail2.jpgアンドレス・セゴビアはホセ・ルイス・ゴンザレスの師匠であり、「良い音の出し方は彼に学びなさい」と賞賛したと書いた。

わたしが月一度通う門脇康一ギター教室の門脇先生は、ホセ・ルイスの門下である。ということは、わたしはホセ・ルイスの孫弟子だ。おこがましいが、教えの系譜を辿っていけばそうなる。さらに遡ると、わたしはセゴビアの曾孫弟子ということになるではないか。

あのセゴビア・トーンの系譜に連なるなんてスゴいことだ、てなことはない。小なりの不等号記号 > があるだけで、ほとんどゼロに近い。セゴビア・トーンの系譜に憧れても、夢のまた夢。

無駄な力を入れず柔らかなタッチで伸びる太くて豊かな音。硬質で強靭な音ととろけるような甘い音。そうしたセゴビア・トーンを多くのギタリストが目指す。色彩感にあふれた音楽を奏で、エレガンスに舞う演奏をしたい。

セゴビア・トーンとはアンドレス・セゴビアだけのもの。わたしはギターの音の奥深さを示せるよう、自分なりのフミ・トーンを求めていけばよいのだ。

(フミ・トーンは柔らかなタペストリーのような味わいか)
ゴンザレス心に届く至芸なり [2021年04月11日(Sun)]

fumihouse-2021-04-11T19_06_49-1-thumbnail2.jpg『ホセ・ルイスの至芸〜アルフォンシーナと海』を幾度も聴いた。聞き惚れた。硬質で太い芯の回りを甘い衣で包んだ音と表現したい。弦がビビるほどの強音の響き、消え入るようでも透き通った弱音。豪気さと清澄さの両者を備えたダイナミックレンジの広さ。激しい振幅とリズミカルな曲の運びにラテンの空気を感じ、胸に染み入る。

ギターは撥弦楽器である。弦を爪で弾く。ホセ・ルイスの音は足が長い。弦をこする擦弦楽器であるかのような錯覚が起こる。ギターの奥深さを余すことなく示す演奏だと思う。

現代ギターの父・セゴビアの演奏は何度聴いても飽きない。音質や音量の幅が多彩で、ミスタッチですら魅力となる。私はゴツゴツした演奏と評するが、ゴンザレスの演奏もそれに通じる。師弟関係にある二人には相関がある。

セゴビアは賞賛したという。「ホセ・ルイスの音色の美しさは無類だ。良い音の出し方は彼に学びなさい」と。ゴンザレスはあるときは土臭く歌い、転じてエレガンスに舞う。喜怒哀楽を自在に弾き分けて、聴く者の心の奥深く届ける。素晴らしい演奏だと思う。かえすがえすも、早くに亡くなられたのが残念だ。享年65歳(1998年)、7度目の来日公演の直前だったそうだ。

(ウマノアシガタもまた自然界の至芸なり。暖かい陽光に輝いて足元を賑やかにしてくれる)
懐かしい温泉津の里に登る窯 [2021年02月20日(Sat)]

fumihouse-2021-02-20T21_15_44-1-thumbnail2.jpg温泉津焼は江戸時代に窯が開かれた。特に幕末から昭和にかけて数多く生産されたという。「はんど」という名前の茶色の水瓶が代表的である。水瓶を使う家は今やない。我が家では傘立て用に置いてある。水道が普及するまでは、この大きな瓶が温泉津港から全国へ船で運ばれて行ったことだろう。すり鉢や壺類も有名だ。石見銀山が産する銀とともに積み出されて、盛んな交易で栄えた。

わたしが使っているのが、中央の丸口から放射が渦を巻くようにして釉薬がかかる一輪挿し。白色と萌黄色の淡いコントラストがなんとも上品で好ましい。椿窯(登り窯)のA氏の手になるもので、わたしのお気に入りである。執務机の上にあって、生けた白梅の枝で和ませてくれる。

草の芽、木の芽が萌え出るのはもうじきだ。山が笑い、春野にスプリンググリーンが満ちていく。A氏の一輪挿しは春を先駆けて、わたしの目を楽しませる。
日々精進五感を束ね弾くギター [2021年02月16日(Tue)]

fumihouse-2021-02-16T15_08_48-1-thumbnail2.jpgプロギタリストの福田進一氏はこう言っている。

≪ギターは、音を弾く部分とも、出している部分とも身体が触れているでしょう。それから(中略)身体全体で振動を受け止めている。自分の体で受け止めている振動と、耳で聞いてる音、指の先に伝わってくる感覚、あらゆる五感をまとめて脳で味わえるのがギターなんですね≫

「あらゆる五感をまとめて脳で味わえるのがギター」。言い得て妙だと思う。もちろん氏は、耳をそばだてて自分の音を聴き、フレットを押す左指を目で確かめ、左右の指や身体で抱える楽器の感触も楽しむ。なおかつ、表面板を舌で舐めて、木製クラフトの匂いをかぎ分けて、ギターを弾きなさいと言っているのではない。五感、すなわち心身ともに自分の持てる力を注いで、研ぎ澄ませて奏でる音楽。それがギターという楽器の魅力につながる、と言われているのだと思う。

左右の異なる動きでもって音を出す。優しく温かみの深い楽器ではあるが、思うがままに鳴ってはくれない。内面で望む音の理想と外界にたれ流される現実の音の隔たりは大きいが、音楽とは人間の知覚を総合して編み出す芸術であるならば、わたしの望みの一端は叶えられると信じたい。

(紅梅もまた五感を研ぎ澄ませて美を感じたい。ほのかな梅林の香りを楽しんだ)
足台は2世紀前の大革新 [2021年01月31日(Sun)]

fumihouse-2021-01-31T18_42_28-1-thumbnail2.jpgクラシックギターを弾くには、支持用の器具が必要である。伝統的に足台を使う。伸縮式でX形に交わる四脚に左足を乗せて構える。足台を使うと体に近い位置にギターが保たれて姿勢が安定する。

中世のリュート奏者は立って演奏したそうだ。左手でネックを握り、右手はリュートの底部を腕で押さえながら指を動かす。18世紀まではギターも同じような状況で、せいぜい足を組むか、机にボディのお尻を乗せて構えたり、ストラップで支える程度であったらしい。

【足台】が発明されてギタリストの技量は格段に進歩した。ソルやタレガの名曲は足台なしでは満足に演奏できなかったであろう。ただ、長く足台を使うと疲れやすい。様々な支持具が今はある。わたしには商品名と器具名が判然としないが、上げてみたい。

【フットレスト】
スポンジを革に詰めた三角の枕状のものを左足太ももに乗せ、ギターを傾けて乗せる。通称は枕。

【ギターサポート】金属と一体化させた三角状のものに吸盤があり、ギターボディのサイド下に吸い付けて左足太ももに乗せる。

【エルゴプレイ】
ギターサポートは小さい三角のためにぐらつきやすい。それを改良して大きな三角で支えるのがエルゴプレイである。ギターの側面の上下4ヶ所に吸盤がついている。

【ギターレスト】
ギター側面をネジで挟み込んで固定し(ギターは傷つけない)、その棒の先に太ももにフィットする弧形具が付いている。吸盤式もある。従来はギターレストが最も安定して楽な姿勢で演奏できるとされていた。

【ギターリフト】
ドイツで生まれた新技術である。ギターの裏板に直接大きなアクリル板を吸盤で取り付けて、太ももに乗せる。抜群に安定し、かつ無理なく体のセンターにポジションがくるという。ギターが膝から浮かんで見えて不思議な感じ。ただ、重いと思う。持ち運びするにも大きい。

ギターは演奏姿勢が左右非対称でねじれ気味になる。良い姿勢を保つよう努めても、足台を長時間使っていると足が疲れ痺れる。イスに座って両足を地面に置いて均等に構えると疲れにくいのは確かだ。

ただ、わたしは思う。ロダンの名彫刻「考える人」を考えてみよう。 肘が反対側の膝に乗って前傾した体がねじれて、深い思索人が登場する。哲学する人は少々ねじれているのがカッコいい。音楽は哲学である。
古臭い不易のものよ新しき [2021年01月29日(Fri)]

fumihouse-2021-01-29T17_30_19-1-thumbnail2.jpg変わらないものは古臭くなるのか。変化の激しい現代にあっては、ネットによって新しい情報が飛び交う。情報はすぐに古びて忘れ去られる。そんな情報に翻弄されるばかりだと疲れてしまう。

(作曲家でピアニストの山中惇史氏の言葉)≪クラシック音楽は、楽譜に沿った忠実な演奏が求められる。その奏法は何百年も変わらない。「変わらないから面白いのです」と▼クラシックの名曲には、偉大な音楽家たちの“魂”が息づいている。魂の力は、時を経ても衰えない。そこに迫ろうとする限り、楽器や演奏者が変わっても人々を魅了し続けるだろう≫ (2020年6月30日付け聖教新聞,名字の言)

解釈は演奏者それぞれで、速さや強さ、音の質感が異なっていく。感情やイメージをのせて音楽を奏でる。新解釈によって表現が変わったとしても、その曲の根源は不動である。そして小さな差異に新しみが宿る。

数百年間続く老舗企業がある。ずっと同じものを作り、サービスするところもあれば、商売の内容を徐々に変えて新基軸を出す企業も多い。表現に新奇なものはなく落ち着きを保つ不易。時に応じて斬新な趣を発揮する流行。どちらにせよ、企業としてのアイデンティティは一貫している。変わらないからこそ、古臭さとは無縁のものとなる。

(この格子縞のような模様。これも不易なものの代表格だ)
音楽の力を込めてとき築く [2021年01月26日(Tue)]

fumihouse-2021-01-26T07_01_13-1-thumbnail2.jpgピアニストの清塚信也氏がこう述べている(「音楽シナプス」2020.12.24付け日本海新聞)

≪どうやって音楽が人類を支えていけるか。それをどうしても考えてしまう(中略)音楽家は音楽文化を築き、人々を鼓舞し、寄り添い、支える。音楽は人々の危機を支え、音楽も危機を乗り越えるたびに"成長"してきた。
 だから、コロナ禍もきっと一緒に成長できると思っている。いや、成長しなくてはならない。クラシックの歴代の作曲家がつくり上げてきた歴史にのっとって、われわれもバトンを受け取らなくてはならない。真の音楽家は、今、燃えているはずだ≫

勇気を与え、悲しみを癒やす。時には、常識すらも問いかけて洗い直す。大上段に構えなくても、気楽に楽しみことだって大切だ。ここでいう音楽とはクラシックの世界にとどまらない。ポップスもロックも邦楽などエスニックな音楽もすべて含めて、この世に満たされて存在する音楽。音楽には大きな力がある。
音楽は心の健康つま弾いて [2021年01月11日(Mon)]

fumihouse-2021-01-11T10_48_51-1-thumbnail2.jpgギタリストの浜野茂樹氏が、メルマガでこう述べられている。

≪世の中を見るとコロナの影響は/まだまだ引きずりそうですが/マスクや手洗いなど必要な対処は行いながら、/出来ることを見極めて行動することも/大事じゃないかなと思っています。
 もちろん妙な油断や無茶はいけませんが/萎縮しすぎると免疫力も落ちそうですからね。
 音楽は心の健康に役立つものですし、/幸いクラシックギターの演奏スタイルって/感染拡大に繋がる要素は少ないはずです。
 ですので、今年もより一層/ギターや音楽を楽しんでいきましょう^^ ≫

今日は成人の日(軒並み中止のところが多いが)で、三連休の最終日。もちろん出勤される方も多いが、わたしは急ぎの外出はない。寒さも少しだけ緩んでいる。

雪は昨日掻いたし(これから降っても掻くほどの積雪はないであろう)、午後には遠くの友人たちとオンライン新年会を予定している。それまでギターの練習にいそしむことにしようかね。

(いまの太陽。太陽が元気になってくれなくては困る)
巣籠もりで歌舞伎の黒衣感じけり [2021年01月10日(Sun)]

fumihouse-2021-01-10T11_42_09-1-thumbnail2.jpg雪で巣籠もり中。1年あまり前に上演された新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』を録画で観た。ナウシカは尾上菊之助が演ずる。たくさん登場している黒子が面白い(正しくは黒衣と書いてクロゴと読む。黒子はホクロのこと)。

演技や舞台進行を助け、多くがベール付きの黒頭巾など黒づくめの衣装を身に付けることから黒衣。「見えない」「そこに居ないことになっている」という約束事のもとに舞台を動き回る。

意味が転じて、表には名を出さないで裏方に徹する人を意味するようになった。さらに、黒幕やフィクサーといった闇の要素も入った言葉になった。

行事や会議の進行中に、会の主催者が場内のカーテン開閉をしたり、次の場面の準備やカメラ撮影を行うことがある。その際、静かな会場に気後れしたためか、腰を屈め、手刀を切るようにして会場内を横切る人がいる。目立たないようにしているつもりだろうが、反対にこれが実によく目立つ。黒衣を着ていなくても会議関係者は黒衣なのだ。堂々とすたすたと歩こうではないか。黒衣の美学と言えるかもしれない。

(昨夜から積もった新雪は10センチほど。各地で大雪の被害が出ている。このくらいにしてくれんかね)
色彩を広げて小さなオケに魅了され [2020年12月22日(Tue)]

fumihouse-2020-12-22T18_12_03-1-thumbnail2.jpg『ギターは小さなオーケストラのようで無限の色彩がある』とはベートーベンの言葉。

消え入る微細な儚さを表現したあとには、ダイナミックに観客を震わす演奏もできる。柔らかく甘い音、硬い緊張感のある音、響かせずくぐもらせた音、ネックを叩いて音階のある不思議な音、金属弦を絡ませて打楽器風、速いパッセージの音階、トレモロ・・・その他たくさん。指爪の角度でも音は変わる。自在に駆使すると多彩な表現が可能だ。

一方で本物のオーケストラはどうか。管楽器がフルート、ピッコロ、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、テューバ。打楽器がティンパニ類。弦楽器楽がヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。個性豊かで大音量も出る楽器ばかり。構成によっては百名近くの奏者による音楽は圧巻だ。

「ギターは小さなオーケストラ/無限の色彩」というには少し無理があるが、身体をギターの胴に引っ付けて生身の身体で演奏する。気持ちが音に反映していく。距離が近いほど豊穣な響きが輝いて、聴く人をロマンチックな気分にさせてくれる。もちろん奏者自身も気持ちいい。技量レベルに応じてではあるが、コロナ禍の外出規制があるなかで、ギターを楽しむことは無上の喜びである。
熱中し光陰の如く過ぎにけり [2020年12月12日(Sat)]

fumihouse-2020-12-12T22_37_32-1-thumbnail2.jpg門脇康一ギターリサイタル。プロギタリストとして活動された50年を記念するコンサートは、盛況のうちに終演した。氏はパンフレットにこう記された。「またたく間に50周年を迎えたような不思議な感覚におそわれています。今も本当だろうか50年もなんて・・」

熱中して過ごす光陰は矢のごとく過ぎ去っていく。それは去り往くだけではない。技と力、心根の優しさも含めて人の心に染みとおる。生きる光陰に鮮やかな虹を残して人びとの心に感動を刻む。

多くの困難はあったであろうが、氏にとって「ギターの音はめくる快感で片時も離すことができない麻薬のようなものです。それはまた自分の心を全て打ち明けることのできる親友」だったという。楽器を通して音楽を奏で、聴く者の魂をも鳴らすべく、今後も益々活躍なさる。

人間は生身である。だから100周年はない。しかし、氏の魂から溢れ出るギターへの愛情、音楽への傾注、誰をも音楽を好きにさせようとする意欲・・・その共鳴が人を巻き込み、100年200年と続いていくことは間違いない。そのためにも、まずは60周年に向かって、門脇先生、どうぞお元気で!
師走かな清しこの夜星光り [2020年12月03日(Thu)]

fumihouse-2020-12-03T20_34_08-1-thumbnail2.jpgクリスマスキャロルの「きよしこの夜」は、オーストリアのグルーバーが二百年前に作曲した。元はギターの伴奏で作曲されたという。

クリスマスイヴの前日、教会のオルガンが壊れて音が出なくなった。クリスマスに歌う賛美歌の伴奏ができない、たいへんだ。急遽作詞家のヨゼフはStille Nacht(英語名 Silent night)を書き上げ、グルーバーに手近にあるギターで伴奏できる曲をつくるよう依頼した。重層な教会でギターを弾いても誰も喜んでくれないとグルーバーは懸念したが、意外や意外好評を博し、今やクリスマスキャロルの代表歌となって世界に広がる。

そんなことを聞くと、ギターで「きよしこの夜」を演奏するのも悪くないと思う。練習にいそしむことにしよう。
ギターにはクラギとエレキとアコギなり [2020年11月11日(Wed)]

fumihouse-2020-11-11T22_49_51-1-thumbnail2.jpgアコギとは、アコースティックギターの略称。エレクトリックギター(略してエレキ)のように弦の振動を電気信号として増幅しない。楽器全体を共鳴させて生の音で演奏する。クラシックギター(略してクラギ)もアコースティック(電気的な装置を使わない音響的な楽器)ではあるが、一般的にアコギはフォークギターを指す。

さて、略称のことだ。エレキと呼ぶことに違和感はない。だが、クラギはしっくりこない。頭の中で【暗ギ】と変換してしまうのが嫌だ。

アコギには嫌悪感すらある。「おぬしも阿漕(あこぎ)な奴よのぉ」。時代劇のそんな台詞を想像してしまう。人情に欠け悪どい者のことだ。三重・津市の阿漕ヶ浦(あこぎがうら)は、伊勢神宮に供える魚をとるために殺生禁断の海だったが、たびたび密漁する漁師がいたので、その者をそう呼んだという。

語源はともかく、アコースティックギターを弾く方々。アコギという呼び名にしっくりこない感じはないですか?

(クリームがかった白の山茶花。まもなく冬を迎える季節のものとして違和感はない。しっくりと収まっている)
観察し練習上手で過ごしたし [2020年11月08日(Sun)]

fumihouse-2020-11-08T06_39_41-1-thumbnail2.jpgクラシックギターが上手くなる人には2つ特徴があるという。酒井ギタースクールの酒井良祥氏が解説している。この2つを実践できるかどうかで大きな差が生まれる。ギターに限らない。何かを習得したり、人間の成長にあっては不可欠な条件であると思う。

【1 練習が上手であること】
間違った時そこだけ弾き直してさらっと次へいく。1曲通して満足感を得る・・・よくある練習のやり方だ。難しい箇所をできるまで繰り返す。考えて工夫して反復する。信じられないほどゆっくり練習すると身についていく。反対に漫然と曲を繰り返すとミスを定着させる練習となってしまう。注意あれ。

【2 観察力が優れていること】
レッスンであれ、YouTubeであれ、他人の演奏を聴くときであれ、視野広く集中して冷静に観察すること。ピンときたり、コツを見つけたら直ちに試してみる洞察力が必要だ。カンを鋭くせよとも言えるだろう。

(タペストリは、機械織りであろうが手織りであろうと、製品にするまで不断の習練と調整が不可欠だ)
魂を共鳴させてガット弾く [2020年11月03日(Tue)]

fumihouse-2020-11-03T13_38_43-1-thumbnail2.jpg松江・プラバホールで開催された島根大学ギター部定期演奏会で、顧問の法文学部教授 武田信明氏はこのように述べる。

≪ギターはポピュラーな楽器なのですが、ギターのみでの演奏をじっくり聴く機会は少ないものだとも言えるでしょう。弾き語りという形式がありますが、ギターだけの楽曲演奏においてこそギター本来の魅力が発揮されるわけです。ギターのアコースティックな音色は、時に聴く者の魂と共鳴します≫ (第55回定期演奏会プログラム)

エレキギターも悪くはないが、生の音ではなくアンプで増幅された電子音は「魂の共鳴」というよりは、パッションの伝導というに相応しい。弾き語りで使うアコギではスチール弦の音が鋭くて、やはり歌をサポートする役割といえよう。クラシックギターのガット弦(昔は本当のガット、羊の腸で今はナイロンかカーボン)は、タッチによってある時は柔らかく、またある時は硬質に幻想的に音楽を奏でて、共鳴させる。

共鳴させるうちに、やがて何かを呼び覚ます。覚醒した魂は生きる力を沸き立たせるであろう。氏はさらに、≪部員一同そのような一瞬をめざし、無心に演奏いたします≫と。そうだ、一瞬でもいい、思いも込めて無心で演奏に集中するうちに、拙い演奏であっても聴衆に伝わるものがあるであろう。わたしもそう心がけたい。

(夜露を残して無数の水玉が朝日に共鳴するかのように輝く)
人間は一番が好きこれ常識 [2020年11月01日(Sun)]

fumihouse-2020-11-01T08_46_20-1-thumbnail2.jpgトップギタリスト村治佳織をはじめ多くの奏者を幼少期からの英才教育で育んできた、村治昇氏がこう述べている。

≪なぜ、芸術、スポーツを問わず多くのコンサートや大会があるのでしょう。それは一言で言うならば「一番になりたい」という気持ちが人間の持つ本質の中にあり、その気持ちがあるからこそ、さまざまな分野が現在あるような形にまで発展してきた大きな原動力の一つになっているからなのでしょう≫ (『先生!どんなふうに育てているの?/子どもの夢の叶え方』2006年)

順位のつかない競技はない。肉体をぶつけ、球やシャトルで相手を射て、隣のレーンのライバルに激しい闘志をぶちまかす。闘争の行く末は「一番になりたい」である。一番になれないならば、せめて順位を上げて自分の実力を示したい。スポーツだけでなく、音楽、学問、技術、経済、政治もすべてが、人間の本能によって成長を遂げている。

自分で楽しむだけだから、という人もいる。でも「上手だね」「そんなあなたが好き!」なんて誉められれば俄然元気が出る。それもまた「発展の原動力」と言えるのではないだろうか。適度な競争は絶対に必要なことである。

(花は競争しないのだろうか。すると思うなぁ。誰が一番綺麗かって)
大山のギター三昧鳥さえずり [2020年10月04日(Sun)]

fumihouse-2020-10-04T20_48_44-1-thumbnail2.jpg鳥取県の観光ポスターが面白い。知事の発想が豊かな証拠だが、松葉ガニ漁獲量日本一から蟹取県、星が美しく見える県として星取県。大山の国民宿舎で見つけたポスターは、

 [記録]に残る旅 #写真で撮りたくなる体験

として、カメラのファインダーのデザインをベースに大山の星空、大山の雲海、大山の樹氷、大山のブナ林を美しく配置している。

あいにく昨日の夕方以降、伯耆大山の険しい峰々の姿は見えず、中の原スキー場から上は雲に覆われている。ギター講習会に参加された皆さんは早朝の散策に向かわれたが、わたしはギターの練習三昧を続けた。開けた窓から聞こえる小鳥のさえずりが美しい。風に混じってトレッキングに向かう人の声が聞こえる。そこにわたしのギターの音色が加わって、好ましい大山の朝は過ぎていった。

(大山のブナ林に流れる渓流の脇に咲く大文字草。ここ川床にはかつて集落があったようだ。天保の年号を記した墓標がある)
愛の名にギター奏でて距離縮め [2020年10月02日(Fri)]

fumihouse-2020-10-02T20_05_40-1-thumbnail2.jpg女性の名前のついた楽曲が気になる。ベートーベンの『エリーゼのために』、ポール・マッカートニー『ミッシェル』、ジョン・レノン『オー ヨーコ』、村下孝蔵『ゆうこ』、サザン『いとしのエリー』・・・いくらでもある。いずれも愛しいひとに捧げ熱い愛を語る。

近世までサロンの主役として重宝されたギターはどうか。これまた、あるある。

タレガの『アデリータ』は、弟子アデーラに親しみを込めた愛称だ。有名な『ラグリマ』は、惚れ込んだ(40歳近く年下だが)愛弟子ホセフィナ・ロブレドにのみ与えられた。『アルハンブラの想い出』もパトロンだったコンチャ夫人に献呈されている。

『フリア・フロリダ』は、バリオスがコスタリカで出会った女性に対して、花のように美しいフリア、と歌い上げる。『マリア・ルイサ』は、サグレラスがアルゼンチン人の若い女流ギタリストのマリア・ルイサ・アニードに捧げた。

ピアノに押されて一時は凋落したが、19世紀の終わりになってタレガは、高い技巧から名曲を編曲したり作曲したりして、次世代に弟子を引き継いだ。リョベートやセゴビアの登場によってギターは完全復活した。

ギターの響きは甘く、変化させる音色で興味を引く。好きな異性、中でも男性から女性に愛を告げるのにふさわしい。至近距離で愛の歌を奏でられると心が揺さぶられ、自ずと愛情が増幅したに違いない。昔の作曲者の多くは演奏家であり、各地のサロンで引っ張りだこだっただけではなく、ギターでもって甘く口説く姿もたくさん見られたのではなかろうか。

(甘くて淡いピンクが好ましい溝蕎麦(ミゾソバ)も満開になっている。蕎麦に似ているが愛の実はならない)
弾き始めイメージ指置き息をする [2020年09月08日(Tue)]

fumihouse-2020-09-08T19_48_00-1-thumbnail2.jpg楽曲の弾き始めは難しい。発表会や練習会で、出だしの音でつまずいて弾き直す人の多いこと(わたしも含め)。ギターに限らない。人前で演奏するのは緊張する。特に弾き始めは失敗しやすい。こんなはずではなかったと焦り、進むにつれて腹が据わるどころかますます緊張して運指を忘れ、テンポが無茶苦茶、曲にならないこともある。

プロギタリストの山口莉奈氏が、曲の弾き始めに心掛ける3つのポイントを述べている。その上で、本番では練習でやった以上は出せない。よって毎日の練習でやることだと。習慣になると緊張した場面でもできるという。目指せ、弾き始めの安定感!

【1】テンポや曲の雰囲気をイメージ
唐突に弾き始めてはいけないようだ。曲の出だし、特にテンポを心の中で刻むこと。するとテンポに不安を抱えることがないという。

【2】右手、左手を準備をする
左手は弦に置いても、右指は宙にあるまま弾き始めることの多いこと。第一音で空振りしたことがある。右手もセットしておこう。

【3】息を吸う
弾き始めは必ず呼吸をしてから始める。無呼吸でスタートすると、最後までブレスを忘れがち。ギターは吹く楽器ではないから意識しないとブレスを忘れる。音楽に呼吸は不可欠。

(未来を見据えて今日も一歩前進)
トレモロに水滴流れ異郷かな [2020年08月05日(Wed)]

fumihouse-2020-08-05T06_04_47-1-thumbnail2.jpg名曲『アルハンブラの想い出』。これを独奏すると、イベリア半島に花開いたイスラムの栄光が感じられる。正確に言えば栄華の跡である。フランシスコ・タレガが120年以上も前にここを訪れて着想を得た。

ギリシャとローマの文明が滅び、西洋キリスト社会が暗黒に転じたあと、文明技術の精髄を継承し発展させたのはイスラム文明である。やがてヨーロッパがルネサンスを経て反転攻勢にかかる。一方でイスラム社会は宗教的原理主義が強烈となり文明は衰退する。両者の力関係が逆転するのが、アルハンブラ要塞のあるグラナダ(スペインの地中海寄り)が陥落した頃と言える。それが15世紀末。イベリア半島全体を支配していたイスラム教徒であったが、アフリカや中東の砂漠地帯にまで追われた。脱出した者にとってアルハンブラは望郷の象徴となった。

クラシックギターのトレモロ奏法で ミーレ ドーレミー と続く単調のメロディは、故郷を追われた者の無念さと滅びの哀愁を醸す。タレガはアルハンブラに旅して、追われし者たちの「想い出」や「思い入れ」に感じ入ったのかもしれない。

トレモロは薬指(指記号a)、中指(指記号m)、人差し指(指記号i)で一つの弦を高速で弾いてメロディとし、親指(指記号p)はバス声部と伴奏和音を奏でる。pamiの4連符の繰り返しが最後まで続く。トレモロで途切れない噴水の粒々を表現したのだという。時おり入る装飾音が実にメルヘンチックで、細やかで幻想的な彫刻や装飾美も映し出されている。

トレモロの繰り返しはどんな意味があるのか。城が滅びたあとも水の流れ、噴水の飛沫が途絶えない。精緻なイスラムの土木建築技術が素晴らしかったことの証を表現した、とわたしは見る。繁栄は永久に続きそうに思えるのだ。

タレガが見たアルハンブラは、今のように観光客が寄せる世界遺産ではない。荒廃していたのではないだろうか。タレガは、異教徒が七百年もの間支配した、兵どもが夢の跡のアルハンブラに寄せて、繁栄が途絶えてしまった寂寥を描いた。自分個人の「想い出」というより時代の「情念」を表現した。宮殿と風景の美しさのみならず、歴史も含めた全てを包含して「情緒」をメロディに残したに違いない。

タレガは世にあるすべての栄枯盛衰、建設と破壊、諸行無常の様々を感じたのかもしれない。人が人を征服し支配する。殺し合いを経て生まれる憎しみの連鎖。それも過去の遺物となって、今ここに超然として存在するアルハンブラ。そうした叙情を見事に歌いきったのだと思う。

(アルハンブラ宮殿にはこんな花が似合いそう。スパラキシス・トリカラー。別名は水仙文目というそうな)
練習は焦らずゆっくり慌てずに [2020年07月04日(Sat)]

fumihouse-2020-07-04T21_20_34-1.jpgフランシスコ・タレガは、有名な『アルハンブラの想い出』の作曲者であり、稀代のテクニックを持つギタリストである。そのタレガが愛弟子ホセフィナ・ロブレドへの手紙で、こう述べている。

≪根気よく基礎を練習すると、どこまでも上達します。ゆっくり練習することが上達の近道で、もしそれを怠ると、たとえ3世紀生きたとしても良い演奏を身に付けることは不可能です≫
 (手塚健旨著『ギター名曲ミステリー』)

タレガは、サロンの主役の座をピアノに奪われ、伴奏楽器に成り果てていたギターを再興させて、独奏楽器としてのギターに再び光を当てた、1世紀前の人である。

その名手が上達の秘訣はゆっくり弾くことだと言っている。上手なプロの演奏がイメージにあると、練習でも速くなる。失敗を繰り返してそれが定着していく。自ずと上達しない。ギター以外でも同じことが言えよう。

さて『アルハンブラ』を人前でも恥ずかしくない程度に練習しよっと。ゆっくりゆっくりとね。

(薔薇もまた慌てて咲くことはない。季節を感じて温度や気候に合わせて咲く)
会心の出来とは言えぬわが演奏 [2020年06月28日(Sun)]

fumihouse-2020-06-28T21_06_29-1.jpg門脇康一ギター教室サマーコンサートは終わった。米子市文化ホールは緊張と笑顔、渾身と不安、照れ笑いと会心のお辞儀・・・。この日を目指してアマチュアギタリストそれぞれが練習をした成果を披露しあった。

わたしの「カバティーナ(スタンリー・マイヤース作曲)」はどうだったかというと、残念な演奏だった。したことのないミスが出る。それをきっかけに難なく弾けるところでつまずく。一度は演奏が止まりかけたが、適当に繋げて最後まで弾き終えたものの、残念な思いに尽きる。練習の質を上げて、強めに緊張しながら演奏する経験がもっと必要かと感じる。

先生から全般的な講評があった。まず歌うこと。曲に思いを込めて、自分の歌にして心で歌う。それで爪弾く。爪と指に歌を乗せていかなければならないと思う。

次にテクニックをおろそかにせず、一つひとつ積み上げてクリアしていくこと。当たり前だが、不安のある箇所は本番では大抵ミスをする。

三つ目に記憶を大事にしてほしいと。練習のときからメロディを階名で覚え、歌うことに尽きると。歌えればイメージが湧き記憶に残る。演奏もしやすくなるのだそうだ。ギターに向かい、譜面を解釈し腑に落ちたときの記憶や、思い出を結びつけて一曲の中に体験を積み上げるのも記憶となっていくのだろう。

「カバティーナ」を、いつでもどこでも遜色なく弾けるようになりたい。新しい曲にもチャレンジしている。まずはバッハの無伴奏チェロ組曲1番のプレリュードを自分のものにしていくことだ。

(サマーコンサートの舞台を飾った薔薇とカスミ草)
セゴビアと入力作業を楽しんで [2020年06月21日(Sun)]

fumihouse-2020-06-21T08_41_58-1.jpg数字の入力作業を2時間ほどやった(仕事ではない)。ネットをつないで作業しながら聞いたのは、アンドレス・セゴビアの名演の数々。この人ほど録音、録画の音源が残っている演奏家は珍しいのではないか。インターネットにアップされていて、CDでなくても存分に楽しむことができる。それだけ現代ギターの巨人だったのだろう。多くのヒトを魅了した証拠だ。

セゴビアの音に合わせるわけではないけれど、リズミカルにキーをたたく。順調に入力は進んだ(終わりはしていない)。疲れないよう適度な休憩をとるが、右手のタッチが柔らかくリズミカルに速くなるような気がしてくる。さらにギターまで上手になるのではないかと思えてくる。音楽(名演)と単純作業は相性がいい。

ギターの腕はどうかというと、変わらなかった。まっ当たり前だね。

(ヤナギハナガサ(柳花笠)がリズミカルに風に揺れる。茎株は細いが強い風にも折れることはない)
静かなる華ある絵画堪能す [2020年06月08日(Mon)]

fumihouse-2020-06-08T18_19_36-1.jpg島根県立美術館で開催中の『日本美術の巨匠たち』を観覧してきた。東京富士美術館所蔵の名品がたくさんお目見えしている。

伊藤若冲の『象図』
 この絵は何度も見たことがある。初見では両耳が化け物の目に見えた印象が残るものだから、これは耳だと言い聞かせてやらなければならない。濃くて太い墨線による単純な象の象形。それだけに象の巨大さが強調される。切れ長の目、眉間に皺、縮こまった足・・画面に収めるデザインでもあろうが、生まれ故郷から遠く隔たり、狭い檻に押し込まれたインド象の悲哀を表しているような気もする。

岸駒『猛虎之図』
 鋭い虎の目を見ていると、中島敦の短編「山月記」を思い出す。かつて詩人となって科挙で登用される望みを抱いた男だが、虎に変身せざるを得なくなって、正気に戻った短時間に数奇な運命を友人に語る。この絵の虎は、体型だけはどこかユーモラスだ。

竹内栖鳳『獅子』
 巨大な屏風にリアルなライオンが描かれている。明治期のロンドンやアントワープ動物園で作者は模写を繰り返したという。牡ライオンのたてがみや筋肉が実物に近い。ベースが金屏風でライオンが透明感がある。雄々しさ、力感が伝わってくる。

会期は新コロナの影響で2ヶ月遅くなり、これから1ヶ月余りの開催。時間は朝10時から日没後30分まで。北斎、広重、写楽など浮世絵の巨匠たち。横山大観、菱田春草など近代日本画を開拓した巨匠たち。一堂に会した華のある、お薦めの展覧会ですぞ。

(島根県立美術館のヤマボウシは優美。ふつうは寸胴の手裏剣型だが、ここのは花が細くてカーブを描き美的な感じ)
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