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あだ討ちは仇討ちならず人生かす [2026年03月03日(Tue)]

fumihouse-2026-03-03T08_37_49-1-thumbnail2.jpg映画『木挽町のあだ討ち』は単なる時代劇かと思いきや、思いがけず人情噺のミステリー仕立てで楽しめた。しかもホロリとくること多く、文化文政、200年前の江戸の人情味を彷彿とさせてくれた。

「あだ討ち」と言うとおり確かに父の仇を討った。だが、仇討ちといえども仇討ちにあらず、徒花の「あだ」。人の命を無碍に失わない温かさに満ちたあだ討ち。決して無駄に終わることのない、感謝に彩られた実のある花が咲いた。人の心は徒花にはあらず。

それでいて、苦しむ者を助け、驕り高ぶる権力の亡者を奈落に落とす。歌舞伎小屋という虚実織り交ぜた雑多な集団が正義の鉄拳を食らわす、その痛快さに心躍った。
ルーシーが情をかけてAI裁判 [2026年02月11日(Wed)]

fumihouse-2026-02-11T20_31_05-1-thumbnail2.jpg『MERCY_マーシー AI裁判』は、ショッキングな映画であった。AIに司法を司る(つかさどる)ようプログラムしている。法を司るのは本来人間であるが、捜査も判決も誤りがある上に時間がかかることに業を煮やしたのか、全面的にマーシーに委ねた未来の姿を描いている。

マーシー裁判官(女に擬人化)は速く、正確である。凶悪な犯行を行ったであろう容疑者は、有罪を前提に裁判が行われる。なんと90分以内に無実を証明しない限り、刑は確定し即処刑される。

多くの殺人犯をマーシー裁判に送ってきたレイブン刑事(クリス・プラット)であったが、殺人の濡れ衣を着せられた。マーシーが持っているほぼ全ての人の個人情報をもとに、被疑者レイブンは無実を証明しようと懸命にデータベースを洗っていくが、絶体絶命になって身悶えする。

マーシーはありとあらゆるデータを提供してくれる。張り巡らされたカメラ映像の記録、電話の通話記録、立ち寄り先のGPS軌跡、会議や会話の内容、スマホに撮った写真や動画まで、マーシーの知ることのできる恐るべき社会。凶悪犯罪を素早く処理するためとはいえ、プライバシーが丸裸というのはいただけない。今後は人間とAI、AIと倫理の対比に私たちは悩むであろう。

マーシーと聞いてルーシーを思い出した。​人類最古の化石とされるルーシー(女とされる)。人類の夜明け、最初の一人を象徴するルーシーへのオマージュとして、語呂の似たマーシーを使ったと想像する。

冷酷なマーシーではあるが、しまいには人間化していき、人間同様に迷ったり錯乱するように見えた。単なるバグなのかどうかは知らないが、人間もAIもどちらも間違うんだという結論に、どことなく納得できた。

英語でmercyは慈悲。冷徹で感情を持たないはずのAIに情けがあるのか。人類の母であるルーシーの名前を借りて慈悲深い母と対比することで、AIは完全無欠な判断を下す存在にはなれないと皮肉ったのかもしれない。

(AIには椿の花の美しいことが分かるのか、単に色合いや形を認識することしか出来ないのか)
お別れは次の出会いを待つ日和 [2026年02月10日(Tue)]

fumihouse-2026-02-10T17_18_26-1-thumbnail2.jpg『ほどなく、お別れです』は清々しい映画だ。そして心震える。送る側の遺族に寄り添う葬儀社において、就活に苦戦する大学生清水(浜辺美波)は、葬祭プランナーの漆原(目黒蓮)に出会った。漆原の穏やかで端正な立ち姿と、清水の真っすぐで温かな眼差しが印象に残る。

送られる側、すなわち死者が見えて会話が出来るという能力を持つ清水は漆原にスカウトされた。やがて清水にとって、葬祭プランナーと司会者、そして納棺師まで務める漆原は目指すべき先輩となった。ともに最高の葬儀を志していく。

劇中で説かれる死生観は、死者は死の領域に入り、生者もいずれ死者となったとき、その愛しい人に出会えるというものである。その世界が天上にあるとすれば、天上に向かう死した生命、天上も含めたあまねく満ちる死者の生命が、生者を優しく見守っている。

天上から見つめる温かな目の象徴が東京スカイツリーだろうか。スカイツリーは辺り一帯を高さで圧倒するのみならず、送られる者と送る者のそれぞれが気持ちの整理をつけられるよう、温かく見守っているように思えた。

涙なしではいられないエピソードがいくつか示された。死者の面影とともに、今に生きる者は前を向いて生き切る。そうした決意を観る者に穏やかに湧き立たせてくれる映画であった。

(日曜に25センチ積もったのちに、月曜に一部溶けた今朝のブラックアイスバーン)
TOKYOをタクシー縦横終の家 [2026年01月04日(Sun)]

fumihouse-2026-01-04T14_24_04-1-thumbnail2.jpg映画『TOKYOタクシー』は、溜め息に印象が残る映画。小言や嫌みに対してうんざりして漏れる溜め息、一人沈黙して思い悩む溜め息、時代の理不尽に怒る溜め息、述懐してひととおり語ったときの溜め息、料金をもらい損ねてなじる妻の溜め息・・・登場人物たちの様々な溜め息が画面を彩った。

物語としては、個人タクシー事業者の浩二(キムタク)が、すみれ(倍賞千恵子/若役は蒼井優)を神奈川・葉山にある終の棲家に送り出し、一週間後の驚愕と静かな結末を迎える。秋晴れの東京・柴又に始まり、浅草、日暮里、秋葉原、新宿、多摩川を越えて横浜へ。夜景と食事を二人は楽しみ、目的の葉山へ。午後1時から夜8時までの長い道程において、喜怒哀楽と愛しさが詰まった人生行路をすみれは語り尽くした。浩二もつられて自己開示する。

スペクタクルなシーンがあるわけでもなく、絶景がてんこ盛りというわけでもない。しかし、自分自身の来し方行く末も併せて思い浮かべながら、劇場で見たい映画だと思う。94歳山田洋次監督の集大成となるであろう、愛に満ちた映画。寅さんへのオマージュが詰まっている。そして倍賞千恵子のモノローグが心に染みる。

(TOKYOの空はこんなに澄み切っていた。空と同様、観るものの心も澄んでいく)
冬木立ふつうの月はどう見える [2025年11月15日(Sat)]

fumihouse-2025-11-15T12_35_19-1-thumbnail2.jpg映画『平場の月』を見た。主演は堺雅人(青砥役)、井川遥(後藤役)は中学の同級生で何十年後かに再会し惹かれ合った相手。50代の大人が面した切ないラブストーリーといえば、あまりに平凡であるが、誰にもプライドがあり、無理をするなと言われても、そうはいかない大人の事情というやつが描かれる。観る立場からすればハッピーエンドを望んでもそうはいかない、悲話の宿命だ。

英語題は A moon in the ordinary 、普通の月って何だろう。月は月、特別も普通もない。しかし、悲しむ者には陰影の浮き沈みが悲哀を増し、喜ぶ者には栄光の象徴として胸にすかっと来て、忙しく行き過ぎる人には目にすら入ってこないのが月というものだ。地球から38万キロメートルの彼方で猛烈な勢いで回っている月は、地球から見れば平穏でごく当たり前の天体でしかない。

強烈なプライドを抱えて生きていたとしても、傍目から見れば特別なことじゃない、ごく当たり前のこと。ならば楽しく気の向くままに生きればいい、というわけにはいかない。後藤と青砥は過去と現在のせめぎ合いの中で、日々もがいていた。

互いを「後藤」「青砥」と呼び捨てし合う仲のまま、惹かれて結ばれる2人。しかし病魔が2人を切り裂く。頼ってくれていい、いや頼って欲しいとする一方に対し、もう一方は首を縦に振らない。自己の死すら明かそうとしなかった。中学の同級生の2人がやはり惹かれ合い、少しだけ心を許しあったあの経験。残された一人はその記憶を思い浮かべながら悲痛の涙をこぼすのであった。

逝った者は平場の月ではなく、特別な月を求め、残された者とともに歩んでくれればよかった。しかし納得しえなかった。でんでんが青砥の同僚の役で出演していたが、納得できる相手に出会えてその人がいなくなってしまってもそれは幸せだ、そんな意味の台詞が心に残る。

(平場の月の物語のオープニングは、2025年12月1日月曜日。染井吉野の葉は鮮やかに染まっていただろうか、それとも落ちたのか)
国宝級イケメン俳優芸の道 [2025年06月29日(Sun)]

fumihouse-2025-06-29T22_33_12-1-thumbnail2.jpg映画『国宝』は梨園の世界にあって、才能と血筋を対比させで描いた。花井半次郎(渡辺謙)という名門の名跡を継いだのは才能代表・喜久雄(吉沢亮)であり、一時血筋代表である花井家御曹司・俊介(横浜流星)が優勢であったものの、凋落しドサ周りも経て最後に人間国宝の指定を受けたのは、才能代表の喜久雄であった。かといってライバルが反目しあっていたのではない。中学の頃から兄弟同様に育ち、ともに芸を磨いてきた深い同志である。

当時「反社」という言葉はなかったが(1980年代)、ヤクザの抗争で父を殺された喜久雄は反社の烙印を押され社会から制裁を受け、後ろ盾となる花井の死もあって辛酸を嘗めた。それでも芸は捨てず精進を重ねた。そして再び拾い出されて、スター街道を登っていく。

『曽根崎心中』のお初の同じ役を喜久雄と俊介が時を隔てて演じた。壮絶な演技(劇中でも、俳優としても)に心震えた。愛する人と別れなければならない切なさも伝わってきた。『二人道成寺』も豪華絢爛で見事であった。3時間と長いがもう一度観てみたい。

(ルドベキアも豪華絢爛。夏に映える)
片思い世界を橋で結びあい [2025年05月02日(Fri)]

fumihouse-2025-05-02T16_54_11-1-thumbnail2.jpg映画『片思い世界』は究極の片思い。決して通じない片思い。姉妹ではない仲良しの3人が織り成す、可憐で不思議なファンタジーである。

広瀬すず(最年長)と杉咲花(真ん中)と清原果耶(最年小)が演ずる3人は、ある事情があって12年前から一緒に暮らし始めた。三者が10歳前後のことである。色合いやデザインがオシャレではあるが、華美でなく清楚で慎ましい。その抑制の効いたファッションを見ると、三者が丁寧に日々を生きる様子がうかがえる(杉咲花のファッションがわたしの好み)。

三者それぞれ、思い人に想いは届かない。それでも想いは届いた(かもしれない)。メタバース(かな?)世界でも僅かに開いた現世への扉。ファンタジーでなくとも、想いが届かないことは多い。言葉に表せなくて、あるいは表現が稚拙だったり、住む社会が異なったりして、理解し合えない。それでも諦めずに懸命に生きよ!と言われた気がした。

(初めて出会った花、チューリップ・フミリス。幼稚園児が描くチューリップのようだ。単純だが心引かれる意匠)
第一部ふたりは別れ善と悪 [2025年03月30日(Sun)]

fumihouse-2025-03-30T21_35_07-1-thumbnail2.jpg『ウィキッド ふたりの魔女』の歌と踊りに魅せられた。豪快で豪勢なミュージカル映画である。特にグリンダ(アリアナ・グランデ)の歌が心地よい。小悪魔的でキュートな童顔から透き通った甘いハーモニーが響いてくる。こちらが『オズの魔法使い』で後年の良い魔女となる。

一方でいずれ悪い魔女になるのが、緑の肌を持って生まれたのが、エルファバ(シンシア・エリヴォ)。風貌の故、疎まれ差別されてきた。生まれ持った魔力は強い。『オズの魔法使い』ドロシーが登場する、ずっと前の物語。権力は腐敗し暴走し、善意の者を傷つけていくという定理も示していた。

魔法と幻想の国オズの世界に浸り、劇音楽を聴いているうちに、昨夜の寝不足がたたったか、目が閉じて何度か寝入ってしまった。魔法にやられてしまったとみえる。後半には目が覚めはしたものの、実に心地よい3時間弱であった。

(グリンダのペチコートのように優雅に広がるペチコート水仙)
侍はタイムスリップ刀持ち [2025年03月22日(Sat)]

fumihouse-2025-03-22T22_19_32-1-thumbnail2.jpg映画『侍タイムスリッパー』を観た(Amazonプライム)。日本アカデミー賞を受賞したばかりの時代劇で、低予算映画としても話題である。そのとおり、わたしが顔を知る俳優は幕末会津藩士・高坂新左衛門役と撮影所長のみ。

笑いあり、泣きあり、恩讐が歴史の上で消えるのか、リアリティのある殺陣とは・・・盛りだくさんの視点から楽しむことができた。1世紀半のちの現代に移転し、半分諦めの中で斬られ役として現代に生きようとしていた高坂に思わぬ転機が訪れる。よもやのタイムスリップ・メガバースとも言うべき状況だ。詳しくは述べないが、最後の殺陣が超絶的で、まるで”真剣”といった趣に息を呑んだ。

劇中の主題のとおり、時代劇は累卵の危うきにある。それに取り組む人びとへのオマージュも込められており、チャンバラ劇を見直した。実に格好良い。

(令和7年3月22日靄の夕刻にタイムスリップしてきた烏たち、なわけはない。黄砂が濃い1日だった)
裁判で落下に起因より戻し [2025年03月08日(Sat)]

fumihouse-2025-03-08T21_49_10-1-thumbnail2.jpgフランス映画『落下の解剖学』を観た(島根県民会館/名画劇場)。ベストセラー作家サンドラは不審死した夫を殺したのではないかと疑いをかけられ、長い裁判になる。教師で小説家を目指していた夫とは、息子ダニエルや家事をめぐってサンドラは対立があった。なにより夫は精神疾患に悩んでいる。世間の話題もさらい裁判は紛糾した。サンドラは無罪を評決されたのだが、証言台に立ったダニエルも含めて皆が消耗して疲れ切った。それでも残されたニ人と犬一匹は平安な明日に向かって進んで行けそうだった。

ダニエルが弾くピアノが印象的だった。アルベニス作曲のアストリアス(ギター編曲分が有名)、ショパン作曲の前奏曲を時間進行とともに上手になっていく。アストリアスは不定なエネルギーが押し寄せる不安感を表し、ショパンは落ち着いた曲調ながら将来への不安を混じらせている。前途は多難。少々重い気分を引きずって帰宅の途についた。

(古い蔵の土壁は剥落する。蔦が上って覆い隠す)
ベルサイユ薔薇と雑草価値同じ [2025年02月15日(Sat)]

fumihouse-2025-02-15T16_15_06-1-thumbnail2.jpg『ベルサイユのばら』は、言わずとしれた池田理代子の名作漫画。宝塚歌劇団による舞台も有名である。テレビアニメ版も含めて一切見たことがない私が、劇場アニメを観た。

壮大な浪花節的世界、絢爛豪華な世界を楽しんだ。18世紀の後半、わずか250年前に存在したフランス宮廷界。天真爛漫で恋多きマリー・アントワネット。お相手のフェルゼンは前半では抑制して身を引いたはいいけれど、後に激しく溺れた。アントワネットは愛に生きた。ただし、王家の統治責任は横に置いて民衆など虫けらにしか見えておらず、ただ自己と貴族のための愛しか見えなかった。傾城の美女として国力を傾けたと言っていいだろう。ルイ16世の存在感のなさも、いじらしく耐え難い。

オスカルは女性ではあったが衛兵隊長。幼なじみの家臣アンドレへの恋に気がつくが、任務を貫き通した。その任務とは王宮への服従ではなく、自由と平等、友愛のためにフランス人民の側に付いた。進め、情熱をもって愛に生きよと部下を訓示し、激しく美しく燃え尽きた。

絶対権力の時代から民衆の世紀へ。激動の時代に翻弄されながら、それぞれが懸命に愛に生きたことは間違いない。現代の価値観からすれば荒唐無稽に思えても、彼ら彼女らは頑張って愛したことだけは確かだ。
最強の女戦士は幾千年 [2025年02月04日(Tue)]

fumihouse-2025-02-04T18_04_39-1-thumbnail2.jpgカザフスタンの映画『女王トミ゙ュリス_史上最強の戦士』を観た(県立美術館シネマ)。紀元前6世紀の中央アジアの遊牧部族であるトミュリスは少女の頃、部族間抗争で父である長と一家全てを失った。武術にも頭脳にも長けたトミュリスは復讐と部族再結集を誓い成長し、見事に成し遂げた。

しかし大敵がいた。当時の大帝国・アケメネス朝ペルシアはアラビア半島を手中に収め、それどころかエジプトの制覇を狙い、ヨーロッパや中央アジアまで版図を広げつつあった。当然トミュリスの部族も狙われた。大切な夫も息子もペルシヤの卑怯な刃に倒され、ペルシヤは服従か死か、と選択を迫り来る。トミュリスは他の部族とも協力してキュロス大王に立ち向かった。多勢に無勢ながらも機動力抜群の騎馬隊は見事にペルシヤの大軍を破った。そしてキュロスの首級も取った。1500年も前の大勝利である。映画ではその後のことは分からない。

迫力のアクションであった。血が湧いたが、倒れる者もいる。敵方の兵士にも家族はいる。戦争というものの残酷さを改めて思う。そしてシャーマンが宗教的中心を占める部族社会というのは、日本も含め古代に共通の世界である。やがてこれら砂漠やステップ地帯にイスラム教が広がっていく。そうした世界が変化する時代背景が描かれているようで興味深く観た。

(白黒映画化と錯覚するほど色が少ない。砂と土埃が主な砂漠では彩りが少ない。こんな紅色などないのかも)
原爆の父を称すは苦悩なり [2025年01月15日(Wed)]

fumihouse-2025-01-15T17_44_20-1-thumbnail2.jpg≪世界はこの日を記憶するだろう≫とは、映画『オッペンハイマー』で原爆の父ロバート・オッペンハイマーが、開発拠点のロスアラモスにおいて、開発関係者の前で述べた第一声である。

世界は1945年8月6日の広島原爆の日を、8月9日の長崎原爆の日を、その言葉のとおり記憶した。だが、米国人の多くは長引く戦争を終わらせ、米国人の多くの命を死なさずにすんだことの記念日として捉えている。原爆の被害の悲惨さに目をつぶり、決して人類存亡の危機を見据えることはない。

オッペンハイマーは苦悩した。水爆の開発、続く核兵器の開発競争、そして再び実戦で使われてしまうことを。だが、学術的関心から作り上げてしまった暴力装置を実際に使ってみたいという人の欲望は留まることをしない。彼はとんでもないパンドラの箱を開けてしまったのだ。

(センリョウの実。被団協がノーベル平和賞を受けたこと、そしてその積み重ねられた活動は、値センキンなり)
中つ国指輪闘争その前夜 [2025年01月03日(Fri)]

fumihouse-2025-01-03T19_18_26-1-thumbnail2.jpg『ロード・オブ・ザ・リング/ローハンの戦い』は、実写か精巧なCGか、そんな趣があるほど臨場感と躍動感にあふれるアニメ映画であった。あのロード・オブ・ザ・リングの200年前の世界を描き、悪の魔法使いやオークたちはまだ跳梁しない、人間同士の小競り合いが盛んだった頃の世界観のようだ。

無双の強さを持つローハンの王は、智に長けて武を頼みにしていただけに、醜悪な計略には弱かった。同族同士が争う種を蒔き、挙句の果ては国を滅ぼした。人間の哀しい性である。それでも王は王女ヘラを守り、後継へと育てた。そしてヘラはローハンの民を守るため、戦いきった。

あの指輪は登場しないが、オークや怪物(トロールか?)が出てくる。魔法使いサルマンも悪の手先になる前、アイゼンガルドに来た経緯も描かれた。続編はないだろうな〜。

(正月三が日、最終日もまた晴れた。喜ばしい新春の奇跡なり)
ありがたし体の中はドラマ仕立て [2024年12月22日(Sun)]

fumihouse-2024-12-22T20_41_41-1-thumbnail2.jpg『るろうに剣心』ばりの殺陣アクションであった。白血球(佐藤健)は外敵である病原体をバッタバッタと殺していく。変異してバグ化したがん細胞も同様である。るろうでは長剣、今回の『働く細胞』では短かいナイフ。胸のすく演出は同じアクション監督が行った模様。

働く細胞たちは、平穏に忙しく立ち働く時もあれば、緊急事態に警報音が鳴りパニックに陥る時もある。なかでも抗がん剤が短距離ミサイル爆弾として描かれて、味方も敵も無差別に破壊し殺戮していく姿には衝撃を受けた。細胞世界のすべてが焼け野原になった。恐ろしい兵器である。

酸素を運ぶ赤血球(永野芽郁/AE3803の番号を与えられていた)は、地味な役割に自信を失っているところに危機が勃発。母体となる人間(芦田愛菜)が大病に冒されてしまう。白血球に励まされる中で自己の使命の大切さに目覚め、それを果たそうと懸命に戦った。

他の赤血球や白血球、血小板、マクロファージなど細胞世界のドラマもさまざまに生まれていく。同時並行して人間界の戦いがある。病魔と戦い、仕事に涙し、家族が巡り合う不運に泣くが懸命に戦う。

体の仕組みはすばらしい。生きていることはかけがえのないこと、健康であることの願い・・・。さまざまに思いを巡らし、胸の熱くなる映画であった。

(マメツゲの小さな地味な花もまた、たくさんの細胞でできている)
戦闘と映画興行一か八 [2024年07月14日(Sun)]

fumihouse-2024-07-14T21_22_18-1-thumbnail2.jpg映画『KINGDOM〜大将軍の帰還』は完結した。500年続く戦乱の世を終結させるため中華統一を目指す秦国王・政。天下の大将軍を夢見て百人将まで頭角を現した元下僕・信。二人の物語はほんの序盤でしかない。

4部作ともヒットして莫大な撮影費をかけて損益分岐としていい線をいっているのだろう。また、息つく間もなく戦闘に明け暮れる修羅の道を歩む登場人物たちをこれだけのスケールで描くには、CGを存分に使ったとしても実写では限界があるのかもしれない。

天下の大将軍・王騎が首都咸陽に凱旋帰還した。何十万の同胞の死を見届け、何十万の敵を屠る(ほふる)経験をした将軍というものの双肩にかかる重みを、信に伝えた。大将軍が見る騎馬からの景色、小高い山から見る戦いの帰趨も信は理解した。将兵を奮い立たせる言葉の重みや迫力も信は体得した。あとは漫画で楽しむことにしよう。

(2300年前の中国にもこんな待宵草が咲いていたのかもしれない)
哀しみの群像にして愛あられ [2024年03月24日(Sun)]

fumihouse-2024-03-24T21_05_47-1-thumbnail2.jpg映画『愛と哀しみのボレロ』を午前10時の映画祭で見てきた。1981年のフランス映画。『男と女』で有名なクロード・ルルーシュ監督がメガホンを取っている。

第二次世界大戦前から戦中、戦後にかけての群像劇。オムニバス形式でそれぞれの愛と哀しみの歴史が描かれる。相互には一見関わりがないように見えるが、ある時はすれ違い、またある時は重なって群像に深みを増す。

最終盤にラヴェルのボレロが演奏される。圧倒的な演奏とバレエの力強さ。そこに多くの群像が重なっていく。同時代に生きる者は地球という共同体の空気や水を介することも含めて、すべてが連関していると感じられた。3時間余りの長時間上映で疲れもしたが、人間愛に溢れた映画であった。

上映後調べると、エディット・ピアフ(シャンソン歌手)、ヘルベルト・フォン・カラヤン(ナチス党員だった指揮の帝王)、グレン・ミラー(傑出したジャズバンドリーダー)、バレエダンサーのルドルフ・ヌレエフ(この人は知らない)の4人をモデルにしているということだ。ドラマチックに戦中戦後を生きた有名人の人生模様がボレロの音楽の前に描き出される。ダイナミックな映画であった。

(宇宙を彩る星雲の数々。人々の群像劇もまた星雲のように結集し雲散していく)
ゴールドの輝き人を修羅の道 [2024年03月20日(Wed)]

fumihouse-2024-03-20T19_54_27-1-thumbnail2.jpg映画『ゴールデンカムイ』は烈しいアクションの連続で、眠けが吹き飛んだ。特に爆発や発砲シーンが多くて動悸の連続だ。アイヌが集めてきた膨大な金塊を強奪した男が、その隠し場所を24人もの囚人に刺青として残した暗号を読み解き、手に入れようとするストーリー。

夢中で見るうち、このままでは完結しないのではないか。どこかで尺を縮めてストーリーが展開していくのかと思ったが、とんでもない。いくつまで続編が続くのやら。エンドロールが終わってからの映像も決して見逃せないのも特徴といえる。

舞台は日露戦争の激戦地203高地に始まり、不死身と呼ばれた杉元(山崎賢人)が北海道の小樽近辺で暴れまくる。それを助けるアイヌの少女アシリパ(山田杏奈)が山の民としての知恵と力を発揮する。新選組の土方歳三、永倉新八まで蘇られて登場させるとは恐れ入った。

ゴールデンカムイとは、アイヌの金塊のこと。それだけではあるまい。アイヌ民族は森羅万象に神を見出し、自分たちが生かされていることへの感謝を捧げた。SDGsが不可欠な現在において、そうした生き方を考える意味合いが込められた表題でもあろう。

(120年前の北海道にも、水仙が絢爛と咲いていたことだろう)
パープルを命の糧に叫びゆけ [2024年02月10日(Sat)]

fumihouse-2024-02-10T21_25_38-1-thumbnail2.jpgこのミュージカル映画をみた人の多くがインスパイアされるに違いない。抑圧を受ける生活を送らざるをえない、常に不全感を抱えながら生きている、ルーティンに縛られて身動きできない、しがらみにがんじがらめになっている・・・そうした辛さを感じている多くの人が、まず一歩を踏み出そうと勇気を出していける。

映画『カラー・パープル』でセリーは歌った。「私は美しい、私は今ここに生きている」と、誇り高く自己を肯定する様子はゾクゾクと勇気湧き立つ。セリーの最大の支援者であったシュグ。ブルースのスター歌手としてシュグは歌う。「あなたの中にあるシュグを出すんだ、あなたも持っている。そのボタンを押すんだ」と。涙が止まらない。

舞台は黒人差別まっただなかのアメリカ南部。黒人男性が女性を虐げることも著しい。そんなシビアな条件下からすれば、生半可な閉塞感などクソ食らえと言われるかもしれないが、誰もが自身の「ボタン」を押して目覚めて戦い、新しい地平を開くのだ。そんなエネルギーを自身に感じた時間であった。性暴力やDVに悩む女性にもきっと力となっている。

(身の内に忍ばせている黄金をつまびらかにせよ。発出釦を押すのだ)
繰り返し繰り返してはルーティンを [2024年01月13日(Sat)]

fumihouse-2024-01-13T22_17_54-1-thumbnail2.jpg名監督ヴィム・ヴェンダースと名優・役所広司による静かなる饗宴。映画『PERFECT DAYS(パーフェクト・デイズ)』は、日常に喜びがあり美がある、判で押したようなルーティンの日々を重ねる平山の生活に快感を覚えた。

ボロアパート近くの掃き掃除の音に目を覚まし、読みさしの文庫本に栞をはさんで、布団をたたむ。口ひげをハサミで整えて電気カミソリで余分なひげを剃る。歯を磨き、霧吹きで窓際の欅やモミジの鉢植えを湿らし、鍵類を所定の位置からポケットに入れて、戸口を開けて空を眺める。缶コーヒーを買ってダイハツの軽バン(トイレ掃除の道具が満載)の運転席で飲む。仕事は手を抜かずに手際よく行い、昼食はコンビニで500CC牛乳、サンドイッチパック一袋を買い、神社のベンチに座って木漏れ日の中で食べる。毎回空に向かって欅の枝の広がりをフィルムカメラで撮る。午後は風呂屋、浅草駅の地下の呑み屋、時々古本屋で寝床で読む文庫本を買い、カメラ屋にフィルムを持ち込んで現像する。代わり映えのない木の白黒写真を箱に入れる。テレビはなし、オーディオはラジカセのみで古い洋楽を聴く、布団に入ると寝るまで本を読む。清貧を絵に書いたような生活ぶりである。

こうしたルーティンを崩さない。人間関係や突発事象によってルーティンから外れたとしても元に戻すのだが、平山のルーティンは世界から独立している。孤立と言ってもいい。家出してきた姪っ子に平山は、お母さんの世界と自分の住むところは違うと言った。あえて深い関わりを持たない生活。かつて所属した上流階級とだけ関わらないというのではなく、ルーティンで接する風呂屋、古本屋、バーのママ、浅草駅地下の一杯呑み屋、カメラ屋、仕事場ですら表層的な関係しか持たず、ルーティンを繰り返す。その変わりはえのなさが「パーフェクト」なのだろうが、微妙な空気の上に立つ不可思議なパーフェクトさに、もやもやした感じが残った。

父親との確執から裕福なバックボーン(おそらく相当な富裕層)を若い頃に飛び出した。詳細は示されず、今のつつましい清貧生活をこの上なく大切にするのだが、なぜそこまでやるのか。ここにも?の感じがあった。

ルーティンが戻ってからの最後のシーンでもって、運転席でハンドルを握りながら、笑顔と微妙な泣き顔が示された。名場面である。映画の思想がすべて込められたような気もしたところだが、想像することしかできず、なんとなく納得できない気持ちで映画館をあとにした。素晴らしい映画であることには間違いない。

(モヤモヤしていた昨日の朝の曇天。ドンドンテンテンどんてんてん)
弱き者性暴力にアイデンティティ [2023年12月12日(Tue)]

fumihouse-2023-12-12T22_21_26-1-thumbnail2.jpgハリウッドでのセクハラを機に全米、全世界へ広がった#MeToo運動。それを描いたのが『シー・セッド _その名を暴け』。超大物プロデューサーであるワインスタインが起こした数々のセクハラ。ハラスメントというには軽すぎる。性暴力事件と言うにふさわしい。

権力の座に君臨する数多の者たち。最高権力であれ、ペーペーのミニ権力者であれ、力を誇示することでしか自己の威厳を保てない哀れな者は一定程度存在する。多くは男である。暴力で脅迫し服従させようとする愚かな者たち。しかも(だからこそ、かな)密室でレイプに及び、相手に恥辱を与え、心に深い傷を残す。事が流出しそうになると、権力の力でねじ伏せようとする。セックスに依存し、下位の者を平伏させたい欲望の虜となった連中。

ともあれ、トラウマを抱える被害者たちの固まった心をニューヨーク・タイムズの記者が溶かしていく。告発を望まない女性が多かった。これ以上傷に触れられたくないと思うのは無理からぬこと。被害者には悪人ワインスタインの俎上に乗ってしまった後悔が常につきまとう。しかし賽は投げられた。ワインスタインの悪事は暴かれて、記事に共鳴した被害女性たちが声を上げた。#MeToo #MeToo #MeToo・・・拡大しワインスタインは追い詰められた。そればかりか、性被害に苦しむ世界中の女性たちが声を上げて運動は広がった。

ただ、快哉を叫ぶのは早い。記者たちがワインスタインを追っていた頃、これも性被害を連発していた大統領候補トランプは、のちに当選する。#MeTooが米国の良識を示したのは事実だが、トランプ的な魔物は日本も含め、世界に多く生息しているのだ。

今もなお性被害は頻発する。子どもたちへの加害行為も引きも切らない。自分より弱いと見るや、舌なめずりをして近寄る者たちがいる。多様性などとは言っても、両者が誠実に合意してのこと。嫌悪感を持つ相手から加えられる行為は犯罪被害でしかない。

今日は福島地裁で判決が出た。陸上自衛隊の元上司が女性隊員を格闘技で押し倒し、服の上から体を触ったなどとする裁判の結果、裁判所は3人全員に強制猥褻の罪で懲役2年、執行猶予4年を言い渡した。猥褻目的はないと主張したが退けられた。当然である。宴会での盛り上げと称して倒したあとに性行為の真似事をしたというから、調子に乗った行為がどれだけ被害者を傷つけたか、権力を鼻にかけた連中には想像が及ぶまい。他の隊員たちはその場で止めなかったのか。場の空気に染まって自分も笑って見ていた、同じ穴のムジナと化していたのやもしれぬ。

被害者は今後も重い苦痛を抱えながら生きるであろう。#MeTooの声を上げたことによって、好奇の目や嘲りを向けられる痛みを代償にして差し出された今回の判決。圧倒的多数が少数者を虐げる理不尽が許されていいはずはない。もちろん私だって、その多数派にも少数派にも属するかもしれない可能性がある。非は非、是は是として言い切れる勇気を持ちたい。
痛み取りそれとは何だ野球愛 [2023年12月10日(Sun)]

fumihouse-2023-12-10T22_27_19-1-thumbnail2.jpg「おまえがそれを作れば彼はやってくる」「彼の痛みを取り除け」

そんな声を聞いたのが、映画『フィールド・オブ・ドリームス』の主人公レイ(ケビン・コスナー)。トウモロコシ畑から聞こえる謎の声に従って、彼と妻は畑の一部をつぶして球場を作った。

「彼」とは? 「痛み」とは? レイは試行錯誤しながら難問に挑み、声が示す夢に向かっていく。最終場面で、反発の末に喧嘩別れしたままの父と、レイはキャッチボールを楽しんだ。それがレイ自身の痛みを除いていく。ジワジワと感動が身体を貫く。

陽が暮れて明かりが灯る畑の野球場に、往年の名選手を見るために観客が集まる。無数のヘッドライトの帯には、アメリカという国の野球愛が感じられる。アメフト、バスケットなど人気の種目は多けれど、米国の原点となる野球を思う。今日は大谷翔平のドジャース移籍が決まった。大リーグ史上最高額の7億ドル(10年)はもちろんだが、米国野球の新しい歴史の扉が開かれた。

(秋空に咲き誇る皇帝ダリアのような野球の存在感)
大いくさギリシャ神の気まぐれに [2023年08月13日(Sun)]

fumihouse-2023-08-13T20_50_20-1-thumbnail2.jpg午前10時の映画祭で『アルゴ探検隊の大冒険』を楽しんだ。60年も前の映画で当時の最高技術の特殊撮影が光り、迫力満点である。

ジェイソンは図らずもペリアス王の命を救った。ペリアスは父の命と王国を奪った張本人であったが、ジェイソンはそれを知らなかった。ジェイソンは世界の最果てにある黄金の羊の毛皮が、世界の平和をもたらすと教えられ、屈強な強者たちとともに頑丈なアルゴ号に乗って危険な航海に旅立つ。ペリアスはジェイソンが仇敵として自分の命をいずれ狙うことを占いで知っていたので、先手を取って恐ろしい旅に行くよう仕向け、宝を横取りしようと目論んだ。

天上の神殿からゼウスとヘラは人間たちが戦うのを高みの見物をしながら、賭けに興じている。古代ギリシャにおける最高神ゼウスとその妻ヘラであるが、たいそうな俗物ぶりである。ギリシャ神話の神々は人間臭くて面白い。

水と食料を補給するために寄った途中の島で、ヘラクレスが出来心から宝剣を奪ったため、宝を守る巨人を怒らせた。ウルトラマンほどもある巨人に一団は窮地に陥ったが、天上からヘラがアドバイスしたおかげで巨人を倒す。ここでヘラクレスは別動隊として隊から離れる。どこかの怪物退治に出かけたのだろう。盲目の預言者を怪鳥から救ったり、吠える大岩でトリトンに助けられたりするうち、目的地コルキスに辿り着いたジェイソン一団。

世界の平和をもたらすとのふれこみであったが、結局コルキスから強奪しなければ、黄金の羊の毛皮は手に入らない。八つの首をもつハイドラを命からがら倒したものの、不死の骸骨戦士が出てきてジェイソンたちを苦しめる。海に飛び込む機転でついに骸骨を倒し、いい仲になっていたコルキスの巫女(それとも王女か)と熱い口づけを交わして帰路につき、ハッピーエンド。その姿をゼウスは天上から眺めながら、次こそ負けまいとヘラへの対抗心を燃やした。

プロットは単純で、物語の深みも欠くが、当時の観客は特殊映像にさぞや驚いて喝采を送ったであろう。わたしもそれなりに楽しんだ。

(ギリシャ彫刻のように島根県立美術館で佇むブールデルの『ペネロープ』)
邯鄲の夢を見るなり趙国で [2023年07月30日(Sun)]

fumihouse-2023-07-30T22_33_26-1-thumbnail2.jpg秦王・嬴政(えいせい)が大将軍・王騎に向かって壮絶な囚われ時代の経験を述懐する。舞台は趙国の首都・邯鄲。邯鄲脱出が前半のクライマックスだった。映画『キングダム 運命の炎』に故事「邯鄲の夢」を思う。

邯鄲で仙人と出会った貧乏な青年が、うたた寝するうちに50余年の一生の夢を見た。贅を尽くし、富貴を極めた一生であったが、目覚めてみると宿の亭主が仕掛けた飯がまだ炊き上がらない程度の時間しか経っていなかった、という話。人の世の栄枯盛衰は儚いことを戒める故事である。

王騎から「飛信隊」という名付けられ、縦横無尽に勇躍する飛信隊。胸のすく活劇の一方、その敵等にも家族があり、痛みがあることを思えば、複雑な気分だ。政はやがて中華統一して戦争のない時代を築くが、平和は長続きせず、現代の今もなお、対立と戦闘は世界各地で続いている。科学技術が進歩したが故に、地球規模の大きさで、戦争は時に悲惨の度合いを増す。

キングダムはニ千年以上も前の話。時代は変われど、興隆と没落もまた邯鄲の夢なり。

(ミズクラゲもまた、邯鄲の夢を見るのか)
どう生きる君も私も霧散なり [2023年07月19日(Wed)]

fumihouse-2023-07-19T17_27_01-1-thumbnail2.jpg『君たちはどう生きるか』と問われても、すでに日々を生きている。何気なしに生きている。苦闘しながら生きている。張り詰めたり、デレっと緩めたりを繰り返して生きている。ふと振り返ると、ああ今年も半年過ぎたと思いながら生きている。

宮崎アニメの過去の片鱗が映像のあちらこちらにある。冒頭に「風立ちぬ」を感じ、「千と千尋の神隠し」があり、「となりのトトロ」や「もののけ姫」、あれこれと降臨してくる。なんとなく懐かしさを感じさせながら、悪意と善意の両面を持つ人間という存在に対して、どう生きるのか?→こう生きよ!と強制する映画ではない。

善悪を取り合せて人生は成り立つ。陰と陽、上と下、内と外、生と死、緊張と弛緩、空想と着実、夢と現(うつつ)……さまざまな対比でもって日々は過ぎ、過去と現在が錯綜し、先達との接点は生まれる。吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』との関連はあるや無しや、と問われれば分からない。まっいいじゃないですか。

古代インド・ウパニシャッド哲学のブラフマン(宇宙の原理)とアートマン(無明たる我)のことを想像したけれど、思索すべき材料はなし。ただ、映像のゆくがままに楽しむのみ。

(タマアザミの球形を思へ、さすれば宇宙と一体となれる……まさか)
口角を上げて見るべし人のさが [2023年04月22日(Sat)]

fumihouse-2023-04-22T13_47_49-1-thumbnail2.jpg物語に入り込むほどに、口角が下がり頬が固くなっていくのが分かる。あえて口をニッーとしてやらないと落ち着かない。

映画『Village(ビレッジ)』。優(横浜流星)を軸に中部地方の山村の群像を描く。静と動、陽と陰、癒やしと暴力、正直と陰謀、明快と曖昧、救命と殺人、生と死・・・そこにある清雅な能舞台と巨大なゴミ処分場も含めて、多くのコントラストによって気持ちが揺さぶられる。

目とは、あれほどまでに精神の在り処を示すものなのか。優は、首が傾き背が丸まり腰が屈み視線が落ちる。誇りなき劣等感だらけ、イジメと暴行の屈辱に反発さえできない青年であった。自信が生じてくると目に力が宿る。首は立ち背は伸びて腰は漲り目は正面を見据える。

ハッピーな展開を期待したが、そうはならなかった。星新一ばりの直径1mほどの穴、急傾斜地上に立つ処分場の環境影響評価、ネット全盛の現代にあってのハラスメントやり放題、死体遺棄後の恋人同士の平気の平左、あれこれとツッコミどころはあるが、重いものを残した。

(かの地にも咲いていたかもしれない、ベニカノコソウ。煎じて煮詰めたら血が滴りそう)
ボリウッド恋にダンスにアクションに [2023年02月19日(Sun)]

fumihouse-2023-02-19T21_25_19-1-thumbnail2.jpgキレッキレのダンスと野性味アクション満載のインド映画『RRR』を見た。インド人警察官のラーマが暴徒化した群衆に独り立ち向かうシーンが冒頭にある。英国の植民地として虐げられている民衆を取り締まる中間支配者の立場である。たった一人で鎮圧したはいいけれど、同胞を相手に胸に複雑な思いを抱えたことだろう。しかし、ラーマは出世街道をひた走り英国総督に忠誠を誓う。ラーマは、総督に捕らわれた妹少女を救い出そうとする村の男ビームと、少年の救出をきっかけに出会い、無二の親友となる。はからずも両者は宿敵の位置にあり、やがて二人は対決する。

あり得ない設定ながら、3時間は怒涛のエンターテイメントで退屈はない。インドの魂の踊りナートゥ、戦い殺す無敵のアクション、故郷の人々や恋人との強い絆、互いの本心を知り改心する親友同志、大英帝国の理不尽な統治など見どころがたくさんあった。ボリウッド映画は実に興奮する。情にほだされる。ダンスに心躍る。インドに行ってみたいなぁ。

物語の終わりにビームはラーマに「読み書きを教えて」と願う。ビームは英語を解さなかった。おそらく文盲である。無類の強さに学問の英知が加われば、さらに大きな力となるであろう。その力が束になれば独立は果たされる。やがて広がるガンジーの非暴力運動を思った。
会いたいよオーマイダーリン愛込めて [2023年01月08日(Sun)]

fumihouse-2023-01-08T22_09_07-1-thumbnail2.jfif映画『ラーゲリより愛を込めて』を見る前は、ソ連の強制収容所で収容された元兵士らが残した家族に思いを込めて手紙を送る、それに「愛を込めて」と表題を付けるとは陳腐だと思っていた。が、嗚咽するのを堪えながら、やっぱり愛を込めてでいいと思う。

日常に美はある。穏やかな木漏れ日を、空の青さを、小鳥のさえずりを、風の心地よさを、花に舞う蝶を、笑顔で交わした会話を・・心に留めて記憶に残す。記念すべき重要な日も、そうでない平凡な1日も、すべては未来への財産である。生き長らえてほしい、できるだけ健康に、荒波に負けずに、歌を歌っていい人生を送ってほしいという家族への願いに心動かされる。

山本幡男(二宮和也主演)が口ずさんだ「愛しのクレメンタイン」。歌詞をじっくり見ると、山本の家族を思う心が反映されたようで悲しい。

Oh my darling, oh my darling,(ああ、愛しの人よ)
oh my darling, Clementine.(愛しい人、クレメンタイン)
You are lost and gone forever,(あなたとはもう二度と会えないんだ)
dreadful sorry, Clementine.(悲しすぎるよ、クレメンタイン)

終わりの見えない責め苦に遭えば、人は絶望する。それでも人は希望を捨てない。希望があれば生き続けることができる。会いたい人に会うことも希望なり。会いたい人に会えることは、実は当然ではない。それに感謝しつつ生きることを続けようと思う。
戸締まりをしてもやっぱり飛び出すぞ [2023年01月04日(Wed)]

fumihouse-2023-01-04T18_03_09-1-thumbnail2.jfif映画『すずめの戸締まり』では、スズメさん、困るんですよ。ちゃんとドアは閉めてくれなくちゃ・・そんな愚痴をこぼしたくなる冒頭のパニックシーン。やがてスズメは、廃墟にひっそり立つ魔界の扉に次々と対面することになる。対決し、扉の戸締まりをしなければ魔の主は飛び出していく。魔界のエネルギーは溜まり過ぎると地表に飛び出す。

魔の主とは、地球が持つ巨大エネルギー。ミミズという名前で飛び出すや否や人間生活を破壊し、人々を絶望の淵に追いやる。そのエネルギーは一方で、人間が生きるよすがでもあり、人間の情念とも密接に繋がっている。魔の主のことを人間は地震と名付けている。

扉の鍵を持つ閉じ士。幼き日に封印した扉の向こうと繋がったスズメ。愛する人を見失うや否や、愛する人は封印された向こうにあると確信したスズメは、脱兎の如く目的地を目指す。うじうじした初期のスズメとは正反対に、猛々しくも頼もしい。

閉じ士の一人、ソウタが大地震を封じるときの言葉が印象に残る。こんな意味あいのことだった。・・・人生は仮りそめのものであることは分かっている。しかし、一刻でも生き長らえたいのだ・・・と。生きよう、かっこ悪くても生き長らえよう。絆を保って誠実に生きよう。そんな情念が沸き起こってきた。

(鈴芽が閉じ士として封印した扉の向こうには、どんな空が広がっていたのだろう)
将軍へ同志の笑顔矢の雨塞ぐ [2022年08月16日(Tue)]

fumihouse-2022-08-16T17_04_43-1-thumbnail2.jpg映画『キングダム2 遥かなる大地へ』のテーマは、羌瘣(きょうかい)の笑顔。とわたしは勝手に思う。

信の初陣である。同郷の尾兄弟に合わせて、伍の隊(五人組)を羌瘣と組んだのが彼の運の良さ。破天荒な戦闘能力の高さを見せる信。人間的にも厚みを増した。王騎の指導を受けて、兵卒ではなく将となるには、智謀とリーダーシップが無尽に必要なことを学ぶ。「天下の大将軍」は遠い先にある。

秦王・政の玉座は危うい。弟勢力のクーデターは阻止したが、内外ともに敵だらけ。丞相・呂不韋が鋭い牙を向けて王の座を狙っている。信頼できる部下がいるにはいるが敵陣営との力は拮抗して、全土を統一するという夢には程遠い。

しかし、政の側には新しいスターが次々と生まれる。日替わりの立役者のおかげで、夏の甲子園におけるダークホース校が優勝してしまうような風情である。もちろん先は長い。その道中、羌瘣の無双の強さと澄んだ笑みが、信を助けていく。今回の終盤で出た羌瘣の笑顔。クールだが透き通ったあの笑顔がこれからも見られるだろうか。

ともあれ、コミックスが六十数巻まで進んだいま時点でも中華全土統一への道のりは見えない。まっ楽しんで待つことだね。映画も来年早々の第三話に続き、シリーズが長く続いていってほしい。

(映画のキングダムが単発の花火で終わらなかったことを祝す)
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