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一行に逢うため辛抱先進む [2024年11月01日(Fri)]

fumihouse-2024-11-01T23_42_15-1-thumbnail2.jpg読書週間中。今年の標語は「この一行に逢いにきた」。従来は世界で最も本を読む国民だった日本人だが、電子メディアに翻弄されて見る影もない。情報伝達という点では電子でも紙でも同質のものが得られるかもしれないが、電子はコマーシャルや関連情報や動画に飛んでしまって時間ばかりを食っていく。その点本はじっくりと頭脳を回転させ、想像を羽ばたかせることもできる。

百田尚樹の『「黄金のバンタム」を破った男』を読み終わったところ。ファイティング原田をはじめとした戦後の日本ボクシング界の英雄たちを描くノンフィクションである。心に残る「この一行」が確かにあった。次は何を読もうかな。

(晩秋の日の中で穏やかに地味に咲いている茶の花)
眠っては起き活動を繰り返し [2024年09月25日(Wed)]

fumihouse-2024-09-25T17_43_44-1-thumbnail2.jpg【草木も眠る丑三つ時】とは、怪談話の常套句だが、午前2時頃から午前2時30分頃までの間は実に静かである。真夜中には陰の妖気が最も強くなると、昔の人は恐れた。丑三つを方角に当てはめて、丑寅(東北)の鬼門からは幽霊が出ると信じたそうな。辺りが静まり返る真夜中には、何ものが出るかわからない。

丑三つ時が過ぎ、真夏の4時台になるとヒグラシが鳴き出す(ヒアカシが相応しい)。5時前後に日が昇り、やがて鳥が鳴く。スズメやモズなどの小鳥もいるが、目立つのがキジバト。「ポーポポッポー」っと鳴く声は、わたしにとって夏の朝の定番。耳をそばだてて楽しい時間だ。

♪新しい朝が来た涼しい朝だ/喜びに窓を開け大空仰げ♪と、ラジオ体操のパロディなど歌って健やかな朝を喜ぶ。やがてカラスが鳴き出す。ニイニイゼミやアブラゼミも加わって暑い一日の始まりだ。

その夏も終わった。もっとも、「猛暑酷暑も彼岸まで」と言った気象予報士がいたが、さらに続ければ「ふつうの暑さはこれからだ」。いったん涼しくなったからといって油断は禁物。30℃台は続きそう 油断召されるな。そして、短い瞬間的な秋を逃さず楽しもう。

(アメリカ芙蓉は、往く夏を楽しんでいるのかも)
助六と恋人からめて甘い味 [2024年09月24日(Tue)]

fumihouse-2024-09-24T18_01_50-1-thumbnail2.jpg【助六寿司】とは、稲荷寿司と巻き寿司の詰め合わせ。なぜ助六というのだろう。歌舞伎由来だそうだ。助六と恋人との由来から開発され、その演目の幕間に販売されたとか。コンパクトにまとまっており、食べやすくて腹持ちもよい。肉や魚が含まれていないから、忌中の精進料理として葬式の定番ともなった。

身内が亡くなって忌が明ける四十九日法要を終えるまで、供養のため肉や魚を一切食べずにいる人を近頃聞かないが、とても美味しく食べられる。スーパーの惣菜コーナーにも定番で置いてある。

わたしの場合、まずは巻き寿司から食べる。色合いが鮮やかな方に手が伸びるのかもしれない。かんぴょうや干し椎茸の甘さに卵焼きがよく合う。きゅうりには多少塩味があってバランスがいい。海苔で巻いて食べやすく出来ている。

稲荷寿司は酢飯の具合か、甘い具材が油揚げだけだからか、酢がよく効いている。噛むほどに油揚げがジューシーで好ましい。頬張って噛んで飲み込んだら、再び巻き寿司を口に放り込む。

こんなふうに書いたら腹が減ってきた。美味しいけれども糖質だらけのこの食事。精進は抜きにして、タンパク質はしっかりと補いたいものだね。

(三瓶・姫逃池(ひめのがいけ)の小ぶりな睡蓮は、切った巻き寿司に似てないこともない)
知らないか永久歯でも抜かれてる [2024年09月06日(Fri)]

fumihouse-2024-09-06T19_57_45-1-thumbnail2.jpg【親知らず】
語源は言わずとしれている。この歯が生える二十歳前後には親が亡くなっており、親孝行しようにも出来ない悲しみを表している。寿命が短い時代の言葉。別の説もある。ふつう永久歯は乳歯が抜けると生え変わるものだが、親知らずはいきなり生え出てくるのが由来だという。つまり乳歯という親なくして永久歯は生えることを示す。

イタリアでは、思慮や判断力の歯と呼ばれるという。英語でも同様にWisdom tooth。知恵ある者が持つ歯、とはなかなかいい名前だ。生える年頃以降の者は、自戒して生活しなくてはいけないね。

親知らずを抜くことが多いのはなぜか。腫れて痛かったり虫歯になりやすい。わたしも虫歯ができてしまい、歯ブラシでは絶対に届かないところがあって、抜かなければひどくなると脅されたからだ。ついでに他の3本も一気に抜歯した。

「親知らず」は、どこか文学的で悲哀感のある、少しマイナス思考に引きずられ感のある名付け。「英知の歯」は、大人になって分別があり社会に貢献することを考えるべしとする、なんとなくプラス思考。あなたはどちらがお好みか?

(昨夕19時ごろに現れたフェニックス風の3本の雲。叡智と思慮の雰囲気がある)
ぐるんぱはグルンぐるんと世のために [2024年09月05日(Thu)]

fumihouse-2024-09-05T18_26_26-1-thumbnail2.jpg故・堀内誠一の絵本『ぐるんぱ の ようちえん』(作:西内ミナミ)を読んだ。半世紀も前に手掛けられた名作である。

汚くて臭かった少年象のぐるんぱを周囲のゾウたちがきれいに磨き上げて仕事に送り出した。皿を作る・・パン屋でパンを焼く・・自動車を1台作る、他にも何かあったが、ぐるんぱのつくるものはデカすぎて人間の尺に合わない。なもんで、すぐにお払い箱になる。最後は作ったものが世のためになってめでたしめでたし。

どれもこれも熟練と協働を要する作り物ばかり。素人のしかも子どもの象に出来るわけはない。教えを請うて手伝ってもらって、ぐるんぱは人間たちから慕われたに違いない。技術も人情(象情か)も素晴らしいものになるよう、きっと仲間の象たちは魔法を掛けたに違いない。ただ惜しむらくはサイズ感であった。

でも、周囲の象たちは働かないのか。子どもだけを働きに行かせるなんて児童虐待だ。そもそも、ぐるんぱには周りの大人象を疑うということはなかったのだろうか。

てな、不粋なことは言わないでおこう。彼が語った「絵本とは、大人を信じている子どもたちに手をさしのべるもの」という言葉。堀内は周囲の象や人間を信じて進むぐるんぱに子どもたちをなぞらえていたのだろうよ。

(今夕の雲を堀内はなんと見るだろう。私には巨人の脳ミソに見える。今、列車から見る宍道湖の夕日が眩しく映えている)
心して以心電心芯をもて [2024年09月02日(Mon)]

fumihouse-2024-09-02T18_31_36-1-thumbnail2.jpg【以心伝心】
言葉によらず、申し述べたいことを伝え合う。ルーティンが明快だったり、長く深い付き合いを続けるうちに以心伝心となっていく。言語では表し切れない深い事柄や微細な気持ちを、互いが分かり合う関係って、イイなあ。

現代は(ここ10年だが)、【以心電心】の世界となった。電信技術が日進月歩し、ネットで行うコミュニケーションが当たり前となった。もはや心は電気的手段で伝え合う。

目の前の人とコミュニケーションする方法以外だと、電話は旧世代に属する。メール、SNS、ネット発信で事実や気持ちを伝える。ネット環境を使って衆目一致する意見を収斂して流れが出来ていくというのもありだ。かつて新聞などの論壇で威信を持っていた伝え手に力がなくなった。コミュニケーションの新時代、維新が来たと言ってもよい。衆目に組しない異心の主であっても、同好の士で集い合うことも可能だ。

以心電心の世界に飲み込まれないようにしたい。拒否することは不可能。ひとえに適度に使いこなし、時には距離を置くことも忘れずに。

(空には電磁波が無数に飛んでいる、見えないけれど)
バリアフリーはてバリアアリーと共存す [2024年08月28日(Wed)]

fumihouse-2024-08-28T09_34_29-1-thumbnail2.jpg【バリアアリー】という言葉を聞いた。バリアフリーのもじり。バリアは障壁。物理的な障害にとどまらず、社会的な制限やコミュニケーションの壁も意味し、妨げになる何ものかを示す広範な言葉である。

バリアは取り去るべきという認識を誰もが持っている、バリアフリーを目指すべきと。段差があれば転んで危ない(だから滑らかにする)。高い仕切だと背の低い人には乗り越えられない(だから低くする)。初心者には難しい技能がある(だから操作を簡単に)。難解な言葉は理解できない(だから分かりやすい日本語を使う)・・・。さまざまな工夫がされるようになった。

それは大切だが、すべてのバリアがなくなることはありえない。たまには何らかのバリアを乗り越える必要に迫られるときがある。バリアを越える経験をしないと、心身ともに能力が落ちるし伸びない。能力に合わせてバリアフリーにしたつもりが、技能や抵抗力を落とす結果になるのは悲しい。

おそらくバリアアリーとは、適度な負荷をかけることを目指すものなのであろう。微妙なさじ加減とはなるが、周囲や社会全体の目配りが欠かせない。

(石見畳ヶ浦はバリアだらけであるが、駐車場からの距離、海岸端の凹凸、砂や泥や岩の滑りやすさなど乗り越えないと、その美しさは味わえない)
冠婚の節目に会わぬ会う葬祭 [2024年08月14日(Wed)]

fumihouse-2024-08-14T17_30_04-1-thumbnail2.jpg【冠婚葬祭】
なにげなく使うが、法事は葬なのか、祭なのか。七五三や還暦の祝いには冠がないけれど、冠なんだろうか? 疑問が湧いた。

「冠」は元服のこと。貴族や武士が一人前になったとして冠を頂く。いまの成人20歳よりもずっと若い頃に元服はあった。成人式がそれに当たるのだが、入学式や入社式も冠の一環に数えてよさそうだ。

「婚」は婚礼でその字のまま。人生で最も大きなハレの儀式。「葬」は葬儀であり、頭を垂れるケの儀式、悲しいイベントである。

「祭」は本来、祖先や神仏のためにうやうやしく儀礼をもって祭ること。初七日や四十九日など亡くなってから日が経たない場合でも、祖先というには憚られるけれども、葬ではなく祭となる。その他の法事や盆、彼岸はもちろん祭。旧盆の8月、わたしも昨日から墓参りをしている。

概念は時代とともに変化する。七五三や入学、卒業も米寿の祝いも「冠」に含まれてきたようだし、出産も人によってはそれに類する。人生の節目における大きな出来事は、広い意味で冠婚葬祭に位置づけられる。

(どのイベントにも、種々別はあっても、花が欠かせない)
締切が5日10日と遅れさす [2024年07月19日(Fri)]

fumihouse-2024-07-19T18_48_49-1-thumbnail2.jpg【五十日(ごとうび)】
今でもあるんだろうか。5日、10日、15日、20日、25日、30日のこと(月初日や末日も含む)。商取引の支払いや給与支払い、年金支給などに設定されやすく、金の引き出しや預け入れのために金融機関に足を運ぶ人が多い。銀行はもちろんのこと、道路は営業車や一般車で混雑する。

クレジットカード決済が圧倒的に増え、多くがキャッシュレスとなって、銀行の窓口は閑散としている。五十日は昔のもの的な印象を持っているのだが、どうだろう。

きょうは7月19日。五十日ではないが松江の道路は混んでいた。そのせいでバスが定刻から10分も遅れ、しかも国道はノロノロ。乗りたかった列車に間に合わず今こうして書いている。金曜日、しかも昼過ぎには激し過ぎる雷雨。急な天候不順でクルマを使う人が増えてしまったのかもしれない。あ〜あ。

(かの雷雨でノウゼンカズラも、激しく震えたに違いない。今は天気は回復した)
死に絶えた梅雨寒しとしと明け嬉し [2024年07月17日(Wed)]

fumihouse-2024-07-17T17_20_46-1-thumbnail2.jpg【梅雨寒】
もう死語かもしれない。季語としては残るが、現実にはめったにあるものではない。梅雨のころの冷えをいい、寒さに対応するために、綿入れを羽織る。この数年梅雨時季は暑い。真夏並みに暑くて耐え難い。夏の前章となるが真夏の酷暑がやってきて、十月まで残暑がわめきたてて私たちを悩ます。暑い4ヶ月、近年咲く梅雨に寒さなど感じたことはない(冷え過ぎの冷房は別だが)。

梅雨と言えば長雨。ぱらぱら空から落ちてきて、ぽつぽつ降ってきた雨、しとしと長い雨かしら。やがてざぁざぁ、ざんざと降りやがる。それでも長くは続かない。そんな悠長な雨の降り方は過去のもの。この梅雨をみるがいい。松江・出雲を含め観測史上最高の雨量。ところによっては大きな被害をもたらした。

きょうは午後から陽射しが戻った。数日で梅雨が明けそうだが、送り梅雨など欲しくない。梅雨末期の大雨が一番怖いやつ。集中豪雨などどこへも降らせないでおくれ。暴れられては困るのだよ。送り梅雨ならば、さっさと送られよ。来年まで戻ってくるな。

 梅雨寒や子の名忘れて老いし母  木村幸

 梅雨寒にケアマネ招き厚い花びら ふみ
強大な同胞の力花が咲く [2024年07月16日(Tue)]

fumihouse-2024-07-16T22_44_50-1-thumbnail2.jpg【きょうだい】
兄と弟と姉と妹、この4文字の組み合わせ。兄と弟が古典的で、姉と妹なら【しまい】だが、近ごろはひとくくりにすることが多い。兄と妹と弟の3人だったらどうするの? てなことに悩まなくてすむから、【きょうだい】でくくってなんとなく収める。

【きょうだい児】という言葉がある。病気や障害のある兄弟姉妹がいる子どものことをいう。身体障害や知的障害、発達障害などが含まれ、どうしても親は障害のある子のケアに追われる。自ずときょうだい児は、幼い頃から寂しさを感じたり、周囲の大人や子供の心ない発言に傷つけられて悩みを深める。

きょうだい児は、場合によってはヤングケアラーであるケースもあるであろう。同じ親から生まれた同胞(はらから)と暮らす日々ではあっても、思うに任せない毎日に辛い思いを抱えるきょうだい児たち。わたしの周囲にそうした児童は見当たらないが、きっと今のしんどさが生きる時がやってくるのではないだろうか。

(カンナの花々は同じ茎から生まれたきょうだいだろうか)
くり返しまたくり返し飽きもせず [2024年07月12日(Fri)]

fumihouse-2024-07-12T21_42_11-1-thumbnail2.jpgルーティンとは、やってもやってもキリがないことの異名。毎日毎日、くり返しくり返し、とめどなく止めどなく、またかまたなのか、面倒だ面倒くさい、どこまでいつまで続くんだ、いい加減もうここまでにしてほしい・・・忙しさに押しつぶされて気持ちがマイナーになると鬱鬱としていく。

それが喜びになるときもある。気持ちが前向きで、小さな工夫を楽しんで、微細な変化にも気がつけるとき、ルーティンは我が身の福を感じさせてくれる縁となる。安定した揺るぎない日々の生活を味わう。マンネリ化すればルーティンは害にもなるが、適度なくり返しは人間にとって不可欠だ。

(トマトもまた、ルーティンの農作業の末に結実する)
文月の七夕飾り星あまた [2024年07月07日(Sun)]

fumihouse-2024-07-07T17_17_10-1-thumbnail2.jpg今日は七夕。唱歌『たなばたさま』は1番をこう歌う。

 ささの葉さらさら
 のきばにゆれる
 お星さまきらきら
 きんぎん砂子

知らなかった。「のきば」なんだ。子供のころ耳で聞いて憶えていたのは「のしま」。のしまって何だ?と考えることもなく今まで来たが、なるほど軒端(のきば)ならわかる。笹竹に飾った願い事を書いた短冊。織姫、彦星をなぞった星形。その他ひらひらしたもの。それら七夕飾りを軒下に置く。暗くなって天の川が見えてきたのだろう。金銀砂子、膨大な星屑が天球を満たし、琴座ベガ(織姫)、鷲座アルタイル(彦星)、白鳥座デネブが大三角形をなし、蠍座や射手座も瞬いて見える。昨夜は澄んで涼やかな星空だった。地上は灼熱の熱帯夜だったが、今夜はどうだろう。

(蒲の穂が太ってきた。これを七夕飾りに加えれば、願いが叶うかもしれないぞ)
冬が来て必ず春は待ち受ける [2024年07月05日(Fri)]

fumihouse-2024-07-05T17_23_05-1-thumbnail2.jpg『冬は必ず春となる』と同じように使われる言葉が『明けない夜はない』。苦しんでいるときは時間が経つのが遅く感じる。いつまでこの状態は続くのだ、永遠に続くのではないかと絶望感に打ちひしがれる。どんなに厳しい冬の季節も真っ暗な闇も(今どき漆黒の闇に出会うことはないが)、必ず終わるときが来る。諦めずに希望を持って継続していけば、暖かくなり、明るくなっていくことを示す格言だ。

印象として2つは異なる。「冬は春」は、寒さを暖かさに転換して無理なく頷けるが、「夜」の暗さは休息や安らぎにも繋がり、慌ただしくてストレッサーの多い「昼」を迎えることに恐れを感じることがありやしないか。そんなうがった見方もできるので、わたしは「冬は必ず春となる」と他人にささやき、自分に言い聞かせたい。

(アガパンサスが出雲弁で言うところの、アバカンほど咲いている。夏を彩る爽やかな空色に癒やされる)
歴史とは推理小説裏表 [2024年06月26日(Wed)]

fumihouse-2024-06-26T17_43_07-1-thumbnail2.jpgアガサ・クリスティの『葬儀を終えて』(加賀山卓朗訳)の2回目を読み進めている。すでに犯人が分かっている視点から見ると、伏線がいくつも張ってあったことに気づく。あれこれとヒントが散りばめられている。何気なく、ほとんど読み飛ばしていたところに、フムフムと頷ける記述がある。同時に犯人以外の者に疑わしい目を向けさせる記述もそれなりに確からしい。読者が真犯人を探り当てられないのは当然だ。騙されるのも無理はない。

歴史番組や史上の考察には「イフ」があって面白い。◯◯してたら天下を取れたのにとか、□□しなかったなら命を落とさなかったと考えるのは楽しいゲームである。過去の事実として知る現代人にとっては自明の事柄で、なんでそうするか? 愚かだな! と思うのは勝手であり、浅はかである。歴史の波の中で彼ら彼女らは必死の思いで当時の世を泳いだ。結果として歴史のとおりに動いたが、当時はどう転ぶかは計り知れないことだからだ。歴史を学ぶというのは、推理小説を結末から読むのに似ている。

(狂い咲きした山吹の花は、真犯人を知っている)
終わりブル可能か不可能ちはやぶる [2024年06月22日(Sat)]

fumihouse-2024-06-22T08_29_37-1-thumbnail2.jpg“ブル” で終わるカタカナ語がよく使われる。SDGs絡みで「サステーナブル」がトップバッターだ。持続可能、環境や次代への負担を最小限に留めたい。そして「フレキシブル」、しなやかで柔軟なことはこれからの時代に不可欠。

ブルは「able」。◯◯できるという意味だが、昨夜金曜ロードショーでやっていた、ミッション「インポッシブル」ではトム・クルーズのアクションに魅入られる。イーサン・ハントが本物ならば「インクレディブル」、信じがたい。

「アンプレヤブル」はゴルフの世界。木の根元などショットが困難な場合に1打罰して救済を受ける。「リバーシブル」、表裏両面仕立ての服は気分転換によろしい。「ウォッシャブル」、かつてはクリーニングオンリーだったものが、繊維と織り方の進歩で洗濯機でオーケーが増えてきた。

「アカウンタブル」、政治資金規正法で混乱した自民党の裏金問題。説明責任が強く問われる。政治にはカネが不可欠だから「アンタッチャブル」な問題などど言えるわけがない。

その他思いつくままに、ヴェジタブル、ギャンブル、テーブル、レ・ミゼラブル、ルーブル、ファーブル、オードブル。ableとは関係ないけどオチャラケに。

「ファンブル」、◯◯できるableが語源かどうかは知らないが、野手が掴んだボールを地面に落とすこと。この投稿はファンブル? それともジャッグル? エラーかな? こんな話題にあなたは、高ブル? それともくだらないと、ブルブル?

(合歓木(ネムノキ)が満開を白とピンクのグラデーションで扇のような形をした花木があちこちに咲いている)
喜んで悲しんでもまた時は過ぎ [2024年06月11日(Tue)]

fumihouse-2024-06-11T08_02_20-1-thumbnail2.jpgゲーテはこう言っている。
≪喜んで事をなし、なされた事を喜ぶ人は、幸福である≫(格言と反省)

そのとおりである。しかし、「事を為す」に当たって如何に使役されることが多いことやら。「喜んで」為すことが能わず感情がソッポを向いていることやら。「為された事」を喜ぶどころか、当事者意識もないうちにヤラされていることの多さ。不平不満がタラタラ、ため息の繰り返し・・・。

そんな生活は「幸福」か? なわけはない。かといって逃げるが勝ちなのか? 変革する力があるならば、挑んでみるがよい。歯を食いしばりつつも、口角を上げて微笑んで、自らの生命を奮い立たせるがいいだろう。

(ヒメフクロは小ぶりな花でも情緒がある。人参に似た葉っぱだが、食べたらどうなるか)
日曜に人に非ずも暑さなり [2024年06月02日(Sun)]

fumihouse-2024-06-02T09_18_09-1-thumbnail2.jpgNHK日曜俳句に俳優が出演していた。【俳】の字が共通していて、おやっと思った。

OK漢字辞典で調べると、「俳」とはこっけいな動作で歌い舞い、神や人を慰め楽しませることを意味する。どちらかと言うと、現代では俳優よりは芸人のイメージである。戯言(ざれごと)を面白味のある歌にした連歌が生まれ、さらに季節を詠う俳句へと移り変わった。

あてもなく歩き廻ったり、ぶらつく意味もあるから、吟遊や吟行の言葉にも繋がる。忌まわしいイメージとなった徘徊もこの類いであろうか。

漢字の成り立ちとしては、人の象形としての人偏と、背を向け手を伸ばし左右に開いた「非」が、常識にそむいた一風変わったふるまいをすることを意味した。だが、この文字は「人に非ず」から、人が人たる所以を示す言葉に昇華した。

(園芸睡蓮は旺盛な繁殖力で在来の水生植物を追いやり生態系に悪影響があるという。花が美しいがゆえに、人に背く)
関西の虫が騒ぐぞねえ来てや [2024年05月30日(Thu)]

fumihouse-2024-05-30T18_02_05-1-thumbnail2.jpg来てな/やりな/書きな/会いな/行くな/植えな/置くな/あんな/そんな/こんな/どんな/噛みな/聞くな/来るな/蹴るな/多摩菜/ナズナ/でんな/つかな/解かな/泣くな/抜かな/のかな/はめな/弾かな/吹かな/変な/ホンな/巻かな/見てな/剥かな/持つな/ゆかな/よしな/寄りな/させな/馬鹿な/真っ赤な/アホな/

松江駅に貼ってあったポスターで「来てな」というフレーズが目に入ったので(内容は見ていない)、バスに乗り込んで衝動的に3文字で「な」で終わる句をあげてみた。

「◯◯せな、あかん」的な大阪弁のノリ、「◯◯するな」という禁止の句、「◯◯してな」という願う句、野菜類の「菜」や「な」で終わる人名、こんなやあんなに限定された。帰りにじっくりポスターを眺めてみると、「来てな!大阪」だった。道理で大阪弁のノリなわけだ。大阪、もう1年以上ご無沙汰だ。ところで、なんで「来てや!」にせーへんかったんやろ?

(大阪にもドクダミの花が咲いていることだろう)
拠点にて憩い交わり学びの場 [2024年05月27日(Mon)]

fumihouse-2024-05-27T10_06_34-1-thumbnail2.jpg令和6年度の開始にあたり、荘原コミュニティセンターが職員一同で挨拶文『センターのごあいさつ』を出されていて、こんなフレーズがあった。

≪地域の皆様の「憩いの場」「交流の場」 「学習の場」として、皆様に愛されるコミセンとなるよう努めてまいりますので、変わらぬご理解とご協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます≫

なるほど、「憩い」「交流」「学習」か。コミセンに行って憩う。来場者や職員と交流する。そして学習する。憩いの場で人びとに交わり、人というものの温かさを知り、人生善き哉と学ぶ。交流の場で憩いのひとときを過ごし、新しい知見に触れて楽しみつつ学ぶ。学びの場で憩う有り難さにひたり、交流によって学びを深める。

3つの要素が相乗効果を成して地域に笑顔を広げる基点となる。素晴らしいじゃないですか。敷居が高いなんて気にするなかれ。温かく迎えてくれる。心開く体験に身を委ねよう。来るのは高齢者ばかりだと敬遠することなかれ。智慧と人情に触れよう。自ずと我が身も開かれる。若者よ、友を引き連れておいでなさい。

(荘原コミセンのバラたちも、温かく迎えてくれるだろう)
人すぐに出来る出来ない相談よ [2024年05月24日(Fri)]

fumihouse-2024-05-24T18_00_14-1-thumbnail2.jpgある事業所の建物の角に表示があった。
 ≪お客様駐車場 / 道路入ってすぐ≫

「すぐ」が気になって示された道路を歩いてみたが、それらしい駐車場は見当たらない。20mほど歩いて引き返した。「すぐ」ってなんだろう。

辞書的に言えば、距離が近いこと、時間をかけずに到着できることだ。容易に見つけられるという意味も含まれる。クルマで行けばほんの1分であっても、歩けば10分近くかかるだろう。この場合は駐車するわけで、クルマのスピードにすれば相当の距離を「すぐ」と言っても課題表示ではない。

慣れた人なら「すぐ」であっても、不案内な人には「すぐ」見つけられるとは限らない。ここは例えば「まっすぐに進み50m右手(看板あり)」と記すのが親切だ、と思った次第。

(バラの美は分かりやすい。「すぐ」に美として誰にでも認識できる)
素っ頓狂トンチンカンと音が鳴り [2024年05月22日(Wed)]

fumihouse-2024-05-22T20_54_44-1-thumbnail2.jpg【頓珍漢(とんちんかん)】
ふと気になった。何かの音から作られたオノマトペだと思うが何だろう。見当違いだったり、間の抜けた言動で受け答えしてしまった時にピッタリな表現だ。

辞書で調べると、鍛冶屋の相槌(あいづち)の音に漢字を当てたものだという。刀などの大きめの物を打つ時には、複数で「トンテンカン」と槌を振るう。当然だが打つ音はそろわない。間抜けしているように思えるが、鍛冶の場合は均等に金属を均すことが必要であり、合わないことを称して「トンチンカン」というのは、鍛冶屋さんにとって不本意であろう。

緊張した場面や気が焦るときに頓珍漢なさまを見せてしまうことがある。その場は気恥ずかしい程度だが、あとで振り返るとやましい気分になって、身が固くなることがある。物事にあたってはしっかり準備していかないといけないね。

てなことを書いたが、今夜はバスに乗りそこねてしまった。正確に言えば、時刻表を1時間読み違えて、来ないはずのバスを待ってヤキモキし、乗るのは不可能な列車に乗ろうと期待して焦って損をした。頓珍漢とはこのことなり。

(焦らず腐らず弛まず、進もうよ。太陽の輝きで松葉菊も見ているぞ)
創作の国字をひねる老若や [2024年05月19日(Sun)]

fumihouse-2024-05-19T22_08_57-1-thumbnail2.jpg創作漢字コンテスト(産経新聞社主催)は面白い。

「色」の上部にある「ク」を数字の「7」に変え、【虹】と読ませるナイスアイデア。小学1年生の作である。コロナがまだ厳しい時分、地球に大きな虹がかかってほしいという願いをこめたという。

【床】の「木」の横棒を波線にして【床上浸水】
【侍】人偏の縦棒をJにして【サムライジャパン】
【八】に濁点代わりの七を2つ入れて【バナナ】
【円】の横棒を斜め上にして【円高】
【袖】の下に「一」を置いて、文字どおり【袖の下】
【汗】に濁点を付けて【汗だく】
【音】の「日」を「目」に代えて【手話】

どれもこれも、なるほどと唸らせてくれる。わたしも考えてみよう。二番煎じだが、【円高】の斜め上棒を斜め下にして、今の【円安】を表してみよう。いいアイデアが浮かんだら、またいずれ。

(【麦】の「久」を「一」にして、【刈り取り後】はいかが)
今はもう老いも若きもリュックかな [2024年05月15日(Wed)]

fumihouse-2024-05-15T17_51_20-1-thumbnail2.jpg【リュックサック】
日本語では背嚢(はいのう)。かつては子どものものだった。ナイロン素材で軽くてカラフル。学校へはランドセル、遠足はリュックサックを使うのが定番だった。平常で大人が使う選択肢はなかった、幼稚に感じていたから。もちろん山へ登る人たちは丈夫で大きなリュックを使ったが、あれは特別。

数日前のテレビで、40年前の渋谷スクランブル交差点の様子を放映していた。リュックサックはない。手ぶらもしくは手持ちカバン。片肩がけのショルダーバッグも目についた。ズリ落ちやすく、タスキに掛けてもサマにならない。紐を短くして手に持ったものだった。今は主流がリュックだ。

40年前の映像で目立つのが黒髪。茶髪はおらず、メッシュ染めなどもちろんない。聖子ちゃんヘアの主がたくさんいたが、染める者はいない。時代の流れとは大きなものよ。

(バラもまた、時代の流れで品種改良されて今の姿がある)
衆人に振る舞い活動教えたい [2024年05月13日(Mon)]

fumihouse-2024-05-13T15_03_49-1-thumbnail2.jpg山陰中央新報こだま欄が、わたしの投稿を載せてくれた。新聞社は著作権が自社にあると言うが、わたしにも同等に権利はあるので、ここに掲載する。「客」という表現が客商売の新聞社としては気に触るのだろう。「人」と代えられていた。わたしにとっては客は客でしかない。

≪平日は松江市営バスを利用します。通勤通学では客が多く、朝は立った客で混雑します。降りる客にとっては邪魔になってしょうがない、雨で傘を持つとさらに大変です。
 途中から乗り込んだ私は、失礼!を連発して空いた席に座ります。荷物を席に置く客も膝に乗せて譲ってくれます。が、かなりの人が入口付近に滞留します。混雑に拍車がかかります。空いた席に座らない、2人がけに1人しか座らないことの弊害です。
 隣に座られたくない、狭い座席で知らぬ者と体を接したくない、友達が立っているのに座れないという気持ちはわかりますが、混んでいる時はなるべく座るよう心がけましょう。それだけで混み具合は和らぎます。急な揺れによる転倒や事故も避けられるでしょう。特に高校生へ啓発が必要ですね。
 安全と混雑緩和のため座ってほしい、荷物を座席に置かないで!と、掲示したり放送することによって改善できるのではないでしょうか。検討をお願いします。≫

「高校生へ啓発が必要」と書いたが、中年男も高齢女性も荷物を置いている。通路側に座って2人前を独占する会社員もいて、座るな!モード満載である。衆人での振る舞いを少しだけ考えてくれたら助かる。

(えんどう豆も、開いた口が塞がらない)
字面には感じ悪さに悪寒あり [2024年04月23日(Tue)]

fumihouse-2024-04-23T18_40_31-1-thumbnail2.jpg【娶る(めとる)】
字が持つ印象してはよろしくない。妻をむかえるとか、嫁をもらうという意味を超えて、居心地の悪さを感じる。気持ちが悪い漢字と言ってもいい(あくまで私の主観)。漢字としても美しくないと思う。「躾(しつけ)」という漢字に対して、わたしが持つ印象と同類のものがある(あくまで字の形)。

「めとる」というのは元々、婿をとる意味もあったと思う。平安時代の貴族は、妻問婚(つまどいこん)と言われる通い婚が主流だったし、古代の母系社会や女性指導者の流れも続いていたことと思う。嫁をもらう流れになったのは、男が逆玉の輿を狙って、経済的に都合のいい相手を求めた結果、離婚がくり返される不穏な世相になってしまって、通い婚は消えたと聞く。

今田美桜主演のドラマ『花咲舞が黙ってない』では、「お言葉を返すようですが」と、舞は決まり文句で知的に啖呵を切り、痛快に根強い男社会と戦う。女は男に従っていればいいと考える時代錯誤の男。それを是とする女性にも動議を与える。朝ドラ『虎に翼』でも同様。寅子(伊藤沙莉)が、「はて?」と言って、世の常識や男社会に疑問を投げかける。女性の生きやすさを示す指数においては後進国日本ではあるが、世は確実に変化している。

(ラナンキュラスもまた、変化を遂げて今ここにある)
人前でお母さんとは異な呼び名 [2024年04月22日(Mon)]

fumihouse-2024-04-22T08_09_30-1-thumbnail2.jpgお父さんとか、お母さんと表す若い人が増えてきた。公共の場で、「父、父親、母、母親」ではなく、「お父さん、お母さん」と呼ぶ。常識も教養もありそう、教育も十分受けていそうなアイドルやスポーツ選手までも、「お母さん」と人前で話す。

日本語は敬語は相対的である。場面によって言葉は異なる。家の中での親子関係で、子どもが親に「お母さん」などと呼ぶのは当然だが、外部の人との関係が入ると、身内には敬語を使わないのがルールである。

近ごろは「パパ、ママ」と呼ぶ家庭が増えたから、「お父さん、お母さん」が謙譲の敬語だと錯覚しているのかもしれない。よもや、自分を取り巻くマスコミや外部の人間を身内と思っていることはないと思う。

言葉は時代とともに変遷するものだが、外での「お父さん、お母さん」が常識化しているとは思えない。公私の別に関してしつけられていないと考えるのが順当かもしれない。

(クレマチスもまた、しつけられて(改良)されて今の姿がある)
スタンスと小便小僧似かよって [2024年04月18日(Thu)]

fumihouse-2024-04-18T08_00_05-1-thumbnail2.jpg「プレイヤーの皆様へ」と題して、ジュンテンドー大庭店が楽しい警告をしていた。なるほどっと頷いて、洒脱な掲示に笑みがこぼれた。

≪トイレでのスタンスは広めにとり
 スクエアーに構え
 シャフトはむやみに振り回さないで
 すべてカップインするように
 心がけましょう≫

小便器の前に立つと、壁から目に飛び込んでくる。グリーンとカップの写真が文に添えられている。惜しいなぁ、「トイレでの」のフレーズは言わずもがなで消したらいい。文が締まって、さらに楽しくなるのに、と思った。ジュンテンドー全店でやっているとは思えないけれど、店長さんのユーモアに快哉。

(蒲公英(タンポポ)も笑っている)
立哨し敵だ警戒怠るな [2024年04月16日(Tue)]

fumihouse-2024-04-16T17_55_59-1-thumbnail2.jpg春の交通安全週間が終わった。役員として【立哨】をした方も多いと思う。おつかれさまでした。普段なら不審者扱いで、返事もしてくれない街部の子どもたちが、この週間では、立つ大人に対して挨拶を返してくれるのではないだろうか。

ところで【立哨】という言葉。そんな難しいのを昔は使わなかった。「立ち当番」と言っていたように思う。そもそも立哨とは軍務として怠りなく警戒を行い、門や扉の出入りに関して不測の事態が起きないよう見張ることである。いつの間にか、子どもを見守る温かい目を、厳しい監視の目に変えてしまったように思うのだが、いかがだろうか。

「哨戒機」「歩哨」「哨兵」くらいしか用例が見当たらない。OK漢字辞典によると、「口」と「小さな点」と「刻んだ肉」の象形から、入口を小さくして敵の侵入を見張る場所を意味するのだそうだ。

立哨というのは退屈だ。しかし最前線でもある。スパイ映画で、歩哨が敵にいとも簡単に出し抜かれたり、音もなく抹殺されるシーンがある。敵は味方を食い破る・・・立哨とは、深刻に重要です。命がけの仕事ですな。

(立ち当番をしながら、子どもたちと野大根の花でも摘みたいですね)
やり甲斐に信玄領国人の城 [2024年03月29日(Fri)]

fumihouse-2024-03-29T19_28_21-1-thumbnail2.jpg【やり甲斐】
何かことに当たっている際に充実して取り組めたり、手応えを感じること。気持ちに張りが出て、やり切ったときの充足感は例えようもない。

ところで、文字に甲州・甲斐国が入っているのはなぜだろう。武田信玄だ。信玄は甲斐国の名門の出自で、領国経営にも優れた才能を発揮し、甲斐国を豊かにした。しかも戦争にはめっぽう強い。そこから、周辺の服属した国々に、甲斐に頼る気持ちが生まれ、「頼り甲斐」という言葉が生じた。周りが信頼するほどに力を発揮する人のことを「甲斐性がある」と表現するようになり、充実した手応えのある仕事には「やり甲斐」と名付けた。さらに生きるに値することを「生き甲斐」と言うようになった。信玄さま様と言えようか。

・・・エイプリルフールでもあるまいに、嘘を並べ立ててしまった。どなたか、語源を知りませんか? ぜひ教えてくださいな。

(蔓日々草(ツルニチニチソウ)が咲き始めると、イソヒヨドリが高らかに鳴く。朝の空気を爽やかにキリリと引き締める)
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