残雪の会津富士なり悠然と [2015年05月04日(Mon)]
会津磐梯山はいまだに雪を残していた。新潟・魚沼方面に屏風然とそびえる雪山と青い山並み。夏が来てしまったかのようなスカイブルーと刷毛で掃いた雲。新緑はまだ浅く、日々刻々と姿と色を変えゆく生命力に満ちている。若草色、黄緑、若苗色、苔色、草色、薄緑、浅緑。広葉樹の森を高原列車に乗っていくのは楽しい。目を地上に転ずれば、タンポポやツルニチニチソウの群落が走る車両からもよく見えて、それぞれ黄や青紫色で主張しているのがわかる。
磐梯山の山頂から猪苗代湖方面に山頂から深くえぐれている。雪がそこに厚く残って、刀で切り刻んだ切れ込みのようにも見える。会津人が感じてきた悲哀を思った。 会津の武士たちは1世紀半ほど前から数十年にわたり、戦い敗れ恥辱を受け入れ忍従し故郷の雪辱をすすぐために難に耐えてきた。江戸幕府に忠節を尽くし官軍(会津では西軍という)に敗れたが故に味わってきた辛酸。会津若松市内のお土産屋さんにあったポスター「会津物語」には次の一節があった。 哀を忍び、哀を超え、 会津人は凛然と、 暁色堪える東の穹(そら)に、 豊かに浩(ひろ)がる未来を望む。 会津の「会」は、出あう、行きあう、集まって、物事の要を表す。そして真理を悟ること。「津」は何かといえば、人や物が集まる重要なところ、船着き場。そして豊かに潤うこと。人間の願いを集約させたこの土地に不幸が集まった。しかしかの土地の人々は負けじと頑張った。そして今がある。 大型連休に全国から集まった数万の観光客と思いがけない暑さに翻弄されながら、私の会津初訪問は終わった。 (全国唯一の赤瓦で葺かれる鶴ヶ城の屋根。当初は黒瓦であったのが寒さで染み割れるのを防ぐために江戸時代に技術革新した結果赤瓦となったという。写真はその本丸のたもとで行われる会津十楽の幟) |