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忘れまい思うほどなく風化して [2013年03月16日(Sat)]

__tn_20130316110121.jpg≪「これからは忘却との闘いになる」と話すのは、津波研究の第一人者と知られる東北大学の今村文彦口授。これまでは「伝承、教訓はあってもリアリティーがなかった」ために、一昨年の大震災では逃げ遅れる人が多く発生してしまったとの分析だ。研究者としても歯がゆい思いをしたという。今後に必要なことは、被災地にとどまらず全国的な経験の共有化と普遍化と断言。さらに「災害は起こるものという『災害文化』の醸成が大事だ」と、意識改革の必要性に言及する≫
  (『記者席』3月14日付け日刊水産経済新聞)

たしかにそのとおりだ。3月11日の前後には大震災の体験を風化させず、復興と新時代への飛躍を決意する言葉が多く流れた。だが、私は思ってしまうのである。「意識改革」は世代をまたがないどころか、数年して別の場所で津波に襲われたときに、「逃げ遅れる人が多く発生してしま」うと思うのである。

津波に飲み込まれ流され破壊される車。流されてあれよという間に濁流の波間に消えた命。自然発火した炎の山。巨大な波に漂う車から鳴り響くクラクションの音。自然に発した車の断末魔の声なのか、それとも閉じ込められた人が為すすべなく鳴らしていた最期の火なのか。遺骸が累累と積み重なるようにして残る海辺。屍臭漂うのが見えるかのような遺体集積所。。。。。

大震災二日後にはマスコミが流す映像には死者の姿、死にゆく人びとの姿が映った映像は完璧に登場しなくなった。それを報じたのはエログロ大好きな週刊誌の類と2ちゃんねる的なネットサイトだけだったかもしれない。人の死を見世物にしてはならない、死者や遺族の人権を守らなければならないという配慮が働いたことは間違いない。

だが結果として、「リアリティー」が見事に欠落してしまった。建物が破壊され、無人と思われる自動車や漁船が陸を滑るように移動し他の物体も次々と壊していく様を見れば、地球という暴君の恐怖、人間の営みの儚さを感じる映像にはなる。しかし「リアリティー」は弱い。

目を隠し個人が特定されないようにした上で、あの映像群を残していく、公開していくことが、あの悲惨な事実に「リアリティー」を与える。生きた教訓として、日本中の人びとが二度と逃げ遅れないようにするための方策となる。

もうひとつ気になるのは、近ごろ自殺を自死と言い替える流れが加速していることだ。そこには遺族への配慮があるが、自死と言い替えることによって、自分を殺したという冷厳な事実を覆い隠し、かわいそう、自ら命にピリオドを打ったと詩的な美にすり替えてしまう恐れを感じるのである。自殺防止のためには、目を背けずに、悲惨な「リアリティー」を残しておかなければならない。
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