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ここはどこ私はだれとふと思い [2012年11月12日(Mon)]

__tn_20121112224538.jpg本に夢中になって、ふと我に帰ったときに、「ここはどこだろう? 今はいつ?」という感覚を時折もつ。列車に乗っているときだ。見当を失ってほんの一瞬戸惑うことがあるのだ。今は休日なのか、通勤途上なのか。そもそも時間の観念を無くしてしまう。もちろんほんの一瞬だ。直ちに我に帰る。二秒も三秒も、さらに長く続いてしまうことがもしもあれば病気である。認知症の治療が必要となってしまう。

同じように失見当となる感覚を寝起きに感じることがある。自分の家で目覚めたときではない。旅先や親戚といった普段とは違う環境で目覚めたときの感覚である。天井がいつもと違う。ここはどこだ?私はどこへ来ている?と、これも一瞬自分がわからなくなる。

某首相が「近いうちに解散」の真意を尋ねられて一瞬きょとんとした表情を見せることがある。三年前に体験した地滑り的大勝の爽快感、一年あまり前に喩えはどんくさいながら堅実なドジョウと期待されて上り詰めた総理の座。あの栄光から一転して、追い詰められた今の立場は必戦必敗、歴史に残る大敗の汚名を着せられるのは自明の理。

あの「きょとん」は、ここはどこ?私はだれ?と一瞬だが、わからなくなってしまった表情のように、私には思える。
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