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人間はなぜに殺してしまうのか [2015年05月27日(Wed)]

fumihouse-2015-05-27T19_20_54-1-thumbnail2.jpgどうして人間は殺し合いをするのであろう。他の生物は傷つけはしても殺すまでには至らない。本能としてインプットされた生物としてのあり方だからだ。しかしながら人間はその例外。本能の外にある。万物の霊長たる特権をもってすれば例外が許されるのか。許す許さないではなくて、現実に殺されて苦しむのは人間自身なのだから変な話だ。悲惨な苦しみをこうむる人間はゼロになるのが正しい。

考えてみれば、どんなに憎もうともその相手方は、数十年待てば死ぬ。どいつもこいつも、どんなに憎らしい奴でも、ちょっと待てば死に絶えるのだよ。なぜ殺そうとする? 待てばいいのに! 当人ばかりか、家族も親戚も縁者も、関わるすべての人間を根絶やしにしたいと欲望するのが人間なのか。

醜い欲望に絡め捕られた人間同士が戦う。勝者と敗者が生まれる。生者と死者に分かれる。死者と敗れた者は悲しみ、生と勝った者は安堵する。安堵したのもつかの間、復讐の影に怯え心は安らかではない。暴力の連鎖にがんじがらめになって不幸の階段を転げ落ちる。復讐を遂げたとしても、喜びはやがて消え失せて、相手からの報復攻撃を恐れる。幸福になれる者は誰もいないのだ。

国会で安全保障関連法案の審議が始まっている。日本の同盟国が戦争をおっぱじめた際に、集団的自衛権を行使する3条件は次のとおり。字面だけは極めて厳しい。

(1)我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があり、
(2)国民を守るために他に適当な手段がなく、
(3)事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武力を使うと閣議決定されたものだ。

安倍首相は答弁する。「集団的自衛権の行使を想定し得るのはホルムズ海峡の機雷除去だけだ」と。一方で内閣法制局長官は、他に攻撃を防ぐ方法がないという場合に個別的自衛権を発動して敵国のミサイル基地などを攻撃できるとも述べている。矛盾している。後方支援どころか、防衛に名を借りた攻撃だ。満州国は日本の生命線と詐称したかつての日本と変わらない。危ういぞ怪しいぞ。

輜重(しちょう)、すなわち前線部隊に武器や糧食を輸送する兵卒がいる。さらに意味を広げると、後方で情報連絡や交通を確保する任務を受け持つ兵站(へいたん)部隊がある。後方支援と首相は呼んでいるものだ。

憎っくき敵に味方する者は誰もが敵だ。敵の味方は敵なのだ。後方支援だが何だか知らないが、あんたがその気なら、あたしゃあんたを攻めるよ! という発想でかのISは二人の日本人人質を残虐にも殺した。憎しみに絡め捕られた人間はおかしなことを考える。

仮にホルムズ海峡であれ、機雷を除く任務についている自衛隊艦船は敵方から離れているように見えても、長距離ミサイルで攻撃されてしまう。精度が少々低かろうが数打ちゃ当たる。「後方」にいるという安心感があると、防御の態勢は弱くなる。前線の屈強部隊は歴戦の戦争常習国であり、さすがに強い。正面作戦を避けて、自衛隊の部隊を狙うという選択肢は考えられる。「後方でもいい」と思っているうちに、いつの間にやら後方も前線もない状態に陥ることは十分あり得ることだと思うのだ。

(柿の花は変哲もなく平凡で目立たない。でも秋になれば美味しい実をならす。それで十分じゃないかと思う私は消極派か?)
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