少くて欲は足りたか夢を見る [2018年08月22日(Wed)]
欲には際限がない。森鷗外は『高瀬舟』であらわした。
≪人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食って行かれたらと思う。万一の時に備える蓄がないと、少しでも蓄があったらと思う。蓄があっても、またその蓄がもっと多かったらと思う。かくのごとくに先から先へと考えてみれば、人はどこまで往って踏み止まることが出来るものやら分からない≫ 高瀬舟は安楽死をテーマとしている。病気で働けなくなった弟が先をはかなんで喉笛を切ったが死に切れなかった。虫の息で、帰ってきた兄に楽にしてと頼んだ。兄はやむなく喉の奥に刺さった剃刀を引いてとどめをさした……。そのことばかり印象に残っていたが、よく読むと冒頭のように人間の欲についても扱っている。 少欲知足。欲を少なく足ることを知る。贅沢を戒めた言葉であるが、人間の欲には限りがない。不埒な欲は醜い。独善の欲はひとを不幸にする。しかし、欲があるからこそ、ひとは前へ進める。夢を見るひとは欲を忘れずに生きているのだ。 (稲穂の実る秋は近い。米だって最高の稔りを迎えたいと思っているかもしれない) |