春色の幸せにのって移ろって [2017年03月28日(Tue)]
春は幸せに似ている。とても似ている。
風や空気は春に柔らかくなる。肌を刺した北西風が東から吹く。暖かい空気に誘われて外に出る。冬から季節が移ろう様子を鋭敏に感じ取って私は喜ぶ。木や草の緑が刻一刻と膨らみ、緑色の度を増す。野にも花壇にも花は咲き乱れて花繚乱の春がやってくる。山は笑ってほんわりとした立体感が出て、空も海もまぶしく輝く頃になるとソメイヨシノはもうじきだ。 それでも寒の戻りがあり、春の雨は意外と冷たい。暖かい日は照っていても寒さに震える時もある。春とは思えない強風にコートの襟を立てることもある。気持ち良い天気は長続きせず、花だってそう易々と咲き乱れるわけでもない。右を向いても左をも、すべてが春爛漫とはいかぬもの。何がしかの不満を抱えたまま、時は過ぎ去る。ふと気がつけば夏の声が聞こえてくる。夏がひたひたと押し寄せて暑さにうだる日々がくる。ああ春よ!おまえはどこへ行ったのだ。 思うにまかせぬ春の日は、あれよと言う間に暮れていく。満面すべてが春ならざれども、少しずつの春を楽しもう。「春」を「幸せ」に置き換えてみたらどうなるの? 比喩として春は幸せ表すよ。 ≪決して仰々しくはない小さなことにも、大きな幸せの因は宿る。それを知り、感謝できる人が、本当の幸福を手にする≫(聖教新聞「名字の言」3月25日付け) (水菜の花が咲いた。冬場は鍋に水菜は大活躍していたが、その役目を終えてこうして可愛らしい菜の花となる) |