アベリアが歩道の端に穢れなし [2018年06月24日(Sun)]
サーミ人に生まれたばかりに差別される。エレ・マリャは我慢がならなかった。スカンジナビア半島北部でトナカイ遊牧を生業とし、独特のテントで暮らす。色とりどりの糸で織った民族衣装を珍しがられ、観光用の見世物にされる。国家が保護する代わりに自由はなく、劣等な脳だと蔑まれて実験動物のような取り扱いを受ける。一方で徹底した同化政策によって、学校ではサーミ語をしゃべることが禁止されている。
サーミ人の血を嫌って、エレは故郷のラップランドを飛び出した。長い年月が過ぎて妹の葬儀で初めて帰郷する。年老いた亡骸に妹の長年の苦労を見た。エレは故郷を捨てたが、すでに亡い母や祖父母たちも含めて、血族のおかげでエレはスウェーデン人として生きていけたことに気がついたのだろう。深い感謝と惜別の念で彼女の気持ちはいっぱいだった。 映画『サーミの血』見ると、血とは何だろう、なぜ差別が起こるのだろう、と考えることになる。血とは遺伝子。全人類はホモ・サピエンス。人種、民族ごとに文化の違いはあったとて、貴種も劣種もない。物語は1930年代ではあるが、差別は今も残っているのだろう。一度ついてしまった偏見をくつがえすには大きなエネルギーが必要だ。 それでもなお、人はすべて尊厳な存在であり生命として尊重される、地球の生態系へ感謝し持続可能な開発を志す。そうした発想を持てなければ人類の将来に希望はない。人種差別しかり、部落差別、ハンセン病者への差別もそうだが、その血は穢れているとする誤った発想を根本的に変えなければならない。 (アベリアが咲き始めた。歩道の植え込みによくあり、ほのかに甘い香り) |