時を知る時にやがては管理され [2019年09月10日(Tue)]
一分一秒を争うときがある。電車に乗るのだが遅くなって時間がない。お気に入りのテレビ番組が始まるのに帰宅のクルマが渋滞に巻き込まれている。映画のチケットは持っているけれど買い物に夢中になるうちに時間が迫った・・・。ひとと会う約束の場合は2、3分は許容範囲であろうし、一刻も早く救急車の到着を待つ場合はこれにあたらない。
7時30分に発車予定の列車に乗るつもりで、駅への道を急ぐ。デジタル時計や秒針のないアナログ時計で「7:27」と表示された場合、7時27分57秒のときもあれば、7時27分02秒もある。1分近く違いがあれば大変だ。時間に精確なことは便利だが、しんどくもある。 大昔、時計がなかった頃、明るさで「昼夜」を知る。時刻を鐘で知らせる時代になると、辰の刻などだいたいの「とき」知る。家庭に時計がゆき渡り「時間」を管理できるようになる。時報で腕時計を合わせ、電波時計だと一秒の狂いもない。設定しておけばアラームが知らせてくれる。やがてコンピュータが、「時間だ、さあ動け」と指令してくることにもなるだろう。私たちは時間に管理されるようになった。 (日日草のように時間を気にせず?、悠々と咲きたい) |