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尻の尻尻は尻だよ尻を振る [2021年06月19日(Sat)]

fumihouse-2021-06-19T20_19_57-1-thumbnail2.jpg【尻】が気になった。体の尻ではなく、[言葉尻をとらえる]といった尻の慣用句のことだ。実に多い。

[尻に付い]て、人の後ろについていくのは楽だ。考えなくてもすむが、一人残されると[尻に火が付く]。慌てて逃げて[尻に帆を掛け]ても困る。締めくくりがなくなって[尻も結ばぬ糸]では御粗末だ。

じっと動かなければ安全か。[尻が重い]のはつまらない。[尻を押す]、[尻を叩く]、それから[尻を上げる]のでは魅力はないね。他人の[尻馬に乗る]のは無分別。他人の振り見て[猿の尻笑い]などしては意地汚い。

かといって[尻が軽い]のも、すぐに忘れる[尻から抜ける]のも、人から信頼されない。[尻を落ち着ける]、[尻を据える]そんな態度がよろしかろう。[尻が暖まる]、[尻が長い]そんな人は訪問先では喜ばれないよ。上手く運んでいても[喜んで尻餅をつく]と失敗を招く。

[尻がこそばゆい]ような誉め言葉に踊らされて、誰かのしくじりの処理を任されて[尻が来た]んじゃたいへんだ。[尻ぬぐい]はごめんだが、ときには[尻を絡げる]頑張りが必要だ。[尻を持ち込ん]で、誰かの責任を声を荒らげて問うのも大人げない。

隠しごとをしてはいずれ[尻が割れる]ことになるし、[頭隠して尻隠さず]になりがちだ。油断すると誰かに[尻毛を抜か]れることになりかねない。[尻(けつ)をまくっ]て居直って、[尻が青い]なんて言わさせまい。[酒買って尻切られ]て、恩を仇で返されてもじっと耐え、[尻の持って行き場がない]と思ったら、家族に[尻をはしょっ]てもいいから端無を聴いてもらおうよ。
 
家では[尻に敷かれ]ておとなしく、[穴の穴が小さい]と言われても穏やかに笑っている。[軽い返事に重い尻]てなことでは当てにされないよ。たまには[帳尻を合わせる]こともあってよい。たいていは[頭でっかち尻つぼみ]になりがちだけどね。まっ家では[尻の毛まで抜かれる]ことなどないから、ごゆるりと。

尻は尻でもホントの尻は、年を取ると筋肉が落ちる。なかでも尻(太股も)は目立ってしまうからだ。無理せず筋トレでもしましょうかね。

(少し尻が重そうな葵の花。赤くてもアオイ、これ、不思議なり)
詩があってふと見渡せば詩は満ちて [2021年06月13日(Sun)]

fumihouse-2021-06-13T22_05_03-1-thumbnail2.jpgこの世は詩に満ちている。詩とは何か。簡潔な言葉で表現したものやこと、こころである。短歌、俳句、川柳、漢詩、自由詩、楽曲の歌詞などいろいろ。表される情景であれ、心情であれ、よい詩歌は人を豊かにし、ビジョンを示し、ほっとさせてくれて、生きるよすがとなる。人間の目を通して描くからには、そこに精神性が表れ出て文学となる。単なる記号としての言語を超えていく。韻文となってリズムを刻めば、心にも刻まれる。メロディとともに気持ちを鼓舞する。間をとって朗読すれば、想像の翼が広がる。

詩のない楽曲はどうなのか。これもまた詩である。音色や楽器の種別で詩心が表現される。その詩に励まされ、人はエネルギーに満ちていく。この世は詩に満ちている。

(詩心に満ちた?赤詰め草)
ローマには不思議な数字あったのさ [2021年06月11日(Fri)]

fumihouse-2021-06-11T18_25_59-1-thumbnail2.jpgローマ数字は、時計の文字盤や論文の章だてに使われることが多い。オシャレではあるが、通常使うにはせいぜい X までだと思う。W と Y を間違えやすくなるからだ。絵本『たのしいローマ数字(デビッド.A.アドラー)』で初めて知ったことがたくさんある。

「T」「U」「V」「W」「X」「Y」はそれ一文字でアラビア数字の1、2、3、4、5、6を表すものだと思っていたが違っていた。TとXだけは確かにそうだが、UはTが2つ合わさっており、VはTが3つ合わさっている。要はTを足して2や3になるというのだ。

WはXの前にTがあるのでマイナス1して4。YはXに1を足すから6。ZはXに1を2つ足すので7。[はXに1を3つ足して8。\は](10)からマイナス1して9。いちいち考えなくてはならなくて面倒だ。

L=50、C=100、D=500、M=1000。これらを駆使して数を表す。桁が上がると四角で囲ったりして対応するそうだ。使い慣れたとしても、位取りのことを考えるとアラビア数字が遥かに便利である。

叡智の塊のような古代ローマではあるが、こと生活に根付いた科学や技術はアラビア、すなわちイスラム文明に軍配が上がる。

(昼咲き月見草が好きだ。淡いピンクに黄のおしべ。花肌は透き通って儚い。パラボラアンテナのような曲線がよろしい)
気障かなあ人前に出て気に障る [2021年06月02日(Wed)]

fumihouse-2021-06-02T18_34_53-1-thumbnail2.jpg【気障】
「きざ」と読むとは知らなかった。通常は「キザ」とカタカナ書きにする。気障り(きざわり)の略だという。weblio国語辞典には3つの釈が載っている。

「1 服装や言動などが気どっていて嫌な感じをもたせること。また、そのさま」
「2 気にかかること。心配なこと。また、そのさま」
「3 不快な感じを起こさせること。また、そのさま」

元は2から始まったのであろう。生きていると様々に気に障ることがある。自分のこと、自然現象、社会の出来事。なかでも一番の障りは他人のことであろう。やがて、跳んだ格好で表れた奴がいる。本人は洒落者のつもりで高級ブランドに身を包み、仕草や話し方も決まっているつもりでも、周囲はいけ好かない。それらを3の意味で使ったと想像する。さらに一般的に気どった人を揶揄して1になったのではなかろうか。

(ガザニアが気障に咲いている、ことはない。あるがままに天真爛漫に咲く)
さん付けてホントに敬意表すか [2021年05月15日(Sat)]

fumihouse-2021-05-15T18_27_04-1-thumbnail2.jpg女優の上白石萌歌が、自身大ファンであるバンド「スピッツ」に対して、さん付けしなかったということで賛否両論があったようだ。

「スピッツさん」ではなく「スピッツ」。上白石を非難する者は、呼び捨て呼ばわりがよろしくないと苦言を呈する。当のスピッツは「スピッツさん」と呼ばれるのが嫌なようで、上白石はそこを承知の上でそう発言したのだろうと好感を持つ者もいる。

今やバンド名だけではない。自治体の会議でも多くはさん付けをしていた。東京都さんとか、大阪市さんと呼ぶのである。わたしは嫌いだったから、東京都の方とか、大阪市の○○さんと、出席者本人に対して敬称を付けていた。地図にもさん付けが登場している。当店を示すために、セブンイレブンさんとか、農協さんと記すのである。わたしは馬鹿馬鹿しく思う。

プロ野球選手に対して放送の際に、あるいは新聞紙上でさん付けするのと同じだからである。彼らが尊厳ある一人の人間であることは間違いないが、プロ野球の世界にあっては記号であり、固有名詞である。記事や映像でそのプレーを報じるときに、さん付けは不自然で気持ち悪い。

専門とする活動以外で記事に取り上げる場合は、個人名にさんを付けることには反対しないし、対談するときに相手を呼び捨てにすることはむしろ乱暴である。その場合もグループ名はさん付けしないほうが、わたしには自然体に思える。尊敬を表現するならば、敬語をちゃんと使い、内容にも気を遣えばよろしい。

これはどのプロ選手にも言えることであり、歌手にも商店名にも自治体名にも同様のことなのだ。丁寧に言っておけば、とりあえず非難されなくてすむという安全パイの考え方は安易だ。

不必要なまでに丁寧に言葉を飾りたくる。さん付けだけではなく、「させていただく」を連発する人もそうした意識を持つのだろう。テレビのトークでも、そのオンパレードで辟易してしまう。炎上や各種のハラスメントを避ける工夫かもしれないが、使いすぎは言葉の美を損ねる。

言葉は生きている。世に連れて移り変わるものではあるが、美しく使いたいものである。

(シラーもそれなりに美しく咲いている)
走馬灯影絵くるくる回ってく [2021年05月13日(Thu)]

fumihouse-2021-05-13T20_12_01-1-thumbnail2.jpg【走馬灯】
走馬灯のように脳裏を思い出が駆け巡る、と形容される。ウソである。臨終に臨んで、もしくは危急に及んで人生の情景が一瞬にして反芻されるとも言われるが、死に際に立ったことがないから、それがウソというのではない。比喩として走馬灯を持ち出したことが、そもそも誤りだと思う。

走馬灯は、内枠の影絵が回転して外枠に映るよう細工されているが、絵は単純そのものである。馬などの動くものの影が駆け回るように回転するだけだ。頭の中を駆け巡る記憶を例えたというが、記憶は単純に一様ではない。走馬灯では例えに無理がある。今で言えば、YouTubeの映像ようにと表現したほうが実体に合っている。

ただ、駆け回る影絵がロマンチックで、走馬灯という言葉の響きもよい。だから人口に膾炙するうちに慣用句となっていったのかもしれない。まんざら悪くない言葉だ。

(春は走馬灯のように駆け下り、梅雨は目前にある。白いモッコウバラもすでに終わった)
ついたちの気持ち保って喜ばし [2021年05月08日(Sat)]

fumihouse-2021-05-08T10_12_11-1-thumbnail2.jpg月の初日を「ついたち」と言う。ふつか、みっかと続くのに何故か。「月が立つ=つきたち」から転じたそうな。旧暦で新月の日にその月は始まる。月が無い状態から少しずつ大きくなって満月に向かって明るくなる。月が夜間照明として重要だったその昔には、月が立つ喜ばしい日ととらえたのであろう。

五月ついたちは過ぎてもう8日。大型連休はあれよというまに慌ただしく過ぎていった。忙しい毎日であっても、「ついたち」だと思って心新たに出発すれば新鮮味のある生活となるが、そうは問屋が卸さない。せめて本物の月でも眺めて、ゆるりとしやようじゃないか。

きょうは月齢が26。あと4日で新月となる。月が立つ。
ゆとりもち文を練ろうや車中人 [2021年04月28日(Wed)]

fumihouse-2021-04-28T18_54_06-1-thumbnail2.jpg文章はゆとりがないと書けない。ゆとりは作り出すものではあるけれど、日常はあたふたと過ぎていく。昔から三上と言われる。馬上・枕上・厠上は文の構想を練るのに適しているという。

現代に当てはめると、馬上は電車、もしくは駐車したクルマの中。バスは不規則に揺れて停車も多いから適さない。停車したクルマなら好きなだけ書ける。電車は最適。揺れにまかせて書くも自由、眠るのも自在。

枕上は眠りにつく前、もしくは目覚めてまどろんでいるとき。特に目覚めには思わぬ着想が浮かぶことがある。ただしメモを残しておかないと、どんなに素晴らしいと思っていたとしても忘れる。これは体験から言えること。

厠上は洋式便座に座っているとき。冷たくてはリラックスできない。温かい便座で、ついでにウォッシュレットが望ましい。沈思黙考、少しいきむ(過ぎると脳梗塞の恐れがある)。アイデアをメモ出しし、構想を広げるのにふさわしい環境である。だが長くなる。家人からの非難は不可避。

いずれにせよ、環境を少し変えてみることでいろんなことを思いつく。幸いにこの四月から電車通勤となった。転職先の新しい職場では悪戦苦闘の毎日であるが、電車に乗って着想を生み、休養に努めたい。さて電車の時間だ。

(藤色の甘き香なりゆとりかな)
村八分今や一分も残らぬよ [2021年04月27日(Tue)]

fumihouse-2021-04-27T18_58_24-1-thumbnail2.jpg【村八分】
村落にあって、集団の秩序に従わない者への制裁である。構成員が共謀的に交際を絶つ。現代では地域社会から特定の住民を排除したり、集団から特定の者を仲間はずれにすることも意味する。古くからの人権侵害の典型とされる。

十分の八は交流を絶ち、残す二分は葬儀と火事である。死体が放置されると腐臭は耐え難い。伝染病の恐れもある。切羽詰まる家族を助ける意味もあろう。火事も類焼する恐れがある。最小限これだけは助けるが、あとは知らんぷりというのが村八分。残り八分は成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行であるとWikipediaには書いてある。

八分のうち地域社会の協力で執り行われるものがどれだけあるだろうか。行政など公的機関のサービスや事業者に委託して行うものばかりだ。親族は参加しても地域の人々の参加する行事はない。すなわち現代は、地域社会と各家庭を明快に分ける時代となったのだ。昔と今は大いに異なる。

旧世界の集団イジメと思うかもしれないが、今でも残存している。多くは理不尽な集団圧力である。そんな不正を廃していくためにも、正義の主張をすることを恐れてはならないし、悪に同調してもいけないと思う。差別される立場になったとしたら毅然と反論する勇気も必要かもしれない。人間の本質は昔も今も大差ない。

(ウマノアシガタが春の太陽を浴びて輝いている)
宇宙にて星の人なり成果あれ [2021年04月26日(Mon)]

fumihouse-2021-04-26T12_38_36-1-thumbnail2.jpg【星】
澄んだ夜空に満天の星。春は霞みがちではあるが、暖かくなって星空を眺めたくなる季節になった。星は晶と生から出来ている。晶は星々の象形であり、生は草木が地上に伸びる形から清みきった光を放つ星の意味ができた。

星出彰彦さん。文字どおり名前から生まれたような日本人宇宙飛行士。三度目の宇宙飛行により、国際宇宙ステーションに到着した。星出さんは出迎えた野口聡一さんと笑顔で抱き合い、「メンバー一丸となってミッションを果たしたい」と語ったという。半年間の宇宙での滞在。無事と成果の多からんことを祈る。
くうを切りそらからうつろ仮姿 [2021年04月24日(Sat)]

fumihouse-2021-04-24T08_11_43-1-thumbnail2.jpg【空あり】
大都会では空が見えない。だから高層ビルに上って青空を存分に眺めよう、という意味ではない。「空きあり」である。駐車場に空きがありますよ、どうぞ借りてくださいね、と小さな駐車場の主がアピールしている。乗用車にして6、7台が入る程度、狭くて砂利を敷いた駐車場である。家一軒分、おそらく主がいなくなった古い家を取り壊して造成したものであろう。

【空】とは、「くう」なり、「うつろ」なり。何もないように見えても、かつては家族の団欒があったにちがいない。大空のもと当たり前だと思っていた家族のつながりが、やがて空を切るようになって、空をつかむように実体が失くなっていく。すべてのものごとは永遠ではなく仮の姿であることを忘れてはならない。今を大事にしよう。

(かつてはこの家の狭い庭にも、こんな隠岐シャクナゲが咲いていたかもしれないな)
あたふたは余裕のありやなしなのか [2021年04月20日(Tue)]

fumihouse-2021-04-20T20_36_14-1-thumbnail2.jpg【あたふた】
落ち着かず慌てている様子である。寝坊したので準備そこそこにあたふたと出かけた、てなふうに使う。大騒ぎと説明する辞書もあるが、どちらかというとパニクって言葉少なの印象をもつ。騒ぐのはまだ余裕ある証拠。語源は、「慌て」が変化して「あた」+「ふためく」を略して「ふた」の合成であるという。

きょうはあたふたの1日であった。具体は書かないが、思うにまかせぬことに翻弄された。ばたばたと予定が狂い、自分のコントロールの範囲を越えていく。それでも辛抱強く人の話を聞いた。話すときには雄弁だった。でも冗談を飛ばす余裕は全くなかった。それでも今こうして書いている。これも余裕のうちかいな。

(山吹の黄の色よ。みんなを元気にしてくれたまえ)
健闘を祈る母なり謝する人 [2021年04月19日(Mon)]

fumihouse-2021-04-19T18_31_59-1-thumbnail2.jpg誰かを送り出すときに「健闘を祈る」と言う。このフレーズは、誰に何をどのように祈ることを意味するのか? 身も蓋もない言い方をすれば、単に頑張って!を言い替えたに過ぎない。

本当に祈る人は、祈り続ける。相手のことを思い続けて忘れない。相手の行く道が順調であることを願い、折に触れて相手の動向を気にしている。あるときは励ましの言葉を送り、差し入れすることだってあるだろう。まさに母の祈りである。我が子の幸せを祈る慈母の行動であろうかと思う。恋人同士でもなかなかそうはいくまい。

時には緊迫した祈りがあるだろう。母の愛はお手軽な祈りではない。だから上手くいっているようで、何か叶っているように見えても、棚からぼた餅にすぎないと考えて心を引き締める。

叶ってしまったらそれでお仕舞いか? いや母は感謝の祈りを忘れない。お礼参りとは本来そうしたもので、巷間ではヤクザな世界に変じてしまったが、心から謝してお礼の言葉を向ける。母の祈りは永遠である。そして尊い。

(母は鮮やかなツツジを眺めてもまた、感謝を忘れない)
働いて川柳詠んでああコロナ [2021年04月16日(Fri)]

fumihouse-2021-04-16T18_24_50-1-thumbnail2.jpg働くパパママ川柳の入賞作品が発表された。テーマは働きながら子育てに奮闘するパパとママの日常。わたしが気に入った句は次のものだ。

 テレワーク 九九の呼吸が 漏れ聞こえ
   西灘っこ(49歳)大賞
*微笑ましいかな。子どもと過ごす穏やか午後でありますように・・・。

 パソコンも 子もフリーズの イヤイヤ期
   夏舟(39 歳)パパ目線賞
*穏やかであり続けるわけがない。時に焦りまくってしんどいぞ!

 誰の声? 息子よそれは 部長です
   お麩(30 歳)ママ目線賞
*家庭に入り込んだ異質な声。子どもにとっては異世界がやってきた。

 コロナでも リモートできぬ 孫の守り
   とうやのばぁば(59 歳)じぃじばぁば目線賞
*子守はウェブではできません。出来たらいいかもしれぬが、さぞや詰まらん。

 さりげなく 孫自慢する テレワーク
   白房(60 歳)優秀賞
*目に入れても痛くない孫を見せるのは仕事以外の時にしてほしいもんだね。でもちょこちょこ現れる。

 俺ゆとり 親父はバブル 子はコロナ
   おとうさん(42 歳)優秀賞
*世代を越えて同じ屋根の下。世代は連面と続いていても、環境は激変している。

(ミツバツツジが咲いている。君は誰のために咲いている? パパ、ママを楽しませるため)
平舎弟チンケになるな誇りもて [2021年04月15日(Thu)]

fumihouse-2021-04-15T18_22_49-1-thumbnail2.jpg【チンピラ】の言葉が浮かんだ。前を行く人が、がに股で左右に揺れて歩いたからだろう。ポケットに手を突っこめばチンピラの完成である。チンケな平社員(舎弟)が語源ではないかと想像して辞書をひく。

チンピラ/悪党の中でも小物を意味する語。「小悪党」などと類似した表現である。まだ一人前でないのに大人ぶったり、大物らしく気取ったりする者を、あざけっていう語(Weblio辞書)

弱そうと見れば言いがかりをつけて示威する人びと。不良少年や暴力団もどきの世界にはかかわりたくはないが、無下に切り捨てるわけにはいかない。人として正当に生きる権利があるからだ。ならば、せめて真っ当に生き抜いてほしい。人間として誇りを失わないで、他をも尊重してほしいものである。

(チンケではない今朝の青空。白いハナミズキが大空に映える)
細工して骨身に染みて人情家 [2021年04月07日(Wed)]

fumihouse-2021-04-07T17_03_10-1-thumbnail2.jpg【さいくんならん】は出雲弁。細工できないほど下手くそ、出来が悪い。これが語源であろう。あんたは役に立たんと伝える意で、最大級の侮蔑と言える。先日糞害を受けた際に「くそったれ」を連発したが、その明るさに比して暗さがある。陰にこもってつぶやく趣だ。

手先を使って細かものを作る細工。器用さが必要だ。精魂込めて精巧な細工を施す。職人技である。一方で職人気質は気難しい。さいくんならんと相手に毒づく職人も多いだろう。

細工には、見た目をとりつくろったり、ごまかしたりする意もある。悪意で帳簿に細工したりすれば、大怪我を負う。へたな細工などしないほうがいい。後ろに手が回りでもしたら元も子もない。器用な人ほどなりがちな誤りだ。

要領の悪さを、細工んならんとなじられたとしても、細工して墓穴を掘るよりはずっといい。テキパキも過ぎればケアレスミスにつながる。愚直であれ、と自分に言い聞かせて!

(さいくんならんと言われた人よ。気を落とすなよ、言った当人こそが詰まらぬ人なのだから。パンジーでもどうぞ)
肝胆を照らす仲なり苦言なり [2021年04月04日(Sun)]

fumihouse-2021-04-04T21_11_35-1-thumbnail2.jpg【苦言を呈する】ことがあります。相手のためになると思い、言いにくいけれど敢えて言って諌めてあげます。

相手の反応は大別すると3種。ああっしまった!とばかりに反省の表情で顔を歪めるケース。そんなん分かってるよ!と言わんばかりに不機嫌になるケース。違うよ、あんた!と反撃されるケース。

いずれも相手の気持ちがよくなることはなく、マイナスの感情を沸き起こします。やっぱり言わなきゃよかったと臍(ほぞ)を噛んでしまいます。相手と親しくなって、肝胆相照らす関係になったと思って苦言を述べると、意外にも不機嫌になられてショックを受けることもあります。苦言を呈するときには、余程の覚悟が必要です。

苦言を呈することで快感を得る人がいます。クレーマーです。自分を認めてほしいから強く要求する、相手より自分が格上だと思わせたい、客に対して店は丁寧に対応してくれて快感だ、クレームを言うほど怒鳴るほどに相手が下に出て謝ってくれる・・・クレーマーはつけ上がっていきます。

クレーマーは、ストレス解消を目的としているといっても過言ではありません。そんな人にはなりたくありませんが、よかれと思って苦言を呈しても、なかなかいい方向には転ばないものです。

(どうしたらいいんだろう。花ニラでも見て考えよう)
マンボウとなぜ呼んだのか教えてよ [2021年04月03日(Sat)]

fumihouse-2021-04-03T11_53_45-1-thumbnail2.jpg【マンボウ】
大手を振って広がっている。指定暴力団を扱う捜査第4課の略称「マル暴」や民事介入暴力の「民暴」に似ているから、暴力団を連想してしまうが、防止の「防」。

新型コロナウイルス感染症のまん延防止等重点措置(蔓延防止と書いてフリガナを振ってほしいところだが)の略称としての「まん防」である。ステージ3となった宮城、大阪、兵庫の3府県で発動された。

調べていくと「マンボウ」には「万引き防止」もあるようだ。青森や和歌山、宮城では県警のイメージキャラとして魚のマンボウを使っているらしい。宮城・気仙沼の道の駅では、マンボウを軸にして震災復興シンボルとしている。マンボウを扱う飲食店にとっても「マンボウ」はありがたくない呼び名となりそうだ。

(菜の花のある風景。花粉の匂いでもわっとしている)
めくるめく景色は代わる桜咲く [2021年03月28日(Sun)]

fumihouse-2021-03-28T11_02_28-1-thumbnail2.jpg【めくるめく】
この言葉を「めくる・めく」と区切って読んでいた。ページをめくるようにして、めくってもめくっても楽しみが尽きない印象からだ。恋人同士が水入らずで過ごす楽しい時間、終わってほしくないこの瞬間を表現するのにもぴったりである。

ところが、「め・くるめく」なのだそうだ。とんと知らなかった。目が眩く(くるめく)。眩くとは、目がくらむこと、めまいがすること。目眩く心地がするとは、目の前の現実が自分にとって信じられないほど、溺れてしまいそうなほど、快楽である状態を意味するわけだ。

何かの展開が刻々と動き、極めてせわしい状態も眩めくというが、目が回るほどの忙しさであっても一時のこと。じっと耐えて落ち着くのを待とう。さすれば、めくるめく至福を噛みしめるときも来るというものさ。

(2日ほどめくるめく日差しが暖かい日が続き、桜は喜んでいる。人に観てもらう快楽に身を委ねる)
いい感じ爽やかなりし好漢よ [2021年03月25日(Thu)]

fumihouse-2021-03-25T22_03_34-1-thumbnail2.jpg【いい感じ】の人がいる。一方で目を背けて一時でも離れたいと思ってしまう人もいる。イヤなタイプは置いておく。感じがよい人とは、どんなふうに好ましく思うのだろうか。

先日も書いたが、たたずまいがいい。良い印象は、立ち姿に表れ、えもいわれぬ雰囲気がある。話しても、黙っていても、議論をしても、諭しても、演説しても好感が持てる。落ち着いた感じが周囲を穏やかにし、空気を爽やかにする。

アツアツのカップルのことも、いい感じと表現するが、人前ではベタベタせずにムードあふれる落ち着いた雰囲気を醸し出す。二人は釣り合って、お似合いのカップルとなる。実に感じがいい。

いい感じの人は理性を保つ。服でも趣味でも仕事のやり方でも、自分に適したバランスの良い手法で、少しずつ進む。焦らないその感じが、実にいい感じ。

(感じのいい椿である。周囲に白色の斑入りがあり、爽やかに咲いている)
立ったなら自然に醸すはたたずまい [2021年03月23日(Tue)]

fumihouse-2021-03-23T22_26_22-1-thumbnail2.jpg【佇】の字が気になった。漢字で書くことはあまりないし、一瞬読み方に不安があるが、たたずまい。人(物もあるかな)が立っている様子やら、存在としてのありさま、醸し出す雰囲気みたいなもの。人間に特化すれば、気分としての身の置きどころや生計の立て方も意味する。

貯金の「貯」のつくりは、物をたくわえるための器具の象形である。人偏にこれを加えると、どんな意味になるのだろう。佇まいは悪い意味にはふつう使わない。

人がたくわえるとすれば、いい雰囲気、立派な大人がいい雰囲気を身にまとっている感じだ。作為的ではなく、自然に醸し出すいい感じを周りに伝えていく。あんなふうになりたいな、と周囲は羨ましいと思う。

佇まいがいい人は立ち姿に品があり、静かな中にも強さを感じる。常に余裕綽々というわけにはいかないだろう。しかし必死で平静さを保ちながらも、打開策を考え抜いていく。そこにいい感じが生まれ、雰囲気が良くなっていく。そんな大人になりたいものだ。

(ムスカリを上から撮ると宇宙人の傘。紫のコーティングで水を跳ね返す)
W,K..T,K,K,G泣かせます [2021年03月18日(Thu)]

fumihouse-2021-03-18T21_39_06-1-thumbnail2.jpg大相撲西前頭2枚目の若隆景(わかたかかげ)。なんと難しい言い回し。アナウンサー泣かせの発音だ。

なぜアナウンサー泣かせか。「わかたかかげ」、母音がほとんどAなのだ。Wは半母音。K、T、K、Kと無声破裂音が続き、最後のGだけは有声破裂音でEと合わさって「げ」。収まりが良くない。早口言葉みたいだ。

[若]の漢字は、髪をふりだし我を忘れて神意を聞き取る巫女の象形から神意に従うことを意味する。[降]の字は、土山に生えた草木が豊かに大きくなる意味がある。そして[景]の字は、太陽の象形と高い丘にある建物の象形から光を表すという。いい四股名をもらってはいるが、言いにくいというのは難点だ。

当の若隆景は平幕の小兵。とはいえ身長は182cmもある。体重が125kgで軽いだけなのだ。26歳、爽やかな紅顔の若武者である。福島市出身。初場所は新型コロナウイルスに感染して休場した。心機一転、起死回生で春場所に賭けていることと思う。3日目に大関貴景勝を破ったものの、5日目を終わって2勝3敗と苦しい展開だ。頑張ってほしい。

(菜の花の春。大相撲の春。そしてソメイヨシノが咲いて春は本番)
異状ありれともなしか分からぬよ [2021年03月16日(Tue)]

fumihouse-2021-03-16T18_30_34-1-thumbnail2.jpg今朝地震があった。茨城県で最大震度4を観測したという。報道はマグニチュード4.8、震源の深さは50kmで、津波の心配はないと知らせる。

併せて東海村の原子力関連施設では、「異状があったとの報告はない」と伝える。この表現は論理的に考えると、次の可能性がある。

●異状がなかったので報告がない
●異状があったが軽微と判断して報告しなかった
●大変事が起こったため報告態勢がとれないでいる

「異状はなかったと報告があった」と明快に言い切ってくれないと、不安になる人もいるだろうよ。

(明快なる青空のもと咲き始めたコブシ。淡いピンクを添えて異状なく、美しい)
ありがとう貴方と私しあわせに [2021年03月15日(Mon)]

fumihouse-2021-03-15T10_15_08-1-thumbnail2.jpg≪『ありがとう』の一言が幸せにするのは2人です。言われた人と言った人≫

かつてこんな広告があった。そのとおりだと思う。感謝されると気持ちがいい。満面の笑みでそう言われるともっと嬉しい。もっと何かしてあげたくもなる。おためごかしでなく、心から礼を言われるとそんな効果がある。費用対効果とかの問題ではなく、自然にそう思える。

あるときは厚意に甘えて恩に着て、少しだけ恐縮する。機会があったら何かのおすそ分けをして感謝の一分をお返しする。あるときは感謝を捧げたてまつられる。それこそ恐縮する。いやいやそんなに頭を下げなくっていいから、気軽な気持ちでやったんだから、あんまり恩に着ないでよ。

反対に感謝されると思いきや、うんともすんとも反応がないとカチンとくる。そんなうちはまだ気持ちが足らぬのだ。修養しなきゃいけないよ。

(ご愛顧に応えて咲きました、と白木蓮。感謝満面の白い焔、楽しませてくれてありがとう)
大丈夫無茶苦茶結構使います [2021年03月14日(Sun)]

fumihouse-2021-03-14T09_13_08-1-thumbnail2.jpg【無茶苦茶】
リズミカルで心地よい言葉である。韻を踏んでいる。筋道が立っておらず、常識から外れて程度が甚だしいさまを言う。漢字は当て字だそうだが、仏教用語の無作(むさ/手が加わらないありのまままの姿)から来ているとも。無作を語源とする言葉には、「むしゃくしゃ」「むさ苦しい」があるそうだ。

さて、無茶苦茶の使い方が変わってきたと思う。「むちゃくちゃ美味しい」「むっちゃ凄い」と肯定的に、むしろ最大級の賛辞をこめて使うケースが増えているのがテレビを見ているとわかる。

むろん日本語には、前後の脈絡によってはイエスともノーとも変化する言葉は多い。「結構」とか「大丈夫」が典型であろう。日本語は続々と変化していく。

(むちゃくちゃ元気印のサイネリア)
大繁と草原いかに変換す [2021年03月08日(Mon)]

fumihouse-2021-03-08T07_17_15-1-thumbnail2.jpg子供のころ買い物をした店。入口の土間に商業スペースがあって、雑貨や駄菓子を売っていた。意地の悪いおばさんが店をやっていた。もう閉店して長いこと経つが、このたび建物の取り壊しが始まった。

その店は「ダイハンド」といった。大人になって「大繁堂」と漢字で書かれているのを見て、大きな違和感があった。子供のわたしにとっては、耳に聞こえる「ダイハンド」でしかなく、そこに漢字を当てるという発想がなかったのだと思う。

子供のころ、近所にある寺を「草原寺」だとばっかり思っていた。今でも口に出す時には、「宗玄寺」と漢字変換してやらないと、草原寺がよみがえる。

原始日本語には文字はなかった。大陸から漢字を取り入れて日本語が転換した。話し言葉に文字をふっていった。やがて音を表す仮名が生まれ、平仮名とカタカナに進化し、カナと漢字の分かち書きが始まった。ものを漢字化する時に、どの字を当てるのか。万葉の昔から人を惑わせ、いくつかの取捨選択により字が確定されていく。

今でも使う字が定まらないものはたくさんある。子供のわたしが漢字変換させた時に違和感があったのも、どこか似た漢字がする(いや、感じ)。

(チンチョウゲ? それともジンチョウゲ? いつもわたしは迷うのだ)
強張って意地を張ること忘れたり [2021年03月02日(Tue)]

fumihouse-2021-03-02T12_42_32-1-thumbnail2.jpg【強張る】
運転していると指がこわばる。字のとおり、関節が硬くなって、強く突っ張る感覚がある。指の曲げ伸ばしをしたり、親指で力を溜めて中指人差し指を弾いてみるとよくわかる。

初心者マークの頃には緊張してからだ全体がガチガチになって、ひどく疲れたものだった。運転に慣れると力が抜けてくる。それでも前方や周囲に気を配りつつも、ある程度のスピードでクルマを走らす。運転とは心身ともに緊張を強いる行為なのである。ギター演奏をする前に指や腕、体全体をストレッチでほぐした。

行った先はギタ弾こ会の例会。お馴染みさんもいれば、お初の人もいる。ふだん家でする練習と違う環境で弾くと緊張する。不自然にからだが硬くなる。指も思うようにコントロールがきかず強張る。あれっこんなはずでは・・・という具合である。

人前で演奏すると、緊張のあまり顔も強張るものだ。力が入り過ぎれば、良い結果はついてこない。意識して口角をあげて微笑むこともあるが、一度緊張が増してミスが相次いでしまうと、もう手につけられない。次回は頑張るよ! さようなら、という結果になる。

練達のプロフェッショナルに比べれば蚊の鳴く演奏でしかないかもしれないが、オレの音楽はこうだ! 持てるイメージを注ぎ込んで音を奏でている。それを感じてくれや! と強く主張することによってなにがしか伝わるものはあるはずだ。意地を張ることは大切なり。強張るのではなく、意地を張れるよう練習に努めたい。先日も書いたが、練習は本番、本番は練習である。

(強張りなどない姿で椿が咲いている)
勉強しわが道歩けいつまでと [2021年03月01日(Mon)]

fumihouse-2021-03-01T08_20_29-1-thumbnail2.jpg≪勉強するから、何をしたいか分かる。
 勉強しないから、何をしたいか分からない≫

北野武の言葉である。けだし名言である。学生時代の勉強にしろ、働きだしての勉強でもよい。単に知識を得るだけでなく、工夫してあれやこれやと試行錯誤するのも勉強だ。人間心理の襞に入り込み、多様なる人間というものの実像を知る。知識の体系が見えてくると、今までとは異なる視点で眺められる。そもそも一部にしろ世界が違ってくる。こんな好奇心にあふれた人は幸せだ。

勉強するうちに感じてくる、自分の得意分野、反対もしかり。自分というものが理解できてくる。良いなら良いなりに、ダメならダメなりに。でも立つ瀬はある。個性は輝く。勉強は楽しい。勉強しない手はないもんさ。

(オオイヌノフグリ。小さい花なのに、大きな犬のキンタマとは、これ如何に。春はこの花に始まる)
あの人の思い出ふけりかけがえない [2021年02月28日(Sun)]

fumihouse-2021-02-28T14_25_04-1-thumbnail2.jpg【かけがえのない】

他に代わりになるものが無い。唯一無二の。掛け替えがきかない。このうえなく大切な物や人のことをいう。

辞書の用例では「かけがえのない人を失う」がある。誰もがそうした体験を必ずする。意識するとしないとに関わらず。分かっていて普段から感謝の念を伝え、言葉で互いを思いやる態度があればいい。いるのが当たり前、という感覚でいると、いざ当人が居なくなったとき、入院などしてしまったとき、心にポッカリ穴は開く。そのとき、かけがえのない人を失ったことに気がついても遅い。

遅いとは言えないかもしれない。かけがえのないことに気がつく。その人と過ごした時間を振り返る。甘いもあった、辛いもある、苦いやり取りもあっただろう。懐かしくほろ苦く思い出にふける。そのこと自体がきっと、掛けがえのないことなのだ。

(椿とともにかけがえのない春がやってきた。親子が手を繋いで歩く、恋人同士が腕を組んで歩く。明日から3月)
嬰と変エイやと変に力入れ [2021年02月25日(Thu)]

fumihouse-2021-02-25T21_01_56-1-thumbnail2.jpg【嬰】とは不思議な漢字。産まれたばかりの赤ん坊を嬰児というが、ほとんどお目にかからない字である。かつて貨幣として使われた子安貝の象形に女の字を加えて、女性の首飾りを指した。そこから「めぐらす」「まとう」「うなじに掛ける」の意味を持つようになったという。

なぜ嬰の字が気になるかというと、嬰○長調、変○短調などの調名があるからだ。調べてみると馴染みのないこの嬰の字を使った意味が分かる。

ハ長調に対し、嬰ハ長調は全音に♯を付けて半音階上げる。変ハ長調は♭を付けて半音下げる。明治時代に西洋音楽を取り入れた際に、先人達は半音上げる♯を「嬰」、表半音下げる♭を「変」と名付けた。

雅楽では中国から入った五音音階があるという。ド=宮、レ=商、ミ=角、ソ=徴、ラ=羽の5音だが、昔の人は音が少なくてメロディの変化に乏しいと感じて、新たな音を足したというのだ。それが嬰商で、レの半音上。もうひとつが嬰羽で、ラの半音上となる。

その歴史があったから、明治の頃に#を嬰、♭を変と名付けたわけだ。ということで、ギターをベースにして音楽理論を教える楽典を学んでいる。というか、苦悶している。なかなか分からなくて。まっ先は長い。

(ショッピングセンターの壁にあるオブジェは、一部だけだと、楽典のように意味不明である)
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