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渾身に体をぶつけ再生を [2013年01月05日(Sat)]

__tn_20130105214557.jpg丁寧に作り込んだ作品である。登場人物の心情、刻々と変化する人間同士の関係、島後・都万や島前の摩天崖、赤はげ山の景観、20年に一度の遷宮を前にした水若酢神社(島後・五箇)の静寂、一番一番の隠岐古典相撲の取り組み、地元の熟練した行司や呼出しの迫力、勝負に沸き一喜一憂する場内、正三大関同士の大一番・・・・そうしたシーンが丹念にバランスよく遠近感をもって画面に配置されている。過去と現在の時間を交互に並べつつ物語の核心に近づいていく手法も、時間の遠近感を感じさせて観る者を飽きさせない。

錦織良成監督(脚本兼)が持てる力を出し尽くして造り上げた感をもつ。まさに「渾身」である。隠岐古典相撲の醍醐味、家族の再生と船出を計算尽くで描ききった。出演者やスタッフ、エキストラとして関わった隠岐の人々の気持ちが合わさって、あらかじめ意図した計算を超えて、映画『渾身は見事に仕上がった。神事(かみごと)であるかのようだ。

どの画面もムダがなく美しい。かつユニバーサルな映画である。悲しくて涙が出るのではない。嬉しい思いが湧き上がって涙がにじむ。漫画家のやくみつる氏がコメントしている文章があった。≪「抑制」と「躍動」の劇的なコントラストこそ相撲の美学。その意味では「渾身」は全編がひとつの大一番であるかのようだ。≫

隠岐諸島の自然と生きる人々が発する価値を歌い上げた映画であった。ミュージカルではないが、筋書きのドラマを超えて、画面からリズムが響いてくる。隠岐の自然が織りなす緑と青、茶色のアースカラーが人間劇の幅を広げた。使われていた隠岐弁は最小限にして、あえて使わず(「○○だけど…」を隠岐弁で「○○だいどぉ」という台詞が目立った程度)、標準語的なアクセントに統一してあった。日本中、さらに世界に通じるユニバーサルな映画としようとしたのではないかと私は勘ぐっている。

「隠岐には島根には日本の心がある。そしてこの日本がいい」という監督の言葉が心に残る。幸い今日は出雲、松江、米子での先行上映初日で、上映後T・ジョイ出雲で行われた舞台挨拶に参加することができた。錦織監督と多美子役の伊藤歩と英明役の青柳翔の3人が隠岐での撮影体験を話してくれ、隠岐の人々との交流が宝物となったことを実のある言葉で紹介してくれたのは嬉しい。

もちろん突っ込みどころはいくつかある。だがステキな映画だ。たくさんの人に観てほしい。脇役の名演技も光る。エキストラに知り合いの顔を見つけるのも楽しい。何度でも観たい映画に出会えて嬉しい一日だった。
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